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神蝕世界の攻略者  作者: アラック
第1章 “のたうつ牡鹿亭”にて
26/29

4-④

『マジで御座るかー!? 異世界初エンカウントで御座るよー!!』

『ずるいで候ー! 実況! 実況希望で候よー!!』

「うるっせえ! こっちはそれどころじゃないんだよ!? 黙ってさっさと合流しようよ!?」


 はしゃぐお馬鹿コンビに思わず怒鳴り返してしまった辰樹だったが、それが難しいであろう事は理解していた。

 裏山に入る前の中間連絡では、クラスメイトたちはまだ田んぼから引き返す準備を終えたばかりだと言っていた。

 たとえ誰かが<早駆け>スキルを取って加速したとしても、こちらに合流するまでにはかなりの時間を要する。

 合流を待つならば、子供たちを庇いながら、目の前のバジリスクを牽制しなければならない。


 とはいえ、バジリスクの方はまだ完全体と言える状態ではなかった。

 まだ瘴気で形作られた肉体が完全に定まっていないかのように、羽先や足先が黒く揺らめいている。

 おそらくだが、この揺らめきが収まり形が定まった時点で、ようやく動き出すのだろう。


 ……だったらさ、一目散に逃げちゃった方がいいよね。


 辰樹の頭の中ではすでに逃走の2文字が浮かんでいた。

 未知の敵を前にして、しかも背後に子供たちを抱えているという理由もあるが、何よりもモンスターと遭遇したのはこれが初めてではない。

 夜練の最中にクレイゴーレムの一団に襲われた事を思い出す。

 あの襲撃と今回の“これ”。

 関連性は見えず、同一人物の仕業と言う線は薄いだろうと辰樹は踏んでいる。

 しかし、クレイゴーレムの主がこの様子を見ている可能性もあるのだ。

 ならば、敵対するかもしれない人物に余計な情報を与えたくはない。

 恐らくは夜練組も同じ考えていてくれるだろうと考え、若干名そうでもなさそうだなと苦笑い。


 そんな辰樹に身を寄せて来たのが栄だ。

 バジリスクを見る横顔は険しいながらも口角を上げた表情で、それは辰樹の知る限りでは“好戦的”や“戦闘狂”といった類のものだったと思う。

 嫌な予感に背中に汗をかくが、その予感は見事的中する。


「――で? あれをどう倒す?」

「え、倒すの? 逃げるんじゃなくて?」

「あいつ野放しにしても、追っかけてくるか一箇所に留まるか、それとも時間で消失するのか全然わかんないじゃない。データを取る必要があるわ。けど、今はお荷物が居るんだから、倒す方向で行くでしょ?」

「だから、お荷物がいるのになんで逃げる発想にならないかな……」

「あたしひとりだけだったら、ガキンチョ連れて逃げてたわよ。でも今は、あんたが居る。ここに戦士と魔法使いが居る。欲を言えば僧侶も欲しかったところだけど、戦う条件としては充分じゃない?」

「……栄って、ソロプレイヤーじゃなかったっけ?」

「出来ればソロで攻略したいけど? でもそれじゃ、ゆくゆくは手詰まりになるって、キャラクターメイクの時点でわかりきってるのよ。でも、ソロで出来るところまでは、意地を張りたいわけよ」


 ソロに拘るのはゲーマーとしての性か。

 笑みを深くしてバジリスクに臨む栄の姿に、辰樹はわからんなあと天を仰ぎ、そして知らんがなと視線を逸らす。


「このバジリスクだって、あたしひとりで相手したかったけど、どうやらそうも言ってられない。どう見ても雑魚敵って感じじゃないし? それに、競合するところは競合するっていうのも大事だし」

「確かにしょっぱなから大物だけどさ……。まさかこの世界のモンスターって、全部こんな大物ばっかりなんじゃ?」

「……だったら、あたしも自分に見切りを付けなきゃね。でも、今日のところは競合するわ。いいわね?」

『……あーあー、てふてふ、てふてふ。……おふたりでよー、盛り上がってるところよー、申し訳ないんだけどよー、東だよ? 田んぼから帰還組で、俺とトラさんがそっちに向かうわ。<早駆け>取る余裕があったの俺らだけだし。そんで、遠江とか寒河江が、戦闘モニタリングしたいってよ。なんか弱点とか、倒すヒントくれるかも』

『遠江よ。そういう事だから朱門くん、ストーンの設定をRECモードでお願い。もうすぐ私の使い魔もそっちに向かうから、それまででいいわ』


 注文が多いなーなどと聞こえないように愚痴りながら、辰樹はストーンを皮鎧に増設した胸ポケットに納める。

 先ほど薬師寺に石版の模様を送った時の様に、対象をストーンの表面に映し出すことによって画像や映像を得るという機能だ。

 女ふたり旅組の水沢がカメラ機能の増設を熱望し、つい先日実用段階にこぎ着けたばかりだ。

 隣りの栄も辰樹の動作に倣ってREC機能を試している。


 辰樹と栄が準備を終える頃には、バジリスクもいよいよ実体化を完全なものとしていた。

 石版が砕け姿を現したバジリスクは、明るさが陰った空に向けて頭を上げて、長く大きく鳴く。

 朝に鳴く鶏のような鳴き声ではない、金属を力任せに引き裂いたような耳障りな音だ。

 辰樹たちの背後に退避していた子供たちが、両手で耳を塞いで苦しそうにしている。


 ……すごい頭痛くなるような声だけど、それだけか? これ、バッドステータス入りそうな何かじゃないのか?


 自身も盾を翳して異音を防ごうとしてた辰樹は、この鳴き声そのものに何か特殊な効果が付与されているのではないかと睨む。

 栄の方は片耳を塞ぎながらも次の動きを決めていたようで、短い杖を手の中で一度回し、その先をバジリスクに向ける。


「――<消音>」


 呪文だ。

 エコーを掛けたような栄の声が、どこか別の世界の言葉を紡ぎ、魔法が起こる。

 バジリスクの鳴き声はテレビの音量を下げるようにして消失してしまう。

 他のクラスメイトの魔法を目の当たりにして小さく感嘆する辰樹は、栄が魔法の成功にちっとも喜んでいない事をその横顔から知る。


「効果の持続時間は5分もないわ……。ガキども! 動けるならさっさと村に戻れ!」


 栄が叱咤するように言うと、子供たちは一目散にその場から逃げ出した。

 だが、その動きがバジリスクの目に留まる。

 自分の鳴き声が聞こえなくなっている事を気にもしないバジリスクは、動きを見せた子供たちの方を首を曲げてぎょろりと見ると、浅い羽ばたきと共にそちらへ駆けだした。


「だあ、もう、鳥頭って事なのか!?」


 辰樹は子供たちとバジリスクの間に割って入り、振り下ろされた鋭い蹴爪を盾で受け止める。

 みしりと繊維を潰す音がして、盾の淵が蹴爪の掴むままにひしゃげる。

 盾を放棄して距離を取ろうとするが、バジリスクは盾を掴んだまま軽快に羽ばたいて、辰樹の体を軽々と引っ張り上げた。

 両足が地面から離れ、体が浮いてバランスを崩した辰樹は、その不安定な体勢から半剣を振ってバジリスクの足を斬り付ける。

 苦し紛れ、それでも<強撃>を乗せた力技だったはずだが、巨大な鶏の足から返る感触は硬く、音はまるで金属でも叩いたかのようなものだった。

 心の中に、焦りが注がれる。


「おいおいこれ、もしかして今の装備じゃ無理なんじゃないのか……!」


 バシリスクは片足で着地すると、羽ばたきでバランスを取りつつ、辰樹を放り出した。

 ぬかるんだ地面に倒れた辰樹の元に、すぐに嘴での突きが振り下ろされる。

 転がって嘴を躱した辰樹だが、身を起こそうとしてもぬかるんだ地面ではバランスが取り辛い。

 身動きに難儀している間にも、嘴の第二派は迫る。

 駄目元とばかりに盾を構えた辰樹だったが、バジリスクは自らバランスを崩して、堆積した土砂の山に倒れ込んでしまった。


「このぬかるみだと、あっちの方も動きづらいみたいね」


 身を起こした辰樹の元に、栄が杖を構えながら駆け寄って来る。

 次の呪文を用意して、後はそれを撃つだけといった具合だろう。


「待った! こっちに来るな!」


 だが、栄が駆け寄ってくるのを辰樹は右手を上げて制止する。

 ムッとした顔で足を止めた栄は、辰樹が片膝で立っている周囲のぬかるみが変色しているのに気付き、ハッとする。


「……たぶん、蹴爪の毒か何かだ。……やばい、俺も毒もらってる」


 紫の毒々しい色に変じた泥濘から抜け出した辰樹が盾を放り落とすと、その左腕が泥濘と同じ紫色に変色し始めていた。

 変色の他には強い痺れがあり、指先や肌の感触が完全に死んでいる事を自覚する。


「ちょっと、解毒剤は!?」

「ないねえ……。そもそもモンスターとの遭遇戦なんて想定してないし、事前準備もぜーんぜん?」

『辰樹ちゃん毒!? 毒もらったの!? こんな事もあろうかと、お春さんが調合した毒消しアイテムスロットに送るよ!?』

「ありがたいですねえ……。ありがたいけど、使ってる暇ないかも」


 左の上腕をベルトで縛って毒の回りを抑えようとする辰樹は、バジリスクが羽ばたきと共に体勢を立て直す姿を見て、じりじりと後退する。

 後ろをちらりと見やれば、子供たちはこちらを気にしながらも、だいぶ距離を取ったようだ。

 これで、バジリスクだけに意識を集中できる。

 というか、集中しなければ再び蹴爪を食らって、今度こそアウトだ。


「――バッドステータスは入ったみたい。ストーンにて確認。けど、今のとこHPの減少は無し。ダメ元でやってみたけれど、毒の周りを遅らせる措置はちゃんと機能してる。バジリスクに対して盾の防御はほとんど紙同然、半剣での<強撃>はほぼ効いてない、手ごたえ無し。部分でのダメージの入りやすさは、まだわかんない……」

「――魔法に対する抵抗能力は、たぶん無し。<消音>が簡単にかかった事が根拠。<催眠>の呪文で眠らせてしまいたいところだけど、動きがとまってくれないと、ちょっと難しい……」


 鶏そのものの動きで迫ってくるバジリスクからバックステップで距離を取りながら、辰樹と栄は交戦した手ごたえを口にしてゆく。

 おそらくストーンを通じて状況を見聞きした遠江や寒河江が記録しているだろう。


「動き止めればいけそうなの? <催眠>の呪文だっけ?」

「そう、スリープ。相手を眠らせる呪文。眠ったところに首でも心臓でもざっくり。……だけど、動き回られると狙いがそれるかも。<消音>の時はバジリスクがとまっていたから何とかなったんだし……」


 そう言って栄が横目で見てくるが、辰樹は気付かないふりをしてバジリスクに視線を固定する。

 これで「それで? 俺はどうすればいい?」などと聞いたら、バジリスクを足止めする係に任命されるに決まっている。

 毒の進行を遅らせるか、さっさと解毒剤を試したいところだというのに、これ以上前衛職の役割を任されるのは御免こうむる。


 そんな辰樹の素振りを無視するように、栄は「それに……」と懸念を口にする。


「尾の蛇が気になるわ。あれ、バジリスクが出現してから今まで、何も動きを見せてない……」


 栄の言うとおり、バジリスクの尾の蛇は、未だ目立った動きを見せていない。

 本体の鶏が辰樹を攻撃する際もただの尾として揺らめいているだけだったし、蛇の頭部は眠っているかのように目に光がない。

 本当に眠っているのかもしれないが、そうだとすれば“起きる”瞬間が必ず来ると言う事だ。

 是非ともこの危機を乗り越えるために、蛇の方には眠ったままでいて欲しいと願う、辰樹の表情は渋い。


「……蛇かあ。苦手なんだよね」

「朱門って爬虫類苦手な人類?」

「苦手苦手、超怖い。俺、小学校に上がる前さ、親父に連れられてアフリカ行った事あるんだけど……」

「――何? 海外旅行自慢? 海外どころかお隣の県がせいぜいの、私に対する嫌味か何か?」

「捻くれるの止めなよ。修学旅行でいいとこ行けるよきっと。異世界にも来ているんだしさ? ……でさ、ガイドの人が毒蛇に噛まれて痙攣して死んだ、目の前で。マンバ超怖い」

「……それ、怖いっていうか、完全に立派にトラウマじゃない……」


 微妙な間が出来たが、バジリスクの鳴き声が復活した事で嫌でも意識が引き戻される。

 先ほどのような耳障りな鳴き声ではなくなったのが幸いだろうか。


 機敏な動きを見せるバジリスクを足止めする方法はないか。

 栄は用意している呪文リストを改めて浚うが、有用なものはなかったようだ。

 舌打ちするのが聞こえたので、てっきりイラついているのかと思ったが、栄の顔は笑みを浮かべたままだった。

 この状況を楽しんでいるのだ。


「<催眠>とか<暗幕>みたいな呪文は当たりさえすれば一気に形成逆転出来るけど、動いている相手に掛けるにはリスクが大きい。バジリスクの方は勝手にすっころんでくれるけど、起き上がるのも早いし……、動きか小刻みで狙いが付けにくい……!」


 幾度かバジリスクに杖先を向ける栄だったが、バジリスクの動きが不規則過ぎて呪文を放つのを躊躇っているようだ。


「魔法って、そんなに狙い付けにくいの? 撃ったら当たるくらいのレベルじゃなくて?」

「基本は座標に対して撃つようなものだからよ。対象に誘導するスキルはある事にはあるけど、私の組み方は手数と種類重視だったから、取ってないわ。ひとりで攻略する以上、基本不意の一撃で勝負を決めるスタイルだったから……」


 こうして、モンスターと真っ正面から向き合ってしまったのが失敗だった、というわけか。


「……そんなこと言われてもさ、俺は軽戦士級だからバジリスクの足止めするのは難しいよ。毒もらってるし。それに、バジリスクも盛大にずっこけてくれてるけど、俺もこの足場じゃ、好きに動けないからな?」


 せめて、ここにいるのが軽戦士級の自分ではなく重戦士級の男鹿だったらと、辰樹はバジリスクから注意を逸らさずにひとりで愚痴る。

 噂をすれば、というわけでは無いのだろうが、その男鹿から着信が入った。


『朱門、足場の問題はスキルで解消できるはずだ。フリースキルの中に<特殊地形戦闘>っていうのがあるんだ。戦士クラスなら少ないポイントで取得できるぞ』


 なるほど、と頷いてストーンを手に取りそうになる辰樹だったが、ふとその手がとまる。

 そのスキルを取ってしまえば、足止め係、確定ではないのか。

 栄の方は「しめしめ」と薄く笑みを浮かべていた。

 時間稼ぎのためか、使い魔の白カラスをバジリスクの視界を塞ぐように羽ばたかせる。

 お膳立てはしたぞ、と得意げな顔が横目で見てくるのが恨めしい。


 というか、使い魔で目くらましが出来るのならば、そのまま呪文を使えばいいのではないだろうか。

 辰樹は考えを務めて口にしないよう気を付けながら、まずは薬師寺の解毒剤を試す事にする。

 アイテムスロットから取り出した解毒剤は、笹の葉のようなもので包んであった。

 てっきり凝った装飾のビンに原色の液体が入っている物を想像していた辰樹は、うっと息を詰めて動きを止めた。

 掌サイズの包みを開くと、入っていたのは紫色をした粉末が少量だ。


「……ちょっとお春さん? これ粉末なんだけど、飲めばいいの? 塗ればいいの?」

『あ、辰樹ちゃんごめんごめん、説明してなかったね! 飲んでも塗っても大丈夫だよ!』

「アバウトだなあ……。というか、粉末? 苦くない? オブラートとか欲しいよ」

『辰樹ちゃん案外子供舌だよね? あと粉末なのは、揮発したり劣化したりする液体よりは、場所も重さも取らないし、持ち運びも保管もばっちりなんだよ! お水があれば希釈出来るもんね!』


 何か忍者の技みたいだなと、薬師寺の説明を片耳に聞きつつ粉末を口に含むと、しびれるような苦みが生じ、舌奥に残留する。

 効果はと言えばてき面と言うべきか、ストーンの表示上からは毒のアイコンが消え、腕の変色も元に戻った。

 しかし、毒を受けてしびれた感触はそのままで、左手の感覚がない。

 これでは槍や弓に切り替えて戦う事は出来ないなと、手段のいくつかが潰れてしまった事に口をへの字に曲げる。

 栄が顔を手で覆って体を折る姿が目に飛び込んできたのは、ちょうどその時だった。

 バジリスクの方も、白カラスが力を失ったようにぬかるみに落ちて行く。

 目を離した間に何がと、バジリスクに再び視線を向けて、辰樹は起こった以上の正体を知る。

 尾の蛇が鎌首をもたげ、その双眸を爛々と光らせていたのだ。


 まさか、石化の魔眼か。

 最悪の可能性を考える辰樹だったが、栄や使い魔が石になるような事はなかった。

 尾の蛇が使い魔に何かしらの攻撃を行った際、使い魔と視覚を共有していた栄にもダメージがフィードバックされたと考えると自然だろうか。


「栄!? 大丈夫か!?」

「くっそ、ちっくしょう……! 目が、開けられない……!」


 悔しそうに歯噛みする栄は片手で目元を押さえ、もう片方の手で落としてしまった杖を探す。

 しかし、栄の手が杖に辿り着く前に、バジリスクがぬかるみに足を取られてバランスを崩しながらもこちらへ迫って来ている。


「栄、ごめん!」

「え、何、ちょっと!?」


 栄の体を肩に担ぎ、落ちていた杖をも拾って、迫りくるバジリスクからバックステップで距離を取る。


「さすが戦士クラスの筋力、あんまり重くない……!」

「重いって言ったら、ぶっ殺すところだったのに……」


 命拾いの冷や汗もそこそこに、直前に<特殊地形戦闘:泥濘>を取得していた効果がすぐに発揮される。

 ぬかるみに足を取られて体勢を立て直す事すら覚束なかったものが、しっかりと地に足を付け、バランスが取れるようになっている。

 何か特殊な力が働いているというよりは、ぬかるみでの足運びが全身にインストールされたような感覚だろう。

 迫りくるバジリスクに対して背を向ける事なく、かつ安全に退避行動が取れるのだ。


「……田植えの時、このスキル欲しかった」

「来年使えば?」


 軽口を飛ばしつつも、辰樹は迫りくるバジリスクから視線を外さない。

 2、3歩置きに立ち止まって首を傾げたり、ぬかるみに足を取られてバランスを崩す姿は、さながら本物の鶏のように見えなくもない。

 ただ、その蹴爪は強力で毒があり、鳴き声も嘴も、そして尾の蛇も脅威だ。


 栄の回復を待つべきか、このまま何か手を打つべきかを、逃げながら考える。

 すると、意外な人物がストーンに声を寄こした。


『――モンスターの動き、映像見せてもらった。あ、雨森だ』

「雨森? また珍しい……」


 女ふたり旅コンビの片割れ、目付きが悪い方の雨森だ。

 彼女が何かアドバイスをくれるというのだろうか。


『そのモンスター、バジ、バジル……。まあ、何でもいい。そのモンスター、動きは家畜の鶏と全く同じだった。うち、ちょっとした農家で、飼育してるから、わかるんだ……』


 何が言いたいのかいまいち要領を得ない。

 バジリスクとの距離を保ちつつ黙って聞いていると、ようやく本題へ入る。


『鶏に限らないが、鳥の連中はよく嘴で地面を突っついて回っている。餌を探すのに最適化された行動ってやつだよ。だから、必ず頭の高さが下がる瞬間がくる』

「そこを狙えって? 確かに、何度も嘴で地面突っついているけれどさ。でも、タイミングも何もばらばらだろ? ぴたりと停止する瞬間ってないの?」

『止まる瞬間も何も……。そいつ、しょっちゅう止まってるだろ? 正に嘴で地面つつく瞬間に。で、逃げる時は背中向ける。でも今のお前らだとモンスターよりもタッパがないし、あんまし危険じゃないって認識されて、背中見せないかもな』

「……ああ。止まった瞬間に、失敗を恐れず魔法ぶってけって事か……」


 そんなに単純な事で良かったのかとため息を吐く辰樹だったが、栄がこの状態ではどうしたものか。

 栄の状態があとどれくらいで回復するのかがわからない以上、最悪辰樹ひとりで対応しなければならない。


 バジリスクの頭が下がる瞬間は確かにあった。この短時間で幾度も確認した光景だ。

 しかし、地面を嘴で突いて元の高さに戻るまでは、5秒も猶予がない。

 半剣に<強撃>を載せてと考える辰樹だったが、盾の防御を失った今、迂闊に敵の有効射程に入る事は憚られた。

 攻撃をもらう事はもちろん、泥濘に足を取られたバジリスクの巨体に押しつぶされたらひとたまりもないとぞ、その光景を察する事は容易だ。


 それに、今はお荷物ひとり、肩に担いでいるのだ。

 こんな状態で勇敢に戦えなど、御免こうむる。


「……勝手にお荷物扱いしないでくれる? 目が効かなくても、接触距離でなら呪文は使える」


 どこかの悪友の様に心を読んできた栄が言う。

 担がれたままのクラスメイトには何か考えがあるようで、辰樹は黙ってその先を促す。


「朱門、あいつの目を潰して。そうして動きが止まれば、目が見えなくても至近距離で魔法が撃てる」

「いや、だから、どうやってバジリスクの視界を奪うのさ?」

「頭が下がる瞬間が確実にあるんでしょう? 物理で行くわ」


 物理? と聞き返す辰樹の怪訝な顔を余所に、何とか薄目を開けられるようになった栄は、ストーンを操作して黒いローブを取り出す。

 おそらくは魔法使いクラスの初期装備、栄が元々着ていたものだろう。


「これ使って。朱門って確か、<投擲>持ってるわね?」

「いいけど、服を<投擲>って……。成功するかわからないよ?」


 ……まあ、その時はその時か……。


 手段が完全に無くなったわけではない。

 まだ、いくらでも立ち回り方はある。

 栄からローブを受け取りそんな事を考えていると、辰樹の鼻は薄っすらと血の匂いを嗅ぎ取った。

 血のにおいは栄のローブから漂ってきている。

 まさか、栄は怪我しているにも関わらず、治療も受けていないのではないだろうか。


「栄さ、どこか怪我でしてない? 最近出血した? もしひどいならお春さんに……」


 真剣な表情で問うた辰樹は、次の瞬間後悔した。

 栄が、顔は真っ赤に、目は涙目になりながら、肘で辰樹の後頭部を打撃してくる。

 しきりに「くそ、くそが!」と悪態を着いて来るが、鼻声気味で怒気が薄れているように感じる。

 注意がバジリスクに向いていたため、ちょっと考えればわかるであろう可能性を見落としてしまっていた。


 ……女の子に聞いちゃいけない方の出血だったー。地雷地雷ー。


 気を取り直して、バジリスクだ。

 動きが止まった一瞬を狙う。

 先程尾の蛇が使い魔に対して何らかの攻撃を仕掛けたのが気になるが、ひとまずは提案された目隠しで攻める。

 そして、作戦自体はあっけなく完遂された。

 バジリスクが立ち止まり、地面を嘴で突いた瞬間に、辰樹が<投擲>でローブを投げる。

 <先制>スキルも適応されたのか、バジリスクは飛んできたローブに対応する前に視界を奪われる形となった。


 そうして頭部を覆われたバジリスクが頭を元の高さに戻すと、その動きは目に見えて大人しくなってしまった。

 完全に動きを止めた訳ではないが、先ほどまでの忙しなさがなくなって、地面を嘴で突く動きも見られない。

 これが鳥目というものかと感心する辰樹は、肩に担いだままだった栄が地面に降りようとする素振りを見せるので、降りるのを手伝ってやる。

 視界のだいぶ回復した栄はこの隙にと、余裕を持って至近距離で<催眠>の呪文を唱える。

 先ほどの<消音>と同じように、エコーのかかった栄の声がどこか別の世界の言語を唱え、バジリスクはゆっくりと横倒しになって眠ってしまった。


「鶏って立ったまま眠るんじゃなかったっけ? あれ、違うか。座って寝るんだっけ?」

「さあ? うちは農家じゃないから知らないわ。でも、この方がやりやすくていいわね」


 念のためにと尾の蛇の方も確認するが、こちらも動き出す気配はなかった。

 辰樹は栄と顔を見合わせて、深く息を吐いた。


「……というわけで、バジリスクの生け捕りに成功しちゃった?」


 ストーンの向こう、のぶともや他の面子からも歓声が上がる。

 異世界に来て初モンスター戦闘(まあ、初ではないのだが……)、しかもどう見ても雑魚敵ではないバジリスクを、死者なしで乗り切ったのだ。

 それだというのに、辰樹にとっては達成感よりも疲労の方が色濃く感じられた。

 こちらの攻撃が何ひとつ通らなかった事もそうだし、毒もらって転がって味方に殴られてと、散々だ。

 対して栄の方はまだまだ元気なもので、ご機嫌な様子で眠りに落ちたバジリスクを観察している。


「それで? 眠らせて生殺与奪握ったのはいいけれど、これどうするのさ。縛っておくの?」

「そうねえ……。<催眠>の有効効果時間は10分ちょっとだし、拘束中に目を覚まされてもあれだから、サクッとやっちゃう方向で行くわ」


 トドメもこちらに振られるのかと思ってそわそわしていた辰樹だが、意外な事に栄がとどめを刺すと言い出した。

 どうやら試したい呪文があるようで、ストーンを操作しつつリストを確認している。


「使うのは<穿ち>の呪文。元の用途は、岸壁に杭を打ちこんだりするための呪文らしいんだけど、生き物にも使えないかテストね」


 栄は装備品のナイフを取り出すと、<穿ち>の呪文を唱え、その効果を乗せた刃をバジリスクの首元に突き立てた。

 首元を貫くようにと突き刺したのだろうが、現れた効果は首の切断という結果だった。

 首から上を失ったバジリスクはびくりと体を震わせて、それっきり動かなくなる。

 そして、至近距離でナイフを突き立てた栄は、噴き出した鮮血を全身に浴びて真っ赤になってしまった。


 噴き出した血を咄嗟の動きで回避した辰樹の方を、メガネまで真っ赤に染めた栄が恨めしげに見やる。


「いやいや、そんな顔されても」

「……わかってる。わかってるから。……くっそ、目隠しにローブ使うんじゃなったわ……」


 ともあれ、これでモンスターの脅威は取り除かれた。

 あとは、合流したクラスメイトたちと現場の調査や情報の共有等行う事になるのだろうか。

 全身から血を浴びた栄には風呂が必要だなと辰樹が考えていたその時、妙な光景が目に飛び込んで来た。

 至近距離に居たはずの栄はメガネが血で汚れてしまったせいか、起こりつつある変化に気付いていない。


「栄、離れろ! まだ終わってない!」


 辰樹の声で、メガネを拭こうとしていた栄は、飛び退くようにバジリスクの亡骸から距離を取る。

 バジリスクの亡骸はわずかに振動していた。

 それは、心臓の鼓動に合わせて、あるいは痙攣しているというよりは、何か外側からの力で揺れているような動きだった。

 その不可解な動きの主はすぐに姿を現す事になる。

 というよりも、姿自体は元からこの場にあり、辰樹も栄もずっとそれを目にしていた。


「――蛇の部分がまだ動いている?」


 バジリスクの尾の蛇が、まだ生きて動いていたのだ。

 脳も心臓も蛇の部分は潰していないからだろうかと、辰樹が改めて剣を構え直した時だ。


 尾の蛇が、鶏部分から生えていたはずの蛇が、バジリスクの体から外れたのだ。



「――は?」


 起こった光景のその意味を、辰樹はすぐに理解できなかった。

 だがしばらくして「元は別の生き物だったのでは?」という可能性に思い至る。

 蛇部分の尾、鶏の尻に着いていた箇所は、別の生き物の口のようになっていた。

 まるでヤツメウナギの様な口は瞬時に閉じられて、尾の先端となった部分は瘤のような形状となる。

 そしてバジリスクは、辰樹や栄に目もくれず、這って移動を開始した。

 逃げ出したのだ。


「やばい、追わないと……! 栄、歩ける?」

「歩けるけど……、くっそ、まだ完全に見えない。……使い魔が復帰したから蛇を追跡させる。ごめん、肩かして」


 (バジリスク)を追って、白いカラスが飛んでゆく。

 ちょうど遠江の使い魔のミミズクも到着して、2体で逃走した怪物の追跡を開始した。


「……やばいわね。バジリスク(蛇)のヤツ、山の中に潜まれたら見付けるのが難しくなる。くっそ、手順を誤った。こういう可能性も考えて、先に<帯電>で麻痺させておけば……」

「それは次への教訓にしとこうよ。今はリカバリが先」


 悪態をつく栄に肩を貸して進む辰樹の元へ、ストーンで通信が入る。


『蘭堂よ。まだ終わってないんだって?』

「残念ながら。尻尾切りした尻尾が逃げたよ」

『単刀直入に悪い知らせがあるんだけど、聞く?』


 聞く? と蘭堂は問うが、こちらの答えを待たずに話す気なのはわかりきっていた。


『石動ちゃんが部屋から消えてた。通信聞いてて、そっちに向かったのかも。気付いたのがさっきの倒した宣言の後だったから、いついなくなったのかわかんない』

「はあ? ストーンで連絡は?」

『それがねー、石動ちゃん、ストーンもスクロールも部屋に置きっぱなし。相当テンパってるわ、これ』


 最悪だ。

 どの時点で部屋を出たのかわからないとの事だったが、子供が迷子になったと連絡を受けた時点では眠っていたはずので、その後なのは確実だろう。

 もしかすると、この場所に向かっているのかもしれない。

 たった今逃走したバジリスクと鉢合わせするかもしれないのだ。


「栄、それと遠江、どっちかの使い魔を石動の捜索に出せない?」

『遠江よ。それじゃあ、私の方を向かわせるわ。それと、子供たちの方は大丈夫? ちゃんと逃げたのよね?』


 うぐっと、辰樹は胃が痛くなってくる感触を覚えた。

 確かに、バジリスクと交戦する際に子供たちを逃がしてはいるが、どこに向かって逃げたかまでは把握できていない。

 素直に村まで帰っていてくれればいいが、別の場所でこちらの戦闘が終わるのを待っていたりなどしたら、子供たちの方そこバジリスクとかち合ってしまうかもしれない。


「これは、本当にめんどくさいなあ……」


 声色を低くしてそう呟く辰樹の顔は、笑っていた。

 最早笑うしかないと言った感じだったのだろうが、肩を借りている栄には、その表情が「なんだか面白くなってきた」と辰樹が感じているように映っていた。



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