表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
22/34

4月7日14時 昔話

 「札幌文庫」シリーズの一冊、「明治のおはなし」(※12-3)を、再び開く。今度は流し読みでなく、精読する構えだ。

 冒頭の人物紹介によると、新潟から札幌へ移住してきた呉服商の娘「飯田ハツ」は当時の札幌の中心街で育ったのだそうだ。明治8年、齢43になる父のもとに産まれたハツ氏は、両親と三人の年の離れた兄にかわいがられて過ごしたという。

 「お父様の商才は飛び抜けておられたのでしょう。お母様と三人のお兄様、たった五人の身内だけで始めたお店は見る間に大きくなり、ついには近所の店を買い取って蔵までお構えになったのでございます」

 と、彼女は丁寧な言葉遣いで述懐する。語り口からその気品が窺える彼女だが、若いときの話に移ると「学生の時分は随分とやんちゃをしたものでした」と、当時の様子を振り返った。

 「お兄様方が家の手伝いで帳簿をつけておいででしたから、私は幼いころからそれをよく真似ていました。お父様もお忙しかったでしょうに、折を見て丁寧にお教えくださいましたので、学校へ行く前から読み書き計算はよくできたのです。しかし、遅くにできた子ですので甘やかされたのでしょう、お行儀や礼儀といったことについては、あまり厳しくしつけられませんでした。

 学齢に達したときはもう古い学校にはもう女子の受け入れがなく、ちょうど新しくできた学校へ通っていたのですが、修身の授業は本当に大変でございました。あんまりにも嫌だったものですから、教室から抜け出したりして、先生からひどく怒られたのを覚えています。そうでなくとも先生方は普段から厳しくて、例えば落とし物を届けるときであっても、話しかける前にまずは一礼。そして、お渡ししてからまた気を付けをして、丁寧にお辞儀をするようご指導されたものです。

 そのような調子でしたから、試験でも結果が振るわず、落第、原級留め置きなんて話も聞こえ始めたのでございます。周りには実際にそうなってしまう子も少なくありませんでした。それでも、私は『読み書き計算ができるのだからそれでいいでしょう』と開き直っておりました。

 そうしていよいよ進級も危ぶまれたものの、同級の方が礼儀作法にお詳しくてね。真面目というわけではなく、むしろ当時の私と一緒にときどき授業を抜けるような方でしたが、どういうわけかよく物を知っておいでで、その子の助けもあってどうにか卒業できました。

 その子とは卒業してからもよく会って、あちらこちらを遊び歩いていたのですが、私がお嫁に出る際に新潟へ戻ることとなりましたので、その時からすっかり疎遠になってしまいましたね。けれど、あの子から教わったことはいまでも覚えておりますのよ。このあたりは、先日もお話しいたしましたね。(注:別日に学生時代のお話を伺った。「札幌の女学生」に掲載)」

 学生時代の思い出話が終わった後も、札幌大火に三度見舞われて三度店を建て直した話や、日露戦争に徴兵された末の兄が帰ってこなかった話、明治後期に嫁入りしたときの話、昭和に入って店を畳んだときの話など、6ページにわたって滔々とその半生が語られていた。

 昨日は読み飛ばしていた「礼儀作法に詳しい同級生」があの幽霊である、と言うのは流石に都合がよすぎるか。……いや、「学齢に達したときはもう古い学校にはもう女子の受け入れがなく、ちょうど去年新しくできた学校へ通っていた」のであれば、同じぐらいの年齢で同じ区域に住んでいた「代谷(しろや)ナギ」も同じ学校に通っていた可能性が高い。

 「札幌県学事年報 明治十七年」では学年の記載がなかったので気づかなかったが、一番古くて大きい校舎が札幌の人口増加に耐えられなくなって二校目、三校目が生まれていったという経緯があったのかもしれない。その場合、学年によって人数に傾斜が出ていたはずだ。

 開校時期が合致する三校目の女子生徒数は全校で30名程。昨日読んだ別の方曰く「当時の教室は男女別々」とのことだし、仮に1歳年齢がずれていたとしても、合同クラスだった可能性はある。

 となると、「(注:別日に学生時代のお話を伺った。「札幌の女学生」に掲載)」の案内に従って、「札幌文庫」シリーズ「札幌の女学生」(※22-1)を見に行ってもよさそうだ。この注の通りなら「飯田ハツ」の学生時代がより詳しく語られていることだろう。

 私は「明治のおはなし」と「札幌の寺院・神社」、そして「18章でつづる北海道赤れんが庁舎物語 四季の風景と所蔵の絵画」を返却台に置き、そして3度目の来訪となる郷土資料コーナーから「札幌の女学生」を引き抜いた。

 席に戻り、目次から「飯田ハツ」を探し当てて目的のページを開く。相変わらず丁寧な語り口が目に入る。知らない単語――これは当時の学校の用語だろう――があるので、PCに入っている百科事典に頼りながら読み進めていく。こちらも「明治のおはなし」と同様に6ページあり、随分長い間お話をされていたことが窺える。

「当時の小学校は初等三年、中等三年、高等二年の八年制でございます。半年に一回昇級試験があって、生徒はこれに合格しなければいけませんでした。初等の教科は、『修身、読書(よみかき)、修辞、唱歌、体操』ですね。ここから等が上がるにつれて、地理に歴史、物理に幾何、経済、博物、それから女子はお裁縫……と、どんどん増えていきました。

 私は読み書き計算や地理、経済といったような教科の出来は良かったのですが、ただひとつ、修身……今でいう道徳と、それからお作法ですね、お恥ずかしながらこれがよろしくなくて。末の娘で甘やかされて育ったものですから、『父母が服を重ねて着なさいとおっしゃられたら、たとえ暑くても従いなさい』ですとか、『衣服を賜ったら必ず喜んで着てなさい。自分の好みを言ってはいけません』などという教えに、どうしても納得できなかったんですの。

 それで、暗唱なんかも全然捗らなくて、よく先生に怒られておりました。最初の年は授業も週に一度だけで、試験も簡単だったのですが、二年目から授業の数が急に増えて内容も難しくなりまして、嫌になって欠席することもしばしばございました」

 飯田ハツ氏は、「明治のおはなし」との若干の重複を見せつつも、より克明に自身の学生時代の思い出を紡いでいく。

「その頃のことで思い出深いものと言えば『落留会』でございますね。落第の『落』に原級留め置きの『留』を合わせて『落留会』。最初は成績の悪い子たちで集まって遊んでいただけのものだったらしいのですが、私が入ったときには皆さんで勉強したり、絵や文芸をやってみたり、立派な課外活動の場として大人の方たちにも認められていました。別の字を当ててもっと見栄えのいい名前に改めようかという話もあったのですが、結局私が在籍していた間は『落ちる』『留まる』のままでしたね。会員は二、三十人ぐらいで、学年も幅広くいらっしゃいました。半分ほどは、別の学校の子もいらしたかと思います。

 今と違って落第はずっと簡単に下されておりましたでしょう、同級の内、十人に二人は昇級できていなかったように思います。私も、高等科に上がるころには『いよいよ危ういぞ』と先生から釘を刺されるようになってしまいました。当時、女子は読み書き計算ができるだけでも上等と言われておりましたから、私自身、『別に落ちたら落ちたでよいでしょう』と半分は開き直っていました。でも、きっと授業から逃げ出していたのは、残りの半分に劣等感があったからのでしょうね。そんなときに同級生から『落留会』へ誘っていただけて、皆さんで苦手を補い合い、無事に試験を乗り切ることができたのでございます。その頃ちょうど一席空きができたから会に誘っていただけたようで、今思えば大変運が良うございました。

 卒業してからもこの会は続いて、学生クラブというよりも地域の寄り合いのような形になっていきました。暖かい時期はいつも創成川や大通りの野原にお弁当を持ち寄って皆様でお食事していたのを、今でも思い出します。輪になって腰を下ろして、一斉に手を合わせてから頂くのです。当時はまだ『いただきます』というご挨拶の習慣もございませんでしたから、あれはきっと『落留会』のしきたりだったのでしょう。あるとき不思議に思って、近くの会員に『何を拝んでいるの』と訊くと、冗談めかしたように『会長だよ』と返ってきたのを覚えています。しきたりと言いますか、決まりごとは他にもいろいろあって、小さい子も会員だったので『遊んだ後の片付けは自分でやる』とか、そういった当たり前のこともありました。会長は遊ぶことが大好きでいらしたのですが、お片付けも楽しそうになさる方でいらしたので、幼い子供たちも釣られて競うように掃除に励んでいたものです。

 『落留会』の会長は私をお誘いしてくれた同級生で、会を立ち上げたのも彼女だったそうです。先程他の学校の生徒も会員だったといいましたが、それは会長が他の地域でお立てになっていた別の団体をまとめたからなのだと聞きました。神社のお生まれだったからでしょう、礼儀作法に明るく、大人とお話するのにも慣れていらして、先生方や近隣の方々の覚えもめでたかったように思います。私が入会してからの話になりますが、私の両親やお兄様ともいつの間にか親しくなっていらしてね。特に優しかった三番目のお兄様から、私とお揃いで赤げっとで仕立てた襟巻を与えられたこともありました。

 実のところ、彼女はあまり素行が良くなく、私と同じように教室から姿を消すこともありましたし、その他にも大人の目を盗んでいろいろとなさっていたようなのですが、それでも彼女が怒られているところはついぞ見たことがありませんでした。私も羨ましかったものですから、その秘訣を訊いてみたのです。そうしたら、あの子は修身の教科書を取り出して、『これを使えば、大人だって使うことができる』と言うのです。その時は思わず聞き返してしまいましてね。『かくあるべし』『従うべし』が形を成したような本を使って、その逆のことができるというのですから、どういうことか分からなくって。

 それでも、ほかならぬ彼女が言うのであればと一生懸命教わって、礼儀もお作法も身に着けました。そうしたら、不思議なことに、本当に色々なことが滑らかに進むようになりましてね。学校だけではありません。早くにお嫁に出て、新しく事業を起こすこともございましたが、一等役立ったのはこの教えでございました。あれに縛られているのは私だけだと思っていたのですが、誰しも同じことだったようです。私ももう百歳になりますが、この歳まで生きてこられたのも彼女のおかげだと思っております。

 彼女は礼儀作法以外の学業も優秀でしたし、それ以外でも、例えば英語も堪能でいらしてお雇い外国人とお話ができたり、交渉がお上手で赤煉瓦ともお仕事ができたりと、様々なことに長けていらっしゃいました。私の進級以外にも学内外でたくさんの問題を解決なさっていて、会員はみな、ことあるごとに彼女の助言を頼りにしておりました」

 ……本を閉じる。脳裏を過ぎるのは、「勝ちまくり モテまくり」「すべてが思いのままに」というビビットな描き文字と札束風呂だ。思い出に浸るハツ氏には悪いが、この持ち上げようはあまりにも怪しい。話したいことが先行するあまり「札幌の女学生」というタイトルからも外れてきている。しかも長い。インタビュアーは途中で止められなかったのだろうか。

 明治8年生まれの「飯田ハツ」と同級生で、「赤げっとの襟巻を与えられ」ていた「神社のお生まれ」の女。ここまで出揃ってしまえば、この女は「代谷ナギ」で間違いないだろう。幽霊が見せたこれまでの挙動とおおよそ一致しないような人物像が窺えるものの、無職による人物評定がいったいどれほどの意味を持つのかについては甚だ疑問だ。心証を排して年齢・出身・所持品で判断した方がいい。

 それはいいのだが、しかし、これではまるでスピリチュアル系新興宗教の教祖だ。学制という新制度に馴染めない子供を集めて回る。そして集まった者たちは、冗談めかしてとは言うものの、食事の度に会長を想って手を合わせ、さらには自身の行動指針を決めてもらうために日々お伺いを立てる。結果として何でもかんでもうまくいって、「会長のおかげ」と一層信心を深める。あまりに不健全な団体だ。私は教育に明るいわけではないが、幼い内から特定個人への依存心を植え付けるのは、さぞ教育に悪かろう。

 飯田ハツ氏はご結婚と同時に札幌を離れて「落留会」を抜けてはいるが、この文面を見るに、会長への信仰心はそれから80年以上経ってもずっと生きていたように見える。まあ、書かれている範囲では勉強を見ていただけで金品は要求されていないようだし、本人が幸せならOKではあるのだが……。いや、ハツ氏の兄は「赤げっとで仕立てた襟巻」を献上していたな。当時の赤ゲットがおいくらなのかは知らないものの、明治二十年代から普及が始まった舶来品なので、まだそこまでお安いものではなかろう。

 一通り考えを巡らせ、凝った首を労わるように頭をぐるりと回すと、隣にあの幽霊がいた。唐突な登場に思わず漏れかけた悲鳴を、ぐっと飲み込む。図書館ではお静かに、だ。

 迷惑系幽霊へ咎めるような視線を向けると、彼女は「なんだ」と言わんばかりに眉を顰めた。いつから戻ってきていたのかは分からないが、きっともう私の思惑に気づいているのだろう。あからさまに不機嫌な態度をみせている。

「その赤ゲット、お友達のお兄さんから巻き上げたんですか」

 スマートフォンのメモ帳に書いて問いかける。

 女は心外そうに首を振り、「札幌の女学生」本文の「私の両親やお兄様ともいつの間にか親しくなっていて」の部分を指さした。

 仲良くなったからくれたのだ、という主張だろうか。言い訳無用だ。直ちに「これを使えば、大人を使うことができる」の一文を示して見せ、糾弾する。具体的にどうやったか書かれてはいないが、ハツ氏や周囲の大人を取り込んだときと同じく、お前は人心を操って物品を献上したくなるよう仕向けたのだ。

 浮遊するエセ教祖は、口をへの字に曲げるとくるりと反転し、通用口へと消えていった。また勝ってしまった。今日は大変調子がいい。これまでの連敗が嘘のようだ。脅しに屈し続けてきたフラストレーションが解放され、非常に清々しい気分で満たされる。

「勝利に酔いしれるのもいいが、このエピソードからはあの女が教祖気質だったことしかわからないぞ」

 内なる自分が冷や水を浴びせてくる。いいじゃないか、少しぐらい浮かれても。実際、あの女はどこかへ姿を眩ませたし、「落留会」の情報には一定の価値があったと言ってよいだろう。脅しの手段として機能すれば何でもいいのだ。たとえ私がその意味を理解していなくとも問題ない。

 そろそろこのデータベース席の占有時間も終わる。とりあえず今日のところはこのあたりにして、また憑き纏いが再開するようならその時に次の手を考えよう。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ