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5 旅の始まり

やっと旅の話が書ける!と思ったら書きたい事が多すぎて長くなってしまいました。今回はいつもより長いです。

 陽が沈み始めて空が赤く染まり始めた夕方時に、ルミナスはもうクタクタになってベッドに飛び込んだ。

 安い宿を選んだせいか、思ったよりもベッドが固く、彼女は驚いて情けない声を漏らす。

 そして暗い気持ちになってため息を吐いた。

 こんな状態になった理由は、たった今この宿につくまでの道中にある。


 朝、幸せな気持ちで妖精の集落を出発したところまでは良かった。

 仲間たちの期待を背負い、旅の道中で起こるであろう奇想天外な出来事に想いを馳せていたその時は。

 しかしそこから不幸なことが連続で起きた。

 元々、どの街に行こうかという目星はつけていた。

 リエイルの街、森の一番近くにある街はそういう名前だった。

 森と街のどちらの方に先にリエイルという名が付けられたのか、ルミナスは無性に気になったが、如何せんそこまで詳しく書かれている歴史書などなかったので彼女は諦めた。

 そんな話はともかく、そうやって向かう方向は決めていたし、飛んでいれば迷子になる心配もそうそう無い。

 だからルミナスは、どんな宿に泊まろうかなんて気楽に、のんびり考えながら飛んでいた。

 しかし、そうしてゆっくり飛んでいたせいでなんとハーピー共の襲撃に遭ってしまったのだ。

 黒く汚い鳥のような羽根を生やして、体は人間のような見た目をしている割に知能はとても低い。

 奴らは執拗に追いかけてくる上に、甲高い声でずっと叫んでいた。

 とんでもなく不快な気持ちになりながら、ルミナスは耳を塞いだ。

 そして、乱雑に飛び交う攻撃を避けて飛んでいた。

 長い攻防の末に、ようやくなんとか奴らから逃げ切ることが出来たのだ。

 しかし、そうなった頃には飛んでいることに疲れてしまった。

 羽根の付け根のあたりに若干の痛みを感じるようになるのは、それ以上飛ぶのは控えた方がいいというサインである。

 なので今度は気分を変えて、ルミナスは地面に足をつけて歩くことにした。

 しかし、また運の悪いことに今度はベアウルフの群れに遭遇してしまった。

 頭は狼で、体は熊という気味の悪い魔物である。

 奴らはルミナスを囲み込むように動いてきて、振り切るのが大変だった。

 彼女としてはゆっくり向かっても昼頃には街に着くだろうという算段だった。

 それがその素早く動き回るベアウルフの群れを掃討するのに随分と時間がかかってしまった。

 そうして、そのせいで夕暮れになってしまっていたのだ。


 ――流石に次はもう何も起こらないだろう。

 そう思ったルミナスは精神的にも身体的にもクタクタになった様子で、陽が沈んでいく中やっと街についた。

 街は低めの壁に覆われていて、門とその傍に立つ門衛が見える。

 もしや、なにか面倒くさい検問をされるのかとルミナスは怯えた。

 こんなに疲れているんだから、早く宿に行かせてくれと切に願った。

 しかし、彼女の前に並んでいた人間は門衛の確認すら受けずに街の中へ入っていく。

 その様子をみて、この門衛は余程のことがない限り検問をしないのだろうと思った。

 だから彼女もホッと一息、安心してそれに続いて入っていこうとした。

 しかし、フラフラとした足取りで門を通っていこうとすると、何故か彼女だけ門衛に止められた。

 困惑しているルミナスに対して、門衛は訊いてきた。

 名前やらどの辺りから来たのかと。

 そして荷物を散々見漁ってきて、上から下まで、羽根までくまなく調べられた挙句に、その後、それは実は本題ではなかったかのように「あのう、あなた、妖精なんですか?」と質問をされた。


「はい? どういう意味ですか?」


「いや、あの、本当に妖精の方かなぁと……思いまして」


 全く意味がわからない。

 ルミナスはその言葉に拍子抜けしてイラッとした。

 最初からそう訊いてくれればすぐに答えるというのに、さっきの前置きみたいな面倒な作業は一体なんだったんだ。

 おそらくこの門衛は、妖精かどうか、という疑問があって引き止めてきたのだろう。

 気まずいんだかなんだか知らないが、余計な手前をかけないでくれ。

 最初から訊いてくれればこっちだって証明するために色々するし、変に荷物を漁ってきたあの時間とか意味ないじゃないか! と思った。

 なんだか馬鹿にされたような気もして、ルミナスはとてもムカムカした。

 なんとかその感情をはっきり表情に出さないように努めたが、明らかに受け答えする時の語気は強くなっていた。

 ルミナスは門衛に羽根を隅々まで見せたり、生い立ちについて手短に話したりした。

 結局、妖精である確固たる証拠などはないが、怪しい点はないということでやっと街に入ることが出来たのだ。


 どうして妖精に対してここまで厳格に調べることになっているのか、検問の終わり間際にルミナスがしたその問いに門衛はこう言った。

 人語を話す妖精が人里にくること自体が珍しいので、怪しく見えたと。

 ルミナスはその回答にまた半分ムカッとした。

 しかしもう半分では納得もしていた。

 確かにそう思うかもしれない。

 自分だって前世では妖精と会ったことがない。

 なので、こんな大きな羽根を生やした奴が急に現れたりしたら自分だって、『一体何者だ……?』なんて思っていたことだろう。

 そう考えると、ルミナスもあまり門衛を責めることができなくなってしまった。


 それから、門衛は続けて二つ目の理由もあると言って話した。

 それは、妖精の羽根の密猟に関する話だった。

 彼によるとなんと、ごく稀にだが密猟してきた妖精の羽根を背中に貼り付けて人間のくせに妖精のフリをするという、とんでもない方法で街へ羽根を持ち込もうとする輩がいるというのだ。

 そんなのはなんというか変だし、強引すぎる誤魔化し方というか、他に方法があったのではと彼女は思ってしまう。

 しかし、逆に考えてみれば密猟者たちはそうまでして羽根を売りたいということになる。

 どうしてそうまでして密猟をしようとしている人がいるのだろう。

 この街には貧しい人が多いのだろうか?

 門を通って街の中を歩いている最中、彼女は色々と考えさせられた。


 異種族であることが旅をするにあたって、こういう形でデメリットになるなんて考えてもみなかった。

 ルミナスは門衛にぐちゃぐちゃに漁られた荷物の中身を整理しながらそう思った。

 しかしそうデメリットについて考えていると、少し不思議なあることに気がついた。

 あの時、門衛と普通に話せたのは何故だろう?

 彼は人間で、自分は妖精である。

 人間と妖精ではまるっきり使う言語が違うはずだ。

 そう考えた時に彼女はやっと、さっき門衛と話す時、違和感を覚えることなく自然に、人間として生きていた頃の言語を喋っていたことに気がついた。

 来る前に考慮していなかったことだ。

 人間と妖精では言語が全く違うこと、さっき気づくまでルミナスはそれを全く意識していなかった。

 今までずっとだ。

 元人間であるから、人語を知っているのはよく考えればおかしくはない。

 しかし、妖精である意識が大きすぎて、逆に気づいていなかったのだ。

 彼女はこの時、ずっと不思議に思っていたことを思い出す。

 何故自分は前世の記憶があるのか。

 そのことを想起した。

 その答えが出た訳では無い。

 ただこの時初めて、残っている事実がありがたいと思った。

 そのおかげで、こうして旅を楽しもうという気持ちも湧いているのだし、さっきのように人間とも話せるのは結構なメリットだった。


 それから不思議なことについて色々思案しそうになったが、それを遮るようにしてお腹が鳴った。

 もうすぐ夜になるし昼は何も口にしていない。

 今はまず夜ご飯を食べる方が先だろう。

 ルミナスはそう考え、ベッドの上でだらけている体を起こして外へ出ることにした。


 各地を旅する上では、訪れた場所の料理を楽しむことも必要な要素である。

 そういう持論があったルミナスは、街を歩きながらなにか良い店はないかと探し始めた。

 本当なら羽根があるのだし、飛んで上空から探せれば早いのだが、それは流石に人目を集めすぎるのでやめにした。

 彼女だって一端の羞恥心は持ち合わせている。

 変に目立って人目を集めるのはやはり恥ずかしかった。

 しかしそもそも、妖精が人間の前に姿を現すこと自体が珍しいのだ。

 なので、ただ普通に歩いているだけでも人目を集めてしまっている。

 結局、ルミナスは恥ずかしくなって、できるだけ道の端を歩くようにした。

 それにしても、街並みがとても綺麗だ。

 家々や店がしっかりと横並びに建ち並んでいて、道路もきちんと舗装されている。

 妖精の集落とは大違いだ。

 ルミナスは店を探す過程でそう思った。

 リエイルの妖精の集落は、森の中にあり多すぎると思えるほど木が沢山生えていて、家も全部木造だった。

 しかも計画的なまちづくりみたいなものが存在しないので、各々が好きな場所に建物を建てていた。

 その上、集落のど真ん中に木が生えていたりもしたので、久しぶりに見るこういう整備された街並みにとても驚いた。

 もちろん、妖精の集落も、あれはあれで自然の中の雰囲気があっていいとは思うのだが。

 ただ、やはりこちらを見てしまうとこちらの方がいいなとルミナスは思ってしまった。


 しばらくして、適当な店を見つけたので入る。

 その店は、夜の繁盛するくらいの時間帯だからか人が多かった。

 中央あたりの席は既に全て埋まっていたので、ルミナスは端の方のまだ空いている方に座った。

 そしてそれはあまり目立ちたくないからでもあった――のだが、入ってきた頃には彼女の姿に店の中がざわついてしまっていたので、あまり意味はなかった。

 少しして、彼女は店の前の看板で一番オススメされていた定食を頼むことにした。

 注文を取ってくれた店員は、ガタイがよく、体にいくつも傷痕がある歴戦の戦士のような容姿をした男性で、ルミナスは最初冗談かなにかかと思った。

 しかし、真面目に注文はなにかと訊いてくるので定食のことを伝えた。

 本当に店員だということに驚愕しながらである。

 ただ、店員は店員で相手が妖精であることに密かに驚いていたのだが。

 ルミナスは思った。

 どうしてここの街の領主はこの人を護衛として雇わずにいるのだろう。

 そして、この人自身もどうして定食屋なんかで働いているのだろう。

 その人の去り際の背中を見ながらそう思った。


 料理が来るまでの間、ルミナスは荷物に入れていたまだ読み途中の本を取り出した。

 暇つぶしに使えるだろうと思って、何冊か持ってきたのだ。

 早速、一つの本を開いて読み始める。

 店内はそれなりに騒がしかったが、ルミナスは集中して読み進めた。

 しかしそんな彼女でも、読書に集中できないことが、しばらくしてから起きた。


「そういえば、少し前に話題になってた魔女の放火事件があっただろ? この街でも被害が出るかもしれないって話でさ、ローゼン様がついに捜査に乗り出したらしいぞ」


 聞こえてくるのは男の声、ルミナスは隣の席に座る二人組を少し見た。

 

「えぇ、そうなのか。それじゃあ、魔女がいるってのは本当なのかねぇ? ただの噂くらいに思ってたんだが」


 魔女という言葉が、彼女の耳に残る。

 興味はどんどんとそちらに注がれていく。

 気がつくと、彼女は読書を忘れて二人の会話に聞き耳をたてていた。


「とにかく早く捕まってくれることを願うしかないだろ。魔女と出くわしたって、俺たちじゃどうも出来ねぇよ」


「なあなあ、聞いただけだとどこか違う世界の話のように感じるかもしれないけどさ、案外こういう場所にもいるかもしれないぜ? 一般人のいる店に入って、情報収集なんかをしてさ。だから実はそこの女とかがそうだったらどうする? おいおい、もしそうだとしたら――」


 男たちは会話をやめて恐怖に身震いをした。

 冗談めいた雰囲気もあって、なによりただの噂だから一概に全て正しいとは言えない。

 ただ、ルミナスにとって、これはとても興味深い話だった。

 それに、何気ない場所に危険が潜んでいる。

 彼女だってもしそうではないと知っていなかったら同じように身震いしていたかもしれない。

 けれども彼女のわかる限りでは、少なくともこの店の中に禁忌の魔術を見出すくらいの膨大な魔力を持っている人間はいない。

 だから、男たちとは違ってルミナスは安心して、数分後にはまた読書に戻っていた。

 ただ、魔女が現れている、というその情報だけは頭の片隅のほうにしっかりと残しておいてから。


 しばらくすると、ルミナスの目の前に定食が運ばれてきた。

 時間がかかっていたわけでもなく、それは短い間だったのだが、その短い間に店内は酒臭くなってきていて、いよいよ夜の雰囲気に包まれてきている。

 野蛮な野郎共が集まる酒場のようなそういう雰囲気だ。

 しかし、この雰囲気は嫌いではない。

 ルミナスは本を読む手を止めて、その雰囲気に包まれながら料理を食べ始めた。


 しかし、そうやって穏やかな時間が経って、ルミナスが定食のほとんどを食べ終えた時、あることが起きた。

 彼女が残していた肉の脂身に手をつけようとした時、近くで鈍い音がした。

 いや、近くというレベルではなくて、目の前だった。

 顔を上げると、屈強そうな男がジョッキ片手に笑っている。

 そして、少し枯れた声で話した。


「てめえ、妖精の女がこんなとこへ何の用だ。人間様の技術を盗みにでも来たのか?」


 そう言いながら、彼は笑った。

 嘲笑、こちらを下に見ている笑いだとルミナスは感じた。

 そしてその威圧感は凄まじいものだった。

 しかし、ルミナスはあまり動揺することはなく、それどころか彼女も男と同じように笑っていた。

 彼女は薄らと、酔っ払うといつも尋常ではないほど絡んでくるライオットのことを思い出した。

 必要以上に近づいてきて、なんともおぞましい下品な表現の口説き文句を連発してくる『勇者様』の光景を。

 その時の気味の悪さに比べれば、この男の威圧など鼻で笑えるくらいだった。


「それともよぉ、身売りにでも来てんのか? よく見りゃいい体つきしてるしなぁ、それに顔つきもいい。こりゃ、俺の好みだぜ――」


「……へぇ、言っておきますけど、貴方のような人、いくらお金を払われたところで絶対に相手なんてしませんから」


 ルミナスは、この手の問題の対処には手慣れている。

 前世でこの比にならないくらいのものを相手にしていたからだ。

 彼女の台詞を聞いた途端に、男はただでさえ酔って赤い顔を更に赤くして怒りをあらわにした。

 彼はルミナスに掴みかかろうとしたのだが、他の人間によってそれは遮られた。


「お客さん、争いごとなら他所でやってくれ。店の中でされたんじゃあいい迷惑なんでね」


 見ると、歴戦の戦士のような容姿をしたあの店員が止めに入ってきていた。

 ルミナスたちの様子は、既に店内で注目され始めており、それに気づいた先程の店員が忠告しに来たのだ。

 ルミナスはこちらの方が、酔っ払いの男よりよっぽど怖いじゃないかと思った。

 そして、その時にどうしてこの店員がこの店で働いているかわかった気がした。

 店員として働きながら、こういう飲んだくれたちの起こす問題を解決するための警備員の役割も兼業しているのだ。

 確実にそうだ、とルミナスは思った。


「すみません店員さん。大事にはしませんから」


 そう言うルミナスの顔を、店員は怪訝な顔で見つめる。

 しかし彼女には案があったのであまり動揺しなかった。

 やがて、フラフラした足取りのまま怒りの表情を浮かべている酔っ払いの男に、ルミナスは提案を始めた。


「貴方、そんなに私のことが好みなら、少し勝負をしませんか」


「あぁ、勝負?」


「そう、勝負です。ルールも至ってシンプルですから。今からサルベ酒を頼み続けて、先に酔いつぶれた方が負け。逆に相手と同じ量飲んで酔いつぶれ無かったら勝ち。そういう勝負です。それに、もしも貴方が勝ったら――そうですね、私の体を好きにしてもいいでしょう。でも、もし私が勝ったのなら、その時はこの定食の分と、それからこれから頼むサルベ酒の分の代金を全額払ってもらう。それでどうでしょうか?」


 ルミナスは男にそう提案した。

 男は少し真面目な顔をして考えた。

 サルベ酒というのはそこまで高い酒ではない。

 ましてや、女なんかそう大して飲みやしないだろう。

 彼には簡単に勝てる未来が思い浮かんだ。

 それに、この女は定食を一つ頼んだだけのようだし、負けたところでそこまで出費は痛くないはずだ。

 それならば、いい女と出費を天秤にかけた時、勝つのは明らかにいい女の方だった。

 彼にとってはそうだった。

 この勝負に乗らない選択肢はない。

 男は二つ返事で承諾した。

 そうしてそんな様子を見て、ルミナスは笑いを堪えるので必死なのであった。

 酔っている時は正常な判断が出来ないというのは周知の事実であるが、酔うとそのことすら忘れてしまうのだろう。

 男は自分が明らかに不利な勝負であることに気づくことは無かった。


 十数分後には、酔いつぶれた男は床に倒れて眠りに落ちていた。

 予定通り、ルミナスの圧勝だった。

 一杯と飲まぬうちに男は倒れてしまったのだ。

 そして滑稽なその姿に、店内の客たちは皆笑いだしてしまった。

 あいつはなんて馬鹿なことをしているんだろう、と言いながら。

 彼女もまた少し笑ってから、もう退店しようと席を立った。

 勝負に勝ったので、ルミナスは自分の代金を払う必要がない。

 全額男が払うことになっているので、彼女は退店する時、お金を払う必要はない。

 だが、彼女は男が頼んだ分の料理と酒の分の代金まで全額払うことにした。

 案の定、店員はどういうことかと不安になって尋ねてくる。


「酔っ払ってるからこんなことをしてしまっただけかもしれないじゃないですか。いつもは普通の人かもしれない。そう思うと、ここでお金巻き上げるのは良くないかなと思ったので」


 ルミナスはそう言った。

 格好つけたい、という感情も少なからずあるが、それは彼女の本心の言葉でもある。

 店の中の誰かが、聖人かなにかかよ、と話した。

 惜しいものだ。

 彼女は元聖女だったのだから。


 そうしてルミナスは、会計を済ませると店をあとにした。

 外は完全に真っ暗で、外を出歩いている人も店に入る時と比べると減っている。

 それでも彼女は道の端をゆっくり歩くようにした。

 今回は恥ずかしいからではない。

 しばらくして、自分が気持ちが悪くなっているのに気がついたからだ。

 あの店内ではなにも感じなかった。

 一杯飲んだだけだし、全く平気な気分でいた。

 しかし、退店して少し経ってから強烈に酔いが回ってきたのだ。

 ルミナスは段々フラフラとした足取りになっていった。

 そうして、最終的には道の端で倒れてしまった。

 頭が痛いし吐き気がする。

 ルミナスは嘆いた。

 彼女はサルベ酒をジョッキ一杯しか飲んでいない。

 それでもここまでになっているのだ。

 吐いてしまったら、先程食べた定食が無駄になってしまう。

 そう分かっていたけれども、口の中が酸っぱくなった彼女は目立たない路地裏へ駆け込んでいって吐いてしまった。

 ルミナスの身体は、想像以上にお酒に対しての耐性がなかったのだ。


 彼女は慢心していた。

 セレナはお酒に強いことで有名だった。

 何十杯飲んだって全くと言っていいほど酔わないのだ。

 だからルミナスは慢心していた。

 けれど、あの時とは身体が違う。

 ルミナスの身体は悲鳴を上げていた。

 それは、お酒が身体に入ったのが初めてだからというのもあるのだろうが、それにしても酔いが回るのが早かった。


 しばらくルミナスはその場で野垂れていた。

 気持ちが悪すぎて起き上がる気力がないのだ。

 しかし、そうしていると足音が近づいてくる。

 革靴が砂を踏みしめる音、それはルミナスの傍まできた。

 きっと通行の邪魔になってしまっている。

 そう思った彼女は慌ててその場から移動しようとヨロヨロ立ち上がった。

 しかし、慌てるあまりに思うようにバランスが取れずまた倒れそうになる。


「おっと、だ、大丈夫ですか?」


 足音の主は、バランスを崩したルミナスの体を支えてくれた。

 それは長い黒髪の少女だった。

 ルミナスよりはずっと幼く、十二くらいの年齢に見える少女だった。


「ご、ごめんなさい。思うように歩けなくて……」


「えっと、手伝いましょうか……?」

 

 少女はルミナスに肩を貸して、そう言う。

 ルミナスは、遠慮しようとしたが、段々と目の前の視界が歪んでいくのが分かったので、お願いすることにした。


「家はどこですか?」


 路地裏を出ると少女が訊いた。

 ルミナスは、自分が旅人であることを伝えて、それから宿の名前と大まかな場所を伝える。

 少女はその宿を知っていたようで、任せてください、と言うとルミナスを一生懸命支えながら進み出した。


 支えられながら歩く途中、ルミナスはさりげなく少女の姿を見る。

 すると、ルミナスの頭の中に見慣れた少年少女たちの顔が浮かんできた。

 前世、セレナには五人の弟子がいた。

 聖女の弟子として仕える、ちょうどこの少女くらいの年齢の子たちだった。

 セレナは弟子たちともこういうことがあったことを思い出した。

 彼女は当時、相当酒に強かったので、余程のことが無い限り酔っ払うことはなかった。

 しかし、祝宴などの時につい飲みすぎてしまった時は、弟子たちに介抱してもらったものだ。

 この少女を見ていると、その時のことを思い出してしまう。

 その時の光景が不思議に重なって、ルミナスは弟子たちのことを思い出したのだ。

 そして不意に、あの五人は今頃どうしているだろうかと思った。

 老衰でもうこの世にはいないだろうか?

 ああ、きっとそうだ。

 天寿を全うしたのだろう。

 彼女が転生するまでには二百年間の空白期間があった。

 ルミナスは幼い頃、家に置いてあったある歴史書を読んだ時にそのことに気づいたのだ。

 聖女として生きていたあの頃から二百年である。

 きっとなにもかもが大きく変わってしまっている。

 二百年の間に、世界はどう変わってしまったのだろう。

 その変化の有様をこの目に収めたい。

 ルミナスが旅をする理由にはそういうものも含まれていた。


「あの、着きましたよ」


 少女に言われて、ルミナスが俯いていた顔を上げると、そこには宿があった。

 少女は、宿の中までルミナスを運び、部屋の前まで連れてきてくれた。

 

「……親切にありがとう。私みたいな得体の知れない酔っ払いを助けてくれて」


 先程まで酷かった吐き気が戻ってこないように気をつけながら、ルミナスはお礼をする。

 すると、少女は話したいことがありそうでモジモジしながら口を開いた。


「いえ、私があなたを助けたのは……その、あなたが妖精だったので」


 少女は少し恥ずかしそうに言う。

 言った途端、少女は顔を背けて俯いてしまった。

 その言葉に、ルミナスは不思議に思って、どういう意味か訳を訊く。


「えと、あの路地裏は、貧民街に続いてるんです。あんなところに居たら、妖精さん、羽根を持っていかれちゃうと思って」


 少女は恐ろしそうに言った。

 ルミナスもそういう理由があったのかと思って少しびっくりしたが、感心もした。

 少女の言葉通りならば、自分はきっと羽根をもがれていたかもしれない。

 酔っ払って歩くこともままならない妖精なんてそれこそ格好の的だ。

 この子はそれを助けてくれたのだ。

 そう思うとルミナスは、こんな年齢の子がそこまで考えてくれたなんて、と感心した。


「あと、私が妖精好きってのもありますけど……」


「え、妖精好きなの?」


 付け加えられた言葉に、ルミナスは少し驚いてオウム返しに訊きかえした。


「はい、あの……私あなたが初めて会った妖精で、見つけたら嬉しくなっちゃって、それで声をかけにいったというか」


 少女は、さっきよりも一層恥ずかしそうにそう言った。

 ルミナスは、段々とこの子のことが可愛く思えてきて、思わず頭を撫でてしまった。

 嫌がるかとも思ったが、案外少女は受け入れてくれて、ルミナスは少し幸せな気持ちになった。

 彼女は改めて少女にお礼をする。

 そうして、別れ際に素敵な出会いだったと余韻を噛み締めながら部屋へ帰った。

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