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神蝕世界の攻略者  作者: アラック
第1章 “のたうつ牡鹿亭”にて
20/29

3-④

 無風の夜を、4人が一列になって駆ける。

 先頭を行くのは、背の高い、橙色のバンダナを額に巻いた仏頂面の男。伊佐美泰寅。

 それに続くのは背は低めだが体格の良い、強面ながらも気弱そうな男。男鹿勤。

 ふたりの男から少し遅れて軽やかに走るのは、背の高いポニーテールの女。佐藤恵。

 その3人からかなり遅れて息を切らせて走るのが朱門辰樹だ。


「……つか、みんなさ……。スタミナ、おかしくないか……?」


 息を切らせて村に付いた辰樹は、先に村へ帰って来ていた3人が柔軟しつつ、筋トレを始めようとしている事に愕然として倒れ込んだ。


「……いや、なんだ。お前がそんな体力ないとは思わなかったわ。なんか、すまんな……」


 すまなそうに、あるいは可哀そうなものを見るよう目で言ってくる伊佐美に、辰樹はわずかな苛立ちを感じつつも、こういうやり取りもできる相手だったのだなと、このバンダナ男の印象を更新する。

 こうして夜連を始めて気付かされるのは、辰樹以外の3人ともが、常人離れした運動能力とスタミナの持ち主だったという事だ。

 格闘技をやっていたという伊佐美はもちろん、男鹿や佐藤もかなりのもので、長距離を数時間走ってもまったく息が乱れないのだ。

 男鹿などは余裕の表情だし、佐藤に至っては清々しげで肌艶が良くなっているようにさえ見える。


「朱門、本当に運動とかやってる人じゃなかったんだな? 御堂との悶着見てて、てっきり伊佐美みたいに格闘技やってる人なのかと思ったよ」


 柔軟を終えた男鹿がへたり込む辰樹の元にやって来て、水をタオルとを置いてそんな事を言う。

 仰向けになりながら水をがぶ飲みし(当然のように咽て)、言葉を話すのもつらいと言った辰樹の代わりに、伊佐美が男鹿の疑問に応える。


「そいつはたぶん、荒事に慣れてるだけだ。ルールで守られた競技・スポーツの領域じゃなくて、不良の溜まり場や路地裏でヤクザ者を相手にするヤツの立ち回りだ。……あんたらの話を聞く限りだとな」

「……って事は、朱門くんも伊佐美くんみたいにストリートファイターなの?」


 タオルで汗を拭いながらの佐藤の問いに、仰向けに寝転んだまま違う違うと手を辰樹は手を振り、伊佐美も「俺もそんなんじゃねえからな?」と視線で威圧する。


「……俺ってさ、親の仕事の関係で海外行く事多かったんだけれど……。それで、治安のあんまりよろしくない場所に宿借りたり仮住まいしたりする事も結構あってさ、一歩家から出たら、柄の悪い連中に絡まれる、なんて事もあったわけで……」

「なるほどな。それで、危険を避けたり、争いの芽を嗅ぎつける鼻は鍛えられてたってわけか……」


 伊佐美が納得したように言うと、男鹿も佐藤も「おおー」と静かに感嘆するのだが、それが辰樹にとっては座りが悪いというか、むず痒かった。


「まあ、だからってわけじゃないけれどさ、俺そんなに喧嘩とか強いわけじゃないんだよ。男鹿とか佐藤とか、その辺誤解してると思うんだけれど……」

「いや、しかし、現に御堂をやり込めてたじゃないか?」

「それに関しちゃ、朱門の見ている勝利条件と、男鹿の見ている勝利条件の違いだろうな」


 たとえば、と。伊佐美が、辰樹と男鹿に問う。


「俺を倒せって言われたら、あんたら、どうするよ?」


 唐突だなーと辰樹は思いつつも、そのための手段をいくつか頭の中に思い浮かべる。

 同じく考え始めた男鹿は、顎に手を当てて、しかし首を傾げた。


「なあ、伊佐美。それは、なんで伊佐美を倒さなきゃならないかって、理由を問い質して、説得してもいいのか?」

「もちろんだ。結果的に、自分が“倒した”と納得できる結果に至る方法と手順なら、いいぜ」

「じゃあ、そうだな……。まずは、伊佐美が何故自分を倒せなんて言ったのか、その意図を聞くと思う。それで、もしも納得できる話が得られなかったら、戦わない。倒すべきだと思ったら、戦ってでも倒す。たぶん、あんまり気は進まないだろうけれど……。手段は、そうだな……。やっぱり甲冑と盾装備して、守りながらの持久戦ってところ……。かな……?」


 後半に行くにつれて自信なさげになってゆく男鹿の言葉を、伊佐美は最後まで聞く。

 そうして、ひとつ頷きはしたがコメントせず、すぐに辰樹に話を振る。


「俺? 倒さないよ? 逃げる逃げる」


 短く言葉を終えた辰樹に、伊佐美は苦笑、男鹿も苦笑いでずっこけそうになった。

 佐藤だけが、表情を固くして、緊張を隠そうとしながら動向を見守っている事に、辰樹は目を細めて気付かないふりを決め込んだ。


「朱門、倒せって言われてるのに、それは……」

「いやまあ、本末転倒だって言いたいのはわかるよ。けれどさコレ、話の根幹はそうじゃないだろ? なんで、伊佐美の話乗らなきゃならない?」


 そこで、男鹿もなんとなくではあるが、伊佐美の言った“勝利条件”の意味に思い至っていた。


「……そうか。相手の土俵に上がるかどうかからが、もう勝負なんだな……」

「そういう事だな。男鹿のはまず、相手の話に乗ってからが勝負開始で、手段を選び、味方も敵も慮って綺麗に勝利を得る。そんなイメージだろ」


 返す言葉もないとばかりに項垂れる男鹿に、気にするなと伊佐美は手を振る。


「で。朱門はまず相手の話に乗るかどうかってところから駆け引きを始める感じか。自他への利益不利益を計算して、結果のランクに応じて手段を選ぶ」

「……東以外でそれだけ的確に分析してきた人って、初めてなんだけれど? 格闘技やってるとそこら辺の駆け引きもあるの?」

「うちは実戦派なんだよ。……ああ、前に所属してた拳法部じゃなくて、ガキの頃から通ってる道場の方な?」


 伊佐美が道場通いという事すら初耳だったが、何より大まかな考えを見透かされた事が、辰樹にとってはショックだった。

 何故わかったのかと問えば、伊佐美はたった今口にしたように“実戦派”という言葉を用いるだろうなと、辰樹は確信を得ていた。

 国内外の違いはあるものの、この伊佐美泰寅という男も、辰樹と同じような考えを得るような経験をして来たという事だ。


「あん時の御堂はクラスの主導権を握ろうとしていた。最低限、委員長を自分の女にする、くらいの利をかっさらう腹積もりはあったんだろ。で、朱門の目的は……」

「阻止だよね、やっぱり。委員長も大概だったけれどさ、あんなのに舵取りされたくないよ。それこそ、泥船から逃げ出すか、舵ぶっ壊すかだよね」


 双方の思惑、達成するならばどちらの方が簡単かは、男鹿にも理解出来た。

 理解出来たからこそ、自らの体たらくを振り返って渋面をつくらん思いになってしまう。


「まあ、簡単に言うと、そう言うわけだ。男鹿が朱門の事を相当なやり手だと思っていたのは、そう言う相対者の土俵をひっくり返してやり込める手段を取れるヤツだったからだ。極端な話をすると、人を殺すのに殺人拳法を会得する必要はない。手段を選ばなければどうとでもなるし、朱門だったらその手段を、俺らよりも数多く思い付けるし、状況に合わせて的確に選択できるって事だ。しかも、事が起こった正にその瞬間にな」

「いや、さ。まったく返す言葉もなくその通りなんだけれどさ? それ俺のイメージ悪化させる戦略とか含まれていたりするの?」

「は? ……ああ、そんな気はなかったんだが、すまんな。しかし、お前そう言うの大丈夫な感じだろ? じゃなきゃ、食堂で悶着した後、演説打ってフォロー入れてるんじゃねえのか?」

「俺そういうフォローとか出来ないんだよ。フォローは一真担当なんだよなあ……。まあ、伊佐美の言う通りだよ。ここまで言当てられると、なんか悔しいな?」


 それに関しては知るかと伊佐美が突っぱねるので、辰樹も諸手を上げてこの話は終わりだとアピール。

 俯いて考え込むような体勢になってしまった男鹿を立たせて、次のメニューに移る。


「別に、男鹿が劣ってるとか、弱いとか、そう言う話じゃねえぞ?」

「ああ、わかってるんだ。俺の頭が固いだけだ。すまない伊佐美……」


 伊佐美が不器用ながらもフォローを入れるが、男鹿の表情は難儀そうなままだった。

 自身の言うとおり、頭が固くなっているというよりは、目を向けるべき部分が大きくズレていた事にショックを受けているのだろう。


「……で、だ。男鹿はわかるんだが、なんで佐藤までテンション下がってんだ?」

「いや、まあ、思うところがあったんじゃない?」


 辰樹と伊佐美の後を俯き加減でついて来る男鹿の後ろ。

 男3人の話を聞いていた佐藤も、どこか気落ちしたような雰囲気を漂わせているのだ。


「悪いが、佐藤の方のフォローは頼むわ」

「いいけれど、どうしてさ? 女の子苦手?」

「……そうだよ。悪いかよ」

「悪かないけれど、俺も苦手だよ……」


 どうしたもんかなあーと、辰樹と伊佐美は思わず同じように腕組みして首を傾げてしまった。




 ◇




 翌朝、と言うより翌昼。

 筋肉痛で苦しむ体を引きずって辰樹が食堂へ入ると、3-Cのクラスメイトは誰もおらず、宿のおばあちゃんがひとりでお茶を啜っていた。

 人種的には日系人でもなく、着物を着ているわけでもないと言うのに、このおばあちゃんには湯飲みと緑茶が良く似合うと、辰樹は思うのだ。


「おばあちゃん、おはようございます。みんなどこかに行ったんですか?」


 辰樹が緊張や発作なく話す事の出来る現地人であるこの老女は、優しそうに目を弓にして「表の方だよ?」と、しっかりした声とともに庭の方を指さした。


「……普段、食堂で作業やら読書やらしている連中が、お庭で何してるんでしょ?」

「のぶともくんたちの練習の見学だよ?」


 おばあちゃんに挨拶して食堂を出ようと背を向けた辰樹に、佐藤の元気な声が掛かる。

 驚いて振り向いた辰樹は、おにぎりの満載された盆を持った佐藤の姿を見る。

 昨晩もかなり遅い時間まで夜練に着き合っていたというのに元気なものだ。

 辰樹が知る限りでは1日中厨房にいた頃よりも元気になっているようにも見えるのだ。


「のぶともたちの訓練って……、魔法使ったりってヤツ?」

「そうそう。それでね、遠江さんも寒河江くんも、同じ魔法使いって事でどんなものか見てみようって感じかな?」

「そして佐藤は、見学組にお昼ご飯の配給かあ……」

「配給って、言い方がなんだかねえ……。朱門くんもひとつどう? 朝ごはんまだでしょう?」

「頂くけれど……。佐藤、元気だよね? 俺、筋肉痛で朝ダメだったよ」

「朱門くんいっつもお昼頃起きて来るイメージだったけれど?」

「おっと、これは五目御飯かな?」


 誤魔化しついでに手にしたおにぎりは、茶色で大きめ、大葉が巻かれているものだ。

 米はもち米、具は筍と茸、出汁は茸だろうか。


「もち米だと腹持ちいいよね? 味濃い目だと食べてるって感じするし、筍と茸で食感別だしで。あと海苔代わりの大葉が薬味っぽくてさ。俺、海苔食べられないからこういうのあるとありがたいわ……」

「……自分のつくったものの感想とかあんまり気にしてないけれど、こうしてコメント貰えるとまた新鮮だね」

「件の弟妹さんとか、ご両親とかは感想くれないの?」

「うまい、美味しいの一言で満足かなー。あとは、これが苦手とか食べられないとか、コレこの前食べたよーとか、そう言う文句ばっかり」

「なんか大家族って感じだよね……」


 もぐもぐと口を動かしながら辰樹が言うと、佐藤は少しはにかんだように笑んだ。




 ◇




 “牡鹿亭”の庭には、宿で寝泊まりするクラスメイトのほとんどが集まっていた。

 佐藤と同じく夜練組だった伊佐美と男鹿も見学に参加していて、本当に元気なものだなーと、おにぎりをくわえながら辰樹も見学に加わった。


 庭の真ん中では陣内と溝呂木が距離を置いて向かい合っている。

 陣内がかざした指先にピンポン玉サイズの光球を灯して指運にて放つのを、溝呂木がかざした手に生じた光の壁で受け止めて、快音を上げて消失する。

 陣内が特化したという《魔弾》の魔法と、溝呂木が特化したという《障壁》の魔法だ。

 気のない感嘆の声を上げて動向を見ていた辰樹は、見学組の動向も横目に見る。

 作業班だった遠江と寒河江はメモを取ったり感触をインタビューしたりと、何かと喧しい。

 喧しいと言えば、東と薬師寺もだ。

 遠江や寒河江に便乗する形でのぶともを茶化していたり、ふたりが展開した魔法に実際に触れたりしている。


「お。あれ、触っても大丈夫なんだ?」

「……らしいぜ? 俺も小一時間くらい見ちゃいるが、やっぱりどうにも釈然としねえな……」


 辰樹の隣り、伊佐美が大葉の巻かれた白米の握りを片手に渋い顔をしていた。


「選んだクラスが戦士で良かったぜ。戦士クラスのスキルだなんだってのも今一扱えてねえが、他のクラスの、特に魔法なんざ、絶対無理だ」

「そう? 使ってみると、案外しっくりくるかもよ?」

「そう言うもんかねえ……」


 懐疑的な口調で言葉を切った伊佐美は、手にしたおにぎりにかぶりつく。

 白飯の方のおにぎりの具は、焼いた川魚の味噌和えだ。

 伊佐美は無言ながらも片眉を挙げ、黙って食べ続けているので、口に合わなかったというわけではないのだろう。

 昼食のつくり手である佐藤は、クラスメイトたちの間を飛び回っておにぎりを配っている。

 陰りがなく、充実そのものの顔をしている佐藤を見ると、昨夜の気落ちした彼女の姿が幻であったのかのように思えてくる。

 あるいは、佐藤が夜練を経て、クラスメイトたちの食事の世話を新しい逃げ場として再確認したものだろうか。

 それならそれでも良いなと考える辰樹ではあるが、当の佐藤がそれで納得しているとは考えにくい。

 そうでなければ、ひとりで自主練したり、辰樹に悩みを打ち明けたりはしなかっただろう。

 人からアドバイスされて、ああその通りだよと受け取るような彼女ではない。


「……そこら辺、夜練経て徐々に、かなあ……」

「あん? 何がだよ」


 隣りの伊佐美から怪訝な問いが返り、辰樹は手を振って佐藤の事だと弁解する。

 いつもは東が辰樹の内心まで読んだかのように独り言に話を合わせてくるので、ついついそのようにする癖がついてしまっていたのだ。

 こっちも癖がついていけないなと思いつつも、それをすぐにどうにかしなければとは思わない。

 辰樹自身も、まだまだ己は調整中であるという自覚を持っている。

 佐藤の事と同じく、これからどう変わってゆくかを見極めんとする時期なのだ。



「よお。たっきーとトラさん、いつの間にヤンキー座りで駄弁るようになったんだよ?」


 おにぎり片手に近付いて来る東を、辰樹と伊佐美は揃って「あん?」と睨みつける。


「いや、リアクションハモんなくていいから……。なんだっけ、戦士組で夜練開始したんだって?」

「……なんだ、知ってるんじゃねえか」

「おうよ。男鹿ちんから聞いたぜ? たっきーが一番体力無くてへばってるってな?」

「一真も夜練やる? 体力、俺とどっこいだろ?」

「いやいや、元部活連中には敵わんにしても、たっきーよか体力あるよお、東さんは」


 東は坊主頭をかきながら「それはそうと……」と雑談を早めに切り上げる。


「収穫1って感じだ。対人戦、やっぱレベルアップに関係してたみたいだわ」


 そう言って東が視線を向けた先、今まで魔法の実地テストを行っていたのぶともが諸手と歓声を上げている。


「おお。って事は、お春さん的に言うと魔法受けと魔法攻め作戦成功したんだ?」

「……たっきー? そこお春さん的にする必要、あるか?」


 対人戦がレベルアップに有効である可能性が出てきた。

 仲間内で戦えば戦うだけレベルアップするかどうかまでは定かではないが、少なくとも己の武器を交えるだけでも経験値のようなものは手に入るという確証は、大きな進歩だ。


「つーわけでよ。トラさん、戦士組の連中と実戦形式みたいな訓練とかして見ねえか? 男鹿ちんとか、ちょっとうずうずしてるっぽいしよ?」


 言われて男鹿の方を見た辰樹は、あの気弱な強面が確かに興奮気味に落ち着きがなくなっている様を目の当たりにする。

 こんな顔もするヤツだったんだなと、新鮮さに驚いていると、隣の伊佐美が立ちあがった。

 「まさか?」と怪訝な顔を向ける辰樹に、伊佐美はあまり気乗りがしていない様子ではあるが、はっきりと告げる。


「……まあ、手伝うって事で話しつけてたからな。いずれやるつもりだったわけでもあるし。こっちも、いい加減スキルとやらの使い方教えてもらわなきゃいけねえしよ……」


 伊佐美は準備運動を始めながら、ついでとばかりに辰樹を横目で見る。


「お前も、やるんだろ?」


 辰樹は「んー」と気のない返事をしつつも立ち上がり、伊佐美と同じように準備体操を始めた。

 そうしてふたりして体操を始める様に、東が楽しげに笑う。


「なんだよ、たっきー随分楽しそうじゃんか? 妬けるぜえ? ええ?」


 笑みと共に告げられた東の言葉に、辰樹は身体を動かしながらも、思考はぴたりと停止していた。


 ……俺、楽しそうに見えてるのか?


 不意打ちも不意打ちで、その事に関しては、さっぱり頭が回らない。

 だが、辰樹と着き合いの長い方である東には、そう見えているようなのだ。

 ならば、頭が働かないなりに試して見ようかとも思い始めていた。

 これから始める実戦形式の訓練で、自分が楽しいと感じているのかを……。




 ◇




 辰樹は剣と盾を装備した状態で伊佐美と向き合っていた。

 剣も盾も構えず、出来る限りに脱力して、足元は軽快に、いつでも次の動きに入れるように。

 辰樹がキャラクターメイク時に思い描いていた、軽妙な戦士のスタイルだ。


 対する伊佐美は左半身を辰樹に向けて半身となり、左腕を緩く曲げて手先を対峙者へと向けていた。

 掌を上にして、映画か何かならばこのまま指を曲げて「来いよ、ほら?」とやるようなシーンだろう。

 背の高い伊佐美が辰樹よりも低い位置に視線を置くように腰を落としていて、それであってまったく姿勢がぶれていない。


 こうして対峙したまま、5分ほどの時間が過ぎていた。

 最初の方こそ「なんかそれっぽい」と見守っていたギャラリーも、時間が経つにつれて思い思いの行動に移って行く。

 真面目に動向を見守っているのは、夜練組の男鹿と佐藤。

 そして別の意味で視線に熱が入っている薬師寺だろうか。


 呑気なものだなと、辰樹は伊佐美から視線を外さずに、内心で呟いた。

 否、視線を外さないのではなく、外せないのだ。

 互いの間には数メートルの距離があるが、その距離を一瞬で帳消しに出来得るような気迫が伊佐美にはあった。

 辰樹自身、月並みな表現だと鼻で笑いたい気持ちだったが、本物を前にしてはそれも出来ずにいる。


 思い出すのは、巨大で、しかし動きの素早い肉食獣だろうか。

 自分よりも小柄な獲物に対して、身を低くして飛び掛かる動き。

 伊佐美の構えが、その動きの前動作のように思えてならないのだ。


「……自分よりも背が高い人がさ、自分よりも身を低くしてると、どうにもやりずらいよね?」

「揺さぶりか? なら別方面の話を振った方がまだ有効だぞ?」


 雑談を交えて隙を見ようとしたが、どうやら伊佐美にはお見通しのようだ。

 言葉と奇策で機先を征する事が封じられているとすると、純粋に動きで勝負しなければならない。

 辰樹にとって最も動きずらい環境だ。

 おそらく、辰樹が「あーやめやめ」と言って背を向けたところで、伊佐美は現状の構えを解かないだろう。

 辰樹が“そういう手段”を使う人物だという事は、東経由ですでに多くの者に知れ渡っている。

 あらゆる動きがフェイントとして取られ、かつ、それを利用することも読まれている。

 歴戦の戦士や、戦い慣れた達人。

 この世界に渡って来てから今日この時まで想定し続けてきた、最も対峙したくなかったタイプの相手。

 目の前の伊佐美泰寅は、そのタイプに合致する。

 文字通りの天敵だ。


 相手は格闘技を嗜んでいて、実戦経験とやらもあって、そして辰樹の考え方を理解している。

 武器を持っているというのにまったく心強くない。

 例え持っているのが剣ではなく拳銃だとしても同じ気持ちだっただろう。

 伊佐美の構えや雰囲気は、辰樹にそう思わせる程の説得力を持っていた。


 ……こっちが拳銃持ってたら、たぶんその通りに対応するだけなんだろうなー。


 目の前のケースに淡々と対応するだけとなれば、相手の虚を突く事も出来ない。

 こちらの動きに対応すればどういう部分に隙が出来るかわかっているので、その通りに対応を重ねてくる。

 その上で、体力も技も、あちらが上手だ。


 そして、だからと言って、ダメで元々、試しの意味での一撃は、イコールこちらの即死だ。

 伊佐美の体に害が及ぶ攻撃を、ほんのかすり傷だとしても及ぶような動きを取った瞬間、伊佐美はカウンターで辰樹を仕留めに来る。

 速度の勝負になれば、こちらは太刀打ちできない。

 伊佐美の勝ちだ。


 その場限りの思いつきでどうにかなる相手ではないと、はっきり頭と体が理解した。

 それだけでも、この対峙は意味のあるものだった。

 確かに、そういった楽しさはあると、辰樹は思う。

 楽しいと感じているのも確かだろう。

 だが、その楽しさに納得は出来ていない。


 ……じゃあ、どうするよ、俺は?


 納得の、己の勝利条件を、どの位置に定める。

 伊佐美を物理的に倒す事か、虚を突くことか、とんちでも何でも使って“参った”言わせる事か……。


「……なあ、伊佐美」


 とんちで行こう。そう決めた辰樹は、相対者に呼びかける。

 伊佐美は身動きひとつせずに「なんだ?」と疑問を返す。


「俺が必ず勝てる方法でいくわ――」


 言って、辰樹は軽妙な足捌きで伊佐美からさらに距離を取り、くるりと時計回りに身を回した。

 回転した分の遠心力を腕力に伝え、手にした半剣を<投擲>する。<強撃>の効果は載せない、ただ腕力に任せただけの投擲だ。

 一直線に飛来した半剣を、伊佐美は顔を逸らして回避。剣はその後方の樹に突き刺さった。

 回避の際にも相対者から視線を反らさなかった伊佐美は、辰樹が軽くステップを踏んで自分との距離を詰めて来る様を見ていた。

 再びくるりと身を回して、左腕にマウントした盾の淵をアッパー気味に伊佐美の顎へ叩き付ける。<強撃>を載せて、腕力以上の力を発揮した一撃。

 伊佐美はこれも顔をわずかに逸らすだけで躱し、構えたままだった左腕を素早く伸ばし、辰樹の首元に当てた。


 勝負ありだ。

 ギャラリーの大半は、よそ見をしている間に終わっていたと感じたようで、しきりに「もう一戦、もう一戦」と囃し立てる。

 もちろん、辰樹も伊佐美も、もう一戦などするつもりはない。

 辰樹自身は、この結果が己の勝ちであると考えているし、伊佐美の方も「なるほどな……」と、静かに納得している様子だ。

 しかし、ギャラリーの中でひときわ煩いのが薬師寺で、小さな体でぴょんぴょん跳ねて不平不満を叫び続ける。


「ねえ、なんでももう終わっちゃうの!? ねえ!? もっとねっとり時間をかけて絡み合うのが見たかったんだよお春さんは!? 早漏!? 辰樹ちゃん早漏なの!? この早漏!」


 早漏という単語に候語尾がびくりと反応してひとりで挙動不審を始めたが、そんなものは放って置いて、辰樹は薬師寺の元へとスタスタ歩いてゆく。

 装備品の盾をぞんざいに放り投げて笑顔で近付いてくる辰樹に、薬師寺もこれはまずいと身の危険を感じたのだろう、すぐさま逃げる体勢に入ろうとしたが、辰樹はもうすぐそこまで迫っていた。


「た、辰樹ちゃん? 怒っちゃった? マジギレ? 激オコなの?」

「気持ち半ギレくらいで手を打ちますよ? いい加減リアル男子を妄想のネタにするのやめなさいな。妄想しても別にいいですから、せめて黙っておきなさいな」

「だって、だって! クラスメイトの男子っていう存在はね!? お春さんにとってはファンタジーよりもファンタジーなんなんだからね!? 存在的に2.5次元、夢と現の狭間の世界なのですよ……!?」

「んじゃあ今からその夢と現の狭間に連れてってあげますんで、おまた食いしばってくださーい?」

「おまた!? 辰樹ちゃん本気なの!? れいーぷは異世界でも犯罪だよ!?」

「お春さんには夢と現を行き来して、しっかり現実を見て欲しいんですよねー俺。そのためには手でも何でも汚す覚悟、ありますよ?」

「心! 心が汚れてるよ!? やあ、来ないで! いぃぃやあぁぁ!?」

「きちんと責任取るんでー、安心してくださーいね?」

「気持ち込めずに首傾げて可愛く言ってもダメ! 誰か助けてえぇぇ!!」


 誰か助けてとは言いつつも、薬師寺は踵を返して訓練と見学の垣根から離れて行ってしまう。

 その薬師寺を、辰樹は笑顔を張り付けたまま早歩きして追って行く。

 この場から離れて行ったのはふたりの方だというのに、訓練・見学組は何故か自分たちが取り残されたかのような気分を味わった。


「あれかな? やっぱり早漏って言ったのが朱門くんの地雷ワードだったのかな?」

「いやいや委員長様よ……、いやいやミウっちさんよ。あいつそもそも童貞だから、早漏とかそういう次元じゃねえって。ありゃただのじゃれ合いだよ、じゃれ合い。たっきーにしちゃあ珍しい絡み方だけどよ? 新境地ってやつ?」

「いやーんな新境地で御座るなあ……。ところで、朱門殿は本当にれいーぷする気は御座らんのですよね? 自分、半ば冗談に見えないので御座るが……」

「だーいじょうぶ大丈夫。たっきーのタイプは黒髪貧乳で、決して合法ロリじゃねえから」

「……東くん、それは、あんまり大丈夫に聞こえないと思うんだ……」


 追いかけっこを始めた薬師寺と辰樹を眺めつつそんな事を駄弁り始めるのは、東と遠江、そして挙動不審から体育座りにクラスチェンジした相棒を気遣う陣内だ。

 若干引き気味の陣内に対して、遠江の辰樹を見る目に不安や疑いの色はない。


「……ミウっちさんはよ、ずいぶんとたっきーを信頼してくれているみたいで、東さんは嬉しいっすわ」

「信頼とか、そういうのじゃないよ。朱門くんは、そこまでクラスメイトに興味ないって思ってるだけ。今言ったような事なんてしないよーって。あ、でも……」


 何かを思い出したのか、遠江の表情が陰る。

 東が問えば、遠江は言いにくそうに腕組みをしながらこう答える。


「実際に、何かの間違い、弾みでって事もあるから……。やっぱり避妊具の製作って急務だよね? ゴムの代用になるような物質はまだ発見できていないし……。あと、発注は猪瀬くんでいいのかな?」

「いやいやミウっちさんよ? 鍛冶師見習いにコンドームつくらせる女子高生って、どうなのよ? 俺あ、たっきーよりミウっちさんが心配になって来たぜ?」

「え、何? 私何かおかしな事言ったかな?」


 東は復帰したのぶともと一緒に「天然かあ……」と、自分たちの中での遠江株が上がってゆくのを感じた。

 そして、顔を真っ赤にしながらみんなに背を向けてしゃがみ込んで耳を塞いで「……みりあむ、日本語、わかんない」と、恥ずかしそうにぷるぷる震えているミリアム株も急上昇する勢いだった。




 ◇




 男鹿は、辰樹と伊佐美の勝負が決着してからしばらくの間、腕組みして考え込んでしまっていた。

 辰樹は仕掛ける前に「自分が勝てる方法で」と告げていたが、結局は伊佐美の勝ちだ。

 あの状態で、辰樹が何を持って自らを勝ちとしたのかが、さっぱりわからなかった。

 いや、わからないわけではない。

 考え付く限りの理由をこじつけて無理やりに結論付ける事はいくらでも可能だ。

 ただ、男鹿自身が納得できるような答えに辿り着かないというだけで……。


「……やっぱり、頭固いのかな。俺……」


 石頭の自覚はあるが、この世界に来てからはそれを思い知らされてばかりだ。

 クラスメイトの諍いを止めようとしたものの、結局は状況をこじらせただけだった事もあった。

 自分の知るセオリー通りにはいかない異世界に対して「こんなはずでは……」と唇を噛んでばかりだ。

 今も、クラスメイトの考えと動きに、納得しがたいものを感じて、ひとりで憤りに近い感情が湧き上がるのを抑えんとしている。

 何故、そんなに自由に発想できる。

 何故、そんなに軽妙に立ち回れる。

 目の前の状況に次々と対応してゆくクラスメイトたちに、嫉妬のような感情を抱き始めていた。


「……おい、男鹿?」


 伊佐美の声で、男鹿は思考の渦にのめり込んでいた自分を引き戻した。

 顔を上げると、伊佐美が手首を振って手先の感触を確かめているところだった。


「勝ち負け然り、いろいろ納得いってねえ顔してるな?」

「いや、まあ……。そうだな……」


 深く息を吐いて、言われた事実を認める。


「ならよ、そんな時お前はどうしてんだ?」

「は? そんな時? どうしてるって……」

「自分が納得出来ねえ事にぶつかった時、どうするのかってこったよ」


 それなら、決まっている。


「ひとまずは、体を動かすかな。部活やってた頃の習慣は、今も続けているし……」

「そうか。なら、動いていこうぜ?」


 疑問の表情を浮かべる男鹿は、伊佐美が左手で「来いよ?」と挑発してくるのを見る。


「朱門の勝ちの成果、その確認だ。スキルの乗った攻撃に対応したお陰で、体感のブレを合わせるコツみたいのが掴めそうなんだ。スキル関連はお前に任せるって事になっていたし、一役買ってくれよ」


 伊佐美の言葉に困惑しながらも、男鹿は頷いて一歩を踏み出した。

 自分が気遣われているし、自分のやり方に合わせてもらっているのがわかる。

 こういった手合わせを拒んでいたはずの伊佐美が、わざわざこうして誘って来ているのだ。

 ありがたいと思う反面、何故だという疑問もある。

 問えば、伊佐美は「交換だ」と答えた。


「今、それぞれ必要としているもんがある。物や手段、協力、力、価値観。自分に持っていないものが必要で、それを手に入れるには人のを見て盗むか、と交換する必要がある。俺は今の体感のズレを直す術と、スキルの使い方が必要だ。男鹿、お前はどうだ?」


 男鹿は考える。

 自分が今、何を必要としているのかを。


「俺が必要としてるものは……」


 鎧の襟元を直し、装備品の大盾を構え直す。 


「レベル……。力と、戦い方と……。いや」


 必要としているのは、本当にそんなものだろうか。

 クラスメイトたちのこれまでの動きを見ると、本当にそれが必要なのかと疑問を覚えるのだ。

 魔王を倒すという目標のために、今までは自分たちのレベルアップと、探索の手段を欲していた。

 それが今は足場固めにシフトして、基礎体力づくりと、クラスメイトに教えを請う動きになっている。

 これらの全てが不要とは思えないが、本当に欲しているものとはまた違っている気がする。


「……正直、自分が何を欲しているのか、よくわからなくなっているんだ。……ああ、そうか」


 だから、動きが必要なのか。

 今に迷いを生じた時に、道を探すための、自分を納得させてるための動きを。


「自分が、本当は何を必要としているのか。それを、これから見つけて行こうと思う」


 男鹿はようやく歩き出して、伊佐美に対して構えた。


「自分を納得、確定させるための動きは、人とぶつかる必要がある」


 だから、協力者に感謝して、相対する。

 自分が納得を得られなくとも、自分と相対した事で、相手が何かを得てくれるかもしれない。

 先ほどの朱門の言はそういう事だったのかと思い至り、男鹿はこうした相対に意義を見出した。


「勉強させてもらうぞ、伊佐美」

「そりゃお互い様だろ。しかし、まあ、そうだな……」


 相対し、互いに構えを取り、ぶつかる事で何かを得んとする男ふたり。

 盛り上がりを取り戻したギャラリーに混じってそれを見つめる佐藤は、複雑な心境を自覚していた。




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