ちよこれいと怖い その3
「雲雀、今良いか」
「デートですか! 良いですよ!」
「違う、そうじゃない」
不満げな顔をする雲雀を見つめながら、俺は彼女の部屋へと入る。
その途端、彼女が膝の上に置いていたノートパソコンをパタンと閉じた。
「バレンタインの下調べか?」
尋ねたが、答えはなかった。だが代わりに、雲雀がわかりやすく挙動不審になる。
「バレンタインッテナンデスカ」
「くれないのか?」
「あっ、あげますけど!! 普通自分で聞きます!?」
「ああ、俺は雲雀の手作りが欲しいからな」
言いながら、俺は彼女の隣に腰を下ろす。
普段はあれだけグイグイ来るくせに、俺から近づくと雲雀はいつも少し緊張する。そこが可愛くて少しいじめたくなるが、今は彼女の頬を撫でるだけで我慢した。
「いつもは、奥さんとチョコを作ってるんだろう?」
「は、はい……。義理チョコもいっぱい作らなきゃだし、さすがにこの身体じゃ全部一人でやるのは無理なので」
そう言って、雲雀は苦笑をこぼす。
「その手伝いを、俺がしたいと言ったら怒るか?」
「えっでも、それじゃあ……」
「俺のを作るときは、なるべく手は出さない。それに奥さんからも、今年は俺が手伝ってやれと言われていてな。俺の方が料理上手だから適任だろうと」
「だったら、手伝って貰おう……かな?」
「ああ。任せろ」
「じゃああの、早速買い出しから行きましょう! 今年は新味に挑戦したくて」
最近マンネリ化してきたから、ここでピリッと新しい味を取り入れたいんですと言い出す雲雀に、今度は俺が苦笑する番だった。
「ずいぶん冒険するな」
「だって毎年、『小雀のチョコは個性的で美味しい』ってみんな褒めてくれるんです! だからその期待は、裏切らないようにしないと!!」
どうやら、師匠たちは自らの手で首を絞めていたらしい。
他に褒めようがなかったのだろうが、誤魔化すならもっと上手い言葉を使って欲しいものだ。
「今年も、みんな喜んでくれるかなぁ」
なんて無邪気に笑う横顔を見ていると、これは止めるのは無理だなと思う。
師匠たちには悪いが、この純粋な好意を無碍にすることは出来ない。
だから俺は、止めることを放棄した。
「ピリッとするのがいいなら、唐辛子チョコが良いんじゃないか?」
「えっ、そんなものがあるんですか?」
「前に一度、ヨーロッパで食べたことがある」
「いいですねそれ! 今年はそれにします!!」
「では、すぐレシピを取り寄せよう。知り合いにショコラティエがいるから、作り方を聞いてみる」
「そんな人と友達って、カーくんさすがお金持ち!」
早速電話をかけながら、俺は興奮する雲雀の唇にそっと指を押し当てる。
「それより、また約束を忘れてないか?」
「ん?」
「二人きりの時は、カーくんじゃないだろ?」
わざと甘い声で言えば、雲雀は顔を真っ赤にし、うつむく。
「いや、あの……」
「昔は呼んでくれただろう」
笑みを深めると、雲雀は唇を震わせながら俺を見上げる。
「ふ、藤さんは……時々意地悪です」
「意地悪じゃない、ただ遠慮をやめただけだ」
「遠慮してたんですか?」
「ああ」
でももうやめたと微笑むと、雲雀は今にも逃げ出しそうな顔で慌て出す。
そんな彼女を逃さないようにと抱き寄せていると、友人の明るい挨拶が受話器越しに響く。
それに返事してから、俺は早速本題に入った。
『可愛い恋人のためにチョコを作りたいんだが、手伝ってくれないか?』
『おい正気か!? お前、今可愛いっていったか!?』
『言ったがなにか?』
『だってお前、女なんて虫けら以下みたいな顔してただろう! なのに彼女だと!?』
『虫けらだとは思っていない。ただ甘やかすのも口づけるのも、可愛い彼女にしかしないと決めているだけだ』
会話はフランス語だったけれど、察しの良い雲雀は俺が何を言っているか薄々感じ取ったらしい。
その後、普段は決して言えない甘い言葉を連発しながらレシピを聞き出し電話を切ると、ついに雲雀が「わああああ」と叫び出す。
「そ、そのモードは禁止です?」
「モード?」
「お、御曹司モードです! わ、私は落語の世界の住人なので、そういう、恋愛ドラマみたいのは、レベルが高すぎます!」
「これくらいで音を上げてどうする」
「もっと凄いことするつもりですか!?」
「作るんだろう? チョコレートを一緒に」
「たかがチョコレート作りなのに、イケナイことするみたいな声出さないで下さい」
「いつもと同じ声だ」
「絶対違います!!」
「意識しすぎだ」
「うううう、チョコレート怖い」
「なら、沢山作らなきゃな」
「落語じゃないです! 本当に怖いです!」
「自分は落語の住人だと言っていたのは雲雀だろう」
怖いは好きと同義だろうと微笑むと、雲雀はぐったりと俺の身体にしなだれかかる。
「……やっぱり、今年はチョコ……作るのはやめます」
「残念だ。今年は雲雀のチョコがもらえるのかと、楽しみだったのに」
「だって、作ったら最後……生きていられる気がしません。手伝うとか言いつつ、あんなことやこんなことをする気でしょう!」
「ああ」
「い、今のは半分冗談です! 認める所じゃありません!」
「雲雀の期待には応えたいからな」
「期待はしていません!」
「嘘はつくな。エイプリルフールにはまだ早いぞ」
「うううう、イベントの度に、このモードになる予感がして怖い!」
イベントがなくても、隙があればこうして雲雀を攻めている気がしたが、それはひとまず言わずにおく。
まあ言葉では攻められても、初心すぎる雲雀にはまだ手も足も出せてはいないのだが。
「でもいいのか? 師匠たちが、楽しみにしてるんだぞ」
「それは……」
「小雀からもらえなかったってって、師匠落ち込むだろうな」
「ううぅ」
「獅子猿兄さんは、ついにもらえるチョコが1個もなくなるんだろうな」
「わ、わかりましたよ! つくりますよ! でも、大変なのは藤さんですからね!」
目が見えないからいっぱいお世話かけますからねと膨れる雲雀に、俺は同意するかわりに口づけをする。
「安心しろ。手取り足取り手伝う」
「普通にお願いします!」
「普通にするつもりだったが、そうでない手伝い方があるなら、是非教えてくれ」
「ないです!! ないですよ!!」
「なら、怯えることもないだろう?」
「……わ、私にとっては、そういう声すら凶器なんです」
見えない分、破壊力が高いんですと真っ赤になってうつむく雲雀が可愛くて、俺は思わず頬を緩める。
「そ、それに今……絶対……甘く笑ってるでしょう」
「察しが良いな。見るか?」
「み、見たいけど……見ません」
言いつつも、雲雀は何かを堪えるように手のひらを開閉させている。その姿を見ていると堪らなくなり、俺はその手を持ち上げ頬にそっと押し当てた。
途端に、雲雀は「あああああ」と悲鳴を上げた。まったく色気のない悲鳴すら可愛いと思ってしまうあたり、俺は他の噺家たち以上に、彼女の魅力にやられてしまっているらしい。