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 やがて俺は念願の卒業式を迎えた。

 桜の木はいっせいに芽吹き、早い所では桜花爛漫だった。

 生温い春の風が頬を掠めると俺は嬉しくて微笑んだ。阿鼻叫喚な毎日からの解放、孤立無援だった人生を一転できると思ったからだ。


 もう二度と学校の奴らに会いたくない。


 次の日、俺はあの奇妙な爺さんのいる古本屋に向かった。高台から見たオレンジ色の夕焼けが忘れられなかったから……って、いや違う。本音は人がないから。他の店でも面接を考えたが、上背のある柄の悪そうな奴を見るだけで、暴虐を彷彿させ、自然と足が向かなかった。

 それに、ずっと待ってる、と言ってくれた爺さんの言葉が単純に嬉しかった。あの爺さんはもう。そんな言葉覚えてないかもしれないが……だけど今の自分を救う言葉が他になかった。


 


 

「いらっしゃいませ」



 だが店に入ると声をかけたのは爺さんではなく、本を抱えたひとりの女子高生だった。


——誰だ、この人


 返答に詰まった俺は思わず顔を歪めてしまった。


「あの、もしかして店長にご用ですか?」


 透き通った声で彼女は微笑んだ。


「はい」


 俺はぎこちなく頷いた。すると彼女は一歩、俺に近づいて言った。


「それなら店長は本の買取りで只今留守にしています。どうぞ良かったら座ってお待ちください。直ぐ戻ると思いますよ」


「は、はい、どうも……」

 ありがとうございます、と聞こえない程の小さな声をだし、案内されたパイプ椅子に腰を落とした。

 白のブラウスに紺色のネクタイと同色のスカート。どこかでみたことのある高校の制服だ。よく見ると端麗な顔立ちで長い髪を腰までさらさらと揺らしていた。


 ここで働いている人間か? それとも爺さんの孫か?


 俺が一瞥していると、彼女は本棚を見上げながら再び何かを探し始めていた。

 オカルト好きなのだろうか? 彼女の手には、死に至る病、死後の世界など書かれた本が数冊見えた。いや仕事かもしれない。どちらにしろ、漫画しか読まない自分にとって理解不能な本だと思った。

 次の瞬間、俺はぎょっとした。彼女はかなり上段にある本を取ろうと必死で手を伸ばしているのだが彼女の頭上でグラついている本が見えた。


「危ないっ!」

「きゃぁっ!」


 バサッバサッと勢いよく本が落ちてくる。とてつもない量の埃が一気に舞い上がった。


「ゴホッゴホッゴホッ、ゴホッ」むせて息が苦しい、目を開けるのも辛い。

「あ、あのぉ……」


——えっ


突然、耳元から聞こえる彼女の声に俺はさっと血の気が引いた。

目を開けると、なんと俺は不覚にも彼女を抱きしめていた。


「ええっ!」


慌てて彼女を引き離す。どうやら落下する本から守ろうと咄嗟に彼女を自分に引き寄せたみたいだ。


「す、すみません! すみません! すみませっ」

と死ぬ気で謝罪していたら、足元にあった本に躓き、俺はそのまま勢いよく後ろに倒れた。


「ぐぁっ!」ガンッとパイプ椅子で後頭部を打ち付け、みっともない声がでる。あまりの激痛に悶絶しているとサラリと彼女の長い髪が鼻をくすぐった。


「あの! だ、大丈夫ですか?」


 見上げると、間近で心配そうに俺の顔を覗き込んでいた。息がかかるほど近すぎて思わずカッと顔が熱くなった。


「こ、このくらい平気です!」


俺は照れ隠しするよう俯いた。それに嘘ではなかった。これまで受けた痛手と比べたら屁でもない。

だが、どういうわけか彼女は、突然笑いだした。


「ふふふふっすごい反射神経! 驚いちゃった。助けてくれてありがとう。どうしてあんなことができるの?」

「え」


 自分でもよくわからなかった。


 ただ頭より先に、心が動いたのだ。


「おぉ、君か!」


 すると前方からあの爺さんが戻ってきた。

「店長おかえりなさい」と女子高生は立ち上がり「ほら捕まって」と手を差し伸べてくれた。

包帯を巻いている彼女の手に少し驚いたが、白く透き通った細い腕と見た事もない綺麗な指に思わず手が伸びていた。


「ありがとうございます。すみませんでした」

「コケたのか? ふたりとも怪我はないか?」

「わたしは大丈夫ですよ」

「あの突然すみません」そう言いながら俺は店長の前で起立すると自己紹介をはじめた。


「あの日下部といいます。面接を受けたくて来ました。電話番号が分からず直接来たのですが良かったでしょうか」


 少々、上擦った声になってしまったが、爺さん、いや店長は快く微笑んでくれた。


「もちろん、良いに決まっておる。よく来てくれたのぉ」

 その返答に安堵し俺も思わず頬が緩んだ。


「あ、そうだ、履歴書を——」

 そう慌てて履歴書が入ったポケットに手を突っ込んだが、ひっかかって出てこなかった。マジか、と思いながら動揺していると店長は単刀直入に言った。


「あ、採用じゃ。入りたまえ」

「えっ」 


 至極当然というような言いかたに俺は唖然としてしまった。

 さぞ頓狂な顔になっているだろう。だが店長は脇目も振らず「こちらへ着いてきなさい」と言って店内の奥へと歩きだした。


こんなあっさりでいいのか? 


俺は首を傾げながら店長の後に続いた。


 レジカウンターの横には小さな引き戸があり、そこを潜り抜けると人がひとり通れるような狭い通路がある。一番奥には古い木造で造られた階段が見え、道の脇には本が山積みされていた。

 掃除道具や古いランプが散乱していて、まるで屋根裏の倉庫みたいだ。俺は階段の手前にある四畳半の部屋に案内され、そこがレジカウンターの裏側になっていることがわかった。レジ下には監視カメラや大きなパソコンが店舗側から見えない位置に配置されている。意外とハイテクだな、と感心していると店長が黒いエプロンを俺に投げた。


「これが店の制服じゃネットで本を販売もしておるでのぉ。パソコンは覚えてもらいたい。ところで、いつから働けるのじゃ?」

「いつからでも大丈夫です!」


 緊張のせいか大きな声で返答すると「おぉそれは助かるわい」と喜んでくれた。そして店長は礼儀正しく俺の前で正座をし、丁寧に両手を畳につけた。


「紹介が遅れました。わしは、ここの店主をしています道明(どうみょう)和幸(かずゆき)と申します。以後よろしゅう」


 そうして店長が頭をさげるので、俺も慌てて向かい合わせに座り「はい、日下部進です。こちらこそよろしくお願いします」と頭を下げた。ふたりが顔をあげるとレジカウンター前には、さっきの女子高生が立っていた。


「店長、良い人が見つかってよかったですね」

「まったくじゃ! おっと、こちらは白石(しらいし)由梨(ゆり)さんじゃ、一年前からバイトをしてくれておってな、じゃが、この春から高校三年の受験生で今月やめるのじゃよ」

「そうでしたか、あの日下部進です。さっきは本当にすみませんでした」

「いえ、こちらこそ、ありがとう進くん」


——え、進くん?


 その聴き慣れない呼び方にむず痒くなり顔が熱くなった。「いえ俺は」と顔を隠すように俯くと「いやぁ進、ともかく君が来てくれて嬉しいぞ。わぁっはっはっはっ」と盛大に笑う店長に背中をバンバン叩かれた。痛い。


 しかし、なんだろうか、この気持ち……


”君がきてくれて嬉しい”


その言葉が、とても温かく、何かが溶けだすようだった。


 

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