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②:女神

 担任の隣に、まるで転校生の自己紹介のように出現したのは、神話やファンタジー系のゲームに登場しそうな容姿と衣装の女だった。

 誰かが言った。「女神」と。

 その女神が、手にした錫杖の底で教室の床を突く。

 すると、教室中がオレンジ色の光に包まれ、窓から見えていたはずの外の景色が消えて薄暗くなった。


「――さて、みなさんにはこれから異世界へ旅立って頂きます」


 女神の口から発せられる澄んだ美しい声が、逆に不気味に感じられた。


「異世界で、ゲームに挑んで頂きます――」



 ◇



 教室の誰もが動きを止める中、最初に動きを見せたのは担任の大樹だった。


「お、おいキミ! いったいなんだ、突然現れて! 部外者だろう? 誰かの親御さんというわけではなさそうだし……」


 日常に突然舞い降りた非日常に、真っ向から正論で向かって行く様は清々しく勇ましいのだが、クラスの大半はこう考えただろう。

 あ、やばい。担任やばい、と。


「ちょっと、静かにしていてください。ね」


 女神は詰め寄ってくる担任の挙動を錫杖で制すると、逆の手で彼の額にでこピンを放った。

 そして3-Cのクラスメイトたちは、成人男性がでこピン一発で宙を一回転するという、異様な光景を目にする事になる。

 でこピンを食らって後方に一回転した担任は、教卓の上に背中から叩き付けられた。

 さらに、女神が表情を変えずに教卓を指で押すと、教卓は音もなく滑って行き教室の端にぶつかって停止する。

 担任は白目をむいたまま、ぴくりとも動かない。意識を失っているのだ。


「せ、先生!?」


 すぐに担任を助け起こしに席を立ったのは、クラス委員長の遠江だ。

 仰向けに倒れた担任を横にして脈を取り、息をしている事を確認すると、小さく肩を叩いて呼びかけている。


「大丈夫です。命に別状はありません。ここでは、命のやり取りをする意味も価値もありませんからね」


 淡々と感情を込めずに告げる女神に教室中が委縮するかと思いきや、新たに席を立ちあがる者たちがいた。ふたりだ。

 大柄な体躯に鋭い目付きの男子生徒、蒲生久司(がもうひさし)。度々暴力沙汰を起こして停学になっている生徒。

 もうひとりは長身で額にバンダナを巻いた姿の男子生徒、伊佐美泰寅(いさみやすとら)。こちらも不良として生徒たちに認識されている。


「みんな逃げろよ。……早く」


 静かに手短にそう告げたのは伊佐美だ。

 先に席から立ち上がり、肩を怒らせて女神に近付いていく蒲生を追うように、数歩分の距離を置いて歩いていく。

 このふたり、示し合わせたのか思えば、そうではないらしい。

 実際、蒲生が立ち上がったのを見てから、伊佐美は自らの席を立っている。

 誰かが動くならちょうどいいといった感じで、これに乗じて何かしようという事なのだろう。


「みんな教室から出て!」


 担任の様子を見ていた遠江も、声を上げてクラスメイトを叱咤する。

 動きはドア側の席からあった。

 クラスメイトたちが次々立ち上がり、教室の前と後ろのドアに殺到したのだ。


「おい、たっきー。俺らも……」

「いや、一真。待って。状況見よう」


 東もみんなに倣って立ち上がろうとするのを、辰樹は言葉だけで制止した。

 動きたければ自分だけどうぞといった辰樹の態度に、何か考えがあるのだろうと察した東は、一度上げた腰を席に戻した。

 見れば、席を立たずに動向を見守っているクラスメイトが何人かいた。

 この状況で動くに動けなくなった者もいるようだが、そうでない者も確かにいるのだ。


「……ねえねえ、これって何かおかしいよね。大丈夫かな」


 静観を決め込んだ辰樹と東の方へ、薬師寺が椅子を引いて寄って行く。

 その表情は不安げではあるのだろうが、声や雰囲気からは楽しそうな感じがにじみ出ている。

 結構良い性格なのかなと、辰樹が内心に思っていると、女神の方に動きがあった。


「ああもう。面倒くさいですねえ……」


 女神は澄んだ美しい声でため息を付くと、迫り来て薄絹に掴み掛ろうとしていた蒲生を、担任にそうしたようにでこピンで吹き飛ばした。

 でこピンを額に打たれた蒲生は一回転こそしなかったが、水きり石のように勢いよく吹き飛んだ。進行方向の机や椅子を盛大に巻き込んで、教室の後ろに激突して止まった。

 女子生徒たちから悲鳴が上がる中、蒲生の後ろを付い来ていた伊佐美が、動く。

 確か、伊佐美は何か格闘技をやっていたのだと、辰樹は東から聞いた事がある。

 その動きは鋭く素早く的確で、女神が気付いた時には彼女の手首を掴んでいた。

 だが、そこまでだった。女神が錫杖から、衝撃波らしきものを放って伊佐美の長身を吹き飛ばす。

 伊佐美が飛ばされた先は、教室の真ん中、辰樹と東がいる席だ。

 宙から降ってきた伊佐美をふたりは慌てて受け止めようとして、受け止めきれずに席を巻き込み倒れ込んだ。


「うわわ、みんな大丈夫ー!?」


 何とか巻き込まれずに逃げおおせた薬師寺が、伊佐美が降ってきて潰された辰樹たちを、机と椅子の山から引きずり出す。


「おおい、とらさん! とらさん無事かー!?」

「うるせえよ東。とらさんって誰だ……」


 気絶してしまった担任や蒲生とは違い、伊佐美には意識があった。

 だが、謎の衝撃波を受けた影響か、身体が脱力して辛そうだ。


「駄目! 開かない! 扉開かないよ!!」


 前後の扉から逃げ出そうとしていた生徒たちが悲鳴のように叫ぶ。

 オレンジ色の光に包まれているせいなのか、教室の前後の扉はがたりとも音を立てない。

 まるで扉としての機能が最初からなく、壁の模様だったかのようにびくともしないのだ。


「うっそ……。ここどこよ……」


 その声は、窓際に座っていた生徒から発せられた。

 辰樹と東がその声につられるようにして窓の外を見れば、春先の風景は一変して、ひたすら暗黒の空間が広がっていた。

 一瞬夜かとも思えたが、それにしては月も星も、あるべき陰影もない。

 この教室を包むオレンジ色の光。その光に反射するものが、なにもないのだ。


「この教室は現在、異空間に隔離させて頂いております」


 女神の声で、生徒たちは動きを止めて彼女に注視した。

 逃げられない。みんな、ここから出られないと、直感してしまったのだ。


「さて、みなさんようやく静かになって頂けましたので、改めて説明をさせて頂きます」


 女神は一度、錫杖の底を床に打ち付ける。

 改めて、生徒たちの注目を集めるためだろう。


「もう一度申し上げます。みなさんにはこれから異世界へ旅立って頂きます。異世界で、ゲームに挑んで頂きます」


 ゲームという単語に、クラスメイトの何人かが反応する。

 先ほど教室の後ろで騒いでいたふたりや、メガネをかけた女子生徒、強面だが気弱そうな男子生徒、そして熊のように太った大柄な男子生徒。

 確か、このクラスのゲーム大好き勢だったと、辰樹は記憶している。

 その勢力のうち、騒いでいたお馬鹿2人組。その御座る語尾の方が手を上げる。メガネをかけた刈り上げ頭の男子生徒、陣内信行(じんないのぶゆき)だ。


「はい。女神さま」

「何でしょう?」

「異世界で、ゲームで、御座りますか?」


 御座るが丁寧になっている。緊張しているのだろうか。


「はい。異世界で、ゲームです」


 そこで、御座る語尾の相方が手を上げる。(そうろう)語尾の、眉が太く長髪を後頭部で結っている男子生徒だ。こちは溝呂木義友(みぞろぎよしとも)


「はい。女神さま」

「何でしょう?」

「そのゲーム、なんというか、自分たちが下手したりへますると、死んだりするので候?」

「いいえ。死んだりしません」


 女神の回答に、御座ると候は互いに顔を見合わせて頷き合うと、拳を握って諸手を上げた。


「来たで御座るぞおおおお!」

「来たで候おおおおおおお!」


 いったい何が「来た」というのだ。

 辰樹は呆れ顔でふたりを見るが、すぐにこれはこれでいいのかなと思い直す。

 喧しいお馬鹿コンビのいつもと変わらない叫びに、クラスメイトたちが怪訝な顔をしながらも、緊張感を少しだけ緩めたのだ。

 突然の非日常と不可解な力に怯え荒みかけた心が、お馬鹿な日常のノリで解されたのだ。馬鹿は侮れない。


「異世界!」

「召喚!」

「しかも、クラス全員召喚型で御座るよー!!」

「チートは!? チートスキルはあるで候!?」


 辰樹は「んん?」と小さく唸りつつもふたりの言行を見守っていた。

 見る限り、あのふたりはこの状況を本当にゲームか何かのイベントだと考えているように見えるのだ。

 ふたりの様子に注視していたところに、東が小さく呟いた事で意識はそちらに引き寄せられた。

 東は「なるほどなー」と呟いたのだ。


「たっきー。これ、異世界召喚ってやつの前触れかもしれねえわ」

「あの馬鹿ふたりが言ってたやつ? どういう事?」

「Web小説のジャンルに、俺たちみたいな現代人がファンタジー世界に拉致られて、なんやかんやで冒険する事になる、ってのがあるんだよ。異世界召喚もの、ってな。派生だか源流だかで転生ってパターンとかもあるらしいけどよ……」

「詳しいね」

「この前、小田原(おだわら)に聞いた」


 その小田原はというと、先ほど蒲生が吹っ飛ばされた時に巻き添えを食らって一緒に気絶していた。

 東が小田原から聞いたという話を要約すると、現代日本の中学生か高校生か、あるいはブラック企業勤めやニート引きこもりなどのパーソナルを持つ者が、西洋ファンタジーRPG風の異世界に転移させられ(または事故死等で生まれ変わりして)、その異世界で冒険したり第二の人生を歩んでいく、という一大ジャンルがあるらしい。

 辰樹は自分の中の知識を辿り、80、90年代のOVAアニメの話を引き合いに出したが、東は「ちょい違うわなー」と首を横に振る。

 女神が「ゲーム」と言ったからだ。


「……なんつーか、それ系の作品を俺が見た限り読んだ限りだとよ? オープンワールドRPGとかシュミレーションRPGの延長上の世界って感触なんだよなー。魔法や必殺技もツール化されてたり、その世界に住んでる人間とか異種族とか、あとモンスターとかもどっかで見た事のあるテンプレートモデルでよ。んで、あの女神様? もゲームだとか言ってたしでよ」

「そっちのジャンルは詳しくないんだけれどなー。……でも、ゲームって事はさ、クリアできる仕様って事だよね?」

「わーからん。物語的にはいくつかパターンがあるらしいんだが、クリアの保証までされてるのは稀らしいぜ? ストーリーそのものが主人公のためのものって感じだからなー。……くっそ、小田原が気絶してなければもうチョイ話聞けたのによー」


 じゃあ、お馬鹿ふたりに聞けば? と辰樹が投げやりに言えば、話が要領得ないからダーメと東は渋い顔だ。


 今やゲーマー勢に群がられている女神の話が本当のならば、これから辰樹たち3-Cの面々は異世界に送り込まれ、その地でゲームに挑む事になるのだと言う。

 異世界でゲーム言われても、辰樹にはいまいち実感が湧かない。

 具体的に何をするのかを想像できないのだ。


 しかし、と。辰樹は顔をしかめる。

 異世界召喚。それによって、とある最大の弊害が辰樹を襲う事になる。


「異世界って事はさ……。基本、日本人いないよね」

「あ、そこ?」


 辰樹の冷や汗交じりの呟きに、東は緊張感を失ったように突っ込む。

 多人種に対して恐怖感を禁じ得ない辰樹にとって、国外に、まして異世界に出るなど、精神衛生上は紛争地帯へ赴くよりもきつい事だ。


 教卓の近く女神を囲む人だかりは、少しのあいだ目を離した隙に大きくなっていた。

 最初は陣内と溝呂木をはじめとしたゲーム大好き勢が率先して女神に接触していたのだが、幾人か、早くもこの状況に適応しようと動き出した逞しいメンタルの者たちが、事情を聞く順番待ちの列をつくっていたのだ。

 今この教室の勢力図は、女神に話を聴こうとする者、気絶している者(介抱している者含め)、見に回って様子見の者(あるいは、状況についていけないだけか)とに別れていた。


「……これでは、埒が空きませんね」


 女神が呆れたように呟いた。

 彼女の眼前には話を聴きに来た生徒たちが順番待ちをしている状態で、そのひとりひとりに丁寧に応対しているので、一向に話が先に進められないのだ。

 事態を先に進めたいのか、女神はある動作に移る。

 先ほどから様々な現象を引き起こしている、錫杖の底で教室の床を叩くというものだった。

 すると、女神がふたりになった。


 ……いや、神様だと一柱、二柱の方がいいのか。


 どちらでも差して変わりない事を考えていた辰樹たちの元にも、女神の分身体は現れた。

 総勢八体ほどに分身して教室の各所に現れた女神に、生徒たちが再び静まる。


「では、異世界へ旅立つみなさんに、これからある事を行って頂きます」


 それは、


「みなさんのキャラクターメイクです」


 女神が告げた瞬間、お馬鹿コンビが再び歓喜の雄叫びを上げた。




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