少女らは……
夕暮れを告げるかのように、カラスが2、3羽程鳴きながら、オレンジ色に染まった空を飛んでいた。その鳴き声はカラスが遠くに行ってもまだ聞こえ、どこか寂しさを残す。
夕方にも関わらずカーテンを閉めきり、1本の蝋燭が薄暗く照らす、息の詰まるような部屋に、5人の少女が浮かない様子でいた。椅子に体育座りをしていたり、窓際に立ってカーテンの隙間を覗いていたりと、それぞれだったが、共通なのは暗い表情をしていることであった。彼女らは皆、朝から今にかけてまで、ほぼこの状態にいた。喧嘩をした訳ではなくとも、互いにあまり言葉を交わさず、全員気力を削ぎ落とされたような状態だった。
その内の1人、金色の髪が蝋燭の灯りを綺麗に反射する少女は、5人の中で最もぐったりとし、膝に顔を打ち付けていた。
ずっとある人の事を考えているのだ。いつも尊敬し、密かに愛していた師の事である。
(マスター…。どうして……)
ミルスはこの場にはいない、師匠である少年に対して問いかける。
慕っていた師が人を襲ったと言う話を聞いた時は、悪質なデマが回ってきたのだと思った。しかし、実際に被害者、領主エルモンドの腕の傷と、数人の兵士の証言、そしてアルト オーエンが投獄されたという話を見聞きし、何がどうなっているのかが分からなくなった。
それはこの場にいる5人全員が同じだった。
その後、騒ぎが少し収まり始めた頃に、全員で詳しい話を兵士長から聞かされた。その話も見聞にしか過ぎなかったが、アルトの収監が事実ということを知り、ミルスは膝から崩れ落ちた。
勿論、アルトがエルモンド フーリエの身を狙って襲ったとは思わなかった。師の優しさも、そんな事をするような人間でもないことを一番知っており、襲う理由がない事も解っていたからだ。
ミルスはすぐにこの件の被害者となっているエルモンドの元を訪れた。そして、アルトがそんな事をする訳がないと訴えたのだ。
しかし、話は聞いてもらえても解放までには至らず、まだ話しが終えないうちに、『エルモンド様は度重なる事件に疲れている』と言われ、兵士に強制的に追い出されてしまった。
それからというもの、まともに睡眠も食事も摂らず、ミルスは鬱ぎ込んでいた。
「……ねぇ?このままどうなるのかな?」
何十分ぶりかに言葉を発したのは、長い白髪を広げながらソファに横になっているシーナだった。
「検討もつきませんね……」
「偉い人たちが話し合っているそうですけれど、有罪無罪かすら決まらないですから……」
重い口を開き、ルナとハルキィアが答える。
アルトがエルモンドを襲ったということに関し、王国は罪にするか否かを揉めていた。
牢に投げ込まれた冒険者の少年のことはよく知っている、エーベルトやローグなどの発言力が強い者は詳しい調査を提案するのに対し、2年前の大失態以外にアルトの事を知らない大臣クラスの人間がは、実際に被害者の領主が傷を負い、証人までいる事を重視して、罪と断定して刑罰に処すべきだと強く押すのだ。
領主が襲撃される事件が起きてから丸一日が経とうというのに、話はまとまらないでいることにも彼女達は胸に苛立ちを募らせていた。
「オーエン君はそんな事する人じゃないのに…」
「ラルファちゃん、それは私達も充分理解していますよ…。でも、それは私達がアルトさんと長い時間一緒にいたから…。他の人たちは分かりませんし、2年前のあの事もあります…。…良い…評価は得られていないかと…」
納得がいかない顔をした長髪の剣士の呟きに、ルナが優しく答える。
アルトには前科のような黒い過去があり、それが原因となって審議を長引かせていた。本人の事を全く知らない他人からすれば、ろくでなしにしか思えず、なぜ兵士長や王が肩を持とうとするのかが、不思議で仕方がないのだ。
「でも‼︎王様や兵士長さんがそんな人じゃないって言ってるのに、どうして他の人は信じないんだ‼︎」
ぐったりとしていたシーナは急に起き上がると、両腕を振り上げて、テーブルの上に強く叩き落とした。
「……シーナさん…。国には、世論って言うものがあるんですよ……」
可笑しな現状に対する批難に対し、ハルキィアが苦しげに語りかける。
「アルトさんでなくとも、親睦の深いマクの領主を襲撃することは大罪です。もし、その犯人を大臣や王などの、国を治める立場の方々がお咎め無しにしたらどうなりますか?住民は納得せず、今の国に対して不満を持ち始めます…」
「だったら真犯人を総出で探せばいいじゃないか‼︎冤罪にかけられたアルトきゅんを処罰する方が、むしろ信用を失うような行為だと思うよ‼︎真実を追求しようともせずに決めつけるなんて、おかしいだろう‼︎」
「だから言ってるじゃないですか‼︎大臣達が意識しているのは真実ではなく、民からの信頼ただ1つ。混乱を招くよりならば人間の1人や2人、それも2年前の件でよく思われていないアルトさんなら尚更、真実をねじ曲げてでも、犯人に仕立て上げるに決まってるんですよ‼︎」
「なんだよそれ‼︎そんな嘘で人を嵌めるようなことまでして、国って呼べるのかよう⁉︎」
「それが国なんです‼︎悲しい現実ですけれど、人類の歴史において、国が嘘の元に成り立っていた時代もあるんです‼︎」
「シーナちゃん、少し落ち着いてくださいっ…」
「ハルキィアちゃんも、熱が入りすぎだよ…‼︎」
ヒートアップし始めた2人の間にルナとラルファが割って入るが、どちらも感情的になって耳を傾けなかった。
「2人とも落ち着いてください‼︎‼︎」
そんな騒ぎを止めたのはずっとうずくまるようにしていたミルスだった。
今まで出した事の無いくらいに覇気がある声は、あれこれ叫ぶ2人の争いをピタッと止めた。
ミルスの目は、今まで石像のように動かなくなっていたとは思えないくらいに眩しく、曇りがなかった。
「決めました」
「決めた?何をですか?」
宣言にも聞こえる唐突なミルスの発言に皆、目を集中させた。
「このまま私達が何もしなければ、アルトさんが牢屋に入れられたままになり、旅は終わってしまいます…」
拳を強く握りしめ言い放つ。
「つまり、私達が行動を起こさなければいけません」
その言葉を真っ先に返したのは、ミルスに切られるまでハルキィアと言い争っていたシーナだった。
「また領主の人のところに行くの?でもあの人が僕達の気持ちを分かってくれても、他は誰も聞いてくれないんだよ⁉︎」
ミルスは昨晩すでにエルモンドの所へ出向き、アルトのしたとされる事について、そんなことするわけ無いと信じている気持ちを伝えた。
しかしエルモンド フーリエがその意思を読み取っても、被害者である立場の彼は、今回の件の裁判官のような国のお偉いには、意見することができない、とミルスに言い聞かせた。
かと言って、その上層を訪ねたところで、まともに聞くものがほぼいないのは目に見えている。
そのためシーナは、反対したのだ。
シーナだけでなく、他の3人も先の事を読んでおり、あまり肯定的ではなかった。
「何かの偶然で、アルトさんが領主の人を刺してしまったと信じています…。ですが、証言者が3人。仮に冤罪だとしても、明らかに不利な状況にあります」
「普通の裁判なら激しい弁論対決になるけど、少しアウェーすぎだよ。ワンサイドになるのがオチだと思う…」
ルナとラルファも後ろ向きに発言した。
しかしミルスの瞳は揺らいでいなかった。
「いえ、またエルモンドさんや、ローグさんの所へ行くわけではありません。行動を起こすと言っても、かなり間接的にアルトさんの力にするんです」
「間接的とは、どういうことですか?」
腕組みをして、ハルキィアが興味深そうに尋ねる。
「私達が国の為になる行いをたくさんするんです」
「国の為になる事?」
「ミルミルの考える事は分かるよ。アルトきゅんの仲間である僕達の評価を上げれば、アルトきゅんの評価も変えられるかもしれないって、思うんだろ?でも、僕らの行いとアルトきゅんの評価は、あの捻くれた大臣達にきっと別にされると思うよ」
シーナの言う事に、ハルキィアも頷く。ミルスも仕方ないと言うようにそれには頷く。
「確かにマスターは国の上層から嫌われています。ですが、先程ハルキィアさんは言っていましたよね?大臣の方々は世論を気にして、有罪にするって?」
「そうですね。国の為に行うのが政治ですから、治安を脅かしたものは厳しく処罰するでしょう」
「だからそれを逆手に取ります。直接、マスターの無罪を上に訴えるのではなく、大臣さん達が気にしている民衆へ向けてするんです」
「そういうことですか‼︎」
そこでやっとハルキィアは納得した。
「私達が高い評価を得て、民衆へアルト君が領主を襲ったりするような人ではない事を訴えかける。そうすれば、人々は信憑性が高くなった私達の言葉を信じ、既に広まっている昨晩の出来事を疑わさせる事ができる。そうすれば、大臣達が無理して辛い刑にする理由は無くなりますね‼︎」
「待って‼︎でもそれって無理だと思う‼︎国中の人々が、王女様の死因に強引に結びつけられたオーエン君を見直すなんて、無理があるよ」
シーナが割り込んでも、ミルスは話す姿勢を崩さない。
「大丈夫です。そもそも、エフュリシリカの人達は、マスターの事を嫌ってませんよ」
「「「────────────────え?」」」
その問題の根本的な原因をひっくり返すかのような発言に、ミルスとハルキィア以外は間抜けた声を上げた。
「だってそうじゃないですか。私達が何日か前に入った時、検問をマスターは普通に通った。もし女王の死に関係がある者を誰もが強く憎んでいるような国なら、入ることなんてできません」
ミルスは気がついていた。
もし仮に国民がアルトを嫌っているようなら、入国した時、既に騒ぎになっていたはずだと。つまり、エフュリシリカの人々はアルト オーエンと言う少年を嫌っていない。
なぜ国全体がその少年を嫌っている、と錯覚していたのか。
その理由として、酷く嫌っているのが例の上層であること。また、少年が住んでいたあの街だけが、彼を許さなかったのも、その1つ。
少年に対して投げられた暴言の数々。また、罵声を浴びせた奴らの怒り様。
気がつけば、アルトはこの世界のどこからでも嫌われていると思い込んでいたのだ。
それに気づいたミルスは、まだ挽回のチャンスがある事を知り、今回の行動に出ようと思ったのだ。
「それに、世論なんて変わりやすいものです。エフュリシリカの皆さんの考え方を変えられれば、アルトさんを解放させる事もできるかもしれません‼︎」
「でも確率はそんなには高くないよね?本当かどうかはわからないけど、今回の事件の証拠があがってる…。苦しい戦いになると思う…」
先の事を懸念して、ラルファが口籠る。
戦いと言うのはアルトを嫌う、言いやすくすると、反オーエン派と敵対する意思の表れであった。
「それでもやるしかありません…。マスター………いえ、アルトさんは私達の大切なリーダーなんですから」
ミルスの一言を胸に染み渡らせ、4人は同時に強く頷いた。
────────────────────────
少女達がすべき事を模索している間。
その男──、正しくは人の形をした怪物は、世界の終わりのように、怪しく光って沈む夕陽を横目に、ワイングラスに口づけをしていた。
「さて…。これで1番厄介な男は封じ込めることができたわけだが……」
透明なグラスに注がれた血のような色の液体は、その明かりを臙脂色に反射する。
「その他は放置で大丈夫なのかい?」
赤ワインを喉に通過させると、エルモンド フーリエと言う怪物は、不気味な色をうっとりと眺める女──、これもまた人の姿をした化け物であるエルフに尋ねた。
「えぇ。1番、脅威なのはアルト オーエンだからよ。他の子達も強いけれど、あの男だけは特別なの」
エルモンドのベッドに腰掛けるエルフの女は、諭すように答える。
その肩には、いつも持っている大鎌がかけられている。
「彼は実力とは違う、何か別のものを持っているわ。実際、自信作だった魔人を倒しちゃったし……。計画に気づかれたのなら、絶対あなたの邪魔して、狂わせるわ」
「へぇ…。彼は魔人を殺したのか…。それは僕も注意しなくちゃならないね」
「他の子も中々やるようだけれど、彼とは何か違う──、いえ…逆ね。彼が何か違うのよ」
「君にも分からないのか。やっぱり、よっぽどの男のようだ」
エルモンドは残り半分だったワインを一度に飲み干す。
「ところで……。体の調子はどうかしら?」
「おかげさまですよ。やはりこの力は素晴らしいですね。シルフィアさん、感謝します」
グラスを置くエルモンドに、シルフィアは尋ねた。
別に言葉の通り、エルモンドの体調を尋ねたわけではない。人でなくなった今、気分はどうなのかと聞いていたのだ。
「やはり持つべきものは力だ。財産、美貌、名誉。そんなものは力に比べれば不要同然。最高の気分だ」
「そう、それは良かったわ」
「でも、まだこれで終わりじゃない。もうじき、更に大きな力を得る。その為にはフィリシス姫が必要だ」
エルモンドが指を鳴らすと、音もなく部下の兵が横に現れた。
ドアを開けて入ってきたわけでも、どこかに隠れていたわけでもない。
夕陽で伸びているエルモンドの影の中から、湧いて出るように現れた。
「なんでしょう。エルモンド様」
「そろそろ始めよう。行動の第一段階に入る。くれぐれも、誰にも見つからないように頼む」
「分かりました……」
命令を受けると、エルモンドの部下は、影に沈むように戻っていった。
「国王を殺しに行かせたの?」
「まださ。すぐに死なれたんじゃ困る。少しずつ、段階を踏まないと」
「……なるほどね。本来の目的はお姫様。父親である国王に形だけでも認められないと、血が繋がった事にならないものね」
「周りくどいと言われるかも知れないけれど、こうしなければ彼女を手に入れても意味がないですから」
エルモンドはまだ中身が入っているワインのボトルを取った。
「それよりどうです。シルフィアさんも飲んでみませんか?」
「結構よ。あまり興味が無いもの。この辺で失礼するわ」
シルフィアは誘いを断り立ち上がる。
「その力で好きに暴れるといいわ。私はやる事があるから、あなたに構っていられないけど…」
「はい。僕にここまでしてくれた事、心から感謝します」
「ふふ…。どういたしまして…。でも、あなたに心は無いでしょう?」
「はは。これは一本取られましたね」
指摘されて笑うエルモンド。
もう一度ベッドのある方を向いた時、すでにシルフィアは消えていた。
「さて……。もう一杯飲んだら眠るとしよう。……眠る必要は、無いですけどね。ふふ……、ふははははっ‼︎」
枷が外れて、壊れたように笑う男。
夕陽が照らして、床に映し出すその姿は人の形をしていない。口を大きく開けて笑う、異形の怪物の姿が、そこにはあった。




