漆黒の襲撃者
今回の話では、結構重要な登場人物が出ます。特にタイトルのもととなったキャラは、エリクでの話が終わってからも名前が出る予定ですので、頭の隅にでも置いといてください
医者と看護士の指示に従い検査室に入ったルナを見送った後、アルトは病院の待合室でミルス達と合流した。そして彼女が今検査している事と、先程すれ違った二人の男について話した。
「その男達が、ルナさんの顔を見て驚いてたんですか?」
ソファに腰掛け、ヒラヒラのスカートを穿いた太ももの上でディアスを撫でながら、ミルスは聞き返す。
「あぁ…。何か知ってそうだったけど…、そのまま去っていったよ…」
「怪しい…、怪しいよ!!もしかすると…性的な目でルナぴょんを見てたのかも!!」
言っていることはともかくテーブルの上に立つのは止めろ、とアルトはシーナに注意する。
「でも知ってたかもしれませんね」
口元に手をあて、探偵のように考え込むハルキィア。
「そうだね…。引き留めて問いただせばよかったかも…」
「でもルナちゃんを睨んでたんなら、ちょっと危ない人達だったのかもしれないよ?アルト君がついてても、今は一応女の子なんだから…引き留めなくて正解だったと思うよ」
剣を手入れしながら、ラルファが言う。
「僕のことも心配してくれてるんだね。ありがとう」
「マスター。とにかくこの町の情報を集めましょう。その二人がお医者さんに言っていたという事も気になります」
「ブルド…って奴がどうとかのことか…、そうだね…。一時間ただ待つのもあれだし、情報を集めようか」
「いや、ワシから説明しよう」
アルトが立ち上がると背後から声がかかった。
そちらを向くと、メタボ医者が白衣のポケットに手を突っ込んで立っていた。
「コーヒーを淹れるから、あっちで話そう。勿論君の友人全員と」
メタボ医者に連れられ入った部屋で、アルト達は待合室のより高級そうなソファに腰をかけ、全員にコーヒーを出された。
「ここは院内に設置された私の部屋だ。なにぶん、部屋だけが無駄に余っているから、1つだけ私用に使わせてもらってるんだ。彼女の事は心配いらん。看護士が代わってくれている」
そんな事を語り、メタボ医者は向かい側に腰を下ろし、淹れたての湯気が昇るコーヒーを一口。
「さて…何から話したものか…」
「さっき出ていった男二人について教えてください」
「ふむ…。エリクの住人として、町の汚点はあまり話したくはないが…仕方がない…」
コーヒーの入ったマグカップを置いて、メタボ医師が語りを始める。
「この町ってのは、ある男が支配している状況にある。その男の名はブルド。親の七光りで成り上がった最悪の男だ」
「ブルド…」
話の内容を確認するようにアルトがその名を呟く。
「今はいいが、町の中では『ブルド様』と呼んだ方がいい。何故ならブルドは独裁者。ポリスと言う町の平和のための職を、自分のためのものにしている。だから外でブルドに反抗的な態度をポリスに見られたり聞かれたりしたら、すぐに罪とされて刑罰を与えられる」
「ポリスって言うのは、そいつの手下なんですか?」
腕を組みながらハルキィアが問う。
「全員が全員手下なわけではない。ブルドが独裁者となったのは7、8年前だったかな?ちょうどその年にブルドの親が死んだ。ブルドの親はこの町の財力を握っている男だったんだが……、酷い男だった…」
「何をしたの?」
「……とにかく奴は金にうるさい男で、一番最悪なのは借金をして返せなくなった家の一家を皆殺しにした」
場が凍りつくようなその発言にミルスは口元を手で覆った。それ以外、質問をしたシーナも口を開けたり、それぞれぎょっとしていた。
「奴はこの町の基盤となる企業の社長……。自分の家族以外の人間は、金を稼ぐための働きアリ…、いや道具としてしか見ていなかったんだろう…」
表情を暗くし、メタボ医者は続ける。
「だが、その傍若無人なやり方が原因だったのかもな。そいつは殺害された」
また急展開な話ではあるが、全員黙って聞いていた。
「その犯人は未だ捕まってはいないが、指名手配されている。息子のブルドが親が殺される瞬間を目撃したため、手配書が出回っている」
「それで、親を殺されて狂ったブルドが町を支配したと?」
「いや、町はブルドの父親の代に既に支配されかけていた。この町のNo.2辺りの議員を裏で糸を引いてブルドの父親が殺したからな。それに親が周りの人間をアリとしてみているのなら、ブルドは父親の死に関係なく独裁者になっていただろう。まぁ事態はより最悪だが…」
医者はマグカップを手に取り、一口コーヒーをすする。淹れてから少し時間の経過したコーヒーからは、もう湯気は立っていない。
「話を戻すと、ポリスって言うのはこの町の治安を守るための公務員だ。町の外の世界に例えるなら…騎士か?正義の組織をブルドがいいように改革し、ポリスの9割程を自分の手下で埋めつくした」
「それじゃ、あの二人も?」
「ブルドの手下の方のポリスだ。ポリスを私有化するならまだどれだけよかったか…。最悪なことにブルドはその手下には色々な権限を与えている…。例えば、子供が町中を走っていて手下のポリスにぶつかっただけで、ぶつかられたポリスには発砲許可が降りる。無理矢理公務執行妨害と言う名目にされ、子供だろうと不注意だろうと問答無用で射殺される」
「……吐き気がしてきました」
「だから町の中には人がほとんどいなかっただろう?ポリスに見つかれば何をされるかわからない。ポリスは窃盗をしようと、殺人を犯そうと罪に問われないからな」
アルトはただただ黙って話を聞いていた。嫌悪感が胸に広がり、見るもの全てが黒く見え始めた。時間が経つにつれ、その嫌悪感は怒りへと変換され、膝の上で汗ばんでいる手を力強く握りしめた。
「だから君達は今検査している彼女の事が済み次第、その日の夜、町を出た方がいい。夜なら見回りのポリスは元からいた1割の善良のポリスだけだ。彼らなら見逃してくれるだろう」
「この町の人はなんとかならないんですか?あなただってこんなところにいるのは嫌でしょう?」
それは外からこの町来て、事情を知ってしまったことで突き動かされた正義感からだった。口を開いたアルトだけではなく、周りのミルス、シーナ、ラルファとハルキィアも同じ事を思っていた。
「あんたらは優しいが…止めておいた方がいい。最近の話じゃ、ブルドは下人街の男らに兵器ばかり作らせていると聞くからな」
「下人街?」
「下人街……、と言うより下人はエリクシティの身分の名前のようなものだ。ブルドとその手下が上人なら、俺らのようにこっちの方に暮らしているのが中人。財力の無さや病人等その下と勝手に分類された人が下人だ。下人達は町の外れに集落のように分離された」
「差別……」
自分で呟いた言葉に胸を痛めたのはラルファだった。バーサーカーとして差別された記憶があるラルファには、下人達の気持ちのようなものが理解できるのだろう。
「優しさだけ受け取っておく。この町では中人だろうと下人だろうと、外へは逃げられない。逃げようものなら一家まとめて惨殺、万が一に逃げ延びたとしても、周りの人間が惨殺されるからな」
「…………っ、」
か細い手に爪がくい込んで、血が流れ始めているのも構わず、やるせなさからアルトは奥歯を噛み締めた。
目の前に苦しんでいる人々がいる。エリクシティは独立しているため、冒険者ギルドも王国も手が出せずにいるため、彼らを救うことができない。
そう思っただけで無力さと言うものを感じた。
「……暗い顔はするな。こんな町でも胸のスカッとする話はあるもんだ」
場の重たい空気を変えようとメタボ医師は、テンションを無理にでも上げた。
「さっきすれ違ったゴミポリスの二人がいるだろ?実はそいつらを襲った奴が楽しいことをしてくれたんだよ」
「楽しいこと?」
「あんたらも見たろ?町の有り様。至るところが瓦礫だらけ、ビルもほとんどが爆発して倒れない程度に破壊。それはその犯人がやったんだよ」
「っ!?あれを一人ですか!?」
「それもたった一晩でだ!!その破壊行為による中人、下人の被害者はゼロ!!逆に上人数人は負傷して、ブルドは寝ているときに家を爆破されて首を痛めたって話だ!!こいつを朝刊で知った時はこの部屋で腹を抱えて久々に大笑いしたもんだ!!ハッハッハッハッハ!!!!」
医師はすごく気持ちがいいのか、まだ半分ほど残って冷めきってしまったコーヒーを一気に飲み干す。
「しかもその犯人は捕まってはいない。ブルドが血眼にして、探しているそうだが手がかりさえ掴めないんだそうだ」
「一体…誰が…?」
愉快そうな医師とは逆に、アルトは深く考え込んでいた。
おそらくこの町の外の住人がやった事であるのはは確定だ。だが町を一夜にしてこれほど荒らせる人物なんて、冒険者ならレベルが90…いや、97以上のものだろう。あるいは人間ではない…か。
「まぁそんなこんなで楽しくやれてるさ。そのおかげでブルドは怯えて、用心棒の冒険者を雇ったほどだそうだ」
「……冒険者を?」
ミルスの顔つきは険しいものになった。冒険者でありながら、そんな外道に金で従うなんて良く思えなかった。
「さてそれじゃあそろそろ時間だな。検査は終わってる頃だろうから行こう」
「……っ、時間!!」
メタボ医師の言葉でルナの検査が終わったことを聞いたアルトは、立ち上がって冷えきったコーヒーを一気に飲み込んだ。
―――――――――――――――――――――
エリクシティのど真ん中に位置する金色のビル。銀や灰色の他の建物とは違い、1つだけ陽が出る日には眩しく輝くそのビルには、本当に金が使われていると言う訳ではなく、周りに鍍金が貼られているだけである。
そこは、エリクシティの独裁者ブルドの家でもある。当初は本物の金を使う予定だったが、金が中々発掘できない上に、独立した町であるがゆえ貿易もできない。だから仕方なくブルドは鍍金で我慢したのだ。だが例え偽物の金でも、町の支配者が君臨するにふさわしいモノだとブルドはそのビルを気に入っていた。ビルと言っても半分より下が部下の暮らす部屋。上は大きな広間、王国を真似て城の玉座のある間のようにでかでかと使われていた。
しかし今はそのビルには大きな穴が空けられていた。それも上の玉座の間がある方が爆破され、建物に合わないその部屋は晒しモノ状態。おまけに瓦礫がほとんど埋め尽くしていて、かろうじて王座とその前のレッドカーペットだけ開けた状態ではあるが、雨や風をしのげないボロ屋と同じ働きをしていた。
だからこそその王座に座っている、独裁者ブルドは怒り狂っていた。
「ムオォォォォォォォ!!!!まだかぁ!?まだ賊は見つからんのかぁ!!!!」
賊と言うのは3日前に我が家をこんな有り様にした犯人のこと。玉座に座ったままブルドは手と足をバタバタさせていた。
その姿はまさしく贅沢に溺れた生活をしている支配者の風刺のようだった。
身長は平均男性より低く、醜く太っている。髪は如何にも七光りのお坊っちゃまと主張しているようなオカッパ。首を痛めているため、贅肉にくい込むギプスを着けて、手と足も短く、もう言いようが無いくらい醜かった。
卵から手と足が生えた、そんな姿の独裁者は怒り狂ったままだった。
「早く殺して我が輩の前に連れてこんかぁ!!!!」
「ブルド様。賊はおそらく外の人間かと思われます。どんなに町の中を捜索しても見つかりません。その上、銃が効かないと言う報告も受けております。ポリスの持つ銃火器では仕留められないかと……」
手足をバタつかせて暴れる主を落ち着かせるために、秘書のような男が卵型独裁者の前に膝を付く。しかし勿論怒りは収まらない。
「賊は絶対町の中にいる!!我が輩の言うことは絶対だ!!それに銃が効かないのなら他の兵器なりなんなりを使用すればよかろう!!」
「ですが………」
「黙れ!!貴様は我が輩の前であれこれを言い過ぎだ!!そんな秘書はいらん!!」
王座にどっかりと座ったままのブルドは前に膝をつく男を怒鳴りつけ、指パッチンをした。
「イグニス!!殺せぇ!!」
「ひいっ!?申し訳ございませんブルド様!!」
「もう遅い。貴様はもう秘書ではないから、我が輩の部下ではない。つまり我が輩に直接話しかけることすら許されんのだぞ?やれ、イグニス」
「う、ウワァァァァッ!!!!」
秘書の男は取り乱して、壊れて外が見える穴へと走り出す。飛び降りてでも、この場から逃げなければ確実に死ぬと理解していたからだ。
しかし男の逃避行動は阻まれた。もうすぐビルの外へ逃げられると言うところで、上から現れた黒い影に回り込まれた。男はそのまま後ろに倒れ命乞いを始める。
「止めろ…!!まって…助けて…!!助けてくださいぃぃ!!」
「ならば死こそが救いだ」
男の悲痛な叫びも虚しく、黒い影は手にしていた剣を振り上げる。
「アァァァァァァァァァァッ!!!?」
金切り声を空に響かせながら、男の意識は断ち切られる。叫び声もギターの弦を切ったときみたいに切れた。
「うむ…見事な剣だぞイグニス」
剣術の良し悪しなどわからない癖に、そんなことを口走るブルドだったが、そんなことを耳に入れず、イグニスと呼ばれた影は剣に着いた血を白いハンカチで拭き取る。
「弱い人間を斬るのは、雑草を抜くのに等しい。強く生きていると言われる雑草だが、実際には強く生きようとしているだけでしかない。本当は脆いのだ」
「詩人だな」
言動はイカれていても、これでいて使える人物だと知っているブルドは不適に笑う。
とそこへ。
「ブルド様!!失礼します!!」
「御謁見為さってもよろしいでしょうか!!」
二人組の男が王座の後ろの扉の前で頭を90度下げていた。どちらも腕に包帯を巻いていて、肩から固定していた。
「構わん」
「「心から感謝いたします!!」」
声を揃えて男二人は礼を申し上げる。そして早歩きでブルドの耳元に近寄る。
「どうした?賊でも見つかったか?」
「いえ残念ながら違います」
「しかし賊よりブルド様の探していた人物でございます」
早く伝えたいのか、少し早口で男二人は交互に言う。
「手配書通りの顔でした!!8年の時を経て成長していますが、ブルド様の………」
「お父上様を殺害した、ルウナ アレクサンドリアです!!!!」
「なんだと!?」
その名を耳にした瞬間、今まで深々と王座に座っていたブルドは立ち上がった。
その名にどれほど深い因縁があるのか、影に身を潜めていた何十人の部下もおお、とどよめきだした。
「どこだ!?どこにいる!!!?」
「エリクシティ唯一の病院でございます!!」
「よし!!今すぐ部隊Aを向かわせろ!!そしてイグニス貴様も同行し、生け捕りにするのだ!!」
早急に指示を出し始める支配者の言葉に、イグニスと言う雇われた男が初めて耳を傾けた。
「生け捕り……?私の専門は殺しだけと言う契約だが?」
「ならば契約金を更に出そう!!一千万ゴールドくれてやる!!」
「足りんな…。人命の価値より安い」
「えぇい、融通のきかないやつだ!!ならばこの二人も命をくれてやる!!この場で殺して構わん」
王座の上の独裁者のその言葉に驚きの声をあげたのは、横の二人だった。
「待ってくださいブルド様!!」
「お、俺達は情報を持ってきたじゃないですか!?」
「だからどうした!?部下の貴様らが主の我が輩に忠実なのは当然のことだろうが!!第1、貴様らは負傷しておる!!使い物にならんやつは…切り捨てじゃあぁぁぁ!!」
独裁者からの無情な宣告に絶望した二人は逃げ出そうと足を動かした。
しかし何故か足が地面から離れない。宙に浮かそうとしても、接着剤で固定されたみたいに足が動かなかった。
「何でだよ!?どうしてだ!!」
気性の荒い男が叫ぶとそれに答えるように
「『影縛り』。貴様らは自分の影を縫い付けられて動けない」
イグニスと言う影がぎらりと鈍く光る剣を片手に少しずつ近づいてきていた。
「止めろ!!来ないでくれぇ!!」
「お前のしわざかぁっ!?冒険者!!」
「そのとおり。それでは貴様らの魂を遠慮なく頂くとしよう」
数秒間だけ断末魔が曇天の空に響いたが、すぐに何事も無かったかのように静かになった。
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「お待たせしてしまいました、アルトさん」
小一時間程の検査が終わって、検査室の前でルナは看護婦さんと一緒に、アルトを待っていた。ルナは薄いピンクの病服を着ていた。
「大丈夫だったのかルナ?」
「はい♪長くて眠っていたらあっという間でした」
「そうか…よかった」
MRIと言うものがなんなのか知らないアルトは、てっきり頭を叩かれたり、体に電気を流されたりするのではと心配していたため、元気そうな彼女を見てほっとした。
「検査結果は先生がすでに持っていっているので、診察室へ行ってください」
「ありがとうございます。それじゃルナ行こうか」
「はい♪」
診察室へ向けてアルトとルナは歩き出した。すると向こうから誰かが歩いてきた。
アルト程の若い少年が、片足を引きずるように歩いていた。
「すいませーん。義足のネジが緩んで閉まったので、閉め直してもらいに来ました」
少年が看護婦さんに向けて叫ぶ。
なるほど、彼は義足なのかとその足に目を向けた。
「あらヒナタさん。待っててね、今ドライバーを持ってくるから…」
「お願いします」
看護婦はヒナタという少年にそう告げて廊下を走っていく。
患者か、と思ってアルトが横を過ぎ去ろうとしたときだった。
「………………え…?姉…………、さん……!?」
「……なっ!?」
「え?」
思いがけない言葉に、アルトはヒナタと言う少年の顔を見た。そして確認した。その目がどこを見ていて、その言葉が誰に対してのものなのかを。
活発そうな目は隣のルナの顔を見つめており、その言葉はルナに対してのものだった。
このヒナタと言う少年はたしかにルナを姉さんと呼んだのだ。
「なんで…?なんで姉さんがここにいるんだよ!?」
ヒナタと言う少年は問い詰めるようにルナに向かって叫ぶ。ルナは何がなんだかわからず怯えていた。
「姉さん僕だよ!!とりあえずこの町から出ないと!!行こう姉さん!!」
「え…っ!?ちょっと待っ……」
ヒナタと言う少年がルナの手を掴み引っ張ろうとするも、ルナはそれを拒んでいた。
状況が飲み込めないのはアルトも同じだが、ルナは嫌がっていて今記憶が無い点を含めると、少年を止めた方がよいと判断した。
「初対面で申し訳ありませんが、落ち着いてください」
二人の間に割ってアルトは入った。手を広げてルナを守るようにヒナタと言う少年の前に立ちはだかる。
「アルトさん……!!」
アルトの介入で安心したのか、ルナはピッタリと背中にくっつく。それを見ていたヒナタはまた驚いた。
「っ!?姉さんが…こんな風に怯える…!?まさか人違い……っ!?」
ヒナタは後ろに一歩退く。やがて落ち着きを取り戻したのか
「………………すいません人違いでした」
頭を綺麗に深く下げると、そのまま足を引きずりながら去っていった。
「……ありがとうアルトさん……」
「え?あ、あぁ……。…………あれはルナの知り合いなのか?」
アルトの問いかけにルナは頭を横に振る。
「わからない…。もしかすれば知ってるのかな…?」
「………………これは早急に記憶を戻したいな」
よく分からなくなってきたアルトは、とりあえずルナをあまり人と会わせない方が良いと思った。記憶が無い状態の彼女を誰かと会わせても、彼女がそれが誰なのか分からない以上、余計不安にさせて、他人とのコミュニケーションが思い出す事への鍵にもなれば、障害にもなりかねないと思った。
だが実際は自分の知らないルナの事が浮き彫りになって、ルナのことを知らないのを誤魔化すためだったのかもしれない。
何故だか今の彼女の前では強がっていたかった。弱くなってしまった彼女を守っている自分に酔っていたいのかもしれない。
「行こうアルトさん。記憶が戻ればあの人を知ってるのかどうかもわかるよ」
「あぁ…………………、ってちょっとタンマ…」
足を動かし始めようとしたアルトだが、それを止めた。
「……えっと、ルナ?なんで…そんなに近いのかな…?」
さっきの少年から怯えた時のままなのか、ルナは腕をがっしりと掴んで密着していた。
別にそれがダメと言うわけではなく、薄い病服に着替えた事により邪魔するものが無くなった彼女の大きな双丘、もとい胸に腕が挟まれるようになってしまっており、歩くどころの話ではなかったのだ。
「えっと………。嫌……ですか?」
「い、嫌じゃないけど……。その…色々と…煩悩を産み出す元になりそうで…」
素直に体は女だけど興奮すると言えば済む話だが、普段と別人のようになってしまった彼女にそうストレートに言うことはできなかった。
「でも…私はこうしていたいです…。ダメ………ですか?」
困ったような表情を作り、目をじっと見つめる彼女。ハッキリ言ってしまうと、男から見ればその様子は可愛いらしく、アルトは恥ずかしさで目を離そうとするがどうしても彼女の顔以外に視点を合わせられなくなった。
こうなったらやけになるのがアルト オーエンと言う男である。数年の間の引きこもりによる結果が、こういう点で現れてしまうのは悩ましい問題だった。
「か、構わないから!!い、行こう!!」
「……♪はい♪」
幸せそうに微笑むルナ。そんな彼女に心を揺さぶられるアルト。
彼女の記憶が無くなっていても、話す二人の様子は幸せそうだった。
だがそんな不思議に幸せな時間は続かなかった。
診察室まで辿り着くとまたメタボ医師との三者面談。しかし今度の医師の表情は曇っていた。
「簡単に言おう」
医師は重い口調で話を始めた。手に掴んだ指し棒で、白と黒の変な写真を指しながら。
「これは彼女の脳を頭の上から撮影したものだ。この白くて丸いのが脳」
アルトとルナはその写真に見入っていた。
「……異常なし。記憶喪失の原因は不明だ」
簡単に告げられる医師の言葉が、エコーのようにアルトの頭に何度も何度も響き渡った。
つまり、ルナの記憶を戻す方法は科学でも分からない。すなわち、彼女との別れについて検討をしなくてはならない事になってしまった。
アルトが現実に戻ってこれたのは、医師の問いかけ。
この事を他の仲間に自分から伝えるか?
本来ならば首を縦に振るのが、パーティーのリーダーとしての役目だろう。しかしこのときのアルトは、呆然と首を横に振った。
「…………………………………………」
「…………………………………………」
パーティーのリーダーと、そのパーティーから抜けることを余儀なくされている記憶喪失の少女は、病院の裏口で風に当たっていた。
コンクリートで少し高い台になっていて、階段から下には降りられるようになっている。ビルとビルの隙間には風がビュービュー音を鳴らし何度も吹き込んでくる。
強い風が長い髪を叩くように揺らしたりするが、そんな事気にも止めずに二人は黙ったままだった。片方は何と言って話を切り出せばいいのか、もう片方はどうすれば心配をかけずに済むのか方法を考えていた。
――ルナの記憶を戻す方法はわからない…。もしかしたら時間で戻るのかもしれないけど、それがいつなのかも分からない。旅に連れていけば戦えない彼女は局面に対応できず、危険にさらされる…。かといってそれをどう告げればいいんだ。『君をつれて冒険するのは危険だから別れないといけない』なんて話しかければ彼女も理解してくれるだろうけど、それはつまり、記憶の無いあなたは使い物にならないからサヨナラと言っているのに変わりないじゃないか…。
黒髪を風になびかせる少女は相手を傷つけないかつ、自分も納得させられる方法を頭のなかで練っていた。
町と二人を覆う空は、重くのしかかるように暗い雲に覆われている。風も吹いている事から、雨が降ってもおかしくないくらい天気は悪い方へと向かっていた。
冷え込む風の中、先に院内に入ることを提案しようかとも考えるが、中ではちょうどミルス達が医師からルナについて検査結果を知らされているだろう。だからルナを彼女らに会わせて、更に悲しむ心を促進させるよりは外にいる方が良いと考えた。
………と言うのはやはり建前だ。アルトは受け入れたくない事実を前に何もできない自分が、合わせられる顔が無かったのだ。
「…………風が強いですね」
外に出てからの長きに渡る無言の空気を破り口を開いたのはルナだった。
「そう…だね…」
「この服は寒いですから風邪をひいてしまいそうです」
髪をかき上げながら何気無い話を彼女は繰り出した。その隣の黒髪の少女はただ喉の奥を振動させて、色のない音を発するだけでしかなかった。
「でも暖かいです…」
ルナはアルトの方を振り向いた。あるとも首だけを曲げて彼女の顔を見る、が驚いた事に彼女は笑顔だった。すこしも曇りのない、清々しい表情を露にしていた。
「どんなに風が冷たくても、薄い服を着ていても、私はポカポカしてます」
胸にそっと手を当てて、彼女は言葉を繋げる。そして切り出した。
「………………悲しまないでください♪」
彼女は白くて綺麗なもう片方の手で、金属製の手すりに寄りかかって話を聞くだけのアルトの胸に触れた。
「僕は…どうすることできない…。無能でダメなリーダーだ」
黒髪の少女もようやく口を開いたかと思えば、その唇の間から出てくるのは自虐的な言葉だった。
「そんなことはないです。アルトさんはすばらしい人です」
「でも…今実際にルナを救うことができていないじゃないか。僕は憐れな男だ。問題から逃げ延びるために迷路に入り、自分から行き止まりに追い詰められてしまった憐れな臆病者だ」
洞窟の中では彼女の問題を後回し。記憶を戻さない事実を知って他のみんなに知らさなければならない事も後回し。逃げて、逃げて、逃げ続けてきてこの様だ。最終的には追い付かれる。
自分で自分を責める事をアルトはまだ、止められなかった。
「救えてますよ」
「………………え?」
それはまたアルトが沈んでいく前に、引っ張りあげる優しい言葉だった。
「私はアルトさんに救われてます。だって、怖くないんです。本来なら記憶を失って、それを戻す方法が無いなんて言われたらずっとこのままだとか、不安に陥ります…。ですが一緒に…、アルトさんが一緒にいると大丈夫なんです」
手を胸に当てたまま、彼女は距離をぐいっと縮めた。
「……変ですね…。記憶が無いはずなのに、胸のなかがとてもモヤモヤします……。他の皆さんだとそうならないのに、アルトさんの前だと何故か安心できます」
不意にのしかかる体重が、前から抱きつかれた事による柔らかい衝撃であると言うことに気がつくまで、時間を要した。
「……アルトさんの事を考えると胸がドキドキします。顔が熱くなります。幸せになれます。変ですよね?記憶が無いのに、アルトさんの事だけは覚えてる感じがするんです」
アルトは何も言うことができない。卑屈で臆病なたくさんの自分が、彼女の言葉に次々と打ちのめされていく。魔法なような彼女の言葉が彼を平常心に戻したのだ。
「離れることを宣告されても、私は怖くありません…………。だから!!自分が誰かの力になれないなんて思わないでください!!あなたが傍にいてくれるだけで幸せになれる人が、ここにいるんですから!!!!」
「ルナ!!!!」
気がつけば、腕が脳からの直感的、衝動的な指令を受けて、彼女の体を抱きしめ返していた。
「僕は…、僕はもう怖がらない!!恐れない!!臆病者なんかに戻らない!!誓う!!アルト オーエンは、いるだけで笑顔になってくれる人のために、どんな事があっても逃げないで真っ向から受け入れる!!それが苦渋の決断であっても、断腸の想いであっても!!絶対に立ち向かう!!」
気がつけば、彼女を傷つけずに別れを伝える言葉は完成して放っていた。そうだった。彼女を安心させる事こそが一番重要な事だった。
それに気がついたアルトは、胸の中で小刻みに震える彼女を強く、強く抱いていた。
「『斬鉄《ザンテツ》』」
「っ!?」
「きゃっ!!」
風の音しか無かった院の裏側の路地裏に、低い男の声が響くと同時に、アルトとルナが抱き合って立っていた足場が崩れた。いや、正確には斬られた。
急な事で反応できなかったアルトはそのまま地面へと落下を始め、数メートルの高さからアスファルトに体を打ち付ける前に、ルナを守るようにして背中から落ちた。
「ぐあぁっ!!」
「アルトさん!!!!」
「大丈夫…!!背中を打っただけだ…」
硬くて冷たいアスファルトに叩きつけられ呻き声を出したアルトを心配するものの、アルトは大丈夫と言い聞かせた。だが、少しばかり無理をしていると言うのは腹の上で守られたルナには理解できた。
「…チクショ………誰だお前は!!」
後ろ向きに肘をついたまま、アルトは目の前に現れた影、いや男に叫ぶ。
その男が足場を崩して二人を落とした犯人だった。
見た目は大人びた青年のような長身の男だった。おそらく元の姿のアルトと同じほどの高さで、黒い光沢をもつ髪が背中まで伸びており、まっすぐではなく波打つように伸びていた。顔は不健康そうに青白く、恐ろしさをもつ点と言う意味では美形だった。長い剣を手に握っていて、肩からは漆黒のマントを帝王のように下ろしていた。
率直にルナの持った感想は不気味な上に、ただなら無い恐怖を感じさせる、本当に同じ人間なのかと疑う程に、その男から放たれるオーラに悪寒が走った。
目の前の男を怪物のように見るルナに対し、アルトはまた少し違う目で漆黒の襲撃者を見ていた。
「なんで………。なんでお前がここに!?」
「え……?」
知り合いなんですか?と口にする前に男が動いた。
「……うむ…。貴様がターゲットか…。すぐに連れていこう」
驚いているアルトを無視して、その男は何もない空中で剣を横に振るい、
「『影縄』」
「きゃあっ!!!!」
「っ!!ルナァ!!」
男の詠唱と同時にその足元から影でできたロープのようなものが現れ、触手みたいに意志があるかのように延びて、アルトの前からルナを絡め取ったのだ。
「畜生、黒曜そ…………………
バァンッ!!!!
「アルトさん!!!!」
アルトが、魔法で男から彼女を奪い返そうとしたときだった。どこからともなく発砲音が路地裏に響いて、同時に鉛弾が黒髪の少女の足を貫いた。
「っ!!!?ガアァァァァァッ!!!!」
突然走った激痛にバランスを崩し横に倒れ、激しく走る痛みを喉から絞り出すように叫びに変えた。倒れながら足を抑えると、ストッキングを破って膝に空いた穴から紅黒くて温かい液体がドクドクと流れ出ているのを、目では確認してはいないが手で触れて確認した。
「確保ご苦労様です!!」
男の裏から現れたのは黒いヘルメットに黒いスーツで武装した男。アルトに機関銃を向けながらルナを捕まえた男に頭を下げる。それも一人ではなく死体に集るアリのように、アルトに銃を向けて続々と前からも後ろからも表れていく。
「後始末は頼もう。私は命令通りにしか動かない。だからこの女を連れていく」
「了解です」
「おい待てよ!!ルナをどこに連れていくつもりだ!?」
「騒ぐな!!抵抗するなら撃つ!!威嚇ではなく、脳天を狙う」
病服姿のルナを脇に抱える男に向かって吠えるものの、アルトには前も後ろからも大勢に銃を向けられていた。
「……フ。どこへ連れていく…か」
するとルナを脇に抱えた襲撃者は背を向けたまま笑い、
「私のする事を貴様が知る必要はない」
地面に這いつくばる無力なアルトを、闇のようにくらい侮蔑の眼差しで一瞥した。
「っ!!!!」
その言葉、アルト本人しか知らない思い出したくもない嫌な記憶を思い出させるモノだった。雷に打たれたように愕然とするアルトを余所に、その男は歩いて離れていく。
「離してください!!アルトさん!!アルトさぁんっ!!!!」
「っ!!!!ルナ!!ルナァァァァァァァァァァ!!!!」
少しずつ声が遠くなっていくのが分かるその声にアルトは我に返り、自分の血で濡れた手を助けを求める彼女へと伸ばす。
しかし二人の呼び会う声も虚しく、連れ去られた少女の声がとうとう聞こえなくなった。
そして救いを求める声に立ち上がることのできなかったアルトに向けて、
「警告を無視して騒いだ!!構わん!!蜂の巣だ!!」
気が乱れて魔法すら落ち着いて使えそうにない黒髪の魔法使いに、何十もの銃口が一斉に向けられる。
(やべぇ…!?落ち着け…!!落ち着かないと魔法が使えない…!!)
弾丸の雨が降り注ぐ前に魔法を張り守ろうとするが、ルナを連れ去られた事に動転して上手く魔力を手に集中させられなかった。
「撃てェェェェェェェ!!!!」
「チクショオォォォォォォォォォォ!!!!!!」
悲痛な魔法使いの叫びは、銃による大合唱にもかき消される事なく、曇りの空の下のエリクシティに響いた。
『記憶失ったルナも可愛いな』
私が書いている時に思ったのがこれです
普段の天然が、記憶が無くなるだけでこんな可憐になるのは自分でも予想外でした
―――――と思った矢先に問題発生です
襲撃者、今回の敵と思われる人物。当然前回の話でチラッと出てきた『イグニス』と言う男です
アルトがなんか知ってそう、と思った人は正解です。それがエリク後の話でも重要なので、次の次あたりでどういうことなのかをある程度明かす予定です
あと病院でルナのことを『姉さん』と呼んだ人物も覚えていてください
ルウナ アレクサンドリア 果たしてそれはルナのことなのか、彼女は独裁者ブルドの父親を殺害した犯人なのか、そして蜂の巣寸前のアルトの運命はいかに!?
と『次回に続く』的な感じに閉めましたが、まだクライマックスには遠いので、気楽にお読みください




