雨の日に
それは偶然であった。
允華は東都電鉄の文京(文京市役所前)駅にある複合施設に訪れていた。
屋内型の小さな遊園地にフードコート、ショッピングモールには服飾もあるが電気製品や本屋など多数入っていた。
彼は親友の泉谷晟と共に買い物に来ていたのである。
晟はショッピングモールのインフォメーションを見つけると
「先に家電量販店行っていいか?」
本屋は後でもOK?
と允華を見た。
時間は午前10時。
開店直後である。
允華は頷くと
「いいよ。メインは晟の携帯だからな」
と答え
「でもここ文京と連結してて助かるよな」
と周囲を仰ぎ見た。
施設内は吹き抜けの構造になっており、中央の天井からオブジェがぶら下げられ、両側に店が並んでいる。
外は梅雨に似合いの雨。
傘を使うことなく連絡橋で東都電鉄文京駅から移動できるので人気の施設であった。
晟は彼の言葉に
「さんきゅ」
と答えるとインフォメーションのテーブルに置かれていた案内パンフレットを見て
「トートデンキは…三階だな」
蔓橋本屋も三階で向かいだから移動楽でいいな
と告げた。
蔓橋本屋は東京都内でも有数の大きな本屋で最近は店舗を減らす一方でオンラインショップや喫茶店、私立図書館とタイアップするという形で存続している。
この文京駅にある蔓橋本屋はその中でも数少ない極々普通の本屋であった。
その分だけ本の種類は多く色々な参考書が手に入る場所でもあった。
ただ、ここの蔓橋本屋のもう一つの特徴はイラストレーターや有名無名問わずに作家のイベントも多く催していることであった。
6月中旬のこの日、小説家の中でも有名な夏月直彦のサイン会が行われることになっていたのである。
二人は何も知らず三階に向かいながら開店直後なのに若い女性の姿が多いことに首を軽く傾げた。
女性の殆どは蔓橋本屋の前に並び、晟はそれを横目で見ながら
「何かあるのか?」
女の子が結構並んでるな
と呟いた。
允華も不思議そうに見ながら
「そうだね」
なんだろ
と蔓橋本屋の柱に貼られている紙に目を見開いた。
「…夏月先生のサイン会だ」
晟は「おおっ!」と声を零した。
「あの小説家の夏月直彦か」
なるなる
「かなりイケメンらしいな」
雑誌に載ってた
允華は頷き
「そうだね、シュッとしてかっこいい人だったよ」
と答えた。
それに晟は允華の顔を見て
「允華は夏月直彦を知っているのか?」
と問いかけた。
初耳である。
そんな有名人とお知り合いとは、という具合である。
允華は少し考えつつ
「う~ん、俺が小学生の頃に良く遊びに来てた」
他の友達と一緒だったけど
と答えた。
そして、小さく息を吐きだすと
「あの頃から考えると俺も大学生だし」
今あっても分からないんじゃないかなぁ
と笑った。
晟はフムフムと頷きながらトートデンキの中に入ると
「そう言えば、甥っ子の月君…食あたりで入院したんだってな」
大丈夫か?
と聞いた。
一週間ほど前に学校で倒れてそのまま入院となったのだ。
允華はそのことを思い出しながら
「ん、我慢してたみたい」
先生は放置していたら大変なことになっていたかもしれないって
「兄さんが毎日顔出して様子を見てる」
と答えて視線を伏せた。
食あたりではない。
医師の話では気候のせいで体調が崩れたのではないかと言う事だが、内臓が弱っているという事だ。
その事で允華には気にかかっていることがある。
兄は家からの差し入れをすべて捨てているのだ。
表向きは受け取っているが月には食べさせていない。
彼の妻であり月の母親である叶の差し入れすら捨てているのだ。
ただ、允華がコンビニで買っていったプリンやゼリーなどは食べさせているのだが…それが兄の前妻である義姉と別れる前にどこか似ている気がして酷く気になった。
しかし、今はどうすれば良いのかわからない。
それどころか突き詰めて考えるとゾっとするような思い付きをしてしまいそうで今はそこで思考が止まってしまっているのだ。
允華はふっと
「そう言えば、お姉さんも夏月先生たちと遊びに来ていたな」
と思いついた。
が、しかしだ。
「だからって、今更お姉さんに会いに行くわけにもいかないし」
と小さく苦くつぶやいた。
兄と別れてからもう6年近くになる。
今更だろう。
それこそ何の用だと思われてしまうかもしれない。
俯いて考え事に耽る允華を横目に晟はテーブルに並んでいるタブレットを手に取った。
「やっぱりゲームって処理速度が早い方が良いんだよなぁ」
スキルボタン押して間があると
「おっせって思ってしまうんだよなぁ」
と殊更明るい声で呟いた。
允華は我に返って隣から覗き込み
「え?携帯からタブレットに変えるのか?」
と聞いた。
晟は頷くと
「携帯でゲームしてると電話とかで中断されるし出なくて怒られたりするから」
タブレットにしようかと
「画面も大きいし俺には渡りに船かな」
と笑った。
「推理ショーの画像も見やすくなるぜ」
允華は笑い
「助かるよ、サンキュ」
と答えた。
晟も笑いながら「俺の方が助かってるって」と答え、7インチのタブレットを手にすると
「よし、これにしよう」
と言い
「レジ済ませるから先に本屋行っといていいぜ」
ゆっくり見てこいよ
とレジに足を向けた。
允華は足を蔓橋本屋に向けると
「了解」
じゃあ行ってくる
「あ、つまらなかったらゲームしてていいよ」
俺もその方が気兼ねなく見れるから
と笑って手を振った。
晟は応えるように手を上げると
「OK、OK、じゃあ、あそこの椅子に座ってゲームしてるから見終わったら声掛けてくれ」
とレジの列に並んだ。
時間は11時。
允華が本屋に入るとイベントコーナーにはまだ列が残っていた。
しかも周囲にはウロウロと人々が行き交い、時折携帯で写真を撮っている。
流石である。
允華はそれを横目にハードカバーの並ぶ書籍コーナーに向かいかけて事務所の奥から出てくる人物に目を見開いた。
夏月直彦と津村隆であった。
足を止め思わず息を飲みこんだ。
小学生の頃は良く兄たちと遊んでいたのだ。
允華には知らぬ相手ではなかった。
だが、夏月直彦が覚えているかどうかは分からない。
というよりも、小学生から大学生だ。
見た目も変わっただろうし自分は兄には似ていないので覚えていなくても仕方ない。
允華が小さく会釈をすると夏月直彦は立ち止まってじっと彼を見続けた。
隣りにいた津村隆も同じに見つめていたのである。
長いような。
短いような。
時間の後に允華は口を開きかけたものの噤み、もう一度会釈をして本の棚に目を向けた。
今日の買い物に彼の…夏月直彦の最新刊が含まれてはいるが昨今のサイン会は予約制なのでサインをもらう事も話をすることもできないだろう。
しかもサイン会が始まってから一時間は過ぎている。
今更である。
允華は夏月直彦と津村隆もまた歩き出したのを背中で感じながら何処か上の空で棚の本に目を向けた。
その姿を一瞥して通り過ぎた夏月直彦は並んで歩いていた津村隆に
「白露の弟の允華君だな」
と囁きかけた。
隆も允華をそれとなく見て
「ああ、允華君だな」
向こうも俺たちに気付いたんだろうな
「多分」
と呟いた。
直彦はそれに
「向こうは気付いただろうな」
でないとサイン会の張り紙が泣くぞ
と苦く笑った。
そして
「けど彼が今日来たのは偶然だな、恐らく」
ペンが切れなかったら
「俺たちは気付かなかった」
と、付け加えた。
正にその通りであった。
まさかである。
今日のこの時に兄の旧友がサイン会をしているとは、である。
允華は何処か落ち着きなくソワソワしながら本を見繕い4冊ほど手にするとサイン会会場に目を向けながら、レジに並んだ。
サイン会の会場から時折大きなざわめきが広がり、明るい声が響いている。
允華はレジを済ませると大きく息を吸い込んで
「会っても…何を話したらいいかわからないし」
なぁ…と吐きだし、椅子に座ってゲームをしている晟の元へと戻りかけた。
その瞬間であった。
電気量販店と本屋の間の通路の椅子に座っていた晟がガッと允華の方を見て大きなジェスチャーをした。
「允華―!」
少し大きな声で名前を呼び両手を合わせて拝んできたのである。
…。
…。
きっと、雨さんタイムだ。
と、允華は理解しつつも「いや、それ怪しいから」とドン引きした。
周囲の人々も彼に注目し、思わず允華が目を向けた直彦と隆もその様子を凝視していた。
静寂が痛い。
視線が痛い。
凄く痛い。
允華は思いつつ慌てて晟の方に走ると
「今買い終わったら」
と彼の一つ開けた横の椅子に座ると
「雨さんタイムだろ?」
と聞いた。
晟は困ったように笑い
「それっ」
ごめん
と謝った。
允華は小さく笑って
「いいよ」
と答えて、晟が携帯を二人の間の椅子に置くと目を向けた。
MMORPGの中で行う推理タイムの始まりであった。
■■■
推理タイムの始まりは何時も決まった言葉である。
晟がしているMMORPGマギ・トートストーリーのディテクティブGのギルドメンバーである雨というアバターの人物が
『探偵諸君。推理タイムの始まりだよ』
と告げて始まるのである。
晟はサーアーサーというアバターで参加する。
他にもディテクティブGには4人のメンバーがいる。
允華は流れていく挨拶を目に己を落ち着かせるように息を吐きだした。
その時。
二人の頭上から声が降った。
「なるほど、その雨って人が中心者か」
允華が顔を上げて前を見ると夏月直彦が立って覗き込んでいたのである。
隣では津村隆が疑問符を飛ばしながら
「いや、直彦。ギルドマスターはスイフィって名前の人じゃないのか?」
と彼を見た。
直彦は呆れたように肩を竦め
「だから、中心者って言ったんだが」
と言い
「この雨って人以外は全員小説やドラマの探偵の名前に因んだアバターネームになっているだろ?」
と告げ、隆の表情を見た。
苦く笑ってごまかしてはいるが分かっていないようである。
直彦はふぅと息を吐きだすと
「わかりやすい所では、ゴッポはゴッドポートの略とすると分かると思うが?」
と告げた。
それには隆も「おお!」と声を上げた。
直彦はふっと笑うと
「だが、この雨という人物だけは関係のない名前だ」
しかも招集を掛けるのがこの人物だと考えれば
「本当の中心者はこの人だろ」
と告げた。
允華は内心夏月直彦が伊達や酔狂で推理モノを書いている訳ではないことを理解したのである。
その横で晟も隆と同じように「おお!」と声を上げている。
元々ミステリーに興味がないのだからそうだろう。
直彦は允華に視線を向けてふっと笑うと
「悪いな、允華君。続けてくれ」
と意識を携帯に戻すように促した。
允華は目を見開き
「気付いてたんだ」
と戸惑いつつも視線を携帯へと戻した。
雨の音声チャットの話は続いているのだ。
推理タイムは背後からの雑多な音で臨場感が溢れている。
人の声も時折だが聞こえている。
允華は何時も何処でしているんだろうと思わずにはいられなかった。
そして、ちらりと横にいる直彦の顔を見た。
直彦は僅かに目を見開いたものの苦い笑みを浮かべて沈黙を守っていた。
允華はそれだけで彼が何かを理解したのだとわかったのである。
その間にも雨の推理タイムはいつものように進んでいる。
「昨日の夜8時に自宅で主人である永友圭司が頭を殴られて倒れていた。いま彼は意識不明の重体である」
と告げた。
「家の鍵は今朝になって家の近くの川で見つかっている」
恐らく犯人が捨てたものと思われる
「発見者は彼の妻の晃代で彼女の供述では昨日は朝から別府温泉に出掛けており夫の圭司が襲われた時刻は列車の中だったという事だ」
彼女の供述と通り
「彼女は豊後森駅で乗車し特急ゆふ1号の指定席に座ったまでは乗客チェックに回っていた車掌が確認している、さらに下車についても駅の改札員が覚えていて間違いないらしい」
『それから』と雨は続けて
「彼には愛人がおり彼女のアリバイも調べている」
名前は白峰公佳と言い圭司の行きつけのバーのホステスで
「彼女の話では昨日は昼まで家で寝ており昼から博多の駅の大型ショッピングセンターに買い物に行っていたそうだ」
こちらは大型ショッピングセンターの防犯カメラに写っており
「午後からのアリバイはあるが昼までのアリバイはない」
と告げた。
允華は少し考えながら唇に手を当てた。
晟はそれを見ると
「どうした?」
と聞いた。
允華は「うーん」と言いながら
「雨さんは奥さんを疑っているのかなぁって」
けっこう細かく調べているみたいだし
「指定席に座ったまでは…とか、らしいってさぁ…言い方がね」
もしかしてトリックを解くっていうクイズかも
と呟いた。
直彦は口元に笑みを浮かべ
「なるほど、春彦といい末枯野の言う通りか」
と小さくつぶやいた。
弟軍団はみんな鋭い。が、彼の友人の末枯野剛士の口癖であった。
直彦は自分の弟の春彦もまた探偵の真似事をしているのでそう思ったのである。
雨の話がいったん切れると纏め役のスイフィが
『スイフィ:つまり犯人は奥さんか愛人でどちらが犯人でその手口を見つけるという事ですか』
と告げた。
参加していたデビペントは
『デビペント:私は愛人かなぁ(=゜ω゜)ノ』
と適当なことを告げた。
現在、彼女が活躍する音が無いからだ。
音に関する分析では彼女の右に出るものはいない。
だが。
ゴッポが彼女に言葉の肘鉄を食らわせた。
『ゴッポ:身に覚えがあるからかしら?草』
『デビペント:酷い(;つД`)』
スイフィはため息交じりに
『スイフィ:シャークアイさんがいないのが幸いですね。収集が着かなくなる』
とぼやき
『スイフィ:真面目に取り組んでください』
と付け加えた。
允華は「シャークアイさん今日はお休みなんだ」と呟いた。
が、晟はそれに
「いや、俺らが休みだろ」
と内心突っ込んだ。
『休み』だからMMORPGにインして遊んでいるのだ。
允華はそんなことに気付かず
「晟、雨さんは多分犯行時刻を分かっているんだと思う」
その理由を聞いてくれる?
と告げた。
晟は頷き指先を携帯の上で動かした。
『サーアーサー:犯行時刻が分かっているなら教えてください。それからその分かった理由をお願いします』
雨は画面を見て
『雨:ほうほう、さすがサーアーサー君だね。犯行時刻は10時10分。被害者がしていた腕時計が止まっていた時間で針を弄った形跡はない』
と告げた。
その意味。
『スイフィ:つまり犯人にとってその時刻は知られてもいい時刻と言う事ですね』
雨は短く
『雨:そうそう』
と返した。
『ゴッポ:アリバイが確実にあって疑われないって自信があったってことね』
『デビペント:犯人は奥さん(; ・`д・´)』
允華は腕を組んで
「雨さんに車掌の話と改札員の話を詳しくしてもらって」
列車の中で奥さんの姿を実際見たのは何時の時か
「毎回か、乗った駅の時か」
あと改札員さんが覚えていたのは何故か?
と告げた。
晟は頷くと
『サーアーサー:車掌の証言と改札員の証言を詳しくお願いします』
と書いた。
雨は頷き
『雨:了解』
と答え
『雨:まず車掌の証言では駅に停車すると必ず乗車チェックをするそうだ。その時に彼女は座っていて乗車券のチェックをしている。毎回かと尋ねたら乗客チェックは乗った駅だけだそうだがいなければ乗車確認できるまでチェックは必ずするそうだ。彼女の場合は豊後森駅でチェックが着いていたそうだ』
と告げた。
続けて雨は
『雨:改札員は彼女が改札を出ようとしたときに列車に携帯を忘れたと騒いだのではっきり覚えていたそうだ。携帯は前の座席の後ろのポケットに入っていて無事に見つかっている』
と答えた。
直彦はその場を離れると本屋から二冊の本を手に戻ってきた。
雨は更に
「一応、近隣住人に怪しい人影がなかったかを聞いたが、隣の家の住人で旦那の方は朝から仕事で家におらず」
妻の方は実家に子供を連れて帰っており一日中いなかったそうだ
「他の住人についても仕事や隣でもない家のことは余り気にかけていないそうだ」
と付け加えた。
允華は「なるほどな」と呟いた。
晟は允華を見ると
「何が?何?なるほどって何かわかったのか?」
と俺にはさっぱりわからないと顔をしかめた。
允華は息を吐きだすと
「うーん、つまり愛人のアリバイは昼からあるけど午前中はない」
妻のアリバイは全日ある
「それだけ見てもわざわざ犯行時刻を示す時計を残すのはどっちかなぁって話になるし」
犯行日が都会の死角の日だってことだよなぁ
と言い、ますますわからないと頭を抱える晟に
「例えばなんだけど被害者を襲う人が侵入するとして、その日は全く目撃者がいないことが前提で犯行に及んでいるってことだけど」
愛人はお隣さんが実家に帰る日まで知らないよなってことだと思う
「でも奥さんなら世間話の時にでも聞くチャンスはあったと思うんだ」
と説明した。
直彦は允華に持ってきた本を渡した。
「これを使った方が良い」
資料として使えると思うが
「あ、ちゃんと買ってきたから安心して使ってくれ」
允華は本を見て目を見開いた。
「JRの時刻表とドライブマップ」
あ、ありがとうございます
つまり、言外に乗り物トリックだと告げているのだろう。
允華は時刻表のページをめくり特急ゆふ1号の時刻を調べた。
豊後森駅を9時34分。
豊後中村駅を9時45分。
由布院駅を10時3分。
湯平駅を10時14分。
向之原駅を10時34分。
大分駅を10時53分。
終点の別府駅に11時4分。
允華は被害者宅とドライブマップの各駅のところに丸を付けて見つめた。
晟は覗き込みながら
「犯行時間は10時10分だから」
と言い
「由布院と湯平の間か」
と呟いた。
「アリバイ完璧じゃん」
隆もまた
「確かに乗車中だな」
と呟いた。
直彦は目を細めつつ、允華を横目で見た。
携帯の画面でもスイフィが
『スイフィ:ちょうど由布院と湯平のあいだですね』
と告げた。
ゴッポはそれに
『ゴッポ:確かに完璧なアリバイね。下車して車を走らせても家に戻って夫を殴って到着前に別府駅に戻ることが時間的にできないものね』
と告げた。
允華は不意に「そうか」と呟き
「だから、お隣さんがいない時を選んだんだ」
というと
「晟、雨さんに確認してもらいたいことがあるって伝えて」
と告げた。
晟は「了解」と答えた。
允華は息を吐きだすと
「一つは由布院駅で彼女が改札のカメラに映っているかどうか」
と言い
「その日に彼女が別府近隣でレンタカーを返しているかどうか」
そして
「彼女の家の自家用車のトランクの中に被害者の痕跡が残っていないかどうか」
と告げた。
晟は允華の言葉に合わせてそのまま打ち込んだ。
『サーアーサー:雨さん、次にいう事を調べてください。一つ由布院駅の当日の改札のカメラに彼女が写っているかどうか。その日に彼女が別府の近隣でレンタカーを返しているかどうか。最後に彼女の家の自家用車のトランクに被害者の形跡があるかないかです』
晟は打ち込むと
「どういうこと?」
と允華を見た。
允華は頷くと
「乗り物トリックを使っているとしたら彼女は夫を呼び出して由布院で降りて合流。そしてそこで頭を殴って車のトランクに隠したまま由布院の駐車場に置いて自分はレンタカーで別府の近くの駅…例えば別府大学駅か東別府から乗って別府へ行きそこで特急ゆふ1号が着くと改札に行って携帯を忘れたと騒ぎを起こして乗っていたように見せかける」
帰りは恐らく
「別府から乗り由布院で降りて、自家用車で家へと戻ったんだと思う」
と告げた。
「隣の人がいなければ『昼間に車がなかったことが知られる確率は低いのでトリックがばれにくい』と思ってその日を選んだ可能性はある」
晟と隆は同時に
「「でも時間的に特急ゆふ1号の到着時間に間に合うのか!?」」
と告げた。
見事なシンクロに思わず晟と隆は同時に互いを見て目を見開いた。
…。
…。
直彦は沈黙を守ったまま笑みを浮かべている。
允華はその表情から恐らく殆ど解っているのだろうと理解しつつ目の前の推理に集中した。
そう一見不可能に見えるが
「それが、可能なんだ」
と允華は答えた。
「列車は由布院から大分へと大きく回って別府へ行くので1時間近くかかるけど」
車なら高速使って15分から20分程度なんだ
「自宅へ帰らずに呼び出したのなら犯行は可能なんだ」
そう言ってドライブマップを見せた。
ドライブマップには各区間の所要時間が書いているのだ。
允華は直彦がある程度見越してわざわざそれを持ってきたのだと理解し
「やっぱり、ミステリー作家の一面もあるんだ」
と内心ぼやいた。
晟は驚きながら
「はぁ!?そんなに時間が違うのか!」
と言い
「その推理書いておくか」
と告げた。
允華は頷いて
「そうだね」
一応推理クイズの俺なりの答えだから
と答えた。
晟は「了解」と答えその内容を打ち込んだ。
雨はそれを見ると小さく
「なるほど」
と呟き
『雨:自家用車のトランクは調べられるが由布院駅の改札の映像とレンタカーについては時間がかかるので後日回答かな』
と返した。
スイフィはサーアーサーの回答を見ると
『スイフィ:なるほど。点が線にはなりますね。雨さんの回答が楽しみだ』
と答えた。
ゴッポもまた
『ゴッポ:被害者が現地集合か。推理の時はいつものサーアーサー君とはまるっきり違うサーアーサー君だよね。プラアーサー君とテリアーサー君かな』
と告げた。
デビペントも拍手しながら
『デビペント:(*´ω`ノノパチパチ 列車で一時間。車で15分ってなるほど~』
と返した。
雨はそれを見て
『雨:今日は解散!』
とログアウトした。
その時。
彼の下に鑑識が戻り
「駐車場に置いている車を調べたところ被害者の毛髪と微量の血痕が見つかりました」
天村刑事
と報告した。
雨こと天村日和は息を吐きだすと少し離れた場所で立っていた被害者の妻である永友晃代へと足を向けた。
彼は彼女の前に立つと
「今、自家用車から旦那さんの毛髪と血痕が見つかったそうです」
と言い
「これから由布院駅の改札のカメラと由布院駅から別府にかけての一帯に警官を派遣してレンタカーの会社をしらみつぶしに調べます」
貴方が車を借りているか、もしくは返しているかを
と告げた。
晃代はふぅと息を吐きだすとその場に座り
「そうね、由布院の改札のカメラには写っているでしょうね。東別府の近くのレンタカー屋に車は返しておいたからそれも分かるわね」
と呟いた。
彼女は俯くと
「愛人がいることは分かっていたわ。でも…許してた」
なのにあの人、別れてほしいって言ってきたの
「愛人に子供ができたから家も財産も全て渡すから別れてほしいって言ってきたの」
と涙を滲ませた。
日和は彼女の前に手を差し出し
「それで今、愛した人を傷つけて気が晴れましたか?」
と尋ねた。
彼女は涙を落とすと天村の手を取って立ち上がり
「わからないわ」
と呟き
「だけど酷く疲れた…虚しく感じるわ」
と淡く笑みを浮かべた。
日和は警官に彼女を引き渡し、部屋の中を見回した。
彼女は夫を愛していたのだろう。
恐らくは間違いなく。
だからこそ、ずっと許したとしながら心の奥底でぶつけようのない憎しみや恨みを溜めていたに違いない。
それが、きっと別れ話がきっかけで溢れ出したのだ。
日和の横に立っていた部下が彼を見ると
「今回も流石ですね」
県警一の解決率
と褒めた。
日和は息を吐きだすと
「その解決率は俺のじゃないな」
俺はどっちかというとストーリーテイラーだからな
と呟き
「それで被害者はどうなんだ?」
と聞いた。
部下は敬礼をすると
「意識は戻ったそうです」
と答えた。
「しかし、やり直し出来ないですかね」
別れ話さえ出なかったら起きなかったでしょうし
「浮気を許していたんですから」
日和は肩を竦めると
「やり直しするかしないかは二人の問題だから俺にはわからないな」
と言い
「ただ彼女は許していたのではなくて我慢していたんだろう」
今回の件が無くても何時か何かの拍子であふれ出していたに違いない
と告げた。
「男でも女でも共に家庭を築いている相手が他の存在と男女の深い関係になって何もなく受け入れられるわけがない」
愛があればあるほど
「表面には見せなくてもその奥底では渦を巻いているモノさ」
…いつか、地上に溢れるマグマのように…
允華は推理タイムが終わると時刻表とドライブマップを手に息を吐きだした。
ゲームのチャットは通常モードに戻り晟が
「じゃあ、とりあえず俺も落ちるか」
続きは帰ってからだな
と挨拶をして、ログアウトした。
推理タイムの終了である。
直彦は心の中で「恐らく九州のどこかで起きている本当の事件だな」と呟きつつ、隆を見た。
隆は視線を受けて「何か言われるな」と予感を感じつつ沈黙を守った。
ハチの巣は突かないことが身を守ることになる。
そう言う事である。
允華は一息ついて直彦に本を返し
「ありがとうございました」
と告げた。
直彦は受け取りながら
「いや、面白いものを見させてもらった」
と答えた。
隆は笑いながら
「ネタだな」
小説ネタにする気だな
とあっさり告げた。
直彦も思わず小さく笑って
「そうだな」
それも良いか
と肯定し、允華に視線を戻すと
「允華君、白露に宜しく伝えてくれ」
それから
「近いうちに必ず連絡するとも」
と告げた。
允華は頷くと
「はい、兄に伝えておきます」
と答えた。
直彦は隆と顔を見合わせると小さく頷いて
「じゃあ、失礼する」
と背を向けて立ち去りかけた。
允華はハッと腰を浮かせると
「あの…」
と声を上げた。
義姉のことが頭に過ったのである。
が、直彦が肩越しに振り返り
「何か?」
と聞くと、允華は首を振って
「いえ」
と笑みを見せた。
思わず言葉が出なかったのである。
今度こそ立ち去る二人を見送り、允華は不思議そうに見ている晟を見た。
「帰ろうか」
晟は頷き
「そうだな」
と短く答えた。
二人はショッピングモールを出ると文京駅との連絡橋を渡った。
相変わらず雨が降っている。
允華は小さく息を吐きだし、前を見た瞬間に目を見開いた。
時計を見ながら一人の男性が歩いてきていたのである。
ガタイのでかい精悍な男性である。
「末枯野さん」
そう兄の友人で夏月直彦や津村隆たちと良く遊びに来ていた男性である。
允華は足を止めて
「…今日は兄さんの友達と良く合うな」
と口元に指をつけて考え
「あ、というかサイン会か」
と呟いた。
末枯野剛士も時計から視線を上げると允華に目を向けた。
「…允華、君か」
彼は軽く駆け寄り
「おお、允華君か」
久しいな
と笑った。
そして蔓橋本屋のあるショッピングモールの方に視線を向けると
「もしかして夏月のサイン会か?」
と聞いた。
允華は首を振り
「あ、いえ」
でも偶然でしたけど夏月先生に会って話をしました
「兄に、必ず連絡するという伝言を」
と返した。
末枯野は静かに微笑むと
「そうか」
夏月が…そうか
と笑みを深めた。
允華は少し考え
「あの、あの頃…末枯野さんや夏月先生や津村さんたち良く家に遊びに来ていましたよね」
東雲さんとかも
と言い、ふむふむと頷く末枯野を見て
「その、お姉さんも一緒だったと思うんですけど」
お姉さん、今どこにいるかご存知ですか?
と今更と思われるかもしれないと思いつつ、僅かに視線を下に向けながら尋ねた。
末枯野は驚いたように目を僅かに開くと
「…」
と長い間を置き、深く息を吸って吐き出した。
「允華君は、白露から朧の事は何も聞いていないんだな」
そう静かに返した。
朧とは義姉の旧姓である。
恐らく離婚したので苗字を戻したのだろう。
朧清美…それが義姉の名前なのだ。
末枯野は不思議そうに視線を戻した允華に
「朧は6年前に亡くなっている」
と告げた。
「白露は知っている」
允華は凍り付いたように彼を見つめ返した。
末枯野は不思議そうに
「何故、急に朧の事を?」
と聞いた。
允華は呆然としつつも
「いえ、別に…意味はなくて」
とシドロモドロと返して
「俺、じゃあ…これで…」
すみません、ありがとうございます
と慌ただしく言って背を向けた。
末枯野はその背中を見つめ少し考えたものの、そのまま蔓橋本屋へと足を向けた。
雨は降り。
道路に細くて弱弱しい川を幾筋も作っていく。
允華は無言のまま列車に乗り心配そうに声を掛ける晟に曖昧に笑みを返して、成城学園前駅に降り立つとそこから見える住宅街の一角に威圧さえ感じる大きな建物に目を向けた。
白露家の屋敷である。
允華は何度も何度も末枯野の言葉を反芻していた。
『朧は6年前に亡くなっている』
6年前というと兄の元と離婚して直ぐと言う事だ。
何があったのだろう。
允華は晟の「何かあったらすぐに連絡しろ。良いな」という言葉に小さく頷いて、雨の中を帰宅の途についた。
そして、家に戻ると兄の元に夏月直彦からの言葉を伝えたのである。
何時も笑みを浮かべ。
良き息子。
良き夫。
良き父親。
と、完璧な兄。
しかし、そんな兄の元が伝言に笑顔を無くすと俯き
「夏月が、か…わかった」
と戸惑うように呟き、允華を見つめると言葉を続けた。
「月の入院だが夏休みまで延ばすことにした」
允華は驚いて目を見開き
「え?」
学校は大丈夫なのか?
と返した。
元は俯きつつ
「ああ、お前は気にしなくていい」
と応え、足を進めかけて不意に
「…夏月は…その…何か朧の事を言っていたか?」
と小さな声で呟いた。
允華はその声があまり小さいので
「え?お姉さんのこと?」
と聞き返した。
元は頭を軽く振ると
「何もない」
じゃあ
と立ち去った。
允華は首を傾げ
「夏月先生がお姉さんのこと?」
と呟いた。
そして元の背中を見つめ「そう言えば」と心で呟いた。
「兄さんはどうしてお姉さんのことをずっと名字で呼んでいたんだろう」
兄の元は結婚しても義姉のことを『朧』と呼んでいた。
名前の『清美』ではなかった。
しかし、その疑問に応える人は今この場に誰もいなかった。
外では鉛色の空が重々しく広がり、永遠に続くようにザァザァと雨が降っていた。
最後までお読みいただきありがとうございます。
続編があると思います。
ゆっくりお待ちいただけると嬉しいです。