4月5日12時 道産ピリ辛めんみバターのローカルパスタ ~行者ニンニクを添えて~
パスタを一束より気持ち多く掴み取り、調理ケースに入れる。塩ひとつまみと規定量の水を入れて電子レンジに入れ、500wで13分。本来7分の茹で時間に、5分の電子レンジ補正と、冷たすぎる水道水補正、それから麺を多めに入れた分の補正を合わせて13分だ。100均で買ったこのパスタ専用調理ケースがあれば、鍋もざるもいらない。文明の進歩と調和に乾杯。
茹で上がるまでにパスタソースを選ぼうと棚を探るも、残念ながらそこには何も入っていなかった。しまった、前回で使いきっていたのを忘れていた。
仕方がないので、冷蔵庫を開けて何かないかと物色する。……実のある物は大体何かしら調理器具を必要とするものばかりだ。せっかく鍋とざるを回避できたのにフライパンや包丁を使ってしまっては本末転倒である。キッチンバサミすら使いたくない。調味料で勝負しよう。
これからパスタが入る予定の深皿にめんつゆとバターを目分量、そしてほんの少しのおろしニンニクを入れる。大抵のものはめんつゆバターで食うとうまいのだ。とはいえ、これだけだと甘すぎるので、ラー油も一滴垂らしてみよう。
使うめんつゆはキッコーマンの「めんみ」。かつお、煮干、昆布、さば、ほたてからとった5種類の出汁が特徴の、北海道ローカルなめんつゆだ。やたら複雑な味わいなので、これ一本ぶち込むだけで大掛かりな料理をした気分になれる優れものである。しかも5倍濃縮なので全然減らない。経済的にも優れているめんつゆだ。
茹で上がったパスタを皿に移してめんみバターとよく和え、七味と冷凍刻みネギを好きなだけ散らす。……刻みネギが冷凍庫にない。これも切らしていたようだ。代わりに冷蔵庫の片隅で眠っていたフライドオニオンを散らす。どちらもネギだし問題なかろう。彩りは……そうだな、行者ニンニクのめんつゆ漬けに再度ご登場願おう。これもネギの仲間だったはずだ。
昨日は疲れ切っていたので特に言及しなかったが、行者ニンニクは別名「アイヌネギ」、「ヒトビロ」とも呼ばれる北海道の春の味覚である。本州にも分布しているらしいが、私は北海道に移住してから初めて食べた。ニラとネギ、そしてニンニクを足して3で割ったような、滋味深い山菜だ。そろそろ消費期限も怪しいし、二日連続の登板でも許してほしい。ちょうどめんつゆで味付けしたもの同士なので相性も良かろう。
思えばめんみもバターも、行者ニンニクだって道産だ。このパスタは、もはや郷土料理といっても過言ではないのではなかろうか。
そんな詭弁にもならない思い付きと共に行者ニンニクをお皿に添えて、完成。名付けて「道産ピリ辛めんみバターのローカルパスタ ~行者ニンニクを添えて~」。一切まとめる気のない、材料のすべてを語り切ってしまうほどの長文タイトルだ。ナウなヤングたちへの媚を狙うなら、いっそもっと長くしてもいいかもしれない。
深皿とフォーク、それから水を入れたグラスを乗せたトレーをもってキッチンを出る。
……そろそろ現実と向き合うか。
たかだか横着パスタひとつでこのような茶番を繰り広げているのには、当然訳がある。私の周りをゆらゆらと蠢く巫女装束の幽霊から気を紛らわすためだ。キッチンでパスタを茹で始めたときからこの女は私のやることなすことを観察していたが、今では皿へ盛りつけられたパスタそのものに興味津々だ。
この物欲しそうな瞳には覚えがある。家で、学校で、職場で、臆面もなく「ちょっとちょうだい」と言ってくる敵のそれだ。
部屋中央のローデスクにトレーを置いて、座椅子に座る。すると、女も机を挟んで対面に正座するような姿勢を取った。胸の前で手を合わせて、こちらを見ている。
いや、お前には実体がないんだから食べられないだろう。鋼の意思をもって幽霊を無視し、フォークでパスタを巻いていく。麺の渦が大きくなるほどに、女の眉が下がっていく。やめろ、同情を誘うんじゃない。私は、そういうものをすべて振り捨てて生きる孤高の無職だぞ。
「……分けましょうか?」
抗う内心とは裏腹に、私の口はシェアを提案していた。幽霊は表情をころりと変え、嬉しそうに頷く。
無念を噛みしめながら皿をもう一枚持ってきてパスタを取り分ける。私はいつだってそうだった。これは曇りゆく表情に良心が咎めたとかそういうことではなくて、単に精神が脆弱なだけだ。拒絶というものができないんだ、私は。
水とフォークも追加して、一人と一幽霊で食卓を囲む。幽霊の助数詞はなんだっただろうか。「一人」だろうか、それとも「一体」だろうか。
ともあれ、食事の用意が整った。女が礼儀正しく手を合わせているので、私も手を合わせてから食事につく。「いただきます」と声に出したのはいつ以来か忘れたが、まあ、言って悪いものでは決してない。その内実がどうであれ、食前に挨拶をすること自体は良いことだ。きっと食への感謝やらなにやらをより強く思い起こさせてくれるだろう。
そんなことを思っていると、目の前の女が珍しいものを見るような目でこちらを見ていることに気づく。彼女をまねて挨拶しただけなのに、どうして珍獣扱いされねばならないのか理解に苦しむ。出会って一日で挨拶も碌にできないような人間だと看破されてしまったのだろうか。
小盛になってしまったパスタを少しずつ巻き取って口に運ぶ。私の傷心を慰めるように、めんみとバターの香りが口いっぱいに広がった。塩味よりも旨味や甘味の方が強い。5種類も出汁が入っているともはやどれがどの旨味なのか分からないが、とにかく海の旨味がバターの芳醇さと共に押し寄せてくる。それでもコントロールを失わないのは、香辛料と香味野菜がうまくやってくれているからだろう。
期限ぎりぎりの行者ニンニクもどうにか歯ごたえを保っており、その香りと共にいいアクセントをもたらしてくれる……が、これはやはり、どちらかと言うと米のお供だな。細かく砕かれたフライドオニオンがパスタの邪魔をしていないところを見るに、行者ニンニクも刻んで和えたらいい線行ったことだろう。しかし、それも後の祭りだ。彩り目的の無茶な登板は控えるべきだったか。
ふと目の前の幽霊を見ると、案の定パスタは減っていない。フォークに手を伸ばす様子もなく、やはり食事をすることはできないらしい。
こういうのも陰膳と呼んでいいのだろうか。いや、あれも仏教圏の文化だったか。それなら、巫女装束を着ているこの女には関係ないかもしれない。とりあえず上機嫌そうではあるので、祟りポイントを下げられたとだけ思っておこう。今が何ポイントで、どれぐらい下げれば祟られないのかは知らない。
そうこう考えるうちに、あっという間に食べ終わってしまった。やはり大盛りの半分では腹が満たされない。何か追加で食べようかな。買い置きのお菓子はまだ残っていただろうか。
「ごちそうさまでした。……あの、それ、どうします?」
食後の挨拶と共に、陰膳もどきの処遇を本人へ聞いてみる。
すると女は合掌して目礼し、それから手のひらを返して私に向かって差し出した。そのパスタ、返してくれるのか。というか、食べていいものなのか、それ。
故人に饗したものを返品されるとは思ってなかったので、しばし戸惑う。仮にも巫女装束を着ている彼女が言うなら、まあ、いいか……。
では、と受け取って再びパスタを巻く。恐る恐る口に入れてみると、普通にうまい。何らかの霊的現象が起きていて味が落ちるようなことはなさそうだ。美味しいなら大丈夫だろう。根拠のない不安を根拠のない理屈で打ち倒し、取り戻した2皿目を平らげる。改めて合掌して、無事に昼食を終えることとなった。
昨日の分の食器もまとめて洗う。単純なもので、腹が満たされただけで存外やる気が出るものだ。
食器を洗っているところを凝視している幽霊に一瞥をくれ、この女の正体を探るための次の一手を考える。
ヒアリングはあまり効果がなかった。見た目から考える方針も手詰まりだ。であれば、そうだな……次は現場検証だろうか。
昨日、彼女と遭遇した海辺を思い出す。新川河口、石狩湾、オタネ浜。いろいろ名前があるが、あの場所まで行くのには時間と体力が必要だ。今から行くには少し遅いし、そもそも私の足は2日連続の長距離行脚に堪え得るような強靭さを持たない。皿を洗っている今だって精一杯気力を振り絞っているような有様なのだ。今日は絶対に部屋から出たくない。
ならば、とすべての食器をすすぎ終えて蛇口を締める。
「これから、地図を見ていきます」
いつの間にかキッチンカウンターの裏へと移動していた幽霊に宣言する。Google先生、どうか力をお貸しください。