第4話 ひかりの妄想
ひかりはほんの少しお風呂でのぼせていた。
湯船に浸かったまま、浴室の湯気の中に忘れられない思い出を一つずつ描き出す。
このたった二日で、自分にとっては多すぎるほどの初めてが、立て続けに起こったのだった。
彼と一緒の初めてのクリスマスイブ。
初めての大好きな人からのクリスマスプレゼント。
そして初めての……キス。
ひかりはもう何度反芻したか分からない光景をまた思い描き、胸を高鳴らせる。
火照った顔を手で覆い、湯船に顔を付けてキャーと叫んだ。
ブクブクブクブク。
まあまあ大きなキャーだったが、バスタブのお湯のお陰で家族に聞かれることはなかった。叫ぶ時はなかなか便利だった。
記憶のスイッチが入り一度拍車のかかった頭の中での追体験に、ひかりの興奮は留まるところを知らない。
誠司君の唇少し震えてた……。きっと私も……。
ファーストキス捧げちゃった……。
キャー!
ブクブクブク。
キャーは消音できたのだが、段々頭の中がぼんやりしてきた。
これ以上は危ないと思い、ひかりはお風呂から上がった。
どれぐらいお風呂に浸かっていたんだろう。
ひかりは時間の感覚が良く分からなくなったまま、自分の部屋に入るとベッドに腰かけた。
そして壁に掛けられた絵に目を移す。
やっぱり素敵……。
ひかりはその眩しいあの夏の日の絵を懐かし気に見上げる。
ずっと私を見ててくれたんだ……。
その時携帯に着信があった。
「えっ、嘘」
誠司からの着信だった。今日はずっと一緒だったので、電話はないだろうと思っていたひかりにとって、嬉しいサプライズだった。
「はい。ひかりです」
「ごめんね。もう休んでた?」
「ううん、お風呂から上がったところ。誠司君は?」
「俺もひかりちゃんと一緒。ちょっとだけ声が聴きたくなってそれで……」
ひかりはそう言われて嬉しそうに頬を染める。ここにいない誠司のことを抱きしめたくなってしまう。
「嬉しい……」
ひかりは思う。電話の向こうのあなたもきっと同じ気持ちなんだ。
「冬休みに入ったし、明日も会えるって分かってるんだけど、少しだけ話したくってそれで……」
「うん。私も誠司君の声を聴きたかったんだ。明日も明後日も会えるのにすごい贅沢してるみたい」
「いや、贅沢しているのは俺の方だよ。いいのかなってちょっと思ってるんだ」
「いいんだよ。私、誠司君の彼女なんだから、遠慮なんかしないで」
口にしてから自分が大胆な発言をしているのに気付いて、ひかりは黙り込んだ。
なんだか熱くなってきた……。
「ひかりちゃん?」
「あ、はい」
「今日はありがとう。夜も付き合ってもらって」
「そんな、私のほうこそ家族水入らずの所に、厚かましくお邪魔しちゃって」
「そんなことないよ。男二人の寂しい夕食に、ひかりちゃんが来てくれたおかげで本当にありがたかったんだ。父さんなんか舞い上がっちゃって、飲み過ぎったって反省してたんだ」
今日、ひかりは底なしのように日本酒を飲んでいた誠司の父を見てしまい、その勢いにただただ感心していたのだった。
「お父さんすごい飲んでたもんね。お酒ってあんなに入るんだってびっくりした。私、好きなジュースでもあんなには飲めないな」
「ひかりちゃんの前で恥ずかしいとこ見せちゃったね。父さんも母さんがいなくなってからは、あんなに上機嫌で飲み過ぎるなんて久しぶりじゃないかな」
「すごく楽しそうだったね。私もそう思ったよ」
「うん。つい羽目を外してしまうほど、きっとひかりちゃんが好きなんだよ」
誠司が言った口ぶりが気になって、ひかりは聞き返した。
「え、気に入って下さってるってこと?」
「それはもう。下手したらひかりちゃんのファンかも知れないよ」
「もう、誠司君の馬鹿。からかってるのね」
「いや、言い過ぎでもないかも知れないよ。結構道場の人たちみんなにひかりちゃんの自慢しているみたいだし」
「やだ……恥ずかしい……」
「最近は整骨院に通ってる古株の患者さんにまで自慢しているっぽいんだ。それは流石にって一応は言っといたんだけどね」
「お父さん私のこと何て言ってるの……」
「この間患者さんの一人に言われたんだ。誠ちゃんの彼女って学校一の美少女なんだってなって」
「おねがい誠司君。お父さんを止めて!」
電話では伝わりようがないが、ひかりは顔を真っ赤にして恥じらっていた。
もしこの場に誠司がいたとしたら、その可憐さに気が遠くなっていただろう。
「父さんにはきつく言っとくけど。俺の見てない所でペラペラ自慢してそう。勇磨よりたちが悪いよ」
「恥ずかしー……」
「でも嘘はついてないし。きつく言いにくいんだ」
「誠司君まで……」
「本当だよ。そこは父さんの言うとおりなんだ。俺だっていっつもそう思ってる。君以上に素敵な人なんているわけないんだ」
「嬉しいけど、誠司君はひいき目に見てくれてるだけだよ」
「いや、それは違うよ。本当に君は……」
突然誠司は黙り込んだ。声がしてこなくなってひかりは呼びかける。
「誠司君? どうしたの?」
「ごめん……猛烈に会いたくなってきた。さっき君を送って行ったばかりなのに」
「私も会いたいよ」
「おれ、どうしちゃったんだろう。前はこんな感じじゃなかったと思うんだけど、どうしてもこんなふうに気持ちを抑えられなくなってしまうんだ」
「私だってそうだよ。一緒だね」
「うん。そうだね。一緒だね」
電話の向こうではお互い頬を紅く染めていた。
「もし誠司君が今私に会いに来てくれたら、流石にうちのお父さんもびっくりするだろうな」
「あ、そうだね。折角交際を認めて下さったのに、いきなり非常識な奴だって思われそうだね」
「うふふ。お父さんどんな顔するだろうな」
ひかりは父の姿を想像してみる。そして、プッと吹き出しそうになった。
「俺ちょっと自制心を鍛えるよ。そのうちにお父さんに、なんて奴だって思われそうだから」
「お父さんはちょっと厳しいけど、お母さんは誠司君を褒めまくってたよ。またうちに連れてきなさいって、帰ったらいきなり言ってた」
「期待を裏切らない様に頑張るね。ちゃんとひかりちゃんにふさわしい男になれるように頑張るからね」
「頑張らないで」
「え?」
「もう誠司君は私にとって高嶺の花なんだよ。そのままの誠司君のことが大好きなの。全く背伸びなんてすることないの」
「うん。ありがとう……」
そんな長電話の後に、お互いに惜しみながら明日の約束を確認して電話を切った。
ひかりはまた誠司のくれた壁の絵を眺める。
「はー」
また少し頬を紅くして、ひかりは明日の二人を思い描く。
ひかりの頭の中で描いた誠司の優しい笑顔は驚くほど素敵で、眠りにつく前に夢を見ている気分だった。