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4月5日11時 調査開始

 私は浮遊する巫女装束の女に脅され――いや、依頼されて、彼女自身のことを調べることになった。とはいえ、今の私には腕を組んで宙を見つめることしかできない。何せ手掛かりがない。先程も言った通り、私は何の職能も持たない一般無職のため、何から調べればいいのかの見当もつかない。女はそんな私を見ながら、部屋の中をうろうろと漂っていた。

「何か覚えていることとか、分かっていることはないんですか?」

 とりあえず依頼人に聞いてみる。すると、女は先程のように胸の前でだらりと手を垂らして見せた。

「……幽霊?」

 見たままを返すと、女は二、三度頷いた。ジェスチャークイズを続けてみると、どうやらこの女は、自分が幽霊だという自覚があるらしい。それなら、私は幻覚症状に悩まされる無職ではないことになる。病院送りの憂き目は避けられたようだ。……いや、本当に避けられたか? この女が幽霊を自称する幻覚であるという線もまだ残っているのではないだろうか。

「幽霊、ね。何か恨めしいことでもあるんですか?」

 とりあえずは女の言葉を信じることにしてそう問うてみると、女はまた首を縦に振った。

「何が心残りなんです?」

 問いを重ねると、女は顎を撫でながら首を傾げた。嫌な予感がする。女はモニタに移る五十音表へと手を伸ばし、あの言葉を繰り返した。

 ――し・ら・べ・よ。

「……まさか、それも思い出せないのですか?」

 女は深く頷いた。依頼人の持つ情報に欠落が多すぎる。今からでも依頼を取り消させられないだろうか。

「あの、今更なのですが、あなたは他の人にも姿を見せられますか?」

 女は首を横に振って、私を指さした。この幽霊は私にしか見えないらしい。自分に霊感があると思ったことなんて、一度たりとも無いのだが……。

 どうにか他所(よそ)にぶん投げる方法を考えていると、女は例の幽霊ポーズで私の背後に回り込みだした。

「や、やめてください。やります。やりますから」

 またも脅しに屈した私は、仕方なく次の手掛かりを求めて視線を彷徨わせる。私の前に戻ってきた女も一緒になって考えているようだ。

「なにか、他に覚えていることはないんですか」

 女はしばし逡巡し、それから少し眉を曇らせてかぶりを振った。何も心当たりがないらしい。名前も覚えてないのでは、当然かもしれない。酷なことを聞いてしまっただろうか。

「……そうですか、すみません」

 謝罪を述べておく。調査には必要な確認だが、配慮が足りなかったのは認めよう。

 しばらくどうしようか考えていると、目の前の女が自身の顔を両手で軽く叩いたり、袴を摘まんで裾をはためかせたりしだした。

「……人相とか服装とかを手掛かりに、ってことですか」

 少しのシンキングタイムの後に確認してみると、見事首肯が返ってきた。確かに、今分かることといえば見た目ぐらいのものか。

 納得して女の姿を上から眺めてみる。

「見たところ巫女さんっぽいですが、巫女なんですか?」

 女は自身の衣服を見下ろして、それから少しの逡巡を見せた後、曖昧に頷いた。

「それもあんまり覚えてない感じですか」

 女は、今度ははっきりと頷いた。いや、そんなところに自信を発揮されましても。

 まあ、巫女装束を着ている人間なんて本物の巫女か、そうでなければ役者やコスプレイヤーぐらいしかいないだろう。とはいえ、だからどうしたという話でもある。まさか神社や劇場、コスプレコミュニティに突撃して「これこれこういう幽霊に付き纏われてるんですけど」と触れ回るわけにもいくまい。職業か趣味かは知らないが、それを絞れただけでも良しとして、一旦保留だ。

 あとは人相だが、残念ながらこれもどう活用すればいいかわからない。

 写真を撮ってインターネットの海に放り込み、広く情報を集めようか。いや、その場合、私のスマートフォンには心霊写真が残ることになるのか。それはちょっと嫌だな。そもそも私はインフルエンサーではないので、多くの人に訴えられるとも思えない。これは没だ。

 浮かびかけた案をすぐさま沈めていると、女はまた何事か動き始めた。左拳を首ほどの高さに掲げ、右手で頬をはたいたり、小指で唇をなぞったりしている。

「……化粧?」

 女は頷き、そしてそのまま左拳に向かって右手で指を指した。

「手鏡ですか」

 女は笑顔で頷いた。伝わってうれしいらしい。ジャスチャーじゃなくて、五十音表を使ってくれないか。せっかく用意した「こっくりさん」の表が、モニタの中で寂し気に項垂れている。

 それはともかく、鏡か。私は無職の引きこもりなので、鏡を見る機会はそこまで多くない。せいぜい洗面所と風呂で目に映るぐらいのものだ。コンパクトミラーはここに入れていたような、とポーチを漁る。なければ洗面所にご案内だが……と、考えていたところで手に平べったい円盤の感触があった。

 パカリと開き、幽霊に向かって鏡面を見せる。

「これをどうするんです?」

 まさかこの場で化粧直しがしたいわけではないだろうと問いかけてみる。しかし、女の返答はなかった。頬に手を当て、残念そうに口角を落としている。

「どうしたんです」

 と、鏡を覗くと、そこには私の部屋の白い壁と、その前に置かれた大型モニタしか映っていなかった。

「幽霊って鏡に映らないんですか?」

 戸惑いながらそう問うと、女は頬に手を当てたまま首を傾げた。幽霊を自称する割に、幽霊の生態についてはよく知らないらしい。

 幽霊全般はともかく、鏡に映らないこの女はきっと光学の理の外にいるのだろう。確かによく見ると妙にのっぺりとしたような、不思議に現実味のない色感をしている。幽玄というよりはむしろその逆で、影や光の処理を施していない段階のイラストを見ているような印象がある。

 浮遊する幽霊の頭からつま先までを改めて眺めていると、カーペットにその影が映ってないことに気づいた。光の影響を受けていないなら、そうなるか。やはり第六感で見えているのだろうか。理屈に合っているような、そうでもないような、と相反する思いを抱えて床を見る。海で初めて出会ったときに遠近感が掴めなかったのは、いま思えば、影がなかったせいもあったのかもしれない。

「で、これをどう――」

 鏡の用途を問い直す前に、浮遊する女は高度を落とし、しゃがみ込むような恰好で床に落ちた鉛筆を指さした。そういえば筆談チャレンジの際に落としたままだった。片付けろということだろうか。いや、真っ当な話ではあるが、それは今やらなければいけないことか?

 謎の行動の意味を探っていると、女は続けて、先程見たのと同じく自身の顔を両手で軽く叩いたり、袴を摘まんで裾をはためかせたりしだした。あの時は自身の容貌を指してこの身振りをしていたが……。

「えっと、あなたのことを描けって言ってます?」

 半分当てずっぽうで言ってみると、女は笑みを取り戻して頷いた。残念ながら、人相書きは先程考えた写真の散布以下の案だ。効率も精度も悪すぎる。断ろうと口を開いたところで、ふと思いつく。

「もしかして、自分がどんな姿をしているか分からなくて、それで確認をしたいんですか?」

 この女は鏡に映らないことが判明した訳だが、その状況で生前の記憶を失っているなら自身の顔も思い出せないのではないかと見当をつけての質問だ。

 これに対し、女は顔を輝かせて何度も首を縦に振った。まあ、そりゃあ自分の姿かたちは気になるか。もしかしたら、自分の顔を見たら何か思い出すかもしれない。

 とりあえず、スマートフォンのカメラアプリを起動して女に向けてみる。シャッターを切るまでもなく、画面に映っていない。姿を確認するだけなら絵じゃなくてもいいかと思ったのだが、残念ながらそう上手くはいかないようだ。鏡がダメならカメラもダメか。一応シャッターボタンをタップしてみるも、写真には床に転がる鉛筆だけが映っていた。心霊写真を撮るのは難しいらしい。

 シャッター音に惹かれたのか、女が興味深そうにスマホを覗き込んできた。それを手で制しながら、次の手段を考える。

 ……いや、もう思いつかないな。この女が物理法則を無視していて、しかも私にしか見えないのであれば、仕方ない。試しにひとつ描いてみよう。

 私はいそいそとペンタブレットを出してデスクトップPCに接続し、ペイントソフトを起動した。

「これからあなたを描きますので、そこに立って……あー、できるだけ浮かないようにして止まっていてください」

 ふわふわと浮きながらペンタブレットや新規のウインドウを見に来た女を再び手で制し、要望通りお絵描きするからお行儀良くしているよう告げる。

 女は不服そうに眉を顰めたが、それでも机から離れていき、指示通り床すれすれまで高度を下げて動きを止めた。

 そんなにお絵かきソフトやデバイスが気になるか。先程もスマートフォンに寄ってきていたし、そういえばPCを点けたときにはモニタに興味を持っていた。もしかしたらガジェットマニアなのかもしれない。

 脇に逸れ始めた思考を置いて、ペンを手に取りしばし静止する。

 「絵は対象の観察から始まる」と高校の時の美術教師が言っていた気がする。絵を描くにあたってまず思い出したのが十年前の掠れた記憶なのが、私の画歴を証明している。

 絵を描かないのになぜペンタブレットやペイントソフト――しかも有料のものを持っているかというと、セールで安くなっていたからに他ならない。かつて物質主義に囚われていた私が割引率に惹かれて購入したものの、少し触って以来放置していた逸品である。私と絵の関わりはその程度なのだが、美術の成績はそこまで悪くなかったし何とでもなるだろう。

 女を見ると、こちらに対して体の角度を45度程つけ、視線だけこちらに寄越している。宙に浮いたまま、まさに空気椅子をしているかのような体勢だ。表情は妙にすましていて、まるでモデル気取りである。これだと人相書きではなくて肖像画だが、まあよかろう。私の画力にかかれば、どちらでもたいして変わらない。なにせ、どちらも描いたことがないのだ。

「下の方は……描かなくていいかな。胸まで、いや、首だけあればいいか」

 誰宛ということもなく、小さく呟く。ほとんど初見のソフトを前にキャンバスサイズを決めていると、ついつい独り言がこぼれた。慣れない作業をするとき、たまに思ったことを口に出してしまう癖があったのを思い出す。職を辞してからは新しいものへ挑戦する機会に乏しかったため、すっかり忘れていた。

 それを耳ざとく聞きつけた女が首を横に振り、次いで手を大きく広げて回す。全身描かせたいらしい。注文の多いモデル気取りだ。黙って首までで描き上げてしまえばよかった。私は余計なことを言う口を堅く引き結んだ。女に向けて不承不承ながらもひとつ頷き、全身を収めるべくキャンバスを縦に引き伸ばす。

 それらしくアタリを取って、女の概形を描きとっていく。中肉中背……いや、身長はやや高いか。浮いているので正確な身長は分からないが、少なくとも160cmは超えているように見える。大柄というほどではないが、平均よりは高いだろう。

 大まかな輪郭を描き終えたので顔や胸に十字を切ってみる。ちなみに、これにどういう効果があるのかはあまりよく分かっていない。美術の授業で誰もがやっていたから、私もとりあえず描くことにしているだけに過ぎない。

 ……まあ、こんなものでいいか。この幽霊は陰影の存在感が希薄なので、思ったよりは簡単に描けそうだ。いっそ陰影は完全に無視してしまおう。線画からのバケツツールで一発着色することを決意する。

 まずは低レイヤーなところから描き込んでいこう。人体の輪郭はアタリをそのままなぞって完成とする。素人なのでこだわりも何もあったものではない。

 次は白い上衣だ。特徴的に垂れさがった袖のある、誰もがまずイメージするだろう着物のシルエットをしている。成人式で着るような派手な振袖とは違ってそこまで袖の長さはなく、腰ほどまでの長さだ。白一色の布でできていて、襟の合わせ方は右前で……と見ていて気付いたが、襟もとから赤い布地、白い布地が交互に覗いている。そういえばそんなものもあったかと、成人式の日を思い出す。名前は忘れたが、この襟の中にはイミテーションが混じっていたはずだ。

 そのままショールのように肩にかけている細長く赤い布に移る。これは上衣や袴の布地とは見るからに違って繊維が毛羽立っており、いかにも防寒具然としている。素材はウールだろうか。両肩から羽織って脚の付け根ほどまでの長さがある。今でこそ軽く羽織るだけだが、寒いときはマフラーのように首元に巻いて暖をとるのかもしれない。左右両方の終端には黒いボーダー柄がデザインされており、その布地も相まって紅白でまとめた巫女服の中では異彩を放っているような気もする。これがワンポイントという奴だろうか。

 ともかく、上半身まで終わったので、続いては赤一色の袴を描いていく。女袴はスカート状になっているイメージがあったが、今一度よく見て確かめると、この女の袴には股があるようだ。帯も袴と同じ赤い布でできており、縫い付けられて一体化しているようだった。胸の下あたりで巻かれており、正面でリボンのように蝶結びをしている。結び目の下には飾り紐が縫いあしらわれており、点線と破線を合わせるように、帯の流れに沿って走っていた。

 足元は……まあ、普通の白い足袋と赤い鼻緒の草履だ。強いて言えば、草履がプラスチックとゴム底のものではなく、古式ゆかしい植物製なことが特筆すべき点だろうか。女が浮遊しているので、引っかけた鼻緒を支点にプラプラと揺れている。以前見せつけられた通り土で汚れていることもなく、清潔に使ってきたことが窺える。

 では、いよいよ頭部の描画に移ろう。まあ、「いよいよ」とは言うものの、特に変哲のない黒髪黒目だ。

 年齢は20代前半に見受けられるが、対人コミュニケーションを軽視した人生を送ってきた私の観察眼がどれほど信頼できるか、という問いに対しては閉口せざるを得ない。

 目鼻立ちは割合はっきりしていて美人と表現してもよさそうなものであるが、どうにも印象が薄い。幽霊という言葉に見合わず血色もよく、これまで見てきたように表情も豊かだ。にもかかわらず、会わなくなれば3日と経たずにその顔を忘れてしまいそうな、不思議なパンチの弱さがある。

 髪型は癖毛が多少飛び出たショートカットで、前髪は切りそろえられている。……いや、よく見ると襟足だけ長い。ショートカットではないかもしれない。Microsoftが提供するAIアシスタント機能「Copilot」にこの髪形について聞いてみると、どうやら「ウルフカット」と呼ばれる髪型の1バリエーションらしい。ショートカットというよりも、マッシュカットをベースにした髪型のようだ。言われてみればそうかもしれない。一応出典となっているサイトのURLを辿って軽く確かめてみるが、確かにそう書かれていた。ありがとう、Copilot。Copilotは何でも知っているな。巨大テック企業から贈られた優秀なアシスタントに感謝を伝えつつ、湯冷まし程度の熱量を持って筆を進める。

 描き始めてから小一時間が経ち、ようやく肖像画が完成した。タイトルは「浮遊する巫女」。せっかくだから余白にサインでもしようかな。

 バケツツールによる平坦な着色があたかも未完成であるかのような印象を抱かせるが、決してそうではない。これはドミナントなコントラストのためにディティールをオミットしてコンテンポラリなインプレッションにアプローチした結果である。……まあ、意味のないカタカナ語はその辺に捨て置くとして、この完成度でも人相書きの役割ぐらいは果たせるだろう。要は特徴が分かればいいのだ。

 誰にともなく言い訳をしていると、先程まですましていた女がするりと宙を舞い、モニタを覗きに来た。筆が置かれたことに気づいたらしい。

 女と共に改めて完成稿を眺める。よくもまあこんなに時間をかけて描いたものだ。素人にしては上出来ではないか、と密かに自画自賛する。巫女装束、髪型のどちらにしても私の知らない造形で、描画にあたって何度も確認をする必要があった。そうであるならば、やはり彼女は私の生み出した幻覚ではなくて、本当に幽霊なのかもしれない。

 女はモニタを一通りの角度から眺め回し、最終的に上から覗き込むような恰好で静止した。その瞳には私と同じく満足げな光が浮かび……いや、そうでもないな。それは何の表情だ。そもそも目の焦点が画面にあっていない。せっかく要望通り描いたんだからちゃんと見なさいよ。

 「あの、何か思い出しましたか」

 動きを止めた幽霊に問いかける。すると彼女はひとつ頷き、肖像画と自身を交互に指で示して笑みを見せた。

「……こんな感じの姿形だったことは思い出せたってことでしょうか」

 女は首を縦に振った。それはよかった。苦労した甲斐があった。

「他には」

 女は首を横に振った。それはよくない。苦労が徒労に変わった。

 机に突っ伏して世の無常を儚む。一時間かけてこのざまか。机に押された腹が、か弱げな鳴き声を上げる。そうか、お前も泣いてくれるか。

 思えばもうお昼時だ。遅く起きたので朝飯はスキップしてしまっていたことを思い出す。この空虚な胸の内を炭水化物で満たすとしよう。今日のお昼は大盛パスタだ。

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