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1人の父親の涙

……日曜日まで間に合いませんでした


更新を待ってくれていた方々は申し訳ありません

私はあまり計画的ではない人間なので、この頃更新の時刻がズレつつありますね


これからは夏の暑さとかにも負けない様に頑張りたいと思います



前書きにこっちの話を長々と書くのもあれなので、ストーリーについて…



ここしばらく、勇者ネクスの話をしたり、お姫様と仲睦まじく話したりと、平和な雰囲気ばかりが続いていたので、そろそろ起承転結で言うところの承に入りたいと思います


どんな事件が起こるのかは、この話の終わりの方で…

「うぅ…ん…………………………、ん?ふわ〜……、…………朝か…」


 高く昇る日。窓から差し込む傾斜の強い光を見れば、朝ではなくもう昼である事は充分判断できたが、寝起きのアルトにはそこまで考える事はできなかった。


「眠ぃぃぃ……。眩しぃぃぃ………」


 起きて早々、ゾンビの唸り声のような音が喉から鳴る。二度寝したくても、陽が邪魔して寝れない辛さに苦しんでいた。




 寝起き早々アルトが苦しんでいるのには理由がある。


 まず久しぶりに夜遅くまで起きていたのが一番の原因である。図書館に籠り、ずっと本を探していたのだ。探していたものとは、昨日フィリシスと話した『グィルガレウス』と言う登場人物が出る話。名前が似ているある男との関係を調べるために、ずっと名前を知らないその本を探していたのだ。


 結局、その本は見つからなかった。と言うより、探しきれなかった。流石は城の図書館だけあり、内蔵している書物の量は民家2,3軒分の大きさはある。最初から最後までいちいち読むわけではないが、たまに良い話があると少しだけ読んでしまい、パラパラ読みで名前だけ探しても時間が足りなかった。

 起きる時間は普段と変わらない。しかし、寝た時間が遅いため睡眠時間はいつもより短い。睡眠時間が短ければ、睡眠欲の強いアルトに限らず誰でも良い目覚めは迎えられないだろう。


        「ぐーーーーー」


「…腹減ったな…」


 腹部から聞こえた長い音と、猛烈な空腹感により、仕方なく起き上がる。重いシャッターのような瞼を擦りながら、少しずつ視界に光を与えながら目を開けるも、中々頭がハッキリしない。


「靴は……っと…」


 眩しさで開けない目を細く開けて、床に置いてある自分の靴を探す。

 しかしどこを探しても自分の靴は見当たらなかった。


「あれ?昨日どこに脱いだっけ?」


 昨晩の記憶もハッキリしないが、1つだけ確認できているのは靴がないという事態。

 とりあえずベッドの横以外にも目をやって探すと


「ん?スリッパが置いてある」


 ベッドから少し離れたところにフカフカして柔らかそうなスリッパがあった。逆にアルトの靴はどこにも無かった。


「しょうがない…。あれを借りるか」


 とりあえず優先するのは腹の虫を鎮める事であった。

 靴なら後からでも見つかるだろうと思いながら、ベッドから降りてそのまま歩いてスリッパに足を入れようとする。


 だが履いた瞬間、


「うぉうっ⁉︎」


 アルトは前に大きく倒れた。と言うよりはこけた。

 なんとも不思議な事に、スリッパが地面を離れなかったのだ。動かないスリッパを足で持ち上げようとしたため、バランスを崩してしまったのだ。


 おかげで転んだ驚きと衝撃により目が覚めた。しかし、鼻を床に強くぶつけてしまい、アルトは奥からあったかい液体が流れ出てきているのを感じた。


「いって……。一体なんだこのスリッパ?」


 赤いものが流れ出てくる鼻を押さえながら、履く前と少しも位置がずれていないスリッパを見てみる。


「なんだこれ…、床に固定されてんのか⁉︎」


 よく見てみると、強力な接着剤かなんかでぴったりと固定されているようだった。当然こんなものは履けても、転んで進む事ができない。


 接着剤が使われてる時点で、明らかに人為的ないたずらだ。


「くぅ…。鼻をぶっけただけで良かった…。下手すれば折れたぞ、コレ…」


 垂れ続ける血液は少しずつ手を濡らし、鉄臭い匂いが片方の鼻腔から侵入する。より痛みを感じるのは本人の気のせいだろう。



「にしても俺の靴はどこに──、」


 重い体を持ち上げて、ゆっくりと立ち上がろうとした時だった。

 アルトは部屋のドアの隙間から覗く視線にようやく気がついた。


「っ⁉︎」


 その目は憎しみか何かを孕んでいるように見えた。強い怒りを訴えるような目力に、瞬きもほとんど行わず床に手をつくアルトをロックオンしている。

 ただ1つ、別の感情を読み取れるとすれば、それは悲しみ。遠くからでよく見えないがおそらく涙目だった。


「……って、国王⁉︎」


 部屋を覗いている人物は国王エーベルトだった。わずかだが、特徴的な白髪が見えるのだから間違いない。髪の白い人物はエーベルトの他に、遺伝したフィリシス、もしくはシーナのどちらかしかいないのだ。


「もしかしてコレ、あんたのいたずらか?」

「………」


 地面に張り付いていて動かないスリッパを引っ張って、カッチカチに固定されている事をアピールするが、国王からの反応は無い。


「いや…。いたずらはいいんだけども……、俺の靴は?」

「………」


 鼻血が出ていること等は気にせず、今度は無くなった靴の場所を尋ねるが、やはり同じ無反応だった。


「………あの?なんか怒ってます?」


 ドアの向こうから送られる、強い憎しみに満ちた眼差し、そして何を言っても答えない。思い切って、率直に怒っているのかを聞いてみる。


「………………………………………んぞ」

「ん?」

「ぜぇったいに、やらんぞおぉぉぉぉぉっ‼︎‼︎」


 ようやく口を開いたかと思うと、エーベルトはそのまま大声で叫び、泣きながら走り去っていった。

 1人残されたアルトは、叫んでいた言葉の意味がわからず、しばらくフリーズしていた。


「え?なにこれ…。……靴盗まれたの?」


 結局なにがしたくてこのスリッパを仕掛け、どういう意味で叫んだのか考える。しかし、転ばされた上にまともな会話もしてないので、何が何だか分からない。とりあえず、エーベルトが言っていた『絶対にやらない』と言う言葉を、『絶対に靴を返さない』という風に解釈した。


「…………………鼻栓しておくか…」


 理解するのを諦め、鼻を押さえていた手を離す。


 鼻血はいっこうに止まる気配が無く、赤黒く染まった手をしばらく眺めていた。







「───ってことがあった」


 1人だけ、朝でも昼でも無い食事を摂りながら、アルトは今朝の出来事をミルスに話す。

 鼻からの出血は、氷をもらって冷やすとすぐに止まった。意外と長い時間止まらなかったので、相当なダメージが床から鼻に与えられたのだろう。アザができていたため、隠すように絆創膏が貼られていた。


「王様は一体どうしたんでしょうか…。マスターが何かしたわけでは無いんですよね?」


 ミルスはテーブルの横で師の食事を見守っていた。

 廊下を歩いていたら、手と顔が血だらけでアルトと出会ったため、焦りに焦って氷を持ってきたりし、血が止まるまでずっとついていたのだ。その上、血が止まってからも、食事の準備を手伝ったり、コーヒーを持ってきたりと、師のために尽くしていた。


 そんな隣にいる献身的な弟子に切ってもらったパンをかじりながら、顔をしかめる。


「憎まれるような事をした覚えはないな…。俺が何かやらかして、それの仕返しだったとしても、結局はイタズラレベルだからな…。ブチギレたからって、接着剤でスリッパを床に貼り付けるアホみたいなやついるかな?」


 パンには何もつけなかったため、無味と乾燥がアルトの口の中に広がる。

 疑問ばかりを抱え続けて、エーベルトの意思が全く読めなかった。向けられた視線の理由が全く解せない。

 本気で怒っているのなら、あんな風に子供っぽい事をするわけがない。


「嫌がらせ…ですか?」

「問題はなにが気に障ったかだよな弟子から……。でも、見当がつかないのがまた問題なんだよなぁ…。あ、コーヒーおかわり」

「っ、はい。今、貰ってきますね」


 空のティーカップを受け取ると、ミルスは足早に隣の部屋に向かう。アルトの今いる、兵達の食堂のすぐ横は、キッチンであった。国王や大臣等の食事はもっとしっかりした料理人が作るが、兵士の食事はメイドが作っている。そのため、ミルスはその部屋にコーヒーのおかわりを貰いに行ったのだ。


「なんだかなぁ……」


 頬杖をついて、アルトは昨日の事を思い出す。


 ミルスには覚えは無いと言ったが、いつからそうなったのか考えると、実は思い当たる節があった。


「フィリシスと一緒にいるところを見られた時からだよなぁ…」


 お姫様の部屋で会話をしていたのを見られてから、エーベルトの様子がどうもおかしくなった。となれば、フィリシスとの会話が何かまずかったと思うしかない。


「ほんとよくわかんないなぁ……」


 悩ましげに鼻の頭を押さえる。鏡が無いと目で確認できないが、触れてみると腫れているのがわかる。やはり少し痛みが走った。


 アルトは、エーベルトのイタズラで怪我をした事は気にしてはいなかった。特段、苛立ちなどもあるわけではなく、むしろ心配の方が強く残っていた。

 エーベルトと言う人物がまだよくわからない。国王でありながら、町で急にパイを投げつけようとしてきたり、人が寝てる隙に靴紐を変に結んだりと、子供なのか大人なのか、精神が不明なのである。

 そんな何を考えているのかよくわからない人間だから、アルトはエーベルトが本気で怒っているのか、ふざけているのか理解できなかった。


「多分…、本気では無いだろうな…」


 アルトの考えとしては本気ではない、つまりイタズラの一部によるものだと捉えていた。


「目はしっかり憎悪なんだけど…、あの人どこかギャグっぽいからなぁ…」


 しばらく睨んだと思ったら、泣き喚きながら走り去ったりと、あれが本気の怒りだと考えるには違和感を感じたのだ。



 いずれにせよ、アルトはこの後本人に尋ねてみるつもりであった。変に考えているよりは、パッと答え合わせをした方が効率が良い。もし自分に問題があったならば、早々に謝った方が良いのもあり、じきにミルスが持ってきてくれるコーヒーを飲んだら、すぐにエーベルトを探しに行くことにした。


 ──とこの後の事を考えていると、コーヒーを手にした少女が近づいて来るのに気がついた。


「マスタァ……、お待たせしました…」

「ん。ありがとうミルス……、って、どうかしたのか?ねむいのか?」


 手からコーヒーカップを貰いながら、その顔を見上げた。すると、涙を堪えているのか、目を細めて辛そうな表情をしていた。

 変に思って尋ねるが…


「へ…、へっくしゅん…‼︎」


 カップを渡して解放された手で、すぐさま口と鼻の周りを覆って、下を向きながら可愛らしいくしゃみをした。

 どうやらくしゃみを堪えていた顔だった。


「すいません……」

「風邪でも引いたのか?…、ほら、ティッシュペーパーの代わりだけど、紙ナプキン」

「あ、ありがとうございます…」


 礼を言うと、ミルスは優しく鼻を擤んだ。


「体調には気をつけた方がいいぞ」

「いえ、違うんです…。体の具合が悪いとか、風邪気味なわけではないんです」


 アルトはまだコーヒーには口をつけず、ミルスは立て続けに言う。


「キッチンが何か変だったんですよ…。コーヒーをくださいと言ったら、顔も見せない体のゴツいメイドさんが淹れてくれたんですけど…。その間、ものすごく鼻がムズムズして…」

「キッチンだからな。故障かなんか使ってたんじゃないか?ごめん。持ってきてくれるまでずっと、我慢してたんだろ?」

「い、いえ…‼︎マスターのためなら…、全然平気です‼︎」


 頬を紅く染めるミルスに感謝しながら、アルトは湯気を立てているコーヒーに口をつけた。


「ブーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ‼︎‼︎」


 その直後、口いっぱいに含んだコーヒーを思いっきり噴射した。




「ゲホッ‼︎ガフッ‼︎ガ…、グフッ……」

「マ、マスター⁉︎」


 咳き込みながらテーブルに伏す師に驚きながら、ミルスは慌ててその背中をさすった。


 アルトは、咳のし過ぎで涙目になりながらも、カップの中のコーヒーを睨むように見た。


「な、何だこ…ゲホッ‼︎変なもんが……っ、混ざってる‼︎ゴホッ‼︎」

「え⁉︎」


 そんなはずが無いと、ミルスはアルトの手からカップを奪い、口に縁をつけて少量流し込む。


「っ⁉︎なんですかこれ⁉︎辛い…‼︎」


 それは、コーヒーでは絶対に味わう事の無い辛さだった。僅かな量でも舌先に触れただけでピリッと刺激が走り、飲み込めば喉に張り付くような痛みに変わった。

 こんなものだとは知らずに、大量に口に流し込んだならば、当然、アルトのように咳地獄に苦しむだろう。

 さらにミルスは、カップの中のコーヒーを注視する。


「これは……」


 よく見れば、コーヒーが並々入っていたならば見えなかったであろう、黒い粉。それが大量にカップの底に沈殿していた。

 まさか毒では?と思って、恐る恐る指でとって舐めてみると、


「胡椒…?」


 真っ先に頭に浮かんだのは、食事の祭に使う香辛料の味だった。


「間違い…ない…。この味は…胡椒だ…」


 ようやく咳が落ち着いたものの、ガラガラ声の少年が呻くように言う。


「どうして胡椒がコーヒーに…………、っ‼︎」


 はっ、となって背後、正しくはキッチンへ続くドアの方を見た。

 ミルスは勿論、胡椒なんか入れていなかった。ということは、こんな事ができる人物はただ1人。


「あなたは……⁉︎」


 ミルスが振り向いたドアは少し開いていた。そしてその向こうからは、メイド服を着た人物が食堂の様子を伺っていた。


「っ…‼︎王様⁉︎」

「何っ⁉︎」


 その顔を初めて見て、ミルスはようやく正体に気がついた。


 何とそれはメイドではなく、使用人の服を着た国王エーベルトだった。


「どうりでゴツいと思ったら…、変装していたなんて…」

「おい国王‼︎あんたか⁉︎胡椒仕込んだの‼︎」


 アルトが叫ぶと、そっちの趣味があるのかと思われそうな国王は、ゆっくりとドアを開けて出てきた。


「如何にも。君のコーヒーに大量の胡椒を入れたのはワシだ」

「やっぱり胡椒……。だから鼻がムズムズしたんですね…」

「今朝からの事だけど、なんであんたこんなにイタズラしてくるんだ⁉︎俺、なんかした⁉︎」

「………、なんか…だと?」


 眉間がピクッと動き、歩いていたエーベルトの足が止まる。


「貴様、ワシから大切なモノを奪っておいて……。自覚が無いだと⁉︎」


 その表情には少しずつ怒りの色が見え始め、手がワナワナと震えていく。


「口で教えてくれよ‼︎俺は察しろとか言われても察する事ができない人間なんだよ‼︎鈍いんだよ‼︎だよな⁉︎ミルス」

「えっ⁉︎…あ、あぁ…そ、そうですね…」

(鈍いって自覚…あったんですね)


 心の中でミルスが苦笑いをしている間も、エーベルトの怒りの形相に変化は無かった。


「よし、決めたゾォっ‼︎ぜぇったいに、貴様にはやらんからなぁぁぁぁぁ‼︎‼︎」

「へ?」


 メイド姿の国王は、懐から何かを取り出し、それをそのままアルトの方に投げた。

 それが何かを目で確認しようとしているうちに、それは鼻先に絆創膏が貼られている顔面、その額に直撃した。


「ンガッ‼︎⁉︎」


 それは黒く光を反射する、大きめのフライパンだった。空中で回転しながら向かってきたそれは、ミルスも止める隙が無く、硬いもの同士がぶつかって鳴るような高い音を響かせた。


「マスター⁉︎しっかりしてください‼︎」


 目の周りをヒヨコが回っていてもおかしく無い表情で、黒い髪の少年は気絶していた。


「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーー‼︎」


 対してエーベルトは、大声で泣き叫びながら朝と同様に走り去っていった。


「…あの人は本当にどうしてしまったんでしょうか?」


 倒れているアルトに寄り添うミルスは、ポツンと言葉を放つ。



────────────────────────


「あぁー……。頭が…クラクラする…」


 おでこには濡れたタオル。鼻には絆創膏、そして鼻栓。

 誰から見ても体調が悪いと思われそうな青い顔で、アルトは紅いカーペットの敷かれた廊下の横に立っていた。額はフライパンが当たった跡。鼻の絆創膏は床にぶつけたもの。そして鼻栓は、フライパンが当たった衝撃でまた流れ出した鼻血を止めるため。

 アルトだけでは無い。道の両脇を挟むように、他の仲間や兵士達がずらっ、と並んでいた。

 まるで誰か偉い人間がその道を通るように。


「マスター…やっぱり休んでた方が良かったんじゃないですか?」

「血相が悪いですよ…。だいぶ無理してないですか?」


 頭を抑えるアルトを見て、ミルスとルナが心配そうに言う。

 2人だけでなく、他3人も同じ表情だった。事情を知っているミルスが、皆にアルトの顔の絆創膏や鼻血やらについて伝えたのだ。


「心配してくれるのは有難い。でも、休むわけにはいかないんだ。こっからが大事な使命だから…」


 この報告はアルトや、城の兵達にとっても不意打ちだった。

 せめてもう1日ほどしてから来るであろうと思われていたマクの領主、エルモンド フーリエとその迎えに行った兵が、つい先ほど突然にエフュリシリカに着いたとの知らせが届いたのだ。


 領主を迎えるための準備で、兵達は慌てて甲冑やら鎧やらを着て、道を囲むように廊下に並んでいる。


 張り詰めた空気に、アルトはあの日の事を思い出す。


(そう言えば、2年前もこんな感じだったな……)


 それは忘れようにも忘れられない、今でも鮮明に残っている記憶。

 女王の護衛をした時のものだった。


 人々からすれば神様か何か、遥か上の存在だった女王を、怪しい人物から守るために兵隊が周りに並んで、取り囲んでいた。

 生涯でもう2度とあるか無いか分からない、王家を見る機会に集まった一般人の民衆は熱を放ち、女王の周りは危険そうな人物を血眼で探し続ける石像のような兵士。


(今は大勢がいるわけじゃ無いけど……、兵達の目つきがすごい変わったな…)


 これから人が1人通るだけだと言うのに、こんなにも空気が緊迫する、あの日のような事態にアルトは息を飲んだ。

 しかし、すぐに肩の力を抜いて、息を吐いた。

 慌ただしいなか、安堵できるのには理由があった。


(て言うか、兵士が動き出すとしても、俺とかみんなが動かないといけないような事は起こらないだろ。今回はただの茶会なんだろ?それに今の国王は憎まれてないからな…)


 1つは、護るべき対象の王と領主が人の多い所へ出るわけではないという事。

 外に出ればどこからか弓矢などで狙撃される危険性がある。人の多い所へ出れば、人ごみの中に潜みながら突然切り掛かって来る奴がいるかもしれない。

 しかし今回は特に城外へ出る予定は無い。とても短い期間で、茶を飲み交わし、色々話して、マクの領主が帰るだけ。兵が巡回している城に入り込んで、どこにいるか分からない人物を、襲おうとする者がいるわけが無い。


 もう1つは、今の国王や領主に不満を抱くような人物がいるとは思えない世の中である事。

 エーベルトの政治が人々の不満を生み出した事は一度も無いであろう。またマクの領主も、少なくとも人民の支持を失うような事をした過去はない。

 クラウディアを刺したイグニスの動機についてはよくわからないが、誰かが不満で2人を狙う理由が無いのだ。


(国王から頼まれた時は、やってやるって気持ちで答えたけど……。よくよく考えてみると、そんな意気込むほど出番がないかもしれない…)


 気の緩みから、つい大きく欠伸をしてしまった。


「マスター……。ここでそれは見っともないですよ…」


 隣の弟子はそれを小声で注意した。


「そんな事言ってもさ…。眠いんだよ……」


 昨晩の夜更かしがまた響き始める。


「これ俺らここにいる必要あるのかな…。領主通るだけじゃん。過ぎ去ったらもう終わり…、なんのためにここにいるんだ…」

「アルト君はベッドで寝たいだけじゃないですか。一応、護衛の顔を知ってもらっておいた方が、良いんじゃないでしょうか?」

「そんなにベッドに行きたいなら、僕が連れてってあげようか?そして互いの全てを曝け出して──

「ここで変態を曝け出すのを止めろ。もし周りの奴らに聞こえてたらどんな目で見られることやら…」

「とりあえず、少しの間くらい辛抱してください。偉い人が通るんですよ?『無礼だ』とか言われて切られたら大変です」


 それはちょっと文化が違うと思いながら頭をかく。


 すると、辺りが騒がしくなり始めた。


「どうやら来たみたいだね」


 もうすぐ領主が通ることをラルファが感じ取ると、皆、姿勢を正して真っ直ぐ並ぶ。

 緊張や動揺が走っていく中、アルトだけは重い瞼を持ち上げ、半開きの目でぼーっとしていた。



「マクの領主、エルモンド フーリエ様のお通りだ‼︎‼︎」


 向こうの方でそう叫ばれるのが聞こえると、コツーン、コツーン、と歩いてくる音が周囲に響き渡る。


(もうすぐ来るのか…。今のうちに顔でも見ておくか…)


 少しずつ近づいてくる。アルトはマクの領主、エルモンドの顔を見た事がない。立ったまま眠ってしまいそうだが、一応これから護衛しなければならない人物の顔を覚えておこうと、仕方なく瞼を開き、顔を上げた。


 そして丁度領主が目の前を通る時に、アルトはその顔を見た。


        否、見てしまった。


「っ⁉︎」


 その顔を見た瞬間に、目が大きく開き、全身にかけて嫌な汗が吹き出た。



 そこにいるのは普通の人間。身長はアルトと同等で、顔立ちは少し大人びた美顔。毛並みの良い金髪に、豪華そうでもあり、勇ましくもある朱色の服。

 誠実で生き生きとした青年である。


 しかしその普通の人間を見ただけで、アルトには猟銃を構える狩猟者と目があった兎の気持ちがわかったような気がした。



 普通の人間とは思えない、禍々しい何かがエルモンドの後ろに見えた気がした。


(なん…だよ…、こいつ…⁉︎)


 金縛りにあったように目だけしか動かせず、既に通り過ぎて行ったエルモンドの後ろ姿を追う。

 感じているのは恐怖。食物連鎖における、被食者から見た捕食者の姿とエルモンドが重なった。


(あいつは本当に人間か…⁉︎だとしたらなんだ?この嫌な感覚は⁉︎目があったら俺は絶対、どうにかなってた…‼︎)


 アルトの一度も感じた事が無い不気味な雰囲気。悪魔や魔人とはまた異なる、質の違う不気味の塊。エルモンドから漂うのではなく、エルモンド自信がその化身だった。


(っ、そうだ‼︎他のみんなは⁉︎ミルスも感じているのか⁉︎)


 咄嗟に目だけを動かし、隣の弟子を見る。

 ミルスは全く何も感じていない様子で、エルモンドの背中を見ていた。


「あれがエルモンド フーリエ氏。見た目だけでマスターと正反対な感じがしました」


 むしろ凄そうな人だと感じながら、優しく笑いながらアルトに囁いた。


(感じて…ないのか⁉︎気づいているのは俺だけ…⁉︎)


 シーナ、ルナ、ラルファ、ハルキィアに続き、その他の兵士全員を見渡しても、アルトと同じ事を感じているような者は誰1人としていなかった。


(なんだ……、これは……。あの男…何者なんだよ……。あれを、…今回俺らが護衛すんのか…?冗談じゃない。あんな得体の知れねぇの護るなんて……。せめてこの嫌な感覚の正体が分かってからじゃねぇと、とてもじゃねぇが無理だ…。危険から護ってんじゃねぇ…、これは危険を護ってんだ…‼︎)


「マスター?どうかしましたか?」

「っ⁉︎……え?」

「先ほど話していた時と違って、凄い汗をかいてますよ?それに顔色まで悪いですし……」

「あ、…あぁごめん。なんか暑くてさ…、加えて緊張で汗が噴き出てきて…。顔色は………、多分鼻血の出し過ぎじゃないかな」

「そう……ですか…」


 あまりにも怯え過ぎて、むしろ1人だけ異常に思われた。急だったが、アルトは心配そうに見つめるミルスを適当に誤魔化した。これを誰かに言うべきではないと判断したからだ。

 エルモンドを不気味と感じたのはただの直感。おまけに、他の誰もアルトと同じ様な事を感じていない。理由もなく騒ぎ立てても、誰も信じない。


 その上、言うべきか言わないべきか悩んだ末であった。

 もしエルモンドが本当に危険な男だったら、アルトが怪しいと大声で叫んだ途端に、この場で何かを起こしてもおかしくない。

 仮にここで危険人物を止めずにそのまま通した事になるかもしれないが、恐ろしいと思っているのはアルトのみ。アークウィザードであり、光の力を使うミルスが何も感じなかったと言う事は、それが根拠の無い勝手な思い込みである可能性を大きくしたからだ。


 どうしようもできず、ただ黙っているしかなかった。


「……気のせいだと…いいんだけどな…」

「?」


 はっきりと思った、気のせいではない事を知っていながら、現実から目を逸らしたい気持ちで呟く。

 隣のミルスにはアルトの言っている言葉の意味がよくわからなかったが、足が震えているのをその目で確かに見た。

まだ承の弱い部分ですね

くっきりと起こった訳ではなく、これから何かが起こると言う前ぶれのような感じです


アルトの感じたものが何に繋がっていくのか、そう遠くない内に明らかにします

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