見えないカタチ 7
リアは左手で涙を拭うとユウの指先を掴んだ。
『ダメだ』
ユウの苦しげな声が響いた。
「ユウっ」
リアはユウの指先に自分の頰を寄せた。輝きながらユウの指が少しづつ形になっていく。ユウの大きく呼吸する音が頭に響く。ユウは痛みと戦っているのだとリアは思った。
(どうすればいい? )
涙なんてそんなに大量にでるわけじゃなくて、ナイフでも持ってくれば良かったと思うけれど後の祭りだ。ユウと同じ体になるつもりだったから、もう必要なものは何もなくなると思っていた。
『リア……』
「ユウ、しゃべんないで」
涙は後から後から溢れてくる。右手で涙を拭うと指先から続くとところへ触れた。痛みはなかった。涙に触れるとすぐに形に現れる。
『じゃあ、リア何か話してよ。痛みを忘れちゃうくらい楽しい話』
「そんなの……思いつかない」
『リアは、いつも笑ってたじゃないか。楽しそうに』
「ユウを見てるだけで楽しかったもの。ユウがいると自然に顔が綻んだ」
『いつから? 』
「そんなの覚えてない。あ、みんなで栗拾いに行ったことがあったね」
『そんなのいっぱいありすぎて……いつの頃かなんて……わかんないよ』
「いつの間にか誰かが木に登って揺らしてイガグリ落としてきて逃げられなくて怖くて頭に手をやったらユウが手を引っ張って助けてくれたことがあった」
『そんなこと……あったっけ』
「だめだよ、ユウ……楽しかったことなんて考えてたら涙が止まっちゃうよ」
『はは……』
「笑い事じゃ……ないって」
『リアはいつもとろかったもんな。自分のことは後回し。いつでもどこでも最後にいるから、リアがいればみんないるって安心した。そのうち、リアだけ見てれば大丈夫ってなったなあ』
遠い過去を思い出すようにユウが言う。
「楽しかったね」
子供の頃はなんでも楽しかった。栗拾いもマキ集めも魚取りも。
『何か困った時はリアがいつも案を出してくれたし』
「そうだっけ」
『長老の出す問題を全部正解してたろ。頭いいんだなってみんな感心してたんだ』
「ええーそんなの知らない。たまたまだよ」
『ただし、すっごくとろいけど』
ユウがはははと笑う。
褒められているのか貶されているのか分からない。
ユウが指先で涙を拾う。
『物心着いた頃から一緒にいたけど、泣いてたのを見たことはなかった』
「だって、いつも楽しかったもの」
『怪我したこともあったろ? 』
「覚えてない」
『俺は覚えてる。川の縁で足を滑らせて、みんなが歩いた後だから緩んでたんだろう。リアがいないって戻ったら、草掴んで必死に川からあがろうとしてた。泥だらけで擦り傷いっぱい作って。なんで助け呼ばないんだよって言ったら、ごめんって笑うんだもんよ。お前は泣くことなんてないかと思ってた』
ユウの声を聞くたびに涙が溢れてくる。
「ユウ、辛くない? 」
触った時の痛みそのままなら、その姿勢を維持することすら大変だと思う。
『最初に触れた時の痛みに比べたら大したことないよ。痛いっていうより痺れてる感じだ。それより、リアに触れられることの方が嬉しいかな』
ユウが指先で頰を撫でる。
時々大きく呼吸をする。大したことないと言ってもそれなりのものはあるだろうと思う。早くと思っても、変化はすごくゆっくりしたもので、そのうちどちらともなく体を横たえた。
草むらを風がそよぐ。
止まりそうになる涙はユウの声が聞こえるたび、ユウの手が触れるたびに溢れ出す。
頭の中で響いていた声はそのうち音として聞こえるようになった。
空の色が赤く変わり紫から黒になる。月が顔を見せ星の数が少しづつ増えていき、やがて空を埋め尽くす。まるで流星がゆっくりとユウの体を縁取っていくようにも見えた。
「リア、痛みがなくなった」
そうユウが言った時、空はまた紫色に変わっていた。
「良かった」
ほっとした途端にリアは意識が落ちていった。
日差しが眩しく感じた。
リアが目を開けた時、体はすっぽりユウに抱きこまれていた。
「良かった」
ユウがほおを擦り寄せる。
『戻れたようだな』
いつか聞いた声が頭に響いた。
「神様! 」
リアは体を起こすとどこにいるか分からない神に向かって手を合わせた。感謝の印だ。
『涙が媒介になるとは知らなかった。一つ教えてもらった代わりに一つ教えてやろう。お前たちが探している花はそこの崖の左側に沿った方向にいっときほど行ったところにもある。ただ、それはお前たちだけに教えてやることだ』
「ありがとうございます! ユウのことも本当にありがとうございます」
この人と出会わなければたぶんユウの命はなかった。
「感謝するよ、全てのことに」
ユウも頭を垂れる。
『私も良いものを見せてもらった。感謝しよう。では』
神はどこにいるのかは分からない。けれど、リアは手を前に組み頭を下げた。しばらく、リアは頭をあげられなかった。
「大丈夫か」
ユウが聞いてくる。
「少し頭が痛いかも」
でも、そんなものはユウの痛みに比べれば大したことないと思う。
「少しここで休んでいるか? 俺は花を探しに行ってみる」
「いやだ! 」
リアはユウの腕を掴んだ。せっかく、体が元に戻ったのだ。離したくなかった。
「じゃあ、少し休もう」
「うん」
「少し寝ていいよ。置いていかないから」
「ほんと? 」
「ああ」
「じゃあ、少しだけ」
リアはユウの体を抱きしめるようにして体を丸めた。どこかへ行ってしまわないように――。
風が優しく体を撫でる。ユウの体温が気持ち良かった。
日差しの暖かさを感じるようになった頃、リアはユウと崖の下に立った。
「どうしたら、戻る道を失わないで済むと思う? 」
ユウが聞いてくる。リアはあたりを見回した。
「小さな枝を集めながら、少し間隔をあけて立てていったらどうかな」
その枝たちは直線を描くはずだ。戻りながら抜いてくれば後は残らない。線は消えてしまうかもしれないし見つけづらい。この先に目印はない。
「じゃあ、そうしよう。まずはこれだな」
ユウは手近にある枝を拾い、土の上に立てた。
森の中は入るとすぐにどこを見ても風景が同じになる。長めの枝を見つけたら二つに折ってあまり高くならないようにした。高いと倒れてしまう可能性がある。いっときと言われた時間はすごく長く感じた。たどり着いたそこは、小さな空間だった。上を見るとぽっかりと丸く空いていた。この花たちのために開かれているようだ。その中でひしめき合うように白い花は光をあふれさせていた。
「少し多めに摘んで向こうの草むらに植えてみよう」
「うん」
それが根付けば以前のように必要な時に摘みにくれば良い。
ユウが空を見上げる。
「急いで戻ろう」
ユウの言葉にリアは頷いた。
地面に立てられた短い枝を頼りに木立の中を進む。この道を進めばどんどん村に近づく。幼い頃から育った村だ。
「ユウ」
リアは前を歩くユウに声をかけた。
「ん? 」
振り向きユウが立ち止まる。
「ねえ、もし、村に戻りづらかったら花を届けたら街に出よう」
ユウがいなかった日々をどう思われるのだろうと思う。詮索や噂話でユウを傷つけたくない。
ユウはふっと笑った。
「リアがそばにいてくれるならどこでもいいさ」
ユウが手を伸ばしてきてそっと抱き上げられた。もう離さない――そんな囁きを耳元で聞いた。
左手に土肌が見えた崖、その裾野に広がった草むら。そこは、訪れたのは数えるほどなのに、広がる風景は慣れ親しんだところのように思えた。
真ん中の一番日差しが当たりそうなところに手で土を掘り摘んできた神の花を3株植えた。
(根付きますように)
リアは花に向かって手を合わせた。
太陽はちょうど真上にあがっていた。
ユウがパンパンと土がついた手を払う。
「戻ろう」
そう言ってユウが立ち上がった時、木々の間から出てきた人がいた。
(まさか? )
あの薬屋が誰からか情報をもらって来たのかもしれない、と一瞬思った。せっかく摘んできた花を取られてしまう。そして、在りかを言えと脅かすのだ。
「父さんだ」
ユウが言う。
ユウめがけて走ってきたその人は間近で立ち止まり呆然としたような顔をした。
「ユウなのか? 」
「心配かけてごめん」
ユウの言葉にシュウは唇を噛み、ユウを抱き寄せる。
(そうだよね)
口にしないからと言って心配しない訳も戻って欲しくない訳もなかった。
「今までどうしてたんだ」
シュウが聞く。ユウは頭を振った。
「分からない。記憶がないんだ」
そう答えたユウにリアはユウはこの一年近くの記憶を封印するつもりなんだと思った。ユウが村にいたことを信じてもらえるとは思わない。
「リアが見つけてくれたのか? 」
シュウが視線を向けてくる。
リアは少し考えた。
「ここに、ユウが座り込んでたの」
手を広げた。この草むらで出会った。
「神の花は? 」
「持ってたんだ」
ユウが答える。本当にことは教えられない。
シュウが納得できないという顔をする。それは当然だとは思った。
「リア! 」
父が走ってくる姿が見えた。
「お前ってやつは――」
膝をつき抱きしめてくる。温かい日差しのような父の匂いを感じた。
「とにかく帰ろう」
シュウが言う。
後から後から人が寄ってきて、ユウとリアは囲まれていた。
「あ、父さん、水あるかな? 」
「あ、ああ」
ユウの問いかけにシュウが腰に結わえていた竹の水筒をくれた。
ユウが手の土を流しながら、神の花の根元に水をかける。「リア、手を出して」ユウに言われてリアも神の花の上に手を広げた。かけてくれた水はきらきらと光りながら土を流していく。
「行くぞ」とユウに手を出されて、その手を取ろうとしたけれど、リアは立つことができなかった。体が重くて思い通りにならない。どうしようと思ってユウを見た。
「動けない――少し休めば大丈夫かも」
エネルギーが切れたのかなと思う。このところよく寝てもいないし、食べてもいない。
「背負ってやるよ」
ユウは神の花と水筒をシュウに渡すと片膝をついて手を掴んで持ち上げ、後ろから自分の肩に載せる。
「掴まれるか? 」
「うん」
リアはユウの首に腕を回して胸のあたりで自分の手を握った。
軽いな――そう言いながら、ユウが立ち上がる。みんなの前で恥ずかしかったけれど仕方ない。ユウが歩き出すと後ろから誰かが来た気がしてリアは振り向いた。
「良かったな」
リョウが複雑そうな顔をしていた。
「ありがとう」
それしか言えなかった。自分が応えられるのはユウだけだ。
森の中は一列になって歩くしかない。最後から2番目のシュウの前をユウは歩いていた。
「疲れているだろうけれど、村に着いたらすぐに長老のところに行け」
後ろから声をかけられて、ユウは「分かった」と答えていた。
長老はいつものように囲炉裏の前に座っていた。
「ご心配おかけしてすみませんでした」
ユウが頭を下げる。リアも一緒に頭を下げた。
「今までどうしていたんじゃ」
それはシュウと同じ質問だった。
「わかりません。記憶がないんです」
ユウの答えも同じだ。
長老が目を細めた。
「神に出会ったのか? 」
その質問にしばらく沈黙が流れた。
「……そうかもしれません」
ユウが静かに答える。
「そうか」
長老はそれ以上は聞いてこなかった。
「お前たちの婚姻の準備をしなければならないな」
そう言った長老の言葉は何も咎めはないということだとリアは思った。これ以上ユウが問い詰められることはない。長老の発言には誰にも逆らわない。
「ありがとうございます」
頭を下げたユウはしばらくそのまま動かなかった。
春祭りの前に結婚式は行われた。
リアは水での禊が済んだ後に、丈の長い式服を身につけた。母が用意してくれたものだ。
太鼓や笛や賑やかな歌声の真ん中にユウとリアはいた。
互いに向かい合い、笑いあう。初めてのキスは花のような甘い匂いがした。




