10 大火事騒動 その2
ルミナスは夢を見ていた。
深い深い眠りの中で夢を見ていた。
しかし夢の中であるにも関わらず、彼女の意識ははっきりしていた。
目の前には部屋があった。
上からその部屋を見ている感覚だった。
そこは寝室のようで、ベッドに誰か寝ている。
それは女性だった。
黒と茶色の髪が入り交じった長い髪を伸ばしている女性。
それは、彼女自身だった。
彼女自身の身体が、そのベッドに横たわっているのだ。
けれどもそれでいて彼女自身ではない。
その身体は金髪でもなくて、顔立ちも少し違った。
それは、ルミナスではなくセレナだった。
しかし彼女は、何故かそれが不思議だとか変だとか全く思わなかった。
「別にいいと思うけどなあ僕は」
「いや、良くないですよ。もうすぐお昼になってしまうのにまだ寝てるなんて。セレナ様、早く起きてください。もうすぐお昼ですよ」
部屋に少年と少女が入ってきて、寝ている自分に近づいた。
その二人の声は、彼女にとってものすごく聞き覚えのある声で、しかし不思議と、それが誰なのかは全く思い出せなかった。
「やっぱり、声かけだけじゃあ起きないですね」
「仕方ないよ。流石のセレナ様といえど、あれだけお酒を飲んじゃなあ。だいぶ酔っ払っていたように見えたし」
「うーん、やはり揺さぶるくらいのことはした方がいいのでしょうか」
言いながら、少女は振り返って少年の方を向く。
「え、なんで僕に聞くのさ」
「そりゃ、万が一怒られたら、メドガルさんが許可を出したから、と責任転嫁ができるからですよ」
「……はあ、なんで少しの躊躇いもなくそんなことが言えるのやら。それだったら僕だって、ソフィアが自分の意思でやりました。って抗議するまでだけどね」
「えへへ、ところが、ですよ。メドガルさん、普段おふざけばかりしているあなたと、いつも真面目な私だったら、セレナ様はどちらを信じるでしょうね?」
ソフィアがそう言うと、メドガルは返事をすることなく、少し唸った。
ものすごく悔しそうな顔をしながら。
「くそう、確かに勝ち筋が見えない……」
その様子に、ソフィアはひとしきり笑ってからまた話し始めた。
「ふふ、大丈夫です。ただの冗談ですよ。本当はそんなことはしませんから」
そう言って、ソフィアはまた笑う。
その様子に、メドガルはちょっぴりイラっとすると同時に、素晴らしい閃きが起きた。
「……でも、ソフィアならやりかねない気もするんだよなあ」
「ええ、なんでですか! 真面目なところだけが私の取り柄なのに!」
メドガルの台詞に、先程まで勝ち誇っていた様子のソフィアは途端に不安そうな表情になった。
「いやあ、そうなんだけどな。いつもどことなく上辺だけ愛想よくしてる感じがするんだよ。ほら、機会があったらすぐ裏切られそうっていうかさ」
「ほ、ほんとですか……。私そんなふうに――」
ソフィアは、本当に落ち込んだ表情で、悲嘆した声を出した。
彼女は、こういう話を持ち出すと、不安で堪らなくなってしまうのだ。
「ふはっ、ごめんごめん嘘だって。そんな不安そうな顔になるなよ」
言いながら、彼はゲラゲラ笑ってソフィアの顔を見た。
そしてその顔を眺めながら、仕返し成功、と思った。
「ほ、本当に嘘なんですよね? なんか、ほんの少しそういう雰囲気があるからその話を持ち出してきたとか――」
「ないない、大丈夫だから。そう不安がるなよ。少なくとも僕から見たソフィアはセレナ様に対して従順すぎるぐらいだし、僕たちにだって口うるさくて、ルールを守らなきゃお前は死ぬのか、って思うくらいに真面目だよ」
「……それは、よかったです」
メドガルは、小馬鹿にした弄りも含めて話したつもりだったのだが、予想以上にソフィアがホッとして安心したような顔をするので、結局それ以上は言わないことにした。
よかったのか? とは思いつつ。
「おい、二人ともそこで何してる」
二人が一時の諍いを終えた時、部屋に新しい声が現れた。
部屋に入ってきたその男、いや、獣には相当な迫力があった。
彼は獣人族である。
大きく黄色くて毛むくじゃらの身体に、手には鋭い爪が生えている。
二人は、彼が突然入ってきたことには驚いた。
しかし、それ以降は普通に戻って話した。
なんせ、いつも見慣れているからだ。
「ミカルドさん、どうしてここに?」
「いや、それはこちらの台詞なんだがな。ソフィアもガルも、練習から抜け出して一体何をしてるんだ?」
ミカルドは、叱るような口調で二人へ言った。
その様子に、ソフィアはちょっぴり動揺したが、メドガルは毅然として落ち着いたままで言った。
「ミカ、僕たち別に悪いことしてたわけじゃないからな。ただ、そこの聖女様があまりにも起きてこないからって心配して起こしに来ただけであって」
「そうそう、そうですよ。信じてください」
メドガルの発言に乗じて、ソフィアも相槌を打つように話す。
すると、二人に言われてミカルドは、奥の方のベッドを見ながら少し悩む様子を見せた。
「そうか、別にそれくらいならいいんだが……。結局セレナ様は起きたのか? ……見る限りでは全然目を覚ましていないように見えるんだが」
「そうなんです、全然起きなくて……」
ソフィアは少し残念そうに呟く。
「まぁ、昨日は酷く飲んだようだったからな。流石のセレナ様でも相当疲れがきてるんだろう」
言ってからミカルドは少し考えて、なにか思いついた様子でまた話した。
「とりあえず、今は陛下や貴族たちからの依頼もない。だから、もう少し寝させてあげようじゃないか。最近は全然休めてなかっただろうしな」
「え、でもそれじゃあ、生活リズムが崩れてしまいますよ」
セレナ様の健康にも良くないですし――とソフィアが話し始めたのを、メドガルは遮った。
「ソフィア、さっきから思ってたんだけど、別に昼過ぎまで寝てたところで死ぬわけじゃないだろ? それに、疲れを取らない方が逆に健康に悪いよ」
「え、まあ、確かにそうですが……」
言われてから、ソフィアはちょっと悩み険しい顔をした。
しかし、少ししてから納得したように返事をする。
彼女は真面目なのに加えて変に心配性なところがある。
だから、変に行動に移される前に遮るというのがメドガルの心がけていることだった。
「それで、セレナ様はまだ寝ていてもらうことでいいとして……ソフィア」
「はい? 何でしょう?」
ミカルドは、ソフィアの方を見て話した。
「そもそも俺がここに来たのは、別に練習から抜け出した二人を叱ってやろうなんて魂胆だったからじゃないんだ。メドガルは別として、ソフィアがそういうことをするときはそれなりにもっともな理由があるだろうしな」
「おい、僕にはないっていうのかよ」
と、メドガルが言ったのをミカルドは無視してつづけた。
もちろん、聞こえなかったわけではないだろう。
彼は意味ありげにため息を吐いてから続けたからだ。
「さっきくらいがちょうど、メルトの魔術訓練が終わったくらいの時間帯でな。そうしたらあいつに、ソフィアと街に出かける約束があるから呼んできてって頼まれた。だから、まぁ俺がここに来た理由はそれだ」
言うと、ソフィアは思い出したように声を上げる。
「そういえばそろそろそんな時間でした。わざわざ呼びに来てくれてありがとうございます」
「いやあ、別にいい。あと、お前にはもう一々言う必要もないとは思うが、日傘を忘れてやるなよ。メルトが日焼けした時の大変さはよく知ってるだろ?」
「そうですね。忘れないようにします」
そう言うと、ソフィアはお礼を言ったあとに、颯爽と部屋から駆け出していった。
部屋に残されたのは、ミカルドとメドガルと、寝ているセレナのみである。
ミカルドはソフィアが外に出ていくのを見届けてから椅子に座ると、メドガルにも座るように勧めた。
「それで、ガル。お前はなにか用事は無いのか?」
「別に、僕は特に用はないかな」
そう彼が言うと、ミカルドは神妙な面持ちで話し出した。
「……それじゃあ、少し相談を聞いてくれないか」
「相談? まあいいけど……僕よりソフィアとかにした方がいいんじゃないのか? それか、直接セレナ様に言うとかさ。その方が良いように思うけど……」
メドガルが軽く言うと、ミカルドはそれじゃダメだというふうに首を振った。
「ソフィアは確実に、この事柄に関する問題を大きくしかねない。ああいう性格のやつだしな。多分メルトも。それに、セレナ様にも言いづらいことなんだ」
メドガルは、ちょっと困ったふうにして顔をしかめた。
相談事の内容について、全く予想がつかなかったからだ。
自分にしか話せないこととは一体なんなのか。
しかし、次の言葉を聞いて、彼は少し納得した。
「俺が最近悩んでるのはリリーのことなんだ。なあ、わかるだろ? 俺は心配なんだよ」
「えっと、それはつまり火とか炎の魔術を習得することばかりに傾倒してる、ってやつ?」
訊くと、ミカルドは激しく頷いた。
それで、メドガルも次の彼の台詞になんとなく予想がついた気がした。
「それだ、俺が心配してるのは。なんかおかしいと思わないか? 俺たち五人の中で、未だに治癒魔術を習得してないのはあいつだけなんだ。それも、習得しようと努力すらしていない。そりゃ、別に絶対に習得しなきゃいけないと決まってるわけじゃないが、俺たちはそこの聖女様の弟子なんだぞ? 俺は、心配で堪らないんだよ」
ミカルドは、ベッドで寝ているセレナに目を向けてそう言う。
しかし、そんな不安な様子と裏腹に、メドガルは案外なんともないような様子でいた。
「なあ、ミカ。確かにどうしてお前が心配してるのかはわかるよ。けど、少し考えすぎじゃないかな。ほら、治癒魔術を習得してないで言ったら、ソフィアだってそうだよ」
「……それは確かにそうだったな。でも、あいつは日々治癒魔術を習得するために努力してるじゃないか。リリーはそれをしてないんだ」
「ミカ」
ミカルドがどんどん早口で語気を強めて話すのを見て、メドガルは落ち着けるように言った。
「別に悪いって言いたいわけじゃないけど、人を疑うなんてお前らしくないぞ。一度ちゃんと冷静になって考えてみようよ。ほら、例えばリリーはさ、何度か試したことはあって、そこで使えなかったから、自分にはその才能がないってきっぱり諦めただけかもしれないだろ?」
ミカルドは、あまり納得はできないようだったが、それでも黙って聞いていた。
「それに、リリーのセレナ様に対する忠誠心はどう考えても本物だよ。だから絶対に――いや、僕が思うに裏切りなんてことをするようには思えない」
その説得に、ミカルドは唸って悩んだ。
そうしてそれから、また話した。
「俺も、普通だったらそんなことはないと思う。でも、リリーの忠誠っていうのは、俺らと違う気がしてならない。あいつはセレナ様のことを、妄信してるんだ。そこがなにか問題になりそうで、俺は怖いんだ」
怯える獣人の姿を見て、メドガルはやれやれと息を吐く。
「心配しすぎだミカ。きっと大丈夫だよ」
「……ガル、お前はどうしてそう平気でいられるんだ」
メドガルはいつまでも平気そうでいるので、ミカルドは不思議で堪らなかった。
「別に。僕は信じていたいし疑いたくないだけさ。セレナ様がリリーを受け入れているうちは、仲間はずれにしたくもない。そういうのは悪者のすることだからね」
彼が最後の一言だけいたずらっぽくそう言うと、ミカルドはまた、唸って悩んだ。
そうして、今度は少し納得したようにして話した。
「……そうだな。俺ももう少しそうすることにするよ。セレナ様があいつを受け入れているなら、俺も受け入れられるようにならないとな」
彼は、ほんの少し心配が晴れたような顔になって、席を立った。
「うん、そうするといいよ。それに、何かあった時はさ――いや、そういうことも考えない方がいいね」
それで、二人の話は終わった。
ルミナスは、それがなんの話をしているのかわけが分からなかった。
それでも、昔の自分はその内容を理解できたように感じた。
今は無理だが、昔なら。
ということは、この会話内容に関することを、自分は全て忘れてしまったということだろうか。
考えるうちに、よくわからなくなっていく。
そうして、とうとう意味を理解する前に夢から追い出されてしまった。
●
それからルミナスは、不思議な感覚に呼び覚まされた気がした。
周りを見ると、まだあの灰の山である。
空模様も変わっておらず、さほど時間は経っていないようだった。
このままだと死んでしまうのでは、と思われたほどの身体は、いつの間にか治っている。
体力も、まだ完全なまでに回復はしていないが、ある程度復活していた。
これなら動ける。
そう思うと、彼女は瓦礫の中から立ち上がって、周りを見渡した。
そうだ、魔女の攻撃で自分は気絶していたのだ。
そう思い出したルミナスは、急に今何をするべきかわかった気がして、魔術式に向かって歩いた。
先程まで、なにか夢を見ていたような気がした。
ほのぼのした気持ちになって、懐かしい気持ちになって、大事ななにかを思い出させようとしてくる夢。
内容は起きてすぐにすり抜けていってもう覚えていない。
けれども、その夢が自分に力を与えてくれた気がする。
こうして動けるようになったのはそのおかげな気がする。
自分の内の、今まで眠っていた大事ななにかが、ついに目を覚ました気がした。
「詠唱方法は、どうだったか……」
ルミナスは、目の前で燃え盛る魔術式を見て呟く。
彼女はそれを、どのようにしたら閉じることが出来るか、思案していた。
その方法を、自分は知っている気がして、思い出そうとしていた。
夢を見る前の彼女は、自分で閉じる方法など思いつきもしなかった。
そんな方法など、あることすら忘れて覚えていなかったから。
けれども、今なら思い出せる。
彼女は、自分の奥底にある目覚めた魂がそれを唱えるのを感じた。
「セレナ・ローレインの名において請願します。私は聖女、神の加護を一身に受ける者。その力を、行使させていただきたい」
ルミナスの身体は、緑の閃光に包まれた。
彼女はその身体で炎の中に身を投じ、姿を消す。
この魔術式は、考えられないほど膨大な魔力によって動いている。
術者本人がこの場から離れても動き続けるほど強大なものなのだ。
けれども、ルミナスはそれをなんとも思わなかった。
炎は段々と勢いを無くしていく。
ルミナスの姿が見えるようになった頃には、その場にほんの一つの火種も残されていなかった。
魔術式を、簡単に閉じてしまったのだ。
しかもそれから、彼女は息つく暇もなく羽ばたいてずっと高くへ飛んだ。
そこから感知した強力な魔力の持ち主は、今も動き続けて街外れの方へ向かっている。
逃がすわけには行かない。
そう思うのが早かったか、動き出すのが早かったか、とにかく彼女は、その方向へ全力で飛んだ。
●
「ねえ、コトちゃん。君は高いところが嫌いかな?」
リリーは、腕の中にコトを抱えながら飛んでいる。
コトは、その質問に答えなかった。
それは、怯えていたからだ。
高いからではなく、この魔女に。
しかし、コトが無言を貫いていても、リリーは全く意に介さなかった。
「私もね。君くらいの年齢の時は嫌いだったな。でも今は、こうやって自由に空も飛べるから、落ちる時の怖さってのが無くなるんだよ。だから今はむしろ好きなんだ」
リリーは相変わらず笑みを浮かべたままで言う。
そこには、底知れないものがあるように感じて、コトはまた怯えた。
「ごめんね。まだもう少し長くなるから我慢してて欲しい。私の家はね、ここから結構遠いんだよ。島にあるんだ。まあ、そこが拠点ってわけじゃないんだけどさ」
そんな話を、聞いて意味があるのか。
コトは、真面目に聞かず目をつぶって、ただ時間が過ぎるのを待った。
その間、リリーは長々と一人で話しているだけだった。
「拠点は色んなところにある。そこにはコトちゃんみたいに炎魔術が得意な人だっていっぱいいるからね。まあ、君ほどじゃないかもだけど」
もうそこでは、それ以外音がしなかった。
リリーの話し声と、彼女の足から噴き出る炎の激しく燃える音しか聞こえなくなっていた。
だからだ。
彼女は不意打ちをギリギリで完全にかわせず、それは肩のあたりを掠めた。
「おや、近づいてくる気配はなかったんだけどね。私の誤算だったかな」
リリーが振り向くと、そこには妖精がいた。
先程とは違う、気迫のあるオーラを纏った妖精が。
「しぶとい羽虫ちゃん。君、さっきより随分と強そうな魔力を纏っているじゃないか」
ルミナスは特に返さなかった。
目で、コトがリリーに抱えられているのを捉えると、すぐに助けようと手を伸ばす。
しかし、それは当たり前にリリーによって防がれた。
「なんか、君にも興味が湧いてきたよ。好きなんだ、強いっていうのはさ。羽虫ちゃんは炎の魔術は使えるかな? それとも、他の魔術が得意? 私に教えてよ」
ルミナスは答えなかった。
溢れ出る魔力に身を任せ、魔術を繰り出した。
それは実質、開戦の合図である。
まだ燃えていない街の上で、一人の妖精――聖女と一人の魔女は対峙した。




