見えないカタチ 4
二、三日に一回は井戸から水を汲み家へと運ぶ。
『いいか』
ユウの掛け声に頷いて、井戸から汲んだ水が入った桶に手をかけるとすっと桶が持ち上がる。そして、勝手に運ばれていく。桶を持っているというより、桶に遊ばれているといった状況だ。
「リア」
突然、後ろから声をかけられた。振り向くと、友達のリョウが立っている。
「重いだろ。運んでやるよ」
言いながら近づいてくる。
「あ、大丈夫だよ」
そう言ったのに、リョウはリアの横から桶を持とうとした。リアはユウに目配せすると桶を一旦下に置いた。水が入った桶が軽かったらおかしいと思われるだろう。
「本当に大丈夫だから。いつもやってることだし」
リアが言うと、リョウが顔を歪めた。
「いつまでユウのことを待ってるつもりなんだ? 」
リョウは心配げな顔をして聞いてくる。
リアはその質問に答えられなかった。
「キアもフリンも心配してる。誘っても出てこないで家に閉じこもってるって言ってたぞ。もう何ヶ月経ったと思ってる? まだ、本気でユウが戻ってくると思ってるのか? 」
「……そう、ユウは戻ってくるわ」
リアはそれしか言えなかった。
しばらく沈黙が流れた。
「リア」
リョウが手を握ってきた。久しぶりに触れた人のぬくもりは暖かかった。
「確かにユウはすごいと思うよ。あの時――春祭りの時に、声をあげたかったのはユウだけじゃない。だけど、あげられなかった。下手すれば村から出て行かなきゃいけなくなる。それだけの覚悟はできなかった。だから、あの時は諦めもした。でも、そろそろ外を見てもいいんじゃないか? リアが選ぶなら俺じゃなくてもいい。だけど、一人で何もかも背負込むことないだろ。今の状態が良いとも思わない。ユウもきっとそう思ってるよ。これは、持っていってやるよ」
リョウはリアの手を離し桶を手に持つと「行こう」と声をかけてきて先を歩き始めた。リアはその後ろをゆっくりと歩いた。リョウに握られていた手をリアは見た。突然握られた手を振りほどくことができなかった。リョウは心配してくれているのだ。その気持ちを投げ捨てることなんてできない。
リョウは家の中に入り大きな桶に水を移して帰って行った。
リアはユウの姿を見つけられずにいた。リョウがいる間は呼ぶこともできなかった。家の入り口まで見送り、遠く離れたことを見届けてから家に入り、ユウを呼んで回った。もしかすると、まだ家に帰っていないかもしえない。かと言って、外をあてもなく探したところで見つけられる自信はない。
「ユウ? どこ? 」
不安だった。手を握られてるところを見られた。自分がもし逆の立場だったら辛い。
「ユウ? 」
屋根裏に上がり窓から顔を出す。ここに居て欲しいと思った。
「ユウ、何か言って」
自信があるわけじゃない。でも、ここしか心当たりがない。
『リョウはなんて言ってた』
ユウの声が頭に響いてほっとした。
「引きこもってばかりじゃだめだって」
結局そういうことだと思う。
ユウは何も言葉を返してくれなかった。そのことが不安になる。もしかしたら怒っているのかもしれないと思った。振りきれなかった手が恨めしかった。
『リョウの言う通りだ。俺は今の状態が良いとは思ってないよ』
「聞いてたんじゃない」
カマをかけられたのだろうかと思った。
『立ち止まって話をしていた時はね。その後は付いて行けなかった。しばらく動けなかったよ』
「どうして? 」
何があったのだろうと思う。
『リアに触れられるリョウが羨ましかった。できるってことは必要ってことだ。人にとって触れられるってことは大事なことなんだなとつくづく思ったよ』
「そんなこと言わないで。触れられなくたって、ユウは大事だよ」
『そんな顔するなよ。抱きしめたくなるじゃないか』
「抱きしめてよ。ずるいよ。ユウには私が見えるのに、私からはユウが見えない。今どんな顔してるのか分からない」
『本当に見えないのか? いつだって、リアにはどこにいるか当てられる』
「どんなに目をこらしても、空気が揺らめいてるそんな不確かなものでしか分からない。でも、ユウがいるって思うと安心する。ユウがいないと不安で仕方ないよ」
そう、たった今だってユウを見失ったことに不安で仕方なかった。
『大丈夫だよ、リア。俺がいなくたってリョウだってケイだってリアを支えてくれる』
「ユウ、いやだ。そんなこと言わないで」
ユウがどこかに行ってしまいそうで掴みたくてリアは手を伸ばした。リアの手を逃れるようにユウは空中に浮かぶ。
「ユウ、戻ってきて! 」
思わず叫んだリアに、すぐそこまで来ている母の姿が見えた。
『ちょっと頭を冷やしてくる』
ユウの声が響く。
『心配するなよ。暗くなる前に戻ってくる』
そう付け加えるように言うと、ユウは吸い込まれるように空気の中へ消えて行った。
「リア、そこで待っていなさい。動いちゃだめよ! 」
下から母の厳しげな声が聞こえた。
屋根裏部屋で母が入れてくれたお茶を飲みながら、リアは体を丸めていた。
「ユウがいなくなってそろそろ半年になるわね」
母が顔を覗き込むようにして言う。あれは春先のことだった。夏を越え秋もそろそろ終わりだ。
「リアはよくがんばってると思うよ。みんなもう諦めているのに、信じて待っているのはリアだけだものね。だけど、これから寒くなるし、家の方へ戻ってこない? 」
度々家に来る母の今日の要件はそれなのかと思った。
「ううん」
リアは頭を横に振った。
「疲れているみたいよ。少し休みが必要なんじゃない? 一人で何もかもやろうなんて無理よ。何もここで待たなくてもいいんじゃないの? ユウだって責めないと思うわよ」
母の言葉はユウはもういないものとされているのだと思った。リョウもそうだった。ユウを使って自分の都合の良い言葉を言わせる。
「ユウは関係ないよ。自分がここで待ちたいだけだから」
ユウのそばにいたかった。ユウを一人にはしたくなかった。
母は困った顔をして、しばらく沈黙が流れた。
「――さっきはユウの夢を見ていたの? あんなところでうたた寝してたら、これからは風邪をひくわ」
(そんな風に見えたの? )
リアはほっとした。叫んでしまったことをどう見られたのかは心配だった。
「ユウが消えていったの」
それは見たものそのままだ。
「あのね、リア、次の春祭りにあなたが招待されているの。薬を分けてもらったお礼に元気付けてあげたいっていうのだけれど、目当てはあなたを春祭りに引き出すことだと思う。もう断れないわ」
そういえば、少し前にそんな話があったとリアは思い出した。薬を分けていいかわざわざ聞かれた。そんなものは断れないと思っていた。
だけど。
「私には決まった人がいるのに? 」
「いなくなってもう半年になるのよ。理由にならないわ」
「もし、ユウが戻ってきたら? 」
「そんなことを考えているのはあなただけなのよ、リア。確かに行方は分からないけれど、これだけの間音信がひとつないなんてもう戻ってくる可能性はないとみんな考えてるわ」
「私が嫌だと言ったら、村の迷惑になるってことね」
そう結論付けた。それは、ルールに基づくことだ。
「みんながみんな自分の思う通りになるわけじゃない。ルールを理由もなく曲げることはできないのよ。一人わがままを言えば収拾がつかなくなる。それでね」
母が話を繋ぐ。
「リアをお嫁さんに欲しいと言う人がいるの。家のことも準備も何もしなくていい。身一つで来てくれればいいっていうの。すごく良い話だと思うのよ。急にあがった話じゃないのよ。前から話はあったのだけれど、リアには言えなくて、リアが納得しないまま他の人に嫁ぐのを承知するとは思えなかったし。でも、もう時間も迫ってきてるわ」
(身一つ? )
「じゃあ、この家はどうするの? 」
「ユウの兄夫婦が一旦入るって。のちに今の処に戻ることになるだろうけど、誰かが一度入らないと他の人は入りにくいだろうって」
「そこまで話が進んでいるの? 」
「さっきも言ったけど、急にあがった話じゃないのよ。でも、そんなことを言うとリアがユウを探すと言って一人で森の中に入っていっちゃうんじゃないかって。そんな心配があって言えなかったのよ。リアが納得するまでそっとしておいて欲しいとお願いしていたの。だけど、リアは音を上げるどころか楽しそうな時もあるし。あれからも父さん達は何回も森には行ってるのよ。でも、何も手がかりはないの。もし、リアにユウを探す気があるのなら連れて行ってもらうようにもするわ。だからね、リア。落ち着いて考えて欲しいの。すぐに答えを出せとは言わないわ。一週間待つわ」
(一週間? )
「無理よ、お母さん。いくら考えてもユウ以外の人の所に行く気になんてなれないもの」
「なんでそんなにユウのことになると頑固なの? それまではわがままなんてひとつも言ったことなかったのに」
わがままも言わずに何でも言うことを聞く良い子だと母はよく言う。
「そんなの。他のことはどうでも良かったからに決まってるじゃない。ユウのお嫁さんになるのはずっと夢だったんだもん」
「でも、ユウは――」
「村には迷惑かけない」
「どうするつもり? 」
「街に出てユウを待つわ。それならいいでしょ」
「いいわけないじゃない! とにかく考えてみて。いい? リア」
厳しい口調で母が言う。声を荒げたことなど今までは無かった。
「……分かった」
そう言わないと許してもらえないと思った。
「絶対に一人でどこかへ行くようなことはしないでね。お願いよ」
「うん」
それは母を困らせるだけなのは理解できる。
「漬け菜と干し柿を持ってきたわ。リアが大好きだから」
テーブルの上に包みがある。
「うん。ありがとう、お母さん」
母の気持ちが分からないわけじゃない。じゃあねと言って出て行く母をドアの外で姿が見えなくなるまで見送った。家に入ると階段を登り、屋根裏部屋の窓枠に腕を置きあごをのせて空を見上げた。ユウはここに戻ってくる。きっと。
『春祭りまでか』
ユウの声が頭に響く。
「いたの? 聞いてたの? 」
全然気がつかなかった。
『また、お客さんが来たよ』
ユウの声に外を見ると、クロが尻尾を振りながら走ってくるのが見えた。
ユウの膝の上に乗ってクロはご機嫌だった。遊ぶというか、じゃれ合うというか、構われていればそれでいいというか。
「いいなあ、クロは」
ユウが見えて、ユウに触れられる。リアはユウとじゃれあっているらしいクロを見ているだけだった。
『クロにはクロの大変さがあるよな、クロ』
ユウが言うと「わん」とクロが吠える。
ユウの言うことはちゃんと聞くから帰れって言われたら、しゅんとした風体ながらも、しぶしぶと帰っていく。それはもう夕暮れだった。囲炉裏に火を起こし、鍋をかけ、野菜と米と水に少量の味噌をとき、ぐつぐつと煮えたら卵を落とす。魚をとってくれば囲炉裏で一緒に焼くけれど、あまり欲しいとは思わなかった。ユウも一緒に食べられればいいのにと思う。けれど、体が違うのだから仕方ない。
ただ一緒に居たいだけなのに、その期限は春祭りまでと決められてしまった。




