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1 魔女狩り

「弁明はあるか」


 クラウス王は嗄れた声で叫んだ。

 大きな広場の隅々まで行き渡った声は群衆をどよめかせ、彼らの視線は一斉に手縄にかけられた聖女に向けられた。

 聖女セレナは憎しみがこもったような嫌な顔をしていた。

 ここへ連れてこられる前からずっとそうだったのだ。

 しかし、間もなくして彼女の表情は先程のものとは打って変わった――穏やかな笑顔に変わった――ので、群衆はまたどよめいた。

 彼女は確かに顔に笑みを浮かべた。

 そして、クラウスの瞳の奥を見つめながら答えた。


「ええ、ありますとも。是非弁明をさせていただきたい」


 セレナは含みのある笑いをした。

 その間も、彼女の視線はクラウスに注がれていた。

 彼女がこの死ぬ間際に笑顔を見せるのはおかしなことだ。

 しかし、王はそのことについて気にせず続けて言った。


「そうか、ならば言うがよい。我と、それから民にようく聞かせるがよい。そして民よ。よく覚えておけ。彼女が話す遺言を」


 遺言――その言葉が印象強くセレナの耳に残った。

 ああ、とても面白い。

 彼女は最初はほくそ笑み、最後には思わず広場に響き渡るほどの声で笑い始めた。

 これは弁明の機会でもなんでもない。

 どうせ何を言っても打首にされるのだ。

 王はただ、こうやって弁明の機会を与えると言ってやって、ああなんと慈悲深い御方なのだろうと思わせたいだけだ。

 そして、哀れにもそれを信じた聖女が惨めな姿で必死に言い訳をしたり命乞いをしているところを群衆に聞かせてやりたいだけなのだ。

 そうして、その惨めな姿をなんという滑稽(こっけい)なものだと言って、思う存分に笑ってやってから殺してやろうとしているのだ。

 彼女はそこまで予測した。

 そしてまた、大笑いした。

 滑稽なのはどっちだと思った。

 彼女は死ぬことなど少しも恐ろしくはない。

 言い訳や命乞いをしたりすることは絶対にない。

 殺されるということは以前から決まっていたのだから、いざ執行される今日、殺されにきたまでなのだ。

 そんな覚悟に対して、彼らはなんと滑稽なのだろう。

 彼女はそう思った。

 彼らは恐れ知らずの、英雄の、各地で活躍したこの聖女を、最後は魔女だと言って殺そうとしている。

 そんな彼らに、先程まではどうしても許すことの出来ないほど怒りを感じていた。

 彼女は今まで、この国のために命を削ってまで全力で尽くして来た。

 それだというのに、こうして無駄な疑いをかけて最後は殺すと言っているのだ。

 馬鹿だ、ただの阿呆じゃないか。

 そう思った瞬間、何もかもがどうでもよく思えてきた。

 王の言葉を聞いた瞬間に、今まで尽くしてきてやったこの国の民衆のことさえどうでもよくなった。

 こみあがってくるのは笑いだけになった。

 この者たちは、なんて愚かで滑稽なことをしようとしているのだろう。

 そのうち、彼女は群衆の前で涙が出るほど笑った。

 群衆は再度どよめいた。

 今から死にゆくというのに、笑い転げる彼女の姿は明らかに異常だった。

 これには流石のクラウス王も疑問に思い訊いた。


「何がそこまで面白いのか。いよいよ殺されるところまできたもので、気でも狂ったのか」


 彼は少し嘲るように聞いた。

 ただ、その姿は気が狂ってしまったようにしか見えないというのは事実だった。

 恐怖で頭がおかしくなってしまったかのような、狂気を感じる姿だった。

 しかし、そう言われるとセレナは態度一つ変えずに半笑いで答えた。


「いいえ。気が狂ったわけではないのです。ただねぇ、今まで大切にしてきたものの正体が分かって、面白おかしくなってしまっただけですよ」


 これには、群衆もそれから王も戸惑った。

 彼女が指す大切なものの意味が分からなかったからだ。

 彼女は不敵な笑みを浮かべながら続けた。


「私はこの国が大好きです。今も大好きだ。けれど、私がこの国のためにどれだけ尽くそうとも、腐敗は進んでいきました。そうでしょう。この国は腐っています」


 クラウスの表情が歪んだ。

 群衆も不安そうな顔をしてその言葉を聞いていた。

 不穏な空気が漂い始める。


「この国が腐っているのは民の意見を聞かない王がいるのが一番の原因ではないか。私はそう思っております。そのうえ、国民からは富を根こそぎ奪ってしまって、民衆は圧政に苦しんでいる。そう思いませんか。皆さん、反対意見があるなら是非仰ってください」


 セレナはできるだけ周りの群衆たちに聞こえるように声を張り上げて言った。

 何を言っているんだとすぐにクラウスが喚いたが、そのうち、あたりの人々はできるだけ王に聞こえぬようにとひそひそ話しを始めた。

 あまりにも大勢のものが話し始めたため、広場じゅうでざわめきが起こる。

 クラウスからするとその話の内容まではわからなかったのだが、内容が届かずとも、彼らがセレナの問いかけに真面目に思案していることが分かってしまった。

 人々は話し合いを続けたが、やがてセレナの意見に反論を飛ばすものは一人たりともいなかった。


「一体なんの真似だ! この期に及んで不敬ではないのか!」


 クラウスは怒りのあまり顔を真っ赤にしたが、そう言ったのは彼の隣の貴賓(きひん)席に座っていたライオットという男だった。

 彼は椅子から立ち上がって思わず前に飛び出していき、セレナに罵声を浴びせると、すぐにでもこの女を処刑してしまえと大声で言った。

 しかしその様子に、セレナはますますおかしくなって思わず吹き出してしまった。


「勇者様、言っておきますが貴方は陛下よりも罪が重いかもしれないですよ」


 セレナが口を開くと、一変してライオットはほんの少し動揺した。

 いくつか心当たりがあったからだ。

 しかし、その様子が周りに悟られることのないよう、彼は努めた。


「それは一体どういうことだ」


 ライオットは声を潜めて聞いた。


「最初に言っておきますが、これは私という一個人の見解です。それを念頭に置いて聞いていただけたらと思います。さて、早速申し上げますが、私からすると貴方という御方はどうにも――勇者という称号には相応しくないように思えるのです。何故かというと、貴方はとんでもない怠け者ですからね」


 セレナは笑いながらそう言うが、あたりはいつの間にか沈黙した空気感になっていた。

 ほんの少しの囁き声すら聞こえない張り詰めた空気に一変していた。

 彼女の目の前で、ライオットは何も話すことはなかったが、唇をわなわなと震わせて、いつ怒りが爆発するか分からない状態になっていた。


「西方のテイリア山に大量の魔物が現れた時が最も顕著だったと思います。あの時、貴方は旅をしているという名目で各地を遊び歩いていたおかげで、たまたまテイリア山の麓の村に滞在していましたよね。知っていますよ。そして、山の上で魔物が異常発生していたのにもいち早く気づいていたはずだ。であるのに、その日貴方は真昼から酒を飲み、村人に無理やり料理を作らせそれはもう大規模な宴をしていた。他の人間の危機が迫っているのに、随分と呑気なことでしたね。きっと、周辺の集落の人々がどうなってしまってもあなたには関係のないことだったのでしょうね。あぁ、私が駆けつけなければ、今頃どうなっていたことでしょう。それから勇者様、あなたはこのような過ちを何度も繰り返していたことを忘れないでください」


 ライオットは溢れ出る汗を何気なく見せるようにして拭った。

 まだ言い逃れはできる。

 きっとセレナしか知らないことばかりなのだから、民衆たちが魔女の言うことを今更信じるはずがないのだ。

 そう思ったので、彼はなんとか冷静でいられた。

 セレナの言っていることは事実だった。

 彼が勇者という身分を乱用して行ってきた立ち振る舞いを、彼女は全て事細かに知っていた。

 それは、彼女が何から何まで尻拭いを行ってきていたからだった。


「勇者様、私は先程まではこれを言わぬようにと固く誓っていたのです。貴方の名誉のためにです。でも、もう我慢ならない。知ってるんですよ。聖女が本当は国家転覆を狙っている凶悪な魔女なのだと国民たちに言いまわって、陛下にまでそのように言っていた理由。どうして私をそうまでして陥れたかったのか」


「やめろ、民衆たち。このような魔女の囁きに耳を貸すなよ! この女はもはや聖女ではない。かつては立派にその仕事を務めていたかもしれない。しかし、今は邪悪な魔女なのだぞ」


 ライオットはできるだけ平静を装うとした。

 しかし、もはや誰から見ても明らかなほどに焦りを隠せていなかった。

 民衆はこの言葉を信じないはずだ。

 そう思っているのに、冷や汗が止まらなかった。


「おや、随分と焦っていらっしゃるのですね。勇者様。私に愛を伝えてくださった時はあんなにも堂々としていらっしゃったのに。まるで、私が承諾するのが然るべきことであるかのようだった。今もそのようにたち振る舞えばいいではありませんか。そのかわり、私も本当のことをお話しますが」


 民衆はみな、セレナの言葉に聞き入っていた。

 それが真実か嘘かは別として、彼女の話すことは国民にとって興味深い話ばかりだった。

 そして、彼女の言うことを本当だと思うものさえ少数ではあるが存在していた。


「よく聞いてください皆さん。私が今こうして処刑されるのは、ただの痴情(ちじょう)のもつれなのです。私が勇者様の告白を断ったので、怒りを買ってしまったのでしょう。それで、今から処刑されるのです。あぁ、私はずっと尽くしてきたのにね。愚かな行為です。しかし、私にとってはもう笑い話だ。都合のいい女ではないとわかったので、悪しき魔女のレッテルを貼られ今から殺されるのですよ。私は神に祝福を受けた聖女であるのに。でも、私は死ぬのを恐れていません。むしろ、これがこの国の歴史の教科書に載るのがとても楽しみです。後世、この出来事の書かれているページにはどれだけ捻じ曲げられた『事実』が載るのでしょう? そう思うと面白い。私はもうこの国がどうなろうとどうでもいい。勝手にしなさい。そうして滑稽なことをしてくれているうちは、私は死後の世界でも笑っていられるから」


 セレナのその迫力に、その場にいるほとんどの者が驚いていた。

 彼女は表情では確かに笑っていた。

 けれども、最後の最後には早口で語気も強くなっていて、少しだけ怒りが湧き上がっていた。

 彼女はその時自分の本心に気づいた。

 どうでもいいと宣言したけれども、やはり彼女はこの国のことを心の底から大切に思っていた。

 今の発言が、自分自身の心に傷をつけたように思えた。

 いくら(くず)の勇者と卑劣な王がいようとも、彼女は暮らす人々と豊かな自然、絢爛(けんらん)な街並みのあるこの国を嫌いになれなかった。

 なにより、生まれ育ち全てを学んできた自身の故郷があるこの場所をどうでもよくなったと言って片付けていいわけがなかったのだ。

 彼女は後悔した。

 先程の発言はなんて卑劣なものなんだろう。

 今目の前にいる王が、この国を統治するのに相応しいとは思っていないし、勇者の魂をその身に宿しておきながら自堕落な生活を送っているライオットのことも憎んでいる。

 それから、彼らに無条件で賛同する王室や貴族たちも大嫌いだ。

 けれども、それが彼女にとってこの国を嫌いになる理由にはならない。

 彼女は少し心変わりして自分のせいでこの国を滅茶苦茶にするわけにはいかないと思った。

 自身の発言が、後世どれだけ影響するかは全く予想がつかない。

 ただ、彼女は死ぬ間際に不誠実な人間のままでいたくはなかったのだ。

 あれだけ(けな)しておきながら、国に尽くしてきたのにと豪語していた自身のことが随分恥ずかしく思えた。

 自信をもってそう語れる資格のある者は、死ぬ直前になってもただ一心にこの国の平穏を願っている者だけである。

 もはや自分にその資格はない。

 そう彼女は思ったけれども、最後には自身の心に正直でありたい、誠実でありたいと思った。

 王が憤慨(ふんがい)しながら彼女を打ち首にするようにと命令し、兵士が刃を突き立てたとき、彼女は正真正銘、最後の言葉を放った。


「私は、少し取り乱しすぎていたかもしれません。先程の発言はどうか信じないでいただきたい。死ぬ事が決まったので気が動転して言ってしまったただの世迷言です。滑稽な姿を見せて申し訳ございませんでした」


 最後にそう言った。

 その言葉には嘘も含まれていた。

 もうセレナは笑顔ではなかった。

 真面目な顔をして、言っていた。

 彼女は嘘をついたけれども、自分の心には嘘をつかなかった。

 民衆は王や勇者の事情など知らなくてよいのだ。

 知らなくたって、これからも平和に暮らしていくだろう。

 むしろ、言わない方がずっと良いのだ。

 これからも、争い事などが起きず平和であればいい。

 自身の無思慮な発言が掻き乱した未来がそこにあるよりは、その方がずっといいと彼女は思った。

 この国がただずっと平和でありますようにということが彼女の心に灯っている願いだった。

 その心の赴くままに、彼女は自分の信じる行動をしただけだった。

 間もなくして、合図もなく彼女の首は斬られた。

 周りの人々が驚いて声をあげる。

 ぼとりと落ちた首は広場のレンガで舗装された地面をごろごろと転がる。

 その間、痛みすら感じなかった彼女は、首だけになって数秒しかもたない意識の中で、クラウス王とライオットの顔を見た。

 とても良い顔とは言えない。

 彼女は悲しくなった。

 最後の最後に大切なこの国を貶めるようなことをしてしまった。

 惨めな姿を民衆の前に晒して、貶してしまったことを反省した。

 これでよかったのだ。

 これが自分には相応しい。

 彼女はそう思った。

 ほんの最後の瞬間に、誠実であれてよかった。

 この国が平穏でいてくれればそれでいい。

 自分の命など惜しくはない。

 これから別れを告げるのだ。

 さようならという前に、大切なことができてよかった。

 急激な早さで薄れていく意識の中、彼女はまどろみの世界へ入ったような感覚になった。

 これが死ぬ直前の感覚なのだろうか。

 彼女は酷く寂しくなったが、その感覚を甘んじて受け入れた。




――――――――――




 この世界において魔女狩りが行われる理由は、その長い歴史に基づいていると言える。

 古来より、国家を混乱の渦に陥れるのは禁忌の魔術を見出した魔女や魔法使いであった。

 魔女狩りに遭う者は皆禁忌の者である。

 しかし、魔女、魔法使いであること自体が禁忌なのではない。

 それ自体が禁忌であるとするならば、勇者や聖女、高貴な魔術師など、上位魔法を扱う者は禁忌の者として扱われるはずである。

 それらが実際、禁忌の者ではないのは、見出した魔術が神の寵愛(ちょうあい)により作られたものだからである。

 つまりそれは理に沿った正しい形をしているのだ。

 それとは反対に、禁忌の者として魔女狩りに遭う者達は皆、自らの力によって理を歪にし歪めた力のままに新たな魔術を見出した。

 だからこそ禁忌の者なのであり、恐れられているのである。

 強大な国家、ひいては世界すらも破壊しかねない歪んだ魔術は、神からも忌み嫌われる。

 禁忌である所以はそこであり、それ故に古くから魔女狩りが行われているのだ。


 テーヌス・エルカリア著『魔術から紐解ける歴史 第二章 魔女裁判と魔女狩りの歴史』から抜粋

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