2-⑥
スクロールのアップデートから1日経って、宿に戻ってきたのは計3名だった。
猪瀬は鍛冶屋の師匠の元に泊まり込みで、たまに食事しに宿に戻ってくると言っていた。
しかし、それでも大半の時間は向こうで過ごすようで、去り際佐藤にお弁当の注文をしていたのを辰樹は聞いている。
伊佐美も、1日の大半は村周辺の土地へフィールドワークに出るのだと告げていた。
とはいえ、食事時には顔を出すので、夕食時には東が嬉々として絡みに行くのをウザったそうにあしらっていた。
どうやらゲーム上のステータスと実際の体感に関して思うところがあるようで、後々話を聞くことになるだろうと辰樹は予測する。
そして、宿に運ばれてから半日してようやく落ち着いた高屋敷は、チーム遠江への協力を快く受け入れ、夕食時に帰還した3人組に泣き付かれて困ったような顔をしていた。
お馬鹿コンビからも“お館”と言われて慕われていたようで、連絡が取れない事を心配していたのだという。
聞けば、高屋敷も村周辺を探索していたのだが、体力の無さからちょくちょく休憩を取っている内に陽が暮れてしまい、暗い夜道で足を滑らせて用水路に落ちてしまったのだという。
一晩中冷たい水の中に半身が浸かって身動きが取れず、伊佐美が通りかからなかったら本当に一度死んでいただろうと恐ろしげに語った。
反応があったのはその3名だけだった。
姿をくらましたクラスメイトのほとんどは、遠江のメールになんの反応も示さなかったのだ。
「さすがに、離れて行った人みんなが戻ってくるなんて、虫が良すぎるよね?」
深く息を吐いて食堂のテーブルに突っ伏す遠江だったが、その直前に見せた表情には残念さがあった。
クラスメイト全員ではないにせよ、もっと多くの反応があると期待していたのだろう。
「ま、いいんじゃねえの? こうしていいんちょ……、みゆっちがお手元のサポートしてくれるってわかったんだからよ、そのうちガシガシ連絡来るって」
「……東くん。みゆっちって、私の事?」
「トオトウミ・ユキエ、のミとユ取ってみゆっちな?」
「一真さ、女子のニックネーム考える時、だいたい中抜きするよね」
「えー。でも、私は“お春さん”だよ? なにこれー、年上差別ー?」
「私は“あむっち”で、お尻の方だけだよ?」
テーブルに突っ伏した遠江を気遣ったものか、薬師寺がテーブルの下からひょこりと顔を出し、ミリアムが向こうのテーブルから遠慮がちに声を掛けてきた。
女子勢の不満の声に、東は「むぐぐ」と唸り腕組み。
どうやら新しい呼び方を考えているようだ。
「ええー? じゃあ、みゆっちも“お雪さん”とかにすりゃあいい? それとも、普通に名前で“ゆきえちゃーん”って呼んだ方がよろしいかー?」
“お雪さん”で微妙そうな表情になった遠江は、次いで“ゆきえちゃーん”と呼ばれた事に、たった今口に含んだ水を噴き出してしまう。
真っ赤な顔で咳き込み、そして涙目で辰樹を睨んだ。
どうやら辰樹が屋根の上でのやり取りを東に話したものだと思っているようで、辰樹としては両手と首を横に振って、全力で否定の意を示すしかない。
賑やかな場所は居ずらいなーなどと、辰樹は手元の湯飲み(猪瀬作らしい)を傾けて中身を灯りに照らす。
湯飲みの中身はお茶、それも緑茶だ。
薬師寺が宿屋の裏手にガーデニングスペースを作成して栽培したものだというのだが、たった数日程度でこうして食卓に並ぶとはどういった魔法だろうか。
「んとねー。私の信仰している神格が豊穣の神様で、作物に稔りあれって感じで、高速栽培出来るんだよ? マジカルガーデニングだね!」
などと薬師寺が言っていた。
そうして栽培できる品種も数も多くはないらしく、このお茶の茶葉を栽培して以降、薬師寺はガーデニングを行っていない。
何気なく理由を問えば、「命の急成長って、ちょっと思うところがあってねー」などと曖昧な表情と言葉で濁したので、辰樹はそれ以上踏み入らないようにする。
そうして夜も更け、食堂に缶詰だった遠江も今夜ばかりは自室のベッドで眠ろうかと席を立った時だ。
不意に、テーブルに置かれたままの遠江のストーンが鳴動して着信を知らせる。音声通話のようだ。
飛びつくようにストーンを手にした遠江は、しかし一瞬ためらいを見せる。
だが、東や薬師寺、ミリアムたちが無言で「大丈夫!」と拳を握り表情で力説するのに後押しされたのか、通話機能をスピーカーモードで展開した。
『あー、繋がった! ほんとに繋がったー! おーい! 委員長ー、聞こえるー! あたしあたし、3-Cのクラスメイトの水沢! 水沢宴!目付きの悪い雨森ちゃんもいるよー!』
水沢と雨森という名前に、遠江はハッとしたようだった。
隣りの東が耳打ちしてくる事によれば、水沢も雨森も、この世界に送られて来て早々に姿を消した者たちだ。
ふたりのうち、書置きを残して姿を消したのが、その雨森なのだ。
「ふたりとも大丈夫なの? 怪我とかしてない?」
『いやー心配させてごめんねー。ちょっと異世界ではしゃいじゃってさ? 未知の土地を冒険できると思ったら、ね。ほら、あたし旅大好き人間だから』
知らんよ、と思わず小声で突っ込んでしまった辰樹だが、感度が悪かったのか向こうには音声が行かなかったようだ。
水沢、という名前の女子に思い当たるところはなかったが、休み時間毎に席で旅行雑誌を眺めてる女子生徒なら目にした覚えがある。
確か、髪型はショートカットで、前髪をヘアピンで上げておでこを見せている女子だったろうか。
いつも大人しく旅行雑誌を読み耽っていたので、声を聞くのは実際今日が初めてかもしれない。
『あ、ちょっと待ってね。雨森ちゃんにかわりまーす。はい、ちょっとー、もりちゃーん! 電話電話ー! 委員長だよー!』
若干声が遠くなる中、辰樹ははてと、自分の記憶を辿っていた。
「……なあ、一真。雨森ってどんなだっけ?」
「ええっとな、すんげー目付き悪くて、制服着崩してた女子、居たろ? 新任の女教師マジ泣きさせたり、新入生の女子マジ泣きさせたり、近くの中学のガラ悪い男子中学生の憧れになってて姉御呼ばわりされてるっていう……」
目付きの悪い、という単語で思い出した。
確かにそんな女子が3-Cには居た気がするのだが、記憶は曖昧だ。
やけにひどい伝説ばかりあるものだなと辰樹が渋い顔になっている内に、ストーンの向こう、会話の主は水沢から雨森に代わる。
『――あ。雨森だ。書置き残して、消えたりして、すまん』
途切れ途切れ、声は小さいがは、聞き取れない程ではない。
雨森の声はかすれ声だった。
彼女本来の声質なのか、それともこの世界に来てから何事かあってこのような声質になったのかは定かではない。
しかし、ストーンを介して向こうにいる雨森の声色は、こちら側の誰が聞いてもわかる程疲れ切っていた。
『――あたしがいると、迷惑だと思ったんだ。あたし、こんな目付きだから、他のやつ等、怖がらせると思って……』
『なーんて言ってんのよー、雨森ちゃんったらー。水臭いんだわー』
このふたりは元々の友人だったのだろうかと、辰樹は首を傾げる。
やり取りを聞く限りでは、水沢が一方的に、雨森に馴れ馴れしくしているのだが、このふたりがどうして一緒に行動しているのかが全く見えて来ない。
だが、辰樹のそんな疑問も、調子付いた東によってすぐに聞き出される事になる。
何でも、この世界に来た日の夜更けに、雨森が書置きを残して宿を出ようとしたところ、同じく宿を出ようとして厩に来ていた水沢とばったり出会ってしまったのだという。
雨森としては、他の者を怖がらせるといけないという事で単独行動を取ろうとしていたのだが、同じようにひとりで出ようとする水沢が危なっかしく見えて、途中まで同行する事にしたのだという。
『――それが、運の尽きだったわ。こいつ、教室だとなんもしゃべらねえくせに、いざ旅に出ると1日中しゃべくりまくってるんだ。こんなのと一緒に知らない世界を巡るくらいなら、宿でおとなしく引きこもってたほうが、何倍もマシだったわ。委員長、重ねてすまない。次あった時は、土下座でも何でもするから許してくれ……』
『あ、ひっどーい。雨森ちゃんあたしの事そんな目で見てたんだー』
雨森の疲れた声に、後ろから水沢の文句が被ってくる。
ふたりの様子に、遠江は心底安心したようだった。
「……良かった。ふたりとも無事で……」
肩の荷が下りたかのような重い安堵の言葉に、ストーンの向こうが少しの間、静かになる。
クラスメイトと協調するのは避けても、心配してくれる遠江の事を申し訳なく思う気持ちはあったという事だろうか。
ならば、最初から足並みを揃えれば良かったのにとも思えるが、それをせずに動き出すような価値基準が彼女たちにはあったのだろう。
『えーっとね、いろいろと迷惑面倒かけたお詫びというか、なんというか……。取りあえずさ、あたしら、ちょっちこの異世界を旅行と洒落込もうって感じで、いろいろ旅先で掘り出し物があったらそっちに送るようにするよ。他の村や町なんかの情報って、欲しかったりするでしょ?』
それが、彼女たちなりの詫びの入れ方なのだろう。
遠江はただ「ありがとう」と告げただけだった。
いろいろ思うところはあるのだろうが、以前のように強引にクラスを纏めようという意思は、もうないのだろう。
裏方に回ると宣言した後の遠江は、辰樹が見る限りでは肩の力が抜けて充実しているようにも思えた。
委員長という肩書を外して、ようやくクラスメイトたちと話す事が出来たという心地にも見える。
『それでさ、あたしら今、なんと町にいまーす! 町です町! 今まで野宿だったから体痛くってさー、着いてすぐ宿とってねー。あーもー、やっとベッドで休めるよー。あ、それでね、町の規模はあんまり大きくなくて、そっちの村に毛が生えた程度なんだけど、市場とかものとかいっぱいな感じだったよー。詳しいところは明日以降リポートするねー。あ、それとー……』
通話の最後に、水沢はとあるアイテムを遠江に転送していた。
『宿屋のおっちゃんにさ、もらっていいー? って聞いたらくれたんだ。いやあ、見た時は吃驚したよー。それ、この世界の地図なんだよね』
地図。
その単語が食堂内に響いた瞬間、端の方で読書中だった寒河江や、明日の打ち合わせ中(かなり脱線しているようだったが)だった3人組が、椅子から転げ落ちんばかりの挙動でこちらのテーブルに駆け寄ってきた。
この世界の地図は、この村にはどこにも置いていなかった。
村人の活動域が近くの町や田畑に限られているというものあるのだろうが、行商などの限られた層しか地図を所持していないという話を、東経由で聞いている。
そもそも、こういったファンタジー世界の地図などが、日本や諸外国で実際に普及している地図とは致命的に精度が違うだろうと辰樹は考えていた。
広大な土地に、ランドマークに成り得る城や町が抽象化され戯画化されて描かれているものだとばかり思っていたのだ。
水沢から送られてきた地図を見た一同は、しばらくの間、言葉を失ってしまった。
それは、驚愕の表情をい浮かべて黙り込んでしまった者と、その者たちを見て何となく言葉を発するのを躊躇った者の二通りに分かれる。辰樹は後者だった。
『その地図、わかる人はわかると思うんだー。あたし、趣味旅行でさ、バイトしてお金溜めて、日本各地一人旅してたわけでさ。それで、その地図の地形見て、ちょっと引っかかるっていうか、思い当たるっているか、もうこれビンゴでしょーってのが、あったわけで……』
辰樹は改めて、遠江が広げた地図を見る。
大陸全土をカバーするものではなく、この世界の住人達が生活圏としてる土地を大まかに切り取ったものだ。
左手側、つまり西側に海があり、右手側には平野と山脈が連なる。
南北は地続きになっていはいるが、その先は「何もない土地」という扱いになっているようだ。
想像通り、大まかな地形にいくつかのランドマークが見られるのだが、「はて」と、しばし思考が止まる。
この地図の縮尺がわからなかったのだ。
そして、地図の元に群がったクラスメイトたちは、この地図のどこに、そんな驚くべき部分を見つけたというのだろう。
首を傾げてみんなの動向を見守る辰樹は、遠江が不意に、インクと羽ペンを取り出すのを見る。
ペン先にインクを浸し、地図上、区切るように線を引いてゆく。
そうして露わになった輪郭に、薬師寺がぽそりと一言を発する。
「人の横顔? に見えるね。モアイみたい」
人の横顔に見えるような地形。
辰樹の記憶には、思い当たる土地があった。
外国ではなく、日本の土地だ。
ストーンの向こうから、水沢が声を送ってくる。
『あ、やっぱそう見えるよねー。薬師寺さんだっけ? 雨森ちゃん共々よろしくねー?』
水沢の声は聞こえてはいたが、誰も返事をしようという者はいなかった。
ただ、広げられた地図、線で区切られて露わになった土地に、みな言葉を失っていた。
『これさ……。どう見ても、山形県だよねー』
地図に描かれていた地形は、日本の東北地方、その西側に位置する県。
山形県の形をしていたのだ。
この日、この異世界の暫定名称が“ファンタジック山形”に決定した。
発案者は言わずもがな、お馬鹿コンビの陣内と溝呂木だった。




