夏と花火の噺
花火が苦手な小雀ちゃんのお話です。
「誰にでも苦手ってもんはありますが、うちにいる出来の悪い方の弟子、小雀は少々変わった物を苦手にしておりまして――」
などと、師匠が人の弱点で笑いを取っているのを聞きながら、私は屋形船の片隅で膝を抱えて縮こまっていた。
7月の最終土曜日は毎年、師匠と共に屋形船に乗るのが常になっている。もちろん遊びではなく仕事である。
年に一度の隅田川花火大会の日、師匠はファンクラブ会員――師匠のくせに会員数は地味に多い――とのイベントを行っている。
抽選に当たったファンの方々と屋形船で一緒に食事をし、落語をやったあと、みんなで花火を見るというなかなか粋なイベントである。
そして弟子である私も当然それを毎年手伝っているのだが、これがもう、まさしく苦行なのである。
師匠のファンの方々はみんな優しくて大好きだし、交流したり落語をやるのは楽しい。
だが問題は……花火だ。
私は、花火というものが大の苦手なのである。
「ありゃ前世で花火に命取られたんじゃないですかね」
私の怖がりっぷりをネタにして師匠は笑いを取っているが、個人的には笑い事ではない。
とにかくあの音が嫌なのだ。何の前触れもなくドンッときて、振動で肌がビリビリするの嫌なのだ。同じ理由で雷も嫌いだ。
目が見えなくなる前からあまり得意ではなかったが、見えなくなってからはさらに嫌いになってしまった。
見えていればそろそろ来るぞ! と身構えることも出来るがそれも出来ない。
ディズニーランドのように楽しい音楽に合わせてドーンとやってくれるなら割と平気なのだが、BGMさえないタイプは滅茶苦茶しんどい。
そして何より問題なのは、私の怖いという気持ちが周りに人たちにいまいち伝わっていないことだ。
どんなに主張しても、周りは饅頭怖い的な意味で騒いでいるとしか思わない。
そんな周囲の反応にカチンときてしまい、私自身もつい意地になって「やっぱりそんな怖くないですね!!!」なんて平気な顔をしてしまったりするものだから、余計に伝わらないのだろう。
そこは自業自得だし、ここまで来たら全力で会を盛り上げてやるぜと前半は頑張るのだが、打ち上げ5分前になると今すぐ船を飛び降り泳いで逃げたくなる。
「それじゃあ、窓際に移動しましょうか」
師匠がそう言ってファンの方々を誘導する声を聞きながら、私はそっと料理が並べられたテーブルの方へと移動する。
そして少しでも花火から遠ざかろうと、掘りごたつの中に潜り込もうとしたところで、馴染みのある拳にコツンと頭を小突かれた。
「花火、始まるぞ」
近くに人がいないせいか、私を引き上げた相手――カーくんの言葉は敬語ではなかった。
「ここが一番よく見えるんですよ」
「お前、時々もの凄く嘘が下手だな」
言うなり身体を引き上げられ、私は渋々カーくんに縋り付く。
「嘘じゃないです、あそこが……あそこが一番落ち着くんです」
「掘りごたつの中が?」
「ちょっと酔うけど、あそこは花火の音もちょっと遠いし……」
「お前、そんなに嫌なのか」
驚きを含んだ声に、私は躊躇いつつも頷く。
「それならもっとはっきり主張しろ」
「言っても、誰も真に受けてくれないし……」
「誰もじゃないだろ」
言葉と共に、大きな手のひらが私の髪をやさしく撫でる。
「少しだけ待ってろ」
それからカーくんは師匠の方に行き、何やら小声でやりとりをする。内容は聞き取れなかったけれど、何やら驚いた声で「お前に任せる」と師匠が言っていたような気がする。
程なくして、カーくんは私の元へと戻ってきた。
その腕に思わず縋り付くと、小さな苦笑が漏れ聞こえる。
「何をしていれば、一番気が紛れる?」
投げかけられた質問に、私は驚いた。
「信じてくれるんですか」
「ああ。見ていれば、おかしいのはすぐ分かる」
「さ、さすが彼氏……! 他の人は、私がいくらおかしな反応しても気づいてくれないのに」
「そりゃ、普段から挙動不審だからだろう。普段からもう少し落ち着けば、きっと心配してもらえる」
「普段から落ち着くって、それが一番難しい……」
「まあ、それもそうだな」
しみじみと言われるとそれはそれで悲しいが、今までの周りから向けられ続けてきた反応よりはマシである。
「それで、どうするのがいい。音で気が紛れるなら、音楽でも聴くか?」
「いつもはそうしてましたけど……」
音楽よりも心安らぐ物があることに、私は今更気がついた。
「一番はカーくんが服を脱――」
「却下だ」
「ここは、彼女のために、一肌脱ぐところでしょう!!」
「物理的に脱げるわけないだろ。言っておくが、俺たち滅茶苦茶注目されてるからな今」
心なしか声が小さいのはそのせいかと思いつつ、今更のように周りから視線が集中している事に気づく。
師匠が寄席で私達のラブラブっぷりをネタとして話すせいで、ファンクラブの方々はもれなく私達の関係を知っている。
応援もされているし、最近では私達のツーショット写真が欲しいとかイチャイチャしているところが見たいと言われることも多いのだ。
だからこうして話しているだけで「きゃーー」と歓声を上げている方もいる。
「やはり脱ぎましょう。その方がみんな喜びますよきっと」
「絶対に嫌だ。今日は俺の裸じゃなくて花火を見る会だぞ」
「でもカーくんの肌がないと小雀恐怖で死んじゃう」
「今までなかったけど生きてただろ」
「だけどこの厚い胸板に直に触れて、すりすり出来れば、花火もへっちゃらになる気がするんです」
「ならない」
「なります! だから脱いで! 潔く脱いで!」
と言うか脱がせてやろうと思ってかーくんの着衣を強引に乱すと、周りから歓声が上がる。
「お前、俺の乳首は誰にも見せたくないと前に言ってただろ!」
「緊急事態だから仕方ないです!」
「なら俺も、緊急事態だから何をしても良いな」
やけに低い声で言われてはっとした直後、かーくんの腕が私をがしっと抱き締めた。
それだけでもの凄くドキドキしてしまい、顔が火照っていくのを感じるが、カーくんは人前だというのにもっと距離を詰めてくる。
「脱ぐより、この方が絶対効果的だ」
普段より糖度8割増しの声で囁かれた直後、いつになく荒々しく唇を奪われる。
ふれ合うだけの優しい物ではない、大人なキスである。
途端に、私の中から花火への恐怖は消えた。というか、意識さえ消えていた。
■■■ ■■■
「カーくん……だい…たん……」
意識を取り戻し、そんな主張をできた頃には花火はもうすっかり終わっていた。
ファンクラブの方々は既に下船をすませ、残されていたのは私達だけのようだった。
「効果あっただろ?」
「絶大…すぎます……」
「今回は役に立ったが、そろそろキスで失神するくせは直してくれ」
「そ、それは……不意打ちでする…から……」
そう、私はとにかく不意打ちに弱い。めっぽう弱い。
特に甘い不意打ちはまったくだめで、ドキドキしすぎて気がつくと花火のように意識が弾けて消えてしまうのだ。
「とにかく、悪いのは藤さんです……。悪い……彼氏です……」
「花火から守ってやったんだから、むしろ良い彼氏だろ」
「じゃあ、今後も毎年守ってください」
でもできたらもう少し優しい方法で守って欲しいと言うと、「善処する」となんとも曖昧な答えを返された。
どうやら私は花火だけでなく、甘すぎるキスへの耐性もつけねばならないらしい。
ちなみにキスシーンはカーくんがお盆を駆使して完璧に隠しましたが、キスをした事実はネットに流れて滅茶苦茶「いいね」がつきました。