第8話 本気の手作り
そして誠司が勇磨と男同士で不毛な会話をしていた頃、ひかりと楓はひかりの家でチョコレートづくりに励んでいた。
ひかりの母が慣れた手つきで手本を見せると、二人は続いて同じように手を動かす。
「なかなかいいわよ。いい感じの柔らかさになったわ」
お湯の張った容器の上でボールに入ったチョコを溶かし終えて、またすぐに手を動かす。
「ここからは時間との勝負だから、頑張って私についてきなさい」
ひかりの母はいつになく気合が入っている様子だ。
ひかりと楓も真剣だ。
「お願いします」
「さあ、行くわよ!」
キッチンに甘い香りが広がる中、本気の三人は夢中でチョコレートを作り続けた。
そして……。
「凄い、本当にできた!」
楓は自分が作った一口大のチョコレートを見て驚きの声を上げた。
「おばさん、試食していい?」
ひかりの母は笑顔で頷く。
ひかりと楓は自分で作ったチョコを口に含んだ。
そして二人で目を丸くしながら顔を見合わせる。
「滅茶苦茶美味しい!」
ひかりも楓も同時にそう口にした。
「なにこれ、自分が作ったとは思えない」
ひかりはその丸い一口大のチョコをしげしげと眺める。
ひかりの母はものすごく満足げだ。
「美味しいでしょ。あんたのためにちょっと有名なケーキ店のチョコレートづくりに近所の奥様達と参加したんだから、感謝しなさいよね」
「お母さんありがとう」
ひかりは母に抱きついた。ついでに楓も。
「おばさん天才だわ」
「ありがとう楓ちゃん。あなたもがんばったわね。これで二人の大事な日は完璧だわ」
母直伝の本気のチョコレートはこうして完成したのだった。
「ああ、なんだか明日が待ち遠しいな」
楓はひかりの部屋で紅茶を飲みながらつぶやいた。
目の前には箱に入りきらなかった、さっき作ったチョコの残りがあった。
「しかし美味しいわね。新にやるなんて勿体ないぐらいだわ」
きっと冗談なのだろうが、楓がまた一口頬張りながら不満そうな顔をした。
いつもどおりの楓に、軽く受け流しながら、ひかりも一つ口に入れる。
「もう、楓ったら何のために作ったのよ」
口の中で洋酒の香りが広がり鼻から抜ける。
「本当に美味しい」
ひかりはあらためてその甘さを味わいつつ感心していた。
「新君きっと感激するよ。楓の女の子らしさに参っちゃうんじゃないかな」
楓はひかりに言われて少し赤くなった。
「そうね、そうかもね。あいつ私の女子力にメロメロになっちゃうかもね。そんで急に迫られちゃったりしたらどうしよう……」
楓は自分で想像を広げてもっと赤くなった。
「もう、ひかりのバカ!」
勝手に想像で舞い上がる楓だった。
「誠司君も気に入ってくれるかな……」
ひかりは今日一緒に帰れなかった誠司のことを思った。
「なに? 一回一緒に帰れなかったぐらいでそんな遠くを見るような目をして、ひかりは本当に高木君のことばっかりだね」
「だって……」
またからかわれているのは分かっていても、心の中を言い当てられたひかりは何も返せなかった。
「ひかりの愛は重いよねー。その重い愛を受け止めれるのは高木君だけだね」
「そんなに重いかな……」
ひかりは誠司への想いが強すぎるのは自分でも分かっていた。
こうして頭の中に彼の面影を思い描くだけで胸が切なくなる。
特別過ぎるあの人のことがただ大好きで、いつも近くにいたいと願ってしまっていた。
「ひかりはそれでいいの。高木君もひかりに引けを取らないぐらい重いんだし、バランスがとれてるんだからいいじゃない」
楓はひかりと誠司の関係について、いつもの調子でからかった。
「いいよねー。いっつもお互いのこと考えてるんだよね」
楓が冗談交じりに指摘してくることは、大概ひかりにとって図星のことが多かった。
はた目から観て気の付くこともたくさんある。そういうことなのだろう。
「ひかりは気付いていないかもだけど、高木君って付き合いだしてからもひかりのこと、ことあるごとにずっと見とれてる感じだよ」
「うん、なんとなく知ってる……」
「なんだか見ているこっちが切なくなっちゃうぐらい、恋焦がれている感じなのよね。ひかりはひかりで高木君のこといっつも目で追って探してるみたいだし、なんだかね……」
楓は少し真面目な顔をして、胸に刺さるようなひと言を口にした。
「なんだか二人とも、まだ片思いしてるみたいなんだよね」
ハッとしたひかりは、また誠司を想って胸がいっぱいになる。
楓は誠司のことを考えていそうなひかりの手を取った。
「でも私、間違ってるかも知れない」
ひかりは楓の口にした言葉の意図を気にしてしまう。
「間違ってるって?」
「ひかりの愛が重いって言ったけど、それ以上に高木君の方がひかりを想ってるんじゃないかって思うんだ」
そして楓は唐突にあのことを口に出した。
「一年以上、かかったんだよね」
ひかりはそれだけで、楓の言おうとしていることをすぐに理解した。
「あの絵を描き上げるまでに、それだけかかったんだったよね」
ひかりは頷く。
「その間、ずっとひかりのことを高木君は想い続けてきたんだよね」
ひかりは誠司の想いに気付かずに、ずっと同じクラスで毎日を送っていたことを思い出す。
自分はなにも気付かず、誠司君はずっと胸に自分への気持ちを持ち続けてくれていた。
そう思うと切なくて胸が痛んだ。
「あの絵は、絵のことなど何にも分からない私が見ても素晴らしい作品だった」
楓はあの夕日をまとう少女の絵について語り始めた。
「真っ直ぐにひかりへの想いを描いた絵……そして自分の手のことを知ってから、ひかりを諦めるために自分を傷つけながら描いた絵」
ひかりの手を握る楓の手に少し力がこもる。
「高木君は形が変わっても最後までひかりへの想いを貫き通した。あの絵はひかりへの愛を誓った高木君の想いそのものだと思うんだ……だからひかりがどれほど高木君を想ったっていいの。私の言っていること、ひかりなら分かるでしょ」
ひかりは力強く頷いた。
「うん。楓の言うとおりだよ」
ひかりは楓にしがみついた。
「私もう誠司君のことしか考えられない。こんなに大好きなのに、もっともっと好きになっていってる……」
息苦しいほどの切なさが、またひかりの胸を苦しくさせる。
「本当に大好きなの」
ひかりの頬を涙が伝う。
「ごめん泣いちゃったりして、でも誠司君の辛かった時のことを思うと駄目なの」
ひかりは指でこぼれる涙をぬぐった。
「大切なあの人に辛い思いをさせてしまった自分が許せないの……きっとこれからもずっとそうなんだと思う」
「ひかり……」
「でも不思議なの。あの人の傍にいるとただ満たされるの。本当に穏やかで幸せで、何もかもが鮮やかに生き生きとしてくる……きっと誠司君は私の……」
続きを言いかけてひかりは口を閉じた。
「なに? ここでやめちゃうの?」
楓はもう少しだったのにと、がっかりした顔を見せた。
「うん、ごめんね。楓に聞いてもらいたいけど、最初は誠司君に伝えたいんだ」
「しょうがないな。私は二番でいいよ」
「うん。ごめんね」
ひかりは弾けるような笑顔を見せた。
もしここに誠司がいたならば、きっと見とれてしまう。そんなひかりの笑顔だった。




