第6話 勇磨の試験
誠司と勇磨は放課後の教室で机に向かっていた。
教壇にいる清水ゆきは時計を見て終了の合図をした。
「そこまで。じゃあ解答用紙を見せて」
二人とも疲れた顔をしたまま、ゆきに解答用紙を手渡す。
「すぐに採点するからしばらく待っててね」
ゆきは予め作ってあった答案を出して採点を始めた。
勇磨と誠司は席に着いて大きく伸びをして体を伸ばした。
「どうだった?」
「ああ、まあそこそこできたかな」
誠司の問いかけに勇磨はそうこたえたが、気になるのかゆきの採点しているのをじっと見ている。
しばらくして採点し終えたゆきは、顔を上げて二人の方に向き直った。
「最期のテストよく頑張ったわね。お疲れ様」
「で、先生どうだった? どのくらい出来てた?」
「聞きたい?」
「え? 聞かない方がいいの?」
勇磨は相当不安なのか弱気になっていた。
「馬鹿ね。そんなこと無いよ。高木君は69点。それで新君は……」
ゆきはなんだかじらしているみたいだった。
「73点!」
「え?」
「高木君より出来ちゃったじゃない。やったわね」
「本当か? 誠ちゃんに勝ったって、多分初めてだ」
「良かったな勇磨。ちょっと悔しいけどすごいじゃないか」
「先生、それで大学の合格ラインはどのくらいですか?」
「今の時点でギリギリぐらい。でも後一週間、今回解けなかった問題をしっかり仕上げておけばきっと手が届くわ」
「ほんとに? よーし。やってやるぞ!」
明るい兆しに、勇磨は素直に喜んでガッツポーズをとった。
「どうしたの? なんか大きな声が聴こえてきたんだけど」
教室に入ってきた楓はご機嫌な勇磨に声を掛けた。後ろからひかりも続いて入ってくる。
「ああ、橘さん。こいつね、今のテストでいい成績だったんだ。褒めてやってよ」
「え? そうなの? じゃあ大学いけそうってこと?」
ゆきは楓にテストを見せてやった。
「どう? 高木君より出来たってすごくない?」
「え? そうなの? なんか間違ってない?」
楓は二人の答案を見比べて首を傾げた。
「いや、清水先生がちゃんと採点してくれたんだし間違いないよ。悔しいけど俺、勇磨に負けちゃった」
「ああ、これからは俺が誠ちゃんに勉強を教えてやるよ。親友だしな」
やや調子づいている勇磨の肩を、楓はバシッと叩いて窘める。
「あんたはすぐに調子に乗るんだから。ここまで付き合ってくれた高木君に感謝しなさいよね」
「それはもう感謝してるよ。誠ちゃんにも清水先生にも」
「そうよ。その謙虚さを忘れちゃダメよ。あと私とひかりにも感謝しなさい」
ゆきは二人が絡んでいるのを楽しそうに見ていたが、少し真面目な顔で勇磨に声を掛けた。
「高木君より点を取れたのは一教科だけよ。気を抜かないでね。明日、残り一週間でやるべき課題をプリントにしてくるから最後まで頑張るのよ」
「うん。先生。ありがとう。俺頑張るよ」
「俺も最後まで応援してるからな。がんばれよ勇磨」
「新君頑張って。私も応援してるよ」
誠司とひかりもゆきに続いてエールを送った。
「私も応援してる。もう少しだよ。がんばれ」
「ああ、任しとけ。応援してくれてありがとな」
楓は勇磨にそう返されて何となく照れ笑いを浮かべた。
「合格発表、私も一緒に行ったげるよ。大学の下見もかねて」
「そうだな。まだ受けてもないけど、じゃあ約束しとこうかな」
「うん。約束ね」
ちょっといい感じの二人を、誠司とひかりは楽し気に眺める。
「私達先に帰った方がいいみたいだね。ね、誠司君」
「そうだね。邪魔しちゃ悪いもんね」
「な、なによ。私はひかりと帰るの。置いてかないでよ」
「じゃあ、みんな教室を出て。そろそろ帰りましょう」
教室を出ると島田が廊下で窓の外を見ていた。
「あれ? 島田先生何してるの?」
楓が分かっているくせにつっこむ。
「あらら、そうかー清水先生をねー。今から二人で帰るわけだー」
「橘、お前、大人をからかうんじゃない。清水先生、じゃあそろそろ俺たちも帰りますか」
島田は何となく照れながら先に歩き出す。
ゆきはちょっと恥ずかし気に島田の横に並んだ。
「おやおや。高校生には目の毒だわ。じゃあ私たちはここで。先生また明日ね」
「ええ、また明日ね。新君、寒いから風邪をひかないようにするのよ」
「うん、先生ありがとう。また明日」
島田たちと分かれて四人で帰る並木道。
こうして肩を並べて下校する日が、あとどれくらい残っているのだろう。
ひかりはそんなことを、少し暗くなりかけてきた空を見上げつつぼんやりと考えていた。
四人で話す他愛ない話。
ちょっとした冗談で笑い合うひと時。
この暮れて行こうとする空の様に、もうすぐ終わりが来る。
それでも今は手の触れられる距離でみんなを感じることが出来る。
きっとこうしているこの瞬間もかけがえのない思い出になるんだ。
ひかりはそんな先のことを思いながら、傍らを歩く大切な人に目を向ける。
そして今は触れようとすれば触れられることを、とても幸せだと感じるのだった。
試験の当日。
勇磨はやはり緊張していた。
「行ってきます」
家を出た勇磨は、玄関を出たところで待ち伏せていた楓に慌てふためいた。
「何だ橘? どうしたんだ!」
見事なうろたえっぷりに楓はプッと膨れて見せた。
「なによ。私がここに来ちゃいけないわけ?」
「いや、突然だったからびっくりしたんだ」
楓は少し膨れたまま勇磨に向かい合う。
「ねえ、手、出して」
「えっ?」
「手を出してって言ってるのよ」
「なに怒ってんだ……」
勇磨が手を出すと、楓は勇磨の掌に自分の掌を押し付けた。
楓が手を放すと勇磨の掌の上にはお守りが載っていた。
「橘……」
「私がいつも持ってるお守り。今日だけあんたに貸してあげる」
「あ、うん。ありがとう」
「合格しないと許さないんだから。絶対に……」
恥ずかし気にうつむき加減でそう口にした楓の肩を、勇磨はそっと抱いた。
「分かった」
そして勇磨は楓の頭をポンポンと二回たたくと歩き出した。
ひかりと楓、そして誠司もY大に来ていた。
もうすぐ試験が終わるころだ。
誠司は待合の壁に掛けられてある時計を見上げる。
楓はきっと照れ隠しだったのだろう。下見をしたいからと言ってY大に行ってみようとひかりを突然誘ったのだった。
その日デートの約束をしていた二人だったが、楓の心情を思いやると断ることが出来ず、じゃあ一緒にと誠司は二人についてくる感じになったのだった。
「ごめんね。高木君まで付き合わせちゃって」
楓は相当申し訳なさそうに、誠司に今日もう何度目かの謝罪をした。
「いいんだよ。俺もひかりちゃんが通う大学を見たかったし。丁度良かったんだ」
「そう言ってくれるとありがたいわ。ひかりもごめんね。急に誘っちゃって」
「いいのよ。ちょっとこうなるかなって思ってたし。新君きっと楓がここで待っててくれてたら喜ぶよ」
「それはまあ、おまけみたいなものだからいいの。ねえひかり、後でグラウンドも見に行こうよ。誰もいなかったらちょっと跳んでみてもいいわね」
「駄目だよ。怒られちゃうよ。あんまり入学前から暴れないでね」
ひかりは口調は柔らかかったが、楓ならやりかねないと思っているのか結構真剣だった。
誠司はそんな二人のやり取りを横目に、テスト時間が終了したことを時計で確認していた。
「今終わったみたいだから入り口のところで驚かせてやろうよ」
「そうね。あいつびっくりするだろうな」
「楽しみね」
入り口の所で待っていると、勇磨が受験生の流れの中を通り過ぎていった。
楓はそおっと近づいて後ろから背中を押した。
「わっ!」
「うわっ!」
思った以上の反応に三人とも大満足だ。
「何だ、またお前か。びっくりさせるなよ」
「またお前かって何よ。折角来てやったのに。それと私だけじゃないの。高木君もひかりも一緒よ」
「新君、お疲れ様」
誠司とひかりは楓の後ろでにこやかに手を振っていた。
「ああ、誠ちゃん、時任、いったい何でこんなとこまで……そうか、橘に連れてこられたんだな」
勇磨は仕方のない奴だと、呆れ顔で楓に目を向ける。
「まあ、でも、ありがとな。お陰様で無事終わりました」
「で、どうだった? 手ごたえは?」
誠司は真っ先に気になっていたことを訊いた。
「ああ、まあ全部埋めれたよ。清水先生が最後に作ってくれたプリントからだいぶ出たんだ」
「本当か! やったな勇磨!」
「いや、まだ分からないし喜ぶのはまだ早いよ。後は待つだけだからもう気楽な身だけどな」
誠司が喜んでいるのに勇磨は満更でもなさそうだった。
楓は少しいたずらっ子の様な笑顔を見せる。
「じゃあさ、あとでお疲れ会やろうよ。新の奢りで」
「え? 俺が奢るのか?」
「そうよ。当たり前でしょ。あんたどんだけ周りの人に助けてもらってたかよーく考えてみなさい」
「楓、それはいくら何でも可哀そうだよ。がんばった新君に三人で奢ってあげようよ」
ひかりに助けられて、勇磨はあとでご馳走してもらえることになった。
「へへへ。やった。時任ありがとな」
「どういたしまして」
受験生の流れから出て、四人は大学の広いグラウンドまでやって来た。
試験日で誰もいないグラウンド。高校のそれとは比べることが出来ない程整備された本格的な競技グラウンドだった。
「私達ここで幅跳びをするんだね」
ひかりが目を輝かせて広いグラウンドを見渡す。
「そうだね。ここが私たちの新しい舞台なんだね。またひかりと一緒に先へ行けるんだ」
「うん。一緒に行こうね。楓」
誠司と勇磨はそんな二人の背中を見つめる。
誠司は思い描く。
この新しい舞台で、ひかりはまたどんな輝きを見せるのだろうかと。
「なあ、誠ちゃん」
「うん、どうした?」
「こっちに来たくなったんじゃないのか」
「なんだかお前、もう受かった前提だな」
誠司は冗談交じりにそう言った勇磨に苦笑いを見せる。
「でも、そうかもな……」
誠司はひかりの背中を、切なさを噛みしめながらじっと見つめていた。
そよぐ風を受けて長い黒髪がサラサラと揺れる。
手を伸ばせば届きそうな君が、ほんの少し遠くなった。その時、誠司はそんな気がしたのだった。




