4月7日12時 札幌観光 ~赤れんが庁舎編~
「赤れんが庁舎」は正式名称を「北海道庁旧本庁舎」という。
「赤れんが庁舎パンフレット」(※17-1)では、「四季折々に赤く映え、美しい姿を見せている北海道庁旧本庁舎は、“赤れんが”の愛称で広く道民に親しまれています。赤れんが庁舎が産声を上げたのは、明治21年(1888)。この設計は、平井晴二郎を主任とした道庁の技師が担当し、アメリカ風ネオ・バロック様式のれんが造りで、建築資材のれんが、硬石、木材などの多くは、道産品を使用しました。以来、新庁舎完成までの80年にわたり、北海道の拠点、道の中枢としての役割を果たしてきました」と紹介されている。
その紹介文の隣には庁舎の写真が5枚、年代順に並べられていて、解説や年表と合わせて当時の様子を覗うことができる。ちなみに、2025年7月24日までリニューアル工事中なので、まだ4月になりたての現在は館内立ち入り禁止だ。
今はその「赤れんが庁舎」に向けて一歩一歩碁盤の目をなぞっているところである。そろそろ着く頃だろうかと辺りを見回していると、頭上で逆さまに浮いている女が私の目の前でひらひらと手を振ってきた。
「なんですか」
十字路の隅で足を止めて端的に聞く。私は先の「札幌市時計台」で一度迂闊に釣り糸を引き上げて警戒ラインを上げてしまっている。次は失敗できないという緊張感から、私は言葉少なになっていた。もともと誰とも会話を楽しめない社会不適合者だったなどということでは断じてない。
女は私を指さし、その後、来た方を除く三方の道の先を指した。その身振り手振りを見るに、行先を気にしているらしい。
「今どこに向かっているか、ですか」
女は忙しく動かしていた手を止め、頷いた。そういえば行先を告げていなかった。
「次の行先は――」
続く「赤れんが庁舎です」という声を飲み込み、慎重に言葉を選ぶ。愛称は「赤れんが庁舎」、正式名称は「北海道庁旧本庁舎」だが、明治時代ならまだ現役だ。よって、「旧」でもなければ愛称の必要性も薄そうなので――。
「『道庁』です。そろそろ着くと思うんですが……」
私は左右をきょろきょろと見回しながら、逆さ女にも伝わるであろう名称で目的地を告げた。その有様はさながら道に迷ってしまった観光客だ。実際半分迷っているので、自然なふるまいになっていることだろう。大体の方角は把握しているから行けるだろうと思って地図を逐次確認はしていなかったが、思ったより道のりが長くて不安になってきたところだ。
現在地を確認しようとポケットの中のスマートフォンに手を伸ばすより早く、私の言葉を受けた女がぐるりと身体を半回転させて一条向こうの林の上を指さした。
女の示す先を見ると、イチイとエゾマツ、それから名も知らぬ木々の向こうに小さく「赤れんが庁舎」の特徴のひとつ、ドーム状の屋根が見えた。
庁舎の頂上で一際目立つこの部分は「八角塔」という。「赤れんが庁舎」を見た人の中には、「赤れんが」よりもむしろシルエットを大きく特徴づける「八角塔」の方が印象深く映る人も多いかもしれない。「赤れんが庁舎パンフレット」によると、当時アメリカで流行った「独立と進取のシンボル」を示す建築様式で、道庁の前身である開拓使札幌本庁舎から意匠を引き継いだものらしい。
「赤れんが庁舎」を取り囲む林は厚く、その愛称の由来である赤れんがの外壁はいまだ見えない。
この見え方なら、と「赤れんが庁舎パンフレット」の写真を思い出す。これは、もしかしたら釣れるかもしれない。突如訪れた魚影に一瞬戸惑うも、ここが勝負どころだと気を引き締めて釣竿を握りなおす。
「ああ。あの丸い屋根ですか」
走る緊張を胃の中に押し隠し、口先だけで確認する。
女はこちらを振り返って頷いた。その答えを受け、小さく安堵の息が漏れる。どうやらうまく釣れたようだ。これでこの女の亡くなった年代の候補をぐっと狭めることができるはず。
「ありがとうございます。あっ、ちょっと待ってください」
するりと再び身を翻し、こちらを先導するように進みだした女の背中を追いかけながら、情報を整理する。
「赤れんが庁舎パンフレット」には5枚の古写真が載っている。このうち、今回利用したのは2枚目と3枚目だ。前者は「北海道庁本庁舎(明治22年頃)」、後者は「八角塔撤去(明治29年)後」と銘打たれている。そして、写真の隣の年表にはさらにはっきりとその変遷が記載されている。
「1888 明治 21 赤れんが庁舎完成」
「1896 明治 29 赤れんが庁舎八角塔・換気塔撤去」
つまり、「北海道庁」に現在の「赤れんが庁舎」のようなドーム屋根の「八角塔」がついていた時期はたった9年間しかなかったのだ。
そして私の前で浮いている女は「八角塔」だけが見えるこの状況で、それを「北海道庁」だと認識している。
またひとつ年代特定のためのキーが手に入った。これまでの情報と総合すると……たぶん、3年ぐらいまで絞れたか。さすがに覚えることが多くて、歩きながらでは整理しきれなくなってきた。あまり自信がない。どこかで腰を落ち着けて作業をしたいが……などと考えていると、その愛称のとおりの赤い煉瓦の外壁が林の中から現れた。
正面には「2025.7.25 OPEN」「リニューアル中」と書かれた横断幕が張られている。外観はすでに完成していると見え、「赤れんが庁舎」は現北海道庁をバックに堂々とした立ち姿を見せていた。「八角塔」もよく見ると素材の銅板が新しいものに替えられたばかりのようで、新しい十円玉のような輝く赤褐色だ。これから風雨に晒されるうちに酸化して、黒ずんだり青くなったりしていくことだろう。
広い前庭には様々な樹木が植えられており、花壇らしきものもたくさん設置されていた。「前庭に咲く花」と銘打たれた案内看板には時期によってどこで何が咲くかが示されている。リニューアルオープンを迎えるころにはヨドガワツツジやハクレンシャクナゲ、ハマナスにチューリップ、それからスイレン、ショウブが咲いているらしい。今の閑散とした庭の中で花の名前だけたくさん並べられてもあまりピンとこないが、オープン時にはきっと色とりどりの草花に囲まれた赤れんが庁舎が見られることだろう。
今はまだ春の序の口なので、北海道神宮と同じくイチイやエゾマツ、ヒマラヤシーダあたりの常緑樹を除いて葉の一枚も見ることができない。今は陽も出ていて随分と暖かいように感じられるが、林に囲まれた2つの池はなかなか水温が上がらないようで、いまだに氷が張っている。庁舎の側面に回り込んでみると、その大きな日陰にはまだ結構な量の雪が残っていた。花の季節はまだまだ遠そうだ。
庭も含めて一通り見て回った後、隣に浮かぶ女へ声を掛ける。
「改修中なので中には入れないらしいです」
女はわかったのかそうでないのか、くるりと一回転してこちらを見た。その瞳は次の行先を問うている気もする。
バラバラになりかけている頭の中の年表を放置してこのまま観光を続けてもあまり意味がない。一旦情報の再整理と、今後の方針の検討が必要だ。
幸い家で作った年表はクラウドストレージにあるので、使用感に目をつぶればスマートフォンからでも編集可能だ。寒くなくて、長い時間座ってスマホをいじっていても煙たがられず、さらに無料で使えるとなおいい。ネットでも本でも媒体は何でも構わないが、必要に応じて調べものができれば満点だ。
近くにそんな場所は無いものかと考えながら地図アプリをいじくりまわしていると、とある施設が目についた。
「あるんかい」
あまりにも都合のいい施設が見つかったので、エセ関西弁が飛び出してしまった。幽霊が怪訝な顔でこちらを見ている。なんだその眼は、と思わないでもないが、まあいい。行先を教えてやろう。
「これから、図書館に行きます」
女は渋面を作り、首を横に振った。




