52 六王対面
「ようこそ、サワベ殿。席へどうぞ」
ゆったりと控えめに演奏が響く食堂には二人の男がいた。
自己紹介で二人とも伯爵とわかる。一人の名前はライバン・ススミード伯爵。四十手前で、肩までの髪を後ろで縛っている。もう一人の名前はミアン・ユラステエ伯爵。三十になったばかりで、アッシュブロンドの短髪をオールバックにしている。
名前と一緒に役職や簡単な家の歴史も話されたが、裕次郎は無関係な話だとすぐに忘れた。
ただユラステエ家と聞いて裕次郎はなにかが記憶を掠めたが、思出せないので気にしないことにした。そちらを気に掛けると覚えたマナーがボロボロとなる。
「本日はお招きに預かり光栄です。マナーなど知らない無作法者ですので、いたらないところは流してもらえると助かります」
「ええ、そのことは聞いています。緊張なさらず、食事を楽しんでください」
無理と心の中で一言で切って捨て、ライバンに勧められ椅子に座る。
フィナは壁際にいる使用人たちと同じ位置に移動していた。
「まずは食前酒からどうぞ」
三人の横にいた使用人がグラスに酒を注ぐ。
酒に口をつけたのを確認すると、別の使用人が前菜のエビとトマトのマリネを運んでくる。
二口三口を食べてから、ライバンが尋ねる。
「口にあいますかな? 腕のいいコックを連れてきているのですよ」
「ええ、とても美味しいですよ」
なにか薬が入っていないか確かめながらなため慎重に食べてはいるが、美味いということに嘘はない。まあ、セリエの料理とどっちが好きかと聞かれると、迷わずセリエの手料理を選ぶのだが。例え技術も材料も劣ってもいても、愛情が感じられるだけでなによりのご馳走なのだ。
これまで行った場所など他愛もない雑談をライバン主導でしながら食事は進む。グラスを割ったり食事を床に落としたりと致命的なミスはしなかった。
「デザートはクレープのオレンジソースがけだ」
締めとなるデザートが運ばれてくる。
フォークとナイフを使い切り分け食べ終わり、裕次郎は乗り切ったことに一息つく。
水を飲み終わったところを見計らい、ライバンが口を開く。
「最後にお聞きしたいのですが」
「はい?」
「以前この国で貴族の子息を治療したことがおありですかな?」
「はい、ありますよ。あの後いろいろとあって家名までは覚えていませんが」
「そうでしたか、どうりで」
納得したようにライバンは頷き、ミアンに視線をやる。
「その子息とは私の娘セン・ユラステエのことです。娘を治療していただきありがとうございます」
椅子から立ち、優雅にしっかりと頭を下げた。
「ああ、たしかそういった名前でしたね。お礼はいりません。既に報酬はもらいましたから」
「親としてはきちんと礼を言葉にしておきたいのですよ」
「そうですか」
わかりましたと頷いて、礼を受け取る。
「礼を言いたいと今回の仕事に立候補したのですよ、彼は」
「それはわざわざありがとうございます」
ミアンは純粋に礼を言うために立候補したのだが、王たちは一人でも信頼できる者がいると感じてもらえれば、交渉が滞りなく進むのではないかとミアンを選出した。
今回の食事会は、裕次郎の人となりを確かめるということ以外に、味方がいると思わせることも目的だった。
そういった思惑に反して、裕次郎はありがたくは思っているが、アドバイスを守り警戒心は解いていない。
ミアンも王たちの思惑には気づいており、それに従うかというとそうでもない。娘の治療に加え、家のごたごたに巻き込み殺しかけたということは聞いている。恩と借りがあるのだ。今回は裕次郎が協力を求めてきたら協力し、そうでなければ迷惑をかけないよう距離を置こうと考えていた。
表情の奥に見える壁にライバンは気づいており、すぐに気を許すようになるのは無理かと今日のところは引くことにした。
「食事を終わりましたし、これにてお開きといたしましょう。またの機会を楽しみにしています」
「今日は美味しい料理をありがとうございました。コックにも礼を伝えておいてください」
必ずとライバンは頷く。
次の機会については答えず裕次郎は立ち上がり、二人の会釈してから食堂を出る。その後を追い、フィナも食堂を出ていった。
戸を閉めて、伯爵たちから見えなくなると、
「疲れたー」
そう言い首元のボタンを外して力を抜く。
「マナーを守りながらの食事はやはり大変でしたか」
「そうだね。料理は美味しかったけど、もっと落ち着いて食べたいよ」
薬物混入を警戒していたと言うわけにもいかず、貴族と共に食べたことやマナーを守ることに疲れたことにする。実際マナーにも気を使っていて、間違いというわけでもない。
「今日は風呂に入った後、本読んで寝るから、フィナさんは仕事を終えたってことにしていいよ」
「甘えさせてもらいますね。その服を受け取って、使用人さんたちに渡したら仕事を終わりにします」
部屋に戻ってさっさと服を脱いだ裕次郎は、フィナに渡し、風呂へと向かう。
広いお湯に浸かり、ふぅっと息を吐く。
(前哨戦って感じなんだろうけど疲れた、さっさと用事をすませて森に帰りたい)
レシピだけ渡して帰れたらどんなに楽かと、いろいろと投げ出したくなる。だがそれはできない。裕次郎にも目的がある。
心の疲れも抜けてくれとばかりに長湯して、明日も頑張るかと気合を入れて部屋に戻る。
次の日もこれまでと同じように過ごし、時々伯爵たちと接していく。
三日経つと伯爵たちは裕次郎に構う暇はなくなった。ライトルティ王が到着したのだ。それを皮切りに他国の王たちが到着し、そちらへの対応で忙しくなり、裕次郎は放っておかれた。それで気楽になったかというとそうでもない。部屋からでると誰かしらの視線がつきまとうのだ。
「こんなに注目を受けたのは生まれて始めてだよ」
ぐたりとベッドに寝そべって言う。
「一緒にいると私も見られます。あれを一日中は辛いですね」
感情の無い、見定めるかのような無遠慮な視線だ。
フィナからすれば下心満載の欲に満ちた舐めるような視線も嫌だが、この視線も自身が物扱いされているようで嫌だった。
「見世物じゃないってのになぁ」
気分は動物園の動物だ。話題になった動物たちは毎日こんな視線を受けていたのかと、同情する思いが湧いている。
動物の思いなどわからないので、一方的な思い込みかもなとなんとなく思い浮かんだ。
「世界の命運を握ってますし、無理もないとは思んですけどね。それも近々終わりますから、頑張ってとしかいいようがありません」
「レフテンドの王たちがそろそろ到着するんだっけ」
「はい。明々後日だと聞きました」
「やっとか」
終わりが見えて、ほっとしながら裕次郎は起き上がる。
その夜、風呂から戻ってきて本も読み終えた裕次郎は日課の部屋の点検をする。
メモを取り出し、レシピの位置を確認すると最初の位置とはズレができていた。
(誰か入ったか。どういった反応見せてくるかな)
狙い通りなら助かるんだけどと、ズレを新しくメモに書き、ポケットにしまう。
荷物のほうも念のため点検し、問題となっている毒も含めてなくなってはいないことを確認する。
王たちが到着し、レシピ公開の日がやってきた。
裕次郎は緊張した面持ちで、フィナに手伝ってもらい礼服を着ていく。
神殿内も緊張感に満ちており、最近で一番空気が引き締まっている。
「いよいよですね」
「……うん」
どこかおかしいところはないかチェックを終えて、フィナが話しかける。
本番がもうすぐだと思うと裕次郎も余裕はない。表情は硬く、早い鼓動が体内に響き、手にはじっとりと汗が滲んでいる。
力押しでいけたらどんなに楽かと小さく溜息を吐く。
「うまくいけばいいけど」
「大丈夫ですよ! 大災害なんて皆避けたいと思っています」
条件を飲み込ませる手順が上手くいけばいいと考えた裕次郎の言葉を、フィナはレシピの説明を失敗しないかと不安を感じていると受け取った。
その違いに裕次郎は気づくものの、指摘せずに頷いた。
「そろそろだと思うので、私は出ています」
「ん、手伝ってくれてありがとう」
フィナが出ていき、裕次郎は荷物からいくつかの瓶と同数の筆を取り出し、筆に薬を染みこませ爪に塗っていく。食事会と同じように麻痺毒や自白剤などの対策のためだ。
爪を乾かし、レシピと瓶二つと契約書をテーブルに置き、荷物をまとめていく。
扉がノックされて、案内役の兵が声をかけてくる。
「時間です」
「わかった」
テーブルの薬などを取り、部屋を出た。
兵に先導されて、神殿で一番大きな会議室に案内される。
「失礼ですが、身体検査をさせてもらいます」
扉の前に立っていた衛兵たちが裕次郎を止める。
二度目の念入りな調査に思わず、
「犯罪者みたいな扱いですね」
「申し訳ありません。王たちの安全を考えるとどうしてもこのような扱いに」
橋にいた兵と同じ返事が返ってくる。予想できていたので不快に思うことはない。ただ思ったことを口に出しただけだ。
多少の皮肉が込められていたのは否定できないが。
「どちらかが解毒薬だと思うのですが、もう片方はなんなのですか? それとも両方とも解毒薬ですか?」
「白っぽいほうは問題となっている毒」
衛兵は思わず、瓶から手を放し、それを予想していた裕次郎はキャッチしてポケットにしまった。
ほかの衛兵もかすかに怯えを見せ、毒を持った裕次郎から数歩離れる。
あのまま瓶が床に落ちて割れていたらと想像するだけで、寿命が縮む思いだった。
怒りと怯えと戸惑いを混ぜた表情で、裕次郎のポケットにある毒を指差す。
「どうしてそんなものを持ってきているのですか!? それが割れたりしたらっ」
「割れないように慎重に扱っていたよ。それに薬の効果を示すには、毒を治療してみせるのが一番早い。これが解毒薬ですって薬だけ見せても、疑いを持つ奴はいるだろうし」
毒といっても、薄めてあるのでこれでは苦しむだけで死ぬことはない。
「そ、それはそうなんですが」
言いたいことはわかる。けれど人を滅ぼすかもしれない毒を持ってこなくともという思いもある。
「入るよ?」
「待ってくださいっ」
危険とわかっているものを中に入れるわけにはいかない。
「毒をあんたらが持っておく? なにかあっても解毒薬はこれだけしかないし、薬と解毒薬を離していいことはないと思うけど」
預かっておくとはいえない衛兵を一瞥し、裕次郎はドアノブに手をかけようとして止まる。中からドアが開いたのだ。
「なにを騒いでいる。来たのならば中に入れろ。王たちが待っているのだぞ」
「入ります」
「ちょま!?」
意地の悪い話だが、慌てる衛兵たちを見て、裕次郎は緊張感が少しほぐれていた。
一度深呼吸して、部屋の中に入る。
部屋の中には六人の王と、王の背後に文官がいて、部屋の四隅とドアそばに衛兵が立っていた。衛兵たちが着ている鎧には、それぞれの国の紋章が刻まれていた。
部屋の中央に装飾の施された円卓が置かれ、等間隔で王たちが座っていた。人のトップに立つのはさすがというのか、存在感がある。
威圧感を伴った視線が裕次郎に集まる。
「あそこに行けばいいのかな」
「ああ」
心の中で水竜よりもたいしたことはない、あれらは芋だと唱えつつ視線を無視して、ドアそばにいた衛兵に空いている椅子を指差し聞く。敬意を払う様子のない裕次郎に、険しいものや驚きといった感情が流れる。ロコウの部下から報告は受けていたが、本当にそうだとわかり、顔を顰める者が多い。
特に強い視線を送っているのは王の中でも若い者だ。そちらをちらりと見た裕次郎は、あれがヘプシミン王なのだろうと確認する。
二人の視線が交差する。互いに存在は知っていたが顔合わせは初めてとなる。裕次郎は冤罪をかぶせられ、ヘプシミン王は長年の計画を潰された。
すぐに裕次郎が視線を外す。興味の差だろう。冤罪がたいして痛手となっていない裕次郎にとって、強い関心を引く存在ではなかった。
扱いの軽さにプライドが刺激され、視線がさらに強くなる。
「ありがとう」
裕次郎は兵に礼を言い、持っていた薬などをテーブルに置き、ポケットから毒も出し椅子に座る。
「許しもなく座るか」
衛兵の一人が思わずといった感じで漏らした言葉が、部屋に響いて消える。
やはりそれを裕次郎は無視した。不敬は承知の上だ。気圧されて、望みを達成できないなんてことになれば、ここにきた意味はなく。現状では対等であると示す必要がある。そのためある程度礼儀を欠き、横柄に振舞うつもりなのだ。
「では始めようか」
部屋に流れる微妙な気配を散らすように咳払いをしたライトルティ王が口を開いた。
それに王たちが頷く。簡単に自己紹介した後、早速薬について聞く。
「薬が完成したと聞き、我らは集まったのだが、それに違いはないか」
「はい。これが解毒薬とそのレシピとなっています」
裕次郎が丁寧な口調で答えたことに、どこかほっとしたような空気が流れた。
さすがに裕次郎もそこまで自由気ままに振舞うつもりはない。最低限の礼儀は知っていたし、目的を果たす前に破談となっても困る。
実のところ断りもなく座ったのは、許可をもらう必要があるということに慣れていない部分もあった。所詮は付け焼刃のマナーだ。
「レシピに間違いはあるのか? あるのなら知らせはこないのだろうが、念のためだ」
「何度も作って失敗はしていませんから、ないと思われます。技量不足による失敗は私の知るところではありませんが」
「ある程度の技量を必要とされるのかね?」
豊かな白髭を蓄えた六十手前の初老の男が問う。レフテンド大陸ルドア神国の王だ。
ルドア神国は平原の民が奉じる法の神と自由の神の大神殿がある国で、王は神殿の長が五年ごとに交代で就くことになっている。
今のルドア国王は法の神を信仰している。
「はい。少なくとも駆け出しの薬師では失敗するでしょう。確実に作りたいならば熟練の薬師に任せたほうが無難です」
といってもそれは解毒薬のほうで、免疫薬は難易度は下がる。衛生管理に注意する必要があるが、それはほかの薬も同じだろう。
「忙しいからと技量不足の者まで動員すれば失敗の元か」
注意しなければと王と文官たちは頷く。
「効果はたしかなのだろうか?」
今度は褐色の肌の王が問いかける。四十を少し過ぎたくらいで、肌の色もあって男盛りといった印象を受ける。
ラライドア大陸ソーラガイス王国の王だ。この地方には褐色の者が多かった。
「実験は何度もしていますし、私自身も使って効果を確かめています」
「なにか不都合はでたかね?」
「いえ、なにも」
「そうか」
頷く。しかし完全には信じていない様子だ。効果を確かめるまではと考えているのだろう。
「実際に効果を確かめてみますか?」
「薬だけ飲んでも意味はないだろう」
「こっちの瓶には例の毒を薄めたものが入っています」
毒の入った瓶を手に持ってみせる。
部屋にいる者たちは皆ギョッとしたように表情を変えた。
「なんてものを持ち込んだ!」
裕次郎の近くにいた衛兵が詰め寄ってくる。
だが瓶をそちらに向けると、怯えたように立ち止まった。
「外にいる兵にも言いましたが、実際に目で見たほうが効果はわかりやすいでしょう?」
「だがっここには王もいるんだぞ! なにかあればっ国がっ」
「なにかあることを防ぐための解毒薬です。で、どうしますか? 使ってみますか? ちなみに俺は一度飲んで毒への抵抗力を得ているので意味はないですよ」
この提案に皆迷いを見せる。解毒薬の効果を信じきれず、実験をしたと聞いてはいても頷くことができないでいる。
「国を守るために立候補しようと思う人はいないんですか?」
兵や文官を見て言うが、裕次郎から目を逸らす。
国に命を捧げたという兵も、実際に命をかけるとなると躊躇いは生まれる。王に命じられれば試してみるかもしれないが、王たちも精鋭を死に向かわせるのには躊躇いがあるのか、指示することはない。
「意外と度胸がないんですね。誰かに野良犬でも捕まえてきてもらいましょうか」
それにほっとしたような空気が生まれる。
本当に度胸ないなと裕次郎は呆れる。だが無理ないことだろう。王たちの裕次郎に対する信用信頼はゼロだ。そんな者の言葉を信じろというほうが無茶だ。裕次郎も王たちを信じていないから対策を取っているのだ、同じことだった。
衛兵の一人が警備兵に急ぎ犬を捕まえてくるように言うため部屋を出るときに、裕次郎は餌も持ってくるように頼む。毒をそのまま飲ませるより、餌に混ぜたほうが疑わずに食べるだろうと考えた。
犬が来るまでの三十分、静かな時間が流れた。
裕次郎は何も話さず、出されたお茶をなにか入れられているか調べた後、ゆっくり飲んでいく。お茶になにかが入っていることはなかった。
王たちも静かに過ごしていく。裕次郎を見極めようと思ったか、時々視線を裕次郎に向ける。
なんの変哲もない中型犬が衛兵に抱かれて部屋に入ってくる。もう一人の兵は餌の乗った皿を持っている。なにかの肉が湯気をあげており、犬の視線はそちらに固定されている。
「外に出ましょうか。毒から少しでも離れたほうが安心できるでしょう?」
皆ですぐ近くの庭に移動し、裕次郎と犬を抱えた衛兵一人から離れたところで、王たちが見物している。
「そのまま犬を捕まえててください」
慎重に瓶の蓋を開け、片方の餌に毒少量を素早く落とし、蓋を閉めた。
「それだけでいいのか?」
数滴のみ落とされた毒に、たったそれだけで効果がでるのかと衛兵が疑わしそうな声を出す。
「大量に注ぐと王たちにまで被害がいくかもしれないけど、それでいいの?」
「どういうことだ?」
「この毒は直接触れたり飲んだりするだけじゃなくて、小さな水滴や蒸発したものが口に入っても効果を出すんです。薄めているとはいえ大量に使えば王のいるところまで毒が広がるってことです」
「大変じゃないか!?」
驚いたことで拘束が緩まり、犬は餌へと喰らいつく。
「すぐに毒の効果がでますから見ていてください」
解毒剤の蓋を開け、いつでも飲ませられるように準備して言う。
餌をさっさと食べ終えた犬が満足そうに口周りを舌で舐めている。すぐにビクンと体を揺らして呼吸が激しくなり、その場にくたりと倒れこむ。摂取量が少ないため、死ぬようなことにはならないが辛そうだ。
「薬を飲ませます」
力なく口を開ける犬の顔を支え、少しずつ染みこませるように解毒薬を飲ませていく。
飲ませた薬の量が少ないため、飲ませる解毒薬も全部でなくてすむ。半分ほど飲ませると、犬は顔を振って、裕次郎の手を払い、立ち上がる。少しでも危険なものから遠ざかろうと思ったか、庭を走っていった。
「どうでしょうか? 効果はでましたが。これで納得できないのなら、誰か人間に飲んでもらうことになります」
「いや、その必要はない。効果はしっかりとこの目で見た」
ライトルティ王が言い、皆信じようと頷いた。
部屋に戻り、話を再開する。
「では交渉と移ろうか、聞けばなにか条件があるという。言ってみたまえ、しっかりと成果をだしたのだ。こちらも応えよう」
裕次郎は拳を握りしめる。
本番も本番、目的を果たすための場がやってきた。裕次郎は気を引き締めて、王を見る。
雰囲気が鋭いものにかわったことを王たちは感じ取る。なにを言われても動じないように、王たちも気を引き締める。
「私は交渉をする気はありません」
きっぱりと言い切られたそれは王や文官たちの予想から外れたことだった。
どういうことだと訝しげな表情を浮かべる。交渉する気はないのならば、ここに来る必要はない。遺跡にいたロコウに薬とレシピを渡すだけですむのだ。しかし条件があると聞いているので、なんらかの意図をもっての発言なのだろうと、気を取り直し続きを聞く。
「バグズノイドに作ってもらった契約書に書かれた条件にサインするならばレシピを渡しましょう。一国でもサインを断るのならば、レシピは燃やします。予備のレシピなどないので、部屋を探しても無駄ですし、このサンプルを持っていっても解析にどれだけ時間がかかるかわかりませんよ」
部屋に入り書き写したものがあると気づいていないふうに装い聞く。
ここで自信に満ちた反応を見せた者がいれば、侵入を指示したものだろうと考え、王たちの反応を探る。
「交渉する気がないというのは認められないが、それで薬を手に入れられないのはもっと困るな」
「そうですな。それに条件の内容を知ってからでないとなんとも言いようがない。もしかすると特に困るような条件でもない可能性もあります」
「とりあえずは条件を聞いてから、ということですな」
落ち着いたふうに話し合い、王たちは裕次郎を見返す。
つられないかと裕次郎は心の中で溜息を吐いて、条件について書かれた紙を、衛兵に渡す。
一番上に渡す国が書かれているので、それに従い配っていく。
「六ヶ国に共通して出す条件は、深淵の森周辺とそこに住む者への不干渉、私のことを公表しないこと……」
「待ちたまえ」
続けようとする裕次郎をライトルティ王が止める。
ヘプシミンとセジアンド以外にとっては深淵の森に関心はなく、前者はたいして気にならない。しかし後者はひっかかる。
単純に受け取れば、薬で得られる利益や名声を国が全て得ることができるということだ。けれどそんなに上手い話はないだろう。
「なんでしょう?」
急に止められたことに驚きドキドキと動揺しつつも、なんとか表には出さずに聞き返す。
「公表しないと言ったがどういう意図があっての条件なのかね? 君になにか意図があっても国にとってはそれは良い条件だ。六ヶ国の医者や薬師を集めていまだ進展が見えない解決策を、国に協力していないたった一人の薬師が解決したというのは国家の威信に関わる。それが隠せることは我らにとって嬉しいことでしかない。しかしそれでは君に利益がないのでは?」
「得られる利益というと?」
お金や権力や名声といったところだろうと、予想する。
そして予想通りの答えが返ってきた。それを裕次郎は鼻で笑う。
「お金? 権力? そんなもの国から出て森で暮らす俺とってなんの役にも立ちません。名声? むしろ邪魔です。名前が広がったら病人が集まる。そんな忙しい日々を送るつもりはない」
病人が今以上に集まればセリエと一緒に過ごす時間が減る。中には裕次郎を呼びつける者もいるだろう。見知らぬ他人を癒すことよりも、セリエと共にあることのほうが何倍も大事だ。
断言した裕次郎に、王たちは難しい表情を浮かべる。裕次郎がいらないと斬り捨てたものは、彼らにとって必須なものだ。価値観の違いに理解が及ばない。
「力があるのならば、それを使い、力に見合ったことをなす義務があるのではないか?」
ヘプシミン王が問う。王という力がありながらも、使いこなせていなかった彼にとっては、力を存分に振るう機会を不意にする裕次郎はおかしな存在でしかない。
「力なんて使い手の自由にすればいい。それに存分に使ったとしてもいいことばかりじゃない。目立つことになり冤罪で手配書出されたりするでしょう?」
「……」
裕次郎の目に嘲りの色が見えたが、ヘプシミン王は無礼だと言わず謝罪もせず黙る。
髭に触りつつルドア王が口を開く。
「ヘプシミン王の言うことももっともだと思うのだが? それだけの技能だ。きっと神が多くを救うために与えてくださったのだ。ならばその意思に従い動くことが大事だと思う」
「神の意思に興味はないです。私は私の大事な人のみに力を活かせればそれで幸せです」
ルドア王のいう神が、裕次郎をこの世界に送った存在を指しているならば話は違うのだが、彼が言っているのはこの世界を作り去った存在ですらなく、人が自ら生み出した神だ。
そういった神でも人が生きていくうえで安らぎを与えることはできると、裕次郎も知っている。けれど裕次郎には必要がないこともわかっている。
地球にいた頃から信心深いとはいえなかった裕次郎に、神がどうこうと言っても説得の効果は薄い。
「貴様っ」
神を否定するような物言いにルドア神国の衛兵が怒りの声を上げるが、ルドア王が手を上げて止める。
「君は独自の価値観を持っていているようだが、たまには他者に合わせることも大事だと思う」
「独自の価値観というのは、なんとなく言いたいことはわかります。合わせるというも。あわせたからこそ今回この場に現れたのですから」
「そうだの。そのことには感謝している。君とは後日ゆっくりと話してみたいものだ」
ツテを得たいという思いもあるが、裕次郎の価値観を知ることで自身の人生観に深みが増すではないかとも思えた。
「私は遠慮願いたいところです。では条件の続きを話します」
一言断り、王たちを見てから口を開く。
「ええと続きは、薬で利益をださないこと。以上の三つです」
「利益というと、輸送費や原材料費や人件費以上のものをとらないことでいいのかな?」
ライトルティ王の確認に頷き、追加する。
「基本的にはそれであっています。そこに腕利きの薬師や医者を使ったからと、高額すぎる人件費を請求しないということも含まれます」
「運ぶ距離で輸送費は変わってくるが、そこも均一にしろと言うつもりは?」
「ないですね。ただしわざと遠回りしたり、輸送の護衛に強者を使ったと割り増しするのは駄目です」
「どうしてそのような条件をつけるのだ」
「一つは多くの人に薬が広がったほうがいいだろうと思ったからです。さきほどルドア王が言いましたが、多くを救うということに反論はありません。なので費用が高いせいで、薬を手に入れられない人の数を減らそうと思いました」
「ほかには?」
「薬があるとわかれば、森の民や山の民が薬やレシピを求めてくるでしょう。その時に恩を売れることを防ぐためです」
「たしかに求めてくるかもしれんが、どうして恩を売ることを邪魔するのだね?」
「率直に言ってしまえば、他人の成果で得をするのはどうかと思うからです」
あとは他種族との結びつきを強められて、深淵の森にけしかけられても困るからだ。
それを説明すると実現しそうなので、黙っておく。
「名声という面では自国民から得られるもので十分でしょう? 解決策を事前に用意し、しかもそれを多くの者に与えようと手配する。民のことを考えてくださるいい王だと言われるんじゃないですか、たぶん」
金は得られないが、名声というお金で購入しづらいものを得るのだ。原価回収は認めていることでもあるし、働きに対しての報酬はマイナスではないだろう。
その名声を使い、解決できる問題はあるはずだ。
「利益に関しては以上かね? それと薬を渡す相手に海の民が入っていないがどうしてだ? 助けられないと踏んだのか?」
「利益に関しては以上です。海の民は既に契約を交わしています。要求が破談になれば、生き残る人間は海の民のみですかね」
「いつ海の民とそのような関わりを?」
「毒のサンプルを取りに行く時に、大型種の魔物を退治しようとしていた海の民と会い、沈んだ遺跡のありかを聞いたことで話が進みました」
「交わした条件は?」
「同じものです。といっても陸の民との繋がりはほぼゼロということなので、恩を売るといったことはないと思われますが」
条件が同じか確認しようにも、裕次郎の言うように繋がりはほぼなく、あっても漁村が国と関わり無く魚などの取引をしている程度だ。
そんな繋がりではいきなり海の民のトップに会わせろと言っても、スムーズな交渉など望めないだろう。
なんとか交渉の場につけても、裕次郎の名をおおっぴらに聞けないのでは、確認が上手くいくかわからない。裕次郎とはまた違った感じで価値観が違うのだから。
馬鹿らしいと席を立たれないことに安堵して、続きを話し出す。
「次にヘプシミンとセジアンドへの追加条件ですが」
「どうして我らにだけ追加があるんだ」
ヘプシミン王が視線を険しくして聞く。
「迷惑かけられたからですよ。少しは意趣返ししても罰は当たらないでしょう? 特にヘプシミンは俺が残していったもので儲けてもいるようですしね。まあ読んでわかるように、国に実害を与えようというわけではありません」
「どのような条件なのだろうか?」
ルドア王が聞き、裕次郎は頷き話す。
「ヘプシミンには、今後王が私心を持って国を動かすことを禁じる。セジアンドは魔王討伐を禁止する。この二つですよ。森への不干渉があるためセジアンドには追加しなくてもいいんですが、念のためですね」
「魔王は討伐されるべき存在だろう!」
セジアンド王がテーブルに手を叩きつけ椅子から立ち上がり、そう主張する。衛兵や文官はセジアンド王の言うことを疑わず頷いている。
そんな王を裕次郎は冷めた目で見返す。これまでの敬意のなさとは違った目に、セジアンド王は疑問を抱く。
なんとなく嫌な予感が湧いた。
「勇者と魔王が生贄という情報を知らないとでも?」
セジアンド王は気圧されるように詰まる。
文献に残る勇者の情報が偽りということもばらしたかったが、そこまでいうとロンタから情報を得たと繋げて考える者がいるかもしれないので話さずにいる。
陽黄茸をまだ届けてもらっていないため、ロンタを怪しまれるのは困るのだ。
国家機密といっていい情報を、文官や衛兵や使用人がいる場であっさりとばらした裕次郎へと六人の王ははっきりと非難の視線を向けた。どうしてそのことを知っているのかという動揺が感情を表に出してしまう。
王以外の者たちは、どういうことだろうかと首を傾げる。王たちの反応を見るに嘘とは断じきれない。彼らは王の否定の言葉を待つように視線を向ける。
「どこで知ったかというと沈んだ遺跡でですね。ほかにも魔王の暴走は生まれて二、三十年までに決まるといったこともです。というわけで生まれて五十年以上経っている魔王に暴走の心配はなく、そこから討伐へと繋げる理由はなくなりました」
「それが本当の情報だとは言いきれないだろう?」
ライトルティ王の言葉に、そうですねとあっさり頷いた。
「本当か嘘かはそちらで自由に解釈してください。提示する条件を呑めないならば、薬は提供しないというだけです」
「ここで拘束され、そのレシピを奪い取られるという可能性は考えていないのかね? する気はないが」
「そうですね、脅しと言うわけではないのでしょうけど、一応答えましょう」
しないとは言ったが言外にするかもしれないという意思を裕次郎は読みとり、ありえると仮定して返答する。
「ヘプシミン王ともしかするとセジアンド王も知っているかもしれませんが、深淵の森での戦いで私は勇者に勝っています。この中で勇者に勝てる人はいますか? 私が逃げ出すことを止められる人はいますか?」
「たしかに勇者に勝てる者はいないだろう。しかし人数差というのは馬鹿にできないものがあるぞ?」
衛兵たちはいつでも動けるように足に力を入れていく。
「ええ、たしかに」
だからと言いつつポケットに入れたままだった毒の入った瓶を持つ。
「これを床に叩きつけてしまえば、時間は余裕で稼ぐことができますね。解毒薬は一人分もありませんから、耐性を得ている私以外は皆死んで、街を出る時間も稼ぐことができます、まあ、拘束しようと動くならばの話です。しないのでしょう?」
王に敬意を払っていない裕次郎だから、やると言えばあっさりとやるような雰囲気を皆感じ取った。
「ああ、しない」
背中で汗を流しライトルティ王は頷く。裕次郎の手の中にある毒の瓶にどうしても視線が行く。
「それは安心です」
笑みを浮かべて答えても、毒は裕次郎の手の中にある。態度が安心などしていない、脅しには脅しで返すと示していた。
王たちはちらりと衛兵に、動けるか視線を向ける。それを受け取った衛兵は、少し迷って首を小さく横に振る。
「わが国というよりは、わが王個人に向けた条件にはなにか意図があるのかね?」
ヘプシミン王の後ろにいた文官が問う。
文官はこの条件にわりと不満はなかった。大災害以外でも国は危ない状況にある。そんな中、王の深淵の森への関心を断ち切れることは国にとってプラスに働く。自国のことに集中してもらえれば、建て直しもいくらか早くなると期待できた。
こういった国にプラスになることは思いついたが、この条件が裕次郎にとってなんの利益があるのかはわからない。
「これもある意味、森への干渉を防ぐためですね。あの進攻は王が主導になっていたと、戦いの中捕虜にとった兵に聞きましたし」
もちろんこれだけではない。意趣返しというには弱すぎる。
王に会ったツアから王の人となりを聞いて、裕次郎はどうすれば王に嫌がらせをできるかと考えた。
王であることに誇りを持っていて、そう振舞いたいということだったので、そこを突ける条件はないかとツアと話し合い、思いついたのがこの条件だ。
始めは王であることを辞めさせるかと思ったが、院政という言葉を思い出し辞めた。それに現状で辞めさせると、国がさらに荒れてティークたちにまで被害が行く可能性があった。
(私心なくということは、王であっても自分の考えのみで国を動かせないということ。王を国を動かす道具の一つに貶める。王でありながら、思うがまま行動できないというジレンマを与えられる)
なにをするにしても自身の考えを秘めて他人の考えを採用せねばならず、王はただ他者の案を決定するだけの存在となる。
独断などもってのほかで、自身の考えにそうように家臣たちを動かすことも困難。プライドがあればあるほど、自身のありように忍耐を必要とする。
ある意味傀儡に仕立て上げるということで、貴族たちも苦労するはずだ。周囲を固めるのは王を助け盛りたてたいと考える者が多い。それなのに追い払った傀儡派と似たようなことを行わなければならない。そして自分たちが選択を間違えば、国が沈むということも負担になるだろう。
国を案じる親王派だ、傀儡に近いことをしても増税で私腹を肥やすといった無茶はしないだろう。
「しかしこれはっ」
条件に従った場合のこれからの自分を思い描き、ヘプシミン王は表情を歪めた。
夢を諦めて、ただただ他者の考えを採用して行く姿は、若く野心のある王にとって悪夢でしかない。
小さく誘導していくことで、人々を自身の望みどおり誘導することも可能ではないかという考えもあるが、常に細心の注意を払っても人々の考え次第で努力が無に帰すことも予想ついていた。
何度失敗を繰り返せば、望みどおりに行くかわからないし、その失敗の中に致命的なものが含まれないとは思えない。
「なにか不満でも?」
ヘプシミン王の強い視線を受けて、小さく笑みを浮かべて裕次郎は聞く。
「不満しかっ」
「民のことを思うならば、深淵の森に関心を持たず自国のみに集中するのは悪いことではないと思われますが」
他国の王の手前、民のことなど知るかなどと言うことはできず、詰まる。ヘプシミン王も民を放置する気はないのだが、長年の思いを無視もできない。
「不満があるなら、他国の王を説得して貫くしかないですね。一国でも条件を呑まなければ解毒薬は渡さないと最初に言いましたから」
「汚いではないか!」
「今はそれを褒め言葉として受け取れます。こちらの考えどおりに進んでいるってことですから。で、どうします? 条件を蹴って、自国のみならず他国の民も死なせてまで自分の考えを貫きますか?」
できないだろうなと思いつつ問う。
他国を圧倒する武力でも持っていれば可能性もあるが、平常時のヘプシミンですらそういった武力はない。まして国が乱れている今無理を通す力はない。
王たちの視線を受けて、ヘプシミン王はがくりと項垂れるように頷いた。
「さてヘプシミン国から了承がもらえましたが、ほかの皆様はいかがでしょうか?」
たった一人の思惑に従うしかないことに表情に苦いものを浮かべつつ、ライトルティ、ソーラガイス、ジュドー、ルドアの王たちは頷いた。
ここで断るということは、多くの者たちを殺すということだ。それはできなかった。
「セジアンドは条件を蹴りますか?」
返事を返さなかったセジアンド王へと視線が集まる。
責めるもの、懇願するもの、何かしら考えがあるのかという疑問の視線がある。
セジアンド王がひっかかっているのは魔王討伐についてだ。魔王を討伐しうる勇者が自国にいて手を出せなくなるというのは、討伐や魂回収の功績をもって国際的地位を上げることや、遠い将来のことを考えると容易には頷けない。
けれど反対もできない。ここで頷かなければ、他国を敵に回すようなものだ。
(せめて、せめて連れてきていた薬師がレシピを完全に理解できていればっ)
挨拶をした王と話し合い、セジアンド王がレシピを盗み見るよう部下に指示を出した。
盗み見たのは裕次郎の働きを潰すためではない。解毒薬を作った功績は素直に褒められるものなので、限度を超えなければ条件を聞くつもりはあるのだ。
王たちの考える無茶とは王の退位や薬を配る相手を限定するというもので、都市の長になりたいといったものや貴族になりたい、街を作りたいという条件でも六ヶ国がお金と資材を出し、叶える気はある。復讐相手がいるなら世界中に手配書を出し、生きて捕らえるよう手配もする。王家の宝を求められても差し出す。
あくまでも無茶な条件を出された時に、自国でも毒の解析や解毒薬の開発が進んでいると資料を出し、そちらの全面協力までは必要なしと言い交渉を有利に進めるためであり、そうでなければ資料の提供もする気はなかった。
しかしそれらの考えを崩すように、写したそれを同伴した薬師に見せてみたところ理解できない部分が多いと返答が返ってきた。
それを踏まえて他国の王が連れてきていた薬師を集めて解析させてみたが、裕次郎にとっても予想外なことに、進展はあったもののそれでもまだわからない部分があるという結果だった。
裕次郎の予想では、レシピを見れば高名な薬師ならば再現可能だと思っていた。
それは過大評価だった。
薬作りの腕という面からみると、裕次郎に追いつく者や超える者はいる。けれど知識という面では裕次郎と同等な者などいないのだ。過去から現在に渡る薬と材料の知識、失われた技術、秘匿された技術を網羅する者など皆無だ。
そこを読み違え、ここで写したレシピを利用すると考えている裕次郎は無駄な警戒をしていると言っていい。
(偽物を掴まされたかと思ったが、さきほどの薬の使用で、その可能性は減った。これは頷くしかないか)
考えを廻らせたセジアンド王はこくりと頷いた。
「そうですか、了承をもらえてよかったです」
にこやかな雰囲気でいる裕次郎とは対照的に、王たちの雰囲気は沈んでいる。
この強制的了承により、裕次郎への心証が悪くなることは重々承知している。けれど交渉をすれば要望が全て通ることはないと考え、脅迫に踏み切った。
魔王や魔物に手を出すな、暮らしを保証しろという願いなど、交渉で達成させる自信はなかったのだ。
ことが終われば、冒険者や軍が動く事態も予想の一つだ。それを阻止、もしくは時間を稼ぐための考えもある。
「契約書自体の説明をします。サインをした時点で、使用者に発動します。これの効力は使用者とその血縁者、親兄弟子供孫の死です。効果が発動するのは条件を破った場合なので、私や森に関わらなければ意味のないものです」
「すまんが、少しいいかね?」
ルドア王が聞く。それにどうぞと返すと、続けた。
「私の国は王が数年ごとに交代するのじゃが、交代した王が契約を破った場合も私や私の血族が死ぬのかね?」
「はい。ですので次の王にはきちんと説明することをお勧めします。王の交代で契約が引き継がれるようにしたかったのですが、そこまではできないということなので、その件についてはお詫びします。といってもルドア神国はレフテンド大陸にあるので、わざわざ深淵の森に関わろうとしないと思うのですが」
「そうだの、だが気をつけておくとするさ」
「話を続けます。効果が発動するのは条件を破った時なのですが、例外もあります。それは契約書をなんらかの方法で解除しようとした場合。使用者が病死と寿命以外で死んだ場合。こちらの意思で発動した場合です」
「いいかな」
今度はジュドー王が尋ねる。その表情は戸惑いと焦りがはっきり表れていた。
「前者はわかる。しかし後者二つはどういった意図があるんだ?」
「二番目は自殺して契約を解除しようとすることを防ぐためです」
「王が自殺はありえないとは言いきれないが、滅多にあるものではないだろう?」
「ええ、ですので保険として意味が強いです。三番目を話す前に少し話をそらしますね。森への不干渉と言いましたが、旅人が迷って深淵の森に近づいただけで、王が死ぬというのはさすがに理不尽です」
それは当然のことだと皆頷いた。さすがにそれだけのことで死にたくはない。
「契約書もそこまでの効力はありません。こう聞いて旅人を装って森へ侵入させたらいいと考えた人はいましたか? そういった人対策の三番目なのです。条件をつけても暗殺の恐れがあると思ったので、任意発動があります」
「いつでも我らを殺せるというのは、さすがにやりすぎだと思うのだが」
「そこらへんは私の善意を信じてくださいと答えましょうか。もう一つ付け加えるなら、王なんてどうでもいい。関心を払う存在ではないので殺す気もありません」
「口が過ぎるぞ!」
衛兵たちが武器に手をかけて、怒りの声を上げた。
敬意を持って仕える王たちを侮辱され、我慢できるはずもない。
そんな衛兵たちに裕次郎は頭を下げて、口を開く。
「気に障ったのならば謝ります。けれどあなたたちも、自身に関わりのない存在の生き死になど気にならないというのはわかるでしょう? 自国のどこかにある小村の老人が死んだことに心を痛めますか? 他国の町人が馬に引かれ死んだことを嘆きますか? それと同じで私は自身の所属していない国の王に関心がないと言ったのです」
「言いたいことはわかった。だが国のトップをどうでもよいと言うのはっ」
「民の生活を守り、国の行く道を決定し、大きな責任を背負うことは立派だと思います。けれどやはり国という枠組みから外れた私には関係のないことなのですよ」
「お前はおかしい! 例え他国の者であろうと流浪の者であろうと、王という存在に関心なくいられる者などいるはずがない。誰もが敬い恐れる、それが王だ!」
「おかしいのもずれているのも知っています。こう考えてはどうでしょう? 変人が深淵の森に閉じ込められている。私も今回のようなことがなければ外に出る気はありませんし、閉じ込めるというのはあながち間違った表現でもありませんよ」
王たちは、そういった考えもあるのかと深淵の森への不干渉をプラスに捉えた。
高名な薬師たちを集めてなお敵わない薬師が大陸中を好き勝手動けば、どこでどのような縁を持つかわからない。ヘプシミンでは二家の貴族が薬師に肩入れしているというし、ライトルティでも一人似たような反応を見せている者がいる。
そのような縁を繋いだ者が、裕次郎の影響を受けてしまうのは不安なことでしかない。
「やはりおかしいとしか思えん。自ら閉じ込められることをよしとするなど」
「一人でいるのはさすがに耐え切れないけど、親しい人が一緒だし、魔物たちにも話がわかる者もいる。退屈はしない場所ですからね」
魔物と馴れ合うと聞いて、話していた衛兵は理解することを放棄した。目の前の男は、人間ではなくはずれたなにかだと思うことにして、壁際に戻る。これ以上話すと、壊してはいけないものが壊される気がした。
皆の裕次郎への評価は、悪い意味での天才と固まる。
常人とは違った思考を持ち、常人には理解されにくいもの。関わることでプラスよりもマイナスの方が多い厄介な存在。天才と呼ばれる者にはそういった者がいる。裕次郎をそれだと判断した。
そう考えが定まると王たちの行動は早い。関わりを終わらすために条件に頷いて、渡された契約書にさっさとサインする。塵となった契約書が王たちの体に降り注ぎ溶け込んでいく。
「これにて契約はなった。レシピを渡してもらおう。ついでに説明を求める者に解説をしてもらいたいが、それくらいはやってくれような?」
レシピだけもらって「はい、さようなら」では困るので、付け加えるライトルティ王。
「説明といってもレシピに書いてあるので、いらないと思うですが」
お前と一緒にするなと、薬師たちが解析できなかったことを知っている王たちは言いそうになり、ぐっと堪える。
「一箇所でも理解できないことがあれば、それだけで人々は死ぬ。万全を期すのは当然だろう」
それはそうかと裕次郎は頷き、レシピを持ち、魔法で燃やした。
その行動に部屋の空気が凍りつく。
レシピを渡すことで契約を結んだのだ。それを燃やすということは明らかな契約違反だ。
なにをしていると、全員の怒号が部屋に響く。
裕次郎はそれをそれを耳を塞いでやりすごす。
「燃やしたことの説明をしますから落ち着いてください」
「落ち着けるか! なにを考えているんだお前は!」
ヘプシミン王のつばを飛ばす勢いの言葉に異論を持つ者はいない。
ヒートアップしすぎだと、裕次郎は言葉で宥めることを諦めた。
毒入りの瓶を皆に見えるように持ち上げ、力を少しずつ込めていく。
「これを握り潰す前に、静かになってください」
やめろと悲鳴を上げつつ、皆口を押さえる。感情までは隠せず、表情も視線も険しい。
「悪ふざけがすぎました、それは謝ります。契約違反をしようというわけではありません。きちんと事情があります」
「どのようなものだ! 納得できる話を聞かせてもらえるのだろうな?」
もちろんと笑みを持って返す。
「これを作っていて一つ問題が浮き上がったのです。ああ、そんな顔しないでも薬に欠陥があるというわけではありません。これはこれで完成しているのです。でしたらなにが問題かというと、これを作るにあたって材料が足りないということです。世界中から材料をかき集めたとして二国分の薬も用意できないでしょうね」
「まったく足りないではないか!?」
解毒薬自体は完成してもそれでは意味がないと激昂しかける。
「ええ、足りません。ですので私もこれは駄目だと思い、別の薬を作りました」
「簡単にできるものなのかね?」
「簡単ではありませんでしたよ。いろいろと失敗作を作りました」
「完成はさせたのじゃろうな?」
「もちろん」
「ではなぜここにレシピを持ってこなかった?」
「王たちを疑っていたからでしょうし、契約書に絶対サインさせるためでもありました。事実部屋に置いていたレシピは見られていた可能性が高いですし」
「どうしてそう思う?」
気づかれていたのかという考えを内に秘めて、セジアンド王は理由を問う。
「わざと整えず裏にして置いていたレシピにズレがあったからです」
「ズレなどちょっとしたことで起こるだろう? 掃除をしていた者が触ったのではないか?」
「掃除をしていた者は触っていません。掃除している時、常に一緒にいましたから。窓を開けて風でずれると、その都度メモにとっていました。そのメモとレシピを部屋から出て戻ると毎回確認していました。ズレが見られたのは風呂に行って帰ってからで、世話役にはその時間に部屋に入らないように言っています。用事がある者も、ノックをして返事がなければ常識的に考えて入ることは躊躇うでしょう?」
高い警戒心を思わせる行動に、本当に自分たちを信用していなかったのだなとわかる。
そこを踏まえて見てみれば、椅子に浅く腰掛けすぐに動けるような体勢だとわかるし、いまだに毒入りの瓶を手放さないことも、そうとれるか。
「レシピを見られて、条件を拒否されるのを嫌ったというのはわかった。話を進めよう、本命のレシピは渡してもらえるのだろうね?」
「はい。しっかり覚えているので、今日中に書き上げて渡すことができます。作り方も最初に準備していたものより容易で、材料もたくさんあります」
ほっとしたところに、裕次郎がただしと付け加えたため、皆精神的に疲労感を感じながら耳を傾ける。
「この薬は毒に耐性を持つことを主眼としたもので、飲用することで少々体に不調をもたらします」
「どうして不調をもたらす? それと不調はどの程度ものだ?」
「薬師としては常識的な知識なので落ち着いて聞いてください。毒を利用し薬となすものがあります。この薬も同じく、問題の毒を材料に薬としました。だから落ち着いてください。既に実験も使用も終えて、なにも問題はでていません」
毒を飲むと聞き、皆魔物たちと同じような反応を見せた。予想はできていたので、落ち着いてその反応を見ることができる。
こういう反応を見ると、人間と知恵のある魔物の違いはそこまで大きいものではないのではと裕次郎は思う。
「もう一度言いますが、実験も使用も終えています。毒を使った無害な薬はあるので、自国の薬師かこの街の薬師にでも確認してください。不調の程度ですが、私はよくわかりませんが、聞いたところによると二日酔いよりはましなのだとか」
「わかった。レシピは明日にもらえるのだな? だったら渡す時に我らが集めた薬師に作り方を説明してくれ」
「免疫薬以外の説明はするつもりがないので、そのことは伝えておいてください。解毒薬はもちろん、その他の薬について聞かれても無視します」
今大事なのは免疫薬だとわかっているので、王たちはそれに集中させるため頷く。
薬師の中には解毒薬について詳しく聞きたがっている者がいる。それに使われている技術を習得すれば、さらに多くの薬を作ることができ、さらなる栄誉の獲得が夢ではなく、多くの人を救うこともできる。私欲に塗れた者も人助けを願う者も、知りたくて当然だろう。
だが裕次郎はさっさと帰りたいので、そんな者たちの相手をする気は皆無だった。
「言い渡しておこう。ほかになにか言うことはあるか?」
「そうですね、ヘプシミンの文官さんに聞きたいんですが」
「なんでしょうか?」
「私の手配書はどうなってます? 解かれてないならそれで別にいいんですが」
「解かれたな。冤罪だったと公表してはいない。民たちは捕まったと思っているのではないか?」
「ありがとうございます」
ヘプシミン国内を歩き回っても大丈夫ならば、ティークたちに薬を届けるつもりだったが、微妙なところなので止めておいたほうがいいなと思う。
ツアに村人の分の薬を渡すときに、手紙と一緒に持っていってもらうことにした。
「どうしてそのようなことを?」
「どうなったんだろうと、気になっただけです。では部屋に戻ってレシピを書くので、これで失礼しても?」
王たちの下がれという言葉に、軽く一礼し裕次郎は部屋を出ていった。
感想誤字指摘ありがとうございます
》思いっきり利用する気っぽいですけど裕次郎にやりこめられて悄然とするのが目に見えますね
交渉せずに脅すという形でしたがいかがでしたでしょうか
》ここに来ても「世界を動かすのは自分の国が主導でやるのだー」って権力的な闘争か~
自国の利益を考えるのが政治家なんだと思います。現状でも利益を追うのが正しいことかはわかりませんが
》果たしてそれが権力者に通じるかどうか・・・
通じなければ王たちが死にますから自重するのではないかと
》免疫薬を飲めない(かもしれない)野生動物や家畜などは皆死滅してしまうのでしょうか
海の民がふさぐことを提案していなければ死んでいたんだと思います
》意識的に刺々しい態度をとっている感じですが~
対等であると相手に思わせ、王の雰囲気に押しつぶされないようにやっていたんですが、やられたことへの意趣返しもあったのかな
》どんな条件になるんでしょうか?
手を出さなければ無害なので、厳しいようで甘い条件だと思います。ヘプシミン以外には
》毒が実は昔の人が作ったウィルス兵器で、人間に近い種~
そんな危険なものだせないです
》中和もかなりいい方法だと思いますけど、すでに海に広がっているうちの~
中和剤まくとしたら、海流の動き考えてと、わりと大事になりそうですね。まあ今も大事なんですが
》王族や貴族が絶対何かやらかす気がする。ヽ(゜Д゜)ノ
レシピ盗み見ましたが、これは想定していたの、たいしたことはしてないですね。毒とかも使ってません、逆に裕次郎が使った
》ふとおもったけどこのままだと結局生態系破壊はまぬがれないのかな?~
なんの被害もないということはないでしょうね、なにかしらどこかで壊れるものはありそうです
そう考えるとけっこうひどい毒をだしてしまったんですねぇ
》もしすこしても上から目線で寝言ほざいたら帰られることわかってるんだろうか
マカベルや森の安全確保したかったんで、裕次郎も帰られなかったんですよね
》毒のことさえ乗り越えたら反省もせずに報復しそうで…
報復できないように王の命と血縁者を人質に!
》てかそのうち都市になるんじゃ!?
森に手出しできなくなったんで、魔物にとって安全圏ということになり、結果魔物が集まることに。なので人口増加で都市クラスまではいきそうです
》魔力や体力等、薬方面以外のチート性能があまり活かされていない様に感じる
これだけ優れていれば十分じゃね?
》人類がやばい時でも利権をむさぼるって危機感なさすぎですね
たしかに。もっと煽ればよかったですね
》魔物の森については免疫薬を水竜の力で空中散布すれば被害が抑えられるのではないでしょうか。
そういわれると、できそうですね
》世界の危機は救ったものの、王族に睨まれ森での生活が苦しくなったユージロー~
薬の力じゃ無理かな、バグズノイドに全力で協力してもらって、専用の遺跡をみつければもしかして?
可能性としてはすごく低いですが
》「無がある」ではないですか?
そっちでも可ですね
》ロコウさん苦労人。ユウジローの胃薬渡してあげてください
くれるというならすごくほしがりそうです
》そういえば裕次郎がまだ秘密をセリエに打ち明けてないけど~
作中ではないですね。両人とも気にしてなかったりします。話せば驚くでしょうが、それでだけでおわります。セリエにとって大事なのは今裕次郎がそばにいるということですから




