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4月5日15時 図書館へ行く前に

 背もたれから体を起こし、再びGoogleMaps(※3-1)を画面に映す。

「昨日、この場所であなたは首をかしげていました。先程も、地図を見て考え込んでいる様子だった。それは、現在の新川の流路に違和感を覚えたからですか」

 清川と新川の合流地点をマウスカーソルでグルグルと示しながら、先程の古地図漁りを無駄にするまいと問いを発する。

 女は二度頷いた。昨日の時点で不思議に思っていたらしい。じゃあ先に言え、という言葉は飲み込む。クライアントの不興を買うのは避けるべきだ。幽霊の機嫌を損ねた先にあるものなど、推して知るべきである。

 そもそも、あのあたりにずっといたなら流路が変わったことぐらい知っていそうなものだが、そうではなかったらしい。いや、それは地図を同時に見比べたからこそ分かることで、ゆっくりと変わっていく風景を記憶するのは難しいか。

 ともかくこの女は、大正5年までの新川の形は知っているが、それ以降の流路には見覚えがないという。ならば、次に調べるべきは新川の成立年だ。新川が具体的にいつ「新しい川」だったかを調べれば、この女の知る年代の下限を定めることができる。

 私はWebブラウザから「札幌市電子図書館」(※9-1)にアクセスした。

 「札幌市電子図書館」はその名の通り、札幌の電子図書館だ。札幌市図書館の貸出券を持っている者が利用でき、パソコンやスマートフォンからデジタル化された資料を閲覧できる。その蔵書数は令和6年4月時点で10,000冊近くにもなり、年々数を増やし続けている。私はまだ利用したことがないが、音声コンテンツもあるらしい。

 一般的に地方図書館は郷土資料を積極的に収集し、広く提供するものだ。「札幌市電子図書館」もその例に漏れず、札幌市発行の「広報さっぽろ」をはじめとして、少なくない量の郷土資料を公開している。きっと新川の成り立ちの書かれた資料も置かれていることだろう。

 トップページから「新川」で蔵書検索すると、検索結果は2冊。タイトルを見るにどちらでもよさそうだったので、一番上に並んだ「新川郷土史」(※9-2)を借りる。

 「新川郷土史」には新川地区のことが何から何まで書いてあった。当然、地名の由来となった新川自体の歴史についても詳しく書いてある。同書によると、人工河川・新川――当時の正式名称「小樽内札幌間大排水」。湿地帯だった札幌を乾かすために作られた――は「明治十九年着工、翌年八月竣工」とのことだ。実は5年かかったという説もあるが、公式には1886年から1887年で一旦の完成を見たことになっているらしい。

 水はけの良くなった内陸は土質が改善したが、代わりに河口の近くでは水が溢れて、とんでもないことになったという。あの貧弱な河口に色んな川を繋いでしまえば、それはそうもなるだろう。

 このあたりを読んで、ようやく「手稲山口バッタ塚」近くにあった沼地の正体に思い当たった。

 明治42年の「5万地形図『札幌』」、「5万地形図『小樽』」、「5万地形図『銭函』」(※8-5,6,7)をもう一度表示する。

 確か「手稲山口バッタ塚」へ刻まれた蝗害の記録は明治13年。当時そこはバッタを埋めるのに適した砂地だったという。しかし、明治42年の地図では沼になっている。これは、明治20年ごろの新川開削に伴うものだろう。この沼は、新川が溢れてできたものだったのだ。

 あの砂浜で得た知識が繋がってすっきりしたところで、他のところも読んでみる。すると、当時の古老の話が頻出する。……単純に読み物として面白い。川そのものにまつわる話だけでも、「赤ん坊(赤衣の囚人)」が堀った言い伝えがあるだとか、腹を減らした「赤ん坊」に人参をやっただとか、よく水害が起こっていたとか、そんなときは発寒川が白く光ったものだとか、「天狗のおじさん」がいたとか、とにかくいろいろなエピソードが紹介されている。

 しかし、巫女装束の幽霊にまつわる伝承はない。これまで他の人間に取り憑いたことはなかったのかもしれない。一人でずっと石狩湾にいたということだろうか。

 本を閉じて得られた情報を整理する。新川完成が明治20年ということなので、地図漁りの成果と合わせて、謎の女は1887年(明治20年)から1916年(大正5年)の新川に造詣の深い人物だったことになる。ちょうど30年間だ。長いような短いような……いや、長いな。やっぱりこの路線は諦めようかな。

「新川郷土史」を閉じて返却する。「札幌市電子図書館」のブラウザも閉じると、置き去りにされていたGoogleMapsが裏から顔を出した。

 大型モニタの方を見ると、巫女装束の女が不満げにこちらを睨んでいる。その身振りから察するに、まだ「新川郷土史」を読んでいたかったらしい。大げさに本のページをめくる真似をする手の動きに、上衣の白い袖が揺れている。新川付近に土地勘を持っていた人物なので、何か感じ入るものがあるのかもしれない。地元民なのだろうか。

「この辺に住んでいたんですか」

 ちょうどよく前面に出てきていたGoogleMapsの上を、マウスカーソルで指して問う。

 すると女は、新川駅を中心に札幌駅を含んでもう少しぐらいの大きさの円を描いて見せた。「この辺」どころの話ではなく、札幌市の大半がその指の中に収まっている。あまりに大味な回答だ。

 とりあえず「神社」と検索すると、その円の中に20個ほど鳥居のマークが立ち並んだ。札幌の中心ほど分布が集中し、そこから離れるに従って少なくなっている。……結構多いな。

「神社なら今出した辺りにあるみたいですが、どうでしょうか」

 一縷の望みをかけて問うてみる。

 女は曖昧に笑って首を振った。……まあ、良しとしよう。午前中はどこにいたのかも分からないと答えていたので、札幌市内に絞れただけ前進してはいる。

 いつかも見た曖昧な笑みに、そういえば、と思い出す。昼前にも思ったことだが、普通に考えて巫女装束の女なんて神社所属の巫女かコスプレイヤーぐらいだ。しかし、100年も遡れば流石に巫女のコスプレをする人間はいなかろう。よって、きっとこの女は本職の巫女だったのだと思われる。

 ……いや、大正なら巫女役を演じた銀幕スターがいたかもしれんな。まあ、現代の役者やコスプレイヤーよりは数が少なそうではあるし、趣味でやれるようなことでもない。調べやすくなったことは確かだ。あの時は関係してそうなところすべてに直撃インタビューするぐらいしか思いつかなかったが、時代と場所、社会的属性が絞られてきた今なら、何かしら出てくるかもしれない。

 つまり、「巫女装束の幽霊」ではなく、「明治中期~大正の、札幌の神社に縁のある巫女。あるいは、札幌で巫女役を務めた女優」なら調べようがあるということだ。「明治中期~大正」、「札幌」、「神社」、「巫女」、「女優」。調べやすそうなキーワードが5つもある。

 試しに、先程閉じたばかりの「札幌市電子図書館」に再び訪れ、「郷土資料」ジャンル内で「神社」と検索する。……19件ヒットしたが、残念ながら今役立ちそうなものはない。「明治」や「大正」、「巫女」、「女優」も似たようなものだった。これは、いよいよリアル図書館に行くしかないか。持ってくれよ、私の脚。

 昨日の疲れの抜けていない脚を宥めすかしながら、「札幌市図書館 蔵書検索・予約システム」(※9-3)を開く。これは、札幌市内の図書館の蔵書をオンライン上で調べることができる目録である。OPAC(Online Public Access Catalog)と呼ばれることも多く、現代では大抵の図書館に備えられている。

 サイトを開いてまず目につく「かんたん検索」に、とりあえず「巫女」と入れてみる。これは引っかけられる項目すべてに対してキーワード検索を掛けるタイプの検索方式だ。検索者側が何かを考える必要がないのが利点である。……30秒ほどのレスポンスタイムの後に、検索結果がずらりと並んだ。

 未知の資料を探すとなるとキーワードを変えながら何度も検索を掛けねばならない。こういう場合は、検索に時間のかかる「かんたん検索」は向かないのかもしれない。

 ざっと検索結果に目を通してみるも、そこに並んでいたのはほとんど児童書だった。子供って巫女が好きだったのか。知らなかった。

 「かんたん検索」を諦め、「いろいろ検索」に移行する。検索条件に「件名」を指定して、再び「巫女」と打ち込む。

 この「件名」というのは、資料の主題を簡潔な言葉で表したものだ。付け方に一定の決まりがあり、検索用のタグの役割を果たしてくれる。

 本のテーマに沿って図書館員が件名を付けるので、今みたいに調べたいテーマがあるときは件名検索が使いやすい。今回の場合であれば、先程並んだ巫女の出てくる物語を排して、職業としての巫女が主題の本を抽出することが期待できる。

 とはいえ、私はその件名の付け方自体を知っているわけではない。基本となる思想や語彙プールは同じでも、細かい方針が図書館ごとに違うので、そもそも覚えようとすら思っていない。

 よって、「巫女」という単語での件名検索の結果は該当なし。残念ながら「巫女」という単語は件名に採用されていないらしい。普段であれば「かんたん検索」で何かしらそれらしきものをヒットさせて、その本の件名を引っ張ってきて再度件名検索を掛けるのだが、先程の児童書の大群を見るにそれも難しそうだ。

 今度は「巫女」よりも言葉の示す範囲を広くとって、「神職」で検索してみる。すると、9件のヒットがあった。

「巫女・作法入門」、「図解巫女」、「女性神職の近代 神祇儀礼・行政における祭祀者の研究」、「巫女入門 初級」……。無事、職業としての巫女を含む神職関係の本に絞れたようだ。しかし、札幌に関するものはない。ただ、そもそもこの女が本当に巫女なのかという点において若干の疑問が残っているので、巫女自体を調べることは有効だろう。

 例えば、彼女が着ている巫女装束について調べたとする。この服が本物であれば、彼女が銀幕スターであった可能性がさらに低くなる。工場制手工業の時代のことだし、巫女装束など本職しか持っていないだろう。よもや神具を映画――当時は活動写真だったか――のために貸し出すとは思えない。役者の可能性が0になるとは言わないが、度外視していい程度には下がるはずだ。

 巫女装束について調べるなら、この中だと「図解巫女」が良さそうだ。見るからに巫女について図を交えて説明してくれそうなタイトルをしている。この本にしよう。

 この本を所蔵する図書館のうち、一番近いのは「中央図書館」。このマンションからだと、まあまあ遠い。

 残念ながら、この家の徒歩圏内には図書館がない。あるのはせいぜい区民センターの図書室ぐらいだ。「図書室」では排架スペースが限られるから仕方のないことではあるが、読みたい本が置いていないことは結構多い。

 従って、普段は「お取り寄せ」を利用することで読書欲を満たしている。「札幌市図書館 蔵書検索・予約システム」で近くの区民センターの図書室を受取り場所に指定して予約をすると、一週間もあればそこで受け取ることができるのだ。札幌圏内の図書館であればどこからでも借りることができるので、例え一番遠い図書館にしかない本であっても労せず読むことができる。

 札幌市中央図書館は遠いので、できることなら行きたくない。いつも通り、近くの区民センターで本を受け取りたい。だが、この幽霊は一週間の待機期間を許してくれるだろうか。いや、そんなことより、見知らぬ幽霊に取り憑かれたまま一週間を耐え抜く胆力が私にあるだろうか。

 答えは否である。幽霊でなくとも無理だ。一週間も他者との関係を維持できるような人間なら無職なんてやっていない。私はあらゆる人間関係を超越した孤高の引きこもりなのだ。かつて存在したはずのなけなしのコミュニケーション筋は、この一年で衰え切っている。

 空中を漂う幽霊に視線を移す。彼女は「札幌市図書館 蔵書検索・予約システム」を眺めていたが、こちらの視線に気づくと画面を指で示し、首をかしげて見せた。

「……明日、図書館に行きます。誰しもに開かれた、知の拠点です」

 「中央図書館への道のり」と「幽霊の話し相手」が吊るされた天秤は、前者に傾いた。多少の遠出になろうとも、総合的な労力はこちらの方が随分少なかろう。私は「札幌市図書館 蔵書検索・予約システム」についての説明を放棄し、明日の行動指針を表明した。

 窓の外へ目をやると、太陽は山の向こうに消えつつあった。改めて見れば、部屋の中も随分薄暗くなっている。本日は営業終了だ。

 私は部屋の電気をつけ、静かにカーテンを閉めた。

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