魔女
ーナシュ村 近辺の街 防衛都市ログマーン
関所から馬車で4日間走り、ナシュ村手前の街ログマーンに着いた。北方山脈は魔物のレベルが高いらしく、その魔物達から街を守るために頑丈な防壁に囲まれている。関所の街よりも賑やかだ。
周りにいる人の6割は冒険者と思しき人達だ。話に聞いていた通り、冒険者の国なのだろう。
日本ではラノベを少し読んでいたから、冒険者には憧れる。
だけど、まだ名前も変えていないし、ナシュ村に行かなきゃいけない。
もう夕方だし、明日の朝に出発することにしよう。
お金を無駄にしないように、安い宿を探すのは苦労したが、安い割にはとてもいい宿を見つけることができた。お腹がすいてきたので、宿屋の食堂に向かう。
宿屋の食堂はとても賑やかだ。冒険者が多く、お酒の匂いが充満している。ちなみに、俺が食べている料理は黒パンと、豆の煮込みスープ、焼き鳥だ。黒パンはそのまま食べると硬いが、スープと一緒に食べると、柔らかくなり美味しい。焼き鳥も塩で味付けをされている。
よく、異世界の料理はまずいと言われているが、そんなことは無い。確かに、日本の料理の方が好みだが、異世界の料理も捨て難い。
「おい。聞いたか〜?また、ここら辺で大型の魔物が出たらしいぜ」
「ほんとか?どんな魔物なんだ?」
「それがよ、ブラッディ・ベアーらしいんだよ。まじかよ。Cランクの魔物じゃん」
「今回ばかりは俺たちじゃ無理だな。街道の方には出てねぇらしいから、それまではこの街に居るか」
「そうだな」
大型の魔物が出た。ナシュ村までの道は一人で大丈夫だろうか。話を聞いたところ、まだ、街道には出てないらしいから、明るいうちにさっさと行った方がいいな。ここからナシュ村までは半日ぐらいらしいし。
「女将さん。ご馳走様でした」
「はいよっ!」
お金を置いて、自分の部屋に戻る。
とりあえず、明日は早く起きて、ナシュ村に行こう。
***
天気は曇り。長距離を移動するには、ちょうどいい天気だ。朝の8時に出発して、今は休憩をしている。
時計はこの世界では高価なものらしく、持っていないので正確な時刻は分からないが、3時間は歩いたと思う。ナシュ村までは半日ぐらいらしいので、あと半分ぐらいだろう。
『GUOOooooooooo!!!!!』
突如。大気を震わせるような大きな雄たけびが聞こえた。
その時、宿屋の食堂での話を思い出した。
大型の魔物。ブラッディ・ベアー。
まだ、街道では確認されてはいないはず。だけどそれは、これから起きない訳では無いし、確認されていないだけだったのかもしれない。
失念してた。考えが足りなかった。
走る。魔物と出会う前に、走ってここから抜け出す。
『GUOOoooooo!!!!!』
振り替えずに走るが、後ろからなんとも言えない感覚に襲われる。殺気。この言葉が頭の中に流れる。
殺される。死ぬ。
逃げきれない。なら、選択肢は1つ。
体を反転させ、剣を抜き、構える。
視界に映ったのは、大きな大きなクマだった。黒い毛の中に血に濡れたような赤い毛が生えている。
この真っ赤な毛が血に濡れているかのように見えるので、ブラッディ・ベアーと呼ばれている。前足には、大きな爪。
あの、ハイ・オークと同じくらいの大きさがある。下手したら、もう一回り大きいだろうか。
全神経、全細胞を相手に集中させる。クマは、その丸太のような腕を振り下ろす。
速い。間一髪で避けるも、風圧で吹き飛ばされる。
風圧だけで3メートルは吹き飛ばされた。このままでは、何もできずに死んでしまう。
獣は火を見ると怯むと聞いたことがある。俺の火は、まだまだ小さいものかもしれないけど、当てられれば隙を作ることが出来る。
「こいっ!」
クマが四足歩行で走ってくる。その走りは一直線。
横に避けた瞬間に火を当てられれば…。
「『火』」
左手に火を作り、横に飛ぶ。案の定、クマは俺の横を通り、火がクマに当たる。
(よしっ!あとは、切りつければっ!!)
『GUOOOOOOOOOO!!!!!』
「…うっ!」
クマの振り回した腕が横腹にあたり吹っ飛ぶ。
痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。
ブラッディ・ベアーが目の前までくる。毛を少し焼かれて怒っているようだ。
ブラッディ・ベアーが放つ殺気で動けない。死が間近にあるのがわかる。
「少年。手助けは必要?いや、愚問みたいだね」
後ろから女の人の声が聞こえる。その女性から発せられる異様な空気がブラッディ・ベアーの動きを止める。その瞬間、ブラッディ・ベアーの頭が吹き飛んだ。ブラッディ・ベアーは断末魔を出すことも許されずに息絶えた。
何が起きたのかがわからない。一瞬で決着がついた。
「ひどい傷。【我らを包め天の光よ。癒しの力よ我らが元に】『高位治癒』」
暖かな光が俺を包む。回復よりも暖かく、痛みが消えていく。
「これで大丈夫そうだね。どこに行こうとしてたの?」
「…ナシュ村です」
「そう。なら送って行ってあげる。私もそこに住んでんの。歩ける?」
足に力を入れて起き上がろうとするが、上手く立ち上がることが出来ない。さっきまでの死の恐怖がまだ残っている。
「無理そうだね。ならしょうがない」
「あ、あのぉー」
「何?」
「お名前を教えてもらってもいいですか?」
「あぁ、忘れてた。私の名前は、アリア・ゼラフィート。自分で言うのもあれだけど、風の大賢者とも呼ばれてる」
「俺の名前は、ひの……レゼルです」
危ない。火野坂という名前の人物は今は死んでいることになってる。できるだけ名前を伏せなきゃ。
「そう。今はレゼルにしといてあげる。じゃあ、行こうか」
直後、俺の体が浮く。
「えっ!?えっ?!」
「あまり動くと危ないよ」
空を飛んでいる。何にも乗っていないのに。体が浮いている。
魔法。魔法の力なのだろう。この、アリア・ゼラフィートという人は、あの魔物を瞬殺した。空を飛んでもおかしくはない。
風の大賢者。ベルト宰相が言っていた、500年前に勇者を召喚した賢者のことだろうか。魔法のことはまだ何も分かってはいないが、アリア・ゼラフィートは世界の頂点に位置する人なのだろう。この人以上の魔法使いがいるとは思えない。
リーズに言われたナシュ村の魔女はきっとこの人だろう。イメージしていた魔女よりも綺麗だが、なぜかこの人だろうという確信が持てる。