1-⑥
「いやあ、しっかし派手にやられたもんだよなあ、御堂! 初めてじゃねえのか? ここまでコテンパンにやられるのは!」
暗い夜道を男3人が行く。
村の宿“のたうつ牡鹿亭”を発った3人だ。
楽しげな声を発したのは、鼠色のフードで目元を隠した背の高い男。雑賀だ。
ひとしきり笑って落ち着きはしたが、それでも口角は上がってしまうし歯は見える。
「……うるっせえなあ……。俺が惨めに這いつくばったザマが、そんなに面白いかよ?」
不機嫌さを隠そうともせずに言うのは、ワインレッドの皮鎧を着た御堂。
辰樹に踏みつぶされた右手は神田の治癒魔法で再生しているが、まだ潰された時の違和感が残っているのか、しきりに左手で触っていた。
「はは、楽しいも何も、最高じゃなーい!? 惚れた女を自分のものに出来るチャンスを、みすみす不意にしちゃってさー!? 挙句、決闘ごっこして惨敗!ー こっちが散々お膳立てしたのにこれかよって思ってたけど、これはこれでありだねー! うん!」
御堂の渋い顔を見て誰よりも楽しそうに笑うのは、3人組の中では頭ひつ分は背の低い、女顔の神田だ。
黒い法衣の裾を踏ん付けそうになりながらも、「ああ、おかしい!」とばかりに体をくの字に折っている。
神田の事を良く知る雑賀と御堂は、その様子に若干引き気味になる。
この女顔で線の細い腐れ縁がこうして腹を抱えて笑う事など、中学時代に出会ってつるむようになってから、そう何度もなかったのだ。
「おいおい神田さんよ? お前さん、人の不幸は蜜の味を地で行くようなヤツだとは思ってたけど、御堂の無様はそこまでツボだったのか?」
引き気味の雑賀が聞くのを、神田は腹筋を撫でながら「もちろん!」と返す。
「今回は、全部が全部面白かったんだよー! 御堂の無様もそうりゃあそうだけど、なんだいあれー? 朱門辰樹ー? 噂には聞いてたけど、あそこまでぷつんとキレたヤツだとは思わなかったよ!」
目じりに浮かんだ涙を拭いながら言う神田は、心底楽しそうだ。
「いいよねえ、ああいう頭のおかしなヤツ。東一真とつるんで、いろんな面倒事に首突っ込んでたんだってー? あんなヤツだって知ってたら、ぜひとも学校に居た時に絡みかったよねー、ほんと!?」
心底楽しそうに残念だとのたまう神田の様子に、雑賀と御堂は顔を見合わせる。
学校に居た時に絡みたかった、とは、決して友達になりたかった等の前向きなものではない。
“春一番事件”のような目に合わせてやりたかったと、神田は言っているのだ。
「おいおい神田さんや。やめとけよ、自重しとけ? お前さん、そんな事言って、何人潰しちまったか覚えてんのか?」
「やだなー。雑賀ー、俺高校入ってから誰も潰してないよー? 相手が勝手に落ち込んで表に出て来なくなっただけでー? 校長先生も悪戯な春風に頭に乗せてたもの飛ばされてー、不幸にもみんなの笑いものになってしまっただけだろう? ねえー?」
諌めるように言う雑賀の顔を、神田は「とっても楽しいよ? ん?」といった表情で、下から覗き込んでくる。
「てめえは美少女か?」と悪態をつきたくなる雑賀だったが、神田の機嫌を損ねると面倒な事になりかねないので、このまま上機嫌を保持しておく。
見境がなくなった神田は身内にも容赦がない。
一度、御堂を半べそをかくまで追い詰めた事もあったくらいで、その恐ろしさは横で見ていた雑賀が一番良く知っている。
「……それに俺ー、仕掛ける人間はちゃんと選んでるよ? 無差別にやってるわけじゃないしー? 校長だってー、生徒の親御さんが払ってる学費を横領なんてしてなければー、あんな事にはならなかったよねえー?」
「ったく、お前さんはどっからそういうお話を嗅ぎつけて来るかねえ……。しかもご丁寧に裏まで取って校長脅して停学退学阻止? 末おっそろしいわホント」
「まあ、退学でも良かったけどー? でも、この3人でつるむのもあと1年なんだしー? もうちょっと面白おかしいことしても罰は……」
神田は、言葉を途中で止めてしまった。
理由を知っている雑賀はその先を問い正す事はしない。
「……どっちにしろ、あのクソ野郎には後々痛い目見せてやらねえとな。右手の礼はしっかりさせてもらうぜ?」
今度は憮然としていた御堂が薄ら笑いを浮かべ始めた。
彫りの深い顔に浮かぶ笑みは薄い氷のように冷たい。
御堂がこんな顔をするときは、決まってろくでもない事を仕出かす時だ。
雑賀は付き合いの長いふたりが上機嫌でやる気になっている様に、ため息を吐いて額を押さえんばかりの思いだった。
「……一応言っとくけど、俺は血が流れたり人が死んだりってのには、協力しねえからな? 特に、こっちの世界の住人殺すってのはパスだわ。いくらゲームだろうがなんだろうが、超えちゃいけねえ一線は超えねえよ」
自分の線を明確にする雑賀の肩を、御堂が「わかってる、わかってるさ」とばかりに、軽く叩く。
「まあ、俺だって殺生なんざごめんだからな。雑賀には、ちょっと仕掛けを手伝ってもらうだけだ。……つってもまあ、あいつに一泡吹かせるための手段も、用意しなくちゃならねえからな」
「ああ、仕込みかい? それならいつでもこいだ。……時に朱門ってよ、殴られる覚悟があったうえで殴ってるって感じじゃなかったよな? そこんとこ、どうする?」
「知るかよ。……まあ、人様のお手々思いっきり踏みつぶしてくれたんだ。てめえが同じことされるかもしれねえって事は承知の上でやったんだろうよ。なら、こっちも遠慮する必要はないよな?」
「りょーかい。じゃあ、死なない程度のビックリ箱、拵えようかねえ……」
そして雑賀も笑みを浮かべた。
目元を隠した、口元だけの笑みだ。
「んで? 御堂よ。結局、委員長の事はどうすんだ?」
「はあ? 別に、俺は……」
「いやいや雑賀ー。せっかく異世界なんて特殊な環境に来ておいてー、それでしくじってあのザマだよー? 一番利用できるとこ利用できなかったんだからー、あとはもっとめんどくさい搦め手使うしかないでしょー?」
「……なんだよ搦め手って……。言っとくけどな、あの女に手え出したら、相手がお前らでも黙ってられねえぞ?」
「ばっか、御堂。そんな事ばっか言ってるから、良いとこ横からかっ浚われるんだろ、バッカ? 考えてもみろよ。今頃宿で、委員長と朱門、ラブラブイチャイチャしてたら、どうすんだよ?」
雑賀の冗談めかした一言で、御堂の歩みがぴたり止まる。
先行する形となった雑賀と神田が後ろ歩きで戻ってきて、立ち止まった御堂の顔を覗き込む。
じぃっと、御堂の顔を覗き込んでいた雑賀と神田は「うん」とひとつ頷くと、極自然を装って歩き出した。
「……相当ショック、って顔だなありゃ。下手に想像力豊かだと、傷は深いねえ……」
「自業自得でしょー? これを期に、寝取られ属性に目覚めちゃえばいんだよー」
「やめろー、神田。御堂、死ぬぞ」
「そもそもー、委員長を威圧してメンタル弱らせてー。それで仲裁に来た誰かと喧嘩して“私のせいで誰かが怪我した”ーって委員長に負い目つくって、自分ものにする手筈だったんだからー」
「お前さんのえっぐい策略は、お前さん以外が使う分には難易度高すぎなんだよ」
「でも、そこら辺良く見抜いたよねー。朱門は」
「……朱門本人様の言うとおり、クラスメイトに興味ないからじゃねえのか? 陣内みたいに焦って誰かを呼びに駆け回るわけでもなくて、男鹿みたいに義憤に駆られて仲裁に入るでもない。完全蚊帳の外から見てたからってやつ? 最初は関わらないようにしようとしてたんだろうな、あいつ」
「あれがねー、男鹿がもうちょっとガッツが合って一騎打ちになってたら、良い線行ってたんだろうけどねー。でも上手くはいかなかった。次頑張るしかないねー? ねー、御堂ー? おい御堂ー!」
御堂が情けない顔をしてプルプルして立ち止まったままなので、雑賀と神田は急ぎ足で戻って御堂を引っ張って歩き出した。
「で、これからどうすんだ? 勢いで飛び出してきちまったけどよ? 行く当てとかないだろ?」
「まあな。だが、道が整地されてるのが救いだ。これで“行先”が仮にでも定まる。で、まずは拠点確保だろうな。……村じゃ規模が小さすぎる。せめて町くらいのでかさ、欲しいよな」
「いいよねー、町。町ひとつ、牛耳ってみようよ? もちろん、表向きは変わらないように、裏から手を回して、平和に平和にー」
「まーた黒い事を……。ああ、で、どうする? 他に村から離脱したやつら。声かけてみるか?」
「誰がどこ行ったかとか把握してねえよ。それに、手綱取れるやつらだと思うか? 異世界とかわけわかんねえ場所で、ひとりかふたりで群衆から離脱するやつらってのは?」
「……俺は、いやだよー。手綱取りたくないしー、関わり合いになりたくなーい。そうでなくともこのクラス、御し難いの多すぎなんだよー。御堂が一番ちょろいくらいだしー?」
「はっは。違えねえわ、それ! 今まで他に女抱くチャンスがあったってのに、委員長ひとりに操立てて……」
「黙れ雑賀、ぶっ殺すぞ」
「おお、こわ……」
中学時代からの付き合いである3人組。
決して友人や親友といった関係ではなく、あくまで腐れ縁だ。
雑賀が仕掛け担当。
神田が人心掌握担当。
そして、御堂が資金と実働を担当する。
小さく細々と仕掛けを準備して、大きく派手に打ち上げる。
知る人は3人の事を“悪童”と呼ぶ。
男3人は夜の道を行く。
行先は暗い。
闇だ。




