3-⑥
いつものように昼に起きて食堂を訪れた辰樹は、そこでいつも通りに動き回る佐藤の姿を見て、しばし固まった。
昨夜の事があり、勝手に苦手意識を抱いてしまっているのだなあと、辰樹は頭をかきながら努めていつものようにと食堂に足を踏み入れる。
が、カウンターまで来ると、どうしたものかと「あー、うー」と呻くばかりで、それ以外の声が発せられない。
そんな辰樹の事を不思議そうに見ている佐藤の姿に、辰樹自身がしばらく気が付かなかったのだから、相当参って来たのだろう。
「今日は朝何にする? もうお昼近いし、お昼用のメニューになっちゃうけど」
おはようと短く告げた後、いつもと変わらぬ様子で聞いてくる佐藤に、辰樹はやり辛さを感じつつも、それを表に出さないようにお昼用のメニューを注文する。
佐藤が無理にいつものように振る舞っているのか、それとも本当に気にしていないのか。
まあ、佐藤が気にしていないなら自分も気にする必要は無いわなと、辰樹は手短に昼の注文をして東たちがいるテーブルの方へ歩いてゆく。
そこには東やのぶともたち、そして男鹿と伊佐美といった、最近よく話すようになった男子勢が固まっていた。
何を話しているのかと耳を澄ませば、東やのぶともたちも夜練に参加しようかといった相談だ。
「東もそうだけれどさ、のぶともとかも体力大丈夫なの? 確実に運動する系じゃないでしょ?」
自分の事を棚上げして言えば、のぶともは怒ったように「おはよう!」と言って、続いてやんやと文句を垂れはじめた。
それを放って置いて椅子に座る辰樹は、どうしても横目で佐藤の挙動を追ってしまう。
人間関係が気まずくなった事などないし、そもそもが他人他人だと突き放してばかりだったため、こうして微妙な距離感に気を揉み続けるのは慣れないのだ。
「よ、たっきー。あんがとな。めぐっちさん、結構吹っ切れたみたいでよ?」
「……はあ?」
東のあっけらかんとした物言いに、辰樹は思わず疑問の声を上げる。
それは、昨晩の顛末を見届けていた男鹿や伊佐美も同じで、辰樹と同じように訝しげな顔で東を見る。
「吹っ切れたって……。東さ、なんでわかるんだよ、そんな事」
「うん? ええ? わっかんないか? 前はよ、時々悩んで立ち止まったり考え込んだり、あとため息なんかつく時あったけどよ。今日は朝から絶好調って感じで? 悩みとかひと段落した感じじゃん?」
確かにそう見えはするがと、厨房の方、佐藤を見る夜練勢だが、昨晩の辰樹の発言があるだけに東の言葉に素直に納得する事が出来ない。
昨晩の顛末は、東も辰樹がくる前に聞き知っているが、それを知ってなお「大丈夫だぜ?」と自信ありげに言うものだから、こいつなりに確信を得る材料があるのだろうなと、辰樹はそれ以上考える事を止める。
東のこうした洞察や勘と言った特技は馬鹿に出来るものではなく、高校生になってつるんで歩んで来たこの二年間で、かなり助けられている。
人の心の機微に関しては東が何倍も敏感であり、そして立ち回り方も上手いとなれば、もう辰樹が手出し口出しする領域ではない。
しかし、それでも釈然としない思いが残るのは、何故自分の言葉が悪い方向に働かなかったという疑問からだ。
佐藤にあんな事を言ったのだ、脅しつけるような事を。
その言葉が良い方向に作用するなど、出来過ぎている。都合が良すぎるではないか。
「なーんか、納得いかねえって顔だよな。たっきーよ」
「いってないさ。いってないけれど、まあ、その内忘れるよ。もう一晩寝たりすればさ」
「自分が頑張った分が無駄になったとか、そんな感じの事考えてんのかよ? 俺がこんなに悩んだり気を揉んだのに、あっさり解決しちまって、って?」
東の言葉が、思いの他ぐさりと来る。
はっきりとそう意識したわけではないが、言われてみれば確かにそういう思いがある。
考え至っていなかったわけではないが、まだその位置まで像を結んでいなかったのだ。
「ま、それこそ気にする必要はないって思うけどなあ、東さんは。人ってよ、案外結構、落ち込んでても、ふとした切っ掛けで立ち直っちまうものなんだよ。優しい言葉かけたり、きつい事言われたり……。そん時はなんも響かないかもだけどよ、後でハッとしたり。な?」
「時間差って事? そんなもんかねえ……」
釈然としないし、納得も出来ていないが、まあ問題が解消したのならばそれで良しとするべきか。
辰樹はそう割り切ろうと盛大なため息を吐いて、対面に座するのぶともが怪しげな動きをしている様に眉をひそめた。
両手で寿司でも握るかのような揉み手のジェスチャー。聞けば、「気を揉み揉みしているので御座るよ。候よ」と言う事だったので、辰樹は対面に座ったまま手を伸ばして全力で阻止しようとする。
「猫で御座る! 朱門殿猫で御座るよ!」「猫朱門殿で候よ!」と全力で煽ってくるのぶともに全力でイラつきつつ、辰樹はいつもの平常運転に戻ろうと必死に腹式呼吸を続けた。
随分とクラスメイトと気安くなってしまったものだと、妙な居心地の悪さを感じたところで薬師寺が食堂に入って来て、「辰樹ちゃん腹式呼吸してる! ひっひっふーって! 孕んだの!? 誰の子!?」などと奇声を上げ始めたので、黙らせようと立ち上がったら逃げ出したので、全力で追いかけて行った。
◇
最早慣れが見え始めた異世界生活ではあるが、今日この日に関して言えば、重大な事件がひとつあった。
長らく床に伏せっていた“お館”事、高屋敷仁がようやく復帰したのだ。
若干痩せた、と言ってもまだまだ肥満の領域である巨体にローブを纏った姿で食堂に現れ、集まり出したクラスメイトたちに驚きながらもキザったらしい微笑で礼を言って回る姿はどことなくシュールなものがあるなあと、辰樹は目を細めてその光景を見守る。
リアル私服では絶対にフィンガーレスグローブ着けているだろうと、根拠のない確信まであるのだ。
「……ったく、今度は用水路に詰まるなよ」
「ああ、手数をかけたな。……名前は」
「伊佐美だ」
「高屋敷だ。よろしく頼む」
低く野太いながらダンディな発声で告げた高屋敷は握手を求め、伊佐美はそれに口の端を上げた笑みで応じた。
「キザデブってさ、新境地だよね?」
「たっきー容赦ねぇなあ、おい。んで、お春さんは新しいカプの可能性妄想するの、や・め・て?」
「ええ? えへへぇ……」
「駄目だ、この先。輩腐ってやがる」と、いい顔でくねくねしている薬師寺を見つめる辰樹と東の視線温度は冷たい。
それはともかく、高屋敷の復帰は攻略活動に多大な影響を及ぼした。
遠江がほぼひとりで担当しているスクロールの改良に一役買って出たのだ。
「UIの充実化はゲームをプレイするうえでの優先事項のひとつだからな」などと息巻いた高屋敷は、“スクロール”や“ストーン”の設定を行っている遠江とやり取りし、たった数時間でその操作性を格段に向上させた。
細やかな指示を記載すればその通りを実現す“スクロール”ではあるが、その実指示が曖昧すぎたり矛盾したりすれば、その機能は誤作動を起こしたり、損なわれたりしてしまう。
遠江がいくら的確な言語や的確な語彙を選択して指示したとして、そもそもそうして適用された部分が実際に意味をなさなかったり間違っていれば成果は得られない。
高屋敷はゲーマーとしての観点から“スクロール”を扱う上で必要な項を上げていき、遠江が即座にそれを適用。
痒いところに手が届くかのような仕様に更新されるも、辰樹としては設定が細かすぎて細部まで把握するのが面倒だなというのが正直なところだ。
「あれ? でもさ、“のぶとも”も自称ゲーマーなんだから、そっちに聞けば良かったんじゃないの?」
「のぶともくんたちの話は要領を得ない事が多くて、あんまり参考にならなかったの」
つまりは高屋敷のコミュ力がなせる技だったかと辰樹は感心し、のぶともは不服ながらもその通りだから反論できないと、拳を握って地団駄踏んでいた。
◇
その夜。
ランニング前の準備運動を行っていた辰樹は、佐藤がいつもの調子であいさつして夜練組の輪に加わった事に、どこか釈然としないものを感じながらも「まあ、いいか」と深く息を吐いた。
心中ではまったく「まあ、いいか」とはいかなかったのだが、昼間東に言われたように自分の行いとその結果に不服を覚えてもしょうがないではないかと、無理やりににでもその件について考えないようにしていたのだ。
しかし、考えないようにしても向こうから寄って来てはどうしようもない。
ランニング中、いつものように最後尾でへばっていた辰樹のところへ、速度を緩めた佐藤が近付いて来たのだ。
「ありがとね、朱門くん」
開口一番そんな事を言われては、辰樹は黙り込むしかない。
感謝の言葉の、その意図を問い質す事は野暮かなと思ったからだが、それは佐藤の口から明かされた。
「朱門くんの言うとおりかなって、思ったの。自分の居場所が、またなくなっちゃうんじゃないかって不安は、確かに起こり得る事に対するものではあるけれど、まだ目前に来てはいないだけの事なんだって」
「それで? 佐藤はどう割り切ったのさ」
「うん、うんとね。割り切ったんじゃなくて、また逃げちゃったんだ。考えるのやめたの」
思わずズッコケそうになった辰樹だが、まあそういう結論、そう言う心境になってくれたならばいいかと、佐藤本人の口から聞けた事で概ね納得した心境だった。
ただお礼が欲しかっただけなのだとは思いたくないし認めたくないなと渋い顔になってしまう辰樹は、佐藤の言葉に続きがある素振りを見て、急いで邪念を制する。
「でもね、都合よく逃げてばかりじゃいけないなっていうのは、今でもそう思っているの。本当に必要な事からは、やっぱり逃げちゃ駄目なのかなって。だからね……」
並走する横顔が、わずかに辰樹の方に向けられる。
確かに悩みが晴れた良い顔だなと頷かんばかりの辰樹は、佐藤の笑みと言葉を待つ。
「本当に駄目な事からは逃げないように、私を見張っててほしいの」
「そりゃまた……」
難しい。と言うか、どういう事だそれは。
大して危険を感じない相手に注意を向けていられるほど几帳面ではないと、辰樹はいつもの調子で断ろうとした。
しかし、口を突いて出た言葉は「まあ、“牡鹿亭”に居る間はね?」と、曖昧な了承だった。
笑む佐藤から目線を逸らし、なんでオッケーしてんだろう自分と愕然とする辰樹は、まあいいかと、これ以上考えない事にする。
他のクラスメイトの支援を行うという役割上、しばらくの間拠点は宿になるのだ。
これで一件落着かと深く一息ついた辰樹は、鳴動する腰のストーンに何事かと指をかざす。
画面上に表示されるのはつい最近追加された新機能、周囲の人間を識別する機能だ。
ストーンのアップデートに協力している者や村人たちならば明るい青で“family”、敵対者として登録されていれば鮮明な赤で“enemy”、それ以外ならば“unknown”と黄色で表示されると言った具合。
現在登録されているのは宿に残ったクラスメイトや村人たちの“family”のみ。御堂たちとの一件はあるものの彼らを“enemy”に登録していない以上、それ以外は“unknown”で統一されている。
ストーンに表示されたのは“unknown”が数名。前を走る伊佐美たちが気付かなかったとは思えないので、夜間の移動を行う行商か何かなのだろう――。
「――佐藤、ストップ」
辰樹は立ち止まる。佐藤もゆるい駆け足のまま後退してくる。
「どうしたの? ストーンに反応あった人たち? 怪しい人たちなの?」
「いや、向こうさんの人格まではわからないけれどさ。状況おかしいよね。佐藤、村に定期的に来ている行商さんって、次の来訪はいつに?」
「三日前に来たばかりだから、次はひと月後になるよ?」
なら、この人影が村の顔見知りと言う線は無いなと、辰樹は装備スロットをタップして盾を装備する。
そうで無くとも夜間行しているのはおかしい。かなりの距離まで接近しているのに、連中は重い荷を担いでいる様子も、馬やロバを引いている風でもないのだ。
いくらファンタジー風の世界だとは言え、夜間は火を焚いて野営するのがこの近辺の常だと寒河江経由で裏は取れている。
ならば、そう言った行為に当てはまらない“コレ”は何か。
「夜逃げ、密偵、旅人、若者の夜遊び、年寄りの徘徊。それとも――」
すぐに思い付くだけの可能性を挙げて脇に置き、辰樹は装備スロットをタップして半剣をも取り出し装備する。
佐藤が血相変えて何事かと問うが、もう闇の向こうの誰かから注意を逸らせない。
トレーニング染みた体作りというものを、この世界の人間たち、少なくとも農民などはしない事はわかっている。
「そもそも、夜中に畑を見に行くにしても、灯りを点けずに複数人っていうのは、ないよねえ?」
警戒する辰樹たちの方へと人影がやってくる。
その背丈は疎らで、子供連れなのかと思ったのも一瞬。のっぺりとした泥状の頭部に、土を固めたかのような四肢。明らかに人間のものとは思えない姿だった。
泥土を体中に纏った人か、あるいは泥土で出来た動く人形か。
さすがに呆けた顔になる辰樹だったが、口元に手を当てて後ずさる佐藤の姿を横目に見て、一歩前へと踏み出した。
「佐藤、ストーンで伊佐美たちに連絡取って。さっきここ通過したはずなら、こいつら見てるかもしれないから……」
盾を構えてじりじりと前に出る辰樹は、背後に置いた佐藤の「ダメ」という切迫した声を聴く。
「連絡、繋がらないよ。ストーンって圏外とかってあったっけ……?」
「魔法に圏外とかあるのかあ……、案外不便なのかもね? 魔法」
冗談交じりに肩を竦めて見せる辰樹だが、流れ落ちる冷や汗が目に入り、焦りを自覚する。
想定外、と言う程何かを想定しているわけではなかったが、これはまずい。
よくわからないがさっさと逃げるべきだなと軽く後悔し、背後の佐藤に村に戻るように戻るよう指示しようとした時、泥人形たちに動きがあった。
それまでゾンビよろしく緩慢な歩行のみだったものが、急に素早く動作し始めたのだ。
足だけを動かした奇怪な動きを取った泥人形たちは、両腕を広げた姿で瞬く間に辰樹と佐藤を取り囲む。
友好的でないのは明らかだなと眉をひそめた辰樹は、じりじりと包囲を狭める泥人間、その真正面に居る個体へ向けて盾を<投擲>した。
回転と速度を得た盾の淵が泥人間の頭部に易々とめり込み、ほぼ頭部の半ばで停止する。
まるでフリスビーを咥えた犬のような様で静止する泥人間は、緩慢な動きで頭部にめり込んだ盾の淵を両手でべちゃりと掴み取ったところで、ダッシュして距離を詰めた辰樹の跳び蹴りを喰らう。
泥に触れないよう、盾を蹴って押し込む形となったが、結果としてそれが功を奏した。
泥人間の頭部は易々と上下に両断されたが、それを成した盾が急速に泥に覆われて、文字通りフリスビーのようになってしまったのだ。
盾の持ち手部分は泥で覆われ固まってしまい、もう一度盾として使用するにはひと手間かかるだろうことが一目でわかる。
「佐藤、なるべくこいつらに触らない方が良いね。同じ泥土にされちゃうかも」
「うん、触りたくなんてないけれど……、大丈夫なの? この人たち、人間じゃあ……」
「たぶん人間じゃないと思うよ。人間だった可能性も多大にあり得ると思うけれど、そうだったとしたら、もう手遅れだ」
それとも、この世界の人間は頭部の半分を失って動いていられるというのか。ならば、その限りではないのだろう。
滑らかな断面が人肉のものではなく泥土なのだ、元人間であったとしても手遅れだと思いたい。
「こういうのさ、なんて呼べばいいんだろうね? モンスター。マッドマン。泥人形。それとも、クレイゴーレムとかかな?」
ゲームに登場するモンスターに詳しいわけではない辰樹では、この一団をなんと呼称してよいものか扱いに困る。
佐藤に聞いても困った顔をするばかりなので、東か“のぶとも”に繋がらないかとストーンを指でタップし続けるが、一向に繋がる気配がない。
こういう時、魔法使いのクラスなら、遠江のところみたいに使い魔を飛ばして助けを呼ぶことも出来るのになと。そこまで考えた辰樹は、目の前の泥人形たちはクラスメイトの内誰かの使い魔ではないかと推測を立てる。
以前、遠江等にスキルツリーの纏めのようなものを組んだと言うので見せてもらったことがあるが、確か使い魔同様、ゴーレムを想像するスキルや魔法があったはずだ。
誰かの差し金か。そうだとしたら、これは威力偵察か何かだろうか。
こうして考えに耽っている間にも、仮称クレイゴーレムは輪を狭めてくる。
佐藤もいることだし、包囲の一点に穴開けて突破して逃げようと辰樹が考えている内に、背後の佐藤が事を起こし始めていた。
装備スロットから即座に槍を取り出し、彼女の正面に構えるクレイゴーレムの頭部と心臓部をそれぞれ素早くひと突き。
するとどうだ、辰樹の時は健在だったクレイゴーレムが、形を失って崩れ去ったのだ。
思わず背後を二度する辰樹に、「うん、心臓の辺りが弱点みたいだね」と、呑気な調子で佐藤は告げる。
「随分思い切りいいよな、佐藤。もしかして異世界でモンスター初撃破じゃない?」
「あ。うん、うーんと、倒していいんだよね? モンスターだから……」
やってしまった後に急に自信なさげになって肩を竦める姿に、辰樹も肩を竦めて見せ、先程の頭を失った個体、まだ身動きするその胸部に向けて半剣を<投擲>。
剣が刺さった事で、泥の体から鈍く輝く球体のようなものが転がり出たその瞬間に、クレイゴーレムが崩壊してゆく。
あの鈍色の球体がいわゆる核のようなものかとひとり頷いた辰樹は、先ほど同様クレイゴーレムの動きが緩から急に転ずる様を見る。此度は辰樹たちを取り囲もうとする動きではなく、襲い掛かり掴みかかろうとするものだ。
装備スロットから第二登録武装の槍を取り出し構える辰樹は、クレイゴーレムの動きが緩から急に転じた切っ掛けを思い返す。
辰樹たちが逃走素振りを見せた時と、クレイゴーレムを破壊する方法を断定した時、この土くれたちは動きを素早くした。
と言うことは、最初からプログラムされていたのだろう。辰樹と佐藤を包囲し拘束するように。
「ひとまずさ、全部倒してから考えようか? 佐藤も俄然、やる気になっているみたいだし……」
振り向き佐藤に方針を告げようとするも、その鼻先を槍の柄が掠め、辰樹に襲い掛かろうとしていた個体の頭部をするりと打撃する。
辰樹自身もすでにその個体の心臓部に穂先を突き立ていたが、佐藤が頭を突いて抑えていなければ、崩壊する際に生じた大量の泥を浴びていただろう。
涼しい顔をして「大丈夫?」と聞いてくる佐藤に、辰樹は生返事するしか出来ない。つい昨晩まで悩んで気落ちしていた佐藤と同一人物とは思えないのだ。
女の子ってこんなに切り替え早いのだろうかと悶々とする辰樹だが、心を読んで軽口を入れてくれる相棒は今この場にはいない。
夜連ではほとんど半剣と盾しか使わなかった辰樹でも、槍は扱いに困るものではなかった。
それどころか、こういった場面であれば積極的に使ってゆくべきだなと考えを改める程に使い勝手が良好だ。
これならば御堂の時に槍で相手していれば良かったなと思うが、過ぎた事に対する思考はここまで。
軽く両の指以上の数はいたクレイゴーレムは瞬く間にその数を減らし、佐藤が最後の一体を貫いて全滅させてしまった。
これで終わりかと思いきやそうもいかなかった。
心臓部と思われる核を損傷した個体はさて置き、無事だった核は周囲の泥土と同化して人型を再構成し始めたのだ。
数を減らして二回戦かと身構える辰樹だが、ストーンが敵の増援を知らせる。
辰樹と佐藤を取り囲んでいた最初の一派と程同数の個体が、前後左右から包囲を狭めて来ている。
最初から二派用意していたのだろうと察する辰樹は、その意図を目の当たりにする。
再生したクレイゴーレムは先ほどのような泥人形ではなく、核を内蔵しているであろう胸部が固まって硬質化しているのだ。
「こいつら学習して、自分たちの体に反映させたのか?」
それとも、操っている主がそう指示したのか。
後者ならば、ゴーレムの主が付近で辰樹たちを観察している事になる。
まさか、この近辺に術者が居るのかと、ストーンの識別範囲を広げるが、それらしき反応は見つからない。
術者が近くに居ないか、それとも隠れているか。
それを判断するよりも早く、辰樹たちは第二回戦に突入する。
先程のような泥質の体ではなくなったため槍の穂先が胸部をすんなりと貫けず、しかも両手で接触したものを泥で覆う能力は健在なため、穂先を掴まれ泥を固められると面倒な事この上ない。
こういう時こそ打撃を加えられる盾が有効だが、完全に泥土で固まってしまった盾は視界の端に転がっていて、それを取りに行けるほどの余裕がない。
そんな中でも、佐藤の対応の切り替えの速さには目を見張るものがあった。
心臓部を一撃で貫けないと知るや、まずは個々の足を打って崩し、這いずろうと伸ばす手を落とし、身動きを封じられた個体を真上から貫く。
動作はすぐに最適化されて、余計な力や工程が抜けてゆく。その内調理場にいるかのような余裕ある表情になって行くのは、いったいどういった内心かと、辰樹は鈍い汗が流れるのを止められない。
いくら伊佐美の指示通りに訓練したと言っても、つい先日まで普通の女子高生だった佐藤がこんな風に戦えるものだろうか。
ゲームシステムの恩恵があるとはいえ、辰樹や御堂でも最初はあの有様だったはずだ。
では佐藤恵と言う個人の資質のなせる技かと疑問した辰樹は、今までの彼女とのやり取りを思いだし、恐らくそれが当たりなのだと、もはや笑うしかない心境になった。
佐藤恵という女は、楽しいと感じさえすれば、どこまでも力を伸ばす事の出来るのだと。
ここ最近の夜連が中学時代の楽しかったこ頃を思い出させ、昨晩の問答が悩みを吹っ切るきっかけとなったのか。
ただ一時の楽しみで生じたものではない。宿での自分の役割や夜連を通じての安心が、ここまでの動きを生んでいるのだ。
そう、ひとり内心で頷く辰樹は、しかしそれでも現状劣勢だなと、対応もそこそこに周囲を見渡した。
月明かりの下、集結したクレイゴーレムたちの数がほとんど減らない。
佐藤が最速の工程で核を潰しに来た事で、ゴーレムたちは再び対応を変えたのだ。
今まで通り接近して掴みかかる動きから、軟質の腕を伸ばし、振るって鞭のように打撃する動きだ。
鞭状に変化されたのは厄介だと辰樹は口の中で唸る。速度と打撃に優れた武器に対抗する防御がこちらにはない。二、三度までならまだ耐えられるだろうが、十も喰らえば戦闘不能は確実だ。
先に盾を手放したのが再び惜しまれる。囲まれたこの状態から一点突破するには、HPの減少覚悟で穴を開けなければと辰樹が槍を構え直した時だ。
“ストーン”に新たな反応が出現し、同時に暗闇の中から飛来した大盾が、正面に位置してたクレイゴーレムの胴体を粉砕したのだ。
直撃と破壊を経て宙を舞う大盾は見た事がある。男鹿の主兵装である大盾だ。
新たに出現した反応は青い“family”、男鹿と伊佐美が戻ってきたものだ。
「朱門! 佐藤! 無事か……!」
「気を付けろ男鹿。敵は鞭状の武器を使うぞ」
並走する伊佐美から注意を受け頷いた男鹿が、姿勢を低くしてショートダッシュで駆ける。
低姿勢からのタックルは直撃したクレイゴーレムの体を易々と粉砕し、落下してきた大盾をキャッチした男鹿が付近の個体を<盾強撃>で葬り去る。
筋力の数値に加えて<強撃>までが乗った威力に舌を巻く辰樹は、クレイゴーレムたちの鞭打を掻い潜って打撃を与えてゆく伊佐美の様子に開いた口が塞がらない。
辰樹や佐藤が指摘せずともクレイゴーレムの弱点や脅威となるポイントを抑えているようで対応がいちいち的確で効果的だ。
泥の浸蝕にもすぐに気が付き、互いの大盾と拳足をぶつけて固まる泥を振り払い、即座に攻撃に転じている。いつの間にあんなコンビネーションをとも思うが、それを言うなら辰樹自身と佐藤も相当動きを合わせていたはずだ。ゲームシステムの恩恵か、あるいは天性の資質のなせる技か。辰樹的にはこれこそ「夜練の成果」だと思いたい。
最後の一体を屠るまで、伊佐美と男鹿が合流してから5分と掛からなかった。
戦士クラスの4人以外動くものが無くなり、零れ落ちた核すべてを破壊してもなお、辰樹たちは背中合わせになって周囲を警戒する。敵の増援が現れるかと身構えていたが、いつまでたってもその気配はない。
「もう来ないみたい? いったいなんだったのさ。もう」
「一抜けた」とばかりに構えを解いて盾を拾いに歩き出す辰樹を見て、佐藤たちもようやく体から力を抜くことが出来たようだ。
怠そうに深い息を吐く伊佐美に対して、男鹿の方は興奮冷めやらぬと言った風に先程の動きを繰り返している。男の子だなあと、盾に付着して固まった泥を払う辰樹は、そのまま視線を佐藤の方へと移動。果たして彼女は、槍を抱えるようにして握ったまま熱のこもった息を吐いていた。
一難去ったなと嘆息する辰樹だが、本当の難はここからだと、もうこの時点で考え始めていた。
◇
「さっきの事さ、“牡鹿亭”の皆には内緒な?」
帰り道。辰樹の発言に対して反応は二分した。
どうしてだと訝るのは佐藤と男鹿。伊佐美は納得した、と言うよりは「まあそれしか無いわな」と言った風。
訝るふたりに対しては伊佐美が注釈を入れてくれた。
「あの泥人形を嗾けてきたヤツが、“牡鹿亭”に居るかもしれないってんだろ?」
そういう事だと、辰樹は先頭を歩きながら頷く。
3-Cの面々が30人まとめてこの世界に転移して来て、ここいら一帯はモンスターが生息せず基本的に平和そのもの。魔物の存在もなければ辰樹たち以外の魔法使いの存在もまだ確認できていない。例のクレイゴーレムが自然発生したのでなければ、クラスメイトの内誰かの仕業である可能性が高い。
辰樹が現時点で確認している魔法使いのクラスメイトは遠江等を含む4名。その内ゴーレムを想像する魔法を取得している者はいなかったはずだ。はずだが、クラスメイトの中にはまだ魔法使いクラスの者がいるのも事実だ。まだ“牡鹿亭”に居残った面々全員と話した事があるわけでもないし、そもそも未だに引きこもっている者がふたりほどいるのだ。
村を出た御堂たちという線も薄い。あの3人の中に魔法使いはいない。まあ、誰かクラスメイトの魔法使いを仲間に引き込んだとなれば話は別だが。
辰樹の提案を受け入れはしたふたりだが、特に男鹿は反発的だった。
しかし、嫌な可能性を断ち切ろうとクラススキルのツリーを確認した事で、生じた嫌な可能性に現実味を持たせてしまう。魔法使いクラスの魔法の中に、<土塊人の創造>の項を見付けてしまったからだ。
「男鹿さ。別にこれ、悲観する事じゃないからな? 術者の意図が知れないんだし、命を奪う気だったのかどうかすら含めて、まだ何にも確定してないんだよ」
「わかってる。わかってるよ。俺だって信じたくないよ。クラスメイトの誰かがゴーレムを使って闇討ちしてきたなんて……。でも……」
一度考え出した悪い考えを払拭できないのだろう。
先ほどまでの興奮した様子が霧散して、鬱々と頭を抱えんばかりになってしまっている。
せっかくテンション上がっていたところに可哀そうな事をしたなと嘆息する辰樹は、男鹿へのフォローを伊佐美に任せ、こちらは佐藤かと彼女を盗み見るが、意外にも悲観した様子は見られない。
どうなってるんだと小話ついでに佐藤の様子を伺ってみて、辰樹は頭を抱えたくなった。先ほど抱いた彼女への評価を覆したくもなる。
佐藤は正体の知れぬ襲撃者に対して、何も恐れてはいなかったのだ。
「秘密が出来ちゃったね。夜練組だけの秘密が」
こいつは本当に目を離せないぞと冷や汗をかく辰樹は、一難去った後に来る難はさらに気が重いものだなと認識を新たにした。




