見えないカタチ 6
体が熱かった。
昼間の興奮からまだ冷めていない。
印象に残っているのは、意味不明なことを喚きながら短剣を振り回す薬屋とそれに動じなかった村の人と何度も頭を下げ泣いていた隣村の人だった。
『俺の出番はなかったな』
屋根裏部屋の窓の外でユウがつぶやく。
「私はユウに助けられたよ。動けなかったもの」
あの時、しゃがんではみたもののその後どうしたらよいか分からなかった。薬屋の手を解いてくれたのも逃がしてくれたのもユウだ。
満点の星の下、夜風が気持ち良かった。
リアが隣村の人に連れて行かれたのは村人の誰かに見られていたらしい。
ついこの間の件から薬屋じゃないかという事になって助けにいくぞという流れになったと聞いた。皆もあいつらの横暴さに嫌気がさしていたのかもしれない。
『あいつが短剣を振り回していた時、あの短剣であいつを切り刻んでその血を浴びれば俺は人間の姿に戻れるのかなって思ったんだ。あんなやつはいない方が世の中のためだって思えたし。でも、あんなやつの血をあびるのなんて嫌だなって思った。あいつが今までやってきたことが体にまとわりついてきそうだ』
「ん……」
分かる気がした。同じ血なのだろうけれど、薄汚い気がする。
『俺のやることはみんなを怯えさせてしまうことなんだとも思ったんだ』
「なんで、ユウはみんなを助けてくれようとしたんじゃない」
『でも、ずるいだろ? 人にはない力を使うなんてさ』
「だって、それは――」
人に触れないのだから仕方ない。何か道具を使ったわけじゃない。
『俺はここにいるべきやつじゃないって思うよ』
「そんなことないよ。そんなこと言わないで。不安になる」
『大丈夫だよ、リア。みんなが守ってくれる。親元に戻って、今までみたいに言われたことを素直に聞いていたら幸せになれるよ』
「そんなの嫌だよ。ユウの側にいたい。ユウが人間になれないっていうなら、私がユウと同じ体になる。ユウにはできるでしょう。そうしたら、一緒にいられる。どこへでも付いていく。だから――」
それは最後の手段だと思っていた。
『――どうすればいいのか分からないことをできるはずだからやれって言われても無理だよ。それに、リアの父さんや母さんを悲しませることになるだろ。そんなことできない』
それは予想していた台詞でもあった。
「森に行くつもり? 」
それしか考えられなかった。
『神の花を探してあの草むらに植えて増やせば少しは村の役にたったと思える。リアが結婚して子供が生まれてその子が健やかに育つように』
「ユウ――」
『今は辛いかもしれない。でも、時間が忘れさせてくれるよ。俺はリアを村まで届けた時にその使命を終えてたんだよ。それでもリアの側を離れなかったのはわがままだ。それももう終わらせなきゃな』
「どうしても? 」
ユウがその気になったとしたらやめさせることなどできない。
『リア、痩せたね。段々食べる量が減ってきてたのは気づいてた。そりゃ、つまらないよな。食べられないやつの前で食べるのはさ。そんなことも全部含めて、もう側にいるのは無理なんだって分かったんだ』
「でも、ユウが今の体になったのは私のせいだわ」
神の住む森でユウを助けて欲しいと頼んだのは自分だった。それが良かったことなのかは正直分からない。あの時は必死だった。もしかすると、時間があればユウは回復したのかもしれない。
『そんなこと気にしてたのか。リアが頼んでくれなかったら、俺はもうこの世にはいなかっただろ。救ってくれたのはリアだ。それからも楽しかったよ。これからも見守っていける。リアのおかげだ』
「ずるいよ、ユウ」
ユウには見えても自分には見えない。ユウに何かしてあげたくても何もできない。
『星が綺麗だ。この景色を覚えておくよ。最後に笑ってくれよ。その顔も覚えていたいから』
「そんなの無理よ」
意識して笑顔を作ったことなんてない。
『リアはいつも笑ってた』
「ユウがいたからだよ」
『今もいるよ』
「でも、遠くに行こうとしてる」
『遠くにはいかないさ』
「同じだわ」
見えない。触れられない。そんな中でユウを感じるのは頭の中に響く声だけだ。それすら失ってしまう。
『さよならは言わない。いつもリアのことを思っているよ』
「まって、ユウ、せめて陽が登るまで」
手を伸ばしたその先にユウの気配は感じられなかった。
『やっと決心したんだ。くじける前に行くよ』
「待って――」
『リアの幸せを祈ってる』
「ユウ――」
呼びかけた声に返事はなかった。
「ユウ返事して。ユウいるんでしょう? ユウ――」
声は暗闇に消えていく。返ってくるのは柔らかな風と沈黙だけだった。
ドンドンと扉を叩く音がして、リアは目が覚めた。ぶるっと体が震える。窓は開け放したままだった。ドンドンという音は鳴り止まない。人のノックの音じゃない。それが何の音かはリアには分かっていた。
下に降りてドアを開けると尻尾を思いっきり振るクロがいた。いつも来るのは昼過ぎなのに、今日は朝からお許しがでたらしい。「わん」と一声鳴いて家の中に入り、キョロキョロと辺りを見回す。不思議そうな顔をして見てきて、でも、すぐに階段を登っていった。犬にとっては窓に飛び乗るくらいお手の物だ。
「くぅん」
ユウがいつもいる窓の外でクロが寂しげな声を出す。ユウはいないらしい。声を聞かせてくれないだけで居てくれるのかもしれないと思ったのは違ったのだと分かった。本当に行ってしまったのだと思った。
「ユウはね、行っちゃった」
リアは窓の外に体を乗り出した。
この空の下のどこにいるのかは分からない。たぶん、森に行ったのだろう。神の花を探すと言っていたし、通りすがりの人は仲間がいると言っていた。人間の中で暮らすのが辛くなったら来いとも言われていた。
「今日は雲が多いね」
昨晩は綺麗に晴れ上がっていたのに、どこから来たのか雲の一団に空は覆われていた。
クロは窓から降り、階段も降りると、ドンドンと内側から扉を叩く。
「ユウを探しに行くの? 」
リアは階段を降りて扉を開けた。クロは「わん」と一鳴きすると畑の方へかけて行った。
「たぶん、そこにもいないよ」
クロの後ろ姿に向かってつぶやくと、リアはドアを閉めた。
「さて、と」
リアは階段を登って中途半端になっていた竹のカゴを編み始めた。
次の日は雨だった。空を見て恨めしく思う。ユウは大丈夫かなと思う。エネルギーをちゃんと補充できてるんだろうかと思って、そうか、必要なら晴れてるところまで行けばいいんだと思った。でも、そこまでエネルギーが持つのかな、もしかして動けなくなって困ってないだろうかと思う。もし現実にそうなっていたとしてもリアにできることは何もない。ユウを抱えて連れて行くこともできなければ、体を浮かして運ぶこともできない。だからといって、不安はなくならない。
「早くしあげてしまおう」
紡いだ糸を持って水車に向かう。布を織り上げてしまおうと思った。
作ったカゴや布は自分で使う以外は村の倉庫に預ける。それを街からの行商が来た時に他の物と交換し村の財産になる。
しばらく悪かった天気にため息をついていたけれど、久しぶりに見た雲ひとつない空に胸がどきどきした。朝焼けが残るこの時間人々はまだ起きていない。
リアは今まで開け放していた屋根裏部屋の窓を閉めた。下に降りて、薄い木の板と竹の炭を引き出しから出すとユウのところへ行くと走り書きをして手に持って外にでた。空気が美味しくて日差しがきらめいて見えた。倉庫に行き、木の板を自分が作った竹かごに入れるとそのまま走って村を出た。何も言わないで村を出るのは気が引ける。だからと言って話せるわけでもない。絶対に引き止められるに決まっている。この倉庫は頻繁に人の出入りがあるわけではないから、文字を書いた木の板が見つかるまでは少し日にちが経つと思う。少ないけれど、今までの感謝のつもりでこの数日は細工物を作っていた。村の人の役にたつと嬉しいなと思う。
空が晴れ渡るこの日をずっと待っていた。
森の中はやはりしっとりと湿っていて空気は冷たかった。ユウと二人で並んで歩いたのはもう一年近く前のことなんだと思う。明るい日差しが葉の間から溢れてきて鳥のさえずりは気持ちを躍らせる。母が何回も森に入ったと言っていたけれど、草が綺麗に刈られた一本道ができていた。胸はどきどきと高鳴る。木々を通り抜け開けた草むらに出た時、やっと来れたと思った。最初から、二人とも同じ体にして貰えば良かったんだと思う。神の花は村のどこか目立つところに置いておけば良かったんだ。
「神様ー。神様ー。通りすがりの人ー」
リアは精一杯の大声で叫んだ。
ここに日向ぼっこをしに来ると言っていた。このところ天気が悪かったから今日辺りは来てくれるんじゃないかと思う。今日がだめでも来てくれるまでずっと待つつもりだった。
しばらくたっても音沙汰はない。そんなタイミングよく来てくれるとは思わないし、持久戦は覚悟の上だ。リアは草むらのちょうど真ん中あたりまで歩いた。一番遮りものがなくて、陽があたりそうな所だ。しゃがみこんで手を付くと、草がふわふわして暖かかった。ユウがいなくなってからベッドでは寝ていない。窓際で布を被ってうとうとしてたくらいだ。もしかすると、ユウが帰ってきてくれるかもしれないと少しは期待したけれど、それはなかったみたいだった。もしかすると様子を見にくれたことがあったかもしれないけれど、声をかけてくれなければ分からない。
(少し寝よう)
日向ぼっこするのはもっと陽が高くなってからかもしれない。そこは邪魔だと声をかけてくれるかもしれない。何よりも、気持ち良さそうだった。リアはそっと横になると体を丸めた。さわさわと草が風になびく音がする。その音を聞きながら意識は落ちていった。
『リア』
突然、懐かしくすら感じる声が頭の中に響く。
(夢? )
夢なら覚めないで欲しくてそのまま寝ているふりをした。
『リア』
今度は呼ばれるだけではなくて肩も揺すってくる。くすぐったいと思いながらもまだ寝た振りをしていた。起きたらまたどこかへ行ってしまう気がした。
『リア、だめだ。こんな所で寝てちゃ』
(じゃあ、一緒に帰ってくれる? )
でも、それはユウに辛い思いをさせることだから声にはできない。それに、もう決めた。ユウが決めたというように自分も決めた。
『みんなが心配する』
(ユウは? )
他人がどう思っているのかは結局分からない。
『リア! 』
腕を掴まれて無理やり起こされた。服の上からユウに腕を掴まれているのだと思った。目を開けるとそこには草原が広がっていて、でも、きっと目の前にユウはいる。きっと向かい合っているのに見えない。どんな顔をしているのだろうと思った。
『家に帰るんだ。もたもたしてると暗くなる』
(だから何? )
今日は神様はこなかったのかなと思う。気持ちよくてぐっすり寝込んでしまったみたいだった。
「クロが探してたよ、ユウのこと」
出たのはそんな言葉だった。陽は西に傾いていたけれど、すぐに暗くなる時間でもなかった。それでも、暗くなり始めてしまったら真っ暗になるのはすぐだ。月明かりでは森の樹々の下までは届かない。
『リア、ここで何してるんだ』
「日向ぼっこ。気持ちいいよ。ユウも一緒にしようよ」
『また、少し痩せたな』
「ユウには関係ないよ」
顔を見られるのが嫌でリアは顔を背けた。
『親元に帰れって言ったろ。村のみんながリアのこと大切に思ってくれてるのが分かっただろ? 人を傷つけることなんて今まできっと考えもしなかったのに、リアの為に武器を持ってくれたんだ。早く帰らないとまた心配させることになる』
「そんなこと――」
分かってるという言葉はでなくて涙が溢れてきた。
分かってる。分かってる。分かってる。
みんなが心配してくれるのも、ユウの言う幸せも、そのためにはどうするべきかなんてことも。
でも、その中に自分のしたいことはない。
『リア』
ユウに体を揺すぶられて、涙が一粒落ちた。
『っつ』
ユウの低いうめき声が聞こえて、腕を掴んでいたユウの手が離れたと思ったら、輝きながら円を描いた軌跡の先にユウの指先が見えた。
『ユウ? 』
(なぜ? まさか? )
触れたとしたら涙だった。




