第3話 少女はまだ少年を知らない3
夏の気配がひと段落し、ほんの少し学園を取り巻く空気が冷たくなり始めた頃、学校の年間行事の中で最も大きなイベントである学園祭が始まった。
秋の装いを見せ始めた緑の多いこの学校は、この日ばかりは生徒たちが飾り付けた賑やかな装飾に彩られる。
高校生になって初めての学園祭。
誠司は中学の時とのあまりの違いにまず驚かされていた。
入念に各クラスの学園祭実行委員は連日打ち合わせを行い、クラスをまとめ上げていった。
一年生は劇や歌、ダンスなどのパフォーマンスと決められており、いきなりお客さんに何らかのお披露目をすると言うハードルの高さだった。
誠司と勇磨のクラスはダンスと歌。
歌は立候補した数人の女子に任せ、誠司たちはクラスのダンス部の主導で、連日特訓したのだった。
出来不出来はお客さんの投票が目安になるが、誠司のクラスの一年三組は、六組中四位と喜べないし残念でもない微妙な結果となった。
そして学年一位に輝いたのは、あの時任ひかりのいるクラス、一年一組の劇だった。
そして誠司も勿論観に行った。
『美女と野獣』
成る程あの美少女にピッタリな劇だった。
二回の公演の二日目、誠司は勇磨と二人で行列に並んで席に座った。
勝手にそうだと決めつけていたが、やはり主役のベル役はあの時任ひかりだった。
黄色いドレスに身を包んだヒロインが舞台に現れた時、会場はどよめいた。
『ベル』という名前はフランス語で『美しい』という意味だと渡されたパンフに書いてあった。確かにその名に時任ひかりはふさわしい。少年はそう思った。
特別な衣装に身を包んだ時任ひかりは、まぎれもなく観客を魅了し輝いていた。
物語が進行していく中、劇中で少女は声をしっかりと響かせこう言った。
「恋は目でなく心で見るものよ。だからキューピットは盲目に描かれているの」
その台詞にまた胸の奥が少し変な感じになる。そして少年は舞台でスポットライトを浴びるヒロインを最後まで目で追い続けた。
高校生の劇がどれだけの人を魅了したのかは分からない。
ただ少年の心には、舞台の上で輝きを見せたヒロインの姿が焼き付いたのだった。
学園祭が幕を閉じ、季節は冬へと移り変わっていった。
少年が描き終えたあの青い桔梗の花の絵は、島田の勧めでコンクールに出され大賞を獲った。
三学期の始業式。少年は初めて壇上で表彰を受けた。
嬉しさよりも、気恥ずかしさの方が勝っていた気がする。
そして特別なあの絵が、大勢の人に認めてもらえたことに静かな喜びを感じ、一方で言い尽くせぬ虚脱感を少年は感じてしまったのだった。
少年の描いた花の絵は校長室のある階の壁に飾られた。
大勢の生徒たちが絵を一目見ようと足を運び、ひと時の賑わいを見せた。
そんな時、放課後、別のクラスの女子に少年は呼び出された。
見たこともない少しくせ毛の女の子。
高畑薫。少女はそう名乗った。
「高木君ってすごいね。あの絵に私、感動しちゃった」
「はあ、それはどうも……」
少年は誉め言葉に素直に会釈を返した。
しかしその反応に呼び出した少女の方は物足りない様子だ。
「あの、高木君って特定の誰かっているの?」
「特定の誰かって?」
「その、誰か付き合ってる人とかいるのかなって思ってさ」
そこでようやく少年も気付いた。あまりこういったことに慣れていない少年は積極的な女生徒にやや尻込みしてしまう。
「いや、いないよ……」
「ホント? じゃあちょっと恥ずかしいんだけど、ここで私の気持ち高木君に伝えるね」
少女はやや顔を赤らめながら、その後の言葉を少年に伝えた。
「高木君のこと気になるの。良かったら私とお付き合いしてください」
「ごめんなさい」
すぐにそう返してきた少年に、少女は自分がフラれたと自覚するまで数秒を要した。
「え、ダメってこと?」
けっこう自信があったのか、少女は聞き返してきたのだった。
「はい。ごめんなさい」
「好きな子がいるってこと?」
「いや……特には……」
取りつく島も無さそうな少年に、少し不機嫌になってしまった少女はすぐにその場を去って行った。
誠司はその背中を見送って、一つ大きく息を吐いた。
そしてボソリ呟いた。
「好きな子……か……」
少年はまたあの少女を思い浮かべる。
グラウンドの奥で、ひたむきに夢を追いかけ練習し続ける美しい少女。
目標を失った自分とはまるで違う、眩しすぎる少女だった。
「憧れ、かな……」
少年はそう呟いて、美術室へと戻って行った。
いつしか賑わっていた生徒たちの熱も冷め、あの青い花の絵の飾られているフロアに静けさが戻った。
少年はお昼休みに昼食を終えたあと、久しぶりに自分の描いた絵を見ようと足を運んだ。
階段を上がっているときに、飾られている絵の前に誰かがいるのに気が付いた。こういう時は作者である自分は登場しない方がいい。
きっとすぐにいなくなるだろう。そう思い、足を止めた階段の踊り場からその人影を見上げた。
あっ。
見上げた少年の視線の先にいたのはあの少女だった。
時任ひかりさん……。
後ろに手を組んで、たった一人、少女はしばらく絵を見つめていた。
窓からの逆光の陽射しが、少女を優しい光で覆っていた。
ほんの数秒のあいだ、少年は少女に吸い込まれるように目を向けていた。
そして階段をトントンと足音を鳴らして降りてきた少女とすれ違う。
少年はまたあの蜜柑のような残り香りを嗅いだのだった。




