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8 恨みと氷結城

 ルミナスは必死だった。

 必死にならなければ、それこそ死んでしまうのだ。

 彼女は明確なイメージが出来なかった。

 朧気なイメージで、なんとか解毒魔術を無詠唱のまま自分自身に使った。

 何度も、何度も。

 数十秒、ルミナスはあまりの苦しみにのたうち回っていたが、そのうち地獄のような苦しみは少しづつ和らいでいく。

 しばらくして、彼女は天井を見ながら深く息を吸っていた。


「へえ、ルミナスさん判断が早いのね。そんな強力な毒をこんな短い間に解毒しちゃうなんて」


「ラ、ランページバイパーの……毒、ですか……」


 毒を取り除いたあとも激しく心臓が鼓動し、苦しいながらもルミナスは訊いた。


「そうよ。あんたが倒してくれたあとにこっそり採取しておいたの。調合に使うのと、それからあんたにこうして飲ませるためによ。そこまで頭が回るなんて、ルミナスさんはすごいのね」


 レイは嘲笑うように言う。

 ルミナスはフラフラと床に倒れていたところから立ち上がって机に掴まった。

 吐き気は無いが、昨晩の酔った時より余程酷い目眩が襲っていた。


「どうしてこんな……こと、をしたんですか。レイさん」


 ルミナスは苦しみながら途切れ途切れに訊く。

 レイは半笑いでその問いに答えた。


「そりゃあ、私は妖精が大嫌いだからね。悪いけど、あんたの言うことは何も信じてないわ。それに、ナジャにだって本当はどんな魔術をかけたか分かったものじゃない。今は元気そうだけど、これからどうなるかってね」


「そ、そんな……どうしてそんな――」


「だから! 私は妖精が憎くて恨めしくてたまらないの! 嫌いなのよ! 二度も言わせんなよ!」


 レイは突然激怒して、大声で怒鳴った。

 その声はあまりにも大きくて、二階の部屋の人々に聞こえてるんじゃないかと思うほどだった。

 ルミナスは体をびくりと痙攣させて驚いた。


「……あんたら妖精は、人間のことをなんだと思ってるの!? 大勢で集まって、仲良しこよししてる種族か!? 困ったら助け合える種族か!?」


 いきなりの話題に、まだ朧気な意識の中にいたルミナスは頭を混乱させる。

 しかし、激昂しているレイはそんなことを気にする訳もなく、続けた。


「そんなのは豊かな暮らしをする一部の人間だけだ! その一部の人間たちだけならそうかもしれない、だけど! ……人間は、貧しくなったら平気でお互いを傷つけあう種族なのよ! お互いが憎くて憎くてたまらなくなるの! ――私の父だってそうだった!」


 レイは興奮のままに立ち上がり、目を潤ませて話す。

 ルミナスは段々とはっきりしていく意識でその輪郭を捉えた。


「仕事もせず昼間から酒に飲まれて、私と弟を殴る人だったわ! 当然、仕事もしてないから稼ぎなんてないし! 死んだ母の墓を平気で蹴り倒すような人だった!」


 そこまで言うとレイは、まるで息切れしたみたいに話を止めて、少し落ち着いた。

 そして次は、先程よりも声のトーンを落として話した。


「……でも、そんな屑でも父親なのよ。私たちを養うために仕事を探してた。でも毎回失敗して、それでお酒を飲む人だった。尊敬できる人なんかじゃないけど、私と弟にとって父親であることに変わりはなかった。……それなのに!」


 突然、レイは激しくルミナスのことを睨んだ。

 それは顔を睨みつけているというよりは、その背に生える羽根に視線が向いているようだった。


「……ある日、父は仕事を見つけた。その時からすごく上機嫌になって、父は生まれて初めて頭を撫でてくれたわ。とても嬉しかった。それまでの暴力や横暴な態度も水に流してしまって、それからの生活に思いを馳せるくらいに。でも、初めて仕事に行ってから、父は二度と家に帰ってこなかった」


 レイの潤んでいた目からとうとう涙がこぼれ落ちて頬を伝った。

 ルミナスは彼女の話すそれを、聞き入っていた。

 聞いていなければならないような気がしたからだ。

 吐き出すように話しているそれを聞いてあげなければならないような気がしたからだ。


「父の受けた仕事はね、妖精の羽根の密猟だったのよ。大勢で森に入っていって、一匹の妖精の羽根を取ってくればいいだけの、そういう仕事だった。でも、父は殺されたのよ。狙いをつけた妖精はとても強くて、それで殺されてしまったのだと逃げおおせた人達が言っていた。……おかしいわよね。父以外の人間は全員逃げおおせたの。さっきも言った通り、人間は貧しけりゃ、他人が傷つくことも厭わない。父は見捨てられて、一人ぼっちで森の中、妖精に殺されたの。死体だってどこにいったかわからないしね」


 ルミナスは心を痛めた。

 いまや彼女は、毒を盛ってきた相手の話に最大限に感情移入していた。

 彼女は人間の側の気持ちも、妖精の側の気持ちもわかるから、余計に心が痛んだ。


「ねえ、どうして妖精は羽根を差し出さなかったのかしら。ルミナスさん、私の父は貧しくてもその状況から抜け出すために頑張ってた。どうしてそんな人が殺されなくてはいけないの? そんな付属品みたいな羽根、どうしてその時の妖精は差し出してくれなかったの?」


 レイは大粒の涙を零しながら問うてきた。

 ルミナスはもう、悲しまずにはいられなかった。

 彼女は、今まで何度も密猟者を撃退してきたことがある。

 その中で一度も羽根を奪われたことはないし、しかし逆に密猟者たちを殺したこともない。

 ただ、密猟者を殺すその妖精の気持ちもわかってしまった。


「……レイさん。妖精の羽根は付属品なんかじゃないんです」


 ルミナスは苦心しながら言った。

 レイは泣きながらも彼女のことを睨みつけてきたが、気にしないように努めて続けた。


「妖精にとって羽根は――人間で言う内臓のようなものです。片方失くすだけでも著しく力が衰えるし、両方失くしてしまえば死んでしまう。だから、その時の妖精だってきっと、死にたくなくて――」


「たとえ……たとえそうであっても!」


 レイは大声でルミナスの言葉を遮る。


「私の妖精を恨む気持ちに変わりはないわ。私の大切な存在を奪ったことに変わりはない。……私は、許すことが出来ないし、殺したくなるほど憎いのよ。……ただ――」


 レイが一瞬口ごもったその時、出会ったあの時と同じように、彼女の瞳の中で嫌なものが蠢いたような感じがした。

 ルミナスは若干息を呑んでその言葉を聞いた。


「今回はごめんなさい。酔っ払って語るべきでもない話を長々としてしまったし、なによりあなたを殺そうとした。――でも、私があなたを信じられないのは確かなことなの」


 レイは長椅子に置いていた杖を拾い上げるとルミナスに向ける。


「あなたがメザリアやナジャやリフと仲良くしたいのなら止めない。けれどもし変なことをしようとしたら、その時は私はあなたを殺す。あの三人は、私にとってもう失いたくない大切な存在だから」


 そう言うと、レイは小走りで階段に向かっていき、二階へ上がっていった。

 それはルミナスからすると、泣き腫らした顔を見られたくないかのように見えた。

 まさかこんなことになるなんて。

 まだテーブルの上には割れたグラスの欠片と毒入りカクテルの液体が広がっていて床へ滴り落ちている。

 ルミナスは衝撃を受けて、しばらく長椅子に座った状態から動くことが出来なかった。




     ●




 夜、激しく吹雪の吹く山の峰にそびえ立つ凍りついた城の出来事。

 もう城内の人間が全員寝ていてもおかしくないくらいの時間にも関わらず、そこでは諍いが起こっていた。


「メルト様! またやったんですね!」


 ソフィアは声を上げながらメルトの部屋へ入っていった。

 今回はメイド服から着替えてパジャマになっている。


「んん? なんのことかしら」


 髪も肌も、着ているフリル付きの服も、雪と氷をそのまま擬人化してしまったみたいに真っ白。

 そんな小さくて華奢な少女は――メルトはそうやって返事をした。

 彼女はまさに今右手に持っている紅茶が入ったカップを口に運ぼうとしていたところだったが、ソフィアの姿を見て机にそれを置いた。

 そして、口角を上げてソフィアへ微笑みかけた。

 包帯をぐるぐる巻きにして目隠しをしているので、目元は見えないようになっているが、彼女は笑顔をつくるのがとても上手いので、口角だけでも素晴らしい笑顔を表現することが出来た。


「どういう意味の笑顔ですかそれは! 全く貴女様という方は悪びれもしないんだから!」


「あら、この微笑みは夜の挨拶よ。貴女だって微笑み返してくれたらいいのに」


 怒りを向けられても平気そうな顔をしているメルトに、ソフィアはムッとした。


「返しません! 怒ってるんですよ私は! 見たらわかるでしょう!」


「いやあ、残念なことに私は貴方の可愛い顔を視ることができないからわからないわ」


 言いながら、メルトは前髪をたくし上げて自分の目隠しを強調して見せた。

 そうするとソフィアは「そ、それはそうですが……」と一瞬狼狽える。


「まあ、声だけでそれなりに激昂しているなとは思わなかったこともないけれど」


「いや、思ってるじゃないですか! それだけで結構です!」


 ソフィアは煽っているようなメルトの言動にますます怒って足音を踏み鳴らしながら彼女の元へ歩いた。

 小洒落たテーブルの上には紅茶の入ったカップと、クッキーが何枚か並んでいる。

 そこからソフィアはクッキーの置いてある皿を取り上げた。


「夜にクッキーを食べないで下さいとあれほど言ったじゃないですか! 健康に悪い生活習慣ですよ! ただでさえ虚弱体質であるというのに!」


 言いながら、ソフィアはクッキーの枚数を確認する。

 残ったものを保管した時、確か十三枚あったはずだ。

 メルト様はちびちびと盗むことなんかせず全部盗んでいくから――

 そう考えたソフィアは、皿の上にあるクッキーが八枚になってしまっているのを見て「もうこんなに食べたんですか!?」と声を上げた。


「もう、ソフィアはケチね。少しくらいお茶してたっていいじゃないの」


「ケチじゃありません! 正常な反応――のはずです!」


「自信なさそうだけど?」


「す、少なくとも私の常識ではそうですから! それに大体ですね、これまで何回同じことを注意してきたと思ってるんですか! きっと数え切れないほど――」


「んーと、今回で二十七回目かしらね」


「回数まで覚えてるなら尚更学習してくださいよ!」


 ソフィアの怒りはますますヒートアップするばかりである。

 そんな様子のソフィアの声を聞いて、メルトは面白そうに笑っているのだが。


「都合のいい時だけか弱い少女みたいなこと言うんですから! 貴女はもうそういう器でもないでしょう! 目が視えないと言いながら、どんな場所にクッキーを隠しても必ず見つけてしまいますし!」


 ソフィアは愚痴を言うように怒った。

 しかし、その声にメルトはまた愉快そうに笑った。


「あら、酷いことを言う。何歳になってもどれだけ力を得ても私の心はか弱い少女のつもりよ。それに、クッキーに関しては仕方ないことじゃないの。どんな時間でもクッキーは食べたくなるもの。こちらが欲しているのでは無い。もはやクッキーが私を呼んでいるの。だから文句があるならクッキーに言ってちょうだい」


「いや、口の聞けないクッキーに話しかける趣味なんかありませんよ!」


 わざと冗談気味に言ったのを真面目に返答してくるので、メルトはますます面白く思った。

 彼女らの間ではこういう会話は、もはやテンプレートと化している。

 ソフィアが真面目で厳格な性格の一方で、メルトはそれを軽くいなして笑い事に変える。

 主従関係でありながら、二人はそういう関係でもあった。


「氷結城にはね、いつ何時悪意を持つ者が攻めてきてもいいように私の感知網が張り巡らされているのよ。だからねソフィア――たとえクッキーがどこに隠されてしまっても城内にある限り、私は確実に見つけ出すわ」


 メルトが意気揚々と言ったのを見て、ソフィアはため息を吐いた。

 怒りの火が消えて、呆れに変わった合図である。


「はあ……そんなに強力な力を、クッキーのためだけに使う人、メルト様以外にいないと思いますよ。じゃあとりあえず、このクッキーは城の外の雪の下にでも埋めておきます」


「……もうしないわ」


「それでいいんですよ」


 最後には結局ソフィアが優位に立って終わるというのもまた、バランスが取れていると言える。

 そんなこんなで、今回の諍いはソフィアの勝利に終わったのだった。


「それじゃあ、私は寝ますから。メルト様も早く寝てくださいね」


「ええ、そうするわ」


 しばらくあと、ソフィアが部屋を出ていくと、メルトもベッドの方へ向かう。

 視覚を使えないにも関わらず、彼女は長年の記憶と感知網の応用で慣れた足取りでベッドにたどり着いた。

 彼女はその端に座ると、すぐに毛布にくるまることはせずに少しそのままでいることにした。

 それは、ただなんとなくというわけでもない。

 眠る前にあることを調べたかったからである。


「記憶庫」


 メルトが一言そう呟くと、彼女の左手から小さくて黄色い魔術式が現れる。

 メルトはそれを低く掲げながら、記憶庫の景色を()()


「リリー……会わない間に、色々とやったのね」


 メルトは悲しそうに独り言を言う。

 それは物憂げな口調だった。


「『悪炎の魔女』なんてあだ名までついちゃって、お師匠様が見たらなんと言うかしら。――申し訳ないけれど、私たちは貴女の苦悩を受け止めることができない。理解することも出来ない。許すことも、残念ながらしてあげられない。それはきっとお師匠様も同じでしょう。あの御方が……セレナ様が再来したと知ったら、貴女の努力は全て無駄になる。それでも、それが願いだったのなら。念願のものだったのなら――私には分からないけれど――きっと喜ばしいことなのでしょう。例えセレナ様が敵になってしまったとしても」


 メルトは、別に誰かと会話をしているわけではない。

 けれども、まるで会話をしているかのように、そして本気で慈しみの感情を持って話していた。

 それは悲哀の感情も持った独り言だった。

 しばらくしてようやっとベッドに横になったメルトは、眠るまでの間、リリーについて思案していた。

 彼女に躊躇いはないが、複雑な感情があった。

 かつての同胞を敵に回しているというのだから、当然だった。




     ●




 ルミナスは夜道をとぼとぼと歩いていた。

 それはやはり先程の衝撃的な出来事が受け入れられないばかりか、一人で色々と考えすぎて熱くなってしまったからだ。

 それで、少し頭を冷やすために外に出ているのである。

 ルミナスは住宅街の途中の、小さな公園にあったベンチを見つけて、座った。

 彼女は、リエイルの街には数日間は滞在するということを決めていた。

 日用品を買い込んだり旅の予定を立てるためには、それがいいと彼女は思っていた。

 しかし、彼女の心には今、すぐにでもどこか違う場所へ逃げたい気持ちが僅かに浮かんでいた。

 もちろん、それを実行しようとは思っていない。

 けれど、レイのあの姿を見ていると、自分がこの場所にいていいのかと思えてしまってくる。

 もちろん、いいのだ。

 いいのだけれど、レイのあの泣き顔を思い出す度に、その気持ちが揺らいでしまう。

 人里に出てくるのが間違いだったかのように思えてしまう。

 ルミナスは、その考えが頭から離れなくて、それで外を歩いていた。


 彼女はそろそろ、と立ち上がった。

 もう夜も更けてくるくらいの時間帯だし、流石に宿に戻らなければ、そう思って少し遠くの方へ目を向けた時、それは見えた。

 遠くで煙が上がっている。

 もうもうと立ち上っている。

 しかも、おそらく一軒や二軒が燃えているというくらいの煙の量ではない。

 あれは、ともすると通り全体の家々が燃えているのではないかというくらいの――

 そう思った頃には、ルミナスは羽根をはためかせて街上空を飛んでいた。

 もしかしたらそうなのではと思っただけで、いても立ってもいられなくなったのだ。

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