1-①
「さあて、どうしたもんですかねえ。これ」
空が高いな、と。辰樹はゆるく雲が流れる青空を見て呟いた。
現代日本では高層建築物が多すぎて閉塞感があり、青空が失われているとか言う者がいるらしいが、そんな事はないだろうと思うのだ。
空は空だ。色は青、雲は白く、時折灰色や黒に変わり、晴れていれば太陽があり、薄っすらと月が見えていたりもするだろう。
それはたとえ異世界でも変わらない法則だった。
そう、異世界だ。
「……なんか、来ちゃいましたよ。異世界」
辰樹はもう一度呟いた。
小さな村の大きな宿屋。そこのやらぶき屋根に身を横たえて、頭に腕を回し、のんびり空を見ながら……。
◇
異空間に隔離された教室でキャラクターメイクを終えた3-Cクラスメイトたちは、女神の力によって異世界へと転送された。
その転送場所、ゲームでいうところの開始地点が、この小さな村外れに位置する大きな宿屋だった。
ゲームの開始地点となる場所が、大きな国の大きなお城の王座の間ではなかった事に、少々面食らったクラスメイトたちも居たようだ。
気の良さそうな老夫婦が営むこの大きな宿屋は、この小さな村にしては不自然に大きい施設だ。
まあ、クラス30人の寝床として設定されているのなら、それも頷ける事ではあるが。
宿の名前は“のたうつ牡鹿亭”。牡鹿、いったい何があった。箪笥の角に蹄でもぶつけたのだろうか。
今は辰樹と別行動を取っている東が宿の店主である老夫婦から聞いたところによると、大昔に大規模な戦争が起きた際には、この村の宿に多くの兵士が駐留したのだという。
どれくらい昔かというと、魔王がその力を振るっていた時代だそうだ。
魔王だ。女神の言葉が思い出される。攻略目的にして帰還方法は“魔王を倒す”事だと。
さっそくその魔王の情報が出て来たかと思えば、老夫婦たちは魔王の事をよく知らないのだという。
身動きが取れる他のクラスメイトたちが村中に聞いて回ったところによると、この世界の魔王という存在は、大昔に既に英雄によって討たれていて、今では半ば御伽噺のようなものとして扱われているのだという。
この異世界の大地は、長らく平和な時代が続いているのだ。
倒すべきラスボスが大昔に討たれているとは、いかなる事か。
一部のクラスメイト、特にゲーマー勢が打ち出した暫定の意見は「魔王、復活するんじゃね?」というものだった。
平和の世に、力を失ったはずの邪悪な勢力の復活。
よくあるファンタジーという感じがして来た。
かと言って、魔王が具体的にいつ復活するかなどは判然としない。
それを、これから調べて行かなくてはならないのだ。
「……調べなきゃ、なんないのかなあ」
独り言をぼやく辰樹の口調は、どこまでもやる気なさげだ。
気力が失せる理由は数ある。
このファンタジー村には日本人がクラスメイトくらいしかいない事(宿屋の老夫婦は、辰樹的にはなんとなく大丈夫だった)、クラスメイトたちに纏まりがなくばらばらな事等だ。
特に後者はひどい。一部のクラスメイト、不登校組の生徒などは引きこもって部屋から出てこないし、そうでない者たちも方々好きな事をやり始めてしまい、まず一箇所に集まろうとしない。
すでに村を離れて別の場所へ旅立ってしまった者すらいるのだ。
そんな中、委員長の遠江が何とか指揮取りして何とかクラスを纏めようとしているが、着いて来るのはゲーム勢の一部と、主体性なく誰かに従っていたいと考えるような面子だ。
辰樹としては様子見だ。
こうして屋根上からクラスメイトたちの動きを見守っているのだが、そろそろ自分の身の振り方をどうするか決めねばなるまい。
正直なところ、辰樹自身も引きこもり勢に混じって宿に籠ってしまいたい気持ちだった。
村には異世界人の方々が溢れているし、得られた情報を纏めると、この世界には日系人のような人種はいないのだという。
これでは村の外へ脱出したところで逃げ場がない。他の村へ行こうが街へ行こうが、辰樹にとって安息の場所は得られないのだ。
かと言って、攻略に参加せず腐っているだけではいつ帰れるのかも定かではない。
この世界から一刻も早く去りたいのならば、攻略に乗り気なゲーマー勢や委員長たちに交じって力を振るうのが得策だという事はわかっている。
引きこもっていても合理的ではない、そう頭ではわかっているのだ。
「……わかっちゃいるんだけどなー」
まるで、宿題をしなければならないのにやっていない、といった雰囲気を出している辰樹ではあるが、実情はそれをはるかに超えて深刻だ。
頭では動かなければとわかっていても、身体がそれを拒否するのだ。
先の、教室でのミリアムとの邂逅を思い出す。
体が石のように固まって、全身の水分が逃げ出さんばかりの発汗があった。
土地や人から遠く離れて、半ば克服したつもりになっていたが、それは「つもり」になっただけだったのだ。
この世界にいる限り、この難儀な体質を思い知らされながら生きて行く事になる。それは御免だ。
「……俺自身動かずに、みんなを裏から操る黒幕ポジションとか、ありなのかなー」
「辰樹ちゃん、黒幕するの?」
突然降りかかった声に心臓がぎくりと跳ねて、発作のように動悸が乱れる。
吃驚した辰樹が思わず屋根から落ちそうになると、屋根裏部屋に続く窓からこちらを伺っていた人物が慌てて屋根に移ろうとして、わたわたと動く。
しかし、その動きが何とも覚束なくて危なっかしいので、辰樹も慌てて自分が大丈夫である事をアピールする。
「薬師寺さん? もう部屋から出ても大丈夫なの?」
屋根裏部屋から屋根へと出る窓、そこから上半身を覗かせていたのは、不登校組のひとり、薬師寺美春香だった。
彼女もまた、この異世界に召喚されてからしばらくの間、部屋に引きこもっていた勢のひとりだった。
今の彼女は、僧侶のクラス装備である若草色の法衣と、キノコの傘のような大きな帽子姿だ。
手に持っている樹の杖からは数本の枝が伸びて葉を付けているいる。
薬師寺は僧侶の中でも自然信仰の属性を強く取得しているのだろうと、辰樹はキャラクターメイク時に閲覧したデータの記憶を頼りに判断する。
そう言う辰樹の方も、今は朱色のレザージャケットに茶色いレザーのズボンと言った装いだ。
戦士クラス、それも軽量級の初期装備であり、武器や防具などは“装備している扱い”となって、転移時に手にした巻物の中に収納されているのだという。
よじよじと、窓から屋根へ這い出て来た薬師寺は、覚束ない動きながらも辰樹の隣に並ぶ。
辰樹としては、いつ落っこちるかわからない小柄な女子が隣りに出現した事と、そもそも女子が隣に並んだ事と、二重の意味でどきどきだ。
「もしかして、辰樹ちゃんは雪枝ちゃんから逃げてきたの?」
「ゆきえ? ……って誰です?」
「あ、辰樹ちゃんひどいんだー。クラスメイトの名前覚えてないなんてー」
「ぶっちゃけ興味がなかったもので」
「もー。クラス委員長の遠江雪枝ちゃんだよ?」
ああ、委員長かと、辰樹はうんうん頷きながら気のない返事をする。
クラス委員長の顔は何となく覚えてはいる。
この世界に来る前に、東と話していて話題に挙がっていたからだ。
しかし、辰樹はそれ以上委員長である遠江という少女の事を何ひとつ知らなかった。
「雪枝ちゃん、宿に残ったみんなを集めてこれからの作戦会議したかったみたいなんだけど、あんまり人が集まらなくて、ちょっとぷりぷりしてる見たいなの」
「……ああ、そう言えば、昨日の夜にそんな話してた……。してた、かな……?」
委員長の遠江は、異世界に飛ばされてきた3-Cの面々を纏めようと躍起になっていた。
辰樹のところにも協力してくれと言いに来たのだが、その物言いというか、態度というか……。
それが、辰樹は気に入らなかった。
「……なんというか、協力するのが当然というか、真面目にやれとか。まあ、おっしゃる通りって感じなんでしょうけど……。委員長っていう肩書に責任感じてるのか、言葉がきついんですよね。せっかく善意で協力しようとしているやつだっているでしょうに……。そういうやつらを全員敵に回しかねない、ひどい物言いでしたよ……」
一応、宿に残った面子の中では、クラスのゲーム大好き勢の他、数人のクラスメイトが遠江に協力的と行動を共にしていた。
しかし、昨夜の委員長たちと会った時の雰囲気は、あまり思い出したくはない。
明らかに余裕を失くした委員長と、それをなだめる事も諭す事も出来ず、かと言って放って置く事も出来ないお馬鹿コンビたち。
3-Cというクラスは元より居心地のいい場所とは言えなかったが、以前の、あの薄暗い教室の方が遥かにマシだったと思えるほどに空気が悪化していたのだ。
せめて委員長が落ち着きと余裕を取り戻して、冷静になってみんなの話を聴けるようになれば状況も変わってくるのだろうが、見たところそれどころではない。
逆に、その余裕の無さや悪感情が他のものにまで伝播して悪循環を引き起こす流れだ。
こういった状況からは距離を取るに限ると辰樹は考えていた。
良きにしろ悪気きにしろ、何か助言したり動いたりするには、人も事態も落ち着きを見せるまで待った方がいい。
そんな奇跡的な状況が、これから巡って来るとは到底思えないのだが……。
「おや。という事は、そういう薬師寺さんも委員長のお小言から逃れるために引きこもりに?」
「んー、そういうわけじゃないんだけどね? ……でも、いつまでもお部屋でキノコになってたら、いけないからねー。せっかく異世界に来たんだから、たくさん体動かさなきゃね。元の世界にいた頃は、病室に籠りっきりだったから……」
どこか遠い目をして言う薬師寺に、辰樹は掛ける言葉を探す。
黙って頷いていればよかったのだろうが、どういうわけかこの時は、隣に座った年上のクラスメイトの事情を聴かなければならないと考えたのだ。
「薬師寺さん、ダブってたって言ってたけど、病気かなにかですか?」
「うん。ちょっと難しい病気。一年と二年は何とか出席日数足りたんだけど、去年の夏に体調崩しちゃって、それからずっと病院だったの」
「今は何ともないんですか?」
「この世界に来てからは、ないよ? 逆に身体の調子がいいくらい!」
腕をL字と逆L字に曲げて元気をアピールする薬師寺だが、辰樹としてはこのちっこいのが体勢を崩して屋根から落ちないかどうかの方が心配だ。
しかし、と辰樹は考える。女神による不足が多い説明によると、ゲームのプレイヤーたる辰樹たちは、この世界で死ぬ事がないらしい。
正確には、HPが0以下となり戦闘不能状態となった場合、キャラクターであるこの身体が消失して、神殿で再出現するのだという。
ちなみに神殿というのは村や町に必ずひとつはあるもののようで、この村はずれにも小さなものがあったとクラスメイトたちの話で耳にしていた。
ファンタジーRPGにはお決まりの仕様というわけだ。
持病に悩まされているはずの薬師寺が調子が良いと言っているのだから、女神の用意したゲームシステムはそういった不調を中和する機能でもあるのだろう。
……まあ、どう死んでどう生き返るかとかは、実際そうなってみないとわかんないけどね。
元の体感とほぼ同質のこの体で自傷自害を決行するような蛮勇は、辰樹にはない。
とはいえ、これはファンタジーRPG風の世界観を舞台にしたゲームだ(だという)。
わざわざ戦士なんてクラスまであるのだから、モンスターと戦う場面も出てくるだろう。
攻略に積極的に参加するのならば、死を体感する場面がこれからいくらでも出てくる。
だから、その時になるまでなるべく怪我したり痛い思いはしたくないなー、というのが辰樹の内心だった。
そもそも、怪我も死にもせずに攻略完了できるのならば、それに越したことは無いのだから……。
ただそれも、こうして無目的に空など見上げている時点での感想なので、これからどう変わるかはまた別の話だ。
もし仮に、隣りで小さな身振り手振りで精いっぱいはしゃいでいる年上のクラスメイトが危険な目に会うような場面があれば、果たして自分はどう動くだろうか。
実際、この薬師寺という少女は、クラスメイトではるのだが、昨日今日会ったばかりの赤の他人だ。
一緒にこの異世界に飛ばされたとはいえ、元の世界に返るために、薬師寺というクラスメイト個人の協力が必ずしも必要かと言われれば、否なのだ。
生徒たちのクラスが4タイプに分かれているという事は、各クラスが必要不可欠になる場面が必ず出てくるという事だ。
辰樹は戦士、薬師寺は僧侶。組み合わせとしては被っていないが、何も僧侶のクラスを選択したのは薬師寺だけではない。
僧侶クラスを取得した他のクラスメイトと手を組む事にすれば、薬師寺と積極的に関わる必要もなくなるのだ。
「……あたしって、やっぱり面倒くさそうに見えるかな?」
薬師寺の突然の問いに、辰樹の思考がぴたりと停止する。
見れば、薬師寺は表情を消した顔で、まっすぐ辰樹を見ていた。
別に、辰樹自身は薬師寺を特別遠ざけるような真似をする気はなかったのだが、隣りにいた事で一例として考えてしまっていた。
彼女はそれを悟って、自分の病気と照らし合わせて考えただろうか。
自分の存在が他人の迷惑になっていると、そう感じただろうか。
「面倒かな」
辰樹の口から出てきた答えは、包み隠さず飾らずの本心だった。
言葉に出した後で「しまったー」と力が抜ける思いだったが、吐いた言葉は戻せないとばかりに開き直って、考えている事を順に述べていく。
「……自分ひとりの事を決めるのに精いっぱいだから、誰かの事まで考えて、それで面倒見てる余裕なんてないですよ」
実際に自分がこれからどうするかでさえ、決められずにいるのだ。
取りあえずこうする。
当面の間はこれで行こう。
誰と協調し、誰に取り入るか。
もしくは誰を突き放すか。
……考えただけでも面倒になる。
互いに手を取り合って、などと都合の良い事態になるのならば、異世界初日からクラスメイトの幾人かが書置き残して旅立つなどあり得ないだろう。
そんな中で、隣りに来たこの小柄な年上のクラスメイトの事まで面倒見るなど、辰樹には考えられなかった。
「辰樹ちゃんは正直でよろしい! お姉さんはそういう正直な子は好きだよー」
だが、面倒だと言われた薬師寺は怒るでも悲しむでもなく、笑って見せた。
極々普通だとい言わんばかりの反応に、辰樹は怪訝な顔で薬師寺の顔を覗き込む。
この笑みは強がりか、本物か。
薬師寺美春香という少女の事をよく知らない辰樹には、この笑みの正体がわからない。
「……薬師寺さん、そういう、好きとか軽々しく言っちゃうと、男は勘違いしちゃいますよ?」
「勘違いするの? 本気にはしないの?」
辰樹は息が詰まり、いやな汗が噴き出て来る感触を覚えた。
なんだこれは。
なんだこの駆け引きは。
知らないうちにラブコメが始まっている気がするのだが、いったいこれはどうした事だ?
この薬師寺という少女は、都合の良い寄生先を探しているだけなのではないだろうか。
そんな失礼な考えが口から出そうになった頃、薬師寺当人が「そんな事よりー」と話の腰を折った。
どうやら本気ではなかったようだ。
「辰樹ちゃんは、一真ちゃんと一緒に行動するんじゃないの?」
「あいつは、あいつですよ。一真のやつは、今は方々そこら中走り回って、みんながどう動くのかを見て回ってると思いますよ。自分がどう立ち回るかの基準つくり、みたいな?」
異世界に来てからの東の動きは迅速だった。
宿屋の食堂でたむろするクラスメイトたちを俯瞰で眺め、誰がどう行動するのかを離れた位置から観察し続けていたのだ。
同じ様子見にしても、辰樹とは一線を画す。
東の行う観察は、最初から自分も動く事を前提とした観察なのだ。
今の辰樹状態、動こうか否かといった次元の様子見ではない。
「人の事ギャルゲ主人公とか言っておきながら、実際主人公っぽいのあいつの方なんですよ」
「仲良いんだねー」
「はい?」
笑顔でそんな事を言ってくる薬師寺に、辰樹は身体の力が抜けていくのを感じる。
別に魔法をかけられているわけではない。
これが「毒気を抜かれる」というものかと、勝手に判断して納得した。
「だって、そんな世渡り上手な一真ちゃんが、いっつも一緒にいるのが辰樹ちゃんなんだよね」
「いや、席が前と後ろってだけっすよ?」
「本当にー?」
「ちょっと、お姉さん? そういう目で見るのやめて下さいよ? ……あ。薬師寺さんもしかして、腐属性のお方?」
「嗜む程度に」
「貞淑で素敵でーす」
笑い事ではないのだが若干笑ってしまった。
誤解されたままでも別に実害はないのだが、吹聴されて二次災害など御免なので、一応自己弁護しておく必要があるのかもしれない。
辰樹はため息と共に弁明を始める。
「ええっと、まあ。薬師寺さん。俺って、どう見えます?」
「はい? どうって?」
今までわくわくと輝いていた薬師寺の目が点になる。
「まあ、3-Cの噂って聞いてるかどうかわかんないけど、俺もそんなクラスに放り込まれるレベルの問題児って事なんですよね」
「ん? んー?」
「まあ、いろいろ動くかどうかって段階になったら、いろいろ納得してもらえると思いますよー」
「はあ」と。きょとんとした返事の薬師寺から視線を外し、辰樹は空を見上げながら自己弁護を続ける。
「一真が俺の近くにいるのって、ストッパーの役割もあるんですよ。面倒事に巻き込まれて、巻き込み返して、取り返しがつかなくならないようにするためのストッパー。あいつ、何だかんだで仲裁者や調停者みたいなやつでもあるんで……」
「んー? それって、辰樹ちゃんが実はとっても悪い子で……。一真ちゃんが、辰樹ちゃんが悪い事しないように見張ってるって事?」
「あ。だいたい合ってますよ」
「黒幕したいって、言ってたもんねー」
「……実際に俺、頭脳労働系じゃなくて、斬り込み役なんですけどねー」
端から見れば和やか雰囲気で話しているように見えるかもしれないが、会話の内容が殺伐としてきた。
部分部分を中途半端に聞き耳を立てられていたら、あらぬ誤解を招くかもしれない。
まあ、もしも他人の話に耳を傾ける余裕がある人物であればの話だ。
「まあ、そんな一真もこれからどうするかは自分で決めるだろうし、それまでには俺もどうするか決めなきゃだですね。一緒に行動するかどうかは別としてね。……それより、薬師寺さんはどうするの?」
「美春香でいーよ? あ、呼びにくいかな。『みはる』と『はるか』の合体みたいな感じで」
「あーいや、呼びにくいとかじゃないけど、年上だし知り合ってまだ時間もそんなに経ってないしで……」
「気にしなくていいのにー。……あたしはねー。いろいろやりたいかな。やっと学校復帰できたと思ったら、異世界じゃない?」
ガーデニング、旅行、お料理と、薬師寺は自分のやりたい事を指折り数えていく。
もしかしたら、「退院したらやりたい10の事」のように、リストをつくって入院生活を送っていたのかもしれない。
「それとね、ちゃんとクラスの行事にも参加したいの。修学旅行とか、体育祭とか学園祭とか、あと合唱コンクールもあるよね」
「……なんか異世界で、修学旅行の予行演習みたいになっちゃましたけどね」
「辰樹ちゃん、丁寧語とか使わなくていいんだよ? 美春香さんにはタメ口でよろしいのです。……そうだねー。修学旅行みたいだよね。すごくわくわくしてるよ? ……あ、あと。それからね……」
ちゃんと、みんな一緒に卒業したいよね。
薬師寺が何気なく告げた言葉は、辰樹の臓腑に重く落ちてきた。
腹の底からじわじわ来る感情を抑えるようにして息を詰めると、屋根の下が何やら騒がしい事に気付く。
「あ、朱門殿ー! 助っ人! 助っ人要請で御座るよー!」
辰樹が薬師寺と一緒に屋根の縁から下を覗き込むと、お馬鹿コンビの片割れでゲーマー勢のひとり、御座る口調の陣内信行が両手を振っていた。
御座る口調の使い手なので、てっきり盗賊職を選んで忍者のようなスタイルになるのではないかというクラス大半の予想を裏切り、陣内は群青色の魔法使いのローブ装備に身を固めていた。
「信行ちゃん、どうしたのー?」
「おお、薬師寺殿も一緒で御座ったか!? ……さては、ふたりで青春的密会で御座ったな!?」
「えへへ、あたりー」
なんだ、青春的密会って。
ぬおおおと、嫉妬に満ちた叫びを上げて地面をのたうちまわる陣内を面倒くさそうに半眼で睨みつけた辰樹は、隣りで得意げな顔して照れている薬師寺にも同じような目線を送った。
全然反省する様子もないところを見るに、愉快犯で確信犯だなと、辰樹は結論付ける。
あまり関わり合いになりたくないタイプだとも……。
「それより助っ人って、何があったのさ。村の中にモンスターでも出た?」
辰樹の問いで、陣内はハッと我に返り、跳び起きて両手を上げる。
「ちょっと、喧嘩というか、諍いで御座るよ! 委員長殿と御堂殿で御座る! 仲裁に入れる御仁が居られぬので、義友と人を呼びに行くところで御座った!」
「いや、自分で仲裁に入ろうよ」
半眼の温度を下げて陣内を睨む辰樹は、隣りの薬師寺が袖をくいくいと摘まんでくる感触を覚えた。
見れば、不安そうな、とまでは言わないが、「ちょっと困りましたねー、お兄さん?」といった表情を薬師寺が向けてくる。
よろしくない。非常によろしくないが、2対1だ。民主主義には適わない。
辰樹は深く息を吐くと、隣りの薬師寺に窓から中に入るように言って、自らも屋根裏部屋に戻って行く。
とりあえず様子だけ見よう。
そう考えて現場に向かったのが間違いだったと、辰樹は後々後悔する事になる。