4月4日15時 河口にて
こうしてとうとう海岸に着いた訳だが、それから1時間以上もの間、私は何をするでもなくただ座り込んでスマートフォンをいじっていた。波の音や潮の匂いにも慣れてしまってから随分長い。隣では葦の新芽が砂混じりの寒風に晒されてパラパラと音を立てている。
今の私は強行軍で蓄積した疲れと寒さに苛まれており、残念ながら海に対して感慨を湧かせられるだけの体力が残っていなかった。朝あれだけ漲っていた活力はもはや跡形もない。せっかく時間をかけて来たのだから用はなくともしばらく居ようという卑しい精神性が、私を砂浜に縛り付けていた。
そういえば、鞄の中には焼きおにぎりがひとつ残っていた。これを食べて元気を出そう。おにぎりよ、我に力を。
そうして仰々しくおやつの時間をとってみたはいいものの、焼きおにぎりはあっという間に私の胃袋の中に消えてしまった。お昼には結構な大きさだと思ったが、疲労困憊の今においてはそうでもなかったらしい。「いただきます」から「ごちそうさま」までにかかった時間は数分にも満たないだろう。合掌を解いて、波打ち際に視線を投げだす。
ここは「オタネ浜」と言って、近くには先程の「西部スラッジセンター」のほか、新川を挟んで東側には「オタナイ発祥之地碑」が、西側の清川が合流するあたりには「手稲山口バッタ塚」があるらしい。この情報が、ここ数十分ほど手の中の板切れをいじった成果である。
「オタナイ」はここから東方に位置する石狩市樽川ゆかりの地で、西方に中心街のある小樽市の地名もここから繋がっているらしい。東西に名前が散らばってしまったようだ。石狩湾の西側に視線を走らせると小樽市街が見える。地図によると、実は私が腰を落ち着けているこの砂浜も小樽市だった。知らないうちに札幌市から出ていたらしい。
バッタ塚は、明治13年の蝗害で出たバッタの死骸・卵の埋め立て場跡で、バッタの食料の少ない砂地だからここが選ばれたのだという。碑のある東方や塚のある西方を見回してみても、あいにくこの砂浜からでは枯れ切った草むらしか見て取れるものはなかった。
他に何かないかと視線を巡らすと、東の空にウミネコとカラスが1匹ずつ飛んでいた。カラスはともかくウミネコは群れている印象があったが、はぐれたのだろうか。はぐれ者同士シンパシーを感じたのも束の間、ウミネコもカラスも方々に飛び去ってしまった。
一人取り残された私の視線の先はるか遠くで、風車が信じられないほどのスピードで回っている。
疲れと強風と孤独とで虚ろになった瞳を再び石狩湾沖に向けると、遠くの波間に人影があった。これだけ寒風吹き荒んでいるのにずいぶん気合の入ったサーファーがいるものだと思い目を凝らしてみるが、どうにも遠近感がつかめない。
夏休みの最終日に水平線までの距離を自由研究としてでっちあげたのは何年前のことだったか忘れたが、高さ1mから見える水平線までの距離は3.5km程だったはずだ。その水平線に乗っかるように見えているあの人影もそれぐらいの距離にあると考えられるが、しかし、それが人影であるとわかるぐらいにははっきり見えている。この見え方だと、ちょっとした船並みの大きさでないとおかしい。そして、ちょっとした船並みの大きさの人間がいたなら、輪をかけておかしい。
あまりの不自然さに私は立ち上がり、波打ち際に近づいた。風が正面から一層強く吹き付け、私からなけなしの体温を奪っていく。多少近づいたことで私の目は遠近感を取り戻したが、その人影の不自然さはいまだ健在だった。
そこには宙に浮かぶヒト型の何かがいた。それは最初に思ったよりもずっと近く、おそらく彼我の距離は100mもない。風に巻き上げられた砂が口の中でざらついていた。
「なに?」「なぜ?」「どうやって?」と文にもならない疑問が頭の中を乱れ飛ぶも、対照的に体は動かず、私の瞳は浮かぶヒト型を映し続ける。その人影は、じわりじわりとその大きさを増している。こちらに近づいてきているのだ。
気づけば、私はすでに後ずさりを始めていた。スニーカーが砂浜に不揃いな足痕を描く。なんだかわからないが、あちらは明らかにこちらを認識している。逃げよう。逃亡は無職の基本戦術だ。私はあらゆる社会の困難から逃げてきた逃避のプロフェッショナルである。
「なんだかわからないものを刺激してはならない。泡を食って走り出しては三流さ」
と、もう一人の私が胸の内で格好つけている。ご忠告痛み入ります。気が散るから黙っていてくれ。
じりじりと後退しながら海岸と汚泥処理場を繋ぐ細道まで辿り着いた頃には、謎の人影との距離はもう50mほどになっていた。
ここまで近づかれると人影が赤い袴を履いた女の姿をしていることが分かる。浮いている着物の女なら幽霊か妖怪か、いや、飛んでいるからUFOか。そんな益体もない分類作業を脳から追い出すために軽くかぶりを振り、細い道に体を押し込んで反転、家路を急ぐ。曲がりくねった復路の始まりが遮蔽になって女の視線が切れたことを確認した私は、狭い道を走り出した。
こうして200mも走っただろうか。たったそれだけの距離で、すでに私は限界を迎えていた。逃避行は日常茶飯事でも、逃走は小学生の頃の鬼ごっこ以来だ。息は切れ、わき腹は痛み、足は棒だった。もはやこれまでと通ってきた道を振り返るが、人影はない。どうやらここまでついてきてはいないようだ。
「かの柳田國男によると、幽霊は人につき、妖怪は場所につくという。それならば、石狩湾から出ないあの女は妖怪だということになる。正体が分かって一安心だな」
内なる私が役に立たないことを言っている。私は民俗学に明るくないが、だったら地縛霊は妖怪なのか。そもそも妖怪だったからなんだというのか。苛立ちとともに息を整える。ろくに運動をしてこなかった無職の限界に思わず天を仰ぎ見ると、曇天に浮かぶ女の姿があった。遮蔽、全然取れていないじゃないか。あちらは飛べるのだから、私と同じように視界の悪い道を通るわけがない。絶望と共に再び走り出そうとするも、既にただの棒切れと化した足は思うような速さで体を進めてくれない。
走るのは諦めるしかない。再びゆっくりと後ずさりつつ警戒を強めていると、それきり女は距離を詰めてこなくなった。西に東に視線を彷徨わせて、顎に手を当てて首をかしげている。もしかして、私のことを見失っているのか。そう考えた次の瞬間、女の視線がこちらに向いた。
……思わず体を固くしたが、女の行動はこちらを見るだけに留まった。明らかに私を捕捉しているものの、それでもこちらに寄ってくる気配はない。
こちらを見ている理由も、先程と違って追ってこない理由もわからないが、この機を逃してはならない。さっさと帰ろう。
それから私は可及的速やかに人里を目指した。頻繁に後ろを気にしてはいたものの、結局のところ道中で女の姿を見たのはあの場所が最後だった。私は路線バスの始点「前田森林公園入口」までどうにか辿り着き、運よく帰りのバスを捕まえて這う這うの体で自宅へ帰還した。
バスのバックミラーを凝視する乗客は随分不審だったことだろうが、緊急時につき許してほしい。閑散としたバスの中で「とりあえず西部スラッジセンターに逃げ込めばよかった」とか「タクシー呼んだ方が早かった」とかいろいろ考えもしたが、後の祭りだった。不測の事態の中で冷静な判断ができる訳ないだろう。結果的に無事帰ることができたのだし、親切な警備員にも自分の懐にも迷惑を掛けずに済んだのだから問題ない。
玄関の鍵をしっかりと閉め、大きく息を吐く。今日はもう寝てしまおう。ボロボロの肉体は精神にも影響を及ぼし、もはやオタネ浜の妖怪のことなどどうでもよくなっていた。かの恐怖体験はもはや過去のことである。今、私の喉元にあるのは疲労なのだ。何も考えず泥のように眠りたい。
風に揉まれて埃っぽくなった服を洗濯機に投げ入れ、身体をシャワーで洗い流す。固まった体が熱い湯で溶かされるのを感じていると、不意に浴室内に腹の音が響いた。そういえば、昼とおやつで焼きおにぎりをひとつずつしか食べていなかった。たった数時間前のことだが、もはや遠い過去のことに思える。壁に掛けられた時計の針は夕食にはまだ早いことを示しているが、まあいいだろう。腹が減った時に食う飯が一番うまいのだ。
シャワーを終えて冷凍庫を漁る。下味をつけて冷凍しておいた鶏胸肉が残っているから、メインはこれで決まりだ。味のバリエーションはいくつかあるが、今夜はフリーザーバッグに「味噌」と書かれたものを選んだ。下味冷凍した鶏肉は大体1か月保つ。買い物の機会を極力減らしたい一人暮らしの引きこもりの強い味方だ。これを仕込んだのは2週間前なので、自分がこの袋にどんな調味料を入れたのかは正確にはもう覚えていない。確か味噌をベースにめんつゆとごま油、それからニンニクや生姜あたりを合わせて、ぶつ切りにした鶏胸へ揉み込んだような気がする。
これまた冷凍していた長ネギとニラを炒め、凍ったままの鶏にも火を通す。本当は冷蔵庫内での解凍の方が劣化を抑えられるのだが、そのような暇などないと私の腹の虫が叫んでいるので仕方がない。冷凍庫から出し忘れていた今朝の私を恨んでくれ。腹の虫を宥めつつ、冷凍ご飯を電子レンジで温めながら味噌汁を作る。最後に行者ニンニクのめんつゆ漬けを添えて、生野菜の欠如から目をそらそう。さあ、早めの晩餐の始まりだ。
熱い味噌汁を啜って余裕を取り戻した頭は、勝手にオタネ浜の妖怪のことを考え始めた。あれはいったい何だったんだろうか。
「柳田民俗学だと妖怪は信仰を失った神の成れの果てだ。かつてのオタナイにもきっと信仰はあっただろうし、その村落の神だったかもしれないな」
内なる私が頼んでもいない補足を入れてくる。前提が甘いぞ。民俗学であれば、妖怪自体よりも妖怪の周りの人々が研究対象だったはずだ。この場合、まず論ずるべきはあの妖怪ではなく観測者である私になる。無職は自分と向き合うことが何より苦手なのだ。この時点で話にならない。
そもそも、ちゃんと修めていない分野の知識を引いてくるのがよくない。意味のない空論は捨て置いて、飯と向き合うべきだ。私は鶏胸を口に放り込んだ。味噌の風味のほかにニンニクや生姜とは違った直球の辛さが舌にじんわりと残る。唐辛子かラー油あたりも混ぜ込んでいたのかもしれない。凍ったまま焼いたので多少弾力が失われているが、それでも十分に美味しい。凍らされてなお残るネギやニラの香味もうれしい。米だ。米を掻き込もう。並行して行者ニンニクにもちらほら手を出しつつ、全品きれいに平らげた。満腹感が脳を占領し、余計な考えがすべて塗り潰されていく。
夕食によりもう何も考えることのできなくなった私は、かろうじて歯だけ磨いて床に就いた。食器類はシンクに放り込んだままだ。洗い物は明日の私に丸投げする。疲れた体がベッドに沈み込み、次いで意識もどこかへ沈んでいった。
……疲労により入眠こそスムーズだったものの、程なくして私の目は覚めてしまった。ナイトランプを点けて時計を見ると、深夜2時。身体が疲れ切っているせいで、逆に眠りが浅くなっているようだ。水でも飲むかとベッドから這い出ると、部屋の中に人影があった。
あの女だ。あの女が、私の部屋を徘徊している。脳がそれを理解する前に、私は声もなく腰を抜かしてベッド脇に座り込んだ。
「ついてきたのか。妖怪じゃなくて幽霊だったみたいだな」
もう一人の私が脳裏に現れ、またも役に立たない一言を残して消えていった。
もう限界だ。寝よう。私はベッドから掛布団を引き摺り下ろし、頭から被って意識を手放した。