1-②
宿の食堂には10人もいなかった。
まずは、諍いの中心人物である、クラス委員長の遠江雪枝と、御堂巳鶴。
遠江は髪をベリーショットにしてメガネをかけた姿。
制服の上からでもかなりスレンダーな体つきだったと辰樹は認識していたが、今は魔法使い装備の群青色のローブに覆われていて、体の線が完全に隠れている。
御堂の方は背の高い痩躯で、戦士装備のレザージャケット姿、カラーはワインレッドだ。
顔付は日本人にしては彫りが深く、東が言うには彼の祖母はイタリア人との事。
他には、女子1名と男子2名。女子の方は佐藤恵、長い黒髪をポニーテールにしていて、背の高い体を戦士装備の茶色のレザージャケットで覆っている。
男子の方は、御堂とよくつるんでいる雑賀と神田だ。
雑賀はいつも被っていたニット帽の代わりに鼠色のフードで目元を隠し、神田は僧侶装備の黒い法衣姿だ。
佐藤は食堂のカウンター越しから、雑賀と神田は食堂の椅子に座って事態を静観していて、あくまで遠江と御堂ふたりの喧嘩のようだった。
今は互いににらみ合いで沈黙しているが、とても部外者が口を挟んでいいような雰囲気ではない。
下手をすると、仲裁に入った者がふたり掛かりで罵倒されかねない。
「なるほどね。確かにこれは、手を出しづらいね……」
食堂の中の様子を、辰樹たちは廊下から見ていた。
「そ、そういう事で御座るよ。だから、もっと加勢を呼んでくるので、それまで持ちこたえてもらえると頼もしいで御座る」
じゃ、と。一声残して、陣内は廊下の奥へと走り去ってしまった。
あまりにも機敏な挙動に、辰樹と薬師寺はその後ろ姿を見送る事しかできない。
「……まあ、妥当だと思うよ。これ」
「妥当なの? 信行ちゃんが止めに入ればよかったんじゃない?」
聞いてくる薬師寺に、辰樹は首を横に振って否定する。
「薬師寺さん。見た感じ、陣内にこれ、仲裁出来るように見える?」
「んー。……あんまり?」
正直な感想を笑顔で述べる薬師寺に、辰樹はこの年上のクラスメイトに対する認識を少し改める。
「ま、ですよね。だから、下手に仲裁に入ってこじらせるよりは、誰か適任なやつ呼んできて対応してもらった方がまだマシ。村に誰が残ってるのかわからないけど、やっぱり一真あたりが適役かなー。それか、人集めて数で押すか」
「物量戦するの?」
「数は暴力ですからねー。で、民主主義は多数決の世界、数がものを言うわけで。よって、民主主義は暴力っていう三段論法が、成立するとかしないとか」
成立したら、やだなーと、辰樹はひとりで苦笑いだ。
「もしも、誰かが勇気出して止めに入って見事仲裁万々歳になれば、そいつはマジもんの主人公でしょうね。そいつにクラスの指揮取り任せればいいかな、なんて思ったんですが……」
「ですが?」
「出来そうなやつが、思いつかない。そもそも、このクラスのやつらの事も、まだよくわかんないし」
「辰樹ちゃんとか、一真ちゃんじゃ駄目なの?」
「俺は論外。一真のやつは、こういう軋轢の間に割って入って緩衝材になる事は出来ても、集団を纏めて引っ張っていく、なんて出来ませんよ。やろうとは、するかもですけど……」
そこで、食堂の入り口でどうしたものかと話し合っている辰樹と薬師寺の元へ、血相抱えた誰かが走って来る。
鋼色の甲冑を着こみながらも軽快な動きで走ってくるのは、陣内や溝呂木とよくつるんでいるゲーム大好き勢のひとり、男鹿勤だ。
がっしりとした体つきと厳つい顔つきに反して気弱で不器用なため、教室ではいつも小さくなっている姿は、辰樹も幾度か目にしていた。
陣内や溝呂木と一緒の時も、彼らのように大声を上げる事はなく、ふたりの話を聞きながら時折小声で参加するくらいだった。
「喧嘩の仲裁頼まれたんだけど……」
「今は膠着中。増援来るまで待ってようか」
辰樹の緊張感がない物言いに、男鹿は面食らったようだ。
食堂の中の様子と辰樹たちを交互に見て、不満げに眉を寄せる。
「……それじゃあ、このまま見てろって言うのか?」
「さすがに手が出るようなら止めるよ。下手に割って入ってこじれたり禍根残したりしたら、どうすんのさ?」
辰樹の態度が不服だったのかったのか、男鹿はうっと息を詰める。
何か言いたげな顔をするものの、結局男鹿は辰樹に文句を言わなかった。
「確かに、一理ある。けど……」と不満げではあったが……。
3人はしばらくの間、食堂の入り口の陰から事態を見守っていた。
だが、時間が経つほど、口論は御堂が優位になっていくように見えた。
遠江が徐々に涙目になっていく様子に耐えられなかったのだろう、男鹿は拳を握り口元を引き締めて、食堂へ入って行こうとする。
入り口の手前で一度足を止めて、辰樹と薬師寺の方を振り返らずに聞く。
「……止めないのか」
「止めない。好きにやればいいよ。言葉じゃなくて拳が飛ぶようだったら俺も止めに入るし……。付いて行ってほしいなら一緒に行くよ?」
「……いや。いい。俺ひとりで行く」
男鹿はそのまま食堂に入って行った。
「辰樹ちゃん、いいの? 一緒に行かなくて」
「男鹿が仲裁してくれるならいいんじゃないかな。手間が省けるし」
「さっき、仲裁出来そうな人いないって言ったじゃない。勤ちゃんは大丈夫な人なの?」
「いいえ? 男鹿だと、十中八九駄目だと思う」
じゃあ何故? 視線でそう問うてくる薬師寺に、辰樹は食堂のど真ん中で始まった仲裁劇を見ながら答える。
「こっちが複数でかかったら、御堂の方も雑賀や神田が加勢して、複数対複数になるかも。数の威圧になったら、もう話し合いじゃ済まないよ。手足が出る喧嘩になる。そうなったら、殴った側殴られた側、両方に禍根が残るよ」
「ええ? でも、辰樹ちゃん加勢を待ってるって事は、それをするって事じゃなかったの?」
「建前上はね。……ちなみに、それは元々陣内の考えでーす」
でもと、辰樹は苦い顔で言葉を区切る。
「……でも。乱闘になったとしたら、勝った方が相手を押さえられるけど、それって恨みつらみを溜めるって事でもあるよね。良くないよ。個人同士じゃなくて、複数人同士っていうのが一番いけない」
「だから、勤ちゃんをひとりでいかせたの?」
薬師寺の続けての問いに、辰樹はだんだん歯切れ悪くなってゆく。
そんな辰樹の様子を、薬師寺は不思議そうに見守った。
「……男鹿のやろうとしている事は、人として至極真っ当で、何にも間違っちゃいないから。クラスメイトが喧嘩してたから止めに入るのって、何にもおかしくないし、間違ってないじゃない? 結果がどうなろうともさ」
「それは、そうだと思うけど……」
そこで、薬師寺は確信を得た。
辰樹が困っているという事に。
困っている、あるいは、何かを迷っている。
薬師寺にはそう言う風に、年下の同級生が見えていた。
「……陣内だって間違っちゃいないさ。自分ひとりじゃ解決できないから、なるべく人数と頭数を集めて、知恵と手段を増やそうとする。男鹿も陣内も、ちゃんとわかってる。けど、今はこの手段じゃ駄目なんだ。遅いし、なにより確実じゃない」
「確実じゃないって? 辰樹ちゃんは、結果が出なきゃ駄目な人? 駄目元でやってみるの否定派の人?」
「確実な成果が出るなら、俺だって正しい方法を取るよ。可能性が高いなら、駄目元でもやってみるさ。でもさ……」
辰樹の視線の先、仲裁に入った男鹿が、御堂にまくし立てられている。
身長は御堂の方が頭ひとつ高いため、見ている方も上から押し付けられるような重圧を感じる。
しかし、男鹿は腰が引き気味になってはいるが、一歩も下がったり譲ったりしようという動きはない。
……いいやつ、なんだよな。
臆病だが、正義感があるし、誰かのために体を張れる。
辰樹は、男鹿をそういう人間なんだと認識した。
同時に、こういう場面には不向きである事も。
「駄目で元々って言って行動する時ってさ、駄目になって、方々しっちゃかめっちゃかになって、取り返しがつかなくなった時のフォローとか、全然考えてないですよね?」
「それは……」
薬師寺は言葉を詰まらせる。
そもそも駄目元で行動するのだから、フォローも何も考えようがないのではないかと、薬師寺はそう考えているのだ。
しかし、辰樹は違うらしい。
「残念な結果だったけど、行動しただけグッジョブだよって、そういうのも別にいいと思いますよ。あくまで、取り返しが付く範囲内でなら。でも、熱意や正論で人の心が動けば交渉術なんて必要ないし、壊れた心が簡単に直せるならセラピストは必要ない」
辰樹は諍いの渦中に目を向ける。
「だから俺、動くなら全部背負うか抱え込むつもりで動きますよ。自慢じゃないけどやり方が汚いんで、方々から恨み買ってまた余計な諍い増えるかもですけど。取り返しがつかなくなった時のリカバリまで考えて動きます。最低限、矛先は全部自分に向けられるように……」
そうしてふたりが見守るなか、ただの諍いだったものは、別の何かに変わろうとしていた。
御堂が自らのアイテムスロットから装備品の長剣を取り出して右手に握り、切っ先を男鹿に向けたのだ。
何オクターブも声を高くして芝居がかったように叫ぶ御堂の声は、辰樹と薬師寺のところまではっきりと聞こえてきた。
それは、
「――巳鶴ちゃん。決闘して敗けた方が、勝った方の言う事を聞くって、言ってるよ? 俺を従わせたいなら、戦って勝てって。一回殺して見ろって……」
「やっぱりそう来ましたか。ここで無理やり上下構造をつくろうとしてるんでしょうね。今は、委員長が声大きくして幅を利かせているから、それを押さえて御堂が上だって認識を、みんなに植え付けたいんでしょうね」
「でも、そんな簡単に行くものなの?」
「今の状況なら可能でしょうね。何せ、異世界に来てからたった1日で委員長の株が大暴落しているから……。それに、相手が委員長か男鹿なら、勝敗自体は簡単に着きそうだし?」
「でも……。もし、決闘でも何でもして、敗けたとしても……」
「知らんふり出来る? そうですね、知らんふりも出来るでしょうね。でも、互いに戦って、敗けたって結果は残りますよね。それに決闘を断ったら、逃げた逃げたって大声で喚かれるかも。目撃者も何人かいる。……それと、敗けた方は無意識に、御堂に苦手意識っていうか、そういう類の感情を持つでしょう?」
それが御堂の狙いなのだと、辰樹は何となく察していた。
だとすれば、男鹿と遠江にとっては、いよいよ不利な状況だ。
あのふたり、どう見てもクラスメイトに武器を向けられるような性格ではない。
現に男鹿も遠江も、剣をちらつかせる御堂に対して腰が引けていて、顔は青ざめてしまっている。
「それに御堂のやつ、こうしてわざと大事にして、ギャラリー集めようとしている見たい。出来るだけ多くのクラスメイトに見せつけたいんでしょうね」
「巳鶴ちゃんが偉くて危ない子だって、みんなに見せつけるために?」
「ええ。……となると、陣内が加勢集めるのは下策になっちゃいますね。人が集まってきたところで、遠江か男鹿か、どっちかを敗かして、苦手意識を植え付けようとしてるんでしょう。大勢の目の前で」
例え殺されなかったとしても、大勢の前で敗けたという記憶は残る。
御堂側の一方的な言い分だとしても、事実は残ってしまう。
それは、後々の活動に尾を引くものだ。
特に、これからも御堂たちと行動を共にしようとする場合は……。
辰樹と薬師寺の視線の先、男鹿が御堂にど突かれて尻もちを着いた。
表情に怯えの色が浮かんだ男鹿に向けて、御堂は自分の剣を放り投げる。
剣を取れと、立ち上がって戦って見せろと、大声で恫喝する。
まるでヤクザ者のようなやり口だが、だからこそ善良な一般人には絶大な効果を及ぼす。
御堂の表情や動作は芝居がかっていはいるが、見るからに楽しそうな様子だった。
食堂の外に居る辰樹と、中に居る御堂、ふと、目が合う。
御堂は辰樹に向けて、にやりと笑んだ。
それは、辰樹の事を良いギャラリーだと思ったものなのか。
それとも、お前も止めに入らないのかと、挑発したものなのか。
その笑みを受けて、辰樹は決めた。
「――決めました。行きます。御堂の好きにさせといたら、攻略どころかこっちの生活にまで支障が出そうだ。お互い同士でよろしくやってくれればまだ良かったけれど、こっちにまで飛び火してくるようなら最初から被りに行きます」
もしも御堂が“上”になって、宿屋に残ったクラスメイトたちを従えるような結果になったとしたら。
辰樹にとっては面倒な事になるのは目に見えている。
「まあ、いろいろ大変になると思うから、薬師寺さんここにいた方がいいですよ」
「あたしも行く。数の暴力……!」
薬師寺は民主主義が気に入ったらしい。
辰樹はうんざりといった具合で深く息を吐くと、食堂に入って行った。
「ほんとは、見て見ぬふりしたいんだけどな……」




