キスの日
小雀ちゃん視点でキスのお話。
(最近ちょっとだけ彼女レベルが上がった……らしい)
5月23日はキスの日らしい。
そのことを知ったのは、日付が5月24日に変わる間際の事だった。
かけっぱなしになっていたテレビから聞こえてきたその情報に、私はすぐさま隣にいる藤さんへと顔を向けた。
普段なら、察しの良い彼はそれだけで私の考えをわかってくれる。
だが今日は反応がない。それが気になってテレビを消せば、彼の寝息が微かに聞こえてくる。
どうやら藤さんは、ソファに座ったまま眠ってしまったらしい。
「寝顔が見れないの、つらい……」
自分の目が悪くなければと思いつつ、藤さんの顔に触れようとしたところでハッと我に返る。
触りたいが、そうすればきっと藤さんは起きてしまうだろう。
普段なら「それでよし!」とペタペタ触るところだが、彼は今とても疲れているはずなのだ。
「部屋の模様替えがしたい」と突然言い出した師匠と奥さんを手伝い、藤さんは朝からずっと力仕事に精を出していた。
目が見えない私は戦力外な上に、家具を持ち上げる時に隆起する筋肉が見たい! と騒ぎ、二の腕や胸筋に縋り付いてもの凄く足を引っ張った。
そして師匠も奥さんも歳なので重い家具は運べず、藤さんは私というお荷物を抱えたまま、力仕事をたった一人で頑張っていたのだ。
普段はうたた寝などしない彼が全く起きないところを見ると、相当疲れているのだろう。
その原因の8割が私だと思うと、さすがに触れたりキスするのは憚られた。
遠慮と恥じらいが欠落していると日頃から言われる私でも、さすがに疲れ果てた彼氏に無理強いはできない。
とはいえ、出来ないと思うとしたくなるのが人の性である。
その上キスの日はもうあと少しで終わってしまうのだ。なのに今日は、模様替えのせいでくっつくことさえ出来ていないのである。
……いや、むしろ筋肉にはしがみついたか……。でもあれは一方的なスキンシップだし、変態的すぎたからノーカンだ。
小雀ちゃんは、恋人っぽいスキンシップに飢えているのだ。
だからせめて、間接キスくらいはしたい。とにかくチュー的な事がしたい。
そう思った時、私は先ほどまで藤さんが缶ビールを飲んでいた事を思い出した。それが多分、テーブルの上にまだ残っていたはずだ。
藤さんを起こさないようソファーからそっとおり、テーブルの上を手で探る。
しかし運悪く、テーブルの上には缶ビールが二つ並んでいた。
たぶん、片方は師匠の物だろう。
「ど、どっちだ……」
小声で呟きながら、私は缶ビールをそれぞれ持ち上げ軽く振ってみる。
もちろんわからず、師匠の方だけ加齢臭でもしないかと匂いを嗅いでみたが、ビールの香りしかしなかった。
師匠と間接キスするくらいなら諦めた方が良いと思いつつも、せっかくのキスの日がこのまま終わるのは悲しい。
だが間違えれば師匠と間接キスである。キスの日が台無しである。
でも二分の一の確率で藤さんとキスが出来るのだと思うと、缶ビールを手放す事が出来ない。
もういっそ二つにチュッとしてみようか。
そうすれば地獄にもいけるが天国にもいける。
そんな事を考え、まず右手に持っていた缶ビールをそっと持ち上げる。
「そっちは、師匠のだぞ」
そんなとき、手にしたビールをひょいと取り上げられた。
「お、起きてたんですか……!?」
「ああ」
「い、いつから?」
「ぼんやりと目が覚めたのは、テレビでキスの日の話題が出たところだな」
そこでまた寝かけたが、挙動不審な私を見て完全に目が覚めたらしい。
そして缶ビールを弄る手つきで、私の考えを何となく察したのだろう。
「キスくらい、寝ててもすればいい」
「でも、疲れてるかなって」
「雲雀とキスしたら、疲れなんて吹き飛ぶ」
柔らかな声と共に、藤さんは私を抱き上げると膝の上に乗せた。
これは「好きなようにやって良し!」という合図だとわかり、私は藤さんの頬と唇にそっと触れる。
「指じゃなくて、唇で触れろ」
「まずは、狙いを定めないと」
「なら、俺からするぞ」
「だめです、されるのも良いけどたまにはしたいんです」
「自分からしてくれるなんて、雲雀も大分成長したな」
「出来る女ですからね」
もう昔の小雀ちゃんではないのだとアピールするために、私は藤さんの唇をちゅっと奪ってやる。
「どや!」
「……ああ、うん」
「なんですかその気のない声は! もっとムラッとした声だしてくださいよ!」
「そんなキスでドヤ顔されてもな」
「な、なら、もっとディープにしちゃいますよ!」
先ほどより更に長く、三秒ほど唇を重ねてから、私は得意げに鼻を鳴らす。
「どや!」
「まあ、来年に期待だな」
「ディープだったでしょう!」
「唇が重なるだけのキスはディープって言わないだろ」
「さ、先っちょは入ってた!」
「舌先でちょっとつついた程度だろ」
あと言い方をどうにかしろと呆れる藤さんに文句を言いかけたとき、居間に置かれた柱時計が0時を告げる。
「あ、キスの日終わっちゃった……。せっかくのイチャイチャタイムだったのに……」
思わず肩を落とすと、慰めるように藤さんの手が私の頭を撫でる。
「5月24日はなにかないのか?」
「伊達巻きがどうとかって、さっきテレビで言ってました」
「全然色っぽくないな」
「あ、あとゴルフの日!」
「こっちも色気がないな」
「いやでも、ホールインワン的にあれがそれでこうなるって意味で捕らえれば、男女がイチャイチャする口実になるのでは!?」
「お前はどこのエロ親父だ……」
下ネタはやめろとコツンと小突かれ、私はむくれる。
「だって、もうちょっとしたかったんだもん……」
下ネタでもこじつけでも、もう少しだけ藤さんとキスがしたかったのだ。
せめてもう少し早くキスの日に気づいていればとがっかりしていると、不意に私の唇を藤さんの指が撫でる。
「私と、ディープなイチャイチャする気になりました?」
「させる気もないくせに」
「あ、ありますよ……!」
ただちょっと、色々ビビっているだけでその気はあるのだと言おうとした直後、言葉ごと唇を優しく奪われる。
私がいくら頑張っても出来なかったディープキスを藤さんは軽々こなしてしまう。
「……キスの日だろうとなんだろうと、したければいつでもしてやる」
その上彼氏レベルMAXな発言で、藤さんは私の心臓を容易く握りつぶしてしまう。
「私の彼氏が、かっこ良すぎて辛い……」
「俺から言わせれば、彼女が可愛すぎて辛いんだが」
「どこがですが、余裕ありありじゃないですか!」
「余裕なんてない。さっきのキスだって、結構動揺した」
口ではそう言いながら、二回、三回と重ねられていくキスはやっぱり完璧だ。
「いつか絶対、小雀ちゃんのムラムラキスで腰砕けにしてやりますから」
「もうなってるぞ」
「そういう嘘もつけないほど、砕いてやります!」
だから来年のキスの日は見てろと拳を突き出すと、手首をつかまれ拳にそっと口づけをされる
途端に私の方が腰砕けになったが、やられっぱなしは嫌だったので、私は彼の体に必死にぎゅっとしがみついた。
「……本当に、余裕なんてないんだがな」
藤さんがなにかぼやいたが、耳元にチュッと口づけられたせいで、聞き取る事はできなかった。
ディープなキスから耳へのキスまで、何から何まで完璧にこなす彼氏に、私は完敗だった。




