雨音
時間が少し飛びまして、話の内容は前話と同日の夜に
私は走っていた。どしゃ降りの町の中、ただひたすらに視界の悪い夜道を、民家から覗くわずかな光を頼りに走る。
もうどれくらい時間が経っているのか、疲労と寒さで時間感覚が狂ってしまっているためわからない。こんなに息切れを起こしているのに、私を激しく叩くように濡らす雨水により、熱がどんどん奪われていく。
最後に水を飲んだのはいつなのかさえ覚えていない。体はびしょびしょでも、口のなかは乾きに乾ききっている。
こんな辛い気分でも、走るのを止める訳にはいかない。
あの人もきっと同じはずだから。独り、雨に打たれながら、震えているはずだ。体だけではなく、心も冷えているだろう。
私の力不足だった。力と言っても単なる強さの事ではない。
あそこで手を突き出せばよかったのだ。遠ざかってしまう背中を強引にでも、引っ張ればよかった。
あの人は自分で去ることを止められなかった。救いを求めていたのだ。誰かに手を引っ張ってもらえる事を望んでいた。
マスターは自分に関しての問題で誰かを頼る事ができない。そうなってしまう環境で育ってきたから。だから一人では中々、自ら手を出せなかった。不安と恐れで立ち上がる事ができず、助けがなければ立てるはずがなかった。
赤ん坊が急に立てないのと同じだ。四つん這いで動けるようになってから、親の温かく大きな手に引っ張られながらでなければ、二足で移動することはできない。
あの人はライオンではない。千尋の谷に突き落としたらのなら、助けなければもう登ってこられない。地獄を経験して、じっと動かないまま孤独になってしまう。
なんと言われても、突然人を頼ることはできない。つい先日、やっと人を頼ると言う手段を知り、少しだけ手を出そうか出さまいか低迷しているところだった。
だから私が手を取ればよかった。
それどころか以前から、もっと積極的にあの人のことに踏み込んでいたら。過去の傷の事を知っていれば、独りになんてさせなかった。
私は知っていた。あの人がなにかを隠している事を。イグニスの言葉を聞いたときから、感じ始めた。
知っていたのなら、救えた。
辛い思いをさせる前に、守れた。
だから一刻も早く見つけ出さなければ。全てを聞いた今ならあの人を助けられる。あとは開いてしまった距離を縮めその手を握るために、その背中を追いかけなければならない。
あの人の痛みに比べたら、私のはどうってことはない。
全くと言っていいほど寒くない。むしろ温かすぎて贅沢だ。
疲れも、地獄を死にものぐるいで切り抜けたあの人には1割にも及ばない。
どんなに離れていようとも、追い付く。そして隣で手を取り共に歩こう。その先がいかに果てしなく、険しい道となっても、ずっと一緒に。
なぜなら私はもう、決めているのだ。
「私は………マスターが好きだから────!!!!」
喉の奥から枯れそうな声を絞り出した。
気になったのは初めて会った…、よりちょっぴり先。宿と言う目的で、入ったあのホテルで『パーティーになろう』と言われた時だ。
優しくて、頼もしくて、あの人自信が防御魔法のようだった。
そんな自分の好きな人だから、悲しむ姿なんてみたくない。
隣にいたい。
必要とされたい。
一番の頼りになりたい。
いつも泣いてばかりだった時の私の涙を、洗い流してくれた。良いことをすると頭を撫でて褒めてくれた。
与えられていた自分は捨てる。今度はこっちの番だ。
暗い闇の底で寂しい思いをしているマスターに、手を伸ばす。引っ張りあげて、その手を離さない。
だから………。
「どこにいるんですか…………………、っ!!」
どこもほぼ水溜まりが広がっている道の上、私は足を滑らせ前に転んだ。
「…………っ…。マスター………!!」
水溜まりに倒れよりびしょびしょになる。更に体温が奪われて、いきなりの転倒と言うアクシデントに足も吊りそうになり小さく痙攣を起こす。おそらく膝を擦りむいた。ジンジンと痛み、もう体じゅうボロボロだった。
それでも諦めない。動かなければ。
早くあの人を見つける。
立ち上がろうと体を両手で持ち上げると、
「ミルミル!!やっと見つけた!!」
「何やってるんですか!?」
誰かが後ろから駆け寄ってきた。
二人。この声はシーナさんと、ルナさんだ。見れば自分のような無謀な格好ではなく、二人とも雨合羽を着ている。
「何って……。マスターを探すんです…」
「……、冷たっ!?死体みたいに冷えきってるじゃないか!?」
「しかもあちこち傷が…、!!こんな無茶して!!」
二人とも呆れるように私の体を確認する。
一応、私はみんなの反対を押しきり、城から出ていったのだ。だからそんな顔をされて当然だ。
同時に、捜索を止めるつもりもない。
「大丈夫……です…よ。私は全然平気ですから…」
「全然平気じゃないよ!!無理してるけど、震えてるよ!!」
「いいんです。マスターに比べれば、寒くなんてありません。見つけ出すまで走れます…」
私のことなんてどうでもいい。今優先すべきなのは、早くあの人を探すこと。暗闇から引き上げなければ。
「今なお苦しんでるマスターを助けなきゃ─────────
バチン
「──────────────────え……?」
にわかに音が鳴り響くと、私の視界が揺れた。逸れたと言うべきかもしれない。いきなり首が強い衝撃で横を向かされた。
「仮にそのまま無鉄砲に探し回って、アルトさんを見つけたとします」
私はルナさんにぶたれたのだ。それに気がつくまで、夢の中のような気分で険しい表情と向かい合っていた。
冷たい肌ではそのビンタの威力は何倍にも膨れ上がり、蜂にでも刺されたような痛みだった。ほっぺが少しずつ熱くなるにつれ、胸のなかが痛み始めた。
「それで喜んでくれますか?優しすぎるアルトさんなら、自分のせいで迷惑をかけたと余計沈むんじゃないですか?」
「…………、」
私は目を開いた。
無理をしなければあの人を助けられない。逆に、ルナさんの言うことは正しかった。
私が無茶したらマスターはそれをどう思うか?
エリクで私をイグニスの足止めの役にしたときのマスターの表情は辛そうだった。師が弟子を大切に思うのは普通なのだろうが、マスターはそんなものではない。仲間を大切にする、それがマスターだ。
過去の事を話そうとしなかったり、人を頼らない。迷惑をかけたくないから、独り去った。
あの人ならこんなになられて、心から喜べるはずがない。
完全に間違えたのだ。
自分を見失い、マスターの事しか考えない。果たしてそれは望まれているのか。そんなはずない。心配させるだけだ。
「……ラルファさんやハルキィアさんも今アルトさんを探してます。ミルスちゃんは独りで頑張ってました。だから私たちに交代してください」
「あの兵士長の人に頼んで、お風呂用意してもらってるから、ゆっくり温まって休んで」
「……………………はい…」
二人の優しい目。そして自分の間違いを知ったことへのショックで、私は力なく頷くしかなかった。
肩の力が抜けたまま立ち上がると、私は城の方へ歩き始める。
強い雨のなかを独りで、叩かれながら歩く。二人から傘を貰ってはいたがそれを開かず、自分の過ちを恥じながら足早に。
「衣類は籠の中に入れておいてください。きれいに洗濯しておきますから」
「ありがとうございます………」
開いた城門から外に出る光へ向かって数分後。重い足を持ち上げて城門に着いた私を待っていたのは、笑顔のメイドさんだった。城で家事やその他の目的で雇われた存在。濡れた私に優しく話しかけて、ふわふわのタオルをくれた。
それから案内されたのは風呂場。城のお風呂ともなると脱衣場だけでもかなり広かった。数本の松明や燭台が照らしているが、その広さだと少し薄暗かった。
「別にマナーとか関係無く、お湯から入ってもらって構いません。誰もいないはずですから」
「親切に…ありがとうございます…」
「いえ。それではごゆっくり♪」
そこに入ると、脱衣場の外でメイドさんが優しく微笑みながらドアを閉める。
とても良い人だし、すごい待遇だった。お湯まで頂戴出きるだけでなく、洗濯までしてくれるらしい。
昼間に城を襲撃した冒険者から色々守ったお礼とは言え、こう言うのには馴れないため少し申し訳なかった。
「……………………」
メイドさんがいなくなって独りになる。聞こえるのは窓の外で降り続ける激しい雨の音。水の音以外、聞こえるものはなかった。
それはともかく、早く服を脱いでしまおう。体も同じくらい冷えきっているためこれ以上の寒さは感じないが、びしょびしょで気持ちが悪い。下着の中まで水に飛び込んだ後のようになっており肌に張り付く。
「………よい……しょ………」
ベストを脱ぎ、スカートを降ろす。感覚がほとんどない指でシャツの端を掴んで、ボタンを外さずにそれを脱ぐ。
隠れたところ以外の冷えて血が走ってないような白い肌が露になる。
するとまた切なさが胸を苦しめる。
「マスターは………寒がってないかな…」
頭に浮かんだのは今、雨の冷たさに体を震わせているであろうアルトさんのこと。あの人は私以上に孤独で辛い思いをしているはずだ。
それなのに自分はこれから風呂で温まるのかと、罪悪感が産まれた。
「……きっと……見つかりますよね…」
身に付けているすべての物を取り外して、持ち上げれば水がヒタヒタと垂れる服を籠に山のように入れる。最後に鈴のついたチョーカーを取って、その山のてっぺんに置く。
それから乳酸が溜まってガタガタの足でゆっくりと浴場の前に立つ。
温まったらまた探しにいこうかなどと、また無茶と批難されるような事を考えながら、私は浴場の引き戸を開いた。
「っ………………………!!」
眼前に現れたのは大理石でできた立派なお風呂だった。浴場のスペースだけで家二つ分の敷地並みの広さだ。その半分は、乳白色の霧のような湯気を放つお湯。小麦粉袋を振り回したような煙が視界を覆う。自分の爪先も見えないくらいに濃い。だがそれがまた、薄暗さとマッチして幻想的な光景を作り出していた。
「すごい………」
リブラントの集会浴場の比ではない。広さでは劣っていても、この浴室自体が優っている。設計も素晴らしいし、質で見ればここの方がはるかに上だ。
これは芸術。こんな豪華な風呂なんて当然初めてだ。
ペタペタと足を石の床に張り付かせて室内を歩く。並々と揺れる白く濁っているお湯に引き寄せられるように、走りたくなるのをおさえて早歩きになる。
「…………………………っ!?」
その時、今までは湯気で見えなかったが、誰かが首だけを出してお湯に浸かっていることに気がついた。綺麗な黒髪だ。
メイドさんが誰もいないと言っていたため、まさか先客がいるとは思わなかった私は、ピタッと足を止めた。
どうするべきか。
城の中の浴場だ。もしかすると偉い人かも知れない。一緒に浸かっても良いものだろうか?高貴な人なら『無礼』とかなんとか言われるかもしれない。それに私はバスタオルも何もない。何も隠さないで入浴するのもどうかと悩んだ。
「ぅ……さむい…………………………」
しかしそんなこと考えてる場合ではなくなった。
私は今裸だ。このまま服もなしに立っていても、より寒気に襲われるだけ。早くお風呂で温まりたい
。
それにもしかすれば偉い人ではないかもしれない。
現時刻は午後10時を少し回ったところ。偉い人ならこんなに遅くに入浴なんかするわけないし、お手伝いさんがいるはずなのでは?ひょっとすると、仕事が終わって休んでるメイドさんかもしれない。
このまま入ろう。こんなに凍えてから言えた道義ではないが、風邪を引いてしまう。
私は勇気を出してお湯に入ることにした。
「あ……、あの…?ご、ご一緒させていただきます…………ね………、?」
爪先からその人の隣にゆっくりと入りながら、一応挨拶をする。
だが途中で停止した。足だけお湯に入ったまま、私は寒さも忘れて立ち尽くした。
「……ん?あ、どうぞどう……………ぞ………、
」
その人も私を見て固まった。お風呂に入りながら微睡みかけていた目を、大きく開いて。
そして少し時間が経過してから、私は
「ア……、アルトさん!!!!??」
驚いてあげた声を浴室に響かせた。
何故だ。
真っ先に浮かんだのはその言葉。
気持ちよくお湯に浸かって、あまりの心地よさに寝そうになっていた。そしたら突然誰かが話しかけてきた。
『ご一緒させていただきますね』と声をかけられて、返事をした。
『どうぞどうぞ』と言いながら、その人を見たら。
「ミ、ミルス!!??」
裸の俺の弟子がそこにいた。全裸と言う名の肌色の格好。初々しさを感じさせるものの刺激の強いその姿に、俺は硬直するしか手がなかった。
だから何故だ、と浮かんできた。
ここは王国の城の風呂のはずだ。どうしてミルスがいるのか?
わずかな時間で頭をフル回転させて至った結論は
──そうかこれは夢だ。
俺はきっとうとうとしているうちに、風呂のなかで眠りについてしまったのだろう。だからこれは現実ではない。みんなに後ろめたさを感じていた俺の頭が見ている夢。ミルスの体がいささか細やかすぎるが、きっと夢だ。
そうに決まっている。
と、決めつけたものの……………
「「キャァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァッ!!??」」
俺の叫びとミルスの叫びが上手く調和して、浴場に見事な悲鳴のハーモニーを響かせた。
叫んでからすぐさま、ミルスは立ったまま胸と股を手で隠した。
俺も股間を手で隠す。白いお湯のお陰でなんとか見られなくて済んだ。
「な、なんでミルスが!?」
「ど、どうしてマスターがここに!!??─────っ!!それより何処に行っていたんですか!?」
体を隠すために勢いよく身をお湯に落とすと、ミルスは思い出したように表情を変え、問い詰めるように身を寄せてきた。
少し怒っているように見えるのは気のせいではないだろうし心当たりがある。
「は、話せば長い!!そ、それより──────!!」
俺が気にしているのはミルスが怒っていることより、隠すものない胸。目を覆いながら指差す。
「……っ!!キャッ!?」
指摘されて気がついたミルスは、首から下までをザバンと湯に沈めた。
恥ずかしそうにしながら涙に滲む目で恨めしそうにこちらを睨む。今にも泣きだして怒声を聞かせてくれそうなミルス。
そんなときだった。
『今悲鳴が聞こえてきましたが、どうかしましたか!!??』
脱衣場の方から女性の声がした。
まずい。おそらく城で働くメイドだ。
これで戸を開かれて見られると、この俺自身もわからない状況を変な風に捉えられてしまう確率が高い。さっきの悲鳴は、おそらくミルスのものしか聞こえてないはずだ。俺の叫びが高かったため、女性の声にしか聞こえない。だったら完全に、俺が変態扱いされる。
ミルスには後で話すとして、ヤバイので1度窓から逃げ出そう。
そう思って立ち上がった瞬間。
「だ、大丈夫ですっ!!!!滑って転びそうになっただけで!!いいお湯で極楽ですっ!!!!」
ミルスが声を張り上げて叫んでくれた。
『そ、そうですか。で、では……!!』
どうやら去ってくれたようだ。証拠に扉を閉めて脱衣場から出ていく音がした。
「た、助かった………」
何はともあれこれで変態にならずに済んだ。俺は息を吐きながら胸を撫で下ろす。
「あ……………あぁ……っ!!」
「……………………え?」
声にならないような音がミルスの口から漏れているのに気がついた。
彼女は頬を真っ赤にし、口をあけていた。驚愕しているような表情の、その目線は
「────────────────────あ」
彼女の全裸を見て男が反応してしまった、俺の下半身へまっすぐに向けられていた。
「い、いやこれは!!ぼ、僕にも抑えきれないんだ!!」
慌てて湯船に使って隠すがもう遅い。
ミルスの目にはバッチリ写されただろう。今ならもれなく、彼女の口から高画質な写真になって出てきてもおかしくは無さそうだ。
──また叫ばれる……っ!!
そう思って耳を塞いだ。
「…………マスター」
少し間をおいてから名前を呼ばれた。
「溜まってるの全部…、吐き出してください…」
「え⁉︎溜まってるのって⁉︎」
思わず耳を疑った。まさかそんな言葉が彼女の口から発せられるとは微塵も思わなかった。
「え?───、っ‼︎ち、違います‼︎そういう事じゃなくてですね‼︎」
彼女の言葉を誤解していたのだろう。顔を真っ赤にして否定される。
すると、彼女は目を伏せながら、話しはじめた。
「全て…聞きました…」
「っ……………、!?………………そうか…」
その言葉で背中に電撃が走った。
何を聞いたのかは即座に理解できた。
俺の過去だろう。
「マスターがなんであの男達に暴言を吐かれていたのかや、2年前の例の事件とやらについて…。また、マスターが町で酷い名前で呼ばれていた理由も…」
ダメ人間ってあだ名の真の意味だろう。引きこもって働かないからではなく、失態についての名前であることを知ったのだろう。
「私は…力になれなかった…。辛い思いをしているマスターを助ける以前に、それに気づくことすらできませんでした…」
俺はみんなを頼らなかった。仲間を頼れと言われていたのに、それを裏切って独りになった。特にミルスに関しては、激しく怒りを露にしていた。失望しかないだろう。
「……………………………………………………」
「……………………………………………………」
そこからは続かなかった。これ以上言葉で表現できないくらいの怒りなのだろう。当たり前だ。僕は最低だ。過去を黙って、その上信頼を失った。ぺてん師みたいなものだ。
覚悟はできてる。どんな罰でも受ける。気が済むまで叩かれても、針で刺されても文句は言わない。自業自得なのだ。抵抗する権利がない。
目を閉じた。今すぐにでも殴ってくると、そう踏んだ。
「マスター」
それがおそらく他のどんな罰よりも辛いものだった。
ミルスが俺の名前を呼んで強く抱きついた。
その瞬間に俺の、親を失ってからのあの事件やその他のどんな事も耐えてきたように、見せかけることのできた胸が潰れた。
凹んだような軽い傷ではなく、ぺっしゃんこに。
「ミ……ル…………ス……。何を……?」
痛いなんてものじゃない。死にそうだ。
あまりの苦痛に俺は彼女の腕を強く握りしめて、引き剥がそうとする。
全力に近い握力でもがっしりとしがみつくようなミルスは剥がせなかった。彼女も痛いはずなのに、ビッタリとくっついていた。
「離れてくれないか………。頼む………」
語りかけても微動だにしない。
「離れろ……。離れろって……」
嫌だった。いつもなら嬉しいと感じるだろう、この事態は。今はとにかく嫌で仕方がなかった。
胸の中の彼女の冷たさも自分の中に侵食を開始した。まさかこんなになるまで探していたのだろうか。
「おい………。いい加減にしろ……っ!!離せつってんだよ…!!」
口調に変化が現れたのは自分でも気づいている。 平常心が大きくぶれてしまったことで、闇が暴れだしていた。自分を守るためであるのに、ミルスに対する敵意が底無く溢れ出る。
「ぐぅ………ァァァァァァァァァァァァァァァァ!!」
とうとう俺は叫んだ。猛獣のように吠えながら歯を折ってしまいそうなパワーで、顎に力を入れる。
このまま自我を失ってしまいそうだ。だがもしそうなれば、シューラでのハルキィアとの悲劇を繰り返す事になる。
この綺麗な肌に思いっきり噛みついて、ミルスを殺してしまう。だから今すぐにでも離れてほしかった。それなのにその願いを聞き入れてくれない。
「耐えてください………マスター…いえ、アルトさん!!」
「っ!!!?」
その言葉で、ミルスを掴む手の力が緩んだ。
「いいんです…。少しずつでいいんです…!!人を頼ることとか、アルトさんにはできなくて当たり前だったんです…!!ですが勝ってください!!過去なんかに負けないでください!!怖くても私がいます!!アルトさんと一緒です!!」
今度は歯茎から血が出るまで噛み締めた顎の力が抜けた。
「どんな苦しいときでも私は隣にいます!!腕をもがれてもしがみつきます!!足を千切られてもついていきます!!嫌いと言われても愛してます!!!!他の誰がアルトさんをどう否定したかなんて関係ありません!!私が………私がいますからっ!!あなたの事が大好きな人が傍にいますから!!!!」
そして暴走しかけの全ての闇が消えた。
代わりにポロリと。胸の底から絞り出されたような何かが頬を走った。取り出された闇が透き通った液体に浄化されたようであった。心が少しずつ楽になる。
「ぅ………ウアアァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ!!!!」
とうとう彼女から手を離して慟哭した。
俺を縛っていた鎖か何かが千切れたのは感じた。しかし解放感に満たされる訳ではなく、鎖で抑え込まれていたモノが溢れ出した。
なんなのかはハッキリしない。色んな想いが混ざった不純物の洪水が涙と声になって、今なら無尽蔵に出てきそうだった。
「泣いてください…。気が済むまで…楽になるまで…、悲しみを吐き出してください…!!感情を曝け出してください‼︎泣いたからって弱いわけではありません…。今まで耐えていたアルトさんは強いです………」
ミルスは俺の背中に腕を回しながら、額を胸に打ち付けていた。
冷えている彼女の体。それが何を示しているのかわかると、とても暖かかった。
しかし何を思っても声にできない。
俺はそのまま泣き叫ぶことしかできなかった。
窓から入りこむ風が浴室内を照らす蝋燭の小さな炎を消すまで、涙は枯れ無かった。
その間、みっともない顔で吠える俺の声と外から聞こえる雨音。そしてそれに隠れるように小さな女の子すすり泣く声が、耳に響いた。
途中から視点が移り変わりましたが、いかがでしたでしょうか
涙を流す事はあれど、今までは声まではあげなかった主人公の慟哭は印象的だったかと思います
逆にようやく心の内を曝け出せるようになったと言っても間違いではないと思います
誰だって涙でぐしゃぐしゃになった顔を見られるのは恥ずかしいわけですが、それさえも気にしないくらい彼女へ信頼を寄せていること、成人してもいない少年の心の成長の表れとして、この話を書かせていただきました
前半のミルスの方では本気にアルトの事を想う、一途で真っ直ぐな彼女の性格を露わにしました
『ミルスの強い意志が、頑なに強がろうとするアルトの心の壁を撃ち砕いた』
そういう設定が今回の話でした
それと余談になりますが、
困った時はやっぱりルナを使わせてもらってます
向こう見ずになってるミルスに、目覚ましのビンタをしてもらいました
一番の年上なので人の気持ちも考えられますし、何より色んな見方をする事ができますね
アルトの性格を察してミルスに休みを勧めたり、あとこれは書いてませんが、何でもいいから早く師を探し出したいミルスの意志を汲み取って捜索を代わるところが、大人だなぁと思います
シーナの役割は重かったり暗かったりする雰囲気を、特徴的な喋り方やその軽さで和らげてくれる事です
ムード(明るい)メーカーでもあり、
ムード(良くない)ブレーカーでもあるのが彼女の良い点であります
キャラの性格や特徴で場の空気を作っていくのも、読み取っていただけるととても嬉しいです
それ以前に、登場人物の人柄が曖昧かもしれませんが……
今度はハルキィアやラルファ、しばらく休業中のディアスなども使っていきたいですね
時間があれば悪魔達も感情豊かに文で表現してみたいです




