巡業小咄――怪談編
小雀ちゃん視点。
ホワイトデーの話を書こうと思ったのに、なぜか全然関係ない怪談噺になりました。不思議。
噺家になるまでは、落語といえば、下町――東京では浅草あたり――の物というイメージがあった。だがお笑い芸人がドサ回りに行くように噺家も地方営業や巡業は多い。
特に人間国宝と呼ばれる師匠くらいになると、上方の寄席にも顔を出すし北は北海道から南は沖縄まで出かけては、様々な場所で落語をやるものなのである。
そして行く先々で歓迎され、豪華な宿に泊まり、その場所の特産品なんかを食べながらウハウハできる。
――――ただもちろん、これは人間国宝である師匠だからこその待遇だ。
「獅子猿兄さん」
「なんだ小雀」
「私、目が見えなくて良かった~って、今最高に思いましたよ」
だってもし目が見えていたら、私はきっとこの場から逃げ出していただろう。
「このかび臭さに異常な湿気……これは、久々の大外れなのでは?」
「言うな小雀……先方も金がないんだ……。それに、俺たちのような中堅を呼んでくれるだけ有り難いじゃないか」
「……というのは建前で、本音は?」
「もう嫌……! 帰りたい……!! だってこの宿、絶対幽霊出るもん……!!」
ゴリラ怖いの苦手だもん……と言って泣き出す兄さんの気配を感じながら、私は後ろに続く後輩達の方へ注意を向けたが、そちらの反応もゴリラと大差ない。
北日本の某所。雪に閉ざされたとある街に、私達は落語をやる為に呼び集められた。
テレビ効果でそこそこ知名度のある獅子猿兄さんと私の名前がついた寄席だが、それだけでは心許ないと思ったゴリラが呼んだ気鋭の若手も数名、参加することになっている。
「部屋の鍵貰ってきました」
そう言ってやってきたのは、若手らしからぬ若手こと我が弟弟子(と書いてマイラヴァーと読む)『冬風亭夜鴉』である。
「獅子猿兄さんと小雀姉さんは一人部屋で、他は合同です」
「待った!! 一人部屋とか聞いてないぞ俺は!」
「いやでも、兄さんこの中で一番のベテランですし、いつも一人部屋じゃないですか」
「一緒……一緒が良い……カーくん一緒に寝て?」
「いや、獅子猿兄さんと同じ布団はちょっと……」
などとゴリラが言い出すので、私は慌てて二人の間に割り込んだ。
「カーくんと同じ布団で寝るのは恋人の私の特権です!」
「でもお前、幽霊怖くないだろ」
「怖くないけど、カーくんが一緒が良いです!!!」
「却下だ却下! ここには仕事で来てるんだぞ、イチャイチャは禁止だ!」
今日だけは俺の物だと、私から彼氏を奪うゴリラの声はあまりに鬼気迫っていた。
そこまで必死になられると、さすがの小雀ちゃんもグイグイ行けない。
だってなんか、ゴリラは本気で泣いている気配がする。ガチ泣きの気配がする。
そこまで怖がっているゴリラを、一人にするのはさすがに心苦しい。
それにこういう場合、カーくん――藤さんと一緒の部屋になれないのはいつものことだ。
師匠と一緒の時は自分と藤さんくらいしかお付きの人がいないので家族旅行のノリで同室にされるが、他の噺家たちとの巡業の時はそうもいかない。
だから「我慢します」と渋々切り上げ、私は部屋に向かった。
「……うん、独房……かな……」
手を使い、部屋の間取りを一通り確認した結果、最初に抱いた感想はそれである。
私は目が見えないので、普段から間取りを把握しやすい手狭な部屋を用意して貰うが、壁を辿ったところどう見ても3畳そこそこしかない狭さははじめてだ。
その上手を伸ばして家具の位置を確認していると、お札としか思えない紙が指に触れたし、妙な気配を窓の方から感じる。
「こういう部屋……あるんだな……」
別に幽霊は怖くないが、それでも気味が悪いことには変わりない。
さすがに部屋を変えて貰おうか、それとも後輩達の部屋にお邪魔させて貰おうかと考えていると、部屋の扉が控えめにノックされた。
「……ここは独房か?」
私が抱いたのと全く同じ台詞は、藤さんのものだった。
思わず駆け寄ると、何も言わずとも彼の腕が私を優しく抱き留める。
「……ゴリラのベッド、私の寝るスペースありませんか?」
「やめたほうがいい、あっちの部屋の方がもっとひどい」
「ここより酷いとかあります?」
「ある。そのせいで獅子猿兄さんが入り口で倒れて大変だった」
そして結局、ゴリラと藤さんは後輩達の部屋に寝ることにしたらしい。
大部屋の方がまだ空気が良いと聞いて、思わず藤さんのシャツをぎゅっと掴む。
「……私もそっちがいいです」
「いや、一応他に部屋がないか確認しよう。お前の寝顔を他の奴らに見せるのは嫌だ」
独占欲を突然覗かせる藤さんに、私は狼狽えた。
「と、突然の彼氏モード……すごい……」
「突然じゃなくて、俺はいつもお前の彼氏だが?」
「でもあの、こういう巡業のときって藤さんいつもちょっと距離あるから」
私は平気でくっついていくが、藤さんの方は分をわきまえ適切な距離を保つのを忘れない。
それがちょっと寂しかったりもするが、私も大人なので普段は本気で藤さんにデレデレしたりはしない。デレデレしていると周りには言われるが、二人きりの時の87%くらいしかしていない。
そんな私と違って節度を守る藤さんが、今日はとても優しかった。そしてこんな彼に会えるなら、ちょっとくらい怖い旅館でも良いかなと思ってしまう。
「ねえ藤さん、今誰もいないし少しだけイチャイチャしましょう」
「この状況で、良くそのテンションになれるな」
「だって二人きりだし、イチャイチャしたい!
「いるだろ、たぶん幽霊が」
「ノーカンですノーカン」
今なお気配はするが、それよりイチャイチャが大事だと訴えたのに、結局藤さんは私を引きずるようにして部屋から出た。
その後、宿に掛け合った藤さんは、得意の交渉術とブラックカードで新しい部屋をもぎ取った。
先ほどより広々として、露天風呂までついている部屋である。
「ちゃんとした部屋あるじゃん!」
「そう怒るな。この手の部屋は値段が高いし、そう簡単に用意してはもらえない」
「……あの、やっぱりこれ藤さんのポケットマネーで?」
「こういうのは良くないと思ってはいるんだが、さすがにあの部屋に雲雀を置いていけない」
言いながら、藤さんが私をぎゅっと抱きしめてくる。
「怖がると思ってさっきは言わなかったが……」
「まさか、ガチで幽霊いました?」
「ああ。それも男とおぼしき影が三つも見えて、さっきはもの凄く腹が立った」
「え、まさか幽霊に嫉妬!?」
「悪意はなさそうだったが男だぞ。普通嫉妬するだろ」
「いやでも幽霊ですよ」
「お前に触ろうとしていた」
「いやでも、触れないのでは?」
「それでも嫌だった」
雲雀は俺のなのに……とこぼれた言葉を私の耳はバッチリきいていた。
藤さんをここまで嫉妬させるなんて、幽霊グッジョブである。
「あの、この部屋も安全かわからないですし……今日は一緒に寝ちゃだめですか?」
今なら落とせる! 行ける!
そんな下心で渾身の甘い声を出すと、藤さんの指が優しく私の髪を撫でる。
「もちろん一緒に寝る。そのために広い部屋を取ったんだ」
「じゃあの、一緒の布団で……」
「そうしたいが、さすがに一つの布団で三人はせまい」
「……え、三人?」
首をかしげた直後、部屋の扉がスパンッと開く音がして、ゴリラの気配が飛び込んでくる。
「……あ、ごめん……邪魔した?」
「ゴリラは動物園に帰ってください!!!」
もちろん私は怒ったが、ゴリラが去る気配はなかった。
「俺が呼んだんです。下手な部屋に置いておくと、獅子猿兄さん死んじゃいそうですし」
「そうなんだよ! 実は俺そこそこ霊感あってさ! 寄ってきっちゃうんだよ!」
「じゃあもしや、この部屋で三人……」
私の言葉を肯定するように、藤さんの手がぱっと離された。
「ええ。この部屋なら障子で二つに区切れますし、男女同室でもまあ何とかなるかなと」
「区切った場合、藤さんは私と一緒の方ですよね!?」
「馬鹿言うな、カーくんは俺のだ!」
「藤さんは私のです!!」
「巡業中はみんなのカーくんだろ! しれっと本名呼びして彼女アピールするな!」
「だって私のだもん! 藤さんは私のだもん!」
言いながら藤さんの腕を掴めば、反対の手をゴリラが掴んだ気配をする。
「こうなったら、引っ張りあって勝った方がカーくんの所有者だってことにしよう」
「腕力勝負なんてゴリラずるい!!」
「……二人とも、いい大人なんですからリアル『子争い』するの辞めてください」
ゴリラの言葉に呆れ、カーくんが自分の力で私達を振り払う。
「こんなしょうもないやりとりに、いちいち落語のネタ入れるのもやめてください。大岡越前もいないし、二人とも俺のために腕を放すタイプじゃないでしょう……」
確かにこれが落語だったら、腕を引っ張られて痛がるカーくんから手を離した方が勝ち! となるが、そんなきれい事が私とゴリラの間にまかり通るわけがない。
「そりゃ本気になりますよ! 全力でやっても、私がゴリラの腕力で勝てる可能性低いし!」
「そんなこと言ったら、ゴリラが彼女への愛情で勝てるわけないでしょ! いざとなったら、カーくんは俺を切り捨てて小雀の所行くって知ってるんだから!」
女役を演じる時のような艶を帯びた声と口調で、ゴリラが悲痛な叫びをこぼした。完全に、話芸の無駄遣いである。
「もう、三人で川の字で寝れば良いでしょう。俺が真ん中になりますから」
「じゃあ手を握ってていいか?」
言いたかった台詞をゴリラに取られ、私は思わずむっとする。
それを見かねたような苦笑が聞こえた直後、藤さんが私の頭をそっと撫でた。
ゴリラの前にもかかわらず、いつになく積極的だった。
「手を握るのは構いませんが、一つ条件を言っても?」
「おうっ、お前の手を握って良いなら何でもする!」
「今晩だけは、素に戻っても構いませんか? あなたがくっついてくると小雀姉さん……いや雲雀が拗ねてしまうので」
言いながら、藤さんが私の唇を指で撫でる。
「もう片方の手は、彼女と繋がせてください」
いつになく色気ダダ漏れの声に、私は思わず飛び上がり、ゴリラが「おおお」と戦いていた。きっといま、ゴリラの頬は柄にもなくピンクに染まっていることだろう。
「ま、まあ……側にいてくれるなら……いいけどよ」
「だそうだ、良かったな雲雀」
「よ、よいけど……よいけども……」
何だか今日は、スーパー彼氏モードで迫られる気がする。甘い台詞とかいっぱい言われる気がする。
「幸せだけど! ……耐えられる自信が……ない!」
「耐えられなくても、甘やかすからな」
案の定、声も口調も激甘だった。むろん、私とゴリラは「甘ぁぁぁぁぁぁぁい」と叫びながらカーくんの色気にノックアウトされた。
この世で一番恐ろしいのは幽霊ではなく、私の彼氏かもしれない。