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29 苦手なものを食べさせる方法

 さくっと薬が完成し、マントに塗りこんだ頃にちょうど賢狸が約束の品を持ってくる日となる。やっていた賢狸の横には、二人の人型の魔物がいた。一人は黒のスーツを着ている成人男性で、みかけは三十ほど。オールバックの黒髪に赤い目の美丈夫だ。もう一人は十を少し過ぎた少年。金の短髪で、同じく赤い目をしているショタ受けしそうな容姿だ。着ている物は質の良さが感じられる。

 ちなみに年上の男の裕次郎を見る目が熱を持っていた。そんな目で見られたことはなく、裕次郎はなぜだかわからないが身の危険を感じる。

 裕次郎たちは正体はわからないが、どことなく人とは違う気配で魔物と気づく。


「これが約束の品物ー。確認しとくれー」


 魔物の紹介はなしに、まずはテーブルに品を並べていく。小麦粉三キロに、塩砂糖それぞれ一キロ、菜の花とカボチャとスイカと大豆の種だ。

 確認して間違いないと頷く。


「んで、そちらさんが薬を求めてるってことでいいの?」

「そやでー。吸血鬼のハインドさんとキットレーゼくんー。血は吸わないように言ってあるから安心してなー」


 紹介を受けた二人が頭を下げて、裕次郎たちも頭を下げる。


「ほんとに大丈夫なの?」


 我慢できずに血を吸われてはたまらないとセリエが確認するように聞く。


「キットレーゼ様のためだ。なんとか我慢しましょう。我慢できなくなり襲いかかったら撃退してかまいません」


 こちらの世界の吸血鬼は血を通して魔力を吸うのだが、魔力が多い相手ほど美味く感じる。裕次郎の魔力は森の民並。とても芳醇な香りを放っているのと同じだ。

 ハインドが裕次郎を熱い目で見ているのはそういうわけがあった。セリエに問われても視線は裕次郎に固定されており、我慢できなくなるという話に信憑性がある。

 気を抜かないようにしようと裕次郎とセリエは決意する。


「今日はこれで帰るー。次はいつになにを持ってきてほしいー?」

「小麦粉塩砂糖を一ヵ月後くらいでいいかな?」


 セリエに確認すると頷きが返ってくる。


「あとは今日のとは違う種をいくつか」

「わかったー。またなー」


 吸血鬼をおいて賢狸は出て行った。

 それを見送った後、裕次郎は視線を吸血鬼たちに移す。


「そちらの話をしようか。どんな薬を作れば? 要求にあった薬をなんでも作れるわけじゃないってことを先に言っておくよ」

「簡単に説明しますと、キットレーゼ様の血液嫌いを治してもらいたいのです」

「……吸血鬼なのに血が嫌いなの?」


 セリエの疑いの視線に、キットレーゼは身を縮こまらせる。

 主食である血を飲まずに生きていけるのかというと答えはイエスだ。新鮮な魚を肉を食べることで残留魔力を吸収してきた。それだと十分な魔力が確保できず、生きるだけで精一杯なのだ。

 本来の吸血鬼は、中級冒険者四人組と良い勝負をする強さは持っている。けれどキットレーゼは幼いということを抜きにしても、人間の子供と同じ強さしかない。

 このままの生活を続けると寿命も人並になってしまう。跡継ぎが早死にするのは困ると治療方法を探していた。


「疑うのも無理はありませんが、本当のことなのです。跡継ぎ騒動で色々とありまして」

「跡継ぎってあんたら貴族?」

「ええ、シュミセン家は歴史六百年を誇る名家ですよ」


 吸血鬼の寿命が二百五十年なので、初代は四代前だ。世代交代という面で見ると歴史はそう古くない。


「魔物にもそういったものがあるのね」

「なんだかお二方の表情がおかしなものに」

「貴族ってのにいい感情がなくてね。ここで暮らしてるのも貴族のせいだし。正直ごたごたに巻き込まれる可能性があるなら、今すぐに帰ってもらいたい」


 裕次郎はきっぱりと心中を伝えた。


「ここで暮らしている理由はそのようなことでしたか。ご安心ください。当家のごたごたは既に収まっております。原因となった者たちは八つ裂きにして、燃やして、残った灰は固めてマグマの中に放り込みました」


 地球の吸血鬼は灰からでも復活することがあるが、こちらの吸血鬼はそんなことはない。八つ裂きにされても復活はするが、燃やした時点で復活はなくなっている。なのでマグマに放り込む必要はないのだが、そこは家をかき回したことの鬱憤晴らしで実行された。

 家の掃除を終えた後のシュミセン家は安穏としたものだ。


「第一ごたごたが収まっていない状態で、坊ちゃまを護衛もなしに連れ出すはずがないでしょう?」

「ごたごたの最中に、そんなことをしたらいい的よね。ああでも囮として連れ出して、敵対勢力を集めるとか」

「ないです。この首を賭けてもいいです。それに囮とするなら少数精鋭の護衛くらいは連れてきますよ」

「そうかもしれないわね」


 一応納得することにした。警戒はしておくつもりだが。


「えっとそれで話はなんだったか、ああ血を飲めるようにしてほしいんだったっけ」

「ええ、そうです。なにかいい薬はありますか?」

「んー……少し話を聞いた感じだと、好き嫌いじゃなくて、なにかしらの原因があって飲めなくなったって感じなのかな」

「はい。飲む血に毒を入れられまして、それがとても仲の良い侍女に入れられたこともあり、裏切られたという思いと合わさって飲めなくなったようなのです」


 トラウマと見ていいのだろうと、裕次郎は心の中で呟いた。

 トラウマを解消する薬を探す。見つかったのは、セリエにも飲ませようかと考えた一時的に記憶を封じる薬だ。もう一つあるが、それは子供に使うのはどうかと思うものだった。毒を盛られたという記憶がなければ、血を飲むことが可能だろう。食事前に飲めば問題ないはずだ。

 思いついた記憶封じの薬を二人に提案する。


「俺が思いつくのはそれかな」


 実はあともう一つ思いついていた。それは森の民の秘薬を作ることだ。その薬は魔力を回復するお香で、煙を通して魔力を取り込む。これを使えば血を飲まずとも魔力補充はできる。

 だが材料が貴重なので常用には向かず却下した。

 魔力の回復量は、平原の民やセリエならば一度の使用で全快する。裕次郎や森の民だと半分も回復しない。そんな程度だ。

 

「その薬でお願いします。坊ちゃまもそれでいいですか?」

「うん」

「どれくらいでできますか?」

「効果はそこまで高くなくていいだろうし、一日もあれば?」


 忘れるのは食事の間だけという短時間だ。それならば効果は高くなくてもよかった。


「でしたら私たちをここに泊めてもらえないでしょうか? 家は森の外にあって行き来だけで四日かかるのです」

「バグズノイドに聞いてみないことには」


 裕次郎たちも間借りしている状態なのだ。断りを入れておく必要があるだろう。

 バグズノイドに聞いてみたところ、行ってはいけない場所に踏み入らないのならば大丈夫ということになった。

 空いてる部屋をハインドが掃除することになり、裕次郎はキットレーゼと話すことにした。セリエは家事を始め、フォーンにはヴァインと遊ぶように頼む。


「まずは自己紹介かな。沢辺裕次郎。君たちの言い方にあわせるとユージロー・サワベ」

「僕はキットレーゼ・シュミセン、です」

「吸血鬼って長生きっていうか年齢関係ないってイメージがあるんだけど、キットレーゼの年齢は見た目通りでいいのかな?」

「うん」


 見た目通りの年齢で親しかった人に殺されかけたらショックも大きいかと、心の中で頷く。


「吸血鬼っていうのはどんな生物なのか聞いても? 知ってることと違うと、薬を作る時に使っては駄目な材料を使うことがあるかもしれないから知りたいんだ」

「えっと、血を吸う」

「うんうん。血を吸うことを止めて、キットレーゼのように最低限の魔力補給もできないとどうなる?」

「三日で死ぬって聞いたことある」

「三日でか。人間でももう少し持つのにな。強い反面、それなりの制約もあるのか。なにか食べたらいけないものや、やってはいけない行為とかある?」

「食べられないものはない、よ。やっちゃいけないのは寝ないこと」

「寝ないこと?」

「うん、少しでも寝ないと動きにくくなるんだって」

「なるほど」


 地球の吸血鬼とは似てはいるが別物と考えた方がいいだろう。にんにくや心臓に杭、流水といった弱点もないようだった。それにかわる弱点はあるが、即死亡に繋がるものではない。

 できることも違う。噛むことで吸血鬼を増やすことはなく、コウモリへの変身、魅了の魔眼もない。かわりに血を吸った相手の影響を受けてできることがかわる。例えるなら、平原の民や森の民の血を吸うと魔法が使え、海の民の血を吸うと水中活動ができ、鳥の血を吸うと空を飛べる。

 血を摂取することで能力が劇的にブーストされる人間のようだと裕次郎は思う。


「じゃあ次は君自身のことを聞いていこうか。好きな食べ物、好きなことはある?」

「クッキーが好きだった。でもユーリが……」


 キットレーゼのくりっとした目の端に水滴が浮かぶ。ユーリという者が親しかった侍女で、殺そうとした侍女なのだろう。


「ああっごめんっ、怖いこと思い出させた。えっと好きなこと! 好きなことはなにかな?」


 慌てた様子で、キットレーゼの頭を撫で、楽しいことを思い出させて気をそらさせようとする。


「……お花」

「花?」

「お花を育てるのか好き」

「そうかぁ。どんな花が好き? 俺は桜って花だな。春が来て、薄いピンクの花びらが木のあちこちに開いて、それを見ると懐かしいっていうか、自然といいなぁって思えるんだよ」


 こちらに来て桜を見たことがないので桜があるのかわからないが、好きということに嘘はない。


「たくさんの花が好き」


 裕次郎の知っている花、知らない花を上げていく。中には見ることのできなかったブルードロップスもあった。

 家の花壇で季節ごとの花を植えているようで、少し前までコスモスが見ごろだったらしい。

 裕次郎もエーゼンスットで見た花の話をしつつ、キットレーゼの目から涙が消えたことにほっとする。

 園芸の話が続き、意外と深いキットレーゼの知識に感心しているとハインドが部屋を整えて、リビングにやってくる。

 キットレーゼをハインドに任せて、裕次郎は薬の材料を集めるため、外に出る。材料は遺跡の周囲で集まるため、三十分もかからずに遺跡に戻る。

 材料の加工をした後、セリエに誘われて狩りに出る。


「そういや砂糖が手に入ったし、ジャムみたいなのできるんじゃ?」

「もうやってるわ。今は冷ましてて後は瓶詰めするだけよ。ジャムっていうよりベリーソースに近いけど」

「それは楽しみ。今度あの狸にお菓子を作れる材料を頼むのもいいね」

「そうね。と言ってもお菓子の作り方知らないのよね」

「吸血鬼の人が知らないかな」

「血を吸う以外に食事取るのかしら?」

「クッキー作ってもらってたらしいから、知ってそうだよ」

「魔物になにか習うってのも、なんだか違和感が」

「平原の民が森の民や山の民からなにか習うのと変わらない気もするね。あの人たち見た目人間だし」

「でも血を吸うのよね」

「そうなんだけどね。俺たちの血は吸わないって言ってるし、気にしないでいたら?」


 それを聞いてセリエは難しげな顔となる。


「ゴブリンや狐の魔物もそうなんだけど、ユージローは受け入れるのが早くない? 話し合うことができるって言っても、私はすぐに慣れるのはどうも」


 地球で生まれ育ったからだろう。アニメゲーム漫画映画に、人外主人公の話はいくらでもある。魔物が仲間になる話もそうだ。そういった話を面白いと受け入れた時点で、魔物に対する敷居が下がっているのだろう。

 だから敵意なく近づいてこられると、警戒心が下がる。

 こちらで生まれ育ったセリエにとっては魔物は危険なものでしかない。その価値観が親しく接するということに違和感を生み出す。これまでの生活環境の違いだ、慣れずとも無理はない。


「ヴァインだって魔物だよ? ヴァインには慣れるの早かったのに」

「ヴァインはなんというか、始めから仲間っていう意識が」

「ゴゼロさんたちは戦いが最初だったし、仕方ないのかな」


 少しずつ慣れていくのだろうかとセリエは首を傾げ、慣れたら慣れたで問題がでそうだと表情をさらに難しげなものした。

 獲物を持ち帰り、ついでに鍛錬もこなして遺跡に入る。

 キットレーゼはヴァインやフォーンとなにやら遊んでいて、ハインドはその様子を見ていた。そのハインドに裕次郎が話しかける。


「ハインドさん」

「なんでしょう?」

「お菓子の作り方って知ってます?」

「私は知りませんね。ですが家の者は知っているでしょう。いずれそれを聞いて紙に書き写し、持ってきましょうか? 薬の礼の一つになるでしょうし」

「お願いします」


 礼を言い裕次郎は薬作りに戻り、セリエは夕食の準備を始める。ハインドは血を固めた非常食を持っていて、食事はいらないということなので追加はキットレーゼの分だけでよかった。

 翌日の昼前に薬が完成し、昼食に血を摂取するのにちょうどよいと飲んでもらうことにする。


「ユーリって言ったっけ、その人のことを思い出しながら飲んでみて」


 キットレーゼの前に木のコップを置く。中には水とかわらない液体が入っている。

 侍女のことを思い出し悲しげな様子になりつつ、コップを手に取って、くいっとコップを傾ける。少し苦味のある薬なので、表情はさらに歪んだ。


「効果はどれくらいで?」


 ハインドの質問に、すぐにと答える。

 ハインドがユーリについての質問をしていき、それにキットレーゼはなにもわからないといった様子を見せる。少しも悲しげな様子を見せず、演技ではないとわかった。


「これなら大丈夫でしょうか。坊ちゃま、これを」


 懐から出した布の中から、種のような赤い粒をキットレーゼに渡す。これが昨日と今朝ハインドが食べていた非常食だ。キットレーゼが食べている食事よりはましといった程度の代物だ。

 渡された血の粒を口に含む。平気そうな顔にハインドは笑みを浮かべたが、すぐにキットレーゼの表情が歪み、溶けかけた粒を吐き出した。


「坊ちゃま!?」

「失敗? でもユーリって人のこと覚えていた様子はなかったわよ?」

「だとすると心の傷はすごく深いのかもしれない、記憶を騙せても体は誤魔化せないくらいに」

「どうにかできないのでしょうか?」

「んー……あるにはあるんだけど」


 森の民の秘薬以外に思いついていた薬を言っていいものかと迷う。


「一応言ってみてください」

「心の傷を物体化して体の外に出す薬があるんだよ。それを叩きのめすと心の傷を軽くできるんだ。子供に戦えっていうのもどうかと思って言おうか迷った」


 この薬はキットレーゼのような患者を治したくて、森の民の薬師が考え出したものだ。色々と煮詰まっている時に、知り合いの心の傷を直接ぶん殴ることができたらなという脳筋発言をそのまま採用した。

 一度の使用では完全に治ることはない。だが何度も戦っていくうちに、トラウマに立ち向かうという意思も育つのか、短期間でほぼ解消されるらしい。


「どうする? 作れというなら作るけど」

「……坊ちゃまと相談してみます」

「それがいいね」


 具合の悪そうなキットレーゼを抱えて、与えられた部屋に戻っていく。

 どうなるかなと裕次郎たちは思いつつ昼食をすませて、いつも通りにすごしていく。

 一時間して薬の効果のきれたキットレーゼとハインドは話し合う。その三十分後にハインドが部屋から出てきて裕次郎を探すが、裕次郎は全員で狩りに出ていていなかった。

 一度部屋に戻ったハインドは、裕次郎たちが戻ってきたことに気づくと再びリビングに出る。


「あの」

「どうするか決まった?」

「はい。一度試してみようということになりました。なので注意点を聞ければと」

「注意点としては叩きのめす際に、加勢する人はいてもいいけど、その加勢は避けるのを手伝ったり、かわりに攻撃を受けたりするだけで、攻撃は薬使用者以外にしては駄目ということかな」

「どうしてですか?」

「薬の効果は十五分続くんだけど、使用者以外が攻撃の意思を叩きつけると時間が来る前に消えてしまうんだとか。その時の治療も意味のないことになるらしい」

「今回でいうと、私が一緒に物体化した傷に立ち向かってもいいけど、できるのは盾となるくらい。ということでしょうか?」

「その認識であってる」

「まあ、坊ちゃま一人で立ち向かわせるよりはましだと思いましょう」


 材料集めに三日、薬作りに二日かけて完成させる。

 五日滞在は予定していなかったため、経過の報告も兼ねてキットレーゼたちは一度家に戻る。ついでにお菓子作りについて書かれた紙とちょっとした調理器材や材料も持ってきてくれることになった。

 もらえた資料を読み始めたセリエをリビングに置いて、裕次郎とキットレーゼたちは遺跡の外に出る。

 ハインドは裕次郎から借りた盾を持っており、キットレーゼは細い木の棒を持っていた。勝つことが目的ではなく、攻撃を当てることが目的なので威力の高い武器でなくていいのだ。

 

「早速始めるとしようか。薬はこれになる。どろりとして少し飲みにくいかもしれないけど我慢して飲んで」


 小瓶をキットレーゼに渡す。

 渡された小瓶を逆さにして、口の中に入ってくる粘性の高い液体をキットレーゼは目をぎゅっと閉じて飲み下す。

 薬が喉を通り一分経つと、キットレーゼの体中から薄紫の煙が湧き出した。

 

「これは物質化する前兆でしょうか?」

「そうみたいだね」

 

 体から出た煙は空気中に消えることなく、一箇所に集まって紫色の粘液の塊となる。そこからなにか人の形をとろうとして取れない、そんな中途半端な物体となった。

 裕次郎とハインドにとっては少し気持ちが悪いといった外見だが、キットレーゼの顔色は悪くかたかたと体を震わせる。


「坊ちゃま、大丈夫です! 私が盾となりますゆえ、隙ができたら叩いてください。坊ちゃまには指一本触れさせはせんぞ!」


 粘液とキットレーゼの間に入り、盾を構えて仁王立ちになる。

 粘液は犬が動くのと同程度の動きを見せて、キットレーゼに近づこうとする。


「させるかぁっ!」


 ぺちゃんと盾に音を立てて、粘液がぶつかった。

 防がれた粘液は一度離れて、キットレーゼを狙うように円移動していく。それに合わせてハインドも移動していく。


「坊ちゃまの教育係兼世話役の私を抜けると思うな」


 近づこうとして盾に防がせるといいったことを繰り返す。繰り返しは十分以上続けられた。

 その間キットレーゼは顔色が悪いままだった。そんなキットレーゼを急かすことなく、ハインドは守りに徹する。そして時間が過ぎて、粘液は空気中に溶けるように消えていった。


「今回はこれまでですか。それほど強い相手ではありませんでしたね」

「ハインド」


 ハインドの後ろにいるキットレーゼが恐る恐る声をかける。視線はハインドに合わせることができず下に向いていた。


「どうされました? どこか怪我でも!?」

「動けなくてごめんなさい」

「そのことですか。気にせずとも大丈夫です。怪我などしていませんからね」


 どこも異常なしと示すように、腕を回したり軽く跳ねてみせる。


「叩かないと駄目なんでしょ?」

「そうなのですが、誰だって最初から上手くいくわけではないかと」

「……うん」


 落ち込んだように視線を下げたまま頷く。

 休憩しましょうと言い、盾を裕次郎に預けてハインドはキットレーゼの手を取って部屋に戻る。

 

「どうだった? っていってもあの様子だとなんとなくわかるんだけど」


 セリエはレシピを持ったまま、視線をリビングに入ってきた裕次郎に向ける。


「駄目だったよ。キットレーゼは一歩も動けなかった。俺たちにはただのスライムもどきにしか見えなかったんだけど、キットレーゼにはなにか怖いものに見えてたらしく、ずっと震えていた」

「そうなんだ……恐怖を克服できると思う?」

「どうだろう? あの様子だと無理な気もする」


 動けずとも立ち向かう気概を見せていれば、希望もあったが欠片もそういった様子は見えなかった。正直、今の状態だと何度繰り返そうが同じだと思えた。


「傷を外に出す薬の後に、記憶を封じる薬を飲んでもらって叩きのめしてもらうのはどうかな」

「なんとなく駄目な気がする。でも明確に理由を説明できないんだよね。俺が間違ってるかもしれないし、一度やってみようか」


 そのまま雑談やフォーンに薬の作り方を口頭で説明していていると、ハインドが飲み物を取りに出てきた。


「薬の二重使用ですか」

「セリエと話してて、それはどうだろうってね。やる気がないなら意味がない提案だけど」

「私としてはやってみたいですね。坊ちゃまに聞いてみます」


 お茶を入れて部屋に戻っていく。

 飲み終えたカップをキッチンに持ってきた時に、ハインドは挑戦してみることになったと告げる。

 ならば夕食前にやってみるかということになり、裕次郎たちは再び遺跡を出る。薬は二つとも余っていたので、作る必要はなかった。

 トラウマを外に出す薬を飲み、出た煙が形になる前にキットレーゼは記憶を封じる薬も飲む。


(どうなるかな)


 腕を組み様子を見る裕次郎は胸中で呟く。実行している様子を見ても上手く行くという考えは湧かない。

 その予感の答えが目の前で披露された。

 数時間前に見た形をとろうとした粘液が、急に煙となって消えたのだ。


「どういうことです?」


 ハインドが不思議そうに裕次郎を見る。


「……二つ推測ができる。一つ目は薬同士が効果を打ち消した。両者に成分を相殺する材料はないから、あってるかわからない。もう一つは、記憶を封じたから消えた。つまり傷は体外に出たけど、完全に出たわけじゃなくてキットレーゼと繋がっていたのかもしれない。記憶を封じたせいで、その繋がりが薄くなり粘液は明確な形を保てなくなった」


 そのどちらかだろうと言う。答えは後者だ。これを薬師としての感覚で感じ、失敗するだろうと予想していたのだろう。


「どちらにしろこの方法は駄目ということですね。時間が傷を癒すのを待つしかないのでしょうか」


 不思議そうに首を傾げたキットレーゼに、ハインドは弱い笑みを向ける。

 二人はそのまま少し散歩することにして、遺跡から離れていく。

 キッチンに姿を見せた裕次郎に、セリエは結果を聞く。それに首を振り、推測した理由も話す。

 

「打つ手なしって状態? すごく困っているでしょうね」

「だろうね。手はもう一つだけあるんだけど、常用なんてできないしね」

「ちなみにどんな手?」

「森の民の秘薬を作るんだよ。あれって魔力を回復するから」

「それなら血を飲まずに魔力の補充はできるか。材料が手に入りにくそうだし、たしかに常用なんて難しそうね」


 この先どうするんだろうなと二人で話しつつ、キットレーゼたちが戻ってくるのを待つ。

 翌朝、ハインドは朝食後に再度薬を使わせてもらえないか裕次郎に頼む。


「俺たちは使わないから余りは自由にしていいけど、再挑戦するんだ?」

「それしかないかと。何度かやって駄目なら時間の流れに任せることにしました。薬はあと何回分あるのですか?」

「二回かな」

「では今日中に結果がでそうですね」


 小さく頷き、早速一度目の挑戦をすると言い、キットレーゼを呼びに行く。

 結果は同じだった。キットレーゼは動けず、ハインドが防ぐだけだった。その結果にキットレーゼは申し訳なさそうにしていたが、ハインドは笑みを絶やさず、頑張れといったことは言わなかった。ただただキットレーゼを信じ、微笑むだけだ。

 昼食を食べて、ヴァインたちと昼寝した後に二度目の挑戦となる。

 これで最後とハインドは心の中で呟き、薬をキットレーゼに渡す。


「再挑戦です。これまでのように私が守ります。坊ちゃまは動けたら動いてください」

「……うん」


 頷き相変わらず飲みにくい薬を覇気など感じさせずに飲む。これまでと同じく一箇所に集まった煙が、粘液へと変わる。


「私のやることはいつもと同じ。さあこい!」


 盾を構えたハインドの後ろで、キットレーゼが震えだす。

 これを見て裕次郎は今日も駄目かなと思う。

 一分五分と時間が流れ、変化はない。ただハインドが粘液の接近を防いでいるだけだ。

 変化は起きた。偶然なのだろうか、移動している時にハインドが足下の小石を踏みバランスを崩したのだ。注意がそれた隙を粘液は見逃さずキットレーゼへと向かう。


「ひっ!?」


 逃げることすらできず、目の端に涙を浮かべ、その場に止まることしかできないキットレーゼ。持っていた棒は地面に落としてしまっている。


「させるか!」


 その接近を、盾を放り出したハインドが間に割り込むように体で止める。もつれあうように両者は地面に転がり、ハインドは顔を塞がれ呼吸できずに苦しげな様子を見せている。


「ハ、ハインドから離れろーっ」


 苦しげな様子を見たキットレーゼが、目の涙を溜めたまま倒れているハインドに近寄って力なく粘液を叩く。

 威力など皆無の平手打ちだったが、粘液はとても威力が高い攻撃を受けたように急いでキットレーゼから離れた。

 立ち上がったハインドは粘液には目もくれず、キットレーゼの手をとる。


「坊ちゃま! 攻撃できましたね! 一歩前進ですよ!」

「え? あ……できた?」


 無我夢中で、恐怖を忘れていたのだ。ハインドの苦しむ様を見て、助けないとという思いで頭が一杯になり、体が勝手に動いた。

 偶然でも明確な意思がなくとも、攻撃できたということにかわりはなく、キットレーゼから粘液に対する恐怖が薄れていた。

 まだ怖いし体も震える。けれど動けるようになった。恐怖克服への道が開けた。

 その後も一回叩いて、薬の効果が切れる。こうなれば後は簡単だ。何度かの薬使用で、血が飲めるようになるだろう。

 薬がなくなったのでキットレーゼたちは屋敷に戻る。屋敷に帰ったキットレーゼからの快報に、屋敷は沸いた。

 礼として裕次郎たちを屋敷に招こうという話が出たが、かぶりつきたくなるほどの魔力持ちとハインドから知らされ、恩人の血を吸い尽くすことになると大変ということで中止された。


「当主様からも感謝を伝えるよう託っております」


 薬を受け取りに来たハインドから屋敷の様子と礼を伝えられる。今日はキットレーゼは来ていない。


「礼としてできるかぎりの望みを叶えると言っていましたが、なにがよろしいでしょう?」

「礼かぁ、難しいな」

「そうね、町とかで暮らしているとお金でよかったんだけど、今の暮らしでそんなものもらってもね」


 金貨銀貨でさえ、邪魔でしかない。宝石でも似たようなものだ。セリエは宝石で着飾る趣味はない。


「この生活で価値があるものがいいよね。食料は賢狸がいればどうにかなりそうだし、必要でかつ入手が難しそうなもの……」


 考える裕次郎の視線が、テーブルの上にあるパウンドケーキで止まる。ハインドがお土産に持ってきたのだ。ドライフルーツの入った少量の酒がふわりと香るなかなかのケーキだった。


「知識? 知識がいいな。この前教えてもらったお菓子のレシピとか、あとは農業園芸の知識もあったら助かる」


 既にゴブリンたちと農業を始めているが、実際にやると改めて裕次郎自身も含めて誰もが素人とわかった。簡単な手ほどきでも書かれた本があるとすごく助かるのだ。


「たしかにお金もらうより、そっちの方が嬉しいわね」

「知識ですか。わかりました。園芸の方は坊ちゃまも力になれると喜ばれることでしょう。お礼がしたいと言っていましたので。ほかになにかありますか? 知識だけだとお礼には足りないかと」

「そう言われても……そういやセリエ」

「なに?」

「剣のストックってまだ余裕ある? ないなら何本かもらったらいいと思う」


 賢狸に頼めば届けてくれそうだが、こちらに頼んでもいいかなと思う。


「あれば助かるけど、いいの?」

「それくらいしか思いつかないよ」


 裕次郎のブーツも攻撃に使っていて替えが必要ではとセリエは思うが、今のところ職人の整備すら必要ではないのだ。


「どのような剣が所望ですか?」

「ちょっと待って、見本になるようなものとってくる」


 席を立ち、部屋からサイズ的にちょうどいい剣を取ってくる。それを持っていってもらえば集めやすいだろう。裕次郎から買ってもらったものが一番適しているのだが、それを預ける気はない。


「この剣と似たサイズのものですね。ではそろそろ帰ろうと思います。最後に当主様から託ったもう一つの伝言をお伝えします。困った時は声をかけてくれと。これは私たち家臣一同同じ気持ちでございます」


 そう言ってハインドは一礼する。

 席を立ち。薬と剣を持ってハインドは帰っていった。


「あ、聞いてみたいことあったのに。忘れてた」

「大事なこと?」


 裕次郎は首を横に振る。聞きたかったのは最後と思って薬を飲んだ時に、小石を踏んでバランスを崩したのはわざとではないかということだ。それまでも地面に小石はあった。だが踏むことは一度もなかった。最後にミスを起こして危機となり、キットレーゼが動くことができた。考えてみると出来すぎじゃないかと思えた。


「あれがわざとだと主の子供を謀ったってことになるんだよね。俺はよくわからないけど、ハインドみたいな職についている人ができるのかな」

「……そういう立場にあっても個人としての意思が完全になくなるわけじゃない。どうしても治ってほしくて演出してみせる可能性はある、かもね」


 真相はハインドの胸の内だ。

 キットレーゼは血を飲めるようになり、いい方向に転がったのだから波風立てない方がいいかと、その後も聞くことはなかった。

感想ありがとうございます


》魔力量を上げる魔法薬はないんでしょうか

あるにはあるけど、この世界で魔力量を上げるということは寿命を延ばすと同義語なので、必要材料がとんでもないことに

例えば上位竜の心臓とか


》それゆえに自分の中の好意もうまく表現できないんだろうなぁ、にやにや

表現できた時の破壊力は、裕次郎を一発KOするかも?


》二人の距離が着実に距離が近づいていますね

近づいてますね。あとは前の感想にもあったけど、もう一押しってところ


》フォーンの行動が三角ハート3の妖狐にみえる自分は末期なのだろうか

あれには敵わないと思われる


》ゴブリン→竜の子→狐→狸→精霊と着実にエンカウント率が上昇中

もう少しほかの魔物ともエンカウント予定です


》裕次郎って普通にエロい薬とかも作れますよね

できますね。作るのは裕次郎じゃない予定


》アルジャーノンに花束を

あの薬も頭をよくするものでしたね。同じではないので安心してください

というか真似できないし


》このまま魔物の間に名声が広がると

行き着く先はどうなることやら、現時点で明確には決めてないんですよね


》神無の世界からトナさんの小説読んでるけど~

狙い通り! なわけないです。好きになってもらいありがとうございます


》人間社会に復帰する機会はありますかね

どうでしょう? もう少し先の話で裕次郎とセリエ的にはもうここに定住してもいいなと思ってますね


》ドライアドさんは薬を定期的にとるみたいですが~

弟子が作る予定とだけ

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