6 目覚め
もしくは、運命の出会い(裕次郎only)
村に落ち着きが戻り、ティークたちに親しくされて離れがたく思いこのまま定住してしまおうかという考えに心惹かれながら裕次郎は、材料集めに東の平原に向かう。
風景を見て溜息が漏れる。以前は綺麗な緑の絨毯のようだった平原は荒れていた。
「ビッグアントが大暴れしたんだろうなぁ」
一応材料を探してはみたが、採取は難しそうだ。
もう少し先まで足を延ばしてみるかと歩き出す。一時間ほど歩いてみると、八十センチほどある茅のような草の生える場所が見つかった。葉が風に揺れ、さあっという音が聞こえてくる。
「なんというか落ち着く音だな」
揺れる草を手に取り、脳内から知識を引き出す。この草はビッグアント討伐で使われた駆除剤の材料になる。
「これは採取しないでいいか。帰るかなぁ、どうしようか」
根元にほかの草が生えているかもしれないと足を踏み入れることにして、草をかきわけ進む。
十五分ほどゆっくり進み、裕次郎は予想外のものを見つけた。
「女? 大丈夫か?」
旅装の女が草をベッドのようにして、うつぶせに倒れている。よく見ると服がところどころ破れ、体中に傷がある。周りにはビッグアントの死体が五つある。討伐で逃げてきたビッグアントたちだ。女を餌とするため襲ったのだった。
女は裕次郎と同じように囲まれ、逃げられず戦ったはいいが、相打ちとなったのだ。
意識があるか、仰向けへと体勢を変えた時、裕次郎は体に電気がはしったように固まる。
見た目は裕次郎と同じ年齢か少し上。白雪のような背中までの癖のない髪に、滑らかでしっとりした象牙色の肌。華奢に見えるが、触るとほどよく筋肉がついており、けれど柔らかな感触も失っていない。ピンク色の唇は浅く呼吸を繰り返し、それにともない胸も上下している。
美人だった。それも裕次郎の好みドストライクな。閉じた目はどれほど綺麗なのだろうかと瞼が開くのが楽しみだった。
「森の民、なんだよな?」
長い耳を見て首を傾げる。エルフのような外見は森の民に一致しているが、髪の色がバスチーノに与えられた知識に一致しないし、耳も少し短い気もしている。ハーフではないかと知識が示す。
森の民は緑や青や黄の髪と目なのだ。白の髪はいない。こんな特徴は他種族との間にできた子供の場合だ。
「まあ、それはいいや。怪我を治すことを優先しないと」
籠を下ろしてポケットから回復薬を取り出す。
「口移しってのがすっごく心惹かれるんだけど、自重しとこう」
女の頭を膝の上に載せて、口を開く。一度に入れるとむせると思い、舌に馴染ませるように少しずつ時間をかけて流し込む。
この作業に十分かけたが、顔を見ながらの作業は十分という時間を短く感じさせた。
体中の傷が消え、薬が効果を発揮したのを確認する。
「早く起きないかな」
膝枕したまま、女の柔らかい髪をいじる。
知らない男に膝枕されていたら、驚き警戒するだろうが、女が起きることを楽しみにしている裕次郎は気づかなかった。
「平原の民の血が流れているんですって」
……うるさい。
「まあっどうして連れてきたのかしら」
うるさいっうるさいっ。
「この家には相応しくないわよねぇ」
そう思うならどうしてそっとしてくれなかった!
「当主様も置いてくればよかったのに」
一度追い出した父さんを無理矢理連れ戻したのはそっちじゃないの!
「部屋に篭りがちだそうだけど、そのまま出てこないでほしいわ」
「愛想もなくて、これだからハーフは」
「出て行ってくれないかしら。同じ家で生活したくないわ」
父さんと一緒にならいつでも出て行ってあげるわよ。だから私たちにかまわないでよ……。
「苦労をかける」
父さんは悪くない。父さんと母さんの子ということに誇りはあっても不満はない。
「すまないな」
謝らないで、ハーフは悪いものだって認めないで。私を否定しないで。
「愛してるよ」
私もだよ、父さん。だからいつかまた母さんと一緒に暮らそう?
それだけを楽しみに生きていたのに……。
一時間が過ぎて、薬のことを考えていた時、裕次郎は女が微かに動いたのを感じ視線を下げる。
同じタイミングで女は目を開いた。芽吹いたばかりような草色エメラルドグリーンの目が、見下ろしている裕次郎の目と合う。
不思議そうな色が浮かんでいた瞳は、すぐに警戒心に塗り潰され、険しい目つきへと変わっていた。
女は素早く体を起こして、裕次郎から距離を取り睨む。
(きょとんとした表情もかわいいけど、鋭い目つきもかっこいいな)
睨まれているというのに、それを気にせず見惚れている。一目惚れといってもいいのだろう。どのような仕草も好印象を与えているのだ。
睨んでいるというのに感心した視線を返され女は戸惑うが、それを表に出さず警戒したまま、どうしてこんなことになっているのか記憶を手繰っていく。そうしてビッグアントと戦って倒れたのだと気づく。それにしては体に痛みはなく、不思議だった。気絶した自分になにができるわけもなく、原因は目の前の男なのだろうと口を開く。
「怪我をしていたはず、治したのはあなた?」
警戒しているため口調が固い。
想像していたよりも綺麗な声が裕次郎の耳に届く。いや綺麗過ぎるということはないのだが、惚れたということが美化していた。
「うん、回復薬を飲ませた」
「回復薬? それならすぐに治るのも納得だけど」
なにが目的だと裕次郎に強い視線を送る。行きずりの者に使うような薬ではない。だとすればなにかしらの目的があるはずだ。
「なにを企んでいる?」
「企む? いや企んではいないかな。あわよくば仲良くなれたらなとか、付き合えたらなとか考えてないよ? ほんとだよ?」
本音だだ漏れだった。だがそれを女は信じなかった。
「嘘はいい。本音はなんなの!」
「美人さんだから助けたんだけど」
「美人だから? だとすると体が目当てかっ!」
体を抱いて、さらに一歩下がる。
「いずれは……ってそうじゃない。体が目当てなら、起きる前に何かしてるって。体になにか異変感じてる?」
女は思案げな表情となり、体の調子を探り、どこも異変がないことを確認した。
美人だからという理由だけで高価な薬を使った。同じ平原の民ならば理解できるが、ハーフである自分には当てはまらないだろうと女には裕次郎がなにを考えているのか理解できなかった。
「なんなのよ、あなたは」
「名前は沢辺裕次郎。旅の薬師。んで君に一目惚れした!」
びしっと女を指差す。ここまで真っ直ぐな好意は父母以外では初めてで女は微かに頬を染めたが、すぐに冷めた表情に戻る。
「なにを馬鹿な」
女が否定したのには理由がある。恋愛というものが地球と少しだけ違うのだ。
同種族だと地球と同じなのだが、異種族だと基本的に恋愛感情はわかない。綺麗だとは思っても、そこ止まりなのだ。付き合いたい、結婚したい、セックスしたいという思いは湧かない。
異種族だと、互いに一目惚れした場合にのみ恋愛が成立する。一方的に惚れるということはない、互いに惹かれる。
だが女はハーフで、それを自分でよくわかっている。否定はしてみたが、半分は裕次郎と同じ平原の民の血が流れている。だから異種族同士の恋愛が当てはまらない可能性があるかもという考えも湧いた。
けれどこれまでハーフということで、どっちつかずだと平原の民と森の民に嫌われてきた。そんな自分を父母以外に好きだと言う者が現れるなど信じられない。
ありえるのかも、ありえないという考えが頭の中でごちゃ混ぜになり、困惑した女は裕次郎から離れたくなる。離れて忘れてしまえば、こんな考えはなくなる。
ちらりと視線を周りに向け、荷物の位置を確認する。荷物は裕次郎のそばにあるため、離れたことで回収が難しくなった。置いていくという選択はできない。荷物なしの旅など馬鹿のすることだ。それに配達の途中なのだ。
どうにかして隙をついて逃げられないかと考え始める。
「馬鹿なってひどい。一目惚れなんて初めてなのに」
「ハーフに一目惚れなんて変人ね」
「やっぱりハーフか。うんうん、一つ君のことが知れた。そういや君って言い続けるのもおかしいし、名前を教えてくれない?」
「嫌よ」
ぷいっと顔を逸らして教えないと態度で示す。
そういった態度も可愛いなと思いつつ、口を開く。
「こう言い方はちょっとと思うけど、俺は君の命の恩人なんだよね。あのまま倒れてたら怪我が悪化したり、他の魔物に襲われて死んでたかもしれない。恩人に名前の一つくらい教えてくれてもいいと思うんだ」
「……セリエよ」
裕次郎の言葉に顔を顰めたセリエは短く名乗る。父方の姓は捨て、母方の姓は知らないので、ただのセリエだ。
名前を聞き、裕次郎は小さく頷く。
「セリエ……うんっ心に刻んだ。セリエの仲間はいないの? 他に誰か倒れているなら治療するつもりだけど」
「いないわ。私一人よ」
「いないのか……今回みたいに魔物に襲われたら大変だろう?」
「今回は……そうったまたまよ! いつもは逃げられるもの!」
「でも逃げられないこともあるんだよね? けど今日からは大丈夫! 俺が一緒に行くから!」
決定事項という感じに言い切った裕次郎を呆けた表情で見た後、言葉が脳内に染み渡り理解できたセリエは、驚きへと大きく表情を変えた。
「なんで一緒に来るなんて!?」
「惚れた人と一緒にいたいし、セリエがどこかで朽ち果てるなんてことになったら世界の損失じゃないか!」
「嫌よ! これまで一人でどうにかなってきたもの! これからも一人でどうにかなるわ!」
「どうにからならなかったから今日倒れてたんだろうに。こう見えてもビッグアントを雑魚扱いできるし、薬作りもそれなりの腕前だぞ? 回復薬も作れて怪我したらすぐに治せる。一緒に行くってのはいい提案だと思うけどな」
「飲ませた回復薬って手作りなの!? それなら確かに、いやでも……」
強力な回復手段が常にあるというのは冒険者にとって魅力的なことだ。それに回復薬が作れるということは、ほかの魔法薬の腕も期待できる。ビッグアントを雑魚扱いという話が本当なら戦力としても期待が持てる。
困惑を抱き続けたくないという思いと、この同行は得だという思いがせめぎあう。
あれこれと悩むセリエを裕次郎は眼福だとじっと見ている。
そうして十分以上悩んだセリエは、渋々といった感じで諾と告げた。
「変なことした承知しないから!」
「むしろその変なことを期待している」
下心を隠さなかった裕次郎に、ぱくぱくと口を動かしセリエは顔を赤くする。
地球にいた頃はここまでオープンというか積極的ではなかったのだが、一目惚れでたがが外れたのだろう。一歩間違えばストーカーにもなりえた。
「荷物を取りに村に戻らないといけないんだけど、ついてくる?」
「行かない。ここらの村は平原の民中心だもの」
わざわざ居心地の悪い場所には行きたくなかった。
知識として裕次郎もハーフが歓迎されないことは知っているので、強制はしない。
「じゃあ、荷物取ってくるけど先に出発しないでよ? あと回復薬と補強薬渡しておくよ。土と風の補強薬だけど大丈夫?」
「土の魔法は使えないわ」
渡された回復薬と補強薬を見る。
緑色の補強薬など、セリエの財政状況では買えず、初めて持つ。回復薬は言うまでもない。
簡単に渡された自分にとっての高価な品物に、簡単に渡せるだけの品なのだろうと自身と裕次郎の価値観の違いを知る。
「補強薬も作ったのよね?」
「うん。もっといい材料があれば、さらにいいもの作れるんだろうけど、ここらの材料だとそれが限界なんだよ。あ、なにか買ってきてほしいものある?」
「食材が心もとないけど」
「わかった」
もう一度待っててと念を押して、裕次郎は走って村に戻る。
会話もそこそこに駆け足で部屋に戻った裕次郎に、リンドは首を傾げていた。
急いで荷物をまとめて、一階に下りてきた裕次郎はリンドに出発することを告げた。
「えらく急に出るんだね?」
「ええ、急ぎの用事ができましたから」
「少しだけ待っててくれないかい? 旦那とティークを呼んでくる。二人も別れを告げたいだろうし」
裕次郎もその二人には挨拶していくつもりだったので頷く。
五分ほどで二人は食堂に出てきた。バールは残念そうにしていて、ティークは泣き顔だ。行っちゃやだと裕次郎の腹に抱きついている。
「あらあら、すっかり懐いたわね」
「遊んだりしてくれてたからな。もう少し滞在してもいいんじゃないか?」
「すみません。もともと近いうちに出ようと思っていたんですよ」
「そうか」
「ティーク、こっちにおいで」
リンドが呼ぶが、裕次郎の腹に抱きついたままだ。
「どうしよう?」
「困ったわね」
「ティーク、また会いに来るから離してくれないかな。絶対だから」
頭を撫でて言うと、顔を上げた。涙で濡れた目で見上げてくる。
「ほんとに? また来る?」
「うん。絶対ティークたちに会いに来るよ」
「約束?」
「約束」
聞き分けがいいのは宿で暮らしているからだ。
宿の娘という立場のティークは、出入りする客を見てずっと一緒とはいかないと学んでいる。
名残惜しそうに裕次郎から離れると、リンドにしがみつく。
「ではまた来ます」
「ああ、ユージローならいつでも歓迎するよ」
「またおいで、美味い料理を食わせてやる」
一家に見送られて、裕次郎は宿から離れていく。
肉や野菜を買い、籠に入れて保存の魔法をかけた後、裕次郎は村を出ようとして、ふと思いつく。
「テントって俺もセリエも持ってなかったよな?」
セリエの荷物の量からテントはないと判断し、ボアート道具店に足を向ける。
「こんにちはー」
「いらっしゃい。今日は随分と大荷物じゃな?」
「今から村を出るんですよ」
「ああ、なるほどな。旅の薬師だったな、そういえば」
「二人用のテントってありますか?」
「あるが、連れができたのかい?」
「はい!」
元気に溢れた返事に良い出会いをしたのだろうと表情を綻ばせる。それが平原の民と森の民とのハーフと聞いたら、顔を顰めただろうが。
腕の良い薬師がいなくなるのは残念だと言いつつ、テントを在庫置き場から出してくる。よっこらせとカウンターに載せた。
裕次郎は代金を払い、テントを持つ。
「重くはないか?」
「まだ大丈夫ですね」
「力があるんじゃのう」
大きなリュックに食材の入った籠にテントだ。かなりの重量だとわかるそれを軽々と持っている裕次郎に羨ましげな顔を向ける。
「ではまたいつか」
「おや? またこの村に来るのかい?」
「宿の子供と約束しましたから」
「再会を楽しみにしておるよ」
準備を整えた裕次郎は今度こそ村を出て行く。
その日の夕方、ボルツからの使いが二匹の狐にやってきた。夕食に招待し、そこで滞在を勧めるつもりだったのだが、既に出発したと知って、一歩遅かったとボルツは落ち込むことになる。
「あ、いたいたセリエーっ!」
短めのサーベルを振っていたセリエへと裕次郎は駆けていく。少しだけ先に行ったのではないかと思っていた裕次郎は、待っていてくれたことに笑みを浮かべた。
素振りを止めたセリエは、ほんとに来たとでも言いたげな表情になる。
「その大荷物はなに?」
自分では持てそうもない大荷物に呆れた視線を向けた。
「頼まれた食材とテントを買ってきたんだ。テント持ってなかったよね?」
「持ってないけど、私はテントの代金は出せないわよ。そこまで余裕ないし」
「これくらいなら大丈夫。お金はまだ半年以上の生活費を持ってるから」
「羨ましいことで」
「今日からは共同財産だよ。贅沢しすぎないなら、気にせず使っていいよ。綺麗になるなら贅沢も可」
「……考えとく」
無条件に向けられる好意から逃れるように顔を背けて、セリエは荷物を持ち歩き出す。
「これからどこに行くんだ?」
「マテルット」
「マテルット? 聞いたことないな。どれくらいの距離?」
「距離は……ここから徒歩で南に十日といったところよ」
「そこに配達物を届ければ依頼終了?」
「ええ」
裕次郎はセリエを見ているが、セリエは真っ直ぐ視線を固定し答えていく。
そっけないが、裕次郎は気にせず話しかける。
そんな調子で二人の旅は始まった。
セリエは裕次郎のペースを気にせず、自分のペースで歩く。セリエの方が荷物が軽いし旅慣れてもいるのでペースが早めなのだが、裕次郎は息一つきらせずセリエについていく。
悠々とついてくる裕次郎に対抗心を持ったセリエは少しずつペースを上げる。しかし裕次郎は気にせずついていく。急ぐ旅なのかと思い、対抗心から早くなったとは思ってもいない。
そんなペースでは体力ももたず、セリエは次第にペースを落としていく。
「大丈夫? 疲れたのなら休んだほうがいいと思うけど」
「気にしないで」
ペースは落としたものの歩くことは止めようとはしない。裕次郎が疲れた様子を見せるまでは止まるものかと、意地で足を動かす。
こんな調子で歩いていたためセリエは周囲の警戒を怠ってしまった。裕次郎はそれほど警戒が得意ではないため、魔物が後をつけていることに気づいていない。
セリエが異変に気づいた頃には二人は周囲を囲まれていた。
舌打ちしてサーベルを抜いたセリエを見て、裕次郎も異変を悟り両手に持っていたものを地面に置く。
すぐに両脇の草むらから犬が出てくる。秋田犬より少し小さく、毛の色は黒や灰や紺。この場にいる犬は七匹。
「これも魔物?」
「知らないの? バハドッグっていうのよ。物理的衝撃すら伴う咆哮で獲物を攻撃するわ」
背を合わせて、二人はバハドッグの様子を窺う。
「ビッグアントとどっちが強い?」
「こっちよ。硬さは向こうだけど、速さと体力はこっちに軍配が上がる」
「弱点とかは?」
「これといった弱点はないわ。咆哮はほんの少し溜めがいるから、それを見極めて横に避けるのね。そうすれば大きな音に耳が痛くなるだけですむわ」
「了解」
情報に嘘はない。ここで裕次郎を戸惑わせると、セリエにも被害がくるかもしれないのだ。
「そういえばあなたの戦い方は?」
「蹴りと魔法。セリエは?」
「剣と弓と魔法よ」
「魔法は森の民のもの?」
「違うわ」
森の民の魔法を中心に使うならば、土の補強薬を返しはしない。
話をできたのはここまでで、バハドッグたちは我慢できないと襲い掛かってくる。
「炎の矢」
飛びかかってきた一匹に裕次郎はカウンターとして炎の矢を浴びせ、叩き落す。
走ってきた二匹には近い方の頭部を蹴り、もう一匹は蹴るついでに移動し直進コースから避けた。
蹴飛ばされ悲鳴を上げて転がっていくバハドッグを無視して、鼻先を火傷しているバハドッグの顎を蹴り上げる。
またも悲鳴を上げたバハドッグを気にせず、残りを睨む。裕次郎を襲おうとした残り二匹は、睨みに負けて草むらの中へと逃げていく。
蹴った二匹は首の骨が折れておりピクリともしない。こっちは終わりと視線をセリエに向けると、あちらも三匹目を斬り殺したところだった。
バハドッグに勝って、ビッグアントに負けたのは相性だ。セリエは硬い魔物を苦手としていた。
「怪我はない?」
「かすり傷くらいよ」
「大事じゃん!? 早く回復薬使わないと!」
セリエの柔肌に傷がついて、大変だと慌てだす。
「そんな大げさな。このくらいで回復薬は使えないわ。それよりもほんとに強かったのね」
「俺のことなんかより、傷の手当を!」
「あ、ちょっと!」
怪我をしている手を取られ、触らないでと引こうとしたが力の違いでびくともしない。
どうにか放そうとしている間に、裕次郎は魔法で呼び出した水で血を流し、治癒促進薬で湿らせた清潔な包帯を手早く巻いていく。
「終わりっと」
「ほっといていいって言ってるのにっ。これくらいはいつものことよ!」
「小さな傷でも病気の元になるから、ほっとかないほうがいいよ」
数歩離れて睨むセリエに、そう言って視線を外す。
お礼の一つも言わないことに文句がでるかとセリエは思っていたが、気にしない様子の裕次郎に戸惑うしかない。
「ビッグアントって外殻を剥いだら売れたんだけど、こいつらって毛皮でも剥いだら売れる?」
「……売れるかもしれないけど、たいした収入にはならないわ」
収入の少ないセリエには毛皮も馬鹿にできない収入となり得るが、ハーフから買う物好きなどいないのだ。
「そっか」
肝や心臓が薬の材料にはなるのだが、ほかで代用がきくうえに、グロそうで取る気はせず放置することになった。
「先に進む」
「休憩しないでいい? ただでさえ疲れていたのに、戦闘でさらに疲れたろ?」
「血の匂いで他の魔物が集まるかもしれないから、休むとしたらもっと先よ」
「なるほど。んじゃ行こう!」
再び歩き出した二人は、ペースを落として進む。また警戒を怠って囲まれたくなく、セリエがペースを落とし、裕次郎がそれに合わせたのだ。
裕次郎がいろいろと話しかけ、それにセリエが言葉少なに答えていくという形で進み、日が傾き始める。
この会話でセリエが二十七才だとわかる。平原の民の寿命で換算すると、裕次郎と同じ十七だ。
平原の民の寿命は六十前後で尽きる。森の民は三百まで生きる。両者のハーフだと百を少し過ぎた辺りだ。ちなみに山の民と海の民は百二十辺りまで生きる。
これは魔力の多さの順と同じで、この世界では基本的に魔力が多いほど長生きする。
「そろそろ野営の準備を始めるわ」
「了解ー」
セリエがテントを立てる場所を決め、そこにテントをはる。
「夕食は……あなた作れる?」
「無理」
料理の経験は少ない。学校の調理実習かインスタントラーメンくらいしか経験がない。
「無理って。旅しているなら簡単なものでも作れるんじゃ?」
「パンを買い込んだり、果物買い込んだりですませてた」
それっぽいことを言うと、セリエは納得したように頷いた。
「仕方ないわ。私がやる」
「やった! セリエの手料理!」
ひゃほーいと喜ぶ裕次郎を呆れた表情で見る。
「もしかして私が作ったものを食べたくて、できないって言ったんじゃ?」
「いや、できないのは本当。教えてもらえればできるようになるかもしれないけど。教えてもらえれば共同作業できるね」
「教えないわ」
きっぱりと言って、食材を入れた籠を見て、なにができるか考えていく。
ずっと手料理食べられるからそれはそれでオーケーと言い、裕次郎はリュックから薬作りの道具と材料を取り出していく。
「俺は薬の材料集めたり、作ったりしてるから」
「わかった」
周囲の草や虫などを集めていき、保存処理をしていく。場所が変わったおかげで、作ることのできる薬の種類も変わってくる。
新しい薬作りは後回しにして、まずは完成間近の粉石鹸を作っていく。これをセリエに使ってもらって、裸体に泡塗れの姿を見ることができるかもしれないと思うと気合が入った。
十五分も経つと、周囲に料理の匂いが漂い始めた。匂いはカレーで、カレーライスかなと思ったが、カレー風味のチキンスープだった。
夕食はそれと長期保存の利く硬いパンだ。
「うん、美味い! 愛情が入っているからか!」
「入ってないわよ、そんなもの」
「少しも?」
「ええ」
「じゃあ、愛情が入ればもっと美味くなるのか。それを食べるのが楽しみだな」
「そんな機会があればいいわね」
冷たく返しているが、会話が不快というわけではなかった。むしろ少し暖かなものを感じている。誰かと食事を共にするなど久しぶりなのだ。しかも好意を向けて、手放しで褒めてくる。不快感は湧きづらい状況だった。それをセリエは自覚しないように、食事に集中する。
「ごちそうさま。食器は俺が洗うから、その間にテントの中で体でも拭いたら?」
「……そうさせてもらう」
少しだけ思案したセリエはテントの中に入っていく。
それを食器を洗いつつ見送り、裕次郎は悩み始めた。
「覗きたい。すっごく覗きたい。好きな人の裸体がそこにあって、覗かないのは男の片隅にも置けない。でも覗くと高くない好感度が下がるんだよね。挽回は大変ときた。さてはてどうするか。暴走するか、自重するか。悩みところだ」
むむむと考え込みつつ、食器を洗っていく。洗い終わり、水を落とした後も悩み、セリエが出てきた。
「覗くと思っていたんだけど」
覗けばそれを理由に離れていこうと思っていた。
「悩んでいる間に、セリエが出てきたんだ。次からは覗くよ、見たいし」
「覗かないで」
「ばれないように頑張る!」
「そんな努力はいらないわ」
「じゃあ逆転の発想! 俺が覗かれるってのは?」
「あなたの裸体なんて興味ないわよ」
「将来見ることになるんだし」
「好きに言ってなさい」
どこまでもオープンな裕次郎を見て、セリエは溜息を一つ吐いて、その場に座る。
「話は変わるけどさ、集めた材料で能力上昇系の薬が作れるんだよ。力と速さと動体視力の三つのうちどれがほしい?」
「三つとも」
どれも自身に足りておらず、三つともほしかった。
「わかったよ。どうせなら一つの薬で複数の効果が出るようにしたいね。粉石鹸の後はそれの研究かな」
「石鹸? 石鹸なんか作ってどうするのよ。使い勝手が悪いじゃない」
「石鹸のこと知ってたんだ。肌荒れしない改良版を作っている最中なんだよ、何日か前に作ったのは肌荒れするまでの期間が延びただけでねぇ。今回のは成功しているといいんだけど」
「ふーん」
興味なさげに相槌を返し、膝を立てて焚き火に視線をやる。
揺らめく炎に照らされる美人いいねと思いつつ、粉石鹸作りを進めていく。
無言の時間が過ぎていき、やがてセリエから寝息が聞こえてきた。
「あ、寝た? テントに入ればいいのに」
抱いてテントに入れようかどうしようかと迷う。
「近づいて反応するようなら起こせばいいか」
作業する手を止めて、セリエに近寄る。
距離が一メートルまで近づくと寝息が止まり、セリエの顔が上がる。少し険のある視線で裕次郎を見上げる。
「……なに?」
「寝るならテントの中に。近づいて起きないようなら、抱き上げて運ぼうと思ってた。柔らかい体を堪能したかった」
「そう。先に寝るわ。見張りの交代時間になったら、外から声をかけて」
「了解」
ゆっくり立ち上がり、テントに入っていく。
テントに入ったのを確認すると裕次郎は薬作りを再開し、それに集中していき、やがて眠気に誘われて座ったまま眠る。
セリエは疲れから熟睡し、たまたま魔物などが近寄ってこなかったため、そのまま起きることなく朝まで眠り続ける。
火が消えて山の稜線が明るくなっている頃、裕次郎は寒さで目を覚ます。
「……あ、眠ってたのか!? やべえ、見張りとか全然しなかったわ」
危ねーと周囲を見渡し、異変がないことを確認して大きく溜息を吐いた。
「怒られるだろうなぁ。明日からはきちんと見張ろう」
失敗は成功の母と呟いて、火をつけてすぐそこまで来ている夜明けを待つ。
周囲が完全に明るくなるとセリエが起きだしてきた。
裕次郎はそちらを見ると、すぐに土下座した。
「なにしてんの?」
土下座がこちらにはなく、セリエは首を傾げる。
「これは俺の故郷で謝罪を示すポーズなんだ。任されていた見張りなんだけど、つい眠って果たせなかった。ごめん」
「それでそのポーズなのね。見張りがいないってことは魔物に襲われて死んでいたかもしれないんだけど、そこらへんはわかっているのよね?」
「ん、十分に」
「……ならいいわ。明日から気をつけて頂戴」
「セリエ?」
叱責がないことを不思議に思い、裕次郎はセリエを見上げたが、セリエは既に身支度を整えるため動き出していた。
セリエが責めないのは優しさからと裕次郎は思っていたが、自分も同じ失敗をしたことがあるからだった。それと熟睡して起きなかった自分にも責はあると考えていた。
ついでにちょっとした自尊心の充足があった。寝てしまったということは裕次郎も疲れていたのだろうと考えたのだ。疲れていたのは自分だけではなく、裕次郎も同じと思うことで意地が満たされた。
実際は疲れから寝たわけではない。単調な作業についうとうととしただけなのだ。
勘違いしたことで、セリエが意固地になることは避けられる。好感度が下がる要因とならなかったことは、裕次郎にとって運が良かった。
朝食を食べると二人はマテルットへと出発する。
感想ありがとうございます
主人公は変態紳士への道を歩み出した! かもしれない
書き溜めのため次回は十日後くらい
》定住をしないで・・・気ままな旅を続けて欲しいです
》たぶん旅にでるんでしょうね
今回から出発です。裕次郎的にはセリエとのラブラブ二人旅
》このふわふわした雰囲気いいですね
裕次郎のキャラ変化でふわふわがだいなしになったかも
》やはり淡々とした描写で進んでいくのでしょうか
好きなように書くと淡々とする仕様。どうにかしたんですがこの仕様
》メインキャラクターの心の機微や喜怒哀楽をもっと感じられたら嬉しいなと思います。
今回の主人公は恋愛感情はっきりしてるんで、喜怒哀楽は少しはましかもしれません
》はやく女王蟻の卵を盗んだ連中に制裁を下してほしいですね
制裁は下りますが、もう少し先ですね
》アロマ効果の物
アイデアとしては考えてましたが、今のところは使い道がなく登場予定はなしです