第2話 ついてくる奴
誠司と勇磨、二人がまだ中学二年生だった頃、校庭の緑もそろそろ色づき始め、秋の気配を感じさせるようになってきていた。
勇磨はあの一件以来、誠司の謎多き所に惹かれてついて回るようになっていた。
「あのさ……」
「なんだ誠ちゃん?」
「はー」
誠司はトイレで用を足しながら、隣で用を足す勇磨にため息を吐いた。
「なんでついてくるんだ? トイレぐらい遠慮しろよ」
「いいだろ。俺もしたかったんだ」
「それと誠ちゃんってなんだよ」
「いいだろ。俺のことは勇磨でいいぜ」
「はー」
誠司はチャックを上げながら、また深いため息をついた。
「おまえ友達いっぱいいるだろ。わざわざ俺にかまうなよ」
「いや、いないよ。友達はおまえだけだ」
誠司は堂々とそう言われて少し赤くなった。
「勝手に言ってろ」
誠司は手を洗って、つかつかとトイレを出る。勇磨はその後を上機嫌でついて行くのだった。
放課後、美術室から出てきた誠司を勇磨は待っていた。
「一緒に帰ろうぜ」
「何なんだよ」
誠司はやたらとしつこい坊主頭の勇磨に呆れ顔だ。
「大体お前、部活やってないだろ? なんでこんな時間までいるんだ?」
誠司は美術部に入っていたが、勇磨は帰宅部だったはずだった。
「心配するな。おれ空手部に戻ったんだ。これからは一緒に帰れるぜ」
「そうか、まあそれはいいんだけど」
誠司はあの日以来、ずいぶん前向きになった勇磨に少しは感心していた。
「じゃあ行こうぜ」
「ああ、しかしなんだかなぁ……」
どんどんプライバシーに入って来る坊主頭に、居心地の悪さを感じながら、誠司は先を歩く勇磨に仕方なしについて行った。
日が暮れかけた帰り道で、勇磨は誠司から色々身の上話を聞きだしていた。
「へえ、そんで九州から戻って来たのか、大変だな」
誠司から、母親の病気を診てもらえる専門医がいるこちらに戻って来たことを聞いて、勇磨はそう返した。
「じゃあ元々はこっちだったんだ」
「ああ、小学校5年から九州に行ってたんだ」
「ふーん」
それからしばらく勇磨は、歩きながら何かを考えている様子だった。
「なあ誠ちゃん」
「またそう呼ぶか」
「おふくろさん入院してるんだろ」
「ああ。そうだけど」
「じゃあ親父さんが何かでいないときとか、俺のとこに来いよ。飯ぐらい食いに来てくれ」
「え? いやそんな簡単に他人の家に飯なんて食いに行けないよ」
「何言ってんだよ。友達だろ」
「おれが……?」
誠司は少し言葉に詰まってしまう。
「おまえ、俺のことよく知りもしないで言うんだな」
誠司は硬い表情でそう返した。
「ああ、でもよく知らないと友達ってなれないのか?」
あっさりと返されて、誠司の硬い表情が和らいだ。
「そうだな、お前の言うとおりかも知れないな」
「だろ。いいこと言うだろ」
誠司と勇磨は初めて二人で声を上げて笑った。
次の日の放課後、また勇磨は誠司を美術室の前で待っていた。
「おう」
手を上げて早速勇磨が声をかける。
「やっぱりいたな」
誠司は予想どおりだと苦笑した。
「なあ、今日俺んちに寄って行けよ」
「おまえの? 急になんだよ」
「家族に紹介しておきたいんだよ。また飯食いに来るからって」
誠司は勇磨と並んで歩きながら想像した。
初めて連れてきた友達を、いきなり今度飯を食いに来るからと紹介したとしたら、普通の人だったらいかれてんのかと思うだろう。
「嫌だよ。滅茶苦茶厚かましい奴じゃないか。急に来てそれを言ったら頭のおかしな奴だって思われる」
「じゃあ飯の事は伏せといて紹介だけ。それならいいだろ」
「ま、まあそれなら……」
何だか勇磨のペースに乗せられてる感じがした。
「じゃあ決まりだ」
何だかしっくりこないまま、勇磨の家に向かって二人は歩き出したのだった。
川沿いの細い一本道をくだらない話をしながら歩いていた二人の前に、見覚えのある顔が立ちふさがった。
一週間前にやり合ったあの不良たちだった。
あの時の三人の後ろに、もう一人背の高い男が立っている。
「何の用だ」
勇磨が不良たちを睨みつけた。
誠司は殆ど無表情で相手を見据える。
不良の一人が口を開いた。
「お前ら、あんなことしてただで済むと思っていないだろうな」
「は? 何のことだ?」
勇磨は挑発するかのような態度を取った。
「お前、そんな口をきいていられるのも今の内だけだぞ。俺たちの後ろにいる人が誰だか分かってんのか?」
勇磨その背の高い男に見覚えがあった。
そして背中に冷たい汗が伝い流れた。
去年まで名を轟かせた不良グループのリーダー河内鳳輔だった。
「新、お前調子に乗りすぎたな」
流石にまずいと感じて、勇磨は少し後ずさった。
「おい、誰なんだ?」
誠司は特に普段と変わらない感じで勇磨に訊いた。
「あいつはやばいやつなんだ。去年までの不良グループのボスだ」
「ふうん。高校生か。大人げないな」
誠司は別の尺度で相手を見ているようだ。
「おいおまえ!」
不良グループの中でこの間、誠司に真っ先に投げられた男が吼えた。
「おまえも調子に乗るんじゃないぞ。この人はな、この辺りの中学の喧嘩自慢のやつをことごとく病院送りにした凄い人なんだぞ。この前みたいにいくと思うなよ!」
不良はさらにまくしたてる。
「いいか、聞いて驚くなよ。この人はなあ、あの龍泉寺横の地獄道場の門下生で、しかも有段者なんだぜ」
誠司はそれを聞いて後ろの背の高い男をよく見ようとした。
「河内さんお願いします」
「おう」
低い声で前に出てきた高校生をじっと見て、誠司は首を傾げた。
「誰だっけ?」
勇磨は不良たちよりも、落ち着き払っている誠司に不思議そうな顔をした。
「おまえこそ誰なんだ?」
河内と呼ばれた高校生が、威圧的な調子で訊いてきた。
「高木といいます」
「高木? 何年だ?」
「二年です」
「ガキが……」
河内は吐き捨てるように言った。
「まあいい。別にお前に恨みはないが、こいつらを痛めつけてくれた落とし前はつけてもらう」
そして河内は独得の構えをした。
「あれは……」
勇磨は見覚えのある構えに驚いた。
勇磨が動揺したその構えは、誠司のあの独特の構えと同じものだった。
そんな勇磨の前で誠司も構えを作った。
それを見た瞬間、河内の顔色が変わった。
「おまえ……合気道をやるのか……」
「はい。あなたもですよね」
「どこの流派だ?」
河内が間合いを詰めながら訊いた。
そして誠司の口から出た返答に、河内は凍り付いた。
「誠真館、高木誠司です。あなたならよくご存じですよね」
河内はそれを聞いて蒼白になった。すぐに構えを解く。
「どうしたんですか、河内さん!」
不良の一人が様子のおかしい河内に後ろから声をかける。
河内は振り返って三人の頭を一人ずついきなり張り倒した。
「何するんですか……」
いきなり殴られた三人の不良たちは、何が起こったのか理解できず唖然としている。
「お前たち、この人を誰だと思ってるんだ!」
河内は三人を怒鳴りつけた。そして誠司に向き直るとすぐさま頭を下げた。
「すみません。知らなかったんです。このとおりです」
「河内さん、そいつ誰なんですか?」
「馬鹿! お前たちも謝れ!」
河内は戸惑う不良三人を怒鳴りつけた。しぶしぶ三人は河内と共に頭を下げた。
誠司も構えを解いて、狼狽している河内に声を掛ける。
「謝る必要はないですよ。それよりも少し俺の方から話したいことがあります」
河内は頭を上げず蒼白な顔のまま下を向いている。
「道場の木札に河内という名前がありましたね……俺の顔を知らないということは最近ずっと稽古に出てないということですね」
誠司は落ち着いた口調でゆっくりと話し始めた。
「すいません。ちょっと色々忙しくて……」
河内は年下の誠司に敬語で応えた。
「そうですか。では誠真館にまだ籍があるということでいいんですね」
どうやら誠司はそれが知りたかったようだ。
「誠真館の道場訓を言ってみてください」
誠司の声は静かで冷たかった。
河内の表情はさらにこわばった。
「か、勘弁してください」
河内は頭を下げたまま脂汗を流していた。
「河内さん、誠真館で最も厳しく道場生に徹底していることはなんでしたっけ」
「すみません」
河内は頭を上げずにただ謝る。
誠司は硬直したままの河内に向かって、静かに話を続けた。
「誠真館は他流試合を禁止し、道場外でのやむを得ない場合以外の技の試用を禁じている。あなたはそれを破りましたね」
河内の額から汗がしたたり落ちる。
「喧嘩のために技を使った。そういうことでいいですね」
誠司の言葉には剃刀のような鋭さが潜んでいた。
「一度道場に顔を出してください。その時に館長の方から何らかの処分があると思います。もし何か言いたいことが御有りならその時に話してください」
そう言い終えると誠司は、頭を下げたままの河内と不良たちの横を通って行った。
勇磨も誠司の後を追って行く。
「なんだ? どういうことなんだ?」
何となくまだ事情を飲み込めていない勇磨が問いかけた。
誠司は振り返り、困惑したままの友人に笑いかけた。
「いいんだよ。こういうこともあるってことだよ」
「?」
「まあ、あいつらはもう俺たちの前に姿を現すことはないだろう。それでいいじゃないか」
「ああ。なんだかそんな雰囲気だったよな」
勇磨は何となく納得した。
「誠ちゃん、おまえやっぱり不思議なやつだな」
勇磨は改めてそう思い、素直に口にした。
「おまえに言われたくないよ。そうだろ勇磨」
誠司と勇磨の笑い声が通学路に広がった。
いつの間にか何となくお互いの名前を呼び合っていることに、二人は特に違和感も感じていなかった。




