24 逃亡生活 前
タンター家に戻ると、すぐにメイドが二人をヨムルンゾの執務室に連れていく。帰ってきたら連れてくるように言われていたらしい。
部屋の中には硬い表情のヨムルンゾ、アガルタ、フレイドがいた。
「お帰り。呼び出して申し訳ない。旅がどうだったかと聞きたいところなのですが、至急知らせなければならないことがありまして」
ヨムルンゾの口調は表情と同じく、重く硬い。
「知らせなければならないこと?」
厄介事かと思ったが、それにしてはヨムルンゾに不都合あるようには見えない。契約書が作動していないので、厄介事ではないのかと思う。
「サワベ殿に生死問わずの手配書が出されたのです」
早馬を使い、ヘプシミン各地へとそれがばら撒かれたらしい。似顔絵つきの手配書で、ヨムルンゾの手元にもある。情報を元に書かれたもののようでそこそこ似ているのではという絵が描かれている。
『……は?』
いきなりの言葉に意味がわからず裕次郎たちは首を傾げた。それに無理もないと三人は頷いた。三人も報告を受けたとき驚いたものだ。
「なんでそんなものが出たのか、本当に自覚がないんですけど」
「それが出た経緯を聞きますか?」
もちろん聞くと裕次郎は頷く。聞いたところで納得はできないだろうが、聞かずにはいられない。
「少し前に王の側室が流産を原因として死んだのは知っていますか?」
「噂には聞いたっけ」
温泉のある町で、聞き流したことだとセリエが頷いた。
「その死因が薬によるものとなっているのです。城の薬師が用意したものではなく、家族に頼んで独自に手に入れたものを飲んだらしいです。それが本当かはわからないんですがね」
側室の子とはいえ王族の血を継ぐ者だ、生まれることで現在の城内勢力図に変化が生まれ、不都合を感じる貴族は少なくなかった。誕生を阻止するために、危険とわかっていても殺害手引きした貴族がいるのではと見ている。
側室周辺の関係図はヨムルンゾにはわからず、犯人の想像はつかなかった。
わからなくて当然だ。実のところ事故なのだ。殺したいとは思っていたが、タイミングを掴めず誰も手を出してはない。
ならばなぜ死んだか? それはアレルギーだ。妊娠で情緒不安定になり、少しでも気分をマシにするためハーブ系のお茶を家族に調達してもらい飲み、城の薬師から体を整える薬が出され飲んだ。それが体内で合わさり、偶然アレルギーを引き起こした。そんなところに地雷があるなど、誰もわかるわけはない。死亡は不幸な事故だった。
原因がわからず原因解明が長引いた間に、誰かが毒を盛ったのではと城内で毒殺説が流れ出したのだ。
それまでの人間関係的にも事故死より、暗殺と見た方が納得できるもので、誰もがその方向で考えている。王ですら同じだ。
「貴族たちは側室と子供が死んだ責任を被せる生贄を求め、それにサワベ殿が選ばれてしまった可能性があります」
「サワベ殿は現在評判の高い薬師です。そば仕えや近くにいる貴族から側室の耳に入ってもおかしくはありません。関心を引き、家族に頼んで取り寄せるように唆し、偽の薬を渡したといったことも考えられます」
フレイドがヨムルンゾに続いて考えを述べる。
契約書が効果を発揮しなかったのはここにある。厄介事の原因がヨムルンゾにないのだ、効果がでるはずもなかった。
群れる影犬の残党が裕次郎犯人説へと働きかけたのは間違いない。裕次郎たちはそれに気づいていないが。
いつまでも犯人が見つからないことに王の苛立ちが募り、焦りを大きくしていった貴族にとっては群れる影犬からの提案は渡りに船だった。すぐに没落貴族に首謀者にならないか持ちかけ、家を潰すかわりに借金を帳消しにして金銭も持たせて国外へと逃亡させた。一族の身代わりをよそから連れてきて処刑してみせ王の機嫌を取り、あとは濡れ衣を被せた裕次郎を捕まえるだけとなっている。
「手配を解くには、どうすればいいと思います?」
「側室の死に関連した貴族を見つけて、情報を吐かせて王の前に出す。これしかないかと」
裕次郎は自分には無理だとすぐに判断する。現状で城に行けばそのまま捕まり、処刑だと簡単に想像できる。既に薬が裕次郎作という偽の証言をする者も用意されており、城に行けば弁解する暇もなく想像通りのことが起きるだろう。天下無双などの飲んで暴れると死にはしないだろうが、今度は大陸中に手配書が出る。
問題なく城に行けるのはヨムルンゾだが、アガルタを助けたとはいえそこまで期待はできない。裕次郎たちを捕らえずに逃がす時点で無理をしているともいえる。
貴族同士の争いならまだどうにかなるが、王族がからむとヨムルンゾには手出しできない。
「この国から逃げた方がいいってことか」
「そうですね、それが一番かと。馬車の改造は終わってます。すぐにでも出ることができます」
「セリエ」
どうすると裕次郎はセリエを見る。手配書を見るかぎりでは探されているのは裕次郎のみで、セリエについでは同行者に女がいるという情報のみだ。ここで裕次郎と別れたら追われることはないだろう。
ついてきてもらいたいが、無理はさせられない。それでも一緒いたいと期待してしまう。
「言わなくてもいいわよ。ついていく。あちこちとぶらつく、そんな生活には慣れてるし」
恩返しにはちょうどよいと、仕方ないわねと苦笑を浮かべて一緒に行くことを告げる。目的である安住の地を探すということからは遠のくが、なんとなく離れる気も起きなかった。
「逃げるとしたら南の方がいいかもしれません」
「南? 国外に出るなら北のライトルティの方が近いけど」
「ですからそちらに逃げると思って兵が待ち受けている可能性が」
「それは確かに」
南は南で王都方面なのだ。兵も多かろうと頭を悩ませる。
「悩む時間はあまり多くはありません。どこからかアガルタの完治がばれたらしく、ここにサワベ殿がいるのではと確かめにくるらしいのです」
「考える時間もないのかぁ」
人の口に戸はたてられない、それを実感している。
すぐに動くことを決めて、部屋に置いていた荷物を持って馬車まで案内してもらう。
受け渡しをスムーズにするため、アガルタが同行する。
「手配書が解けるようにどうにか動いてみるつもりです。できるかどうかはわからないので、期待は高いものではありませんが」
「やってもらえるだけでもありがたいですね」
ヴァインを馬車に繋ぎ、裕次郎たちは馬車に乗り込んだ。
セリエは車体の中で見慣れない箱を見つける。
「ああ、それは長旅用に急遽入れられた収納箱です。見た目よりも多くの物を入れられる魔法がかけられているんだとか。手配書のことを聞いて急いで準備したんです」
多く入れられるだけで食べ物を入れても消費期限が延びるわけではない。それでもスペースの節約になるのでありがたい品物だ。
「こんなものまでありがとうございます」
「こちらこそ病気を治してもらいありがとうございます。平穏な生活ができるよう祈っています」
「最後にできたらでいいんですが頼みを聞いてもらえませんか?」
「できることでしたら」
「王都の東にセーゲントという村があります。そこの二匹の狐という宿の人と仲良くしていたんですが、その一家に無実だと知らせてほしいんです。手配書を信じている可能性はあるんですが、信じていなかったら心配していると思うので」
手配書が出たのだ信じていても仕方ないと思う。寂しくはあるが。
「手紙でもかまいませんか?」
「はい」
アガルタはわかりましたと頷いた。
感謝の思いを抱いて裕次郎とセリエは、アガルタに頭を下げてリピークスを出る。最初はアガルタからの頼みがあり北に向かう。ある程度進んで進路を西に変える。
二人が出た一時間後に、王都からいるかどうかを確かめるための使者がやってきた。
怪しまれないためヨムルンゾは正直に答え、北に行くらしいと一度だけとぼけた。アガルタからは西に行くと聞いており、少しでも時間稼ぎになればと思っていた。
捕まえなかったことの叱責と罰はあった。だが恩人を逃がしたことで受けた罰だ、誇りすら感じていた。
「これからどうしようか?」
町を出て三十分ほどして、どこに行こうかさっぱり思いつかないセリエが尋ねる。
「ほんとにどうしようかねぇ」
セリエの問いに困ったと表情を歪めて裕次郎は答える。
国内の町や大きな村で様子見というのは思いついて即却下した。王族殺しとなればあちこちへと情報がばら撒かれ探されているだろう。よほど僻地の村でなければ追い回されるだけだと二人は考える。
「そこらの森林とかで隠れつつ、国外へってところかな」
「国外に行くなら食料も集めないとね」
町などでいっきに購入できないので日頃の貯蓄が大切になってくるだろう。
「狩りとかで集まるといいけど」
「そこらへんは大丈夫でしょ。狩った時余って捨てたこともあるくらいだし、それを冷やして保存の魔法をかければ貯蓄できるわ。どこにでも動物はいるものだしね」
魔物でも食べることができるものはいる。一見危なそうなものでも毒を抜けば大丈夫なものもある。何が駄目で何が大丈夫かはセリエがよく知っている。
方針を決めてさらに西へと進み、一日経つ。
林から出て道などない場所を移動していると、ヴァインがなにかを見つけたように左を見る。
「魔物かな? セリエ、ヴァインが左の方を気にしてる」
車体から出たセリエは、御者台に身を乗り出して、ヴァインと同じ方角を見る。その方角には森の縁があり、向こうは見えない。一分ほどして、木々の向こうから同じ方向に進む、馬に乗った集団を見つけた。
四人の騎兵で、胸にはどこかの紋章が刻まれている。彼らは裕次郎を探すために貴族が派遣した私兵だ。それに二人は気づくはずはないが、警戒はする。
「兵か、まずいかな」
「たぶんね」
セリエは表情を険しくして、車体に引っ込んだ。古い方の弓をそばに置いて、水の補助薬を取り出し、いつでも使えるように準備をする。
「いきなり速度上げたら怪しまれるかな」
「確実に怪しまれるだろうけど、近づかれてばれるのも問題があると思う。かといっていきなり引き返すのも怪しいし」
「逃げつつ馬に攻撃を加えて追えないようにする?」
セリエの準備を見て、考えを予測してみる。
「そのとおり」
兵を殺すことも考えたが、余計な騒動を起こしそうなのでそれは止めて、口に出すこともしなかった。
裕次郎は裕次郎で捕まえて情報を聞き出したく思っていたが、薬の準備ができておらず言わずにいた。
それじゃあ逃げますかとヴァインに速度を上げてもらい、騎士たちの前方に出る。確認のため近づこうとしていた騎士たちは警戒心を上げた。
「そこの馬車止まれ!」
「止まらぬと攻撃する!」
「止まれと言われて止まる馬鹿はいないのですよ」
聞こえてきた声に裕次郎は返す。それが聞こえたのはセリエとヴァインのみだ。
同時にセリエが氷の飛礫で馬たちを攻撃する。皮膚に食い込む鋭い氷の欠片に馬たちはいななき暴れ、足を止めようとする。四人の騎士のうち二人は地面に落ちて、残り二人は上手く制御し馬車を追う。
「問答無用か! 行くぞ!」
「おうさ!」
騎士たちは声をかけあい、槍を持ち剣を抜き、馬の速度を上げる。
そこにセリエが弓を放ち、馬の前足の付け根に命中させた。剣を持っていた方はそれでリタイアだ。
「すまない! これ以上は無理だ!」
「わかった。俺一人で行く」
「頼んだ!」
セリエはもう一度矢を放つが、その騎士の腕はそれなりにいいのか、馬を少し蛇行させつつ槍で矢を弾く。
「もう一度飛礫かな」
矢は当たらないだろうと思い、魔法で対処することにする。
「氷の飛礫!」
「なんの!」
飛んできた氷を槍を振って数を減らし、馬の動揺を減らす。
「裕次郎、一人しぶといのがいるんだけど、どうすればいいと思う? 矢も氷も防ぐんだけど」
「驚かせて、その隙に矢を当てるとかは」
思いついたものを言ってみる。
「驚かす……やってみる」
驚かす方法としては意表を突くというのが効果的だろう。既に攻撃をしかけた状態で、どんなことが意表をつけるのかと考える。大声を出すのは無意味だろう。隠れた状態でいきなり声をかければ驚くが、この場でやっても意味はない。なにかが不意に飛んでくるのはどうだろうと思う。
「矢を飛ばすのは論外として、並大抵のものだと避けられ防がれおしまい」
セリエが悩み、攻撃の手が止まったことを好機と見て、騎士は馬の速度を上げる。
早まった足音で、悩んでいる暇はないと何でも飛ばしてみようと馬車の中を見渡す。防がれるような物や飛ばすにはもったいない物は除外し、毛布と小麦粉まで絞る。
「毛布は寒い時にないと困るから、小麦粉でどうだっ」
袋詰めされていた小麦粉の中身を何度も馬車後方に掴んでばら撒く。
白煙の向こうから咳き込む音が聞こえ、真っ白になった騎士と馬が姿を現した。セリエは今のうちにと弓矢を手に取り、姿を見せた馬へと矢を放った。
見事命中し、馬は走ることを止めた。すぐにその姿は小さくなっていき、見えなくなる。
「今度から砂でも準備しておこう」
両手をはたいて小麦粉を落とし言う。また小麦粉をばら撒くといったもったいないことはしたくない。
ちょっとした教訓を得て、裕次郎たちは進む。
速度を落として、一時間ほど進んで休憩のため林の中で止まった。
「これだけ進めばまず大丈夫かな」
「とりあえずはね。野宿はもっと先の別のところでした方がいいと思う」
馬が落ち着けば追っ手は出すだろう。最初に脱落した二匹の馬の怪我は重いものではないのだから。
「休憩は三十分もなしで?」
「うん」
「じゃあ、ヴァインのことお願い。俺は薬の材料ないか探してみる」
わかったと櫛と疲労回復薬を取り出し、ヴァインに近づいていった。
裕次郎は籠を持って、周囲の材料を片っ端から集めていく。いつもならば簡単に区別して入れていくのだが、採取を優先させたため整理は後回しにしている。籠一杯につめた材料を、水でいっきに洗い流して、乾かした。
御者はセリエに代わってもらい、移動しながら選別していく。効果の高いものを選んで保存の魔法をかけていき、効果の低いもの使いそうにないものを一まとめにして水分を抜く。焚き火の燃料にでもなるだろうと袋に入れて簡単なクッションにした。
貴族はそれなりの私兵を動かしているようで、最低でも一日に一回は兵に遭って逃げることになる。傭兵や冒険者にも情報は出ているのだろうが、運良くまだ出会っていない。
何度も逃げていれば慣れてくるもので、砂を撒いて目潰ししたり、いらない毒草を燃やして煙を浴びせたりと捕まることなく逃げていく。時々少数で追ってくる者もいるため、それは薬を使い捕まえて身包みはいで役立つ物を手に入れた後、情報を聞きだして捨てる。
最大の戦利品はここらの地図だろう。簡単なものとはいえ、どこにいけばなにがあるかわかるのはありがたかった。次に役立ったのは携帯食や調味料で、その次は予備として使えそうな武具。一番の役立たずはお金だった。
兵の方は慣れることはできずに簡単に引っかかっていく。それは貴族同士で情報が届いていないからだ。裕次郎たちらしき人物がいたという連絡は出すのだが、その使者と裕次郎たちの移動速度がたいしてかわらず、情報が届いた頃には通り過ぎていたりする。伝書鳥で知り合いに情報を出した者もいるが、散らばった兵に情報を伝える前に通り過ぎられたりして、上手く連携がとれず捕らえることができないでいた。
逃げた方向だけでもわかってれば、裕次郎たちが逃げ出した時点で大急ぎでその方面に連絡を出し捕縛線を敷くこともできたかもしれない。そこはヨムルンゾのファインプレーだろう。
逃げ始めて十日経ち、二人は疲れなど見せずに元気に移動している。苦労しているという気がないので、追われることで生まれそうな精神的圧迫がない。
無管理地帯を移動している日々と大して変わらず、雪が降っていないだけまだましなのだ。
食料も野宿する森などで十分手に入る。偏りはあるが、薬の材料知識で食べて問題ない植物もわかったため、今のところ栄養不足になるといったこともなかった。
「今日もまた逃げ切りましたっと」
後方を確認し、兵の姿が完全に消えたことをセリエに言う。ついでに空模様が怪しいことも。
セリエも空には気づいていて、経験上一雨きそうだと雨宿りすることを決めた。
「あっちに見える森に入るわ」
「あいよー」
セリエはヴァインに合図を出して、進路をやや南に変える。
二十分弱で到着し、速度を落として森に入る。遠い空からは雷音も聞こえだしている。音が鳴る度にヴァインは耳をピクピクと立てたり折ったりしている。
少し進むと雨が降り出し、雨粒が強く地面を叩く中セリエは木々の向こうに洞窟を見つけた。馬車ごと入るのは無理だが、二人と一匹で入るには問題なく、馬車を入り口につけてヴァインを馬車から放してやり、一緒に入る。
薄暗く明かりをつけて、布で体を軽く拭いていく。
「これ足跡じゃない?」
ヴァインの足を拭いていた裕次郎が地面に、ちょっとした凹みを見つける。セリエもしゃがみ確認した。足跡は奥へと続いている。
「暇だし行ってみる?」
「そうね、この雨の調子だとここで一泊なんてこともありうるし、安全の確認はしておきたいわ」
ヴァインの背を軽く叩いて、行こうと誘う。
二人と一匹は、魔法の明かりを前方に出して奥へと進む。少しだけ下り道の一本道で魔物もいない。五分ほど進んだ彼らは広い空間に出る。視線の先には古ぼけた家があった。広さは少し前まで世話になっていたヨムルンゾの屋敷より小さい。だが一般人には広すぎるだろう。天井には穴が開いているようで、ぽつぽつと雨が屋根に落ちている。誰かいるのか、窓の奥には明かりが見えた。
裕次郎の頭には、国の秘密研究所、山奥の幽霊屋敷、盗賊の隠れ家といった想像が駆け抜けていった。だが現状でどれか当てはめることはできず、首を捻るしかない。
「なんだろここ、さっぱりわかんないな」
「私もよ。問題ないなら、それにこしたことはないんだから、軽く調べて戻りましょ」
セリエが歩き出し、ヴァインも続く。
扉に手をかけるとギギギと耳障りな音を立てて、開いた。
玄関近くには明かりはついておらず、魔法の明かりが薄暗く静かな屋敷の中を照らした。埃が積もっているということはなく、ある程度手入れされている状態だ。
真正面には、なにかシンボルなのか二重丸に斜めの一本線が走っている木製の飾りがある。
裕次郎はホラー映画や漫画を思い出し、想像力がかきたてられる。暗闇の向こうからなにか恐ろしげなものがでてきそうで、背筋を冷たくする。
セリエやこの世界の人間は幽霊の存在すら知らないので、ホラー的なものは感じていない。
この世界で魂は未練があろうが死んですぐに月へと上がり、世界を流離うことはないのだ。だから幽霊を見たという者はいない。
「なにかしら、あれ」
「俺も見覚えはないよ」
「飾りなら絵とか置くわよね。玄関先に置くのは、飾りのほかにその家を象徴するものとか? だとするとこれがここを象徴するものなんて可能性もあるのかしら」
考えても仕方ないと明かりが見えた方向へとセリエは歩き出す。置いていかれないようにと裕次郎とヴァインもその後ろを歩く。本当に静かな家で裕次郎たちの足音くらいしか聞こえない。
これだけ静かならば玄関を開ける音は、よく響いたはずで人がいるならなんらかの反応を見せてもおかしくない。それがないことにセリエは不思議に思い、裕次郎はビクビクとしていた。一度怖い想像するとそれが消えてくれない。
「ここ、雰囲気あるよね」
明かりの届かない暗闇を見つつ裕次郎が言う。
「雰囲気? どんな?」
「どんなってホラー的な?」
「ほらーって言われても、初めて聞く言葉だからなんのことだかよくわからない」
「怪談のことだけど」
「階段? なんで急に階段のことなんか。ここで階段的なって言葉も意味がわからないし。岩の並びが階段的とは言うかもしれないけど」
「いやそっちの階段じゃないよ!」
言葉の違いに気づき、恐怖心を忘れて思わず裏手突っ込みで肩を叩く。
「怖い話の舞台になりそうな場所だねって言ってたんだよ」
「怖い話ねぇ。私そういうの知らないから」
「ううー」
「怖いなら一人で出てる? すぐに終わらせて私も戻るわよ」
いつもとは違う様子の裕次郎を心配するように言う。
「いや、一緒に行くよ。こういう雰囲気になると、洞窟で待っていても変な想像しかできなさそうだし」
怖さを紛らわせるためヴァインの背に手を置く。
駄目そうならすぐに戻ろうと決めてセリエは歩き出す。近くにあった扉を開けた。
「ここはキッチンね」
使われた食器が水に浸けられており、ここに誰かいるのは間違いないらしい。
棚に置かれた食器や保存されている食料を見ていると、ヴァインが扉の方を見る。風もないのに勝手に動いたのだ。
「な、なに?」
ぎゅっとヴァインの毛を握り、それにヴァインは抗議するように小さく鳴いた。
ヴァインの鳴き声に反応したか、人のものではない小さな足音が扉の向こうへと遠ざかる。
「なにか猫か小型の魔物でもいたのかしら」
「どうなんだろ」
「ここにはなにもないし次に行きましょ」
勝手に開いた扉を通り、次の部屋に向かう。客室なのかソファーやテーブルのあるなんのおかしくもない部屋だ。ここもほどほどに掃除されている。
「民家っぽい感じがするわね」
「こんな場所に民家ってのも怪しいんだけど」
「そうなのよね。隠すように建てる理由でもあるのか」
次に行こうと部屋を出て、斜め前にある部屋に扉に手をかける。外から見て明かりのあった部屋だ。
扉を開けると、海やプールに置くような寝そべることのできる椅子に座った人がいた。六十ほどの老女で、裕次郎たちが入ってきても反応を見せず、動かない。
「死んで?」
「いや、寝てるだけみたいよ」
ゆっくりと呼吸を繰り返し、動く体を見てセリエが答える。
セリエは老女の体を揺すり動かす。老女は目を開いて、セリエたちを不思議そうな顔で見た。セリエの耳にも視線が行くが、嫌悪感などは見えなかった。最近は町に寄らなくなったので耳を変化させず、そのままにしていたのだ。
「あらま、珍しい。お客様? すみませんねぇ、一度寝ると物音くらいじゃ起きなくて」
「客というわけではないんですが。雨宿りで洞窟に入り、奥が気になって来てみたらこんな建物があって気になったというだけだですし。勝手に入った非礼は詫びます」
「たしかに隠すように建っていたら気になるわね」
ほほほと笑い、お茶でもいれましょうと言ってキッチンへと歩いていく。
十分ほどして、トレイを持って戻ってきた老女の横には黒毛の猫がいた。扉が勝手に開いたのは猫の仕業なのだろうと、裕次郎は理由がわかりほっと息を吐く。
「茶菓子の用意まではできなくて」
すみませんねと言いつつ、冷えた緑茶のようなものを二人の前に置く。ヴァインにも深皿で同じものが出された。
それに口をつけておかしな味と裕次郎たちは思う。
「ここってなんなのですか? お婆さんの別荘と言われても一応は納得しますが」
「ここは隠された礼拝堂ですよ。平原の民が信仰する法の神や自由の神とはまた違ったね」
「森の民や山の民が信仰する神の礼拝堂ってことですか?」
裕次郎の問いに首を横に振る。
「言い方が悪かったかしら、そういった主神とはまた別の神を信じる人が建てた場所なのよ。破壊地震の前からあるらしいわよ」
「古いですね」
「ええ、古いわね。時間が経つうちに忘れ去られた場所でもあるのよ」
「なんていう神なんですか?」
「私はオードリエと呼んでいるわね。知り合いはバッフルントだったりチュラベータだったりするわ」
「どれが正しいんです?」
「どれも間違ってて、ある意味正しい」
意味がわからないといった表情の二人に、仕方ないわよねと小さく笑みを浮かべた。
「名前を呼んではいけないことになっているのよ。本当の名前は知っているけど、自分たちが勝手につけた名前で呼んでいるの。だから人によって呼び名がかわる」
「なるほどー」
名前で呼んではいけないというのは、地球の宗教にもあったような気がして裕次郎は納得したように頷く。
「どうして隠されているんです? 他の宗教に弾圧されたから?」
「そう聞いているわね。それだけではないと思うけど」
「理由を聞いても」
セリエの問いに、にやりと老女は笑みを浮かべた。欲に満ちた笑みだ。
「オードリエ神はこう言っているわ。他者を犠牲にしてこそ幸せが訪れると。そのための秘儀も伝わっている。このような教えは他者には受け入れられないでしょう?」
「えと、まあそうですね」
隠すべきことじゃないかと思いつつ二人は頷く。
戸惑う様子の二人に、老女は笑みを深めた。
「今回の生贄はあなたたちなのさあ! そろそろ毒が効いてくる頃だよ! こんな場所にのこのことやってきた自分たちを恨むんだねぇ」
童話に出てくるような悪い魔女といった感じに豹変し、ひっひっひと笑い声を上げる。セリエに嫌悪感を出さなかったのは、なにもしていないセリエよりも自身が悪党だとわかっているからだろう。
そこにセリエの冷たい声が発せられた。
「盛り上がっているところ悪いけど、この程度の毒なら効かないのよ」
「……なんだって? 強がりはおよし」
「俺って薬師で、毒で一度怖い目にあったんで対策はとってあるんですよ」
どこも不都合ないと体を動かす二人に、老女は顔色を青くした。
「いいいい嫌だねぇ、冗談だよ冗談。最近の若い者は軽いジョークもまにうけて困るわー」
「目が本気だったから。誤魔化せないから」
「ひーぃっ、年寄りをいたぶるつもりかい! この人でなし!」
次から次に変わる態度に呆れよりも、セリエは面白さを感じてきた。
剣を抜いて、刃を突きつける。裕次郎はセリエの表情に面白そうに小さく浮かんだ笑みを見つけ、止めることはしなかった。
「殺そうとした礼はどんなものがいいかしらね」
「ひーっ出来心だったんだよ。ちょっとした気の迷いさ、だから殺さないでおくれよ」
「出来心で殺されてはたまってものではないのよ。ならばこちらも出来心で剣を振りぬいても問題ないわよね」
「や、やめとくれーっ」
椅子から落ちてがたがたと震えだす。
それだけの醜態を見て、満足したのかセリエは剣を引いた。
「と見せかけてぇっ!」
老女は立ち上がり、セリエへと近づこうとしてヴァインの前足に足を叩かれ転んだ。
ナイフやなにか薬を持っているわけでもなさそうで、なにをしたかったのかわからない。
剣を再び抜いて、倒れたままの老女の頭を突く。
「なにをしたかったの?」
「一発叩くだけでもと」
一矢報いようとしたのだろう。つんつんと軽く刺さる剣の感触に震えつつ答えた。
元気な婆様だことと思いつつセリエは老女に声をかけて、椅子に戻す。
「こっちの質問に答えたら、なにもせずに出ていってあげるわ」
「なんでも答えますですー」
失敗したことで反抗する気はなくなったか、表情にも目にも降参の意思がよくわかるほどに現れていた。
「秘儀ってのはどんなものなの? 他人の命を使ってなにかするんでしょう?」
「願いを叶える魔法だよ」
返ってきた予想外の言葉に裕次郎たちはぽかんとした表情を浮かべた。それを見て老女は笑う。
「といっても簡単になんでもかんでも叶うわけじゃない。それなりに細かい取り決めがあるのさ」
いつの月の朝昼晩のいずれかに、どのような種族の男女どちらかを捧げる、といった具合にきっちりと決めて願いが叶うのだ。
「例えばこれまでどんなことを願ってきたの?」
緊張からかセリエは声音は硬い。もしかすると死者蘇生も可能ではないかと思えていた。再会して願いは遂げたが、一緒にいられるなら一緒にいたいのだ。
「田畑の豊作や死人の肉体を金に変えたりさ」
「もっと別なことを実行した人はいなかったの? たとえば死者蘇生とか」
それが望みかと老女は察し憐れみを持つが、表には出さない。そろそろ寿命が尽きてもおかしくはないほどに生きている老女は、死に別れは誰にでもくると知っている。その別れをセリエが受け入れ切れていないと考えた。
「いたさ。叶うことはなかったけどね」
「どうして?」
「さて、理由はわからないね。いくつもの命を使ったが、ついに死者が生き返ることはなかったと伝え聞いている。死者蘇生など不可能なんじゃないかと伝わっている」
「そう」
残念だと緊張から強張っていた体から力を抜く。
裕次郎も気になったことがあったので問いかける。
「その秘儀って神様頼みなんですかね?」
「そうだよ。命を捧げ、願いを思い、神に祈る。簡単に秘儀の流れを説明するとそんな感じさ」
「命を捧げるなんて非道ですねー」
そう言いつつ裕次郎は別のことを考える。
この世界が作られたものだと知っている裕次郎は、創造主が去っていて神に相当するものがいないことも知っている。現在信仰されている神も人々が生み出したものだとわかっている。それと同じようにここの神も人が生み出したものだろう。そんな虚構の神が願いを叶えてくれるわけはない。ならば秘儀の方法自体が願いを叶えるものとなっているのだろう。習得できるなら習得したいと思うが、誰かを殺してまではとも思う。
「昔々に作られた魔法の一つなのだそうだよ。ほかにも命を使った禁忌とされる魔法はあるらしい。そういった魔法が必要とされた時代はどんなものだったんだろうね」
「どんなでしょうね。行ってみたいとは思いませんが。そういや使う命ってのは動物とかでもいいのかな」
「それは昔の人も考えたようでね、試したらしい。動物も魔物も駄目だったんだとさ」
「へー」
この魔法は、この神を生み出した最初の信仰者が妄想妄執のあまり生み出した産物で、この世界を作る際に使ったシステム的なものに干渉するものだ。魔法を使うにはイメージが必要で、強い妄執妄想がシステムにまで届く魔法を作り上げた。魂が月に移動する際にシステムの誘導を受ける。その時にハッキングを行い、起こしたい事象をシステムに起こさせている。無理矢理で稚拙なハッキングなため、叶う願いに制限があるのだ。天候操作や田畑の土壌環境といったものはどうにかできるが、死者蘇生といったことが不可能なのはこういうわけだ。
最初の信仰者にとっては願いが叶うことで、神の存在証明とする魔法だった。願いが聞き入れられれば神が応えてくれたということで、願いの内容には興味はなかった。だが年月が流れると願いを叶えるという部分が多くの者にとって魅力的となり、神の存在証明などどうでもよくなった。
どんどん願いを叶えて、人を殺しすぎて邪教指定されたのが衰退の原因だ。叶う願いに制限がなければ、王族貴族にとって魅力的になり、根強く残っただろう。個人で使う分には十分だが、大規模な効果を望めない魔法だった。
「聞きたいことは聞けたし、帰ろうか」
「そうね」
二人は立ち上がり、扉へと向かう。
老女としても二人にはさっさといなくなってもらった方が安心なので止めない。
「ああ、そうだ。金は出すんで、食料とか貰ってっていいですか?」
「いいけど、全部は困る」
「どれくらい持っていっていいか、一緒に来て教えてください」
お金をもらえるなら断ることはないと立ち、キッチンに向かう。
「しかしそんなもの村とかで買えばすむだろうに」
「村や町に入れないし。こう見えて犯罪者なんですよ、俺たち」
「え?」
賊かなにかと話していたのかと老女は身を硬くした。見た目ただの旅人で犯罪に関わっているように見えなかったのだ。危ない者たちならば、機嫌を損なわないよう大人しくしていた。
「な、なにをしたんだい?」
怯えた様子を見せる老女に、裕次郎低く声を潜めるように言う。
「王族殺し」
「ひっなんてことを! そんな畏れ多いことをやるなんてなにを考えて!?」
「まあ。冤罪ですけどね」
老女が見せた反応に悪戯めいた笑みを浮かべてばらす。セリエが面白がったのがよくわかった。
「な、なんだいそりゃ。驚かさないでおくれ」
寿命が縮まるよと大きく溜息を吐いてキッチンに入る。
裕次郎たちは小麦粉や調味料を買い、屋敷を出る。雨はまだ降っているようで、天井から屋根へと落ちていた。
得た食料を持って馬車まで戻る。セリエの見立てでは雨はまだ止む様子はない。ここで野宿を決めて、翌朝小雨の中を出発する。
感想誤字指摘があちがとうございます
》庶民の間でメジャーに・・・
庶民相手に売るという手もありましたね。貴族相手しか考えてなかった
》主人公にはそのうち薬神という二つ名がつきそうですね
その前に誤解とかないと駄目ですけどね
》あとワインを飲みながら温泉でくつろいでいましたが~
できますね。森の民の秘薬がそれ系統ですし
》私が好きになった小説はかなり不定期になったり削除になったりするので~
きりのいいところまで流れは考えているので、完結はできます。どこで切るか悩んでいるところですが
》回復剤を作れる薬師の価値<<(越えられない壁)<<サワベの価値
回復剤を作れるだけの薬師とほかの貴重な薬も作ることのできる薬師の差でしょうね。あとは上手く名前が広まったおかげですね
》セリエの耳の長さを短くする変化薬は水溶性だから~
改良してますね。書き忘れたかもしれません、こちらこそすみません
》流石に権力者云々という関連の依頼に対しての、主人公の態度が常識外れを超えてきてる感じがします
失礼ですよね。今のところは相手の人ができているんでどうにかなっていますが、今後プライドの高い人に会うと痛い目に合うでしょうね
違うところで痛い目にあっているわけですが
セリエは最初の頃注意していましたが、今回セリエの知らないところで言っていますから注意しようがありません
注意の仕方も貴族を敬ってのものではなく、厄介事を寄せ付けないといった考えを元にしたものなので、裕次郎と考え方としては同質なんですよね
》そのうち女性(セリエ役)と一緒に居ないのは偽者と~
手配書出ちゃったんで、名乗りを上げる人すらいなくなりますね
》早いとこくっついてもらいたいものです
まだ恋愛感情は自覚していない状態なんで、くっつくのはもっと先でしょうか
》ちょwさらっとなに言ってんですかww
裕次郎の平常運転
》あと温泉は無理にのぞかないでよいかと。好感度だださがりしそうですもの
既に覗きに行って撃退されたことありですから、好感度下がるのだろうかと首を傾げる
》さり気なく10年後も一緒にいるってセリエさんに惚気られた気がする
本人に惚気た自覚はなしですけどね




