4月7日13時 札幌市図書・情報館に行こう
札幌観光を中断した昼下がり、私は再び図書館にいた。巫女装束の女は図書館に行くことを渋ったが、当然無視した。現代日本では誰もが知を享受できる。こんな得体のしれない浮遊物に数少ない無職の権利を侵害されてなるものか。
これまでの調査により、ようやく女の記憶の終わりが明治中期の3年間にあるというところまで推測できた。ここまで調査範囲を絞ってしまえばもう少しで正体がつかめるだろう。私は確かな手ごたえを感じていた。あと少し、欲を言えば1年以内まで調査対象の期間を短縮したいところだ。
そう意気込んで訪れた図書館は、昨日お世話になった「札幌市中央図書館」ではない。ここは「札幌市図書・情報館」。大通公園からすぐの所に位置する、街中の図書館だ。先程までいた「赤れんが庁舎」からは東に徒歩10分ほどの距離にある。街中の図書館と言っても札幌市の中心部を流れる一級河川「創成川」に面しているので視界は開けており、ビル群に阻まれることなく大きな青空を拝むことができた。
この図書館は、おなじみの日本十進分類法ではなく自館のオリジナルテーマに沿った本棚を作っている。そのコンセプトは「はたらくをらくにする」。働く世代に向けた提案型のテーマ設定なのだそうだ。体の半分が怠惰でできている私からはおおよそ縁遠いアトモスフィアが漂っている。
1階にはそもそも本があまり置いておらず、ソファや椅子、ミニテーブルの占める面積の方が多い印象だ。そして、その座席では働く世代らしき人々がノートPCやらタブレットやらをいじくりまわしている。飲み物を片手にそれぞれくつろいだり作業したりしているその開放的な空間は、図書館というよりはカフェやサロンのようだった。人々の頭上に浮かぶ巫女装束の幽霊も「昨日行った図書館とは随分違うようだが」と言わんばかりの疑いの目を向けてくる。とりあえず頷いておこう。
1階のサロンのようなエリアを抜けて2階へ上る。何とも洗練されたおしゃれ空間だ。現代アートというのはこういうのを言うのだろうか。ひと手間かけた幾何学の波動がフロアや棚から感じられる。ここにいるだけで意識が高まってくるようだ。
1階よりは多くなった本棚には、アートや暮らしについての本、次いで資格本のような実用書が目立つ。美麗な写真が表紙の、「読む」ことよりも「見る」「眺める」ことに重点を置いた本がたくさん面出しされており、この図書館の瀟洒な雰囲気に一役買っている。
それらを手にソファへ背を預ける人間もいるが、やはりノートPCをカタカタと操る人間も多く、ノマド族のたまり場となっているようだ。PC持込み自由で飲食可能、通話やミーティングも可。しかも洒落た内装で料金無料ときたら利用しない手はないだろう。かくいう私も手持ちのIT機器で作業を進めるべく参上した一端のノマドワーカーだ。その実態はただスマホをいじりに来た無職なのだが、そんなことは些細な問題だ。
うらぶれた自身の内実から目をそらしつつ、館内を見渡す。
図書の貸出は行っていないらしく、有人の返却カウンターの代わりに無人の返却台があちこちに設置されている。きっと独自コンセプトの排架だから利用者自身で本を元の場所に戻すことを期待できないのだろう。あるいは、貸出がないからここで蔵書の利用傾向を測っているのかもしれない。
本棚や座席に囲まれたフロアのど真ん中には大きな三角形のリサーチカウンターが置かれ、その中に司書が2人座っている。日によってはビジネスなり法律なり、様々な専門家を招聘して相談会を行っているらしい。これがこの図書館のレファレンス窓口か。札幌市中央図書館でも思ったが、気合の入りようがすごい。札幌の図書館が特別レファレンスに力を入れているのだろうか。それとも大都市の図書館はみんなこんな感じなのだろうか。
ともあれ席探しだ。この館には自由席・予約席があり、日曜の昼下がりである現在、自由席はほぼ埋まっていた。見たところ予約席にはいくつか空きがあるようなので、それを求めて予約券の発行機に向かう。ワーキング席、リーディング席と横文字の席名が並んでいるが、それらの座席は先程直接見た様子と同様、空席があとわずかのようだ。PC持ち込みでバリバリ作業している人の横でスマホいじりたくないなぁ……。などと思っていると、発券機の隣にあるものを見つけた。館内の商用データベース一覧だ。
見ると、ここでは「北海道日日新聞」の商用データベース「パソコンで読む北海日日新聞」(※18-1)が利用できるらしい。なんと、創刊の明治20年以降の記事がすべてデジタルアーカイブ化されているという。さらに驚くべきことに、古い記事であるにもかかわらず、全文を対象としたキーワード検索機能まであるようだ。
中央図書館には昭和後期からの記事データベースしかないと聞いていたので、私はまだまだ死亡時期の特定を進める気でいた。
しかし、この「パソコンで読む北海日日新聞」があれば対象期間が3年であれ半年であれ、調査にかかる労力に大きな差はないだろう。説明書きをよく見ると、「北海日日新聞」には「全道版」と「地方版」があり、このデータベースは「全道版」のみの収録らしいが、それでも手軽に検索できるメリットは計り知れない。
これを制作してくれた新聞社と、購入・提供してくれている図書・情報館に感謝の念を送りつつ、データベース席の予約を進める。一度の予約で最大90分まで利用可能とのことだ。利用状況を見るに他の種類の席と違ってガラガラだし、遠慮することもないだろう。最長の90分を選択し、一番端の席の券を入手した。
指定した席に座り、PCを起動する。ずいぶん寂しいデスクトップだ。きっとデータベース閲覧以外のことはできないようになっているに違いない。モニタの前にも「データベース閲覧以外しないように」との注意書きが置かれていたので、もしかしたら過去に何かあったのかもしれない。
大人しく「パソコンで読む北海日日新聞」のショートカットアイコンをダブルクリックする。検索対象期間と検索キーワードを入力するインターフェイスが表示された。
では、その検索対象期間を整理していこう。私は手の中のスマートフォンからクラウドストレージ上のスプレッドシートを開いた。
そこには以前まとめた条件が10個記載されている。
①1877年(明治20年)に完成した「新川」を知っている。
②1896年(明治29年)にはあり、1916年(大正7年)には無くなった「清川」南の沼を知っている。
③1896年(明治29年)にはあり、1961~1966年(昭和36年~41年)に無くなった「小樽内川」を知っている。
④1887年(明治20年、「教科入門」(※8-12)の出版年)の、変体仮名交じりの小学生用教科書に見覚えがある。
⑤1899年(明治32年)から流行した「行燈袴」を知らず、襠のある袴を着ている。
⑥1912~1926年(大正時代)より前には文化的にあり得なかった、仮称「ウルフカット」をしている。
⑦1887~1896年(明治20年代)以降に流行した「赤ゲット」を身に着けている。
⑧1868年(明治時代)以後の巫女は公的には排斥されていたが、服装や神楽を見るに、推定巫女。
⑨1986年(昭和61年、「札幌の寺院・神社」(※12-4)の出版年)時点で存在した札幌の神社の名前について、見覚えがない。
⑩1868年(明治時代)以後の神社関連の文書について、見覚えがない。
ここに先程までの札幌観光で手に入れた条件を書き加える。
⑪1894~1895年(明治27~28年)の「日清戦争」を知っているが、1904~1905年(明治37~38年)の「日露戦争」を知らない。
⑫1888~1896年(明治21~29年)にあった「赤れんが庁舎」の「八角塔」を知っている。
幽霊が知っていること・知らないことを元に、年表へ線を追加する。依然浮いたままの⑥と追加情報のない⑧~⑩は、昨日と同じく無視だ。私の中の確証バイアスがそうしろと囁くので仕方ない。
こうして、最終的に残ったのは日清戦争開戦の1894年から赤れんが庁舎の八角塔撤去の1896年となった。
赤れんが庁舎でざっくり勘定したときと同じく、3年間。
いや、日清戦争の開戦日ぐらいならすぐわかるので調べよう。手に持ったスマートフォンのブラウザを起動し、「日清戦争」と入力すると、Googleが親切にも概要を提示してくれた。どうやら1894年7月25日から始まったらしい。それを当時の一般市民が当然の知識として持っている状態になるまでどれだけの時間がかかるか分からないので、⑪にそのまま開戦日の「7月25日」を書きつける。
赤れんが庁舎の八角塔撤去日は……、まあいいか。ローカルネタは調べると長そうなので一旦保留しよう。データベース化されていることだし、ここまでくれば誤差の範疇だ。
探るべき期間がようやくはっきりした。1894年(明治27年)7月25日~1896年(明治29年) 12月31日。この2年半を「パソコンで読む北海日日新聞」のUIに打ち込み、大きく息を吐く。いよいよ大詰めだ。張り切っていこう。




