第76話:交渉(テーブル)の下で
[星暦998年5月8日]
交渉は決裂した。
無論、双方にとって折り込み済みの結末ではあったが。ボニファティウス卿は深く息をつく。彼としては、現在のアマレク人の経済的繁栄の維持にはこの奴隷…ではなく労務者のシステムを抜きには考えられないのである。「奴隷を解放せよ」という主張は大蔵大臣も務めたこともある彼にとっては愚にもつかないものであった。
「奴隷風情が」
忌々しそうに呟くと右手を挙げ、指を鳴らした。それが尊たちを逮捕せよ、という合図だったのだ。
「テロリストどもの身柄を確保せよ」
警備隊長がインカムで指令を出した。
ホテルの大宴会場に整えられた会見会場に足を止めようとしなかった尊たちに、記者たちが群がった。恐らくこの中に武器を持った兵士が潜んでいるだろう。エリカとラザロに緊張が走る。
「残念ですが、会見はいたしません。結果はボニファティウス卿にお聞きください。」
当然、"テロリスト"であれば、マスコミの連中が大挙して押し寄せて来たこの機会を捉えて自分の正当性をアピールするはずである。
そうして、マスコミの面前で逮捕できる、そう踏んでいた。しかし、尊も足を止めることなく、かといって逃げるようにでもなく、堂々とした足取りで進んで行く。尊を先頭に、バラクが続き、両サイドをエリカとラザロが固めている。
一応、"凶悪なテロリスト"という政府の一方的な"キャラ付け"が報道陣の抑止力になっているのだろう。尊はこの展開を既に読んでいたので、自分の廻りに不必要な空間を拵えて兵士を自由に動けるにしてやる義理は持ち合わせていなかったのである。あてが外れた報道陣は我先に尊の周りに押し寄せ、立錐の余地もない状態であった。報道陣の外側でうろうろしているのが兵士だろうが、ここまで近寄れそうではなかった。
「不知火! 立ち止まって釈明しろ!」
「この奴隷野郎!」
「テロリストめ!」
残念なことに、人類がアマレク人の奴隷となった400年近い時間は、報道を生業とする者にさえ、"テラノイドは劣等である"という情報を教育によって"常識"として植え付けられてしまったようだ。
「彼らのような人たちが私を"代理人"と呼ぶようになるまでは、対等な交渉は難しいかもしれませんね。」
小さく尊は溜め息をつく。
「まだ初回だ。これからだよ。」
バラクが自分に言い聞かせるように慰める。
尊の行く手には報道陣からの次々にマイクやレコーダーが差し出される。カメラのストロボがたかれ、目眩を起こしそうなほど、室内は光に満ちていた。
このすき間から果たして凶器が出せるのだろうか?無論、アマレク人記者たちも自分達が作戦の邪魔になっているとは考えもつかないだろう。彼らは彼らで戦っているのだから。
どうやら兵士たちはこの場所での逮捕は諦めたようだ。
「代理人! メンフィス・ウイークリーのマクベインです。」
突然、聞きなれた懐かしい声に尊が足を止める。
「第二の災厄は避けることは出来ないのですか?」
マリアンは絞り出すような声で尊に尋ねた。女の子にしては良く通る。少し低め(アルト)な声だ。
尊は少し表情を弛めると
「それは皆さんアマレク人が選ぶことです。我々はそれを尊重しますよ。」
一言だけ返すと再び歩みを始める。
……ついに義兄の後ろ姿を捉えた!マリアンは自分の胸の鼓動が早鐘のように鳴り響くのを感じた。5年 振りの再会は一瞬で終わってしまった。ただ、エリカがマイクと一緒に差し出した自分の名刺を素早く抜き取ってくれたので、目的は十分に果たされたといえた。
「良くやった。(グッジョブ)」
カメラマン役をしていたグレッグがマリアンの頭を撫でた。
「マリアン、ジャーナリストなんか目指してたんだね。意外ねえ。でも結構様になってたんじゃない?」
エリカが感慨深そうに言った。尊も、彼女だけが自分を代理人と呼んだことに、彼女の内面の成長を感じとることができ、曇った心に光が差し込むような思いだった。
会見用の宴会場を抜けるとエレベーターホールに至る長い廊下が続いている。ここが罠の第二弾となる。ここに両脇に隠し部屋があり、尊たちを逮捕しようと屈強な兵士たちが待ち構えていたのだ。しかし、その扉は開こうとはしなかった。電子制御の扉は、ホテル内のコントロールルームの指示を受付なかったのである。これはトートを使ってハッキングをかけた尊の差し金であった。
「ドアが開きません!」
ボニファティウスの周りで、焦りはじめたスタッフたちの怒号が飛び交う。ボニファティウスは苦虫を噛み潰したような表情を崩さなかった。
第三の罠はエレベーターであった。エレベーターには、催眠ガスの噴射口がしこんでありドアが閉まれば自動的に催眠ガスが噴霧される仕組みになっていた。当然、それも作動しなかった。
「扉が開けば最初の実戦です。用意は良いですか?」
エリカとラザロは奴隷時代に決して持つことを許されなかった銃の感触を確かめた。弾そうには麻酔弾がしこまれている。マントのフードを被るとそれはヘルメットに変形する。さらに、マントは光学迷彩がかかり、瞬時では見分けがつかない。尊は"司令者の杖"をとる。
桟橋へ続くロビーフロアでエレベーターの扉が開いた。そこにガスマスクを付けた兵士が殺到する。開口部を扇状に囲んだ兵士たちが見たのは、尊がたった一人で佇んでいる姿だ。
兵士たちは銃を構える。正面の兵士が尊に向かって逮捕状を差し出し、読み上げる。隊長であろう。
「不知火尊こと特別労務養子(奴隷養子)ゼロス・マクベイン。貴様を国家反逆罪、国家争乱罪、他12の罪状で逮捕する。一切の抵抗は無駄である。これ以上の抵抗はさらなる罪状を増やすだけである。神妙に縛に付け。」
しかし、扉が開けばテロリストたちが横たわっていることを見込んでいた兵士たちは戸惑いを隠さなかった。
「以上でよろしいですか? お仕事ご苦労様。」
尊がフードを被るとそれはヘルメットに変わる。杖を横にかまえてゆっくり撫でると蛇の頭のついた鞭に形を変えた。赤銅の蛇『ネフシュタイン』である。兵士は20人ほどいるだろう。
「確保!」
隊長の号令と共に、尊に向かって兵士たちがジリジリと包囲半径を縮める。その時だった。バタバタと音を立てて兵士たちが倒れ始めたのである。エレベーターのドアが空いた瞬間に3人が包囲のさらに外側に回り込み、背後から麻酔弾による銃撃を実行したのだ。光学迷彩で姿を隠していたため、気が付かなかったのだろう。
隙を突かれた兵士たちの隊列が崩れる。尊もその隙を見逃さなかった。尊が鞭を振るうと、鞭の鋭い打撃が、まだ立っている兵士たちのガスマスクを破損させる。突然、扉が開いたままのエレベーターから催眠ガスが吹き出した。尊が噴霧口を開放したのだろう。隊長はハンドサインで後退を命じるが、尊の鞭が彼の足首を捉えて、そのままエレベーターに放り込む。衝撃に目を瞑ってしまった隊長が目を開けると尊の鞭の先が蛇のように鎌首をもたげて襲いかかるところであった。叫び声をあげ、そのままガスを深く吸い込んでしまった彼は眠りについてしまった。
ことが終わると3人は光学迷彩を解く。
「では、船にもどりましょうか。」
尊は穏やかそうな表情を崩さなかった。




