怪を語れば
東京へ出張した、ある日のこと。
新幹線まで時間があるのをよいことに、私は新宿へと足を向けた。
目指すは、歌舞伎町。
飲食店ひしめくその一角、雑居ビルの三階に、その店はあった。
怪談ライブBAR スリラーナイト。
ここでは、一時間に一度十五分間、プロの怪談師による怪談を聴くことが出来るのである。
高野さんはどんな本をよく読まれるんですか?
ーーー怪談です。
高野さんはどんな小説を書きたいんですか?
ーーー怪談です。
ねぇ、何か面白い話してよ?
ーーー怪談で良ければ。
聴くも話すも、読むも書くも怪談怪談怪談。
そんな私には聖地のような店なのである。
以前より存在は認知していたものの、時機合わず訪れること叶わなかったそこに。
私はついに足を踏み入れた。
ーーー聖地は、閑散としていた。
いやいや、まだ忘年会にはちょっと早いし。
それにほら、週末までまだ一日あるし。
そもそも、この時間はみんな夕飯食べてるし。
閑話休題。
私の他に客はなし。貸切である。
怪談ライブが行われるステージは目と鼻の先。
今日の出演は、テレビやイベントで「美人過ぎる怪談師」として名を馳せる、女流怪談師のY氏である。
弥が上にも、期待が高まる。
だが、繰り返すようだが、一人なのである。
そう、私は一人でここを訪れているのだ。同行者など居ない。
おまけに、何を隠そう私は下戸である。酒は一滴も飲めぬ。
ゆえに頼む飲み物はホットウーロン茶。
さて、ライブの時間まで如何に過ごすべきかと思案していたところ、見るに見かねてかお店のお兄さんが声を掛けてくれた。
出張の合間に来たこと。
他人の怪奇体験を聴くのも、自らの怪奇体験を話すのも好きなこと。
丸椅子に腰掛ける彼を相手に、話をする。
彼は私にこう言った。
「何か、怖い話聞かせてくださいよ」と。
一本目。
とある飲み屋で仕入れた、「野太い足音の話」。
二本目。
私自身が京都で経験した、「K山の読経の話」。
ところが、話のチョイスを誤った。
「怪を語れば怪至る」とは使い古された言葉であるが、怪は再びやってきた。
あの体験から十年の歳月と、五百粁の距離を超えて。
この話の怪異の主あるいは根源とも言える「それ」は。
元の話、すなわち私の原体験では「建物の中に入ってきて終わり」である。
ところが、今日披露した話では「どんどん近づいてくる」のである。
この話は、この十年間に何度も他人に披露した、言わば私の「持ちネタ」である。
経緯から現象、結末と原因にまつわる推論まで、一つの話として仕上がっている。
何も考えずとも話せてしまう内容であり、今さら手を加える余地もない。
にもかかわらず。それは「近づいてきた」。
私は慌てた。そんな話ではないからだ。
おまけに、左の下まぶたが痙攣を始めた。
これは、「まずい」。
過去何度も、怪しげなる体験をしたときに共通する発作である。
勝手に進む話の中で、それはとうとう「私の目の前まで来てしまった」。
意を決した私は、無理矢理に話をねじ曲げた。
それに突然目の前から消えていただき、
建物の外回りをぐるぐる回って私を恐怖させてから居なくなっていただくことにしたのだ。
話は、なんとか収まった。まぶたの痙攣も、消えた。
あれはいったい何だったのであろうか。
ところで、肝心の怪談ライブの内容は無いのかと?
それをここで書くは野暮というもの。
しかし。
情景描写、擬音、身振り、話者の使い分け、話の緩急。
怪談師の語る怪談とはこういうものかと戦慄した。
久しぶりに、心底「怖い」と思える怪談に出会うことができた。
そして久しぶりに、「ちゃんと怪談と向き合おう」と思うことができた。
怪談好きの読者諸兄もぜひ一度、いや一度ならず二度三度、足を運んで自ら体験していただきたい。
思う存分に、楽しめることは間違いない。
そして、時と場合によっては。
本来の料金には含まれない「何か」を体験できるやも知れぬ。
怪談ライブBAR スリラーナイト
https://thriller-tokyo.com/index.html
私が話を聴かせてもらった怪談師さん、山口綾子さん
https://thriller-tokyo.com/artist.html
https://www.ohtapro.co.jp/talent/yamaguchiayako.html
https://mobile.twitter.com/ayakoyamaguch1
https://ameblo.jp/koyaach1gumaya/
怪談というのは、ナマモノ。
話を生かすも殺すも、そしてそこに新たに何かを吹き込んでしまうのも、
結局すべては話者次第。
改めてそう感じた出来事でした。
それではまた、どこかで。
(平成30年12月6日脱稿)
(平成30年12月7日一部修正)