4-②
倒れた石動を背におぶって、辰樹は宿屋までの道のりを歩いていた。
石動の症状は軽い疲労だけとの事で、薬師寺も大した処置はしなかった。
疲労抜きの薬草なども調合していて手持ちがあるとの事だったが、それを処方して無理やりに回復させてしまうのもいけないとも、薬師寺は言っていた。
衰弱しているところに無理に回復薬を使えば体に余計な負荷がかかるし、何より元気になってしまえば石動はすぐに動き出してしまうからと、回復薬の使用を控えたのだ。
辰樹はそんな石動を宿まで送り届ける係だ。
何故辰樹がその役目に任命されたかと言えば、みんな大好き多数決だ。
しかも、選ばれた理由が御堂と遠江の諍いを収めた功績なのだという。
解決能力を買われたのだと、遠江は聞こえの良い事を言っていたが、例の件がこんなところで影響してくるとは面倒な事だ。
それにしても、石動だ。
辰樹の背で苦しげな寝息を立てている石動は、少し熱っぽいせいか体温が高い。
石動と接触している背中がかなり汗ばんで来ていて、辰樹は自分がおんぶ係に任命されたもうひとつの意味を理解した。
熱っぽいクラスメイト(女子)をおんぶしてそれなりに長い距離を歩くとなると、それなりに緊張するし、体力もいる。
辰樹とて緊張していないわけではないが、確かに他の男子よりはマシなのかなと渋い顔をする。昨今の夜練のお陰で、ちょっとは基礎体力が付いてしまった事も。
“のぶとも”などは「うらやま!」などと奇声を上げながらも、譲るというと弱腰逃げ腰になっていたし、男鹿などは緊張でがちがちになっていた。
寒河江は筋力的にパスだと悔しそうな顔をしていたし、後ろを歩く高屋敷に背負わせたら確実に共倒れだ。
ならば伊佐美など適任ではないかと思ったのだが、「田植え、奥深いな。ようやくコツが掴めてきたんだ」と早々に田植えに戻ってしまった。
突っ込んで聞いたところ、伊佐美は石動の事が苦手らしい。
東は「マイサンがストロングでスタンディングしちゃうからー、ノーなのよー?」とかほざいていたので論外だ。
帰り際、薬師寺等が笑顔で執拗に東の股間に蹴りを入れようとしていたが、まあ、大丈夫だろう。健闘を祈る。
「……というかさ。自分が倒れるまで他人様の手伝いするなんて、なに考えているんだろうね。俺にはわからないよ……」
ひとり呟く辰樹だったが、その言葉を耳にする者は幾人かいた。
午後からの作業を切り上げて、蘭堂と高屋敷、そして佐藤の3人が、一緒に宿に帰るところだったのだ。
佐藤は夕食の支度を手伝うという名の逃走。
高屋敷は体力の限界及び腰痛。
蘭堂は、祈祷で田んぼを離れられない薬師寺の代わりとの事だ。
この蘭堂というクラスメイト、聞けば去年は薬師寺と同じクラスだったらしい。
要は、この蘭堂も3年生は2回目という事だ。
その理由に関してまでは、辰樹は聞こうとは思わなかったが。
辰樹の隣には佐藤、その後ろには蘭堂。
高屋敷は肩で息しながらもう少し後ろを着いて来ていた。
振り返って高屋敷の様子を確認すると、息を切らせた肥満男は右手でサムズアップをつくって大丈夫だと主張した。
あまり大丈夫に見えないのだが、本人が大丈夫だと言っているのだから、辰樹的にはその意志を尊重したいところだった。
「そんな感じに言うって事は、朱門は知らないって感じ? 石動ちゃんが、ガッコでどんなだったか」
呆れたように言うのは後ろの蘭堂だ。
「さあ?」と肩をすくめるように(石動をおぶっているので背負い直す形になって丁度良かった)返事すると、蘭堂は皮肉気な笑みで目を伏せた。
「ま、だろうね。……朱門って、基本ドライで、他人なんざ知らんって感じだったし?」
「そうだよ。今も考え方とかは変わってないし」
「その割には、イインチョとか助けてるじゃん? ヘタレのくせに悪ぶってるの、ケッコー寒いよ?」
「やめてよ、今まで指摘する人いなかったから忘れてたのに。黒歴史だよ俺の」
渋い顔で言うと、蘭堂は鼻で笑う。
嘲りや嫌味な笑い方ではないが、どこか楽しそうな響きはあった。
「ま、朱門の黒歴史はあとで散々ネタにするからいーや。石動ちゃんの事、ね」
出来ればネタにするのも止めてほしいところだが、蘭堂がもう話す気になっているので黙っておく。
「ま、簡単に言えば、この子は誰にも嫌われたくなくて、みんなから良い子に見られたかった子、みたいなのかな。どう考えても理不尽だって事を押し付けられても、嫌な顔ひとつしないで引き受けちゃうような子。それがこんな世界に連れて来られて、命令してくる人間が居なくなったから、どうしたらいいのかわからない。だから、誰彼構わず引っ付いて行って、命令してくれる、求めてくれる誰かを探してるのよ」
一息に言った蘭堂は、「どう?」と佐藤の方を見る。
今のところ石動と一番接触があるクラスメイトは、おばあさんと一緒に食事に支度などを手伝っている佐藤だ。
その佐藤をして、石動とはどんな人物なのかと、蘭堂は聞きたかったのだろう。
「……そうだね。よくよく手が足りない時に来てくれるから、気遣いが出来る子なんだなって思ってたけど、今の話を聞くと、ちょっと見方が変わっちゃうかな……」
「佐藤ちゃんはー、人の意見に左右され過ぎじゃない? 気を付けなよー、誰かに甘い事吹きこまれないようにね。そこの朱門とかー」
いや、ないよ、と辰樹が半眼を蘭堂に向けるが、隣の佐藤が「うーん」と唸っている。
夜練関係で何か思うところがあったのだろうか。まったく身に覚えがないと断言できないところが痛い。
「あーしも、人の噂聞いただけだから、ホントかどうかはまた別って感じで聞いて欲しいんだけど……。石動ちゃんって、1年の時も2年の時も、必ずクラスで顔役みたいな女子グループに居たんだってさ。で、使いっ走りにされたり、授業フケる時に一緒に連れ出されたりってね」
「そういうの、断れない子なんだよね? お手伝いしてもらってて、なんとなく感じたけど……」
「そ、嫌な顔ひとつしないで、ひよこかなんかみたいに、ぴょこぴょこ着いて行って……。それで、なーんかいかがわしー感じのお店に連れてかれる直前で補導されて、それで停学になりかけたとか、ね。ちなみに、石動ちゃんを唆した連中はお咎めなし。上手く逃げたんだってさー」
よくある話かなと思う辰樹だが、今まさにおぶってる女子がそうだと言われると、だいぶ複雑な心境になる。
「それさ、悪い男に引っかかったら、もう一発アウトじゃない?」
「そーそー。だけど、そこだけは運良かったみたいだわね。ほら、石動ちゃんって、どの学年でも女子グループの下っ端だったじゃん? それで、リーダー格の子に彼氏のひとりも出来ないのに、下っ端のこいつに? って感じで、グループぐるみで粉かけてくる男追っ払ってたとか」
「うっわ、笑えない話だよ」
「逆に、下手なDV男に捕まるよりは良かったかもよー? 体中包帯だらけになったとしても、石動ちゃんはたぶん『自分が悪いんだ』とか言い出すだろうし……」
生々しい話になって来た。
隣りの佐藤などは少しばかり身を固くしているし、ようやく辰樹たちに追いついてきた高屋敷も若干歩くペースを落として距離を取り始めている。
と言うか、この蘭堂と言うクラスメイトはよくしゃべる。今まで全く絡みがなかったから知らなかったというのもあるが、元々よくしゃべる方なのかもしれない。
「ま、話し戻すけどさ。石動ちゃんも善意であれこれ手伝いやってるなら、有難迷惑ってだけで済ませられるんだろうけど。……この子のこれ、ただ良い子に見られたいってだけじゃなくて、強迫観念なんじゃって思うんだわ。あーしは」
強迫観念。
どういう事かと考えを巡らせようとする辰樹だったが、回り出そうとした思考をすぐに落ち着ける。
どういう事も何も、すでにこの状態がすべてを物語っているではないか。
「どんな理由があるか知らないけど、誰にも嫌われちゃいけない、嫌われるような事をしちゃいけない、誰かにくっついてなきゃいけない、従ってなきゃいけないみたいな考えになって……。嫌な顔ひとつせずにぶっ倒れるまで働き続けるなんて、朱門の言葉じゃないけど、ほんとわっかんないよ。わかりたくもないわ」
そうは言う蘭堂だったが、その言葉尻や表情は、石動の考えてる事が良くわかると自白しているようなものだった。
「蘭堂、よく見てるよね。まだひと月も一緒にいないクラスメイトの事をさ」
何気なく告げた辰樹だが、言った後で「あ、これ地雷かも」などと気付く。
まずったかなーと若干焦る辰樹だったが、蘭堂の反応は皮肉気で自嘲気味なものだった。
「ま、確かに、同じクラスになってひと月も経ってないし、それで何を偉そうにって感じだけどねー。……でも、なんていうか、自分の3年間見てるみたいで、居た堪れなくなるんだよねー。自分の黒歴史、リアルタイムで再生されてるみたいで……」
吹っ切ってはいるけど、嫌なものは嫌だよねーと、蘭堂は呟く。
という事は、彼女にも石動みたいな時期があったのだろうかと、辰樹は一歩後ろを着いて来る蘭堂を盗み見る。
その表情はあっけらかんとしたものだ。
「ま、いっぺん手痛く裏切られなんかしたら、二度と裏切られないよーに、輪っかからは身を引いて傍観者になるじゃん? あーしの場合はそんなんだよ。だから、宿には残ったけど、惰性でみんなに付き合ってる。……今も、そんな感じね」
「そういう事、その皆の前で言う? というか、蘭堂も結構いい感じに発言が痛々しいけれど?」
「そーゆーこと、朱門にだけは言われたくないわー。つか、言っても大丈夫じゃん? 最近わかるようになったよ。宿屋に残ったみんなだったら、まあ、こんなこと言っても大丈夫だろうなって」
「へえ? どうしてさ」
「朱門、自分で言ってたじゃん。あーしらはクラスメイトってだけの、赤の他人だーって。……あ、これも黒歴史認定でオッケだよね?」
恥ずかしくて顔から火が出そうになるが、石動をおぶっているので顔を覆う事も出来ない。
隣りの佐藤が苦笑い気味に見てくる視線が妙に肌に刺さる思いだった。
「ま、言うとおりだと思うけどね。でも、そんな赤の他人でも、いつ自分に不利益被せようとするかわかんないじゃん? だから、一歩引いてみんなの事見てて……。そんで、なんとなくわかったよ。うちのクラスは、みんな臆病なだけなんだよ。……あーしも含めてね」
佐藤も高屋敷も、思うところがあったのか俯いてしまう。
そんな周囲の反応を気にすることもなく、蘭堂は「ま、クラス離れたやつは知らん。よく見れてないし」などと軽い調子だ。
辰樹としては、蘭堂と話す機会がなかったので、こうしたやり取りがそもそも新鮮だ。
何となく苦手に感じはするが、嫌いな人格ではないな、というのが抱いた感想だった。
「裏切られた事があるから慎重になって、人の事良く見えるようになったって感じか……」
「そ。で、それは石動ちゃんも同じなんだよねって。ただ、あーしのは余計なちょっかいかけないとかかけられないために、が理由だけど。……石動ちゃんのは、その逆なんだよ」
その逆とは、そのままの言葉なのだろう。
「石動ちゃん、わざとちょっかい掛けられるようにやってんだよね……」
◇
宿に着いてすぐに、辰樹は石動を彼女の自室に寝かせた。
佐藤は夕食の準備も含め、石動用にとお粥の準備を始めていた。
高屋敷は完全にダウンだ。
体力を使う行事に関しては、遠江並みに向いていないのだろう。
それだというのに、よくぞ田植えに参加したものだ。
やはり、自分がただ飯を食らっているという、良心の呵責に耐えられなかったのだろうか。
「……でさ、なんで俺まで看病?」
「どーせこのままお昼寝コースでしょ、朱門は。だったらいいじゃん。なんかあった時に呼ぶの面倒だし。ストーンあってもさ」
そういう事なので、辰樹も石動の部屋で待機となった。
自分専用の椅子(最近誰かツノを付けやがった。あとでしばく)を持ち込んで座るも、どこか落ち着かない気分だった。
女子の部屋に入ったから、というわけではない。
ここが女子の部屋だというのに、驚くほど殺風景だったからだ。
他のクラスメイトが自分の部屋をどう扱っているのか辰樹は知らないが、石動の部屋は殺風景というか、使い始めたままの状態なのだ。
ほとんど寝起きのためにしか使っていないのだという事が伺える。
「なあ……。蘭堂ってさ、自分部屋、どんなふうにしてる? こっち来てずいぶん経つだろ?」
「この宿の部屋って事? そうさねー。カーテンとか遮光にしたり、魔法に使う触媒とかつくる材料棚に別けて入れたり、あとは暗幕張って、占い師のお部屋っぽくかなー」
「ああ、ずいぶん改造してるんだ? そっか、遠江たちと違って、食堂で作業してないもんね」
「いやいや、むしろイインチョとか寒河江は、なんで食堂で本読んだりカタカタしてるのよ?」
「食事の際に移動する時間と手間が惜しいって、本人たちは言ってるけど……。たぶん本当は、一番人の集まる場所だからじゃないかな」
蘭堂の言うとおり、遠江と寒河江は一日のほとんどを食堂で過ごしている。
本人たちはそれを移動の手間や作業効率と言っているが、それだけではないと辰樹は考えていた。
食堂にはクラスメイトが集まる。
佐藤などは1日のほとんどの時間を食事の準備に費やしているし、男鹿たち3人組は食堂で作戦会議をしている。
時間をずらして食事しにくる面子もいて、そういった者たちと接触の機会を得るためには、食堂に居た方が確かに効率がいいのだ。
それは、他のクラスメイトとの接触する機会を増やして情報交換するタイミングをつくるという事か。
あるいは、単に人恋しいだけなのか。
辰樹にはそのどちらにも思えて、だからあえて深く考えようとはしなかった。
辰樹の考えを聞いた蘭堂は、満足そうに「へえ……」と呟いただけだった。
手元のたらいで濡らした布を絞り、眠っている石動の額に乗せる。ずいぶんと手慣れた感じだ。
「……あーしも、食堂にたまろうかな。占いスペースなんかつくって……」
「え、蘭堂占い出来るの? いや、何となくそういうの好きっぽい雰囲気だけどさ」
「ま、好きでやってるよ。占いとかアクセサリー作りとか。そういうのだけやって生きてきたかったけど、何を間違ったか高校デビューでこんな成りになっちったからねー」
あっけらかんと笑う蘭堂だったが、その横顔はどこか痛々しく見えた。
「ま、いろいろあってさ、ダブるくらいなら中退しちゃおうかなって感じだったけど、引き留めてくれる人がいてねー。そんで、とりあえず高校出とけば? って。……でも、いっぺんダブってるし、こんな成りだしで、ちょっと普通の職業は難しいじゃん?」
「その格好とかさ、周りに合わせて嫌々やってたんなら、元に戻せばいいんじゃない?」
「それがねー、戻せないっていうか……。なんていうか、こうなるんだって自分で選んじゃって、もう自分の一部になっちゃってるから、変えるの今さらなんだよね。それに、このクラスだと他の子と被んないから結構気に入ってんだ」
……自分の一部になってしまったから、か……。
それはどういう感覚なのだろうと、辰樹は椅子の背もたれに身を預け、虚空を見て考える。
「……もし、元に戻すとしたら、その姿を選んだ自分が間違ってるって、認める事になるから?」
「そ、そんな感じ。プラス、そうやって戻った自分は、取り返しのつかない間違った道に誘われてるって、わかってて、でも嫌々くっ付いてくお馬鹿なんだよ? ってね」
ならば、その姿を選んで正しかった、正解だったと胸を張りたいのだろうか。
自分が間違っていた事を認めるのは、余程の人格者でないと無理だと、そう辰樹は考えている。
辰樹自身、自分が間違っていたと発覚しても、それをおおっぴらに話したりはせず、黙ってこそこそと修正するだろう。
だがそれは、あくまで誰にも気付かれていない場合、指摘される前の段階での話だ。
公然と大声で指摘されてしまえば、意地になって間違ってないと言ってしまうかもしれない。
それくらいには、辰樹は自分の弱さを自覚していた。
「で、ここで苦しそうに寝ている石動ちゃんは、正しかろうが間違ってようが、もう後戻りできないんじゃないかな。良い子ちゃんの自分を保ってないと生きていけないくらいに……」
「でも、今回の件でだいぶメッキがはがれてきたと思うけど? よっぽど他人に興味ないヤツじゃなきゃ、石動って子がなんか無理してて、なんかおかしいって気付くんじゃないかな」
「そだね。ま、そうやって気付いた朱門は、他人に興味がないわけじゃないんだーって証明にもなったし?」
「それは蘭堂がべらべら言ったからじゃない……」
誤魔化す気のまったくない下手な口笛が蘭堂の口から聞こえてくる。
こうやって人を面白そうにからかうのは、果たしてこの姿になる前からか、それとも後からか。
「ま、それで、占いよ。タロットとかもそーだけど、あーしこの世界じゃ魔法使いだし? 占術系の魔法とかもあんのよねー」
蘭堂はストーンの表面を指でなぞり、選択した項目を添付して辰樹に送る。
送られてきたのは呪文リストの内、占術に関するものだ。
「素で占うってのもいいけど、せっかくだからなんか形にしたいよねー。って事で、元の世界でもやってたアクセサリーづくりとかね。材料とかまだ全然だから大したものつくれてないけど……。ま、元の世界に戻れる事があったら、そん時のための予習って感じで?」
「異世界で職業訓練? 皆が聞いたらなんて言うかな、それ……」
その時、石動が呻きと共に身じろきし、辰樹と蘭堂はすぐに意識を彼女に戻した。
悪夢でも見ているのか、うなされているようだ。
「ん? ……石動、何か言ってる?」
水気を失ってひび割れ気味の唇が何かを言おうと震えている。
辰樹がかろうじで聞き取った言葉は「待って」「置いて行かないで」だった。
「……誰に、だろうね」
水を含んだ布で石動の口元を湿らせていた蘭堂が言う。
誰に、置いて行かれたくないのか。
もしくは、置いて行かれたくなかった、のか。
「……こゆとこ見るとさ、なんーか、あんまり嫌いになりきれなくなっちゃうんだよね。甘いのかな、あーし」
それから少し経って、石動は目を覚ました。
目が覚めて呆けていた時間は一瞬だけで、辰樹たちが部屋にいるとわかると気を張り詰めさせて、いつもの卑屈な雰囲気に戻ってしまった。
「……あの、私。……眠っている時に、何か言いませんでしたか?」
その問いに、辰樹も蘭堂も即答しなかった。
聞いたと言ったものか、聞かなかったと言ったものか。
普段の石動の様子からどう答えるのがベストなのかがわからなかった。
辰樹としては、はっきりと聞いていたがどうでもいいと言うつもりだった。
しかし、石動はそんなふたりの様子から、聞かれていたのだと判断したのだろう。
ものすごい察しの良さだ。
「……あの、忘れて下さい。聞かなかった事にしてください。それで、聞かないで下さい……」
聞いてしまったうわ言を聞かなかった事にして、そもそもうわ言の理由そのものを聞くなと言っているのだ。
辰樹は踏み込んで問う気はなかったし、蘭堂の方も目を伏せて眉を上げただけだった。
不意に弱みを見せてしまったが、それを打ち明ける気はないのだろう。
蘭堂がまだ寝ていた方がいいと寝かしつけようとするのを、石動は困ったように頷きつつ従っていた。
黙って従いはしたが、不服さが目元に滲んでいる事は辰樹にもわかった。
同時に、「ああ、これは無理だ」という言葉を吐き出しそうになるのを、ぐっと飲み込んだ。
この石動要というクラスメイトは、人に弱みを見せないし、話さない。
弱さが隠し切れていないにも関わらず、自分は大丈夫だと言って、卑屈な態度と笑顔をつくって、何でもないようなふりをする。
自らの表面を取り繕って自滅するタイプの人間だなと、辰樹は石動に対しての感想を得た。
本心をひた隠しにして、善人のふりをして、誰からも嫌われないように立ち振る舞おうとしている。
こうして倒れてしまい、それでもボロを出さないようにしているのを見ると、筋金入りだ。
弱さを他人に打ち明けられない、という弱さを持っているのだ。
精神的に前向きで強い者ならば、自分の弱さや弱みを他人に打ち明けてしまえる。自らが背負った重荷を、他人と共有することが出来る。
遠江や佐藤などがそのタイプだろうなと、辰樹はこれまで話してきたクラスメイトたちの様子を思い出す。
伊佐美はそういった感じではないし、男鹿は悩みを打ち明けても助言をもらっても、なお悩み続けるタイプなので、これもまた違う。
陣内や溝呂木は普段があの調子なので正直一番謎だが、元気にやっているので、まあいいだろう。
ならば、薬師寺はどうだろうか。
彼女はおそらく、誰にも自分を打ち明けなくとも精神を前向きに保てる強さを持っていると辰樹は考えている。
東などは、そもそも自分の背景をあまり語らない。もしかしたらものすごい闇を抱えているのかもしれないが、それを隠し通しているのだとしたら物凄い演技力だなとも思う。
そういったクラスメイトたちと比較してみると、石動はあまりにも弱かった。
正直なところ、辰樹には石動に掛ける言葉がない。
この状態の石動には何を言っても届かないだろう。
それに、極端に精神を擦り減らせている人間にとっては、どんな言葉も毒に成り得る。
良い言葉でも悪い言葉でも、当人にとってはざらついたやすりのようなものだ。
それに、石動が求めているのは救いの手ではない。
立派な良い子だねと、取り繕った外面を褒める言葉だろうかとも思うが、すぐにそれは違うなと気付く。
そんな言葉を掛けられても、石動は嬉しくはないだろう。
「そうしなければならない」と自分を責め立ててまで取り繕っているのだから。
◇
東から着信があったのは、辰樹が一度席を外した時の事だ。
『よう、たっきー。看病イベントどうよー?』
「どうもこうもあるかよ。正直やり辛いよ、石動ってクラスメイトの事は……」
ため息交じりに辰樹が言えば、ストーンの向こう、東が笑う声が聞こえる。
「何さ?」
『いんやー? たっきー、やっぱり、かなちゃんもどうにか助けてやりたいと思ってくれたみたいで、安心したって感じかなー』
石動の部屋の前で、辰樹はぴたりと動きを止めた。
ドアノブにかけた手を離して、その隣の部屋の扉に背中を預けてストーンを耳に当てる。
「……東さ、また?」
『難しいってのはわかってんよ。でも、俺みたいなヤツのやり方じゃあ、駄目なんだよなー』
辰樹が聞いてもいないのに、東はべらべらとしゃべり出す。
『俺もよー、かなちゃんが無理してるってのはだいぶ前から知ってはいたんだけどよ、どうしても相性悪くてな?』
「相性? 東と相性がいい女子なんて存在するの? 正気?」
『んー、聞き流しとくぞー。でまあ、なんつーか、助けを求めていない相手に、手を差し伸べても言葉をかけても、取ってもらえないんだよな。例え溺れてても、助かる気が無かったら、呼びかけにも、ロープとか浮き輪投げても反応しない、みたいな?』
東の言わんとしてる事は、この部分だけならばなんとなくわかる。
それは、辰樹が石動を見て感じた印象そのものだったから。
『かなちゃんは、溺れてんのに呼んでも反応しないし、浮き輪にしがみついてもくれないしで……。でもよ、無理やり引っ張り上げるのも駄目なんだわ。……あ、本当に溺れてる人はなんの反応も返せないとか、無粋な突込みは無しな?』
「そんな突込みしないから。……それで? どうして東じゃ駄目なのさ? 女の子大好き人間のくせに」
『すんげー不名誉な言われようだが、まあ、水に流そー。……いやまあ、女の子大好きは真実だけどよ? それはあくまでよ、心身に余裕があって、俺なんかとちょっとお話してもいいかなって、それくらいの余裕を持ってる子、限定なわけよ。ちょっと落ち込んじゃってる子でも、助けが欲しいような感じなら話聞いてあげたり、出来るだけ力になってあげたりしたいんだけどよー』
差し伸べた手を拒否られたら、駄目だろう?
東の声はいつもの軽い感じではあるのだが、わずかに悔しさのようなものが滲んでいるような気がした。
『水の中から無理やり引き上げてもよ、かなちゃんみたいな子は、また自分から入水しちまうからよー。……明るいところにいるよりも、暗いところの方がいいってヤツって、結構いるだろ? うちのクラスは特に、そんなんばっかりだと思うわけよ。で、かなちゃんはどうあっても真っ暗闇に蝋燭立てて静かにたたずんでるのが好きなタイプだからよ……』
そこまで言われれば、辰樹も東の言わんとしている事は、概ね理解した。
東は石動を救いたいが、当の石動自身がそれを望んでおらず、彼女が本当に「救われた」と感じるようになるにはどうしたらよいか、それがわからないのだ。
「……て言ってもさ、これ俺にどうにかできる問題じゃないよ。確かにさ、このまま放って置いたらまた頑張りすぎて倒れちゃうかもだけど……」
『まあ、だよなあ……。せめて、誰か傍に居てやれればいいんだろうけどよ、かなちゃん、そういうのもたぶん苦痛だと思うんだ。かなちゃんが求めてるのは、無理解で無遠慮な赤の他人なんだよな……』
良い子に見られようとして誰かの後ろを着いて行くのに、理解者を求めているわけでもない。
面倒くさいなあと、辰樹は正直な心を口に出さないようにする。
石動の価値観や考えがそう変わるわけでもないので、こればかりは時間をかけて何とかするしかないと、そうとしか東に返す言葉がない。
東の方も、石動が“難しい”という事を重々理解しているので、今はそれでいいと言っていた。
これからも、優しく見守って行くのだとでも言うつもりだろう。
『まあ、たっきーがかなちゃん助ける気になってくれただけでも、俺としちゃあ儲けもんだけどなー。あ、あと、ガキンチョどもがお見舞いに行ったけどよ、大丈夫だったか? たっきーまた気絶とかしなかったか?』
「はい? 子供ら帰って来てるの? 全然見ないし、うるさくないけど……」
それはまあ、病人の見舞いなのだからうるさくはしないだろうなと、辰樹は石動の部屋のドアをそっと開けて中を確認する。
寝ている石動と、足を組んで椅子に座った蘭堂がストーンを操作している。
子供たちの姿はない。
気付いた蘭堂が「どした?」と首を傾げるが、辰樹は「待った」と手で制して、廊下に戻る。
「東、子供らが村に引き返したのって、いつごろ?」
『ああ? まだ帰って来てねえのかよ? もうずいぶん前っていうか、たっきーたちが帰ってすぐに、「ねーちゃんのお見舞い行くー」つって、後追っかけたんだぜ? 宿でかち合うどころか、帰り道で追い付いててもいいぐらいの時間だわ』
辰樹は息を詰めた。
別段心配する事はないはずだ。
村の子供はこの世界に産まれて10年以上の時間を過ごしている。
モンスターや夜盗の脅威がないこの世界で。
どこかで道草でも食っていると考えるのが普通だ。
だが、辰樹の考えはその“普通”の領域からだいぶ外れはじめていた。
嫌な予感がするというだけの、根拠のない直感だった。
ついさっきまで難しい問題に直面していて、物事を難しい方向に考えるようになっているのかもしれない。
「一真、俺ちょっと子供ら探してみるよ」
『お、マジか? 頼むわ。いま村の奥様方に聞いた感じだとよ、この前の大雨で土砂崩れとかあったらしいんだわ。河川の増水なんか収まったから今日あたり田植え出来てるわけだけどよ、まだ地盤緩めだし』
東の言葉を受けて、辰樹は動き出すためのスイッチが完全に入った事を感じた。




