神の住む森 2
母が作った漬け菜を刻んで混ぜ込んだおむすびと水を満たした竹の水筒を持ち、朝早く森に向かった父たちが帰ってきたのは太陽が頂点から少し西へ傾いた頃だった。
リアは朝から落ち着かなかった。昨晩父から話を聞いた後にベッドに入っても寝られなくてうつらうつらするくらいだった。作業をしていても手が止まってしまう。それはユウも同じだったみたいで、昼前には家に戻って父の帰りを待つことにした。
家に帰ってきた父は険しい顔をしていて、荷を下ろすと長老のところへ行くと言いすぐに家を出て行った。
父が家の扉を閉めた後「疲れているでしょうに」と母が呟いた。
何も言ってはいなかったけれど、トラブルがあり目的の花を見つけることはできなかったことだけは分かった。父が長老の家から帰ってきたのは外が真っ暗になってからだった。遅くの夕食を食べながら父の話を聞いた。
「目印が途中で消えていたんだ」
父は開口一番言った。
「イオニマスの木が? 」
それを目印として植えてあると言っていた。
「そう。何度も歩数を測り直したり人を目印にして少し広い範囲で探してみたんだが見つからない」
「じゃあ、どうするの? 」
目印なしに森の奥へ入るのは危険だと思う。
「明日また別のやつらが行くことになった。8人と人数も増やす。今日森の中の様子を見てきて、迷いさえしなければそれほど危険はないだろうと判断したんだ。いるのは小動物くらいのようだ。竹の先端を研いで持って行けば即席の杭になる。今日よりはかなり広い範囲を探索できるだろう。だから、大丈夫だ」
(ほんとに? )
リアは不安に思ったけれど、それを口には出さなかった。
その後、沈黙で静まってしまったのは皆多少の不安があるからなのだろうとリアは思った。
「今日はゆっくり休んでくださいね」と母が言い父が頷く。ただ、父が無事に帰ってきたことにリアはほっとしていた。
まだ時間がある、と最初父は言っていた。何か策がある時ならそれで良い。策がなければ何日あろうがただ日が過ぎていくだけだ。
リアの父が森に入った次の日、意気揚々と出かけた人たちも帰ってきた時は無言だった。村に入った途端に座り込む人もいたほどだ。疲れているのがまわりにも伝わってきた。
問題は振り出しに戻ったに等しかった。
ユウは無言で室内の仕上げに取り掛かっていた。リアは土間で陶器の鍋や器を作っていた。土を練って形を作る。焼き小屋は村の外れにあった。常に火は入っているので、空いているところへ入れれば良い。
畑には作物が育っていてあとは収穫待つばかり。手が空いたらもう少し畑を増やそうかと思っていた。新しい暮らしを始める準備は着々を進んでいて、水や油を貯める桶や瓶は作ったし、テーブルや椅子やタンスもできたし、手ぬぐいや掛け布も織ったし、竹で作る花瓶や食器や箸もいくつもある。
もういつからでもここに住める状態にはなっていた。
自分たちについては何も問題はない。
でも、神の花をどうするかについては保留されているままだった。
ただ、状況は変わった。
ユウの兄と同じ歳であるカウラの子供が高熱を出した。村にある薬では効き目はなかったらしい。猶予もなくなって出た案は近隣の村に在庫がないか聞いて回ることだった。薬自体はなくても入手する方法を知っていないかどうかも聞いて回っている。
ユウがため息をつく。
「いくら村を回ったって出してくれるところがあるわけないよ。今は貴重なものなんだから」
「うん」
リアは小さく頷いた。
村を回ってる人もそれは分かっていると思う。ただ、他に手がないのだ。
「こっちは終わった。俺は森に花を探しに行こうと思ってる」
ユウがくるっと向きを変えリアに向かい合った。
「ユウなら、そう言う気がしてた」
そう、他人事だといって放ってはおけない人だ。自分も助けられた。
「止められるかと思ったよ」
ユウが意外な顔する。
「私も行く」
ユウを一人で行かせることなんてできない。
「バカなこと言うなよ。危険なことなんだぞ」
「分かってる。でも、ユウが行くなら私も行く。ユウが置いていくというなら後から一人でも森に入る」
「だから……」
ユウは困ったように天を仰いだ。
「だって、他人事じゃないんだよ。いつか自分たちにも降りかかってくるかもしれない。それだけじゃない。まだ小さいミウが辛い思いとしているのかと思うと胸が痛い」
病の原因は分からない。突然高熱がでて初めて分かるのだ。
「だからといっても」
「ユウが行くなら私も行く」
リアは手に付いている土を払うと、桶の中の水で洗った。
「どうするんだよ。その作りかけのやつ」
「もうできたから、ユウも付いてきてくれるなら焼き小屋まで持って行くけど」
「じゃあ、とりあえず持っていくか」
「うん」
リアはユウに鍋を渡した。自分も器を4つ持つとユウの後ろに回った。いつの間にかユウが消えないように。
「今日はいかないよ。もうこんな時間だ」
気持ちを察してくれたユウの言葉にリアはほっとした。
「焼き小屋の後で長老のところに寄ろう」
「うん! 」
ユウが誰にも言わずにこっそり行くのかと思ったから違うことが意外だった。長老なら知恵を授けてくれる。何か問題があった時は必ず長老の意見を聞くことになっている。審判もする。長老には誰も逆らえない。それが村のルールのひとつだ。もしかすると、ユウを止めてくれるかもしれない。
ただ、それでは問題は解決しない。
囲炉裏の炭がパチパチと音を立てていた。
「いつ行くつもりじゃ」
長老が長いヒゲを撫ぜながら言う。
「天気が良ければ明日にでも。ただ、リアも一緒に行くと言っているんです」
(あ、そうか)
長老に相談したかったのは自分のことなんだとリアは思った。
「そうじゃな。リアは賢い。きっと力になるじゃろ」
「いや、そうじゃなくって」
ユウがじれったそうに言う。
「リアが付いていくなら、ユウも無謀なことはできまい」
「でも」
「今までの経過は聞いておるんじゃろう? 」
「はい」
「今までのやり方じゃだめだということだ。どこか見逃しているのか、最初から間違っているのか。目印の木が3本一組で立っているのは確かじゃ。わしも行ったことがある。木に沿って線を引いてみると行く方向もわかりやすいだろう。大事なのは戻ってくることじゃ。リアも一緒なのだから」
長老の言葉にユウは答えなかった。
「リアがかわいいなら置いていこうなどとは思わないことだ」
長老が付け加える。
「どうしてですか? 」
ユウの言い方が反抗的だった。
「リアを一人で森に入らせたいのか? 」
「だから、長老、リアを説得してください」
ユウは目的を吐露した。
長老ははっはっはと口を開けて笑った。
「おまえが説得できないものをどうしてわしができるのか。そもそもわしは誰かが名乗りを上げないか待っていたのじゃ。そのわしがどうしてやめろと言えるのか」
「待っていたんですか? 」
声をあげたのはリアだった。
「危険なことをやれとは言えん。だが、時間が経つばかりでは何も解決しない。新しい考え方ができる誰かが手をあげてくれることを願っていた」
「でも長老、リアは女だ」
「だからなんじゃ。リアの足りないところはお前が補ってやればいいだろう、ユウ」
「リアにもしものことがあったら――」
「それと同じことをリアも思っているだろう。お互い思い合い信じ合えることが大事じゃ。そのことが二人を守る」
「でも――」
ユウは納得しないみたいだった。
「じゃあ、誰か信頼できるやつを連れて行けばいいんですか? 」
ユウが新しい提案をする。
長老が目を細めた。
「それはやめた方が良いだろう」
「なぜ? 」
「やる気のないやつは足手まといになるだけだぞ。お前たちの父親でさえ戻ってきたんだ。一緒に行ったやつがこれから先は行きたくない帰ろうと言ったらどうする? 誰でも未知のものは怖い。ただ、リアはユウに付いていくだろう。二人ならば知恵を出し合い助け合うこともできるが一人の思い込みの渦に入ったら逃げることはできん」
ユウがゴクリと喉を鳴らす。
「でも、リアは――」
ユウはその先を続けることなく俯いた。
「リアの気持ちは変わらないのだな」
長老が見てきたのでリアは頷いた。ユウを一人で行かせることなんてできなかった。いえ、三人だろうが四人いようが行くつもりでいる。危険だと言われれば尚更どんなことがあってもユウに付いて行きたいと思った。
「森とは言っても木が立ち並んでいるだけではない。なだらかな斜面もあれば崖もある。視界が開け草むらになっているところもある。神の花は太陽の日差しに満たされた平原に根を下ろしている。そして、それほど森の奥ではない。迷わず行ってこれたなら早朝に発てば昼過ぎには戻れる。目印のイオニマスの木は三本で用をなす。真ん中の木を中心として来た方向と行く方向を示している。大事なのは方角じゃ。もし方角がわからなくなったら、木の枝がより伸び茂っている方が南、村の方角じゃ。大型の動物がもしもいたら、できれば木に登る木の裏に隠れる。暗くなってきたら動かず木の根元に枝を集め囲み、その中で過ごす。無理はしないことじゃ。一番大切なのは戻ってくること。ユウ、リアがいるからといいカッコを見せようなどとは思わないことじゃぞ。他に何か聞きたいことはあるか? 」
「そんなにたくさん覚えられないよ」
ユウが不満げに言う。
「リアはどうじゃ」
聞かれてリアは目を閉じて長老の言葉を反芻した。
(大事なことは――)
「木の枝が伸び茂っている方角が南でこの村がある。暗くなってきたら木の根元に枝を集める。一番大切なのは戻ってくること」
「そうじゃ」
長老が満足そうに頷く。
反対にユウは納得がいかないような顔をしていた。長老はリアが付いていくということに反対すると思っていたのだろう。まったく逆の結果になってしまったわけだ。
「本当に行くのか? 」
長老の家を出た後でユウが聞いてくる。
「置いていったら一人でも追って行くから」
そこは譲れない。
ユウは大きくため息を吐いた。
次の日、朝焼けに染まる空はこれ以上ないというほど澄みきっていた。
親には内緒でリアは家を出た。たぶん、ユウもそうするだろうと思う。迷わなければ昼すぎには戻れる。肩にかけたバッグの中には栗のクッキーと干し柿と水を入れた竹の水筒を2本と小さなナイフを持った。
人がまだ起きてこない時間とはいえ、村の入り口での待ち合わせは目立つので少し離れたところにした。置いて行かれないように待ち合わせより早く出たのに、村を出たところでユウの背中を見つけた。
リアは駆け寄って、しばらく後ろに付いて歩いた。
(気づかないの? )
足音を忍ばせたりはしていないのだから、駆け寄った時に気づいて振り返っても良さそうなものだ。
突然ぱたっとユウが止まり、リアはぶつかりそうになった。
「今ならまだ戻れるぞ」
振り向かずにユウが言う。
「戻る時はユウと一緒」
そのつもりで来たのだ。
「後悔しても知らないぞ」
「行かない方が後悔する」
それは絶対。一分たりとも落ち着かない自信がある。
「お前頑固だな」
「ユウもね」
ユウは一瞬肩を震わせ、ゆっくり振り向くと笑った。
「長老の言うことが分かったよ」
「何? 」
そんなにたくさんは覚えられないと言ったユウだ。
「戻ったら教えてやる」
ユウは前を向くと歩き出した。




