清々しくない勝利
本当に清々しくないです
「ハァアッ!!」
「くっ…!!」
空の上で2つの冒険者がぶつかり合いを繰り広げる。戦況は数分前とは真逆で、光が影を追い込むようにどんどん攻めていた。
『エンジェルフォース』を発動しているミルスの恐るべきスピードからイグニスを守るものは、時間しか残っていなかった。
イグニスの力の源である霊は、すでに元あった量の1割にも満たない程度にまで減少していた。
イグニスは攻撃から身を守るために霊を使う。霊を剣に纏わせる事で攻撃を弾き返していた。しかしその方法はもう効果がなかった。一つの攻撃に反応する内に2、3回の追撃を許してしまうのだ。そして追撃を受けたために霊はまた消滅させられる。霊がこんなにも浄化されてしまえば、イグニスにはもうミルスの動きについていくことはできなかった。
「……オノ……レ…!!」
何年にも渡って集めてきた人間の魂が浄化される。努力を全て無駄にされるのと等しく、イグニスは憎らしげにミルスを睨む。まだ世間をよく知らないうえに幼い小娘の所業と思うと尚更怒りを倍増させた。
イグニスがミルスに屈辱的な敗北するのも、後は時間の問題であるかのように思われた。
「『影縄』―――――」
「させません!!『ホーリーバインド』!!」
「……っ、ぐうっ…!?」
イグニスが魔法を放つよりも先に、ミルスが光の縄で縛ったためイグニスの魔法は阻止された。
腕ごと胴体を拘束されたイグニスは抜け出そうと力を入れる。しかしもうミルスの魔法を破れるような力は持っておらず、決着はついたようなものだったり。
「……これで…決まりましたね。あなたは『ホーリーバインド』を打ち破るの必要な力、充分な霊を持っていません。だから勝負は私の勝ちです」
勝利を誇る様子を見せるわけでもなく、ミルスは落ち着いた調子でイグニスに告げた。
その目に入り込む光がどれだけ目障りで、耳へ聞こえる言葉が癪に触ったかは、イグニス本人しか知らない。
「……だからどうしたと言いたい?早く止めを刺せば良いだろう。こう話している間にも貴様は私を容易に絶命させられるはずだ」
何故そうしないのか理解しているうえで、イグニスは真っ黒な瞳を向ける。
この女の性格からすれば、おそらく何を言ったところで殺そうとしない。頭の中で罪を償わせようと考えていることは見えていた。
「確かにそうかもしれません。ですが私はあなたと違って野蛮ではありませんし、あなたはたくさんの人に謝らなければいけません」
やはりそんなくだらない事を考えていたのか、とイグニスは胸のなかで嘲笑う。甘い考えだ、と。
「殺さなかったところで私が貴様の言う通りにすると思うか?口では罪を償うと言って、いつでも貴様の首を取る機会を狙うぞ?そんな事を考えている暇があれば、早く私を殺せ。そうすれば貴様は英雄になれる。皆から愛されている王国の王妃を殺したお尋ね者である私を殺せば、貴様には栄光が与えられる」
人間とは欲を持って成り立っている。欲の無い人間等はいるわけがない。逆にそんなやつが存在してみろ。そいつを軸に人間は狂い始める。
この女はそれくらい重要なモノを心の隅ではわずかに思っているはずだ。その正義を実行するだけで、目の前の輝く名誉がすぐに手に入る。
意思が揺らがないわけがない。
今まで何百、何千もの人間を観察して殺したイグニスだからわかる。人間は欲の前では無力であることを。
対するミルスの返答をイグニスは期待をして待った。
「……………………栄光なんて……………………………………………………………………………………………………………………………欲しくないです」
その願いを打ち砕くようにミルスは答えをした。 イグニスの希望に反する回答を、少女は返したのだ。
予言の裏切りに声を荒げ、イグニスは怒りを露にする。そんな人間がいるわけない、嘘をついていると決めつけた。
「綺麗事を言うな!!!!貴様は何かしらを望んでいるはずだ!!でなければ危険を犯してまで我と戦ったりはしないはずだ!!」
「……望みがあるのは確かです。……でも、それは栄光じゃありません」
「栄光じゃないだと…!?なんだそれは!?言ってみよ!!!!」
命をかけるほどで、栄光以上のものなんて想像がつかなかった。
「あなたと戦ったのは仲間を助けるためです」
「っ!!」
「最初からそうって言ってたじゃないですか。あなたが連れ去ったルナさんをマスターが救うために、私はあなたの気を引く役になったんです」
「それだけで…、たったそれだけの理由で貴様は私と戦っていたのか!?最初から『エンジェルフォース』を使わなかった事から推測すると、その力もある程度の制限はあるのだろう!?」
チートとも思えるようなその力の欠点を見抜かれ、ミルスは目を開いた。
「……っ……。見抜いた通りです……。私のこの力は『エンジェルフォース』を長時間でも使用することができます。しかし力をマナに切り換える魔法、魔力は当然消費するため、最高でも5分しか持ちません」
ちょうどその半分くらいの時間が過ぎただろう。『エンジェルフォース』の使用コストとなるマナは、スキルを何十回も発動させる以上に必要とされる。それゆえ魔力を莫大に消費されるのに変わりはないのだ。
「5分経てば私の魔力は底をつき、しばらくの疲労に初級魔法すら使えなくなります……。ですから『エンジェルフォース』の発動にはある程度のリスクを背負いました」
一瞬で形勢を逆転させたこの力を何故最初からそうしなかったのかと言う理由はそこにあった。イグニスの推測通り、5分以内で倒さなければ敗北が確定する。
魔法による力の供給が止まれば、『エンジェルフォース』の効果は消え去る。待っているのは地上への真っ逆さまなフリーフォールか、倒しきれていない死霊使いの剣か。
イグニスとの会話で感情的になって古の魔法を使った時点から、勝負の制限時間となる砂時計は動き出していたのだ。
「でも……………。だから…やる気になるじゃないですか。私はこの力を使ってもあなたに勝てるかどうかわからなかった。そこで逆に自分を追い込みました。いつまでも恐れていてはダメだって………。自分から踏み出さなければ私は強くなったとは言えないから!!」
「答えになっていない!!!!私は貴様が栄光の先に何を望んでいるのかを聞いているのだ!!!!」
「二回も言わせないでください!!理由は仲間だからです!!!!」
「何っ!?仲間…!?くだらない…!!実にくだらない!!!!」
「くだらないのはどっちですか!!あなたは仲間の大切さを知らないからわからないんです!!!!命をかけてもいい、むしろ足りないくらいに大切なのが仲間なんです!!」
会話が熱を帯びていくなか、とうとう黒い側の魔法使いの沸点に達していた感情が、更に上へ跳ね上がるように昇った。
「『霊気解放』!!!!」
「っ!!」
激昂した死霊使いから黒い閃光が迸った。その体を拘束していた光の縄はその影に飲まれて消えた。
急な事で顔を伏せたが、すぐに何が起こった目をハッと開けて死霊使いの方を見た。
「……何この魔力!?霊はほとんど失ったはずなのに!?」
強さであった霊を浄化して弱っていたイグニスからは、戦う前よりもはるかに大きな魔力が溢れていた。
「仲間など不要だ。そんなものが無くとも、力はいくらでも手に入るのだ小娘!!!!」
イグニスの様子は不気味さを増していた。死体のように顔色は青くなり、目の下にはどす黒い隈ができていた。闇一色だった瞳は緋色に染まり、生気を感じさせないその様は不死の魔神とでも称するべきだろうか。まず生きている人間とは思えなかった。
変化は見た目だけではない。あたりに散らしている薄い影のようなオーラは、触れれば凍てつくような寒さでもあった。大量の水に薄めた墨汁のようだった魔力が、天使のように輝く光と同等までに戻っていた。
「一体何を…!?」
理解できない変化にミルスが驚くと、イグニスは血色の悪い唇の狭間から、白い歯を覗かせて答えた。
「簡単なことだ。死霊使いの奥義とも呼べる特殊な能力『霊気解放』は、言わば悪魔に魂を売るような行為。己の魂を霊として使ったのだ。他人の魂1つで強大な力を得られるのなら、自信の生命エネルギーを捧げることでその何千倍以上の力を得られるのだ」
「こんなことに自分の命を!?」
「すべき事ができたのだ。貴様と言う存在自体が目障りなモノを消す。そのためなら命などどうでもよい。今この場で貴様を殺せるのだからな!!!!」
力を取り戻した事に加え、更にパワーアップを遂げたイグニスは、半生以上共に居続け、数えきれない程の血を吸わせた剣を握り、天使のごとき少女に斬りかかった。怪しく不気味なオーラを後ろに放出しながら、その推進力でミルスへとまっすぐに向かっていった。
「だったら綺麗に清めるまでです!!『ホーリーショック』!!」
より強大といえども、結局は死霊使いの操る霊の力である。それならば光の魔法で浄化できると睨んだミルスは、もう数メートル先に迫っている死霊使いに向かって光の魔法を放った。声には出したものの『エンジェルフォース』で強化されているため、空中を渡る波は何重にも重なっていた。
「無駄だぁ!!!!」
「っ!!」
しかし予測通りにはならなかった。
剣で防いだ訳ではない。イグニスはそのまま光の衝撃波に真っ正面から直撃する形で突っ込み、それらを全て突き破って勢いを緩めずに向かってきたのだ。
「霊と言えど、私はまだ死んではいない。貴様の魔法で浄化することはできんぞ!!!!」
「くっ…!!『ホーリーバインド』!!」
「無駄だと言っている!!光などもう私の恐れる力ではない!!」
何十本もの光の縄をかわし標的の目前に辿り着くと、死霊使いは剣を振り上げた。
「『クリスタルウォール』!!」
接近を許してしまったためその剣撃を防御しようと魔法の壁を張る。しかし急だったため平常を失い、1枚だけしか張らなかった。
「柔い!!!!!!」
案の定光の壁は虚しくも砕かれ、その飛び散った破片がミルスの頬をかすった。皮の奥の肉を少し裂いて、目の下から少量の血が流れ出た。
「これだけでは終わらせぬぞ!!霊の恐怖に凍えるがよい!『ゴーストブリザード』!!」
「キャッ…………!」
回避を取るよりも先にイグニスの手から放たれた強力な黒い吹雪が、翼で宙に浮く少女を襲う。
『エンジェルフォース』により速度が増しているミルス。それなのに避けられなかったのは理由が2つ。
1つはその速度に追い付く程にその男が強くなっていること。
2つ目はタイムリミット。もうすぐで発動から5分。魔力が尽きようとしているミルスを疲労までもが襲ったからだ。
冷気の風に捕まると、肌色の健康的な腕や太股を凍りつかせた。
「手がっ!?」
「終わりだぁ!!!!愚かな小娘よっ!!!!」
手が使い物にならない今、魔法を使う術がなかった。ほとんどの魔法は主に手から魔力を放つため、そこを封じられてしまっては守りも攻めもできない。
目の前には剣を持ったイグニス。今にも叩き斬ろうと剣を持ち上げていた。
絶対絶命のその状況で腕を失う覚悟で、ミルスは凍った右腕で防ぐような姿勢をとった。反射的な行動で、失策だったと気づくのは数秒後だった。
ちょうどイグニスが自分を霊と化させて、黒い光を放っている時。
ちょうど真下で強大な力が脈動をし始めていた。
『オ……ノレ……。ニンゲンゴトキノ力デ………我ハ堕チヌゾ……!!!!』
その魔力はより黒く、より濃くなろうと渦を巻き始め、凝縮されていく。
『ヤラセヌ…。ソノ娘ニハ手ヲ出サセヌ…!!闇モ知ラヌ愚カナ小僧ニ………眼ニモノヲ見セテクレル…!!!!』
ゆっくりと、緋色に輝く凶暴な眼を空へ向ける。
『散レ……!!!!「混沌の魔炎」!!!!』
ブラックホールのような底の無いように思わせるほど闇色の口を開き、真上の敵へと向けて黒い炎を放った。それはもはや炎ではなく、闇の光。
エリクの市街地から、地平線から垂直に伸びていく黒い柱。
それは傷だらけの闇の召喚獣が、主を守るために放った一撃だった。
まずい、と思ったときには、すでに手遅れと同時に感じた。守るために腕を出してしまったが、このままでは切り落とされる。阻止するための術がたくさんあっても、それを行使できる時間はもうなかった。
前から遅い来るイグニスに腕を差し出す形で、ミルスは顔を伏せていた。自分の腕が斬られる瞬間など想像もしたくないし、その後の神経を斬られた痛みの想像だけで恐怖におかされた。
その様子を悟ったイグニスは勝利を確信した。
「死ね――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
確信は剣を振る前にその叫びごとかきけされた。
「っ!!」
「ガァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ!!!!!」
目を開いたミルスの目に飛び込んだのは、黒炎の煉獄に閉じ込められた罪人の姿だった。悲鳴をあげながら下からの炎の柱に焼かれ、見ただけで地獄と言う言葉を連想させた。
有名な童話『ヘンゼルとグレーテル』で焼却炉に入れられた魔女もこのような様子で苦しんでいたのだろう。
何が起こっているのかわからないミルスだったが、胸元で凍った腕を温めながら燃やされているイグニスから目を背けた。目の前のそれは炎なのに、ミルスは震えが止まらなかった。
人の焼けるような臭いが、嗅覚に突き刺さった。感覚が脳に伝わると、吐き気が少女を襲う。今まで嗅いだことも無い悪臭、それが人の焼ける死の臭いと知ってしまったら鳥肌が全身に浮き出るように、冷や汗が流れでる。
「ナンダ…コレハァァァァァァァァァァァァァ!!!!グァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァォァァァァァァァァァァァァァァ!!!!」
苦しみ、苦しみ、苦しみ、苦しみ、苦しみ。
地獄のような時間に閉じ込められたもはや人と呼べる状態なのかわからないソレは、ただ消されていた。黒澄んだ魂ごと、肉体は焼却される。
されどもすぐには死ななかった。肉が溶け蒸発している。骨が焦げ、炭と化している。痛覚が残っていないのにも関わらず残った魂、すなわち神経は燃やされているままだった。
「…………ハッ…………!!ハハァ、ハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!!!」
やがて叫びは、狂い笑う声へと変わる。
「ナルホド…!!コレガ死!!霊魂ノ消滅カ!!!!中々ニ快楽ダ!!!!」
腕を押さえる少女は更にゾッとした。
この人は死を楽しんでいる。苦痛を受け入れている。麻薬に溺れるのと同じような心地好さに浸かっている。
異常だ。ただの狂った殺人鬼ではなかった。まるで死を友としているかのようだった。自分は死のために人を殺し、死は自分のために殺す。あの人は元から人間ではなかったかのような、考えなのだ。
ミルスは震えながらうずくまった。決してそれ以降は男を見ず、耳にその声が届かなくなるのをただじっと、恐怖に身を震わせながら待っていた。
―――――――――――――――――――――――
「……………………………………………………」
私は無言で地上に降りた。同時に『エンジェルフォース』を解除、すると白い翼は光の塵となって霧散した。
「…………………………………………………っ、」
勝利した、と言うような感覚はまるでない。自分の召喚獣が倒したと言うことはわかっている。それもピンチだった私を助けるためでもあった事も重々承知している。
だが今は喜んだりできるような気分じゃない。できるものなら無情になりたい。そのくらい、今は何も考えたくなかった。
そのままゆっくりと足を動かし始めた。辺りに人気がない市街地をただ歩いた。あちこちが瓦礫の山になっているエリクシティを、散歩するようにただ歩く。大切な友達を探しているからだ。おそらくこの辺に落ちたと思われる。
「……手は治ったか…」
右腕を見る。そして手を広げては握る動作を繰り返す。
数分前に魔法で凍りつかせられ、解凍した後もしばらく感覚が無かったのだが、ようやく動かせるようになったようだ。
だが何も思わない。霜焼けがしなくてよかったとか、神経が無事でよかったなんて思わない。
無心だ。自分の心を一才閉ざしたまま地面を見ながら歩いた。
そして見つけた。瓦礫の上で横になっている子犬サイズのバハムートを。
「………………………………っ、ディアス!!」
そこで無心を守っていた意思が砕け散った。
今はただその友達が心配になって、駆け足でそのもとへ向かった。
見れば全身の鱗は傷だらけ、どこかにぶつけたのか数ヵ所程から血を流して、ぐったりとしていた。
「ディアス。……ディアス!!」
顔を覗き込むようにして叫んだ。耳ではなく、意思に届くように、一心不乱になっ名前をて叫んだ。
反応がなければ、より声を出して叫び、その小柄なを抱きかかえては揺らして応答を求めた。
「……む…ぅ………。ミル……ス……、フィ…エル…………か……?」
「よかった………!!生きてた………」
安心から胸に積もっていた不安を、一気に吐き出した。
「我が…そう容易く………死ぬものか…。……だが、……力を使いすぎた…。しばらくは…動けんだろう…」
「いいんだよ!!ありがとうね…。私のために、そんなボロボロになってまで頑張ってくれて…。ゆっくり休んでね」
傷に触らぬように、胸の中のバハムートを、卵を扱うような優しさで抱き締めた。
怪我だらけではあるが、命が無事でよかった。心から安堵することができた。
「貴様は…本当に優しさの塊のような……、人間だ…。召喚獣である我に死などない…。また時空の垣根を越えた、別の世界に戻されるだけだ…」
「でも…。大切な友達だもん…。心配しないわけがないよ…」
「友達……ときたか…。その意外さが、むしろ嬉しく思える…」
ディアスはゆっくりと瞼のシャッターを閉じた。
そして尋ねた。
「………………嫌な思いをさせたか……?」
「っ!!!!」
私は胸の中で密かに思っていたことを刺激された。注射針のような小さなものでは無い。槍のようなもので胸を思いっきり刺された。
「見たのだろう…。人が死ぬ瞬間を目の前で……………」
「っ…………。………」
私はイグニスが殺される瞬間を見てしまった。正確に言えばまだ生きてはいたが、あれは同じようなものだ。
私はディアスを見つめながら無言で一回頷いた。
「……貴様はあの男を殺す気などなかった。むしろ生かして、罪を償わせたかった…。憎かったが、殺したいなんて思っていなかったのだろう…」
「……………………、…、」
今度は言葉なしで2度首を振った。
小さなバハムートに言われた通りだ。
イグニスはマスターの事を悪く言った。ルナさんをさらった。そして酷いのが、あの男は何人も罪のない人を楽しむためだけに殺した。許せなかった。
が、命まで奪いたいとは考えなかった。逆にあの人にはしでかした事を後悔させたかった。変わりに織の中で反省をさせたかった。
それは叶わず、目の前で何も残さず焼かれた。
「貴様に罪はない…。我がしたことだ…、忘れろ………………………、と言ってもできる話ではないか…」
「……ディアスは私を助けるためにしたんだもん…。悪いのは弱い私だよ…」
「…………トラウマ…だろうな…。貴様は初めて人の死を見たのだからな…」
「その上………、あの人は…死ぬことを楽しんでた…。私はそれが一番ショックだった…。死を楽しむ人がいるなんて思わなかった…」
「本当にすまなかった…。最悪の経験をさせた…」
「だからディアスは悪くないよ…。変だよ…。魔物相手だったら普通に命を奪ってるのに…、人が死ぬ瞬間だとダメだなんて…、ズルいね…。生き物を生き物として思ってない証拠だよ…」
つまりは人間以外の生物はどうなろうと知った事ではないと、心のどこかで思ってるのだ。そんな自分に気づいてしまったのが、気分の優れない原因の一つなのかもしれない。
「…………ミルスフィエルよ…。大事な事だ、よく聞け……」
「……っ、ディアス……?」
「我は………貴様と出会う前の我は、あれが普通だった…」
「っ………!……」
「バハムート魔式として、魔王の配下の者に召喚された我は………、先程のように人を焼き払うのが当たり前だった…。むしろ楽しんでいた。虫けらのような人間どもを散らすのが、爽快だった…」
ディアスは遠目で昔を思い出すように言った。
「しかし貴様が我を救ってくれてから、全てが変わった…。命、それに人を学んだ…。貴様の優しさに救われたのだ…」
「だって……、あれはディアスがいいバハムートだってわかってたからだよ…」
「……………………それは置いておこう。我が言いたいのはもっと別のことだ……。ずっと昔から世を知っている我だからこそ分かる…。よく覚えておけ」
ディアスが次に何かを言おうとしている口に耳、そしてすべての神経を捧げた。
「この世界では、生きるためには命を奪わなくてはならない。やらなければやられる……、それは最早摂理に等しいのだ。和睦しようなどと甘い考えを持っていると後ろから首を取られる……。信用できるもの以外には、決して気を許すな。そして覚悟を決めよ。敵を排するために……、生きるためには魔法を使うのだ」
言い聞かせるように告げるディアスの言葉。
耳に入り込むと、私は空洞のようになってしまったのか、しばらくただ頭の中で響いていた。鐘の音のように響くだけで、しばらく意味が理解できず、フリーズしていた。
そして数秒の後、ようやく静かになって言葉の意味を解した。しかし言葉を発することができなかった。
ディアスから放たれたその言葉の意味。
つまりは否定。私の考えの全てを批難しているものだった。
思い出せばこの旅のきっかけは私。魔王をただ倒すのではなく、コミュニケーションをとって和解をすることで、人と魔族の何百年もの対立を終わらせる。それが他のみんなを巻き込んでまでしている旅の目標。
ディアスは敵と和解をしようとする考えが悪策、言い換えると魔王と茶をすすり合って、話で平和的に解決しようなんて甘ったれている、と遠回しに言っていた。
「我がその優しき考えに救われたのは確かな事実……。されど、貴様がその甘い理想のせいでイグニスにやられかけたのも事実……」
そっとディアスは瞼を閉じる。
「だからこそ…、だからこそ我にも答えはわからぬ……。矛盾のように生じてしまったこの2つの事実から、貴様の平和主義の正誤を証明することはできぬ……。故に我の言葉こそが聞かなくともよい妄言に過ぎぬのかもしれぬな」
優しさは誰かを救う。
優しさは自分を滅ぼす。
難しい選択肢だ。世で強いられている究極の選択肢。己を削ることで、誰かの幸せに貢献することができる。しかし削るだけでなく、己を失う場合もある。
恐ろしい。考えただけで目の前が暗くなった気がした。
自分が生きることを優先にするか。
それとも他人の救いも行うのか。
どちらをとるのかは人それぞれだ。私は関係ない物事でも平和的に済ませたいと思っている。対立する側にも何か理由があるのだから、一方的に敵と決めつけるのはおかしい。だから、今までもある程度はそれを貫き通してきたつもりだ。
ディアスが町を襲ってマスターに倒された時。
最初は敵としてしまったが、ジョーカーやデスタが本当は悪い悪魔ではないと知った時。
それが正しいと思っていた。周りからも支援されて、私の考えが正解だと感じていた。
たった今、ディアスに甘いと叱責されて恐怖を感じるまでは。
気がついてしまった。自分の危険を顧みずに、どんな相手でも和平を作りだす。それによって危険を伴うのは自分のみならず、周りの人間も同じだと言うことに。
魔王を倒す。
言葉では簡単に言えても、それが難しい以上のレベルの話であることは誰でもわかる。そんな私の目的に何人巻き込んでいる?
マスター。アルトさんは私のために力を貸してくれている。もう関わる必要は無いのに、善意で私なんかを支えてくれている、他と比べようがないくらい優しい人だ。
シーナさんとルナさんは、パーティーメンバー募集で集まってくれた人達だ。『不可能だ』『本気で打倒魔王なんて頭が悪い』とか言われるかと思ったが、二人はむしろ楽しそうに私の背中を押してくれる。
ラルファさんは自分探しの旅をしながら一緒にいてくれている。どこから来たのかわからない自分の素性を知るためのついでに同行をしてくれている。彼女からしたら『旅は道連れ』状態であり、こちらとしては力も強くてとても頼りになる。
歌姫として有名な冒険者のハルキィアさん。マスターが連れてきた人で明るく、元気のある女性だ。どのような経緯でパーティーに加わってくれたのかはマスターしか知らないが、私の大きな目的のための旅であることは知っているようだ。
そしてディアス。強力な召喚獣、バハムート魔式。歴史に残るほどの恐ろしく強い、魔族の操る竜だ。私が契約した召喚獣で、昔の世の中も知っているため知識に富んでいるディアスは、いつも私のサポートをしてくれる。時には、口から放つ魔力の炎で助けてくれて、背中に乗せては綺麗な景色を見せてくれる。
そう、私は5人の仲間とディアスを巻き込んでしまっている事に気がついてしまった。
私が話し合いなんて緩い手をとることにより、みんなの危険を産み出してしまうのだ。その結果として私はイグニスに斬られそうになり、ディアスが傷を負ってまで力を絞って助けてくれた。しかもディアスの怪我の原因は私である。
最初から和解なんて選択肢を切り捨て、『エンジェルフォース』を発動させてイグニスを叩きのめせばこんな事にはならなかったはずなのだ。ディアスが苦労せずに済み、もしかしたらイグニスも死ななかった可能性もあり得る。
結果的にディアスは私の選択ミスによって生まれた危機を尻拭いとして、汚れ仕事を請け負う形で取り払ってくれたのだ。
なら何が恐ろしいのか。
もしこんなことで済まずに、仲間の命が失われるような問題にもなりかねないと言うことに気づいたことが、これまでの経験の中で何より恐ろしかった。自分の選択が、誰かの死に繋がるかもしれない。遠回しに言えば、私が誰かを死なせてしまうかもしれないのだ。
今までそれに気がつかなかった。
パーティーの中心はマスター。だから全てアルトさんが行う事に私達が従い、何か物事が起こる。他人任せな感覚だった。
だが違う。中心は私だった。よく考えればこの旅の目的だって、私の目的だ。私がみんなを旅に巻き込んでいる。
自分を取り巻く現状に気づいてしまった。
「……すまないが、少し眠らせてもらう…。魔力の回復をさせてくれ…………」
「……うん…。ありがとう。休んでね……………ゆっくりと…」
ディアスは私の手の中で静かに瞼を閉じた。するとすぐに眠りについて、寝息を立て始める。
暖かい。息を吸うと膨らみ、息を吐くと小さくなる。生きている証拠だ。指先から鼓動が伝わってくる。小さな体からトクントクンと脈の音が響き、生命を感じさせる。
「…………っ………、」
それで何を思ったのだろうか。私は唇を強く噛み締める。とにかく強くだ。歯で潰された肉ジンジンと痛むのも構わずに、私は更に力を加える。
悔しい、とは訳が違う。悲しい、でもない。
どうしようもない状況に捕らわれてしまったことが、焦れったくてしょうがないのだ。
悲しみと無情の中で、私もゆっくりと目を閉じる。
「ミルス!!大丈夫か!?」
「っ!!マス、ター……?」
後ろからかかったその声で、強制的に目が開かれた。聞き覚えのある懐かしく思わせる男性の声だ。振り替えってその姿を確認した。
「よかった。無事だったんだね」
ピンで固定されたかのような私の硬直が解けるのはしばらくしてから。
大声で泣き出すまで、私はどうすればよいのかわからないままだった。
一応死線を越えて、平和にはなりました
でも逆に新たな問題が生まれてしまう事態が発生
いろいろ起こった事は全部引っくるめて、あと1、2話程で解決させていただきます
記憶が戻ったルナに関してだったり、アルトが戻ったことだったり、今のところ最も重要なミルスへのケアも、エリクパートは残り2話で済ませます




