アルミの茶缶
その日の午後、仕事も休みであったせいもあって、僕は、久しぶりに羽を伸ばして、女の子と遊んでみるかという気になって、近くの大久保公園まで出掛けてきた。ここには、いわゆる、「立ちんぼ」という少女集団がたむろしている。名の通りに、立って、男の誘いを待つ少女売春の勧誘行為である。僕は、その日、ジーンズにニットの上着というラフな格好で、散歩がてらという気楽な目的だった。いざ、公園の近くまで来てみると、結構な人数の少女が、手にスマホを持って、暇を潰しながら、公園周辺のあちこちに壁にもたれるようにして、立っている。物色するわけでもないが、彼女たちを眺めていると、まるで、大阪の飛田新地に来たような錯覚をさせる。時には、キャバクラ嬢のような化粧や身なりをして男に売り込みをかけている派手な娘もいるようだ。しばらく、ブラブラとしながら、彼女たちを見ているうちに、ひとり、気になる女の子がいた。まだ若い。17、8歳だろうか、化粧もせずに、黒いワンピースに紅いベルトをして、隣の地面に小さなリュックを置いていた。素朴な顔立ちで、どこかこんな場所にそぐわない、そんな印象の少女だった。それで気になった僕は、近づいて彼女に声をかけてみた。
「君、いくらなの?」
すると、その少女は、見ていたスマホから顔も上げずに、そっけなく、
「2枚」
と言った。
僕は、気になって、
「君、年、いくつなの?」
と訊いてみた。すると、娘は、やはり、顔を上げずに、
「17」
と答えた。そのそっけない態度が、妙に僕の気を誘った。それで、仕方なく、僕は財布から札を出すと、彼女に渡してみた。すると、娘は、金を取り、僕を向いて、
「ついてきて。あたし、ホテル、知ってるから」
と、言って、さっさと歩き出した。僕は、慌てて跡をついていく。やがて、角を曲がって、ホテル街へ来ると、娘は、小さなモルタル塗りの安っぽいホテルの扉を潜る。そして、僕が前払いの自販機で、部屋の切符を買うと、また、娘は、部屋へ直行していく。
小型エレベーターに乗って、部屋に入ると、娘は、ようやく、まともに僕の顔を見て、
「お兄さん、いくつなの?」
と、訊いてきた。
僕が、28と答えると、ふーんという顔つきで、何も言わず、シャワーを浴びに姿を消した..........。
男女の営みを終えて、僕が、ベッドの上で、煙草のマルボロを吸っていると、隣で寝ている彼女が、1本抜いて、吸い始めた。
「おい、まだ未成年だろ?」
と、僕が、たしなめると、悪びれずもせずに、
「法律なんて、政治家が守ってりゃいいの。美味しいわね、これ」
と、スパスパ吸っている。
そばの床を見ると、彼女の汚れたリュックが置いてある。それが気になって、僕は訊いてみた。
「君、家はどこなの?」
すると、娘は、遠くを見つめるような顔つきで、
「北海道。あたし、家出してきたの」
「家出か?荷物は、それだけかい?」
「そう、悪い?」
「それじゃあ、今夜、泊まるところは、どうするの?」
「分かんない。でも、なるようになるんじゃない?そんなもんよ、世の中」
僕は、この娘に妙に気を引かれた。もう少し、話していたい気持ちになってきたのだ。不思議なものである。別に、彼女がタイプとか、魅力的とかでもない。不思議な引き寄せる雰囲気のようなものが、彼女にはあったのだ。
「君、名前、何て言うの?」
「友加里、どこにでもいるような名前よね、笑える」
そう言って、友加里は小さくクスクスと笑い声を上げた。
「それじゃあ、今夜、僕んち、泊まっていけよ、一晩くらい、喰わしてやるから」
「本当?ありがと。でも、あんた、稼いでんの?」
「ああ、今は、バイト、3つかけ持ちしてるよ。結構な稼ぎにはなってるよ」
「ふーん、そいじゃあ、忙しいんだ?頑張るんだね?そりゃ、女みたいに身体、売れないものね?」
「面白い。でも、よく東京まで出てきたな?親、心配してないのか?」
「分かんない。でも、あたしもどうするのか、分からないで上京してきたもの。人間っていい加減な生き物よね?」
ふたりで、部屋のコーラを飲んで、一息ついた。爽やかな味だった。
「美味しいね、このコーラ」
と、友加里が言った。
「青春の味だよ」
と、僕が言った。
「お兄さん、名前は?」
「隆一。もう、行こうか?」
ふたりで、ホテルを出た。自宅のマンションに帰る途中で、近くのコンビニに寄った。僕は、ポテトチップスと炭酸水を買い、彼女には欲しがったスイーツのケーキとグレープフルーツのジュースを買ってやった。自宅のマンションの居間に戻ると、友加里は、本棚から漫画の雑誌を抜き出して、床に座り込んで読み出した。好きらしい。そして、さっき買ったスイーツをムシャムシャと喰って、ジュースをごくごく飲んでいる。いい気なもんだ。
僕は僕で、テレビをつけて、ぼんやりとお笑いのバラエティ番組を見ていた。すると、いつの間にか、友加里は持っていたリュックの中をゴソゴソとやって、小さな雀のマスコットを取り出して、僕に言った。
「これ、今夜、泊めてくれるお礼に隆一にあげる。大事にしてね」
と、僕に手渡した。僕はお礼を言って受け取った。
それから、夕方まで、友加里は、ずっと漫画を読んで過ごした。
夕食は、ふたりで、宅配の弁当を取って、食べた。友加里は、唐揚げ弁当の特大と、烏龍茶を飲んだ。腹は一杯になった様子だった。夜は、うちに、花火が買ってあったので、ふたりで、近くの公園へ行き、綺麗な花火の花を見て過ごした。そして、夜も、残りの時間は、友加里は、漫画に夢中のようだった。遅くなってきたので、眠ることにした。ベッドは、セミダブルだったので、ふたりで眠ることが出来た。
「花火、綺麗だったね」
と、友加里がベッドの中で言った。
「うん、そうだね」
「でも、あたし、線香花火が一番好き。とっても素敵だわ、素朴で」
それから、ふたりは、一夜をともにした...................。
次の日は、朝から仕事だった。それで、急いで、トーストとコーヒーで朝食を済ませて、出掛けようとすると、友加里が、どこから出してきたのか、花柄のエプロン姿で、僕を見送りに来た。
「よせよ、照れるじゃないか?」
「いいのよ、頑張ってね、隆一」
僕は、友加里に送られて自宅を出た。
仕事は、金属工場での部品製造だ。僕は、額に汗をして一生懸命に働いた。そして、昼休みになった。僕は、昼食を食べに、工場から出た。そこへ、思いがけず、友加里が現れた。手に包みを持っている。僕は、ビックリした。
「どうして、ここが分かったんだい?」
「電話帳を調べて、電話をかけて、住所を教えてもらったの。そんなことより、これ。手作りのお弁当よ。暇で、時間が余ったから、作ってみたの。食べてみて?美味しいかもよ?」
そう言って、手の包みを手渡した。僕は、お礼を言って、受け取った。渡すと、
「そいじゃあ、帰って、また、好きにするわ。じゃあね」
と、帰っていった。
作業机で、お弁当の蓋を開いた。タコのウインナー、厚焼き玉子、すき焼き、三色おにぎり。どれも、友加里の心がこもっていた。正直、嬉しかった。
午後も頑張って、午後5時になると、帰宅した。帰ると、マンションの部屋が綺麗に整理整頓されて、掃除もされていた。漫画を読んでいる友加里が、午後も時間があったから、用事したという。僕は、感心した。
そんなこんなで、友加里と僕の同棲生活が始まった。
ある日、仕事から帰宅すると、寝室の棚のところで、友加里が、ゴソゴソと何かやっている。何だろうと、友加里の肩ごしに覗いてみると、友加里は、どこから買ってきたのか、小さな透明プラスチックケースの中を見ている。
「それ、何だよ?」
と、僕が尋ねると、友加里は、
「蛇、駅前のペットショップで安く売ってたから」
と、僕によく見せてくれた。
ケースの中を見てみると、床におが屑が敷いてあり、とぐろを巻いた小さな黒い蛇が一匹、眠ったように動かない。でも、よく見ていると、時折、ペロペロと紅い舌をだしているようだ。
「こんなの、いったい、何をエサにやるんだ?」
すると、友加里が、
「これは、小さい蛇だから、蜘蛛とか昆虫類かな?時々、捕まえてきて、あげなきゃ」
と言って、飽きもせずに、じっと眺めている。よく分からん。
「ここの棚に置いといちゃ、駄目?どこがいいかな?」
と、甘えたような声で僕に訊いてくる。僕は、
「居間の、テレビの横は?あそこなら、邪魔にならないから」
「じゃあ、そうする」
と、プラスチックケースを居間へ持っていった。
それから、ふたりで、おやつを賭けて、トランプゲームをして楽しんだ。友加里はよく笑った。最近は、よく笑うようになった気がする。くつろぐようになってきたんだろうか?
ゲームは、僕が負けた。嬉しそうに、友加里は、戦利品のポップコーンとコーラを独り占めして飲んでは、まだまだ、勝負に甘いね、と、憎たらしいことを僕に言った。
それから、蛇のエサを取ってくると言い残して、友加里は出ていった。気をつけて、と僕は、彼女の背中に声をかけた。
僕は、CDで音楽をかけた。僕は、クラシック音楽が好きだった。その日は、モーツァルトのCDをかけて聴いていた。テンポが早いが、小刻みいい。いつの間にか、音楽に気を取られているうちに、彼女が帰ってきた。見てみると、着ている服が泥だらけだ。心配になって問いただすと、昆虫を取ろうと入り込んだ林の中で、男にレイプされかけたらしい。そして、泣き出しながら、もうちょっとで犯されるとこだったと、すすり声で言った。僕は、静かに彼女を抱きよせた。友加里も、僕にすがるように、身を寄せた。僕たちは、甘い口づけをしていた。
それでも、彼女の持っていた虫かごには、数匹のカナブンや蝶が採取されていた。気を取り直して、友加里は、その虫を、器用にピンセットでつまむと、蛇の入ったケースの床に置いた。僕は、よく観察した。しばらく、黒い蛇は、じっと虫を見ていたが、急に飛び出すと、パクッと虫を補食した。すごい早さだ。
夕食は、駅前のファミレスにふたりで出掛けた。店内で、窓際の席を取り、通りを行く人の姿を眺めながら、ちょっと奮発して、豪華な夕食にした。友加里が、肉汁の滴るような牛肉のステーキをねだった。僕が笑って、注文すると、友加里は、外の通りの人たちを見ながら、
「慌ただしいね、みんなって」
と、言った。
「何だか、年よりじみてるぞ、友加里」
「ははは、笑える」
友加里はよく食べた。そのうえに、ドリンクバーで、ジュースを3杯飲んでいた。よく、それだけ飲み食いできるなと、僕は感心した。
帰宅すると、もう午後の9時を過ぎていた。何だか眠い、と、友加里が眼を擦って言った。それで、その日は寝ることにした。
翌日は、仕事の休日だった。その日の午後は、ふたりで昼間からセックスをしていた。ベッドの上で、友加里は激しく燃えて、僕が果てたあとも、しばらくは、セックスの余韻を感じていたらしい。その後で、彼女が言った。
「ねえ、隆一、ちょっと待ってて」
そう言うと、友加里は台所へ姿を消し、しばらくして、両手にあるものを持ってきた。それは、台所の棚にあった、アルミ製の空の茶缶であった。
「これからはさ」
と、友加里が言った。
「あたしとセックスする時は、この中に1万入れて。あたしにカンパするつもりでさ。なら、あたしも売春みたいで気分出るし」
僕は、かわいい奴だな、と、微笑んで、承諾した。
それで、さっそく、僕は、茶缶に1万をいれると、友加里ともう、ひと勝負した。友加里は淫らな娼婦になって、僕の相手をした。
それからは、何とはなく毎日が過ぎた。友加里はよく気がついて家の用事をしてくれた。夢のように毎日が過ぎた。素晴らしい日々だった。
ある日、僕が仕事から帰ってくると、居間にいつもの友加里の姿がない。それで、不審に思って、寝室を覗いた。
すると、友加里が、ベッドで見知らぬ男と裸でいちゃついている。ビックリした僕をみて、慌てて、その男は、身支度して、逃げるように部屋を出ていった。
僕は、友加里を問いただした。彼女は、ケロっとして、最近、出会った男友達なの、と答えて、さっさと服を着ると、居間に出ていった。残された僕は、しばらく、呆然としていた。僕に世話になっていながら、よく、あんな真似出来るのだろうか、と女の気持ちがまた分からなくなった。
その事があってから、僕たちの間は、少しギグシャクしたものになった。何だか、距離が出来た感じだった。そして、部屋も、だんだんと乱雑になってきたり、僕のいない間に、例の男を引っ張り込んでいるような気配もあった。
そんな、ある日の朝、急に友加里が姿を消した。
あのリュックもない。蛇の入ったケースまで消えていた。
僕は、途方に暮れた。でも、彼女は、もう帰ってこない、そんな感じがした。
僕は、正直、孤独を改めて実感していた。友加里のいない生活がまた戻ってきたのだ。
あの男と一緒に、何処かへ行ったのだろうか?
でも、もう、どうでもいい、そんな気持ちにもなっていた。
僕は、ポケットから、最初に友加里からもらった雀のマスコットを取り出した。
それは小さくて、可愛い雀だった。まるで、友加里だな、と僕は感じた。それを窓のそばの机のうえに置いて、ぼんやりと眺めた。
友加里との様々な思い出が僕の心によみがえってきた。楽しかった。
いつまでも、僕は、雀のマスコットを眺めて、時を過ごしていた....................。