神の住む森 3
森の入り口にはイオニマスが少し間隔を置いて三本まっすぐに植えられていた。この先も同じような目印があるという意味なのだろうとリアは思った。
「行くぞ」
「うん」
短い言葉にユウの決意を感じた。この先は未知のものだ。
一歩森の中に入っただけで空気は変わった。ひんやりと湿った空気と青葉の匂いに包まれる。
木々の間隔は割と広く不規則に立ちその枝葉を天へと伸ばしている。光は葉の間から薄いカーテンのように注ぎ、あたりを照らす。ところどころに雑草が葉を地面へ伸ばし、時に茂みを作る。ユウは竹の杭を3本と長い棒の周りに刃がついた小さなシャベルのようなものがついている三角ホーと縄を持っていた。竹の杭をそれぞれ一本づつ持ち、ユウは右手で持ったホーで草を刈りながら左手に竹の杭を持ち線を描きながら、リアは右側に線を描きながら進んだ。迷った時に少しでも目印になるようにだ。
イオニマスの木に指し示された方向にまっすぐユウとリアは縦に並んで進んでいた。一歩一歩数えながら進む。百歩ごとに目印があるはずだった。地面は平というわけではなくゆるくうねり、木の根が地中から出ているところもあった。立ち並ぶ木々に光のカーテンの景色は何歩歩いても変わらない。後ろを振り返っても同じ景色が広がっている。太陽は見えない。つまり、進路方向を間違えていたとしても景色だけではそれを知る手立ては何もない。
「あった」
ユウが声をあげる。
斜め少し前に三本並んだイオニマスの木があった。葉の外側は薄い黄色で彩られているから分かりやすい。黄色が光っているようにも見えた。
イオニマスの目印を幾つかすぎると分かってくることがあった。歩数はだいたいあっていること。進路から少し右にそれたところに目印の木が立っていること。
時々、鳥のさえずりが聞こえた。リスらしい小動物が走っていく姿も見えた。順調にも見えたのに、ユウが突然立ち止まった。
「ない」
それは九十歩を超えた時だった。今までは近づくと姿を見せた目印が見当たらない。
「戻ってみるか? 」
ユウが振り返る。
「とりあえず、百歩まで行ってみよう」
戻ることは父たちが何度もやったと言っていた。今までの経過を考えると方向は間違っていないように思える。振り返って見てみたが、描く線もまっすぐに見えた。
「ここで百歩だ」
ユウの言葉にあたりを見回すとそれらしい木は視界にはなかった。人の背丈より少し大きい木だ。植えた頃は同じなのだろうからそれほど成長が違うとは思えない。
「リアはここにいるか? 俺はそこいらを見てくる」
「ちょっと待って」
リアはユウの服を持って止めた。
「大丈夫だ。リアが見えないところまでは行かない」
「そうじゃなくて――」
リアはゆっくりとあたりを見回した。必ずこのあたりにあるはずだ。
(進路から少し右に外れたところ)
そこには木ではなく、茂みがあった。
「ユウ、そこの茂みを探ってみて」
木がなくなるというのはどういう場合だろうと思う。枯れて折れてしまった場合、もしくは掘られて持っていかれた場合。人の手が入るには不自然なところだと思う。自然の中に埋もれたというのなら、その痕跡があってもいいのではないかと思った。リアは一歩も動かずユウの手を見ていた。戻るにしても逆の方向へ進まなければならない。位置だけではなく自分がどの方向を向いているかが重要になる。少しの狂いも先へ行けば大きくなる。
「あっ」
ユウが声をあげた。
手にホーを持ち周りの草を刈り始める。
ふくらはぎほどの高さの枯れ木が姿を表したのはすぐだった。
「やっぱり」
少し間隔を開けて立っている木は二本は幹が残っているに過ぎなかったけれど、一本だけ小さく枝を伸ばし一枚だけ葉をつけていた。
「これじゃ分からないな」
「うん」
単なる茂みだと思っただろう。方向だけはなんとか分かるけれど、木はあまりに小さくて戻る時に気づきにくいことも考えて竹の杭をひとつ真ん中の木に縄で結わいた。
ひとつ問題は解決できた。
「先を急ごう」
「うん」
ここからは本当に未知だ。父たちもこの先には進んでいない。
ひとつづつ着実に通過点を通り、ひとつの目印の木の所で栄養補給にとクッキーを食べた。
「これ、おいしいな」
「そう? 良かった」
塩味だけなのにほんのり甘みがあるクッキーはリアの大好物だった。それぞれの家で味が違う。同じ栗の粉を使っているのに不思議だと思う。
水分の補給も忘れちゃいけない。歩くだけであっても気を使っているから疲れているはずだ。そう思わないのは気が張ってるせいだと思う。いざという時に力がでなくなっては困る。気をつけなければいけないことの一つだと思っていた。まっすぐに歩くことはすごく神経を使う。休めるのは目印の木のあたりだけだった。上を見上げると葉の合間に青い空が見える。
(南はどっち? )
枝の伸びている方向と思ってみてもその木その木で違う。そうか、とリアは思った。枝や葉は陽の光を目指すのだ。背が高く頭を出している木は陽の方向に枝を伸ばすのだろう。その枝や葉の影になっているものは空いている隙間を埋めるように枝を伸ばす。木の幹に触ってみると、じっとりと湿っていて苔が生えているのは皆同じ側だった。それが北なのだと思う。陽が当たることのない場所だ。
木立の中を歩いてどれほど経ったのだろうと思う。まだ昼前だとは思った。目的地までまだどれくらい残っているのかも分からないそんな時に前の方に変化を感じた。木々の影が薄くなって光が強くなってくる。
(もしかすると)
リアは胸がとくんと跳ねた。そこが目指す場所であって欲しいと思った。
ユウが走る。目印の木が見えていた。そしてその先は光輝いていた。
「やったぞ!」
ユウが振り返る。リアも走った。
光が燦々と降り注ぐそこは、丸くぽっかりと空いた空間のようだった。突き当たりにはまるで何かに切り取られたような土肌が見えた絶壁がそびえる。一面緑の草原にはところどころに黄色や青、赤といった色を添えていた。
「花を探さなきゃいけないな」
「うん」
それが目的なのだ。
「歩いてみるしかないか」
「そうだね」
白い光る花としか分からない。白い花があったら手をかざしてみて光れば当たり。そうでなければハズレだ。
「手分けしよう」
ユウが草原の端まで行って両腕を広げる。
「一度に見られるのはこの範囲かな」
「うん」
リアはユウに重ならないように両腕を広げた。
二人でうなづくと、前に向かってまっすぐに歩く。白い花はいくつかあったけれど、手をかざしてみるとハズレだった。そう簡単には見つからなさそうだと思う。リアは草原を見回し不安になった。これだけを二人で見ていったらどれくらいの時間がかかるのだろうと思う。とりあえず一つでいい、それがまだ陽の高いうちに見つかるのだろうかと思った。
もうそろそろ崖につくという頃だった。壁に光るものを見つけてリアは立ち止まった。
「どうした? 」
ユウが聞いてくる。
「あれ」
リアは光るそれを指差した。何だかは分からない。ただ、そこに光っているものがあるというだけだ。
「あれが花かもしれない? 」
「もっと近くで見ないと分からないけど、気になる。でも――」
何も足場はない絶壁だ。
「リア、そこまで済んだ印にそこに竹の杭を刺して、近くまで見に行ってみよう」
「あ……うん」
この広い草原を全て見て回るよりも早いかもしれないと思った。そもそもあれだけの光を放つものなら、見回しただけで分かりそうだ。ということはこの草むらにはないかもしれない。
だいたい、この原っぱで白い花ひとつ探すのは大変だ。そんな話がひとつもでてこないということは遠くから見ただけで分かるのかもしれない。
下から見上げると、その輝くものまで人二人分くらいの高さに見えた。
「登ってみるか」
「どうやって? 」
崖を登ることなど考えてなかったから何も準備はしていない。
「このホーで足場を作って登るさ。それほど高くないし」
「でも――」
「大丈夫だって。それに、この原っぱを丹念に見ていくとしたら一日あっても足りないだろうし、あれだけ光るものなんて、見当たらないってことは下は探すだけ無駄ってことかもしれない」
「そうだけど」
ユウの考えは自分と同じなんだと思った。
「少し離れてろよ」
ユウは言うと、ホーで崖を削った。
邪魔になってはいけないと、リアは後ずさった。そして、下で花が見つかればユウが危険なことをしなくてもすむと思った。崖を削って足場を作り登っていくユウを横目で見ながら、リアはあたりを見回した。草の影になっているのかもしれないと草の中に手を入れて探った。
崖の土は硬いものではないらしく、ユウは順調に登っていく。
「おーい、リア」
ユウが呼ぶ。
割とすぐにユウは輝くもののところまで達していた。
リアは崖へと戻ろうとした。
「当たりだ! 」
ユウが片手を花にかざしていた。
良かったとリアが思った時、ユウの体がゆらっと揺れた。
「ユウ! 」
リアは叫んでいた。足場が崩れたのかもしれない。柔らかい地層は削りやすいけれど脆い。左手に持っていたホーを崖に突き刺し体制を立て直そうとしていたけれど、うまく刺さらなかったようでホーが下に落ちる。支えを失った体は仰向けにバランスを崩して足は土肌を滑る。あまり高さのないところでは体制を変えることは難しいと思った。先に落ちたホーが地面に刺さって棒がユウの体に刺さったように見えた。ユウの体が仰け反ったように見えて、ホーは倒れて転ががり、ユウは地面に落ちた。
「ユウ! 」
リアが駆け寄った時、ユウは仰向けのまま空を仰いでいた。
「はは、どじっ……ちゃったよ」
ユウが顔を歪め見つめてくる。
「ユウ、大丈夫? 」
ぱっと見たところ傷はないみたいだった。
ユウが大きく息を吸い顔を歪める。
「ユウ、どこか痛いの? 」
ユウが右手を開く。
「これだけは取ったから……だから、リアはこれを持って村に戻るんだ」
ユウの手の中で白い花が光り輝いていた。
「ユウを置いてなんていけない。そう長老とも約束したよ。ユウを絶対一人にしない」
「……俺はもう動けない。好きなやつに無様な姿は見られたくないからさ」
ユウの言葉にリアは胸がとくんとはねた。
「ユウ……初めて言ってくれたね」
「え? 」
「好きだって」
リアはユウの右手をそっと握った。
「そうだっけ」
ユウが苦しげに息を吐く。
(どうすればいいの? )
ユウは動けないと言った。だからと言ってかつげるわけでもなければ、動かして良いのかどうかも分からない。村に人を呼びに行くにもその間ユウを一人にしなければいけない。
「俺も動けるようになったら後を追うよ。だから、リア、この花を先に届けてくれよ」
「いやよ。ユウと一緒じゃなきゃ戻らない」
一人で戻るなんてことは考えられなかった。だからといって何ができるのだろうと思う。
「これはさ、きっと罰なんだよ。ルールを破った俺への」
「ユウが何をしたって言うの? 」
ユウはいつだってみんなのことを考えてくれてた。
「リアを自分のものにしたかった。リアを誰かに取られるなんて嫌だったんだ。春祭りの時、俺はやっちゃいけないルールを犯した」
「それなら、私も同じよ。でも、神様はそんなに意地悪じゃないはずよ。だって、ユウはミウの為に神の花を摘みにきたんだもの。そんなこと言わないで」
もしも神様がいるのなら罰を受けるのはユウじゃないと思う。
「そうだな」
突然知らない声が聞こえて、リアが辺りを見回すとぼおっと光をまとった人が目の前にいた。
「誰? 神様? 」
涼しげな目と整った容姿を持つ突然現れたその人は人間だとは思えなかった。
「人間が私達をなんと呼んでいるかは知らん。私は単なる通りすがりの者だが、怪我をしたのはお前が迂闊だったからだろ。それ以上の何物でもない」
落ち着いた低く静かな声でゆっくりと言う。
(神様なの? )
この森は神が住むと言われているところだ。
「お願いです! ユウを助けて下さい! 私にできることならなんでもします! 」
リアは通りすがりだと名乗った者に手を合わせた。
「やめろ、リア! リアに触れるな! 」
ユウが叫ぶ。その後に顔を歪め、はあはあと苦しげな息をする。
「ユウ、何も言わないで――」
声を出したり動いたりすることが良いとは思えなかった。
「安心しろ。私は人間に触ることはできない。いや、違うな。触れると、激痛が襲う。お互いにな。そんなものに触ろうとは思わん。ただ、こんなことはできるが」
通りすがりの者が手をふわっとあげるとリアの体が浮いた。
「きゃ」
「や、やめて……くれ。リアには……何も、しないでくれ」
絞り出すような声でユウが言う。
「何もするつもりはない」
通りすがりの者が手を下げるとリアの体がそっと地面に降りる。
そんなのは人間のできることじゃない。
「お願いです! ユウを助けて! 」
リアはこの人にすがるしかないのだと思った。
「助ける方法があるにはあるが……」
「お願いします! 」
リアはユウを見た。顔が青白くなっているような気がする。外には見えなくても体の中で出血しているのかもしれないと思った。早く、急がなければユウが危ない。それだけは分かった。
「彼の体を私のそれと同じものにする。そうすれば、傷は治癒する。その後で、お前が彼の体を人間のものにするのだ」
「私にそんなことできるんですか? 」
「ああ、人間なら誰でもできる」
「リア……」
うわ言のようにユウが口にする。
「お願いします。ユウを助けて下さい」
今できることはそれしかないと思った。
「では、彼から少し離れなさい」
言われた通り、リアはユウから離れた。そして、草むらに膝を付き手を合わせた。
(ユウが助かりますように)
考えられることはそれしかなかった。
通りすがりの者が両手を広げる。するとその中に光り輝く球形のものが現れた。それは人の体を包み込めるほど大きくなると手を離れユウをそのまま包み込む。それはほんのわずかの間で、光が消えるとユウの体も消えた。そして、通りすがりの者も消えていた。




