変化
11月も下旬になると大学は冬休みが目の前であった。
允華は最後の講義が終わると翌日から夏月家へと入り浸りになった。
プロットも作り終えていよいよ書き始めであったが、最初の難関が目の前に現れたのである。
茂由加奈子はあっさりと
「最初の一文が大切だからね」
と言い、次の話の下準備をしていた。
一つの話を書いて終わりではないのだ。
次の話の準備も必要なのだ。
晟もまた最近はプログラムの履修を兼ねてパソコンに開発環境を構築すると
「せめて簡単なゲームくらいは作れるようになっておかないとなぁ」
けどプログラミングの本が揃ってて助かる
「逆引きリファレンスとか…本当に春彦君勉強頑張ってたんだなぁ」
と呟いた。
直彦は相変わらず自室で懸命に恋愛小説を打っている。
週刊誌連載なので締め切りは毎週やって来てたのである。
話の方も佳境に入り黙々粛々と打ち込んでいた。
つまり、いま夏月家は黙々粛々と作業する者ばかりで静寂の間と化していたのである。
コンティニューロール
以前に允華と晟が出会った博多弁の男性と出会わなくなった。
あの日、一度だけの出会いであった。
津村隆の方でもあの日から数日間は駅周辺を見張らせたが怪しい挙動をする男は現れず
「思い過ごしだったのかもしれないな」
ということになった。
夏月直彦の方も
「そうだな、とりあえず静観するしかないか」
と答えるしかなかった。
その上、島津家の要請もありクリスマスに正月と九州へ直彦が出向くことになり、12月から1月15日まで允華と晟と加奈子はアルバイト休業ということになったのだ。
允華は執筆に入るし、晟もプログラミングということなので夏月家で敢えて作業する意味もなくなったので丁度良い休暇であった。
が、允華には最大の難問が待ち構えていたのである。
允華はパソコンの…所謂、ワープロ画面を睨み
「ん、むむむ」
と声を零していた。
最初の難関である一行目である。
ここはやはり夏月家での作業で良かったと允華自身は思っていた。
浮かばないのだ。
画面をジーと睨む允華を息抜きにお茶を飲みに来た直彦は不思議そうに見つめた。
「允華君は何をしているんだ?」
それに茂由加奈子が苦笑を零し
「一行目です」
と答えた。
直彦は「なるほど」と答え、冷蔵庫からお茶を出して二杯入れると一つを允華の手前に業とコンッと大きな音を立てておいた。
「睨んで言葉が出るなら誰でも睨み続けるが」
少し深呼吸した方がいいな
と苦笑を浮かべ
「加奈子君、允華君とケーキを買いに行ってくれ」
甘いものが食べたい
と告げた。
加奈子は「はーい」と答えると、ふぅ~と息を吐き出した允華に
「ケーキ買いに行きましょ」
泉谷君も
と呼びかけた。
晟は笑顔で
「おっしゃ」
と答えると立ち上がり
「先生は何が良いですか?」
と聞いた。
直彦は
「俺はチョコレートケーキだ」
と答えた。
それに遅れて直彦の部屋から出てきた隆が顔を見せて
「直彦の好きなチョコレートはミルク系の甘いやつだからな」
と言い
「俺はフルーツタルトをお願いする」
と財布から札を出すと加奈子に渡した。
「みんな、好きなものを買ってきたらいいからな」
と告げた。
晟は笑顔で
「ありがとうございます!」
と頭を下げた。
加奈子も笑顔で
「お言葉に甘えてます、ありがとうございます」
と告げた。
允華も大きく深呼吸すると
「すみません、ありがとうございます!」
と笑顔を見せた。
太陽は南天を目指して昇り、時計の針は10時15分を指していた。
ケーキ屋は高砂駅に隣接するデパートの専門店街にあり意外と人気のある店であった。
ディスプレイには可愛らしいデコレーションのケーキが並び、必須の甘いチョコレートケーキとフルーツタルトを買うと三人ともが悩んだ。
加奈子は腕を組むと
「私、プリンも好きなんだよね」
と言い
「プリンタルトかチーズケーキかそこが問題だ」
とハムレット宜しく呟いた。
晟は意外とあっさり
「俺、抹茶シフォン」
と即座に注文を入れた。
允華はフームと悩みつつ
「やっぱりイチゴショートかな」
と指を差した。
加奈子は速攻決めた二人を見て
「早ッ」
というと「えー」と右往左往した。
どちらが良いか。
本気で悩んでいた。
允華は小さく笑うと
「そんなところで悩むんだ」
茂由さん
と呟いた。
日頃はテキパキとしている彼女がスイーツを決めるのに凄く悩むとは目から鱗であった。
允華はハッとすると
「あ、俺…先に帰ります!」
ごめん、晟に茂由さん
というと、晟が「おー頑張れ」という声を背に駆け出した。
マンションに戻りエレベーターに乗って夏月家へと飛び込むとパソコンの前に座って指を動かした。
『彼が手に取ったのチーズケーキであった。
何時もチョコレートケーキを好んで食べていたのに今日に限ってチーズケーキだったのだ。
そんな日もあるだろう。と普通なら考えるのだが、小夏緋影は腕を組むと「何故?」と考えた。
そこが彼の彼たる所以。
些細な違いに何故を感じる。
それこそが探偵の素養であった。』
帰って来るなり允華は黙々とパソコンの上で指を走らせた。
最初の一文が出るとそのまま文章が続いていく。
ケーキを買って戻ってきたのかと思いリビングに姿を見せた直彦と隆は黙々とパソコンに向かって指を動かす允華を見つめ同時にクスリと笑った。
遅れて戻ってきた加奈子と晟もその姿に驚きつつもそっとケーキを配ると黙々と食べ始めたのである。
晟は放置していたパソコンの前に座り同じく放置していたタブレットを落とそうと手を伸ばしかけて
「げっ」
と声を零した。
「こんな時に雨さんタイムだ」
加奈子は驚いて
「先生に救援頼んでくるわ」
とそっと告げると允華の邪魔にならないように直彦の部屋へと向かった。
せっかく書き始めた允華の集中を止めてはならないということである。
直彦はチョコレートケーキを頬張りながら
「ん?」
と顔を向けると
「…わかった」
と答えてケーキ皿を手にリビングへと姿を見せた。
晟は両手を合わせて拝むように頭を下げてタブレットの上で指を動かした。
『コンティニュー・ロール:今日は助っ人で宜しくお願いいたします(/・ω・)/』
それに雨こと天村日和は「ほう」と声を零して
『雨:二人目のロールちゃんかよろノシ』
と返した。
晟は抹茶シフォンを口に運びながら
『コンティニュー・ロール:はーい、よろしくお願いしますノシ』
と打ち込んだ。
今日は代理探偵の推理タイムの始まりであった。
日和は手にしていたファイルをパラリと捲り内容を打ち始めた。
「さて、代理探偵君よろしく頼む」
その代理探偵は画面を見ながらチョコレートケーキを味わっていたのである。
『雨:2016年12月2日に一人の男性の変死体が徳島県の大浜海岸で見つかった。男の死亡推定時刻は夜の7時から10時の間で犯人と疑われた人物が3人いた。一人は付き合っていたが振られた女性で播磨由紀、一人はしつこく付きまとわれていたという狩場智子、最後は狩場智子の当時の恋人だった安永藤二だ。三人にはそれぞれその時間にアリバイがあり目撃情報も出ないまま事件は未解決のままになっている』
直彦は隆が持ってきたお茶を飲んで
「なるほど」
と呟いた。
そして、晟に
「悪いが、アリバイの詳細を聞いてくれるか?」
と告げた。
晟は「はーい」と答えると
『コンティニュー・ロール:アリバイの詳細をお願いします(/・ω・)/』
と入れた。
直彦は思わず
「何故、かおもじ…」
と思ったが突っ込むことはしなかった。
日和はファイルを捲り
『雨:播磨由紀は当日朝から京都で仕事があり夜の6時まで職場にいたことが確認されている。その後、営業先の人との飲み会に参加している。これが当時の写真だ』
と言って、画像を二枚アップした。
一枚は男性3人と女性4人で乾杯している様子が写っていた。
男性の手に腕時計が映っておりその時間が7時40分ごろを示していた。
二枚目はおばんざいを食べている様子が映っている。
その写真の時は店の奥の時計が映っており8時を示していた。
『雨:一枚目の写真の二人目の眼鏡を掛けて指に絆創膏をしている茶色のカーディガンの女性が播磨由紀で、飲み会中に席を離れたのは2回でどちらも10分程のトイレという話で外には一切出ていないということだ。二枚目にも彼女は写っている』
一枚目の彼女の様子と二枚目の彼女の様子に直彦は目を細めた。
「外には行っていないというが、眼鏡が薄っすらと曇っているな」
それに指を怪我しているのか。絆創膏をしているな
「それに袖も濡れているのか」
呟き、横に座っている隆を見ると
「隆、京都から徳島の大浜海岸のルートマップと時間を調べておいてくれ」
と告げた。
隆は「了解」と答えると直彦の部屋へと戻った。
日和はファイルをまた捲り
『雨:次に狩場智子だが彼女は岡山で親友たちとロッジで食事を楽しんでいたそうだ。話ではお腹の調子が悪いというので一回だけ20分程トイレに入っていたそうだがその後は普通通りに楽しんでいたそうだ。彼女が席を離れたのはその一回きりだそうだ。一応聞いておいたが外には出ていないとのことだ』
と言って、同じように写真をアップした。
二枚あり一枚目は女性4人で乾杯しているところで、二枚目はオードブルを食べているところであった。
どちらも部屋の中の時計が映っており、一枚目が6時半で2枚目が7時20分であった。
『雨:一枚目の写真の中央左側の赤いドレスにマニュキュアをしてダイヤの指輪をしているのが狩場智子だ。ダイヤは高級なものらしく自慢していたらしい。二枚目の戸口に立っているのが彼女でトイレから戻ってきたばかりのところを撮られたらしい』
直彦はそれを見ると「ほお」と声を零して
「こっちはダイヤが曇っているのか」
マニュキュアは反対だが
「僅かだが全体的に」
と呟いた。
一枚目と二枚目の色味が違っていたのである。
直彦は戻ってきた隆を見た。
隆は二っと笑うと
「今度は岡山と大浜な」
と言って京都と大浜のルートマップを渡して戻った。
その時、ちょうど一区切りをつけた允華が
「すみません」
と直彦の隣に座った。
直彦は允華を見て
「区切りがついたみたいだな」
と言い
「大浜海岸で殺人事件があり犯行動機がある人間が3人いて3人ともにアリバイがあるというところだ」
一人目は京都で仕事後に飲み会
「トイレ二回で外には出ていないらしい」
と説明し
「今二人目だな。岡山で友人たちとロッジで食事会だな」
この二枚がその時の写真だ
「この中央左側のダイヤの指輪をしているとこっちの戸口に立ってるのが彼女だ」
今のところ二人はトイレで10分から20分程席を外しているが外には出ていないと言っていたそうだ
「まあ、今確実に一人は嘘をついているのが分っているがな」
と告げた。
それに晟がぎょっと直彦を見た。
「え?マジで?」
允華はふ~むと唸り
「ごめん、最初の人の写真も見せてもらえるように打ってくれる?」
と告げた。
晟はドギドギしながら
「了解」
と答え
『コンティニュー・ロール:すみません、播磨由紀さんの写真もう一度よろ(/・ω・)/』
と打ち込んだ。
直彦はそれを見て
「晟君はその顔文字が好きだな」
と呟いた。
晟はハッ!としたものの
「そこですか?注目するところ」
と呟いた。
加奈子は笑いながら
「んー、確かによく使ってる気がするわ」
と告げた。
その間にも日和は
『雨:了解』
と答え、播磨由紀の方の写真を見せた。
允華は目を細めて
「んー」
店の見取り図とロッジの見取り図が欲しいですね
と呟いた。
直彦はそれに
「そうだな」
後で言ってみたらどうだ?
と告げた。
允華は頷くと
「はい」
と答えた。
日和はパラパラとファイルを捲り最後の容疑者について
『雨:それで三人目の安永藤二だが彼は東京へ行っておりその時間は新幹線の中だったらしい。東京19時39分発で新大阪に22時6分着だということだ。そちらの方は乗車確認が取れている』
と告げた。
允華は晟を見ると
「店とロッジの見取り図があるか聞いてくれる?」
と告げた。
晟は「了解」と答えて
『コンティニュー・ロール:店とロッジの見取り図ありますか?』
と打ち込んだ。
日和は「ふむふむ」と言い
『雨:店の見取り図は手書きだが、ロッジはチラシに見取り図が入っている』
と二枚の画像をアップした。
店の見取り図は余り丁寧なものではないがそれなりに構造が分るものであった。
允華はそれを見ると
「トイレの横に勝手口があるんだ、だからかもしれない」
と呟いた。
日和は見取り図の添え書きを見て
『雨:あ、当時はトイレの暖房が壊れていたそうだ』
と付け加えた。
允華は「なるほど」と言い
「狩場智子の指輪の宝石は本当にダイヤなのか確認してもらえる?」
と告げた。
晟は「わかった」と答えチラリと直彦を見た。
直彦は答えがわかっているらしく冷静に允華と画面を見つめていた。
晟は『コンティニュー・ロール:狩場智子の宝石は本当にダイヤなのですか?』と打ちながら
「允華が夏月先生を主役にしない理由が俺いま分った気がする」
と心で呟いた。
日和はそれを見ると
『雨:本人が珍しいダイヤだと言っていたので間違いないと思われる』
と返した。
允華は直彦を見ると
「先生は、最初にそれに気付いたんですね」
と告げた。
直彦は頷き
「ああ、そういうダイヤがあることは前に聞いたことがあるからな」
と答えた。
允華は「そうですね」と答え
「それにマニュキュア、ですよね」
と告げた。
晟は允華を見ると
「わかったのか?」
と聞いた。
允華は「可能性の域を出ないけど」と言いつつ
「嘘をついている人は彼女だけかな」
と告げた。
晟は頷いて
「打つか?」
と聞いた。
允華は頷いて
「そうだね」
と答えた。
晟は「了解」と答えると允華の言葉通りに打ち込んだ。
『コンティニュー・ロール:犯人かどうかは分かりませんが、確実に嘘をついているのは狩場智子さんです。先ず彼女の一枚目の写真のダイヤの色と二枚目の色が僅かに違うということです。恐らくそのダイヤはカメレオンダイヤだと思います。カメレオンダイヤは暗闇の中から明るいところへ行くと色が変化し1分程かけて徐々に色が戻る特質があります。その変化な途中の為に色が違っていたのだと思います。本物のダイヤは曇ることがないのでその理由から彼女は光のない場所…つまり外へ出ていたと思います』
日和はそれを見ると
「カメレオンダイヤ?そんなダイヤがあるのか」
と呟いた。
晟は更に
『コンティニュー・ロール:二つ目にマニュキュアの色が二枚目の方が綺麗になっているということです。恐らく塗り直しをしたのだと思います。通常のマニュキュアは油性なので水では落ちないのでトイレだけで塗り直しをすることは殆どないと思います。それに彼女の服と言いマニュキュアと言い本当に赤一色ですね。服の色も微妙に違う部分がありますし』
と打ち込んだ。
日和は写真を手に
「もう一度二枚の写真を拡大して調べる必要があるな」
と言い
『雨:なるほど確かに写真を細かく調べて狩場智子にもう一度聴取を取るようにする』
と打ち込んだ。
『雨:ありおつ。またヨロノシ』
晟もそれを見て
『コンティニュー・ロール:こちらこそ、またおつまたよろノシ』
と返した。
二人同時にログアウトした。
直彦はそれを見ると
「コールド・ケースは証拠が時間の経つごとに消えていくのがな」
と呟いた。
そう、証拠は時間を経ると消えていくのだ。
それだけ立証が難しくなるということである。
允華も頷くと
「そうですね」
迷宮は時間と共に更に出口から遠ざかっていく
と呟いた。
加奈子も「そうね」と言い
「それで允華君、区切りまで書けたみたいね」
と告げた。
「一行目の壁を越えたんだ」
允華はにっこり笑うと
「はい」
と答えた。
直彦は笑むと
「だったら、12月から暫くは一人で執筆できるな」
と告げた。
允華は大きく
「頑張ります」
と頷いた。
加奈子は腕をムンと上げると
「じゃあ、私は次の下準備をするようにするわ」
と告げた。
3人は夕刻を迎えると夏月家を後にそれぞれの家へと帰宅した。
允華は成城学園前駅に晟と降り立つと夕焼けに染まる空を見つめ
「色々、変わったよね」
と呟いた。
晟は笑顔で
「生きてる限り変わるものだと思うけどな」
けど
「今の俺も允華も良い方に変わってるから…良いんじゃないか?」
と告げた。
「たださ、それは允華が変わろうと一歩踏み出してチャレンジしていってるからだと思う」
一緒に良い方へ変わって行こうぜ
允華は笑むと
「ああ」
と答えた。
駅を出ると見える白露の家。
いま、きっと兄の元と甥っ子の月が自分を待ってくれているのだろう。
家へ帰るということに心の穏やかさを感じる日が来るとはこれまで思いもしなかった。
だけど今は。
允華は小さく
「ただいま」
というと一歩を踏み出した。
夕刻の空は明日へと続く夜へと誘っていた。
最後までお読みいただきありがとうございます。
続編があると思います。
ゆっくりお待ちいただけると嬉しいです。




